コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

傀儡政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

傀儡政権(かいらいせいけん、英語: puppet government)とは、ある領域統治し、名目上は独立しているが、実態は事実上の支配者である外部の政権国家によって管理・統制・指揮されている政権を指す[1][2]内政外交自己決定権が完全ではなく、支配者の利益のために操作・命令され統治される[3]傀儡国家(かいらいこっか、英語: puppet state)とも呼ばれる。

概要

[編集]

傀儡」という語は、「操り人形」を意味し、転じて黒幕に利用されている者を指す[4][5]

形式的ないし名目上は独立国家でありながら、その政府が自国民の利益や意思、願望に従って統治を行うのではなく、むしろ他の特定の強国の意思に従って行動する場合、その政権を一般に傀儡政権、傀儡国家と呼んでいる[6][7]。すなわち、傀儡政権とは、実際の支配者の操り人形(傀儡)であり、他国の意のままに操られている政権のことである[8]。形式的には独立しているが実質的には植民地同様の地位にある半植民地や占領下にある国家に、植民地支配や侵略、占領をカムフラージュするために樹立される[8]。支配国ないし占領国の意思は、その地域の住民の中の協力者に政権を作らせ、傀儡政権を通じて間接的に表現されるので、植民地的支配や侵略はしばしば偽装されあるいは一見緩和され、また、独立性の外観を保つことによって国際世論やその地域の住民感情に対してカムフラージュ効果をもつ[6][7]

例としては、満洲事変後に樹立した満洲国政府冀東防共自治政府蒙古連合自治政府汪兆銘を首班とする南京国民政府第二次世界大戦中に大日本帝国が占領したビルマインドネシアフィリピンなど東南アジア各地で樹立した政府などがその例である[7][8]。また、第二次世界大戦中にドイツが占領地ヴィシーに建てたフランスヴィシー政権ノルウェーでのヴィドクン・クヴィスリングによる政権などが例として挙げられる[8]

[編集]
フランス帝国と傀儡政権(1812年)
1909年当時のイギリス領インド帝国。イギリスによる直接統治下に置かれた地域はピンク、藩王国、保護国は黄色で示されている。

アジア

[編集]

中国史においては冊封と呼ばれる、他国の王を皇帝などの上位者が承認する体制が行われている。ただし多くは名目的なものであり、実質的な冊封国内への支配権を持っていた例は少ない。

中国史

[編集]
  • (1127年)、(1130年 - 1137年)
北宋の地域に建てようとした傀儡政権。いずれも短期間で滅んでいる。
南北朝時代に南朝の皇族が建てた地域政権だが、実質的には北朝西魏北周)による傀儡政権であった。

朝鮮半島

[編集]
新羅高句麗の遺民を擁立した傀儡政権。

第二次世界大戦前・中に枢軸国の影響圏にあった政権

[編集]

ソビエト連邦勢力圏内にあった国々

[編集]

インドシナ戦争

[編集]

いずれもベトナム南部に設立された。

その他のアジア

[編集]

ヨーロッパ

[編集]

フランス革命期・ナポレオン戦争中にフランスの勢力圏内にあった国々

[編集]

ウィーン会議によりロシア帝国の勢力圏で成立した国

[編集]

ブレスト=リトフスク条約により成立し第一次世界大戦終結までドイツ帝国の勢力圏内にあった国々

[編集]

第二次世界大戦中に枢軸国の勢力圏内にあった国々

[編集]
ナチス・ドイツ
イタリア王国

イタリアが降伏した1943年9月以降はドイツによる支配へと切り替えられた

第二次世界大戦後から冷戦終結までソビエト連邦勢力圏内にあった国々(衛星国)

[編集]

ソビエト連邦崩壊後に成立した国々

[編集]
ロシア連邦
アルメニア

その他のヨーロッパ

[編集]

アメリカ

[編集]

アフリカ

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Yahoo Dictionary>JapanKnowledge>大辞泉>傀儡政権[リンク切れ]
  2. ^ Exite>三省堂>大辞林>傀儡政権[リンク切れ]
  3. ^ Yahoo>小学館>日本大百科全書>傀儡政権[リンク切れ]
  4. ^ Yahoo Dictionary>JapanKnowledge>大辞泉>傀儡[リンク切れ]
  5. ^ Exite>三省堂>大辞林>傀儡[リンク切れ]
  6. ^ a b 世界大百科事典第2版「傀儡政権」(コトバンク)
  7. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「傀儡政権」(コトバンク)
  8. ^ a b c d 日本大百科全書「傀儡政権」(土生長穂)(コトバンク)
  9. ^ 君島和彦 (2021年9月15日). “満州国(マンシュウコク)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). DIGITALIO. 2024年11月28日閲覧。 “さらに関東軍は南満州占領後、北満のチチハル、ハルビンを攻撃し、満州軍閥馬占山(ばせんざん)の抵抗などに直面したが、1932年初頭までには北満の主要都市を占領し、満州全体を支配下に置いた。一方、事件の中心人物、板垣征四郎(いたがきせいしろう)、石原莞爾(かんじ)、片倉衷(ただし)ら関東軍将校は、柳条湖事件直後から、当初の満州の軍事占領という構想を変更し、傀儡国家建設に着手し始めていた。彼らは国民革命に否定的な満州軍閥の煕洽(きこう)、張景恵(ちょうけいけい)、臧式毅(ぞうしきき)、張海鵬(ちょうかいほう)、干芷山(かんしざん)、馬占山らに強要して、各省を独立させ、さらに3月1日には、彼らの組織する東北行政委員会による「建国宣言」を発表させた。”
  10. ^ インド及びパキスタンの独立と条約の承継」『早稲田法学会誌』第24巻、1974年3月20日、291頁。 
  11. ^ 国連加盟国加盟年順序”. 国連広報センター. 2024年4月2日閲覧。
  12. ^ インドていこく【インド帝国】 | い | 辞典”. 学研キッズネット. 2024年4月2日閲覧。
  13. ^ 小項目事典,世界大百科事典内言及, ブリタニカ国際大百科事典. “会議王国(かいぎおうこく)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年11月28日閲覧。
  14. ^ ポーランド/ポーランド人/ポーランド王国”. www.y-history.net. 2024年11月28日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 北岡伸一『日本の近代5 政党から軍部へ』中央公論新社、1999年8月。ISBN 978-4-12-490105-4 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]