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2021年9月18日 (土) 07:25時点における版
蓬 | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | 東京石川島造船所 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
駆逐艦 哨戒艇 |
級名 |
樅型駆逐艦 第三十一号型哨戒艇 |
建造費 | 1,562,226円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | 1918年度計画(八六艦隊案)[1] |
起工 | 1921年2月26日[1] |
進水 | 1922年3月14日[1] |
竣工 | 1922年8月19日[1] |
最期 | 1944年11月25日被雷沈没[1] |
除籍 | 1945年3月10日[1] |
その後 |
1940年4月1日哨戒艇編入、第三十八号哨戒艇と改名[1] 1941年高速輸送艦に改造[1] |
要目 | |
基準排水量 | 公表値 770トン |
常備排水量 | 850.00トン |
全長 | 290 ft 0 in (88.39 m) |
水線長 | 280 ft 0 in (85.34 m) |
垂線間長 | 275 ft 0 in (83.82 m) |
最大幅 | 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m |
深さ | 16 ft 3 in (4.95 m) |
吃水 | 8 ft 0 in (2.44 m) |
ボイラー | ロ号艦本式缶(重油専焼)x3基 |
主機 | ツエリー式オールギアードタービン(高低圧)x2基[2] |
推進 |
2軸 x 400rpm 直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m または直径2.565m、ピッチ3.353m |
出力 | 21,500shp |
速力 |
駆逐艦時 36ノット 哨戒艇時 18ノット |
燃料 | 重油240トン |
航続距離 | 14ノットで3,000カイリ |
乗員 |
計画乗員 107名[3] 竣工時定員 110名[4] |
兵装 |
駆逐艦時 45口径三年式12cm砲x単装3門 三年式機砲x2挺 53cm連装発射管x2基4門 魚雷x8本 哨戒艇時 45口径三年式12cm砲x単装2門 |
搭載艇 | 内火艇x1隻、18ftカッターx2隻、20ft通船x1隻 |
その他 | 輸送人員110名(哨戒艇時) |
※トンは英トン |
蓬(よもぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の19番艦である。
艦歴
1921年(大正10年)2月26日、東京石川島造船所で起工[5]。1922年(大正11年)3月14日進水[6][注釈 1]。同8月19日竣工[7]。
1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)まで、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]。
1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十八号哨戒艇に改称。
1942年(昭和17年)1月12日夜、タカラン攻略作戦において、タラカン島とブニュー島の間で脱出を試みたオランダ敷設艦プリンス・ファン・オラニエ(Hr. Ms. Prins van Oranje)を発見し、山風とともにオラニエを撃沈した[8]。これは蘭印方面における初の水上艦同士の交戦でもあった[8][9]。
1942年3月から4月には西部ニューギニア戡定作戦に参加。
1944年(昭和19年)11月23日10時、第38号哨戒艇は第102号哨戒艇および第33号駆潜艇と共に特設運送船さんとす丸(満珠丸)(大阪商船、7,266トン)(戦艦武蔵生存者便乗)単船からなるマタ34船団を護衛し、高雄に向けてマニラを出港[10][11]。船団は12ノットから13ノットの速力で北上していったが11月24日23時、バシー海峡を航行中に船団は米潜アトゥル(USS Atule, SS-403)にレーダーで探知される[12][13]。アトゥルは戦闘配置を令して浮上状態のまま先回りして船団を待ち伏せた。25日1時15分、アトゥルは疾走深度を6フィート(約1.83メートル)に設定した魚雷を艦首発射管から6本、艦尾発射管から2本、重なった目標に向けて発射した[14]。まず、第38号哨戒艇の艦橋および機械室付近に魚雷2本が命中し、1分ほどで沈没[1]。[15]。間もなくさんとす丸にも魚雷2本が命中し、間を置かずして沈んでいった[16][17]。哨戒艇長高田又男大尉以下145名が戦死した[注釈 2]。沈没地点はサブタン島アハウ岬南西5km地点付近、北緯20度14分 東経121度50分 / 北緯20.233度 東経121.833度。
1945年(昭和20年)3月10日除籍。
後年、高雄の道教霊廟にて神艦として祀られるようになる[19]。
-
鳳山紅毛港保安堂で祀られる第三十八号哨戒艇
-
保安堂外観、右奥の提灯には第三十八号哨戒艇の乗組員らの名前が記されている
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 駆逐艦長
- 有馬直 少佐:1922年6月10日[21] - 1924年12月1日[22]
- 大藤正直 大尉:1924年12月1日[22] - 1925年5月1日[23]
- 帖佐敬吉 少佐:1925年5月1日[23] - 1926年12月1日[24]
- 大藤正直 少佐:1926年12月1日[24] - 1927年12月1日[25]
- 古木百蔵 少佐:1927年12月1日[25] - 1929年11月1日
- (兼)伊集院松治 少佐:1929年11月1日 - 1929年11月30日
- 博義王 少佐:1929年11月30日[26] - 1930年12月1日[27]
- 松原博 少佐:1930年12月1日 - 1931年11月2日
- 天野重隆 大尉:1931年11月2日 - 1933年5月17日
- (兼)帖佐敬吉 中佐:1933年5月17日[28] - 1933年5月25日[29]
- 中村謙治 大尉:1933年5月25日[29] - 1933年11月15日[30]
- 山田鉄夫 少佐:1933年11月15日[30] - 1934年6月1日[31]
- 田代格 大尉:1934年6月1日[31] - 1935年6月1日[32]
- 藤田浩 少佐:1935年6月1日[32] - 1935年11月15日[33]
- (兼)家木幸之輔 少佐:1937年7月29日[34] - 1937年11月15日[35]
- 萩尾力 大尉:1937年11月15日[35] - 1939年2月20日[36]
- 哨戒艇長[注釈 4]
脚注
注釈
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075(昭和3年艦船要目公表範囲)では大正10年3月14日進水となっているが、転記ミスと思われる。
- ^ 151名または152名とするものもあり、第百二号哨戒艇や第三十三号駆潜艇に救助されて3名が生存したという記録もある[18]。
- ^ 海軍辞令公報上の職名は全員が「第一哨戒艇隊特務艇長兼分隊長」で、誰がどの艇の艇長なのかは記載されていない。本艇については種子予備大尉が1942年4月10日に本艇と同時に鎮海警備府部隊鎮海防備戦隊鎮海防備隊へ異動し、1943年2月15日の哨戒艇長新設に伴い本艇の哨戒艇長に任じられているため、当時の特務艇長の判定が可能。第一哨戒艇隊特務艇長は海軍省が発令するもので、防備隊編制令や哨戒艇乗員標準による制限を受けない。
- ^ a b 昭和18年2月15日付 海軍大臣達 第23号による艦船乗員服務規程第1条第2項の改正で哨戒艇長が新設されるまでは、第一哨戒艇隊特務艇長を除き、本艇に限らず哨戒艇の艇長は公式には存在しない。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、301頁。
- ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
- ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075、昭和3年2月14日附内令第34号、艦船要目公表範囲。
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1100-1101、昭和6年4月29日附内令第79号、艦船要目公表範囲。
- ^ #T11公文備考33艦船1/駆逐艦董蓬製造一件(1)画像38『大正十一年八月十九日 石川島蓬艤装員長代理ヨリ電話 駆逐艦蓬本日午前九時半品川沖ニテ授受ヲ了シ横須賀ヘ回航セリ』
- ^ a b 海軍進攻作戦(蘭印)154頁『敵敷設艦を撃沈』
- ^ 日本水雷戦史66頁(開戦時、上海や香港で水上艦艇同士の小規模戦闘が生起している)
- ^ #PB38,1911(2) p.37
- ^ #一護1911 p.56
- ^ #SS-403, USS ATULEp.33
- ^ #PB38,1911(2) p.42
- ^ #SS-403, USS ATULE pp.33-34, pp.53-54
- ^ #PB38,1911(2)
- ^ #野間 p.451
- ^ #SS-403, USS ATULE p.34
- ^ 前川正名「鳳山区紅毛港保安堂について」『中国研究集刊』第60号、大阪大学中国学会、2015年6月、213-224頁、doi:10.18910/58698、ISSN 0916-2232、NAID 120005895652、NCID AN10163337。
- ^ 台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 日本統治時代の軍港、今も追悼供養 産経新聞 2014年1月12日閲覧
- ^ 『官報』第2888号、大正11年3月22日。
- ^ a b 『官報』第2957号、大正11年6月12日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3807号、大正14年5月4日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ a b 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
- ^ 『官報』第1912号、昭和8年5月19日。
- ^ a b 『官報』第1918号、昭和8年5月26日。
- ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2224号、昭和9年6月2日。
- ^ a b 『官報』第2523号、昭和10年6月3日。
- ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ #KK127
- ^ a b #KK1211
- ^ #KK142
- ^ 「昭和16年11月20日付 海軍辞令公報 (部内限) 第752号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083200
- ^ 「昭和17年4月10日付 海軍辞令公報 (部内限) 第841号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085100
- ^ 「昭和18年2月16日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1054号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700
- ^ 「昭和18年6月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1153号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072091700
参考文献
- (issuu) SS-403, USS ATULE. Historic Naval Ships Association
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正11年 公文備考 巻33 艦船1/駆逐艦董蓬製造一件(1)』。Ref.C08050444100。
- 『第三八号哨戒艇戦闘詳報』、34-60頁。Ref.C08030626900。
- 『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』。Ref.C08030141700。
- 『海軍辞令公報 号外 第13号 昭和12年7月29日付』。Ref.C13072072100。
- 『海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付』。Ref.C13072072500。
- 『海軍辞令公報(部内限)第303号 昭和14年2月20日』。Ref.C13072075400。
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備〈1〉 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
- 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。