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「朝鮮の歴史」の版間の差分

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::[[1895年]]、[[下関条約]]成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が 日本軍守備隊や警察、訓練隊等により殺害される(乙未事変)。[[三浦梧楼]]の指揮によって殺害されたとする説が一般的だが、それについて確認がとれていないことを強調する立場もある。
::[[1895年]]、[[下関条約]]成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が 日本軍守備隊や警察、訓練隊等により殺害される(乙未事変)。[[三浦梧楼]]の指揮によって殺害されたとする説が一般的だが、それについて確認がとれていないことを強調する立場もある。


== 近代 ==
朝鮮に歴史なし
*[[大韓帝国]] 1897年-1910年 (日本の植民地の時期 1905-1910)
昔から中国、日本、偏狭蛮族の属国
::[[日清戦争]]1894年-1895年の[[清]]の敗北を機に、大日本帝国と清との二国間で結ばれた[[下関条約]]により、朝鮮は清の[[冊封体制]]から離脱し、朝鮮国から[[大韓帝国]]と国号を改める。(1897年)
::1904年、[[第一次日韓協約]]を結ぶ。
::1905年、[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]の[[ロシア帝国]]への密使が発覚する。[[第二次日韓協約]]を結ぶ。韓国政府の外交権の剥奪。
::1906年、[[韓国統監府]]設置、韓国政府の権力(特に内政権・行政権力)を無力化。
::1907年、[[ハーグ密使事件]]。[[第三次日韓協約]]。韓国軍、解散させられる。
::1909年、韓国統監府初代統監[[伊藤博文]]が[[ハルビン]]駅にて[[安重根]]により暗殺される。
*[[韓国併合|植民地時代]]
::1910年、[[日韓併合条約]]を結び、[[大日本帝国]]に[[韓国併合|併合]]される。
::1919年、[[三・一独立運動]]。大韓民国臨時政府設立。
::1920年、[[満州]]東部の[[間島]]で[[独立軍 (朝鮮)]]の抗日武装闘争が激化。
::1937年、[[10月2日]]・[[皇国臣民ノ誓詞]]を発布される。
::1941年、[[12月8日]]・大日本帝国が[[アメリカ合衆国]]に宣戦布告。([[太平洋戦争]]勃発。)
::1945年、[[8月8日]]・[[ソビエト連邦]]が日本に宣戦布告。[[ソビエト連邦軍]]が[[朝鮮半島]]東北部に侵攻。
::1945年、[[8月14日]]・[[北緯38度線]]で朝鮮を分割し、[[日本軍]]を分割武装解除することを内容とする「一般命令第一号」を、[[ハリー・S・トルーマン]][[アメリカ合衆国大統領]]がソビエト連邦に通告。ソビエト連邦も命令内容に合意。

**[[朝鮮総督府]]
***[[土地調査事業]]
***[[朝鮮会社令]]
***[[皇民化政策]]
***[[創氏改名]]
***[[従軍慰安婦]]


**[[大韓民国臨時政府]]
***[[1919年]]、[[3・1独立運動]]後[[上海]]で設立
***[[1940年]]、[[重慶]]に移転し、[[韓国光復軍]]を創設。


== 現代 ==
== 現代 ==

2006年10月16日 (月) 00:54時点における版

ファイル:Map-korea-s.jpg

朝鮮の歴史(ちょうせんのれきし)では、朝鮮及び朝鮮半島における歴史を述べる。

概観

先史時代

(考古学的な実証ある事項はここに記す。)

考古学的事実は変わる事がある為、現在書かれている時点で解っているものである。

  • 旧石器時代
  • 新石器時代(櫛目文土器時代/侯目文土器) BC4000年(もしくは5000年) - BC1000年
    • 早期 BC5000-4000
    • 前期 BC4000-3000
    • 中期 BC3000-2000
    • 晩期 BC2000-1000
  • 無文土器時代(BC1000年頃 - BC100年)
    • 前期 BC1000-700
    • 中期 BC700-300
    • 後期 BC300-100(初期鉄器時代)
      • BC300年ごろ、鉄器つたわる。

神話伝説時代

(考古学的考証の無い伝説的な事項はここに記す)

檀君神話上の人物。(『三国遺事』によると、『魏書』より引用したとあるが、魏書には書かれていない)中国帝時代に,白頭山に降臨した天神の子との間に生まれた檀君が平壌城で建国したとする。大韓民国(韓国)では『桓檀古記』(偽書とされる)に含まれる「檀君世紀」によりその建国をB.C.2333年とし、それから年を数える「檀君紀元」(檀紀)という紀元も存在。近年朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、コンクリート製の檀君陵を復元しているが、その考古学的根拠には疑問が残されている。韓国人の宗教上の崇拝対象である。

 

史記』では、紂王の一族の箕子が、滅亡後に朝鮮に亡命し、朝鮮国王となったことになっている。高麗時代の儒者が支持した。

古代の朝鮮半島

朝鮮半島において考古学的な検証が可能となるのは、この衛氏朝鮮が最初の国家である。衛氏朝鮮の建国に関しては考古学的に証明できてないが、史記によれば、の将軍の衛滿が箕子朝鮮を滅ぼして立てたことになっている。
衛氏朝鮮は三代衞右渠の時、武帝に滅ぼされ、領地は眞番・玄菟・楽浪・臨屯の四郡に分割された。
南部三韓は、百済・新羅・任那となる。
  1. 高句麗
  2. 百済
  3. 新羅
  4. 加羅伽耶任那
加羅伽耶朝鮮側、任那中国日本側のやや広い地域の呼び名。耽羅(済州島)は5世紀に百済に服属。
日本書紀によると、『日本書紀』512年条に「任那四県」の百済への割譲が記載されるなど、任那は日本の影響下にあったとされるが、朝鮮側の資料では、『鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑文』(924年成立)に「任那」が見えるが、『三国史記』(1145年成立)の『本紀』には全くみえず、『伝』に僅かに1例が認められるのみで、記憶が失われ,詳しい関係は未だ不明である。
  1. 新羅
  2. 後高句麗894年-918年)→高麗
  3. 後百済892年-936年
918年後高句麗の豪族の王建が新羅を滅ぼして王位簒奪し、高麗を建国する。
933年後唐冊封を受ける。
935年新羅敬順王、高麗に国を譲渡し、ここに新羅滅亡す。
936年、後百済を滅ぼし朝鮮半島統一。
976年田柴科の創設。
1010年契丹の侵入。
1018年契丹の再侵入。
1033年、高麗の長城の建設開始。
1095年、李資義の乱。
1107年、朝鮮東北部の女真族征討。失敗に終わる。
1126年、李資謙の乱。に服属。
1135年、妙清の乱。
1170年、庚寅の乱。以後武人政権が続く。
1196年崔忠献によるクーデター。崔氏政権の始まり。
1259年モンゴル帝国)に屈し、属国化。皇帝のむすめむこの国になる。
1270年-1273年、武人派の軍隊三別抄の反乱。
1274年,1281年、元の2度の日本侵攻(元寇)への協力と出兵により甚大な被害をこうむる。
この頃より倭寇に悩まされるようになる。
1388年 親明派の武将李成桂がクーデターを起こし実権者になる。
1392年李成桂が高麗の恭譲王から王位簒奪し、高麗王に即位。
1393年、国号を朝鮮に変更する。明の皇帝から、新たな国号を「朝鮮」と「和寧」の二案から選んでもらうという形式的手順を踏んだ。
1398年第一次王子の乱
1400年第二次王子の乱
1404年室町幕府と国交回復、日朝貿易盛んとなる。
1419年対馬に倭寇征伐する。応永の外寇
1443年訓民正音の制定(1446年公布)。
1453年癸酉靖難。首陽大君(のちの第7代国王・世祖)による政権奪取。
1456年丙子冕獄(死六臣が処刑される)
1467年李施愛の乱
1468年、世祖が崩御し睿宗即位(1469年に崩御)。南怡の謀叛事件が起こる。
1474年成宗の治世に『経国大典』頒布。(1485年に施行)
1498年士林派に対する弾圧が始まる。戊午士禍
1504年甲子士禍が起こる。
1506年燕山君がクーデターにより失脚し、中宗が即位。中宗反正
1510年在朝日本人貿易活動等を統制したため、三港で日本人の暴動が起こった(三浦の乱)。
1519年己卯士禍が起こる。
1545年仁宗崩御(在位1544年-1545年)。明宗即位。乙巳士禍が起こる。
1555年、備辺司設置。
1559年林巨正の乱(~62)
1567年宣祖即位。勲旧派の終焉。以後、士林派同士の対立が続く。
1575年、東人・西人の党争の始まり。乙亥党論
1589年鄭汝立の乱
1592年-1598年豊臣秀吉の2度の朝鮮侵攻(文禄・慶長の役 - 韓国では「壬辰倭乱・丁酉再乱」と呼ぶ)で、全国土が戦乱の被害をうける。
1607年、日朝国交回復。1609年日朝通商条約。幕府との朝鮮通信使による交流がはじまる。
1616年光海君の明、金 中立外交
1619年サルフの戦い(ヌルハチが大勝)
1623年仁祖反正で光海君廃位。
1627年丁卯胡乱
1636年ホンタイジが朝鮮に親征丙子胡乱。朝鮮国王仁祖、南漢山城に篭城。
1637年、仁祖 (朝鮮王)降伏。(大清皇帝功徳碑
1694年粛宗の治世に起こった甲戌の獄
1721年-1722年景宗の治世に起こった壬寅の獄(辛壬士禍)。
1762年英祖の治世に起こった荘献世子事件。精神を病んでしまった荘献世子が異常な行動を取ってしまい、王命により米櫃の中に閉じ込められ、餓死してしまう事件。
1796年正祖による水原城(華城)建設。朝鮮後半の全盛期。
1804年純祖の治世、安東金氏による権勢政治 ( - 1863年)。士林派の終焉。
1811年洪景来の乱(地方差別に反発した一揆)。
1863年哲宗崩御。高宗即位。大院君政権の成立。
1866年ジェネラル・シャーマン号事件
1873年大院君追放、閔妃を中心にした閔氏政権の成立。
1875年江華島事件江華島で日本が国交通商を要求し武力示威した事件。
1876年、明治新政府と日朝修好条規
1882年、壬午軍乱(壬午事変)おこる。
1822年、九月に、中国朝鮮商民水陸貿易章程を調印する。
1866年キリスト教を弾圧し、信者1000人の死傷者を出した。
1884年、甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは失敗に終わり、事大派の勝利となる。
1894年東学党の乱(甲午農民戦争)、朝鮮官軍と日本国軍の針圧。大院君派と閔妃派の対立が深まる。日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる。
1895年下関条約成立。朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される。親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が 日本軍守備隊や警察、訓練隊等により殺害される(乙未事変)。三浦梧楼の指揮によって殺害されたとする説が一般的だが、それについて確認がとれていないことを強調する立場もある。

近代

  • 大韓帝国 1897年-1910年 (日本の植民地の時期 1905-1910)
日清戦争1894年-1895年のの敗北を機に、大日本帝国と清との二国間で結ばれた下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める。(1897年)
1904年、第一次日韓協約を結ぶ。
1905年、高宗ロシア帝国への密使が発覚する。第二次日韓協約を結ぶ。韓国政府の外交権の剥奪。
1906年、韓国統監府設置、韓国政府の権力(特に内政権・行政権力)を無力化。
1907年、ハーグ密使事件第三次日韓協約。韓国軍、解散させられる。
1909年、韓国統監府初代統監伊藤博文ハルビン駅にて安重根により暗殺される。
1910年、日韓併合条約を結び、大日本帝国併合される。
1919年、三・一独立運動。大韓民国臨時政府設立。
1920年、満州東部の間島独立軍 (朝鮮)の抗日武装闘争が激化。
1937年、10月2日皇国臣民ノ誓詞を発布される。
1941年、12月8日・大日本帝国がアメリカ合衆国に宣戦布告。(太平洋戦争勃発。)
1945年、8月8日ソビエト連邦が日本に宣戦布告。ソビエト連邦軍朝鮮半島東北部に侵攻。
1945年、8月14日北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することを内容とする「一般命令第一号」を、ハリー・S・トルーマンアメリカ合衆国大統領がソビエト連邦に通告。ソビエト連邦も命令内容に合意。


現代

※連合軍軍政期には「北朝鮮」及びに「南朝鮮」との表記が出現するが、この時代における「北朝鮮」はソビエト連邦軍政下の朝鮮地域を、「南朝鮮」はアメリカ軍政下の朝鮮地域を意味する言葉として用いられている。

1945年8月15日第二次世界大戦で大日本帝国敗北。朝鮮半島の日本統治が終わり、連合軍の管轄になる(北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄)。
1945年9月6日、南側で、呂運亨らによって結成された「朝鮮建国準備委員会」、「朝鮮人民共和国」樹立を宣言。
1945年9月8日、ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸。9日、朝鮮総督府、降伏文書調印。
1945年9月11日、アメリカ、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を宣布。
1945年10月、アメリカ、「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」を否定する。
1945年10月、北朝鮮共産党臨時人民委員会樹立。
1947年2月、北朝鮮人民委員会樹立。
1948年4月3日 済州島四・三事件が起こり、多数の済州島民が日本に密入国する。
1948年、米ソ両国が、南北にそれぞれ自国の傀儡政権を立てる(8月15日に南側で「大韓民国」(韓国)、9月9日に北側で「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)樹立宣言)。尚、実際に大韓民国が樹立したのは1948年8月13日である。

※「朝鮮民主主義人民共和国」については、本記事では以後「北朝鮮」と記す。「北朝鮮」という言葉は分断された地域を意味するのであって国家を意味するものではないとの意見もあるが、現実には「北朝鮮」が同国を指す呼称として長らく使用されてきていること、また、本記事では、同国の実質的な統治範囲が、建国以来朝鮮半島の軍事境界線以北であることなどから、あくまで便宜上用いるものである。

  • 朝鮮戦争(韓国では「韓国動乱」、北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼ばれる内戦。)
1950年6月25日、北朝鮮の朝鮮人民軍北緯38度線を南侵することで勃発。
1950年6月~、保導連盟事件で35万人死亡。米軍を中心に結成された国連軍が参戦。
1950年10月~、中国共産党義勇軍が戦闘に参加。
1951年国民防衛軍事件が起こる。
1951年7月~、停戦会談を実施。
1953年7月27日板門店停戦協定が調印され、現在の軍事境界線が敷かれる。(なお、北朝鮮では協定調印を「祖国解放戦争の勝利」としている。)


大韓民国(韓国)

韓国現代史年表も参照のこと

李承晩政権…初代 - 第三代韓国大統領1948年 - 1960年
1952年李承晩ラインの制定(参考:竹島問題)
1960年、四月革命で政権崩壊
尹潽善政権…第四代大統領(1960年 - 1963年
この時期は議院内閣制のため、実質的な権力は首相の張勉にあった。
朴正煕政権…第五代 - 九代大統領(1963年 - 1979年
1961年クーデターにより政権を奪取。
1963年、大統領の座に付く(第三共和国)。
1965年日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約を締結する。
1965年、ベトナム戦争アメリカ合衆国と共に参戦。
1965年、人民革命党事件(第一次)が発生。
1972年7月4日 北朝鮮と同時に南北共同声明(七・四共同声明)を発表。
1972年10月17日 維新体制を構築(第四共和国)。
1974年民青学連事件が発生。
1979年、側近のKCIA長官に暗殺される(10・26事件)。
崔圭夏政権…第十代大統領(1979年 - 1980年
1979年12月12日 12・12軍事クーデター
全斗煥政権…第十一代・十二代大統領(1980年 - 1988年
1980年5月1日 光州事件(韓国では光州事態→光州民主化運動)
1987年 六月抗争
1987年6月29日 六・二九民主化宣言
盧泰愚政権…第十三代大統領(1988年 - 1993年
ソウル五輪(1988年)
国連加盟(1991年、北朝鮮と同時加盟)
金泳三政権…第十四代大統領(1993年 - 1998年
核危機が発生。米国の対北戦争を水際で回避。(1994年)
全斗煥、盧泰愚を光州事件などに関して訴追(1995年)
アジア通貨危機(1997年
金大中政権…第十五代大統領(1998年 - 2003年
太陽政策(北朝鮮宥和政策)を開始。金正日との初の南北首脳会談に成功。
日本大衆文化開放を開始
日韓共催サッカーワールドカップ2002年
盧武鉉政権…第十六代大統領(2003年 -)
2004年3月、国会がノムヒョン大統領に対する弾劾訴追可決
2004年4月、総選挙でウリ党圧勝 国民の弾劾拒否意思
2004年5月、憲法裁判所、弾劾訴追を棄却
2005年12月、韓国の海上警察が、日本の海上保安庁に対して、日本領海における海上捜査権の譲渡を求めるが、拒否される。
1949年、南北朝鮮の主要政党団体の集結により、「祖国統一民主主義戦線」が結成される。
1949年6月朝鮮労働党成立。金日成が中央委員長に就任。
朝鮮戦争後、金日成が朴憲永などを粛清。
1956年4月、朝鮮労働党第3回大会開催。
1956年8月29日、ソ連派のパク・チャンオク、延安派のチェ・ジャンイクなどが金日成に粛清される。
1958年8月、社会主義制度が確立される。
1961年9月、朝鮮労働党第4回大会開催。
1970年11月、朝鮮労働党第5回大会開催。
1972年7月4日:大韓民国と同時に南北共同声明(七・四共同声明)を発表。
1972年、金日成の反勢力粛清が完了し、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が制定される。
1973年、金日成の後継者問題が浮上。金正日が政治の表舞台に出始める。
1977年、「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」における国家の公式理念が、マルクス・レーニン主義から主体思想に変更される。
1980年10月、朝鮮労働党第6回大会開催。
1987年1月、第3次7ヵ年計画(事実上最後の経済開発計画)の遂行に着手。(1993年に未完遂で終わる。)
1989年7月、平壌で第13回世界青年学生祭典が開催される。
1991年9月17日国連加盟(大韓民国と同時加盟)
1994年7月8日、金日成死去。
2000年 韓国の金大中大統領との初めての南北首脳会談を実施。6.15南北共同宣言を発表。 
2002年 日本人拉致の事実を認めて日本人拉致被害者5名を日本に帰国させる。
2004年 日本人拉致被害者の遺骨を返還。日本側が遺骨の正式調査を行い、他人の遺骨だと発表するが、北朝鮮側はこれに反発。
2004年12月9日 日本からの人道支援の残りの15万5000トンが停止される。
2005年2月11日 核兵器製造・保有を公式に認める。
2006年7月5日 日本海に向けてミサイルを7発発射。 7発とも日本海に着弾。詳しくはテポドン2号参照

※並列して存在する国は、数字リストをつけた。

関連項目