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{{by|2010年}}は開幕当初こそ外野の守備固めでの出場が多かったが、[[一塁手]]の[[髙橋信二]]の故障離脱に伴い[[右翼手]]の[[稲葉篤紀]]が一塁手を務めることが増えたため後半戦からは右翼手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場した。 |
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{{by|2011年}}は初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]]権を行使して退団した[[森本稀哲]]に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に[[田中賢介]]が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて[[規定打席]]に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振([[中村剛也]]と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。 |
{{by|2011年}}は初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]]権を行使して退団した[[森本稀哲]]に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に[[田中賢介]]が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて[[規定打席]]に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振([[中村剛也]]と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。 |
2021年1月11日 (月) 03:43時点における版
読売ジャイアンツ #2 | |
---|---|
読売ジャイアンツでの陽岱鋼(2017年) | |
基本情報 | |
国籍 | 中華民国(台湾) |
出身地 | 台東県台東市 |
生年月日 | 1987年1月17日(37歳) |
身長 体重 |
184 cm 89 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手、内野手 |
プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2007年4月20日 |
年俸 |
3億円(2021年)[1] ※2017年から5年契約[2] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | 台湾 |
WBC | 2006年、2013年 |
プレミア12 | 2015年 |
この表について
|
陽 岱鋼 (陽 仲壽) | |
---|---|
各種表記 | |
拼音: |
Yáng Dàigāng (Yáng Zhòngshòu) |
和名表記: |
よう だいかん (よう ちょんそ) |
発音転記: |
ヤン・ダイガン (ヤン・ジョンショウ) |
英語名: |
Yang Dai-Kang (Yang Chung-Shou) |
獲得メダル | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
チャイニーズタイペイ | ||
アジア プロ野球チャンピオンシップ | ||
銅 | 2017 | |
アジア競技大会 | ||
金 | 2006 |
陽 岱鋼(よう だいかん、本名の読み:ヤン・ダイガン、1987年1月17日 - )は、台湾台東県台東市出身のプロ野球選手(外野手、内野手[3])。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
台湾の原住民であるアミ族の出身で、日本国籍を保有しない。ただし、日本国内の高等学校に3年以上在籍していたため、NPBでは日本国籍を持つ選手と同等の扱いを受けている(当該項に詳述)。また、プロ入り当初は「陽 仲壽(よう ちょんそ/ヤン・チョンソ)」名だったが、2009年12月に「陽 岱鋼」に改名した[4](当該節も参照)。
経歴
プロ入り前
小中学校時代は遊撃手としてナショナルチームに所属し、野球留学のために福岡第一高等学校へ入学。高校時代通算39本塁打を記録した[5]。
2005年10月3日の高校生ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスの1巡目で競合し、抽選の結果日本ハムが交渉権を得たが、同会議では一旦は「交渉権獲得球団は福岡ソフトバンク」と発表されてしまい混乱が起こった。兄の陽耀勲と同じソフトバンク入り[注 1]を熱望していたが、日本ハム側の熱烈な交渉と、本人が初めて北海道を訪れてみるなどの経緯もあって、最終的に日本ハム入りを決意。台湾人史上最高位の指名(ドラフト1巡目)を受け、台湾では話題となった。入団当初の背番号は24。
日本ハム時代
2006年開幕前の3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。シーズンでは9月27日、前の試合で正遊撃手の金子誠が故障したため初の一軍昇格。シーズン1位確定を賭けた2連戦とあって出番はなく、2006年は一軍出場0試合に終わったが、二軍では新人ながら積極的に起用され、91試合出場、打率.274、チーム最多の9本塁打、5盗塁を記録した。8月にはイースタン・リーグ月間MVPを受賞している。しかし守備面ではリーグ最多となる30失策を犯してしまい、不安が見られた。オフの11月に開催された第16回IBAFインターコンチネンタルカップの台湾代表に選出された。同大会では全試合に出場し、打率.267、2本塁打と大活躍し銅メダルに貢献した。11月から12月にかけて開催されたドーハアジア競技大会の野球台湾代表に選出された。同大会では優勝を果たした。
2007年は春季キャンプは故障で出遅れるも、シーズン序盤から一軍の打線が揮わなかったため、4月19日に首脳陣から「起爆剤に」と期待され一軍昇格。55試合に出場し打率は.239に終わったが、遊撃手(26試合)、三塁手(21試合)、代打などで起用され、一軍経験を積んだ。二軍では打率.305の好成績を残した。
2008年は二軍で打率.342、8本塁打、7盗塁と更に打率を上げ、最高出塁率・最高長打率のタイトルを獲得。同僚の市川卓と激しい首位打者争いを繰り広げイースタン・リーグ2位の打率を残した。また、シーズン終了後の12月24日には、台湾でモデルやタレントとして活動していた謝宛容と結婚している[注 2][7]。
2009年6月頃、強肩を活かしたい首脳陣の意向により外野手にコンバートされた(登録は内野手のまま)。一軍昇格後、8月21日のソフトバンク戦で打順・守備ともにプロ初となる1番・左翼手で先発出場するも力を発揮しきれず、程なくして二軍落ち。12月に「仲壽」から「岱鋼」に改名したことが球団から発表された。
2010年は開幕当初こそ外野の守備固めでの出場が多かったが、一塁手の髙橋信二の故障離脱に伴い右翼手の稲葉篤紀が一塁手を務めることが増えたため後半戦からは右翼手のレギュラーに定着し、過去最高の109試合に出場した。
2011年は初の開幕一軍および開幕戦先発出場を果たした。シーズン中は、フリーエージェント権を行使して退団した森本稀哲に替わる2番打者を主に務め、6月下旬に田中賢介が骨折した後は1番打者としても出場した。プロ入り初めて規定打席に到達したものの、持ち前の積極性でリーグ最多三振(中村剛也と同数)を喫し、2012年シーズンの課題となった。守備位置は持ち前の俊足と強肩を生かした外野手(ほとんどが右翼手)での出場だった。
2012年は中堅手で前年まで3年連続でゴールデングラブ賞を受賞していた糸井嘉男との間で、「センターの守備力は変わらない。ならば(糸井)嘉男の強肩を生かす布陣の方が良い」との首脳陣の意向で中堅手にコンバートされる[8]。すると、この変更が吉と出て陽の広い守備範囲が生かされ、この年自身初のゴールデングラブ賞に、糸井を凌ぎパ・リーグ外野手部門1位(外野手は毎年3人が選出される)で受賞。また打順は前半から中盤は6番としての出場がメインとなり、前年に続いて田中賢介が怪我で離脱した翌8月30日以降はポストシーズンまで主に1番で起用された。さらにオールスターゲームにもファン投票により初選出され、第1戦(7月20日)に1番・中堅手として先発出場。1回裏に史上2人目となる初打席先頭打者本塁打を打った(後述)。さらに第3戦(7月23日)でも1番・中堅手として先発出場し、先制本塁打を含む3安打4打点の活躍で全パの勝利に貢献してMVPに輝いた。8月8日に帯広で行われたソフトバンク戦7回裏に実兄の陽耀勲と一軍公式戦で初対戦(結果は初球を中前安打)[9]。この兄弟対戦は、兄が先発登板したこの年のクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第1戦でも実現する。シーズン成績は、リーグ唯一となる全試合フルイニング出場を果たし、全て自己最高の打率.287(リーグ7位)、7本塁打、55打点の成績を残す。シーズン終了後には、年俸9,200万円で契約を更改し、背番号は1に変更された。
2013年1月14日に第3回WBC本戦のチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では台湾代表の背番号1を背負い、自国開催で盛り上がる台湾で3月3日のオランダ戦では6回に2ラン本塁打を放つなど、1次ラウンドB組MVPを受賞する働きで2次ラウンド進出に貢献した。
シーズンでは6月12日の阪神戦でフルイニング出場は途絶えたものの、2年連続で全試合出場、更に全試合スタメン出場も達成した。8月22日に中田翔が戦線離脱してからは3番打者として起用され、9月18日の対西武戦ではプロ初の4番打者としても出場した。その他の試合では主に1番打者を務め、本塁打は前年のほぼ倍となる18本・67打点・47盗塁はいずれも自己最多で、93得点で自身初となるリーグ最多得点を記録。47盗塁を記録した盗塁は、自身そして球団史上初となる盗塁王獲得だった。台湾出身選手の打撃タイトル獲得は1994年の大豊泰昭(本塁打・打点)以来19年ぶり。課題とされた三振の多さは変わらなかったが、前年の倍以上となる78四死球を選び出塁率は前年の.337から.367と大幅に改善させた。年俸は倍以上となる2年総額4億円で更改した。
オフの11月に台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」のチャイニーズタイペイ代表に選出された。
2014年は開幕から主に1番を打ったが、6月9日の中日ドラゴンズ戦で本塁突入時に左膝を裂傷し登録を抹消され2011年6月15日から続いていた連続試合出場は442試合でストップした。右肩痛や前述の脚の故障がありながら、7月9日に復帰。復帰後は3番に定着し68試合で打率.310・54打点を挙げるなど打撃は好調を維持。約1か月間戦線を離脱し、19試合の出場が出来なかったにも関わらず、あと7厘で3割となる打率.293(リーグ8位)、あと5本で30本塁打となる25本塁打(リーグ5位)、100打点にあと15点と迫る85打点(リーグ4位)という主要打撃部門で大台に近い成績を残した。またゴールデングラブ賞は史上1位タイとなる3年連続外野手部門1位の得票での受賞を果たした。
2015年は開幕を3番で迎えたが、4月12日に右太ももの張りを訴えて出場選手登録を外れた。5月4日の楽天戦で一塁にヘッドスライディングした際に左手を突いて負傷し「左手舟状骨(しゅうじょうこつ)剥離骨折」と診断され1ヶ月半離脱した[10]。故障が響き、86試合出場、打率.259、7本塁打、36打点、14盗塁と低迷した。オフの9月30日に第1回WBSCプレミア12のチャイニーズタイペイ代表に選出された[11]。
2016年は前年の故障から復調すると、シーズンを通して一軍に帯同。前半戦では、1番打者・3番打者としてスタメンに定着するとともに、打率3割を記録した。右肋骨の亀裂骨折が判明した8月中旬以降は、下位打線に回り、スタメンを外れ途中出場する試合が続くようになる。打撃の調子も徐々に下降線をたどるようになったが、中堅の守備では、骨折箇所の痛みに耐えながら要所で好プレーを披露した。9月21日には、ソフトバンクとの首位攻防戦(福岡ヤフオクドーム)7回表に代打へ起用されると、7回裏から中堅手として引き続き出場。1点リードで迎えた9回裏2死2・3塁で江川智晃が放った大飛球をフェンス際で好捕するなど、2度にわたるビッグプレーでサヨナラ負けのピンチを救うとともに、チームを4年振りのリーグ優勝を大きく手繰り寄せた[12]。レギュラーシーズンの一軍公式戦全体では、大台の3割には届かなかったものの自己最高に並びリーグ8位の打率.293を記録。本塁打も2年ぶりの2桁本塁打となる14本を記録。一方で盗塁はレギュラー定着後最少の5個に終わった。中堅の守備では、2年ぶり4度目のゴールデングラブ賞を獲得する一方で、UZRが-10.0にとどまるなど守備力に評価が分かれた。ポストシーズンでは、ソフトバンクとのクライマックスシリーズ ファイナルステージから不振。ステージ突破を経て臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズでは、10月26日の第3戦(札幌ドーム)以降スタメンを外れて、代打・守備要員に回った。この年のシーズン中に国内フリーエージェント(FA)権を取得し、日本ハム球団では、水面下で陽との残留交渉を進めたが、年俸や若手選手主体のチーム構想などをめぐって陽と折り合いが付かなかった。陽自身は、日本シリーズ終了後の11月7日に国内FA権の行使を表明。この表明によって、日本ハムからの退団が事実上決まった[13]。11月10日付で、NPBから国内FA宣言選手として公示[14]。オリックス、楽天、読売ジャイアンツ(巨人)の3球団が獲得に乗り出した。
巨人時代
2016年12月14日に、巨人が陽の入団で合意に達したことを正式に発表した。背番号は2(巨人では背番号1は王貞治の永久欠番)。契約期間は5年で、期間中の年俸総額は推定15億円[15]。12月19日に開かれた入団記者会見には、日本国内の報道陣に加えて、陽の故郷である台湾のメディア7社から12名の報道関係者が出席した。そのため、台湾語を話せる通訳が会見に同席したほか、会見の生中継動画が球団公式のFacebook公式アカウントなどを通じて世界中に配信された[16]。10年間で打率3割を超えたことのない陽に対してこの巨額の年俸総額は、台湾でのビジネス(台湾マネー)の収益性を加味したものと週刊ポスト2017年1月13・20日号で報じられている[17]。
2017年の第4回WBCは移籍1年目でシーズンに集中したいという理由で辞退した[18]。レギュラーシーズンでは下半身のコンディション不良で開幕一軍に間に合わなかった。6月6日の西武戦から一軍昇格し、8月は1番打者として好調で打線を引っ張る働きを見せたが、9月になると不振に陥り打率を下げていき、結果としてこのシーズンは87試合出場、打率.264、ホームランも9本にとどまった。オフの10月11日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップのチャイニーズタイペイ代表に選出された[19]。
2018年は開幕から1番中堅手として出場していたが、4月3日の中日戦(ナゴヤドーム)の1打席目に左手に死球を受け、左手甲の骨折と診断された[20]。この怪我により2ヶ月以上を棒に振り、復帰したあともレギュラー定着とはいかず、87試合出場で打率.245、10本塁打、37打点と前年同様不振に終わった。それでも原辰徳からの信頼は厚く、原の監督就任会見では長野久義[注 3]、坂本勇人とともに「中心、模範になってほしい」と名前を挙げられた。陽本人は「今年はこんな数字で終わってしまった。頑張るしかないです」と振り返った[21]。9月17日の中日戦(東京ドーム)では通算100号本塁打を放ち、「自分はホームランバッターじゃないので、100本塁打は褒めてあげたい」とコメントした[22]。
2019年は丸佳浩の加入や亀井善行の好調ぶりもあり、スタメン出場は左投手の時に限られ、丸加入の影響での慣れ親しんだ中堅手ではなく右翼手で出場する機会も増えた。代打の切り札である阿部慎之助と共に右の代打として、代打打率.394を記録した。7月に腰の張りで一時登録を外れた以外は一軍に帯同したため移籍3年目で出場試合は初めて100を超えたものの、本塁打・打点は移籍後最少にとどまった[23]。第2回WBSCプレミア12には選出されなかった[24]。
選手としての特徴
打撃
日本ハム時代の2013年は中堅方向への本塁打が多かったが、陽自身は逆方向を意識している旨を述べている[25]。巨人時代にチームメイトだった長野久義のように、規定打席に到達した年は、「打率.280、10本塁打、50打点」前後あるいは、それ以上の成績を残している。そのため、他の選手の調子などに応じて、複数の打者を任されることが多い。
三振が多く[26]、2011年のレギュラー定着以後、規定打席に到達したシーズンは、三振が全て100を超え、BB/Kのキャリアハイは2013年の「0.49」となっている(2018年シーズン終了時点)。また、日本ハム時代は「規定打席に到達した上での打率3割」に到達した経験がなかったため、巨人移籍直後の自主トレ(2017年1月)の際には、自身の課題として「3割を打たないといけない。打ったことがないので、打者として早く壁をクリアしたい」という趣旨のコメントを残している[26]。
守備
日本ハム時代の2013年に400イニング以上出場した中堅手としてリーグトップのUZR13.3[27]を記録した守備は超一流と評され[28]、4度のゴールデングラブ賞を受賞している(2012年 - 2014年、2016年)。
日本ハムで一軍のレギュラー外野手に定着した時期には、一軍監督の栗山英樹から、守備力に全幅の信頼と期待を寄せられていた。栗山によれば、「岱鋼の守備力はセンターとしては、今、日本で一番でしょう。守備範囲が広いことに加え、打球への飛び出しが素晴らしく速い。(糸井)嘉男も速いけど、岱鋼の方が、もう半歩、反応が速いような気がします」という[29]。
人物
人物像
ヒーローインタビューなどにてファンへ向けて発する「サンキューで〜す!」を決め台詞としている[32](お笑いタレント・藤森慎吾風の口調で)。
松井稼頭央とは年に1度は食事する仲[33]。日本ハム時代の2015年1月には、ロサンゼルスで合同自主トレーニングに臨んだ[34][35]。
日本ハム時代の2011年に打席への登場曲に起用し始めたリンキン・パーク『Numb』[36]は、日本ハムで自身の前に背番号1を付けていたSHINJO(新庄剛志)の在籍時の登場曲でもある。日本ハム時代の2012年6月16・17日に行われた「選手プロデュースデー」の試合では、両日限定で各選手それぞれ公募によって選ばれた登場曲が流され、陽の曲として新庄が日本ハム時代の3年間起用して定番だったドクター・ドレー『The Next Episode』がファンにより選出される。また同曲を2016年のクライマックスシリーズでは正式な登場曲として起用している。
理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして、毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票で選出している企画「ファイターズスタイル」の2007年度・初代モデルに選ばれた。[37][38]
登録名の読み方・家族
「陽」という姓の読み方は台湾では「ヤン (YANG) 」であるが、登録名では日本風の読みの「よう (YOH) 」でプロ入り前に既に呼ばれ慣れていることを理由に、姓のみが日本風の「よう ちょんそ(陽 仲壽、本来は『ヤン・チョンソ』)」、改名後は姓名共に日本風の「よう だいかん(陽 岱鋼、本来は『ヤン・ダイガン』)」としている。
長兄の陽耀勲[39]、次兄の陽品華(改名前は「陽耀華」〈読み方:よう ようか〉、元長崎セインツ・愛媛マンダリンパイレーツ内野手)[40]、叔父の陽介仁[39]、従弟の張奕[41]もプロ野球入りしており、介仁を除く3人には日本の球団への在籍経験がある。日本球界では、耀勲と張奕が台湾風、耀華(改名前に在籍)が日本風の読み方で、本名を登録名に使用。耀勲がソフトバンクに在籍していた時期には、パ・リーグの一軍公式戦や2012年のクライマックスシリーズで、岱鋼と対戦したこともある。さらに、バスケットボール女子チャイニーズタイペイ代表選手の陽詩慧は実妹に当たる[39]。なお、はとこ以上の遠戚には台湾球界でプロ入りした陽森や陽建福などもいる。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007 | 日本ハム | 55 | 116 | 109 | 12 | 26 | 8 | 2 | 0 | 38 | 10 | 3 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 1 | 30 | 0 | .239 | .259 | .349 | .608 |
2008 | 44 | 123 | 111 | 7 | 16 | 0 | 1 | 2 | 24 | 4 | 1 | 0 | 4 | 1 | 6 | 0 | 1 | 31 | 3 | .144 | .193 | .216 | .409 | |
2009 | 15 | 13 | 11 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | .182 | .250 | .182 | .432 | |
2010 | 109 | 281 | 253 | 35 | 62 | 12 | 3 | 2 | 86 | 31 | 8 | 1 | 10 | 2 | 12 | 0 | 4 | 70 | 4 | .245 | .288 | .340 | .628 | |
2011 | 141 | 603 | 537 | 66 | 147 | 23 | 4 | 6 | 196 | 36 | 19 | 2 | 38 | 1 | 22 | 0 | 5 | 134 | 5 | .274 | .308 | .365 | .673 | |
2012 | 144 | 599 | 533 | 71 | 153 | 28 | 5 | 7 | 212 | 55 | 17 | 6 | 18 | 5 | 37 | 1 | 6 | 123 | 10 | .287 | .337 | .398 | .735 | |
2013 | 144 | 658 | 574 | 93 | 162 | 27 | 2 | 18 | 247 | 67 | 47 | 10 | 4 | 2 | 69 | 2 | 9 | 142 | 9 | .282 | .367 | .430 | .797 | |
2014 | 125 | 540 | 471 | 77 | 138 | 18 | 1 | 25 | 233 | 85 | 20 | 6 | 9 | 3 | 45 | 0 | 12 | 108 | 10 | .293 | .367 | .495 | .862 | |
2015 | 86 | 381 | 352 | 47 | 91 | 10 | 2 | 7 | 126 | 36 | 14 | 2 | 2 | 2 | 21 | 1 | 4 | 93 | 4 | .259 | .306 | .358 | .664 | |
2016 | 130 | 555 | 495 | 66 | 145 | 24 | 1 | 14 | 213 | 61 | 5 | 6 | 7 | 1 | 42 | 1 | 10 | 121 | 10 | .293 | .359 | .430 | .790 | |
2017 | 巨人 | 87 | 381 | 330 | 46 | 87 | 18 | 1 | 9 | 134 | 33 | 4 | 2 | 2 | 1 | 41 | 0 | 7 | 80 | 6 | .264 | .356 | .406 | .762 |
2018 | 87 | 276 | 253 | 24 | 62 | 12 | 2 | 10 | 108 | 37 | 2 | 2 | 3 | 1 | 17 | 1 | 2 | 72 | 7 | .245 | .297 | .427 | .724 | |
2019 | 110 | 231 | 208 | 28 | 57 | 8 | 1 | 4 | 79 | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 22 | 0 | 1 | 66 | 9 | .274 | .346 | .380 | .726 | |
2020 | 38 | 77 | 63 | 12 | 15 | 1 | 0 | 1 | 19 | 6 | 1 | 0 | 0 | 2 | 9 | 1 | 3 | 21 | 1 | .238 | .351 | .302 | .652 | |
NPB:14年 | 1315 | 4834 | 4300 | 586 | 1163 | 189 | 25 | 105 | 1717 | 482 | 141 | 40 | 102 | 21 | 346 | 7 | 65 | 1094 | 78 | .270 | .333 | .399 | .732 |
- 2020年度シーズン終了時[42]
- 各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2007 | 日本ハム | - | 26 | 8 | 51 | 3 | 4 | .952 | 21 | 19 | 28 | 3 | 4 | .940 | - | ||||||||||
2008 | - | 17 | 11 | 27 | 3 | 3 | .927 | 25 | 24 | 47 | 6 | 11 | .922 | - | |||||||||||
2009 | - | - | - | 10 | 3 | 0 | 2 | 0 | .600 | ||||||||||||||||
2010 | - | - | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 96 | 127 | 3 | 1 | 0 | .992 | |||||||||||
2011 | - | - | - | 139 | 252 | 7 | 0 | 3 | 1.000 | ||||||||||||||||
2012 | - | - | - | 144 | 322 | 4 | 3 | 1 | .991 | ||||||||||||||||
2013 | - | - | - | 144 | 326 | 5 | 2 | 1 | .994 | ||||||||||||||||
2014 | - | - | - | 119 | 266 | 5 | 1 | 1 | .996 | ||||||||||||||||
2015 | - | - | - | 84 | 165 | 1 | 2 | 1 | .988 | ||||||||||||||||
2016 | - | - | - | 117 | 214 | 5 | 2 | 2 | .991 | ||||||||||||||||
2017 | 巨人 | - | - | - | 87 | 168 | 0 | 2 | 0 | .988 | |||||||||||||||
2018 | - | - | - | 73 | 113 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||
2019 | - | - | - | 93 | 99 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | ||||||||||||||||
2020 | 11 | 41 | 3 | 0 | 4 | 1.000 | - | - | 31 | 20 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||
通算 | 11 | 41 | 3 | 0 | 4 | 1.000 | 43 | 19 | 78 | 6 | 7 | .942 | 49 | 43 | 76 | 9 | 15 | .930 | 1137 | 2073 | 37 | 15 | 10 | .993 |
タイトル
- 盗塁王:1回 (2013年)
表彰
- NPB
- ゴールデングラブ賞:4回 (外野手部門:2012年 - 2014年、2016年)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2014年度第10回)
- 札幌ドームMVP:2回 (野球部門:2013年、2014年)
- オールスターゲームMVP:1回 (2012年第3戦)
- オールスターゲーム敢闘選手賞:3回 (2012年第1戦、2014年第1戦、2014年第2戦)
- オールスターゲームBe a driver.賞:1回 (2014年)
- 台湾(チャイニーズタイペイ)代表
記録
- 初記録
- 初出場・初先発出場:2007年4月20日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(東京ドーム)、7番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、2回裏に神内靖の前に空振り三振
- 初安打:2007年4月25日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(札幌ドーム)、3回裏に久保康友から右翼線二塁打
- 初打点:2007年4月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(フルキャストスタジアム宮城)、2回表に青山浩二から左前適時打
- 初盗塁:同上、2回表(投手:青山浩二、捕手:嶋基宏)
- 初本塁打:2008年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に成瀬善久から左越ソロ
- 初満塁本塁打:2013年4月4日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(QVCマリンフィールド)、6回表に荻野忠寛から左越満塁
- 節目の記録
- 1000試合出場:2017年6月13日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(東京ドーム)、1番・中堅手で先発出場 ※史上484人目
- 1000本安打:2017年8月16日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)、3回表に原樹理から左翼線適時打 ※史上288人目[44]
- 100本塁打:2018年9月17日、対中日ドラゴンズ25回戦(東京ドーム)、8回裏に祖父江大輔から中越ソロ ※史上288人目
- その他の記録
- 連続試合猛打賞:4 (2013年6月29日 - 7月3日) ※日本ハム球団タイ記録
- 3年連続ゴールデングラブ賞外野手部門・得票数1位での受賞 ※史上3人目
- 連続試合初回先頭打者本塁打:2 (2017年8月3日・4日) ※巨人球団史上5人目(6回目)[45][注 4]
- オールスターゲーム
背番号
- 24 (2006年 - 2012年)
- 15 (2006年WBC)
- 1 (2013年 - 2016年)
- 2 (2017年 - )
登録名
- 陽 仲壽 (よう ちょんそ、2006年 - 2009年)
- 陽 岱鋼 (よう だいかん、2010年 - )
登場曲
太字は2020年の起用曲
- スパイス・ガールズ『Wannabe』(2006年 - 2010年)
- Linkin Park & Jay Z『Numb / Encore』(2011年 - 2018年途中、2019年 - ) ※#人物を参照
- Bon Jovi『イッツ・マイ・ライフ』 (2011年、2014年)
- 森雄二とサザンクロス『好きですサッポロ』(2011年途中 - 同年終了)
- 2NE1『GO AWAY』(2012年以前 - 2013年)
- BIGBANG『ハレルヤ』(2012年、2014年) ※2014年はLive ver.
- Dr. Dre『The Next Episode feat. Snoop Dogg』(2012年6月16・17日、2016年) ※#人物を参照
- G-DRAGON (from BIGBANG)『ピタカゲ (CROOKED) -JPN-』(2014年)
- 平井大『For the future』(2013年 - 2014年)
- Usher『Scream』(2013年 - 2014年)
- ウェザーガールズ『恋のラブ♥サンシャイン』(2013年6月25日)
- Nelly『Just A Dream』(2014年 - 2015年)
- A.F.R.O『Fighter』(2014年4月 - 同年終了) ※歌詞に名前が入ったオリジナル曲
- 平井大『Slow & Easy』(2015年 - 2019年4月)
- Shakira『Try Everything』(2016年)
- FIRE BALL『BIRDMAN』(2016年)
- 平井大『Life is Beautiful』(2016年)
- 美空ひばり『愛燦燦』(2017年9月9日) ※1打席目
- 石川さゆり『津軽海峡冬景色』(2017年9月10日) ※1・2打席目
- Luis Fonsi, Daddy Yankee『Despacito ft. Justin Bieber』(2018年 - 2019年4月)
- James Blunt『Stay The Night』(2018年)
- 蕭敬騰 (Jam Hsiao)『Princess 2.0』(2018年 - 2019年4月)
- Nelly, P. Diddy & Murphy Lee『Shake Ya Tailfeather』(2019年5月 - )
- Earth, Wind&Fire『September』(2019年9月27日)
- Nelly『Dilemma ft. Kelly Rowland』(2020年7月 - )
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
- 2006 IBAFインターコンチネンタルカップ チャイニーズタイペイ代表
- 2006年アジア競技大会野球チャイニーズタイペイ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・チャイニーズタイペイ代表
- 2015 WBSCプレミア12 チャイニーズタイペイ代表
- 2017 アジア プロ野球チャンピオンシップ チャイニーズタイペイ代表
関連情報
出演
CM
- 台湾
PV
脚注
注釈
- ^ 会議の時点ではソフトバンクの選手ではなかったが、翌2006年からソフトバンクでプレーすることがほぼ決定していた。
- ^ 陽の家族は台湾で生活しながら、プロ野球シーズン中に陽の応援でたびたび来日しているという[6]。
- ^ 丸佳浩を巨人が獲得したことによる人的補償として、広島東洋カープに移籍してしまった。
- ^ チームは同年7月30日より6試合連続3本塁打以上というNPB新記録を達成し、自身はその期間に、前述の2試合連続初回先頭打者弾などチーム最多となる5本塁打を記録(全てがその試合におけるチーム3本目までであり、NPB新記録が決まる6試合目の3本目を打ったのは自身)。[46]
- ^ 1968年第1戦のアルト・ロペス(東京オリオンズ)以来。なお、初打席本塁打は2007年第1戦の森野将彦(中日ドラゴンズ)に次ぐ史上15人目。初回先頭打者本塁打は2001年第3戦の高橋由伸(読売ジャイアンツ)に次ぐ史上8人目。[47]
出典
- ^ “巨人 - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “陽岱鋼が巨人入り FA選手動向/19日現在”. 日刊スポーツ (2016年12月19日). 2018年11月23日閲覧。
- ^ “北海道日本ハムファイターズ 選択選手一覧 | 2005年 新人選手選択会議(ドラフト会議)”. NPB.jp 日本野球機構 2020年12月3日閲覧。
- ^ “陽選手が改名”. 北海道日本ハムファイターズ (2009年12月4日). 2016年9月29日閲覧。
- ^ a b 日本ハムの陽が俳優デビューへ.nikkansports.com.2016年11月7日閲覧。
- ^ ハム陽のろけた“幸せ”猛打賞nikkansports.com、2012年4月26日、2016年10月12日閲覧。
- ^ “ハム陽が結婚、元タレント25歳台湾人と”. 日刊スポーツ. (2010年2月11日) 2017年5月8日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL. “【球界ここだけの話(849)】悲願達成!? 糸井が阪神で“奪い返した”モノとは”. SANSPO.COM. 2020年4月24日閲覧。
- ^ ついに実現!! 陽岱鋼と陽耀勲の兄弟対決 2012.08.08 F-HYouTube・パ・リーグチャンネル
- ^ “陽岱鋼 左手骨折で抹消 実戦復帰まで1カ月半見込み” (2015年5月6日). 2015年12月9日閲覧。
- ^ 2015第一屆世界12強棒球錦標賽 中華隊28人名單正式公布 中華民國棒球協會官方網站 (2015年9月30日) 2015年10月9日閲覧
- ^ “日本ハム陽、肋骨痛みに耐えスーパーキャッチ連発”. 日刊スポーツ (2016年9月21日). 2016年11月15日閲覧。
- ^ “日本ハム・陽岱鋼、FA行使で退団へ「11年間、感謝しかない」”. サンケイスポーツ (2016年11月7日). 2016年11月7日閲覧。
- ^ “2016年度フリーエージェント宣言選手”. 日本野球機構 (2016年11月10日). 2016年11月15日閲覧。
- ^ “巨人入り陽岱鋼が会見「チームの力になりたい」”. 日刊スポーツ (2016年12月19日). 2017年1月12日閲覧。
- ^ “巨人陽岱鋼の入団会見に台湾報道陣も7社12人集結”. 日刊スポーツ (2016年12月19日). 2017年1月12日閲覧。
- ^ “巨人・陽岱鋼の15億円契約 台湾ファン増えるため安い投資”. NEWSポストセブン (2017年1月6日). 2018年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月26日閲覧。
- ^ “【巨人】陽岱鋼、WBC辞退…台湾メディア報じる”. スポーツ報知 (2017年1月25日). 2017年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月11日閲覧。
- ^ 洪一中總教練領軍 亞冠賽25人名單出爐 中華職棒大聯盟全球資訊網 The Official Site of CPBL (2017年10月11日) 2017年10月22日閲覧
- ^ “巨人・陽岱鋼は左手甲骨折 中日戦1回に死球で交代”. スポーツニッポン (2018年4月3日). 2018年4月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。
- ^ “【巨人】陽岱鋼、18年最終戦で原監督にアピール「しっかりと準備していきたい」”. スポーツ報知 (2018年11月1日). 2019年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月2日閲覧。
- ^ “巨人・陽岱鋼、代打で100号”. SANSPO.COM(サンスポ) (2018年9月18日). 2020年4月24日閲覧。
- ^ “移籍後最多の110試合に出場も…巨人・陽岱鋼の1年を振り返る(ベースボールキング)”. Yahoo!ニュース. 2020年4月24日閲覧。
- ^ “「プレミア12」台湾代表28選手発表 NPBからハム王柏融ら4選手、巨人陽岱鋼は外れる”. Full-count (2019年10月1日). 2019年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月9日閲覧。
- ^ 「陽岱鋼選手に独占インタビュー!!」高校野球ドットコム(2014年1月28日) 2018年1月8日閲覧
- ^ a b “巨人打線の“異分子”陽岱鋼 5度のシーズンすべてで100三振”. 夕刊フジ. 2017年1月15日閲覧。
- ^ 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、221頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8。
- ^ 『2014プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、95頁頁。ISBN 978-4-905411-17-8。
- ^ “二宮清純レポート ダルのこと、大谷翔平のことを語りつくす 陽岱鋼「なぜ日ハムはいいチームなのか」”. 現代ビジネス[講談社] (2013年5月4日). 2013年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。
- ^ “日本ハム、陽仲寿内野手の交渉権獲得 - 第87回全国高校野球選手権大会”. 朝日新聞 (2005年10月4日). 2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。
- ^ “巨人・陽岱鋼、数々の逆境と反骨精神 「勝負しないと成長につながらない」”. スポーツナビ (2018年10月6日). 2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。
- ^ 「中田!稲葉!陽!12年ぶり3連発「サンキュ~でぇ~す!」」Sponichi annex 2015年1月5日閲覧。
- ^ 「稼頭央 40歳来季は外野一本!“年下”陽岱鋼に弟子入りへ」Sponichi annex 2015年1月5日閲覧。
- ^ 「日ハム・陽、米ロスで松井稼と合同自主トレ」中央社フォーカス台湾 2015年1月5日閲覧。
- ^ 「合同自主トレ 。」松井美緒オフィシャルブログ 2015年1月5日閲覧。
- ^ 選手テーマ曲読売巨人軍公式サイト、2020年9月29日閲覧。
- ^ 日本ハムのおもしろ“髪ラツ”企画 若手選手がヘアデザインのモデルに 今年はダレ?.ZAKZAK.2017年7月3日閲覧。
- ^ ファイターズスタイル.カットハウスしばた.2017年7月3日閲覧。
- ^ a b c “【陽岱鋼爆家醜】陽介仁、陽詩慧、陽耀勳全都回應了!”. MM Vue (2017年3月22日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ “中職/陽岱鋼鼓勵「苦練不遺憾」 陽耀華測試拚職棒”. ET運動雲 ETtoday東森新聞雲 (2014年6月9日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ “オリックス育成ドラ1張奕と仮契約 陽岱鋼のいとこ - 野球”. 日刊スポーツ (2016年11月16日). 2017年5月9日閲覧。
- ^ “個人年度別成績 【陽岱鋼 (読売ジャイアンツ)】”. NPB.jp 日本野球機構. 2017年5月1日閲覧。
- ^ “2019年度 読売ジャイアンツ 個人守備成績(セントラル・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2019年10月11日閲覧。
- ^ “巨人陽岱鋼が1000安打達成、つば九郎から花束 - 野球”. 日刊スポーツ (2017年8月16日). 2017年8月16日閲覧。
- ^ “【巨人】陽岱鋼、2試合連続初回先頭打者アーチで先制…チーム5人目6度目”. スポーツ報知 (2017年8月4日). 2017年8月5日閲覧。
- ^ “V字回復のきっかけか 巨人がNPB新記録6戦連続3本塁打以上”. Full-count (2017年8月6日). 2017年8月16日閲覧。
- ^ 陽「びっくり」先頭初打席弾 - 日刊スポーツ 2012年7月21日
- ^ “日本ハムの陽、台湾飲料大手のイメージキャラに” (日本語). フォーカス台湾 (中央通訊社). (2013年5月9日) 2016年11月10日閲覧。
- ^ “陽岱鋼 野生象の保護訴え 動物愛護団体キャンペーン動画出演 | プロ野球 | 野球のすべてが楽しめる野球情報サイト「BASEBALL GATE」新登場!”. BASEBALL GATE. 2019年8月17日閲覧。
- ^ 富士通將軍台灣 最新消息(2016年12月20日) 2017年2月28日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 陽岱鋼 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB
- The Baseball Cube ※2007年の成績、 The Baseball Cube ※2008年 - 2018年の成績
- 陽岱鋼 (陽岱鋼-DAIKAN-YOH-313426215406828) - Facebook
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