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梨 (樅型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1917年度[1]
起工 1918年12月2日[1]
進水 1919年8月26日[1]
就役 1919年12月10日[1]
除籍 1940年2月1日[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:公表値 770トン
常備:850.00トン
全長 全長:290 ftin (88.39 m)
水線長:280 ft 0 in (85.34 m)
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)
全幅 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m
吃水 8 ft 0 in (2.44 m)
深さ 16 ft 3 in (4.95 m)
推進 2軸 x 400rpm
直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m
または直径2.565m、ピッチ3.353m
機関 主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[2]
出力:21,500shp
ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基
速力 36ノット
燃料 重油250トン
航続距離 3,000カイリ / 14ノット
乗員 計画乗員 107名[3]
竣工時定員 110名[4]
兵装 45口径三年式12cm砲 単装3門
三年式機砲 2挺
53cm連装発射管 2基4門
魚雷8本
搭載艇 内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻
備考 ※トンは英トン

(なし)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樅型駆逐艦の5番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「」があるため、こちらは「梨 (初代)」や「梨I」などと表記される。

艦歴

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1918年大正7年)12月2日、神戸川崎造船所で起工[5]1919年(大正8年)8月26日午前7時進水[6]。同年12月10日竣工[7]

1940年(昭和15年)2月1日除籍。後に解体された[8]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 安東昌喬 少佐:1919年8月5日[9] -
  • 津田威彦 少佐:不詳 - 1919年11月15日[10]
  • (兼)津田威彦 少佐:1919年11月15日[10] -
駆逐艦長
  • 津田威彦 少佐:1919年11月15日[10] - 1920年7月15日[11]
  • (心得)鈴木清 大尉:1920年7月15日[11] - 12月1日
  • 鈴木清 少佐:1920年12月1日[12] - 1921年12月1日[13]
  • 近藤英次郎 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
  • 根岸清八 少佐:1922年12月1日[14] - 1923年11月20日[15]
  • (心得)藤田類太郎 大尉:1923年11月20日 - 1923年12月1日
  • 藤田類太郎 少佐:1923年12月1日 - 1924年8月20日
  • (心得)柴田力 大尉:1924年8月20日 - 1924年12月1日
  • 柴田力 少佐:1924年12月1日 - 1926年4月20日
  • 井原美岐雄 少佐:1926年4月20日[16] - 12月1日[17]
  • 橋本信太郎 少佐:1926年12月1日 - 1927年12月1日
  • 杉本道雄 少佐:1927年12月1日 - 1929年1月15日
  • 岡野慶三郎 少佐:1929年1月15日[18] - 1929年11月30日[19]
  • 松田尊睦 大尉:1929年11月30日 - 1930年11月1日
  • (兼)吉村真武 少佐:1930年11月1日[20] - 1930年12月1日[21]
  • 直井俊夫 少佐:1930年12月1日[21] - 1932年12月1日[22]
  • (兼)吉村真武 少佐:1932年12月1日[22] - 1933年4月1日[23]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『日本海軍史』第7巻、300頁。
  2. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
  3. ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
  4. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
  5. ^ #T8公文備考18艦船1/駆逐艦竹梨製造一件画像5『大正七年十二月二日 神戸市東川崎町貮丁目拾四番地 株式會社川崎造舩所 専務取締役社長松方幸次郎 海軍省艦政局長 岡田啓介殿 驅逐艦梨起工御届ノ件 御下命ヲ蒙リ弊社ニ於テ建造ノ驅逐艦梨本日午前九時起工致候ニ付此段御届申上候也』
  6. ^ #T8公文備考18艦船1/駆逐艦竹梨製造一件画像9『大正八年八月二十六日(中略)驅逐艦本日午前七時梨、竹同七時三十分無事進水セリ(了)』。#T8公文備考20艦船3/進水画像8『大正八年八月二十六日(中略)梨、竹無事進水セリ右報告ス』
  7. ^ #T8公文備考18艦船1/駆逐艦竹梨製造一件画像11『大正八年十二月十日(中略)發信者 梨駆逐艦長 受信者 大臣 電報譯 本艦無事受領ヲ了ス』。#T8公文備考20艦船3/授受、引渡画像38『大正八年十二月十日(中略)驅逐艦梨今日午前十時津田艦長ヘ無事御引渡致シマシタ』
  8. ^ #日本海軍全艦艇史 資料編「主要艦艇艦歴表」12頁。
  9. ^ 『官報』第2101号、大正8年8月6日。
  10. ^ a b c 『官報』第2186号、大正8年11月17日。
  11. ^ a b 『官報』第2388号、大正9年7月17日。
  12. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  13. ^ 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  14. ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
  15. ^ 『官報』第3375号、大正12年11月21日。
  16. ^ 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
  17. ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  18. ^ 『官報』第612号、昭和4年1月16日。
  19. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  20. ^ 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
  21. ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  22. ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  23. ^ 『官報』第1875号、昭和8年4月4日。

参考文献

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  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正8年 公文備考 巻18 艦船1/駆逐艦竹梨製造一件』。Ref.C08021311300。 
    • 『大正8年 公文備考 巻20 艦船3/進水』。Ref.C08021315200。 
    • 『大正8年 公文備考 巻20 艦船3/授受、引渡』。Ref.C08021315400。 

関連項目

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