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[[画像:Shimane Ohchi-gun.png|frame|島根県邑智郡の位置(1.川本町 2.美郷町 3.邑南町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)]] |
[[画像:Shimane Ohchi-gun.png|frame|島根県邑智郡の位置(1.川本町 2.美郷町 3.邑南町 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑・水色:後に他郡から編入した区域)]] |
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'''邑智郡'''(おおちぐん)は[[島根県]]([[石見国]])の[[郡]]。 |
'''邑智郡'''(おおちぐん)は[[島根県]]([[石見国]])の[[郡]]。 |
2021年9月6日 (月) 03:26時点における版
人口16,156人、面積808.64km²、人口密度20人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町(ただし川本町北佐木を除く)のほか、下記の区域にあたる。該当地域の面積は988.81k㎡。
旧・大和村地区と旧・羽須美村地区は広島県三次市の生活圏に入っている。
歴史
古代
郡名は、かつてこの地に拠点を持った豪族『大市氏(おおうちし)』に因むとも、小盆地、あるいは「大きな川内」を意味する『大内(おおうち)』が訛ったものとも、「落ち窪んだ地」という意味の『落ち地』が訛ったものとも言われ、諸説が存在する。
式内社
神名帳 | 比定社 | 集成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
社名 | 読み | 格 | 付記 | 社名 | 所在地 | 備考 | |
邑智郡 3座(並小) | |||||||
天津神社 | アマツノ | 小 | 天津神社 | 島根県邑智郡美郷町吾郷 | |||
田立建埋根命神社 | タタタケホリネノ- タタチタケマリネ- |
小 | 田立建埋根命神社 | 島根県邑智郡美郷町宮内 | |||
大原神社 | オホハラノ | 小 | (論)大原神社 | 島根県邑智郡邑南町日貫 | |||
(論)大原神社 | 島根県邑智郡邑南町上田所 | 亀谷山八幡神社境外末社 | |||||
(論)合祀:加茂神社 | 島根県邑智郡邑南町阿須那 | ||||||
(論)大原神社 | 島根県邑智郡邑南町中野 | 合祀先不明 | |||||
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近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[1]。幕府領は大森代官所が管轄。(115村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 56村 | 九日市村、別府村、湯抱村、粕淵村、久保村、浜原村、川戸村(現・美郷町)、石原村、千原村、熊見村、片山村、酒谷村、塩谷村、井戸谷村、畑田村、長藤村、潮村、都賀行村、都賀本郷、上野村、久喜村、大林村、地頭所村、櫨谷村、内田村、京覧原村、久喜原村、川内村、惣森村、志君村、小松地村、小林村、奥山村、吾郷村、高畑村、乙原村、川本村、小谷村、川下村、三俣村、湯谷村、馬野原村、祖式村、南佐木村、三原村、田窪村、大貫村、谷住郷村、八色石村、宮内村、原村、村之郷村、布施村、比敷村、上原村[2]、伏谷村 |
藩領 | 石見津和野藩 | 2村 | 長谷村、日貫村 |
石見浜田藩 | 46村 | 市山村、江尾村、今田村、小田村、川戸村(現・江津市)、後山村、井沢村、清見村、渡村、田津村、因原村、鹿賀村、簗瀬村、高山村、亀村、野井村、明塚村、滝原村、信喜村、高見村、宇津井村、日和村、木須田村、都賀西村、上口羽村[3]、下口羽村、上田村、戸河内村、阿須那村、今井村、井原村、出羽村、淀原村、山田村、岩屋村、鱒淵村、三日市、和田村、雪田村、中野村、矢上村、上田所村[4]、下田所村、上亀谷村[5]、下亀谷村、市木村 |
- 慶応2年2月15日(1866年3月31日) - 長州戦争により浜田藩が移転して美作鶴田藩となり、領地が山口藩預地となる。
- 明治2年8月2日(1869年9月7日) - 幕府領・山口藩預地が大森県の管轄となる。
- 明治3年1月9日(1870年2月9日) - 大森県の管轄地域が浜田県の管轄となる。
- 明治4年6月25日(1871年8月11日) - 津和野藩が廃藩。全域が浜田県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)4月18日 - 第2次府県統合により島根県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)1月12日 - 郡区町村編制法の島根県での施行により行政区画としての邑智郡が発足。郡役所が川本村に設置。
- 明治14年(1881年) - 川戸村(現・美郷町)が改称して上川戸村となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。(30村)
- 川本村 ← 川本村、因原村(現・川本町)
- 川下村(単独村制。現・川本町)
- 吾郷村 ← 吾郷村[字湊を除く]、簗瀬村、明塚村、乙原村、奥山村(現・美郷町)
- 浜原村 ← 亀村、滝原村、信喜村、高山村、上川戸村、浜原村(現・美郷町)
- 粕淵村 ← 粕淵村、久保村、湯抱村、高畑村、野井村(現・美郷町)
- 沢谷村 ← 石原村、熊見村、千原村、片山村、九日市村、酒谷村(現・美郷町)
- 都賀村 ← 都賀本郷、上野村、都賀西村(現・美郷町)
- 都賀行村 ← 潮村、長藤村、都賀行村(現・美郷町)
- 谷村 ← 塩谷村、井戸谷村、畑田村(現・飯石郡飯南町)
- 阿須那村 ← 阿須那村、木須田村、宇都井村、今井村、雪田村、戸河内村(現・邑南町)
- 口羽村 ← 上口羽村、下口羽村、上田村(現・邑南町)
- 布施村 ← 布施村、八色石村(現・邑南町)、村之郷村、宮内村、比敷村(現・美郷町)
- 高原村 ← 高見村、原村、上原村、和田村、伏谷村(現・邑南町)
- 出羽村 ← 出羽村、三日市、山田村、淀原村、岩屋村、久喜村、大林村(現・邑南町)
- 田所村 ← 下田所村、上田所村、上亀谷村、下亀谷村、鱒淵村(現・邑南町)
- 市木村(単独村制。現・浜田市、邑南町)
- 矢上村、中野村、井原村、日貫村(それぞれ単独村制。現・邑南町)
- 長谷村 ← 八戸村(現・浜田市、江津市)、長谷村、清見村(現・江津市)
- 市山村 ← 市山村、今田村、江尾村、井沢村、後山村[字川ケを除く](現・江津市)
- 川戸村 ← 川戸村、小田村、後山村[字川ケ](現・江津市)
- 谷住郷村(単独村制。現・江津市)
- 日和村(単独村制。現・邑南町)
- 川越村 ← 田津村、渡村、大貫村、鹿賀村(現・江津市)
- 三原村 ← 南佐木村、三原村、田窪村(現・川本町)
- 祖式村 ← 祖式村(現・大田市)、川内村、小谷村[字本郷を除く]、馬野原村(現・川本町)
- 君谷村 ← 京覧原村、内田村、地頭所村、久喜原村、惣森村、小林村、小松地村、志君村、別府村、櫨谷村、吾郷村[字湊]、小谷村[字本郷](現・美郷町)
- 三谷村 ← 湯谷村、三俣村(現・川本町)
- 明治29年(1896年)8月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和2年(1927年)4月1日 - 川本村が町制施行して川本町となる。(1町29村)
- 昭和22年(1947年)
- 昭和28年(1953年)4月1日 - 谷村が飯石郡赤名町と合併し、改めて飯石郡赤名町が発足。(3町26村)
- 昭和29年(1954年)
- 昭和30年(1955年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和32年(1957年)
- 昭和33年(1958年)10月20日 - 市木村が分割し、一部[6]が瑞穂町、残部が那賀郡旭村にそれぞれ編入。(5町2村)
- 平成16年(2004年)10月1日 (3町)
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 32 島根県
- 旧高旧領取調帳データベース