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|撮影=チャールズ・ロートン・ジュニア <br />[[チャールズ・ラング]]
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|編集={{仮リンク|ウィリアム・ライオン|en|William Lyon (film editor)}}
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2021年8月18日 (水) 00:02時点における版

長い灰色の線
The Long Gray Line
監督 ジョン・フォード
脚本 エドワード・ホープ
原作 マーティ・マー英語版
ナルディ・リーダー・カンピオン
Bringing Up the Brass[1]
製作 ロバート・アーサー英語版
ナレーター タイロン・パワー
出演者 タイロン・パワー
モーリン・オハラ
音楽 ジョージ・ダニング英語版
モリス・W・ストロフ(監修)
撮影 チャールズ・ロートン・ジュニア
チャールズ・ラング
編集 ウィリアム・ライオン英語版
製作会社 コロンビア ピクチャーズ
配給 コロンビア映画
公開 アメリカ合衆国の旗 1955年2月9日
日本の旗 1955年1月4日
上映時間 138分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 $1,748,000
興行収入 アメリカ合衆国の旗 $4,100,000[2]
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長い灰色の線』(ながいはいいろのせん、The Long Gray Line)は1955年アメリカ合衆国伝記映画。 監督はジョン・フォード、出演はタイロン・パワーモーリン・オハラなど。 ニューヨーク州ウェストポイントにある陸軍士官学校の教官だったマーティン(マーティ)・マー英語版の自伝を映画化した作品である[3]

ストーリー

陸軍士官学校ウェスト・ポイントの体育助教として50年間勤めて来たマーティ・マー軍曹は辞職命令に不服で、撤回を求めて旧友の大統領と会い、思い出話が始まる。

1903年、アイルランドからの移民マーティはウェスト・ポイントの給仕をして2ヶ月で給料3ヶ月分の皿を割ってクビ。兵に志願して勤務隊に配属。体育主任ハーマン・キーラー大尉に右腕の力を見出されて手伝う。キーラー家の女中としてやってきた同郷の娘メアリー・オドンネルと結婚。マーティは故郷へ帰るつもりだったが、メアリーが嫌がり、彼の父と弟をアイルランドから内緒で呼び寄せた。世話好きでレッド・サンドストロムという候補生が運動抜群でも成績不良に悩んでいたのを学校教師のキティ・カーターを紹介する。弟がニューヨークで成功し、一緒に仕事をしようと誘うが、やがて生れる子をウェスト・ポイントに入学させたいと断る。妊娠も無理と言われていたのに男子が生れた。候補生たちが歌を歌い、祝福してくれるが、すぐに亡くなる。ウェスト・ポイントからはダグラス・マッカーサージョセフ・スティルウェルオマール・ブラッドレージェームズ・ヴァン・フリートジョージ・パットンドワイト・D・アイゼンハワーなどが卒業する。第一次大戦が始まり、レッドは優秀な成績で卒業し、結婚して出征するが、戦死し、キティは幼児を抱えて未亡人となる。レッド・ジュニアはマーティ夫妻の庇護の下に成長し、1938年ウェスト・ポイントに入学した。卒業間際に女性の親に反対され離婚。自主退学して折からの第二次大戦に一兵卒として参加。メアリーは穏やかに生涯を終えた。一人残されたマーティの周りには若い候補生たちがいて、彼らを生甲斐にしていた。

マーティの話は終わり、大統領はドットソン中将に善処を依頼した。中将とマーティがウェスト・ポイントへ帰ると待っていたのは、はなむけのウェスト・ポイント全員の大分列式(「長い灰色の線」は「士官候補生の隊列」)だった。思い出深い行進曲を胸にかみしめながら、マーティ老軍曹は感涙を拭う。

キャスト

※括弧内は日本語吹替(初回放送1972年10月1日『日曜洋画劇場』21:00-23:30 ソフト未収録)

スタッフ

日本語版

アメフト

陸軍士官学校とノートルダム大学の試合の様子(1913年)

アメリカンフットボールで陸軍士官学校がノートルダム大学の新戦術によって大敗するエピソードは、1913年に陸軍士官学校とノートルダム大学の試合においてノートルダム大のガズ・ドライズ英語版ヌート・ロックニー英語版がパスプレーとランプレーを効果的に織り交ぜる新戦術により35-13で圧勝したという史実を元にしている。それまでは大学アメフトにおいて陸軍士官学校が最強チームであったが、新戦術により無名のノートルダム大学が大勝するとパスとランを織り交ぜる戦術が広まり、現代的なアメフトが完成した。

作品の評価

Rotten Tomatoesによれば、9件の評論の全てが高評価で、平均点は10点満点中7.08点となっている[4]

出典

  1. ^ Sgt. Marty Maher” (英語). Military.com. 2014年4月3日閲覧。
  2. ^ “The Top Box-Office Hits of 1955”. Variety Weekly. (1956-01-25). 
  3. ^ 長い灰色の線”. KINENOTE. 2014年4月3日閲覧。
  4. ^ The Long Gray Line (1955)” (英語). Rotten Tomatoes. 2020年10月8日閲覧。

外部リンク