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|機関||主機:パーソンズ式反動[[蒸気タービン|オールギアードタービン]](高低圧) 2基<ref name="帝国海軍機関史下巻pp589-590">[[#帝国海軍機関史]]下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)</ref><br />出力:21,500[[馬力|shp]]<br />ボイラー:[[艦本式ボイラー|ロ号艦本式缶]](重油専焼) 3基 |
2021年9月18日 (土) 07:25時点における版
艦歴 | |
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計画 | 1917年度[1] |
起工 | 1920年11月10日[1] |
進水 | 1921年5月30日[1] |
就役 | 1922年3月23日[1] |
その後 | 1940年4月1日哨戒艇編入、第三十七号哨戒艇と改名[1] 1941年高速輸送艦に改造[1] 1942年1月24日被雷大破[1] 1942年4月10日除籍後、船体をバリックパパン港の防空用に残置[1] |
除籍 | 1942年4月10日[1] |
性能諸元(計画) | |
排水量 | 基準:公表値 770トン 常備:850.00トン |
全長 | 全長:290 ft 0 in (88.39 m) 水線長:280 ft 0 in (85.34 m) 垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m) |
全幅 | 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m |
吃水 | 8 ft 0 in (2.44 m) |
深さ | 16 ft 3 in (4.95 m) |
推進 | 2軸 x 400rpm 直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m または直径2.565m、ピッチ3.353m |
機関 | 主機:パーソンズ式反動オールギアードタービン(高低圧) 2基[2] 出力:21,500shp ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基 |
速力 | 36ノット |
燃料 | 重油240トン |
航続距離 | 3,000カイリ / 14ノット |
乗員 | 計画乗員 107名[3] 竣工時定員 110名[4] |
兵装 | 45口径三年式12cm砲 単装3門 三年式機砲 2挺 53cm連装発射管 2基4門 魚雷8本 |
搭載艇 | 内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻 |
備考 | ※トンは英トン |
菱(ひし)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の16番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「菱」(未成艦)があるため、こちらは「菱 (初代)」や「菱I」などと表記される。
艦歴
1920年(大正9年)11月10日、浦賀船渠で起工[5]。1921年(大正10年)5月30日午前10時30分進水[6]。1922年(大正11年)3月23日竣工[7]。
1937年(昭和12年)から1938年(昭和13年)まで、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]。
1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十七号哨戒艇に改称。
太平洋戦争において南方で海上護衛、哨戒作戦に従事[1]。1942年(昭和17年)1月24日、バリックパパン攻略戦で米駆逐艦4隻と交戦し、被雷して大破。同年4月10日に除籍され、船体をバリックパパン港の防空用に残置した。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 駆逐艦長
- 今泉美啓 少佐:1922年3月23日[9] -
- 高橋忠治 少佐:1922年12月1日[10] - 1923年11月10日[11]
- 山田梅蔵 少佐:1923年12月1日[12] - 1924年9月1日[13]
- 後藤英次 少佐:1924年12月1日[14] - 1925年12月1日
- 板垣盛 少佐:1925年12月1日 - 1927年11月1日
- 河原金之輔 少佐:1927年11月15日[15] - 1928年2月1日[16]
- 篠田勝清 大尉:1928年2月1日 - 1929年11月30日
- 兄部勇次 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月21日
- 重久親志 大尉:1930年11月21日[17] - 1932年12月1日[18]
- 桝本要 少佐:1932年12月1日[18] - 1934年11月15日[19]
- 山下鎮雄 大尉:1934年11月15日[19] - 1935年11月15日[20]
- (兼)家木幸之輔 少佐:1937年7月29日[21] - 1937年11月15日[22]
- 石井励 大尉:1937年11月15日[22] - 1938年12月15日[23]
- (兼)萩尾力 少佐:1938年12月15日[23] - 1939年2月20日[24]
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k 『日本海軍史』第7巻、302頁。
- ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
- ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075、昭和3年2月14日附内令第34号、艦船要目公表範囲。
- ^ #T11公文備考33艦船1/駆逐艦菱製造一件画像12『大正十年五月三十日(中略)駆逐艦菱本日(五月三十日)十時半無事進水セリ 御届ス (了)』
- ^ #T11公文備考33艦船1/駆逐艦菱製造一件画像38『大正十一年三月二十三日(中略)菱本日(三月二十三日)引渡ヲ了ス(終)』
- ^ 『官報』第2651号、大正10年6月3日。
- ^ a b 『官報』第2890号、大正11年3月24日。
- ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ 『官報』第3368号、大正12年11月13日。
- ^ 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ 『官報』第3609号、大正13年9月2日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第266号、昭和2年11月16日。
- ^ 『官報』第327号、昭和3年2月2日。
- ^ 『官報』第1172号、昭和5年11月24日。
- ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第13号 昭和12年7月29日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第303号 昭和14年2月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075400
参考文献
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正11年 公文備考 巻33 艦船1/駆逐艦菱製造一件』。Ref.C08050443900。