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リオ・グランデの砦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リオ・グランデの砦
Rio Grande
監督 ジョン・フォード
脚本 ジェームズ・ケビン・マクギネス
製作 メリアン・C・クーパー
ジョン・フォード
出演者 ジョン・ウェイン
モーリン・オハラ
ベン・ジョンソン
クロード・ジャーマン・ジュニア
ハリー・ケリー・ジュニア
音楽 ヴィクター・ヤング
撮影 バート・グレノン
アーチー・J・スタウト
編集 ジャック・マレー
配給 アメリカ合衆国の旗 リパブリック・ピクチャーズ
日本の旗 リパブリック/ニッポンシネマコーポレーション
公開 アメリカ合衆国の旗 1950年11月15日
日本の旗 1951年12月7日
上映時間 105分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 1,210,889ドル
配給収入 1億3613万円(1951年度6536万円、1952年度7077万円)[1] 日本の旗
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リオ・グランデの砦』(原題: Rio Grande)は、1950年製作のアメリカ映画ジョン・フォード監督作品。ジョン・ウェイン、モーリン・オハラ主演。

概要

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ジョン・フォード監督作品の中の『アパッチ砦』、『黄色いリボン』と並んで「騎兵隊三部作」と評される最終作。主演のジョン・ウェインが『アパッチ砦』と同じく、カービー・ヨークという名前の役柄を演じており、本作は『アパッチ砦』の続編ともいえる作品となっている。[2]

しかし、フォード本人はこの作品を作る予定は最初はなかった。1936年に企画した『静かなる男』を製作するために、フォードはB級映画専門のスタジオであるリパブリック・ピクチャーズと3本の映画製作契約を結んだ。しかし、当時の社長であったハーバート・J・イェーツは、この芸術色の強い内容である『静かなる男』の製作に対して、いい顔をしなかった。しかし、フォードは負けずに訴え続けイェーツはついに根負け。しかし、条件としてまず映画を1本撮って、それが大ヒットしたら『静かなる男』の製作を許可すると提示した。

早速フォードは、『アパッチ砦』、『黄色いリボン』と同じくジェームズ・ワーナー・ベラの短編小説『記録なき作戦行動』を原作に、赤狩りに巻き込まれ仕事を干されていたジェームズ・ケビン・マクギネスを脚本家に任命。当初は『リオ・ブラボー』という名の仮タイトルをつけ、夫婦愛や家族関係などのエッセンスを盛り込んだ。

キャスティングも、ウェインの妻役に『静かなる男』でも女房役となるモーリン・オハラを起用。このウェインとオハラのコンビは、息の合った演技を見せ、『静かなる男』だけでなく『荒鷲の翼』、『マクリントック』、『100万ドルの血斗』でもそのコンビネーションを披露した。

しかし、イェーツは本作の制作費を『アパッチ砦』の半分である123万8000ドルしか出さないばかりではなく、さらに制作費を削減した。そのせいで、ベン・ジョンソンハリー・ケリー・ジュニア出演料を値切られた上に、無情にもイェーツはフォードに制作費をさらに2万8000ドルの削減を言い渡したばかりか、カメラアングルや俳優の衣装にまで注文をつけ始めた。頭に来たフォードは、イェーツが撮影現場に見学に来ると撮影を中止して反抗したという。

なお、ベン・ジョンソンとハリー・ケリー・ジュニアは、2頭の馬に跨るハイレベルな乗馬術であるローマ式立ち乗りをフォードからマスターするよう命じられる。2人は3週間でこの乗馬方法を身につけ撮影ではノースタントで挑んだ。

結果的に、この作品は大ヒットしたことによりフォードはようやく『静かなる男』の製作に取り掛かる事が出来た。

キャスト

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役名 俳優 日本語吹き替え
TBS フジテレビ PDDVD
カービー・ヨーク中佐 ジョン・ウェイン 宮部昭夫 佐野浅夫 矢嶋俊作
キャサリーン・ヨーク モーリン・オハラ 冨田恵子 松本典子 ひなたたまり
タイリー騎兵 ベン・ジョンソン 田中信夫 大塚智則
ジェフ・ヨーク騎兵 クロード・ジャーマン・ジュニア 英語版 小倉直寛
ダニエル・ブーン騎兵(サンデー) ハリー・ケリー・ジュニア 岩崎洋介
クインキャノン曹長 ヴィクター・マクラグレン 今西正男 菅野裕士
ウィルキンズ医師 チル・ウィルス 小林清志 真田雅隆
フィリップ・シェリダン将軍 J・キャロル・ナイシュ 英語版 柴田秀勝
司令官代理 グラント・ウィザース
サン・ジャック大尉 ピーター・ジュリアン・オルティス 英語版
プレスコット大尉 スティーブ・ペンドルトン英語版
マーガレット・メアリー キャロライン・グリムス 英語版 田中まりか

スタッフ

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脚注

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  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)89頁・97頁
  2. ^ ただし、階級は大尉から中佐に昇進している。
  3. ^ スポーツの雨傘番組であった。

外部リンク

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