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* オハ12 18・31・41 → オハ25 301 - 303 |
* オハ12 18・31・41 → オハ25 301 - 303 |
2021年1月17日 (日) 01:35時点における版
国鉄12系客車 | |
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スハフ12形(2004年5月1日 木ノ本駅) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 四国旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
製造所 | 新潟鐵工所・富士重工業・日本車輌製造 |
製造年 | 1969年 - 1978年 |
製造数 | 603両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
最高速度 | 110 km/h |
車両定員 |
80人(スハフ12・オハフ13) 88人(オハ12) |
全長 | 21,300 mm |
全幅 | 2,944 mm |
全高 | 3,985 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 | TR217 |
制動装置 | 自動空気ブレーキ |
国鉄12系客車(こくてつ12けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)まで、合計603両を製造した急行形座席客車のグループである。
当初から冷房装置を搭載し、さらに自動ドアの客車初採用などの改良で旅客サービスや安全面の向上に大きな成果を挙げた。その他にも客車初の分散ユニット型電源システムによる電源供給の効率化が図られ、2段式ユニット窓やFRP部材の採用などでコストダウンをも図るなど、多くの技術面でその後の国鉄客車の基本となった車両である。
開発の経緯
当初は、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)輸送を念頭に、臨時列車・団体列車を含めた波動輸送用車両として製造された[1]。
当時は動力近代化計画の進展によって、電車・気動車が旅客輸送の主力となっていた時期であるが、あえて客車として製造されたのは以下の理由による。
- 臨時列車や団体列車などは多客期のみの運転であり、閑散期には車両を車庫で留置しておかざるを得ない。このような用途に動力装置を持つ電車・気動車を増備することは、製造・保守のコストがかかる。
- 当時、戦前に製造された客車(スハ32系・オハ35系など)が多数在籍していたが、その老朽化による車両自体の取り替え需要が生じた。急行列車向けのボックスシートの座席客車は、10系客車のナハ11形・ナハフ11形が1959年(昭和34年)に製造終了して以来、増備されていなかった[注 1]。
- 1960年代中期以降、急行用電車・気動車は普通車の冷房化が始まっており、客車も時代の傾向に応じる必要があった。
- 12系では、暖房は客車側の電源設備で対応することによって、牽引する機関車を選ばない車両として開発された[注 2][注 3]。一方で、多客時は貨物列車の運転が減少するため、貨物用の機関車を活用することを目的とした。
なお、本形式のアコモデーションは他の急行型同様、私鉄の優等列車群に比べると陳腐化しており、長距離列車用としては居住性が悪く、結果として14系座席車が製造され、1980年代後半以降も定期列車として残った夜行急行列車では、居住性の改善を目的に、特急型の14系へ置き換えられる例が増えた[注 4]。この事もあって、厳密に「急行型」として製造された国鉄客車は本系列が最初で最後となっている。
概要
本系列は冷暖房手段を機関車に依存せず、分散式のユニットクーラーと電気暖房装置を全車両に設置し、電源としてディーゼル発電機を緩急車スハフ12形の床下に設置した。暖房用ボイラーや電源供給装置を持たない貨物用機関車でも常時牽引できるようになったので、貨物列車の運転が少ない時期に機関車の有効活用が可能になった。ただし、照明や放送装置などのサービス電源は、旧型客車同様に車軸発電機からの電源で賄っている。
車体は、在来客車の設計概念を脱却し、急行形電車の設計を基本的に踏襲して車体幅を約10 cm拡大、2.9 m級となった。また、車体長も20.8 m(全長21.3 m)に拡大して座席間隔を1,580 mmに広げ、腰掛自体も人間工学を考慮した形状改良を行っている。当初は設計コストを抑えるために165系の図面を流用して製造することも考えられた[2]。
その他の改良点は以下のとおりである[1]。
- 全車に空気ばね台車を標準装備(新開発のTR217系台車)。乗り心地を改善した。
- 新開発のCL形応荷重機構付自動ブレーキ装置の採用。ブレーキシュー材質は、従来の鋳鉄に代わり、高速域からの安定した制動力が得られるレジンシューに変更。併せて自動ブレーキ機構は、従来の滑り弁(A制御弁)をやめ、よりメンテナンスフリーで作動迅速なゴム膜板を使用した三圧式制御弁(KU1制御弁、C17ブレーキ制御装置)に変更。通常の自動ブレーキ配管・空気圧で、従来の客車より15 kmプラスの最高速度110 km/h運転が可能となった[注 5]。
- 国鉄客車としては初めて自動ドアを採用。電車・気動車並みの安全性を確保した。
- 2段式のユニット窓を初めとする合理化された構造を随所に取入れた。同時期の電車や気動車にならったもので、生産性や整備性を改善している。
- 塗色は、車体全体を20系より明るい青20号に、クリーム10号の2本帯とした。なお、屋根は灰色1号だが、のちにねずみ色1号に変更。
- 普通車のみの製造であるため、存在しない荷物車・グリーン車・寝台車など従来形式の客車と混結して運用することを想定し、蒸気暖房の引き通し管および電気暖房の引き通し線を装備している。このため、機関車と旧型客車の間に本系列が連結された場合でも、旧型客車への暖房供給が可能となっている[注 6]。
これらの要素は、それ以前の旧型客車や10系、20系とは一線を画すもので、12系以降に登場した特急用の14系・24系客車にも、その多くが踏襲されている。また同時期に登場したキハ65形気動車にも、12系の基本設計が流用されている。
形式
12系客車の新造形式は、スハフ12形・オハフ13形・オハ12形の3形式のみではあるが、製造時期によって仕様は異なる。さらに国鉄末期には、大量に発生した余剰車をベースに、普通列車仕様化やジョイフルトレインへの改造、また民営化以降はアコモデーション改善・改造などが行われ、形式・番台区分が一層細分化されている。
製造の状況
1968年(昭和43年)から1977年(昭和52年)までの予算は以下のとおりである[1]。
客車製造の指定メーカーだった日立製作所が客車製造から撤退したため、気動車の指定メーカーである新潟鐵工所と富士重工業が客車製造も担当することになった。
予算区分 | 形式 | 製造所 | 両数 | ||
---|---|---|---|---|---|
新潟鐵工所 | 富士重工業 | 日本車輌製造 | |||
昭和43年度 第4次債務負担 |
オハ12形 | 1 - 11 | 12 - 20 | 28両 | |
スハフ12形 | 1 - 4 | 5 - 8 | |||
昭和44年度 民有車両 |
オハ12形 | 21 - 60 | 61 - 86 | 100両 | |
スハフ12形 | 9 - 18 | 19 - 25 | |||
オハフ13形 | 1 - 10 | 11 - 17 | |||
昭和44年度 本予算 |
オハ12形 | 87 - 94 | 142 - 154 | 185 - 192 | 44両 |
スハフ12形 | 26・27 | 41 - 44 | 55・56 | ||
オハフ13形 | 18・19 | 33 - 35 | 41・42 | ||
昭和44年度 第2次債務負担 |
オハ12形 | 95 - 141 | 155 - 184 | 193 - 214 | 156両 |
スハフ12形 | 28 - 40 | 45 - 54 | 57 - 64 | ||
オハフ13形 | 20 - 32 | 36 - 40 | 43 - 50 | ||
昭和45年度 第1次債務負担 |
オハ12形 | 215 - 251 | 252 - 271 | 272 - 312 | 150両 |
スハフ12形 | 65 - 74 | 75 - 79 | 80 - 90 | ||
オハフ13形 | 51 - 60 | 61 - 65 | 66 - 76 | ||
昭和51年度 本予算 |
オハ12形 | 313 - 324 | 325 - 336 | 48両 | |
スハフ12形 | 101 - 112 | 113 - 124 | |||
昭和52年度 本予算 |
オハ12形 | 337 - 344 | 345 - 349 | 26両 | |
スハフ12形 | 125 - 131 | 132 - 137 | |||
昭和52年度 第1次債務負担 |
オハ12形 | 350 - 354 | 355 - 359 | 21両 | |
スハフ12形 | 138 - 144 | 145 - 148 | |||
昭和52年度 第2次債務負担 |
オハ12形 | 360 - 368 | 369 - 374 | 30両 | |
スハフ12形 | 149 - 157 | 158 - 163 | |||
製造所別両数 | 286両 | 204両 | 113両 | 603両 |
新製車
臨時列車での使用を考慮しており、グリーン車は設定せず、普通車のみとしている。そのため形式は、電源装置付き緩急車のスハフ12形、編成中間に連結するオハ12形、電源装置なし緩急車のオハフ13形のみである。
製造時期によって仕様が異なり、細かく分別すると、実に9次車まで存在する。大まかに分別すると以下の4つのグループに分けられる。
試作車では、ディーゼル発電機による電源供給容量は客車5両分の150 kVA であった。しかし、当時の国鉄では6両編成ないし12両編成を1単位とする運用が多く、組成の際にはスハフ12形が過剰に必要となり不経済であった。このため、量産車の電源容量は6両分の180 kVA に引き上げられ、さらに100番台以降は210 kVA にまで引き上げられた。あわせて燃料タンクの容量も長距離運用に対応させるため、860 L から1500 L に増強するなどの措置が行われている。
試作車
1969年(昭和44年)に製造された最初のグループである。新潟鐵工所および富士重工業でスハフ12形8両とオハ12形20両が製造された。その後に量産された車両とは電源用機関などが異なっていたが、1972年(昭和47年)に、全車が高砂工場で量産車と同一仕様に改造された。1969年7月8日、大阪駅で展示された車両はスハフ12 2+オハ12 9の2両である。
- スハフ12 1 - 8
- 1969年に8両製造された試作車。
- 電源装置(発電セット)はDMF15H-Gディーゼルエンジン (180 PS / 1500 rpm) とDM82発電機を組み合わせた出力150 kVA のもので、自車を含め5両に給電可能であったが、量産化改造により180 kVA、6両給電となった。
- オハ12 1 - 20
- 1969年に20両が製造された試作車。
量産グループ I
1970年(昭和45年)に製造されたグループである。12系は6両編成単位で運用することが多かったため[3]、スハフ12形の発電セットは自車を含む6両まで給電が可能なものとなり、この余力から新形式として発電セットなしの緩急車であるオハフ13形が登場した。また試作車では、側面行先表示器が28コマ表示であったが、量産車では70コマ表示に改良された。製造は、新潟、富士重のほか、日本車輌製造も加わっている。
- スハフ12 9 - 64
- 1970年に56両が製造された。
- 発電セットのエンジンを排気タービン過給器付きのDMF15HS-G (230 PS / 1800 rpm) に変更し、発電容量を150 kVA から180 kVA に引き上げ、燃料タンク容量も860 L から1500 L に増加した。
- オハフ13 1 - 50
- 1970年に50両が製造された。
- 後から発電セットを搭載してスハフ12に改造できるよう、準備工事が施されているが、車体側面の機関吸気口はない。
- オハ12 21 - 214
- 1970年に194両が製造された。
量産グループ II
1971年(昭和46年)に製造されたグループである。台車および暖房回路、便所と洗面所のユニットが改良(工数削減)されるとともに、屋根の塗色をねずみ色1号に変更した。メーカーは、引き続き新潟、富士重、日本車輌の3社である。
- スハフ12 65 - 90
- 1971年に26両が製造された。
- 台車をTR217C形に変更している。
- オハフ13 51 - 76
- 1971年に26両製造された。
- 台車をTR217B形に変更している。
- オハ12 215 - 312
- 1971年に98両が製造された。
- 台車をTR217B形に変更している。
量産グループ III
12系の製造は1971年(昭和46年)[注 7]以降打ち切られていたが、この間の1972年(昭和47年)11月に発生した北陸トンネル火災事故を機に、火元となる可能性のあるエンジン(と燃料)を客室の直下に置く分散電源方式は、防火・安全対策の見直しを迫られることとなる。
床下発電セットに液体燃料火災に有効なハロン自動消火装置を装備し、A-A基準に準拠することで、6年後の1977年(昭和52年)に製造が再開され[注 8]、翌1978年(昭和53年)まで製造された。スハフ12形は、循環式汚物処理装置の設置に伴う電源装置の変更により新区分番台の100番台となっている。また、発電セットを搭載しないオハフ13形は製造されなかった。
- スハフ12 101 - 163
- 1977年 - 1978年に63両が製造された。
- 電源機関を中間冷却器付きのDMF15HZ-G形 (270 PS/1800 rpm) に、発電機をDM93形に変更。これにより発電容量を210 kVA へ増強。車体側面の機関吸気口が拡大し、吸気系の取り回し変更により、位置も窓一つ分車体中央寄りとなった。また冷房装置をAU13AN形に、空気圧縮機をC400A形に、台車をTR217D形に変更、新たに前位妻側に尾灯を設置し、車内には冷水器を設置。前述のとおり火災対策が強化されており、床材を合板からアルミ板に、車内の布製品を難燃性に変更している。
- 最終増備車である149 - 163は、後位側幌と緩急室窓を、当時量産が開始された50系と共通化し、幌は収納式から外吊の普通形へ、緩急室後方の監視窓は小形縦長に、それぞれ変更された。
- オハ12 313 - 374
- 1977年 - 1978年に62両製造された。冷房装置をAU13AN形に、台車をTR217C形に変更。
改造車
1000番台
非冷房で手動ドアであるなど、安全性や接客設備の面で陳腐化した旧型客車の置き換え用として、1984年から1986年にかけて鷹取工場、松任工場、幡生・広島・後藤の各車両所で計47両を近郊形化改造したものである。比較的初期の車両を中心に改造されている。
七尾線・伯備線・山陰本線・福知山線・阪和線・紀勢本線・播但線・芸備線などで使用され、国鉄分割民営化後は、全車が西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された。基本的なシステムはオリジナル車から変更されていないが、一般車との併結に備えて客車用の直流24 V電源引通し線が増設され、また普通列車運用のため、50系客車や同時期に行われた交直流急行形電車の近郊形改造同様に、車内車端部の2ボックスをロングシート化し、吊り手を設けた。また、塗色も白帯がなくなり青20号一色となったが、これには塗色更新をせずに元々あった白帯を同色の青で塗り重ねただけのものもあった。七尾線用の車両は行先表示器を撤去して、側面中央部窓下にサボ受けを設置した。仕様通りに一般車との混結も見られたが、最終的には使用線区の気動車列車化により、1997年(平成9年)までに全廃され、区分消滅した。
元々が急行・団体臨時用車両で、車端部デッキは拡張されなかったため狭い自動折戸から乗降しなければならず、ことにラッシュ時には乗降に円滑さを欠いていた。しかし50系を含む在来車が非冷房車ばかりであった地方線区において、数少ない冷房車であった。
スハフ12とオハ12が2両ずつ、付随気動車キサハ34へ改造され氷見線で運用された(キサハ34の項目参照)。
- スハフ12 1001 - 1012
- スハフ12形の1000番台化改造車。12両が改造された。種車(改造元車両)は順にスハフ12 26・27・90・24・46・21・37・23・72・73・30・65である。トイレは使用停止のうえ閉鎖し、洗面台と冷水器を撤去、車掌室には乗務員扉が新設された。定員は22名増の112名(座席定員76名)。
- オハフ13 1001 - 1012
- オハフ13形の1000番台化改造車。12両が改造された。種車は順にオハフ13 22・23・1・42・34・8・10・17・52・2・11・12。スハフ12形と同様、トイレは使用停止のうえ閉鎖し、洗面台と冷水器を撤去、車掌室に乗務員扉を新設。同じく定員は22名増の112名(座席定員76名)。
- オハ12 1001 - 1023
- オハ12形の1000番台化改造車。23両が改造された。種車は順にオハ12 87 - 91・74・96・97・49・72・73・143・146・189 - 191・203・163・164・193・194・206・210。トイレと洗面所は残された。定員は32名増の120名(座席定員84名)。1002は1993年に鷹取工場でわくわく団らんの展望車オロフ12 801に再改造された。
2000番台
1000番台同様、旧型客車置き換え用として、1985年(昭和60年)に盛岡、土崎工場で計37両が改造製作された、近郊形化改造車である。主に一ノ関以北の東北本線や奥羽本線で使用された。民営化後は全車が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継された。車内接客設備の改造内容は1000番台と同じであるが、電源システムは従来の方式に代わり、電気機関車の電気暖房用電源から交流1500 Vの給電を受け、オハフ13形に設置した変圧器で交流440 Vに降圧して給電する方式としている。そのためディーゼル発電機を搭載したスハフ12形は存在せず、オハフ13形、オハ12形の2形式のみである。塗色は1000番台同様、白帯を消し青20号一色とした。東北本線一ノ関 - 青森間および奥羽本線青森 - 弘前間で運用されたが、1994年(平成6年)12月ダイヤ改正で東北本線一ノ関 - 盛岡間に701系電車が投入されたのに伴い、余剰となった50系客車に置き換えられて運用離脱し、1999年までに全廃された。
- オハフ13 2001 - 2021
- オハフ13形の2000番台化改造車。21両が改造された。種車は、順にオハフ13 66・18・40・14・57・48・55・49・38・60・37・58・46・32・53・4・5・24・67・3・45。機関車から給電を受けるため、高圧ヒューズ箱、変圧器、補助電源装置、MRコックを設置し、車軸発電機を撤去した。1000番台と同様、トイレは使用停止のうえ閉鎖し洗面台と冷水器を撤去、車掌室には乗務員扉が新設されるとともに、前位(便所・洗面所側)にも尾灯が新設された。定員は22名増の112名(座席定員76名)。
- オハ12 2001 - 2016
- オハ12形の2000番台化改造車。16両が改造された。種車は順にオハ12 171・241・184・172・174・242・239・240・248・173・272・274・249・179・273・275。トイレと洗面所は残された。定員は32名増の120名(座席定員84名)。
3000番台
1991年(平成3年)、JR西日本が急行「だいせん」「ちくま」用として鷹取、後藤工場で計18両を改造したものである。改造内容は、座席を485系電車の改造発生品であるR51BN簡易リクライニングシートへ交換し、化粧板・トイレ・洗面所のリニューアルを行った。また車軸発電機は撤去され、14系と同様の三相交流変圧器が床下に設置された。この改造により、放送や照明の電源は三相交流変圧器から供給されることとなった。「だいせん」の気動車化や「ちくま」の電車化に伴い、2003年(平成15年)に全廃された。ただし、スハフ12 3001は、奥出雲おろち号で使用されるスハフ12 801に再改造されて現在も使用されている。
- スハフ12 3001 - 3006
- 6両を改造。種車は順にスハフ12 40・87・79・81・88・76。14系同様、車掌室側妻の貫通路開戸に列車愛称名表示器を設置。簡易リクライニングシートへの変更により定員は16名減の64名。
- オハ12 3001 - 3012
- 12両を改造。種車は順にオハ12 303・310・297・306・305・307・296・271・298・299・208・301。同じく簡易リクライニングシートへの変更により定員は16名減の72名。
オハ12形1000番台(JR九州)
1993年(平成5年)、久大本線の普通列車に使用していたオハ12 288・289の2両に車掌室設置工事を施したもの。トイレ・洗面所を撤去して、その場所に車掌室を設置し、車掌室側面と妻面に窓を設けた。番号は原番号に1000を足した1288・1289に変更されたが、形式はオハ12のまま変更されなかった。1999年(平成11年)に同線の客車列車が廃止となったため、2両とも廃車となっている。
スロフ12形・オロ12形0番台
「アイランドエクスプレス四国」が好評だったため、ジョイフル車両第2弾として1988年5月、波動輸送用として四国旅客鉄道(JR四国)高松運転所に配置されていた12系のうち、スハフ12形2両 (3・6)、オハ12形4両(5・6・9・10)の計6両に対して車内設備のハイグレード化を実施したもの。竣工が早かったスハフ12形2両(3・6)と、オハ12形1両 (10) は改番なし、塗装変更なしで一旦出場したものの、残り3両が出場した時点では、全車普通車からグリーン車に用途変更され、赤帯が青帯となって出場したが、番号は「ハ」を「ロ」に変更したのみである。オロ12 6・9は、固定窓で車内がカーペット敷きとなり、他の4両(いずれも定員は33名)は座席がシートピッチ1400 mm、2+1列配置、読書灯・足置き付きのリクライニングシートに取り替えられた。
- 1988年(昭和63年)4月、JRグループ発足1周年を記念した列車「JR1周年記念号」にアイランドエクスプレス四国が使用された。しかし当編成のみでは定員不足になってしまうため、増結用にスハフ12 3が、塗色をアイランドエクスプレス四国色に変更の上、スロフ12 3として使用された。高松 - 琴平 - 広島 - 高松間を走行(営業は琴平 - 広島間)した後、すぐに元の色(赤帯のJR四国色)へと戻された。車内は、座席がシートピッチ1400 mm、2+1列配置、読書灯・足置き付きのリクライニングシートになっていた。
-
スロフ12 3(2007年9月2日、多度津駅)
-
オロ12 9(2008年3月25日、京都駅)
-
オロ12 10(2008年3月24日、松山駅)
-
12系「JR四国」色
-
12系「JR四国」色(ムーンライト高知)
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スロフ12 3「アイランドエクスプレス四国」色
オヤ12形
2002年(平成14年)、JR東日本土崎工場(現・秋田総合車両センター)で改造製作された、動態保存蒸気機関車回送随伴用事業用車である。スハフ12 158を種車として1両が改造され、オヤ12 1と改番された[注 9]。同社所有の他、秩父鉄道や真岡鉄道などの蒸気機関車を、イベント運転や点検による車両基地への入出場などで目的地まで回送する際や検査後に実施する本線試運転を行う際の機関車の状態の把握や保安機器の搭載などを目的としている。外観に変化はないが、車内は一部座席を撤去し、保安機器などを搭載するスペースとしたほか、蒸気機関車の状態を把握するための装置が追加されている。2017年(平成29年)時点では、高崎車両センターに在籍。但し、大半の客室設備は残っているので稀に代車として営業運転で使用されることもあり、2013年11-12月にはSLばんえつ物語号の代車として使用された[4]
他系列への改造車
オハ25形300番台・スハ25形
JR西日本が運転していた「あさかぜ」3・2号・「瀬戸」の接客設備の向上を図るため、1989年(平成元年)にオハ12形5両を種車として改造製作された、24系客車用ロビーカー(スハ25形は静止形インバータを搭載し、電源車を兼ねる)である。3両がオハ25形300番台、2両がスハ25形300番台(1991年にオハ25形1両がスハ25形に再改造)とされた[5]。
- オハ12 18・31・41 → オハ25 301 - 303
- オハ12 350・351・オハ25 303 → スハ25 301 - 303
詳細は国鉄24系客車#「あさかぜ3・2号」、「瀬戸」用改造車を参照。
キサハ34形
氷見線ラッシュ時の気動車列車増結用として、1992年(平成4年)にJR西日本松任工場(現・金沢総合車両所)にて4両が七尾線電化で余剰となっていた当系列から改造により誕生した。オハ12形1000番台改造の0番台とスハフ12形1000番台改造の500番台の2タイプが存在した。改造元はオハ12 1019・1021 → キサハ34 1・2、スハフ12 1001・1003 → キサハ34 501・502である。
改造内容は、トイレの撤去のほか、連結器を気動車用の小型タイプへ交換し、連結幌、引き通し線の交換、高岡鉄道部色(白地に黄色・青色の二代目カラー)への塗色変更など最小限にとどまっている。500番台車は、種車の電源エンジンもそのまま残され、自車および併結気動車への冷房電源用に使用されていた。両番台は必ず2両一組で運用され、両車間の貫通幌は客車時代のままであった。
動力を持たない付随車であることから、もっぱらキハ58形・キハ28形2両の間に挟まれた形で朝のラッシュ時に運用されていたが、高山本線富山口へのキハ120形投入により捻出されたキハ58系に置き換えられる形で、登場からわずか4年後の1996年に全車廃車された[5]。
キサロ59形
1989年、JR西日本ジョイフルトレイン「セイシェル」の中間車として改造された。種車はスハフ12 701で、キサロ59 501を名乗った。当車は前後をキロ59形に挟まれて走行した。電源用エンジンは存置され、編成全体にサービス電源を供給している。大型のリクライニングシートを備え、サロンやカウンターもあった。バブル経済崩壊後のジョイフルトレインの利用低迷と老朽化により運用の場を失い、2005年(平成17年)に廃車となった[5]。
なおスハフ12 701は、元をたどれば、1985年に福知山鉄道管理局がスハフ12 5をイベント客車「いこい」として改造した車両である[注 10]。半室が洋風、もう半室が和風で、ミニキッチンまで備えているが普通車扱いであった。イベント客車であるが、定期の客車列車に併結されたり、キハ58系に併結されたりして使用された。この車両は、国鉄の民営化時に運転された特別列車「旅立ちJR西日本号」の1号車に連結されたため、1号車だけ帯の色が違った車両としてTVでもメディアに挙げられた。
ジョイフルトレイン・イベント車両への改造
国鉄時代末期より、本系列を改造して和式列車などのジョイフルトレインやイベント列車用車両が多数製作された。しかし車両の老朽化、バブル崩壊後の需要減少、運用時の取扱の煩雑さなどから廃車が進み、東日本旅客鉄道(JR東日本)では「SLばんえつ物語」用編成以外は全廃、東海旅客鉄道(JR東海)と九州旅客鉄道(JR九州)は全廃となっている。北海道旅客鉄道(JR北海道)には、当初より12系を改造したジョイフルトレイン・イベント車両が所属していない。
各列車の詳細はジョイフルトレインを参照のこと。括弧内は在籍年。2014年(平成26年)現在も在籍しているものには、「*」を付す。車両番号は現在または廃車時のもの。
和式客車
国鉄では、1980年から老朽化したスロ81系和式客車の代替や増備として、各鉄道管理局で12系客車の改造により和式客車を製造した。国鉄時代には15編成+1両(計62両)が、国鉄分割民営化後はJR西日本において1編成(6両)が製作された[6]。
- JR東日本
- なごやか (1981年 - 1997年) - 東京北鉄道管理局
- オロ12 805 - 808、スロフ12 803・804
- お座敷列車(カヌ座)・サロン佐渡 (1981年 - 2002年) - 新潟鉄道管理局
- オロ12 706、オハ12 1809 - 1812(←オロ12 809 - 812)、スハフ12 1805・1806(←スロフ12 805・806)他に14系1両を含む。
- 白樺 (1983年 - 1996年) - 長野鉄道管理局
- オロ12 837 - 840、スロフ12 819・820
- くつろぎ (1983年 - 1999年) - 高崎鉄道管理局
- オロ12 841 - 844、スロフ12 821・822
- ふれあいみちのく (1986年 - 2002年) - 盛岡鉄道管理局
- オロ12 845 - 848、スロフ12 823・824
- 江戸 (1986年 - 2000年) - 東京南鉄道管理局
- オロ12 849 - 852、スロフ12 825・826
- やすらぎ (1986 - 2001年) - 高崎鉄道管理局
- オロ12 853 - 856、スロフ12 827・828
- オリエントサルーン (1987年 - 2000年) - 仙台鉄道管理局
- オロ12 857 - 860、スロフ12 829・830
- 愛称なし(カーペット車) ( - 1999年) - 盛岡鉄道管理局
- オハ12 801
- なごやか (1981年 - 1997年) - 東京北鉄道管理局
- JR東海
- いこい (1982年 - 1997年) - 静岡鉄道管理局
- オロ12 821 - 824、スロフ12 811・812
- お座敷列車(ナコ座) (1983年 - 1999年) - 名古屋鉄道管理局
- オロ12 829 - 832、スロフ12 915・916
- いこい (1982年 - 1997年) - 静岡鉄道管理局
- JR西日本
- ジョイフルトレイン → いきいきサロンきのくに(1981年 - 2007年。1989年再改造) - 天王寺鉄道管理局
- オロ12 813 - 816、スロフ12 807・808
- 旅路(1981年 - 2007年。1994年再改造) - 広島鉄道管理局
- オロ12 817 - 820、スロフ12 809・810
- お座敷列車(サワ座) → わくわく団らん (1982年 - 2006年。1993年再改造) - 金沢鉄道管理局
- オロ12 825 - 828、スロフ12 813・814 → オロ12 825・827・828、オロフ12 801、スロフ12 814、マロフ12 853
- いこい (1985年 - 1989年) - 福知山鉄道管理局
- あすか (1987年 - 2016年)
- オロ12 851 - 854、マロフ12 851・852 (他に14系1両オロ14 851を含む)
- ジョイフルトレイン → いきいきサロンきのくに(1981年 - 2007年。1989年再改造) - 天王寺鉄道管理局
- JR九州
- お座敷列車(海編成) (1980年 - 1994年) - 門司鉄道管理局
- オロ12 801 - 804、スロフ12 801・802
- お座敷列車(山編成) (1983年 - 1994年) - 門司鉄道管理局
- オロ12 833 - 836、スロフ12 817・818
- お座敷列車(海編成) (1980年 - 1994年) - 門司鉄道管理局
欧風客車
旅客の嗜好の多様化により、新しい需要に対応すべく製作された個室や豪華なリクライニングシートを備えた車両で、国鉄末期の1985年から3編成+1両(計20両)が製作された[7]。
- JR東日本
- スーパーエクスプレスレインボー (1987年 - 2000年)
- オロ12 715(他の車両は14系)
- スーパーエクスプレスレインボー (1987年 - 2000年)
- JR東海
- ユーロライナー (1985年 - 2005年)
- オロ12 701 - 705、スロフ12 701・702
- ユーロライナー (1985年 - 2005年)
- JR西日本
- ゆうゆうサロン岡山 (1985年 - 2011年)
- オロ12 707 - 710、スロフ12 703・704
- ゆうゆうサロン岡山 (1985年 - 2011年)
- JR九州
- パノラマライナーサザンクロス (1987 - 1994年)
- オロ12 711 - 714、スロフ12 705・706
- パノラマライナーサザンクロス (1987 - 1994年)
イベント車両
SL牽引・観光・夜行列車を目的とした臨時列車用にも運用・改造されている[8]。
- JR東日本
- JR東海
- トロッコファミリー号 (1992年 - 2006年・車両は2007年まで在籍)
- スハフ12 31、スハフ12 104(1996年 - 2007年)、オハ12 178(1992年 - 1996年)
- トロッコファミリー号 (1992年 - 2006年・車両は2007年まで在籍)
- JR西日本
- JR四国
改番を伴わない改造車
- 「サイエンストレイン」への改造
- 1985年(昭和60年)に茨城県筑波郡谷田部町(当時)で開催された、国際科学技術博覧会(通称「科学万博」)のPR列車「サイエンストレイン エキスポ号」に使用する目的で、竜華客貨車区所属のスハフ12 6・16、オハ12 5・7・8・9・11の7両(スハフ12 16以外はすべて試作車)が土崎工場で改造された。改造内容は、車内の腰掛、荷棚などの設備品をすべて撤去して側窓をラッピングでふさぎ、科学万博の宣伝パネルや展示物を設置した[9] 。
- 科学万博開催前の1984年9月に落成し、同月14日の東京駅を皮切りに全国各地を巡回した。1985年5月に巡回を終了し、土崎工場で復元された。
- その後一部の車両は四国に転じ、オロ12 5・9、スロフ12 6へと改造された。
-
サイエンストレイン エキスポ号
-
サイエンストレイン エキスポ号スハフ12 6(熊本駅にて)
-
サイエンストレイン エキスポ号オハ12 8の側面(熊本駅にて)
- 簡易和式列車「ふれあい」への改造
- 1985年に長野運転所所属のオハ12 121・149・284・285、スハフ12 7・64の6両を改造した。各座席の座布団を取り外し、代わりに畳をはめ込めるように(座布団は畳の下に格納)座席のフレームのみを改造した、簡易和式車両である。塗装は変更されていない。
- 国鉄分割民営化後、JR東日本に承継された。甲子園輸送などの団体臨時列車に充当されたが、1995年(平成7年)に廃車となっている。
- マザーグーストレイン用改造[10]
- 1987年3月に長野工場で改造製作されたイベント用車両で、スハフ12 103を専用塗装に変更し、同時に車内でショッピングやイベントが開催できるように改装されたマニ50 2028・2243とともに小海線などで使用された後、復元された。
- リクライニングシート化改造[10]
- 1990年、JR東日本盛岡支社のオハ12形2両 (327・328) に対し、団体列車用に座席をリクライニングシートに改造する改造を、盛岡客車区で施工した。外観上の変化はなく、1999年に廃車となった。
- 急行「かいもん」「日南」のグレードアップ
- 1986年11月のダイヤ改正を期に、急行「かいもん」・「日南」の指定席のグレードアップを図るため、オハ12形5両が、グリーン車廃車発生品の腰掛を転用してリクライニングシートに改造された。そしてJR九州移行後は、自由席車に対しても同様のグレードアップを図ることになり、対象車両のグレードアップは1989年までに完了した。改造施工両数は、オハ12形10両、スハフ12形12両、オハフ13形3両の計25両である。
- 自由席と指定席の格差がなくなったため、指定席車は自動販売機や給茶機の設置などを行った。1993年の両列車の特急格上げにより急行運用から外れ、その後はシュプール号などの臨時列車や、非電化路線の普通列車に転用されたが、2001年(平成13年)に全廃された。
- 改造施工車は次のとおり。全車が鹿児島車両所で改造された。
- 1986年(昭和61年)度改造
- オハ12形 - 59・60・212・220・221
- 1987年(昭和62年)度改造
- オハ12形 - 222・223・224
- 1988年(昭和63年)度改造
- オハ12形 - 219・225
- スハフ12形 - 13・44・49・50・59・60・61・62・63・67・71・112
- オハフ13形 - 21・50・61
- 1986年(昭和61年)度改造
- シュプール大山用改造[10]
- 九州方面から大山へのスキー列車や、自社内の団体臨時列車用として、座席をリクライニングシート化したもので、1990年12月に小倉工場でオハ12形8両、スハフ12形2両、オハフ13形2両に対して施工された。車体には手は加えられず、車体裾部の白線の数が増加したのと、「PASSENGER CAR 12 SPECIAL」のロゴが前位ドア横と幕板部に標記されたのが特徴的である。また、車号標記の末尾に「S」が加えられている。2000年までに全車が廃車された。
- 改造施工車は次のとおりである。
- オハ12形 - 53・54・55・56・75・76・213・214
- スハフ12形 - 17・47
- オハフ13形 - 6・9
沿革
製造当初より、波動輸送用車両および臨時夜行急行列車に使用されたが、14系座席客車が製造されるまで、一時的に臨時特急「しおじ」「つばさ」などにも使用された。しかし設備が急行並のため、特急運用の際には特急料金が割り引かれた。
登場以来、団体列車や臨時列車を中心に使用されてきた12系客車が定期列車に使用されるようになったのは、1973年(昭和48年)からである。急行「きたぐに」「音戸」に使用され、1970年代後半になると老朽化の著しい10系寝台車の代替として、20系客車との併結で寝台車付きの急行列車(「かいもん」「日南」など)にも進出するようになった。
その後、夜行列車の本数減少や、1970年代後半から始まった旧型客車の廃車に伴い、50系客車とともに普通列車運用に比重を移した。そのため、一部の車両は車端部座席のロングシート化などを行なった。また1980年代には、多数が和式列車などのジョイフルトレインの改造ベースとなった。その他、電車列車の非電化路線乗り入れのサービス電源車として、特急「有明」の豊肥本線乗り入れの485系や、快速「葉っぴーきよさと」の小海線乗り入れの169系に連結されたこともあった。
1990年代になると、客車急行列車の廃止とともに12系を使用した列車も減少し、普通列車についても、電車・気動車化、短編成化が進行したため大量の余剰車が発生し、大半の車輌が製造から20年ほどで廃車になった。さらにジョイフルトレインに改造された車両も、ジョイフルトレインの電車化・気動車化や車両の老朽化に加えて、バブル崩壊後の団体旅行需要そのものの減少もあり、次第に持て余し気味となって廃車されたものが多い。また一部のオハ12形は24系25形客車に改造編入されたほか、特異な例では、気動車用の付随車に改造されて気動車編成に組込まれたものもあったが、これらもすべて廃車になった。
なお、耐寒耐雪構造ではないので北海道地区には国鉄時代も含めて1両も配属されていないが、冬季以外の季節に乗入れ運行実績はあり、快速海峡としても運行された。
国鉄分割民営化時の状況
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、北海道旅客鉄道(JR北海道)を除く旅客鉄道会社各社に、1986年度に廃車となった2両を除く601両が引き継がれた。その状況は次のとおりである。
形式 | 東日本 | 東海 | 西日本 | 四国 | 九州 | 両数 |
---|---|---|---|---|---|---|
オロ12形 | 34 | 13 | 16 | 12 | 75 | |
スロフ12形 | 16 | 6 | 8 | 6 | 36 | |
オハ12形 | 104 | 16 | 138 | 6 | 34 | 298 |
スハフ12形 | 32 | 7 | 56 | 3 | 18 | 116 |
オハフ13形 | 33 | 1 | 32 | 1 | 9 | 76 |
合計 | 219 | 43 | 250 | 10 | 79 | 601 |
廃車
2017年度までの廃車は以下のとおりである[11]。
- 1986年(昭和61年)度
- オハ12形 - 139(名ナコ)
- スハフ12形 - 12(名ナコ)
- 1987年(昭和62年)度
- オハフ13形 - 2016(盛アオ)
- 1989年(平成元年)度
- オハ12形 - 35(東オク)、84・102・142(海ナコ)
- スハフ12形 - 42(海ナコ)
- 1991年(平成3年)度
- オハ12形 - 27・28・46・57・58・68・151(海ナコ)
- スハフ12形 - 56(海ミオ)
- 1992年(平成4年)度
- オハ12形 - 118・205(海ナコ)、159(岡オカ)
- オハフ13形 - 68(海ナコ)
- 1993年(平成5年)度
- オロ12形 - 711・712・713・714(本モコ)
- スロフ12形 - 705・706(本モコ)
- オハ12形 - 13・14・15・207(大ムコ)、42・43・44・45(金サワ)、98・99・101・105・152・153(岡オカ)、264・265・266・267(分オイ)、1010(米ヨナ)
- スハフ12形 - 54(分オイ)
- オハフ13形 - 13・20(岡オカ)、64(分オイ)、72(米ヨナ)、1001(金サワ)
- 1994年(平成6年)度
- オロ12形 - 801・802・803・804(熊クマ)、826(金サワ)、833・834・835・836(本モコ)
- スロフ12形 - 801・802(熊クマ)、813(金サワ)、817・818(本モコ)
- オハ12形 - 11・17・52・70(広ヒロ)、12・71・244・246(和ワカ)、112・276・277(盛モカ)、119・120・121・122・149・284・285・286(長ナノ)、144・204・353・1006・1007・1008・1009・1012・1013・1014・1015・1017・1020・1022・1023(米ヨナ)、202・259・268(広セキ)、256・269・270(大ミハ)、290・291(鹿カコ)
- スハフ12形 - 18・43(広セキ)、35・64(長ナノ)、49(熊クマ)、61(分オイ)、74(新カヌ)、75(和ワカ)、1005(広ヒロ)、1008(米ヨナ)
- オハフ13形 - 16・31・44(金サワ)、28(盛モカ)、33・1003(米ヨナ)、47(和ワカ)、50・61(鹿カコ)、63・75(広ヒロ)
- 1995年(平成7年)度
- オロ12形 - 837・838・839・840(長ナノ)
- スロフ12形 - 819・820(長ナノ)
- オハ12形 - 29・30・197・199(福フチ)、47・48・61(分オイ)、69(長ナノ)、110・111・113・114(盛モカ)、140・141・188(海ミオ)、178(海ナコ)、253・254(大ムコ)、1003・1018(広ヒロ)、2001・2002・2006・2007・2008・2009・2010・2011・2012・2013・2015・2016(盛アオ)
- スハフ12形 - 7(長ナノ)、25・32・62(分オイ)、33・57・58(海ミオ)、1002・1004・1006・1007(広ヒロ)
- オハフ13形 - 7・71(分オイ)、29・76(盛モカ)、1004・1010・1011・1012(広ヒロ)、1007(米ヨナ)、2001・2002・2004・2005・2006・2007・2010・2012・2014・2015・2017・2018・2019・2020・2021(盛アオ)
- キサハ34形 - 1・2・501・502(金タカ)
- 1996年(平成8年)度
- オロ12形 - 821・822・823・824(海ナコ)
- スロフ12形 - 811・812(海ナコ)
- オハ12形 - 7・8(四カマ)、21・25・26・77・78・79・80・107・115・116・117・131・132(高タカ)、95(福フチ)、158・166・167・168・169・195(東オク)、247(広クチ)
- スハフ12形 - 14・34(高タカ)、16(四カマ)、69(新カヌ)、103(長ナノ)
- オハフ13形 - 25・39・69(高タカ)、35(四カマ)、43(東オク)
- 1997年(平成9年)度
- オロ12形 - 805・806・807・808(東オク)
- スロフ12形 - 803・804(東オク)
- オハ12形 - 22・23・24・196・198・333・334(高タカ)、50・218・245・252(和ワカ)、123・250(新カヌ)、212・223・225(分オイ)、1001・1004・1005・1011・1016(米トウ)、2003・2004・2005・2014(盛アオ)、3001・3004・3005・3006・3007(大ミハ)
- スハフ12形 - 4・45(京キト)、38・39(和ワカ)、63・71(分オイ)、106(岡オカ)、122・135・150・151・154(高タカ)、146・1009・1010・1011・1012(米トウ)
- オハフ13形 - 21(分オイ)、36(福フチ)、54・65・1002・1005・1006・1008・1009(米トウ)、56(新カヌ)、2003・2008・2009・2011・2013(盛アオ)
- 1998年(平成10年)度
- オハ12形 - 33・53・54・55・56・59・60(熊クマ)、37・38・39・40(高タカ)、92・156・209・300・302・304(京キト)、93・94(金サワ)、103・215・216・217(岡オカ)、130・327・328(盛モカ)、155・165・200・201(福フチ)、180・181・182・183(秋アキ)
- スハフ12形 - 13・17(熊クマ)、80(岡オカ)、107(秋アキ)、136(高タカ)、137・161(東オク)、141(米トウ)
- オハフ13形 - 9(熊クマ)、15(東オク)、19(秋アキ)、26(高タカ)、30(盛モカ)、62(京キト)
- オハ25形 - 301・302(広セキ)
- 1999年(平成11年)度
- オロ12形 - 829・830・831・832(海ナコ)、841・842・843・844(高タカ)
- スロフ12形 - 915・916(海ナコ)、821・822(高タカ)
- オハ12形 - 32・34・363・364(高タカ)、85・86・137・138・1288・1289(分ホウ)、100・104・154・161・255(岡オカ)、108・109(金サワ)、124・125・231・232・233・234・278・279・325・326・801(盛アオ)、222(熊クマ)
- スハフ12形 - 44・59・67・84(分ホウ)、50(熊クマ)、86・134(大ミハ)、110・111・114・118(盛アオ)、113・115(金サワ)、142・145(福フチ)、143・144(岡オカ)、149・152(高タカ)、156(京キト)
- オハフ13形 - 41(岡オカ)、51・73・74(大ミハ)、70(分ホウ)
- 2000年(平成12年)度
- オロ12形 - 849・850・851・852(東オク)、857・858・859・860(仙セン)
- スロフ12形 - 825・826(東オク)、829・830(仙セン)
- オハ12形 - 16・162・308・309・311・342・343・344・349・355・356(大ミハ),116(盛アオ)
- 2001年(平成13年)度
- オロ12形 - 706(新カヌ)、715(東オク)、853・854・855・856(高タカ)
- スロフ12形 - 827・828(高タカ)
- オハ12形 - 75・76・213・214・219・220・221・224(熊クマ)、360・361・362・365・370・372・373・374(高タカ)、3002・3003・3009(大ミハ)
- スハフ12形 - 47・60・112(熊クマ)、153・159(高タカ)
- オハフ13形 - 6(熊クマ)
- 2002年(平成14年)度
- オロ12形 - 845・846・847・848(盛アオ)
- スロフ12形 - 823・824(盛アオ)
- オハ12形 - 257・258・354・357・358・359(岡オカ)、338・347(大ミハ)、802(盛アオ)、1809・1810・1811・1812(新カヌ)
- スハフ12形 - 125・126・133・138・139・140・157(大ミハ)、147(岡オカ)、1805・1806(新カヌ)、3004・3006(米トウ)
- 2003年(平成15年)度
- オハ12形 - 3008・3010・3011・3012(米トウ)
- スハフ12形 - 3002・3003・3005(大ミハ)
- 2004年(平成16年)度
- キサロ59形 - 501(福トカ)
- 2005年(平成17年)度
- オロ12形 - 701・702・703・704・705(海ナコ)
- スロフ12形 - 701・702(海ナコ)
- スハ25形 - 302・303(広セキ)
- 2006年(平成18年)度
- オロ12形 - 825・827・828(金サワ)
- オロフ12形 - 801(金サワ)
- スロフ12形 - 814(金サワ)
- マロフ12形 - 853(金サワ)
- 2007年(平成19年)度
- オロ12形 - 813・814・815・816(大ミハ)、817・818・819・820(広ヒロ)
- スロフ12形 - 807・808(大ミハ)、809・810(広ヒロ)
- オハ12形 - 228(和ワカ)
- スハフ12形 - 31・104(海ミオ)、128(和ワカ)
- オハフ13形 - 27(和ワカ)
- スハ25形 - 301(広セキ)
- 2009年(平成21年)度
- オロ12形 - 5・10(四コチ)
- 2010年(平成22年)度
- オロ12形 - 6・9(四コチ)
- スロフ12形 - 3・6(四コチ)
- 2011年(平成23年)度
- オロ12形 - 707・708・709・710(岡オカ)
- スロフ12形 - 703・704(岡オカ)
- 2016年(平成28年)度[12]
- オロ12形 - 851・852(近ミハ)
- マロフ12形 - 851・852(近ミハ)
- 2017年(平成29年)度[13]
- オロ12形 - 853・854(近ミハ)
- スハフ12形 - 36・702(広クチ)
- オハ12形 - 701・702・703(広クチ)
- オハフ13形 - 701(広クチ)
- 元「SLやまぐち号」用の5両(オハ12 701・702・703、スハフ12 702、オハフ13 701)は大井川鐵道に譲渡。
現況
2018年4月1日現在、東海旅客鉄道(JR東海)・四国旅客鉄道(JR四国)・九州旅客鉄道(JR九州)においては全廃され、東日本旅客鉄道(JR東日本)に14両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に8両の計22両が在籍する[14]。
また、わたらせ渓谷鐵道で2両、秩父鉄道で4両の譲渡車が使用されている。いずれも臨時列車・団体列車に用いられる。2011年には2010年に廃車されたJR四国の4両(オロ12 6・9、スロフ12 3・6)が若桜鉄道に売却され、7月1日から7月3日にかけて甲種輸送が行われた[15]。2016年9月には廃車扱いされたJR四国の2両(オロ12 5・10)が東武鉄道へ譲渡された[16]。
JR東日本には、高崎車両センター高崎支所にオハ12 366・367・368・369、スハフ12 161・162、オヤ12 1の7両と、新潟車両センターに「SLばんえつ物語」に専用化改造された7両(オハ12 313・314・315・316・1701、スハフ12 101、スロフ12 102)が配置されている[14][17]。
JR西日本には、網干総合車両所宮原支所に原型車6両(一部車両を「SL北びわこ号」で運行[18]、オハ12 341・345・346・352、スハフ12 129・155)[19]、後藤総合車両所に「奥出雲おろち号」用の2両(スハフ12 801、スハフ13 801)が配置されている[14][17]。宮原支所の原型車は、DD51形の牽引で宮原支所 - 本所間の訓練列車にも使用されている[20][21]。2016年7月5 - 6日の2日間に掛けて、マロフ12 851・852の2両が吹田総合車両所に回送され[22]、2016年9月5日付で廃車された[12]。オロ12 851・852も2016年11月17日付で廃車されている[12]。残るオロ12 853・854も2018年3月31日に廃車され、和式客車「あすか」用も全廃となった[13]。
過去には、下関総合車両所新山口支所に「SLやまぐち号」用の6両(オハ12 701・702・703、スハフ12 36・702、オハフ13 701)が配置されていたが、 オハ12 701・702・703、スハフ12 702、オハフ13 701が2017年9月7日に下関総合車両所本所へ廃車回送された[23]。同所に廃車回送された該当5両は、2018年2月26日付で大井川鐵道への譲渡が決定した[24][25]。スハフ12 36のみ保留となっていたが、他の5両とともに2017年10月27日付で車籍が抹消された[13]。
譲渡
12系客車は、(未入籍を含め)30両がJRから国内の私鉄6社(樽見鉄道・わたらせ渓谷鐵道・秩父鉄道・若桜鉄道・東武鉄道・大井川鐵道)に譲渡されている。また、2017年夏季を目処にSL(蒸気機関車)の運行を開始するにあたり、JR四国の2両が東武鉄道へ譲渡されたが、現在は南栗橋車両管区にてはまなすで使用された14系500番台(スハフ14 501・508・オハ14 504・505)とともに留置されている[16]。
西武鉄道
譲渡ではないが、西武E851形電気機関車のさよなら運転では、JR東日本高崎所属の客車が貸し出されて牽引されたことが特筆される。その際、西武車両として車籍を登録している。車両はスハフが161と162、オハが370、372、373、374。その後JRに返却され、オハ4両は廃車になったが、スハフ2両は2020年現在も高崎に配置されている現役である。
樽見鉄道
樽見鉄道へは、1990年にJR東海からオハ12形3両、スハフ12形2両の計5両が譲渡され、同社のオハ1000形、スハフ1100形となった。当初は輸送力列車用として運行され[26]、イベント用では「うすずみブルーライン号」として運行されていたが[27]、14系入線後は観桜列車「うすずみファンタジア」用として使用された[28]が、2005年に全廃となった。また、14系の入線に伴い、1001が1993年に、1003は1994年にそれぞれ廃車となっている。番号の新旧対照は次のとおりである[29]。
- オハ12 84 → オハ1001
- オハ12 102 → オハ1002
- オハ12 142 → オハ1003
- スハフ12 42 → スハフ1101
- スハフ12 56 → スハフ1102
わたらせ渓谷鐵道
わたらせ渓谷鐵道へは、1998年にJR東日本から「トロッコわたらせ渓谷号」用としてスハフ12形2両、2001年に「サロン・ド・わたらせ」用としてスロフ12形2両、2003年に同列車の増結用としてオロ12形1両の計5両が入籍している。そのほかにオハ12 198、オロ12 853・854・856の4両が譲渡されているが入籍されなかった。入籍車の番号新旧対照は、次のとおりである[5]。
- スハフ12 150 → わ99 5010
- スハフ12 151 → わ99 5080
- スロフ12 827 → わ01 827
- スロフ12 828 → わ01 828
- オロ12 855 → わ01 855(番号対照には疑問がある)
2009年度に「サロン・ド・わたらせ」用のわ01形3両が廃車、売却された。2017年度の時点でわ99 5010・わ99 5080の2両が現存している[5]。
秩父鉄道
秩父鉄道へは、2000年にJR東日本から「パレオエクスプレス」用としてオハ12形2両、スハフ12形2両の計4両が譲渡された。譲渡直後はダークグリーンに塗装変更し、2012年に現在の赤茶色に変更している。そのほかに部品取り用としてオハ12 363が譲渡されている。番号の新旧対照は、次のとおりである[5]。
- オハ12 32 → オハ12-112
- オハ12 34 → オハ12-111
- スハフ12 149 → スハフ12-101
- スハフ12 152 → スハフ12-102
若桜鉄道
若桜鉄道へは、2011年にJR四国からオロ12形2両、スロフ12形2両の計4両が譲渡された。いずれも鉄道車両としては未入籍である[5]。
- スロフ12 3
- もっとも傷みが激しかった車両。青色の本塗装をすべて剥がした後、錆止め下塗り剤を塗り、パテ付け、研磨、プラサフ塗装、本塗装(青色→白)の順で塗装された[30]。
- オロ12 9・スロフ12 6
- スロフ12 3よりは傷みの程度は浅かったため、錆のある部分の塗装のみが剥がされた上でスロフ12 3と同じ塗装が施された[30]。
- オロ12 6
- 2011年7月7日隼駅で留置され[29]、「ムーンライトはやぶさ」というライダーハウスとして使用されている。
東武鉄道
譲渡の時点で車籍はない[5]。
- オロ12 5・10
- 2016年、14系とともにJR四国から譲渡[16]された。また、東武鉄道への譲渡前に該当2両の試運転が行われている[31]。2017年8月10日に運行開始が予定される東武での列車名は「大樹」(たいじゅ)に決定し、形式名も変更しないが現在も運用されず14系500番台とともに南栗橋車両管区に留置状態が続いており[32]、今後の用途は不明である[33][34][35]。
大井川鐵道
大井川鐵道へは、旧来から保有している旧型客車の運用負荷分散のために2018年にJR西日本からSLやまぐち号で使用されていたレトロ客車5両が譲渡された。営業運転開始時期は未定[24][25]。
タイ国鉄
1997年に、JR西日本が廃車とした28両がタイ国鉄に譲渡された[36]。タイの鉄道は1 m軌間であるため、導入に当たって台車の改造を行っている。当初は冷房列車として使用されたが、発電用機関の不調により冷房の使用は停止され、扇風機が取り付けられて在来車と混結して使用されているほか、3列リクライニングシートおよび車いす対応の両開き扉と昇降用リフトを備えた改造車が2013年11月ごろからバンコク・チェンマイ間の第1列車と第2列車にエアコン付き二等座席車として1両連結されている。
譲渡車の番号は、次のとおりである。
- オハ12形 - 50・218・245・252・1001・1004・1005・1011・1016
- スハフ12形 - 4・38・39・45・106・141・146・1009・1010・1011・1012
- オハフ13形 - 36・54・65・1002・1005・1006・1008・1009
フィリピン国鉄
1999年と2001年にJR東日本で26両が、2002年にJR九州で10両が廃車とした分がフィリピン国鉄に譲渡された[17][37]。同鉄道の軌間は日本と同じ1,067 mmであるために台車の改造は行われず、冷房使用の長距離列車として使用されていたが2012年に廃車となった。外観的には、塗装が変更されたほか、投石による破損防止や無賃乗車の防止のため、窓に金網が取り付けられていた。
譲渡車の番号は次のとおりである [要出典]。
- オハ12形 - 124・125・231・232・233・234・278・279・325・326・360・361・362・365・370・372・373・374・801
- スハフ12形 - 110・111・114・116・118・153・159
保存車
- スロフ12 822、オロ12 841 - 群馬県安中市「碓氷峠鉄道文化むら」
- スロフ12 827、スロフ12 828 - 群馬県桐生市「昆虫のやかた三凱堂」(利用)
- オロ12 854 - 群馬県安中市飲食店(利用)
脚注
注釈
- ^ 10系以前の客車は普通車についてはその多くがボックスシート製造。一方で定員重視で製造された鋼体化改造車である60系の普通車以外は長距離優等列車への使用を想定して製造され、優等列車への使用は程度の良い車両の使用が優先され、後継車の置換えにつれて捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた。なお、国鉄の現場では「一般形客車」「在来型客車」と便宜的に呼称していたが、明確な意味で採用された区分ではない。
- ^ 10系客車までの在来型客車は、暖房を使用する時期には、電気機関車やディーゼル機関車により牽引される場合に牽引機関車が限定される問題があった。暖房用蒸気を供給するボイラー(蒸気発生装置)付旅客用機関車で牽引するか、別にボイラーを搭載した暖房車を連結する必要があり、電気暖房の場合は暖房電源供給設備 (EG) のある機関車が必要だった。
- ^ もっとも、後述するように後々12系のバラ転用にあたって機関車の電気暖房装置からサービス電源を受けることになったのは皮肉である。
- ^ これは14系がシステム上寝台車と座席車が同一の系列に属していたため、運用面で有利だったこともある。
- ^ 20系は既に110 km/h運転可能だったが、鋳鉄制輪子で可能としたことから、高速域で高いブレーキシリンダ圧力を必要とするため、機関車が編成増圧ブレーキ制御のできる電磁ブレーキ制御機構と、元空気だめ管引き通しを持つ必要があった。
- ^ 仙台鉄道管理局所属の一部の43系客車には1970年ごろに「12系緊急対策工事」「12系恒久対策工事」を施した車両があるが、具体的な工事内容については記録がないため不明。
- ^ 昭和45年度第1次債務負担分。
- ^ のちに、これまでに製造された12系にも同様の対策が施された。
- ^ 重量記号が1ランク下がっているのは、定員0のため。定員80人分=計算上4t積車重量が軽くなる。
- ^ 静岡鉄道管理局に同名の和式列車が存在したが、両者に関係はない。
出典
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- ^ JTBパブリッシング『幻の国鉄車両』p132
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2005年2月号、1990年7月号[要ページ番号]
- ^ ““SLばんえつ物語”にオヤ12 1が連結される|鉄道ニュース|2013年11月25日掲載|鉄道ファン・railf.jp”. 鉄道ファン・railf.jp. 2020年10月5日閲覧。
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- ^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.50 - 51。
- ^ 鉄道ファン2017年12月号,解説・12系客車 〜その略歴と現況〜、pp.51 - 52。
- ^ “第61回研究発表大会セッションID: A6-01 サイエンストレインエキスポ号と転用のデザイン”. 日本デザイン学会 (2014年7月4日). doi:10.11247/jssd.61.0_30. 2017年8月30日閲覧。
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参考文献
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- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1990年7月号 No.530 特集 12・14系座席客車
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2005年2月号 No.757 特集 12・14系座席客車
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