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|機関||主機:ブラウン・カーチス式[[蒸気タービン|オールギアードタービン]](高低圧) 2基<ref name="帝国海軍機関史下巻pp589-590">[[#帝国海軍機関史]]下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)</ref><br />出力:21,500[[馬力|shp]]<br />ボイラー:[[艦本式ボイラー|ロ号艦本式缶]](重油専焼) 3基 |
2021年9月18日 (土) 07:24時点における版
パラオ大空襲で攻撃される第三十一号哨戒艇(菊、1944年) | |
艦歴 | |
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計画 | 1917年度[1] |
起工 | 1920年1月20日[1] |
進水 | 1920年10月13日[1] |
就役 | 1920年12月10日[1] |
その後 | 1940年4月1日哨戒艇編入、第三十一号哨戒艇と改名[1] 1941年高速輸送艦に改造[1] 1944年3月30日空襲により沈没[1] |
除籍 | 1944年5月10日[1] |
性能諸元(計画) | |
排水量 | 基準:公表値 770トン 常備:850.00トン |
全長 | 全長:290 ft 0 in (88.39 m) 水線長:280 ft 0 in (85.34 m) 垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m) |
全幅 | 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m |
吃水 | 8 ft 0 in (2.44 m) |
深さ | 16 ft 3 in (4.95 m) |
推進 | 2軸 x 400rpm 直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m または直径2.565m、ピッチ3.353m |
機関 | 主機:ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧) 2基[2] 出力:21,500shp ボイラー:ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基 |
速力 | 36ノット |
燃料 | 重油250トン |
航続距離 | 3,000カイリ / 14ノット |
乗員 | 計画乗員 107名[3] 竣工時定員 110名[4] |
兵装 | 45口径三年式12cm砲 単装3門 三年式機砲 2挺 53cm連装発射管 2基4門 魚雷8本 |
搭載艇 | 内火艇1隻、18ftカッター2隻、20ft通船1隻 |
備考 | ※トンは英トン |
菊(きく)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の9番艦である。
艦歴
1920年(大正9年)1月20日、神戸川崎造船所で起工[5]。同年10月13日午前7時進水[6]。同年12月10日竣工[5]。
1937年(昭和12年)、日中戦争において華北沿岸の作戦に参加した[1]。
1940年(昭和15年)4月1日、哨戒艇に類別変更。第三十一号哨戒艇に改称。
太平洋戦争において南方での海上護衛、哨戒作戦に参加[1]。1944年(昭和19年)3月30日、米空母航空機の攻撃により沈没(パラオ西水道)。同年5月10日に除籍。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 吉田健介 少佐:1920年10月14日[7] -
- 駆逐艦長
- 吉田健介 少佐:1920年12月10日[8] - 1921年12月1日[9]
- 渋谷荘司 少佐:1921年12月1日[9] - 1922年5月1日[10]
- 山田定男 少佐:1922年5月1日[10] - 1924年12月1日[11]
- 鈴木田幸造 少佐:1924年12月1日[11] - 1925年12月7日[12]
- 野末信次郎 少佐:1925年12月7日[12] - 1926年11月1日[13]
- 西村祥治 少佐:1926年11月1日 - 1927年11月1日
- 伊藤皎 少佐:1927年11月1日[14] - 1928年12月10日[15]
- (兼)池田久雄 少佐:1928年12月10日[15] - 1929年9月29日[16]
- (兼)境澄信 中佐:1929年9月29日[16] - 1929年11月30日[17]
- (兼)中川浩 少佐:1929年11月30日 - 1930年11月1日
- 清水利夫 大尉:1930年11月1日 - 1931年10月24日
- 橘雄次 少佐:1931年10月24日[18] - 1932年11月15日[19]
- 杉野修一 少佐:1932年11月15日[19] - 1933年11月15日[20]
- 七字恒雄 少佐:1933年11月15日[20] - 1934年6月1日[21]
- 前川新一郎 大尉:1934年6月1日 - 1934年11月15日
- (兼)鈴木正明 少佐:1934年11月15日[22] - 1935年10月31日[23]
- 鈴木正明 少佐:1935年10月31日[23] - 1936年12月1日[24]
- 松原瀧三郎 少佐:1936年12月1日[24] - 1938年8月1日[25]
- 吉田正一 少佐:1938年8月1日[25] - 1938年12月1日[26]
- 工藤俊作 少佐:1938年12月1日[26] -
脚注
- ^ a b c d e f g h i j 『日本海軍史』第7巻、301頁。
- ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
- ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
- ^ a b #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1074-1075、昭和3年2月14日附内令第34号、艦船要目公表範囲。
- ^ #T10公文備考24艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)画像39『大正九年十月十三日(中略)驅逐艦菊本日午前七時無事進水セリ』
- ^ 『官報』第2462号、大正9年10月15日。
- ^ 『官報』第2510号、大正9年12月13日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2922号、大正11年5月2日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3988号、大正14年12月9日。
- ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
- ^ 『官報』第255号、昭和2年11月2日。
- ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ a b 『官報』第827号、昭和4年9月30日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ 『官報』第1448号、昭和6年10月26日。
- ^ a b 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
- ^ 『官報』第2224号、昭和9年6月2日。
- ^ 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2651号、昭和10年11月2日。
- ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第219号 昭和13年8月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)号外 第267号 昭和13年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700
参考文献
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正10年 公文備考 巻24 艦船1/駆逐艦菊、葵、萩、薄、藤製造一件(2)』。Ref.C08050173200。