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マドンは[[ラファイエット大学]]では野球と[[アメリカンフットボール]]をプレーし、{{by|1976年}}に卒業。[[ロサンゼルス・エンゼルス |
マドンは[[ラファイエット大学]]では野球と[[アメリカンフットボール]]をプレーし、{{by|1976年}}に卒業。[[ロサンゼルス・エンゼルス|カリフォルニア・エンゼルス]]のマイナーで捕手としてプレーをしたもののメジャー昇格をすることのないまま{{by|1979年}}の出場を最後に現役を引退し、その後選手時代を含め31年間エンゼルスの組織に所属した。スカウト、打撃インストラクター、マイナーリーグの監督などを経て、{{by|1996年}}から{{by|2005年}}までエンゼルスのベンチコーチを務めた<ref>[http://www.boston.com/sports/baseball/redsox/extras/joe_maddon/ Boston.com / Sports / Baseball / Red Sox<!-- Bot generated title -->]</ref>。また{{by|1996年}}と{{by|1999年}}には代理監督を数試合務めている。{{by|2002年}}には[[マイク・ソーシア]]監督の下で[[2002年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]制覇に貢献した。 |
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2021年9月11日 (土) 23:56時点における版
ロサンゼルス・エンゼルス 監督 #70 | |
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ロサンゼルス・エンゼルスでの監督時代 (2020年3月26日) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州ルザーン郡ヘイズルトン |
生年月日 | 1954年2月8日(70歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1976年 アマチュアFA |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
| |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
|
ジョセフ・ジョン・マドン・ジュニア(Joseph John Maddon Jr., 1954年2月8日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ルザーン郡ヘイズルトン出身の元プロ野球選手(捕手)、監督。右投右打。2020年シーズンよりMLBのロサンゼルス・エンゼルスの監督を務める。
タンパベイ・レイズの監督としては「レイズ旋風」を巻き起こし、またシカゴ・カブスの監督としてはカブスとカブスファン達を長年に渡って苦しめ続けた「ビリーゴートの呪い」を解いた監督として知られ、これらの偉業を達成した実績から現代MLBを代表する知将名将として認識されている。最優秀監督賞を3度受賞している。
経歴
マドンはラファイエット大学では野球とアメリカンフットボールをプレーし、1976年に卒業。カリフォルニア・エンゼルスのマイナーで捕手としてプレーをしたもののメジャー昇格をすることのないまま1979年の出場を最後に現役を引退し、その後選手時代を含め31年間エンゼルスの組織に所属した。スカウト、打撃インストラクター、マイナーリーグの監督などを経て、1996年から2005年までエンゼルスのベンチコーチを務めた[1]。また1996年と1999年には代理監督を数試合務めている。2002年にはマイク・ソーシア監督の下でワールドシリーズ制覇に貢献した。
2004年のシーズン前にはボストン・レッドソックスの監督候補となっていたが、結局テリー・フランコーナが選出され監督就任はならなかった。2005年11月5日にルー・ピネラの後任としてタンパベイ・デビルレイズ監督に就任。監督就任1年目の2006年は2002年以来4年ぶりとなる、球団史上ワースト2位の101敗を喫し、2007年には66勝96敗・借金30でMLB最低勝率(.407)となったが、2008年はチーム名を、それまでのデビルレイズ(Devil Rays 海洋生物のオニイトマキエイ)からレイズ(Ray 光、陽光の複数Rays)に改称。このレギュラーシーズンにチームは開幕から快進撃を続け、球団創設11年目で初の地区優勝を果たすと、ポストシーズンでも勢いを保ったまま一気にプレーオフを勝ち上がりアメリカンリーグ優勝も果たし、遂にワールドシリーズへ進出を決めた。ワールドシリーズでは、日本球界で助っ人として活躍したチャーリー・マニュエル監督率いるフィラデルフィア・フィリーズに敗れ、世界一には成れなかったものの、監督としての手腕が評価され2008年のアメリカンリーグ最優秀監督に選出された[2]。
2011年、監督としての手腕が評価され、同年のアメリカンリーグ最優秀監督に選出された。
2012年2月、監督としての契約を2015年まで3年間延長した。
2014年10月24日、レイズから退団が発表された。2015年が契約最終年だったが、本人の希望で契約を解除した[3]。
2014年10月31日、シカゴ・カブスから新監督に迎えると発表された[4]。
2015年はカブスを地区3位ながらナショナルリーグチャンピオンシップシリーズに進出した手腕を評価され、ナショナルリーグ最優秀監督賞(アメリカンリーグを含めて通算3度目)を受賞した[5]。
2016年は、71年ぶりのナショナルリーグ優勝、そして、長年に渡ってカブスとカブスファン達を苦しめ続けたきた「ヤギの呪い」リグレー・フィールド#ヤギの呪いを打ち破り、チームを108年振りのワールドシリーズ制覇へ導いた。
2018年は7月から地区首位だったが、161試合目でミルウォーキー・ブルワーズに並ばれ、163試合目の地区優勝決定戦で敗れて、地区優勝を逃して、ワイルドカードでプレーオフ進出となった。ワイルドカードゲームでコロラド・ロッキーズに敗れた。
2019年は主力に故障者が相次ぎ、ナ・リーグ中地区3位で5年ぶりにプレーオフ進出を逃した。9月29日に2015年から指揮を執ってきた監督を契約満了で退任することを発表した。退任に際しては「素晴らしい5年間だった」と話した[6]。
2020年シーズンからはロサンゼルス・エンゼルスの監督を務める[7]。
監督としての特徴
常識にとらわれず、多様な戦術を持っている。
- 投手の打順が8番[8]。
- 内外野を守るユーティリティプレーヤーの起用(ベン・ゾブリスト、イアン・ハップ等)
- 外野手4人シフト(2017年8月14日、シンシナティ・レッズ戦)[9]。
- 投手の外野守備により1試合に2度登板させる(トラビス・ウッド、スティーブ・シシェック等)[10][11]。
- リーグ優勝争いが予想される強打者とシーズン序盤から勝負を避ける(2016年5月、ブライス・ハーパーに対して4連戦で14四死球)[12]。
詳細情報
年度別監督成績
年度 | 球団 | 地区 | 年齢 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位/チーム数 | 備考 | プレーオフ勝敗 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996 | CAL | AL 西 | 42 | 22 | 8 | 14 | .364 | 4 / 4 | 監督代行 | |
1999 | ANA | 45 | 29 | 19 | 10 | .655 | 4 / 4 | 監督代行 | ||
2006 | TB | AL 東 | 52 | 162 | 61 | 101 | .377 | 5 / 5 | ||
2007 | 53 | 162 | 66 | 96 | .407 | 5 / 5 | ||||
2008 | 54 | 162 | 97 | 65 | .599 | 1 / 5 | WS敗退 | 8勝8敗 | ||
2009 | 55 | 162 | 84 | 78 | .519 | 3 / 5 | ||||
2010 | 56 | 162 | 96 | 66 | .593 | 1 / 5 | ALDS敗退 | 2勝3敗 | ||
2011 | 57 | 162 | 91 | 71 | .562 | 2 / 5 | ALDS敗退 | 1勝3敗 | ||
2012 | 58 | 162 | 90 | 72 | .556 | 3 / 5 | ||||
2013 | 59 | 163 | 92 | 71 | .564 | 2 / 5 | ALDS敗退 | 2勝3敗 | ||
2014 | 60 | 162 | 77 | 85 | .475 | 4 / 5 | ||||
2015 | CHC | NL 中 | 61 | 162 | 97 | 65 | .599 | 3 / 5 | NLCS敗退 | 4勝5敗 |
2016 | 62 | 162 | 103 | 58 | .640 | 1 / 5 | WS優勝 | 11勝6敗 | ||
2017 | 63 | 162 | 92 | 70 | .568 | 1 / 5 | NLCS敗退 | 4勝6敗 | ||
2018 | 64 | 163 | 95 | 68 | .583 | 2 / 5 | NLWC敗退 | 0勝1敗 | ||
2019 | 65 | 162 | 84 | 78 | .519 | 3 / 5 | ||||
2020 | LA | AL 西 | 66 | 60 | 26 | 34 | .433 | 4 / 5 | ||
MLB:17年 | 2381 | 1278 | 1103 | .537 | 32勝35敗 |
- 2020年度シーズン終了時
- 太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)
表彰
- アメリカンリーグ最優秀監督賞:2回(2008年、2011年)
- ナショナルリーグ最優秀監督賞:1回(2015年)
背番号
- 70 (1995年 - )
脚注
- ^ Boston.com / Sports / Baseball / Red Sox
- ^ Joe Smith (2008年11月12日). “Tampa Bay Rays' Maddon named AL manager of the year”. Tampabay.com. 2008年11月12日閲覧。
- ^ “レイズ名将マドン監督が退団”. 日刊スポーツ (2014年10月26日). 2014年11月2日閲覧。
- ^ “カブス新監督にレイズ退団のマドン氏”. 日刊スポーツ (2014年11月1日). 2014年11月2日閲覧。
- ^ John Schlegel (2015年11月17日). “Banister top AL skipper; Maddon best in NL” (英語). MLB.com 2015年11月18日閲覧。
- ^ “カブス、マドン監督が退任 16年にワール…(写真=ゲッティ共同)”. 日本経済新聞 電子版. 2019年9月30日閲覧。
- ^ Rhett Bollinger (2019年10月21日). “Angels to introduce Maddon as skipper Thursday” (英語). MLB.com. 2019年11月3日閲覧。
- ^ “8番打者に投手を置く、という奇策。MLBの策士の遊び心あふれる打順論。”. Sports Graphic Number (2015年7月24日). 2018年10月14日閲覧。
- ^ “外野4人の“珍シフト”は「酷い作戦」!? “撃破”の巧打者に称賛続々「球界最高」”. スポーツブル (2017年8月15日). 2018年10月14日閲覧。
- ^ “Seattle Mariners at Chicago Cubs Box Score, July 31, 2016”. Baseball-Reference.com (2016年7月31日). 2018年10月14日閲覧。
- ^ “カブス名将が奇策で危機脱出、投手2人がマウンドと左翼を行ったり来たり…”. Full-Count (2018年6月14日). 2018年10月14日閲覧。
- ^ “0打数7出塁とカブスの驀進。成功した「ハーパーを歩かせろ」。”. Sports Graphic Number (2016年5月14日). 2018年10月14日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 監督の通算成績と情報 Baseball-reference.com
- Joe Maddon (@MaddHalos) - X(旧Twitter)