「民主党 (日本 1947-1950)」の版間の差分
Loup and Law (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし タグ: 取り消し |
|||
11行目: | 11行目: | ||
|解散年月日 = [[1950年]][[4月28日]] |
|解散年月日 = [[1950年]][[4月28日]] |
||
|解散理由 = 党内対立の激化<ref name="hyakka">[https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A-174573#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2 百科事典マイペディア] [[コトバンク]]. 2018年11月23日閲覧。</ref><br/>分裂<ref name="digi">[https://kotobank.jp/word/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A-182034#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 デジタル大辞泉] [[コトバンク]]. 2018年11月23日閲覧。</ref> |
|解散理由 = 党内対立の激化<ref name="hyakka">[https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A-174573#E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.E3.83.9E.E3.82.A4.E3.83.9A.E3.83.87.E3.82.A3.E3.82.A2 百科事典マイペディア] [[コトバンク]]. 2018年11月23日閲覧。</ref><br/>分裂<ref name="digi">[https://kotobank.jp/word/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A-182034#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 デジタル大辞泉] [[コトバンク]]. 2018年11月23日閲覧。</ref> |
||
|後継政党 = [[民主自由党 (日本)|民主自由党]]<ref name="hyakka"/><br/>(のち[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]<ref name="digi"/>)<br/>[[国民民主党 (日本 1950 |
|後継政党 = [[民主自由党 (日本)|民主自由党]]<ref name="hyakka"/><br/>(のち[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]<ref name="digi"/>)<br/>[[国民民主党 (日本 1950)|国民民主党]]<ref name="hyakka"/><ref name="digi"/> |
||
|郵便番号 = |
|郵便番号 = |
||
|本部所在地 = |
|本部所在地 = |
||
29行目: | 29行目: | ||
結党直後から前進歩党総裁[[幣原喜重郎]]を中心とする党内右派と、日本自由党から入党した芦田均を中心とする党内左派との対立があり、同年末には芦田に総裁を降ろされる形となった幣原喜重郎(名誉総裁)が[[田中角栄]]・[[原健三郎]]らとともに[[同志クラブ]]を結成した。翌[[1948年]]1月には[[小平久雄]]・[[中山マサ]]ら残留した中堅・若手の党内右派議員が太陽会と名乗るグループを結成し、その一部は太陽会の顧問的な存在であった[[田中万逸]]・[[斉藤隆夫]]らとともに芦田の[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名]]に反対して同志クラブと合同して[[同志クラブ|民主クラブ]]を結成した。 |
結党直後から前進歩党総裁[[幣原喜重郎]]を中心とする党内右派と、日本自由党から入党した芦田均を中心とする党内左派との対立があり、同年末には芦田に総裁を降ろされる形となった幣原喜重郎(名誉総裁)が[[田中角栄]]・[[原健三郎]]らとともに[[同志クラブ]]を結成した。翌[[1948年]]1月には[[小平久雄]]・[[中山マサ]]ら残留した中堅・若手の党内右派議員が太陽会と名乗るグループを結成し、その一部は太陽会の顧問的な存在であった[[田中万逸]]・[[斉藤隆夫]]らとともに芦田の[[内閣総理大臣指名選挙|首班指名]]に反対して同志クラブと合同して[[同志クラブ|民主クラブ]]を結成した。 |
||
更に10月には[[昭和電工事件]]による芦田[[内閣総辞職]]により下野、[[1949年]]2月に[[野党]]派と[[連立政権|連立]]派とに分裂した。連立派は[[1950年]]2月に民主自由党に入党して[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]を結成。民主党野党派は[[1950年]]4月に[[国民協同党]]と合同して[[国民民主党 (日本 1950 |
更に10月には[[昭和電工事件]]による芦田[[内閣総辞職]]により下野、[[1949年]]2月に[[野党]]派と[[連立政権|連立]]派とに分裂した。連立派は[[1950年]]2月に民主自由党に入党して[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]]を結成。民主党野党派は[[1950年]]4月に[[国民協同党]]と合同して[[国民民主党 (日本 1950)|国民民主党]]を結成して解散した。 |
||
== 役職 == |
== 役職 == |
||
=== 歴代執行部役員表 === |
=== 歴代執行部役員表 === |
2020年12月26日 (土) 10:31時点における版
民主党 日本民主党 | |
---|---|
初代総裁・芦田均 | |
成立年月日 | 1947年3月31日[1] |
前身政党 |
日本進歩党[1][2] 日本自由党(脱党者)[1] 国民協同党(脱党者)[1] |
解散年月日 | 1950年4月28日 |
解散理由 |
党内対立の激化[2] 分裂[3] |
後継政党 |
民主自由党[2] (のち自由党[3]) 国民民主党[2][3] |
政治的思想・立場 |
保守[4] 修正資本主義[4] 官僚主義打破[4] |
民主党(みんしゅとう)は、かつて存在した日本の政党。1947年に日本進歩党を中心に結成された保守政党である[4]。正式名称は日本民主党[4]。
1954年から一年間だけ存在し、自由党と合同して自民党の前身となった日本民主党とは別の政党と考えられている。
沿革
公職追放令で幹部を多数失った日本進歩党と吉田茂総裁に不満を抱く日本自由党の芦田均系が合同して結成され、芦田を初代総裁とした。片山内閣で日本社会党、国民協同党と共に連立与党に、芦田内閣で連立首班となった。
結党直後から前進歩党総裁幣原喜重郎を中心とする党内右派と、日本自由党から入党した芦田均を中心とする党内左派との対立があり、同年末には芦田に総裁を降ろされる形となった幣原喜重郎(名誉総裁)が田中角栄・原健三郎らとともに同志クラブを結成した。翌1948年1月には小平久雄・中山マサら残留した中堅・若手の党内右派議員が太陽会と名乗るグループを結成し、その一部は太陽会の顧問的な存在であった田中万逸・斉藤隆夫らとともに芦田の首班指名に反対して同志クラブと合同して民主クラブを結成した。
更に10月には昭和電工事件による芦田内閣総辞職により下野、1949年2月に野党派と連立派とに分裂した。連立派は1950年2月に民主自由党に入党して自由党を結成。民主党野党派は1950年4月に国民協同党と合同して国民民主党を結成して解散した。
役職
歴代執行部役員表
民主党→民主党連立派
総裁 | 幹事長 | 総務会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
---|---|---|---|---|
石黒武重 | 矢野庄太郎 | |||
地崎宇三郎 | 〃 | |||
芦田均 | 〃 | |||
芦田均 | 竹田儀一 | 北村徳太郎 | ||
〃 | 〃 | 〃 | 木檜三四郎 | |
〃 | 〃 | 〃 | 鬼丸義斉 | |
〃 | 保利茂 | 佐々木鹿蔵 | 小坂善太郎 | 〃 |
〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 桜内辰郎 |
犬養健 | 〃 | 稲垣平太郎 | 千葉三郎 | 〃 |
〃 | 〃 | 〃 |
総裁代行委員 | 幹事長 | 総務会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
---|---|---|---|---|
苫米地義三 鬼丸義斉 北村徳太郎 桜内辰郎 |
北村徳太郎 | 鬼丸義斉 | 千葉三郎 | 桜内辰郎 |
最高委員長 | 最高委員 | 幹事長 | 総務委員会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
---|---|---|---|---|---|
苫米地義三 | 北村徳太郎 | 鬼丸義斉 | 千葉三郎 | 桜内辰郎 | |
苫米地義三 鬼丸義斉 北村徳太郎 桜内辰郎 |
千葉三郎 | 木内四郎 | 荒木万寿夫 | 中井光次 | |
苫米地義三 | 北村徳太郎 鬼丸義斉 桜内辰郎 楢橋渡 |
〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
〃 | 〃 〃 〃 〃 |
北村徳太郎 | 〃 | 千葉三郎 | 林屋亀次郎 |
〃 | 〃 〃 〃 〃 |
千葉三郎 | 〃 | 荒木万寿夫 | 〃 |
〃 | 〃 〃 〃 〃 |
〃 | 〃 | 〃 | 中井光次 |
(参考文献:村川一郎・石上泰州『日本の政党』1995年3月、丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9,衆議院・参議院『議会制度百年史 院内会派編貴族院・参議院の部』1990年11月、大蔵省印刷局、ISBN 4-17-164809-2)
歴代総裁一覧
代 | 総裁 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
1 | 芦田均 | 1947年(昭和22年)5月18日 - 1948年(昭和23年)12月16日 | |
2 | 犬養健※ | 1948年(昭和23年)12月16日 - 1950年(昭和25年)2月10日 |
※1949年(昭和24年)2月16日 - 1950年(昭和25年)2月10日は連立派総裁。
代 | 総裁代行委員 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
- | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)2月16日 - 1949年(昭和23年)3月9日 | |
鬼丸義斎 | |||
北村徳太郎 | |||
櫻内辰郎 |
代 | 最高委員 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
- | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)3月9日 - 1949年(昭和23年)3月16日 | |
- | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)3月16日 - 1949年(昭和23年)3月17日 | |
鬼丸義斎 | |||
北村徳太郎 | |||
櫻内辰郎 | |||
楢橋渡 |
代 | 最高委員長 | 在任期間 | |
---|---|---|---|
1 | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)3月17日 - 1950年(昭和24年)4月28日 |
(参考文献:村川一郎・石上泰州『日本の政党』1995年3月、丸善株式会社・丸善ライブラリー、ISBN 4-621-05153-9)
党勢の推移
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結党時) | 134/- | 466 | |
第23回総選挙 | 124/350 | 466 | 追加公認+8 |
第24回総選挙 | 69/208 | 466 | 追加公認+1 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結党時) | -/- | - | 2 | 参議院は存在せず |
第1回通常選挙 | 30/54 | - | 250 | 第1回のみ全員選挙、追加公認+11 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。