「凌雲会」の版間の差分
m Bot作業依頼: 国民民主党関連のカテゴリ等の改名に伴う修正依頼 (国民民主党 (日本 2018)) - log |
m Bot作業依頼: 国民民主党関連のカテゴリ等の改名に伴う修正依頼 (国民民主党 (日本 2020)) - log |
||
74行目: | 74行目: | ||
[[2018年]]5月7日の[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]結成後、国民民主党所属議員ら約10人<ref group="注">前原、古川、渡辺、泉、山井、玉木、城井、稲富、斉木、源馬、関を指すと見られる。</ref>による勢力となり、8月6日から7日にかけて[[兵庫県]]で合宿を開いた際には国民民主党、無所属の議員6人<ref group="注">客員参加の安住、田嶋、小川、黒岩を含む。</ref>が参加したことが報じられた<ref>{{cite news|title=旧民進の国会議員、相次ぎ合宿…低下する存在感|newspaper=読売新聞|date=2018-08-12|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180812-00050080-yom-pol|archiveurl=http://archive.is/jRLMW|archivedate=2018-08-13}}</ref>。 |
[[2018年]]5月7日の[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]結成後、国民民主党所属議員ら約10人<ref group="注">前原、古川、渡辺、泉、山井、玉木、城井、稲富、斉木、源馬、関を指すと見られる。</ref>による勢力となり、8月6日から7日にかけて[[兵庫県]]で合宿を開いた際には国民民主党、無所属の議員6人<ref group="注">客員参加の安住、田嶋、小川、黒岩を含む。</ref>が参加したことが報じられた<ref>{{cite news|title=旧民進の国会議員、相次ぎ合宿…低下する存在感|newspaper=読売新聞|date=2018-08-12|url=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180812-00050080-yom-pol|archiveurl=http://archive.is/jRLMW|archivedate=2018-08-13}}</ref>。 |
||
[[2020年]]9月には国民民主党と立憲民主党が合流し、[[立憲民主党 (日本 2020)|新・立憲民主党]]が結成されたが、前原はこれに加わらず、合流不参加者による[[国民民主党 (日本 2020 |
[[2020年]]9月には国民民主党と立憲民主党が合流し、[[立憲民主党 (日本 2020)|新・立憲民主党]]が結成されたが、前原はこれに加わらず、合流不参加者による[[国民民主党 (日本 2020)|新・国民民主党]]の結成に参加。しかし、友好議員として参加していた源馬を含む旧・国民民主党所属の凌雲会会員の7名全員が立憲民主党に参加したため、政策グループとしては消滅し、凌雲会古株の議員の提案で懇親会に形を変えて継続することになった<ref name="jiji20200831">{{Cite news |title=前原氏の政策グループ存亡の危機 メンバー全員が立民に参加 「原点戻る」懇親会形式に |newspaper=京都新聞|date=2020-09-21|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/360867|accessdate=2020-09-23}}</ref>。2020年12月時点で約10人が凌雲会に集まっているとされるが、うち国民民主党の議員は前原のみで、他の多くは立憲民主党に所属していると報じられている<ref>{{Cite news |title=国民民主代表選 異例の「推薦人不要」で候補乱立? 告示日に前原氏は…|newspaper=毎日新聞|date=2020-12-09|url=https://mainichi.jp/articles/20201209/k00/00m/010/121000c|accessdate=2020-12-10}}</ref>。 |
||
== 所属国会議員一覧 == |
== 所属国会議員一覧 == |
||
104行目: | 104行目: | ||
!colspan="4"|衆議院議員 |
!colspan="4"|衆議院議員 |
||
|- |
|- |
||
!colspan="4"|[[国民民主党 (日本 2020 |
!colspan="4"|[[国民民主党 (日本 2020)|国民民主党]](1名) |
||
|- |
|- |
||
| '''[[前原誠司]]'''<ref name="seijishikin2010" /><ref group="注">2017年11月に民進党離党。その後は無所属(所属会派は「[[希望の党 (日本 2017-2018)|希望の党]]・無所属クラブ」)を経て希望の党に合流。2018年5月に参加。</ref><ref group="注" name="グループ解散時の参加者">前原グループが政策グループとしての解散時の参加者。</ref><br />(9回、[[京都府第2区|京都2区]]) |
| '''[[前原誠司]]'''<ref name="seijishikin2010" /><ref group="注">2017年11月に民進党離党。その後は無所属(所属会派は「[[希望の党 (日本 2017-2018)|希望の党]]・無所属クラブ」)を経て希望の党に合流。2018年5月に参加。</ref><ref group="注" name="グループ解散時の参加者">前原グループが政策グループとしての解散時の参加者。</ref><br />(9回、[[京都府第2区|京都2区]]) |
||
138行目: | 138行目: | ||
* [[黒岩宇洋]]<ref>{{cite news|title=衆院選2017:県内の民進系出馬予定者、「希望」敬遠する動き 実績ある野党共闘得策 /新潟|newspaper=毎日新聞|date=2017-10-03|url=https://mainichi.jp/articles/20171003/ddl/k15/010/063000c|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref group="注">希望の党のグループに移行した後は客員として参加。2017年12月に民進党離党。[[無所属]](所属会派は「[[無所属の会 (2017-2019)|無所属の会]]」→「立憲民主党・無所属フォーラム」)を経て2019年9月に入党。その後は掛け持ちしている[[国のかたち研究会|菅G]]・[[花斉会|野田G]]に所属。</ref>(3回・参院1回、[[新潟県第3区|新潟3区]]) |
* [[黒岩宇洋]]<ref>{{cite news|title=衆院選2017:県内の民進系出馬予定者、「希望」敬遠する動き 実績ある野党共闘得策 /新潟|newspaper=毎日新聞|date=2017-10-03|url=https://mainichi.jp/articles/20171003/ddl/k15/010/063000c|archiveurl=|archivedate=}}</ref><ref group="注">希望の党のグループに移行した後は客員として参加。2017年12月に民進党離党。[[無所属]](所属会派は「[[無所属の会 (2017-2019)|無所属の会]]」→「立憲民主党・無所属フォーラム」)を経て2019年9月に入党。その後は掛け持ちしている[[国のかたち研究会|菅G]]・[[花斉会|野田G]]に所属。</ref>(3回・参院1回、[[新潟県第3区|新潟3区]]) |
||
; [[国民民主党 (日本 2020 |
; [[国民民主党 (日本 2020)|国民民主党]] |
||
* [[古川元久]]<ref group="注"name=Hope>2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。2020年8月に分党と同時に不参加を表明してグループを離脱</ref>(8回、[[愛知県第2区|愛知2区]]) |
* [[古川元久]]<ref group="注"name=Hope>2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。2020年8月に分党と同時に不参加を表明してグループを離脱</ref>(8回、[[愛知県第2区|愛知2区]]) |
||
* [[玉木雄一郎]]<ref name="Hope" group="注" /><ref>{{cite news|title=交わらない枝野氏と玉木氏 自民「1強」の責任、野党にも|newspaper=|date=2018-04-18|url=http://mainichi.jp/articles/20190417/k00/00m/010/186000c|archiveurl=|archivedate=}}</ref>(4回、[[香川県第1区|香川1区]]) |
* [[玉木雄一郎]]<ref name="Hope" group="注" /><ref>{{cite news|title=交わらない枝野氏と玉木氏 自民「1強」の責任、野党にも|newspaper=|date=2018-04-18|url=http://mainichi.jp/articles/20190417/k00/00m/010/186000c|archiveurl=|archivedate=}}</ref>(4回、[[香川県第1区|香川1区]]) |
2020年12月25日 (金) 09:54時点における版
略称 | 前原グループ |
---|---|
前身 | 高朋会 |
設立 | 2002年 |
種類 | 国民民主党のグループ |
会員数 | 国民民主党所属国会議員 |
会長 | 前原誠司 |
関連組織 |
松下政経塾 日本新党 新党さきがけ 旧民主党 民主党 民進党 希望の党 |
凌雲会(りょううんかい)は、旧国民民主党のグループ。通称、前原グループ。
概要
2002年9月の民主党代表選挙を契機に、民主党内の保守系[1]のグループとして発足した。
対外政策では、党を代表する外交・安保の論客である前原に代表されるように、全体的には日米安保を基軸とした現実主義的な外交路線を取る議員が多い。前原・枝野はしばしば外交論さらには人権論の観点から中国脅威論を唱え、枝野はチベット問題を考える議員連盟を通じたチベット問題への熱心な取り組みで知られる。また、枝野・仙谷は日本・台湾友好議員懇談会を通じた台湾民進党との人脈が深く、こうした様々な要因から、中国・韓国といったアジアの国々との関係強化を標榜しつつも、対中関係ではいわゆる親中派とは一線を画している。内政に関しては、経済政策では第三の道ないし新自由主義的な改革派が多く、市場規律を重視して旧来型の公共事業の選択と集中や、自由貿易を見据えた農業政策の見直しなどを主張する。
メンバーはマスコミを含めたビジネス界や官界・松下政経塾出身の議員が中心であり、旧民進党全体では一大勢力をなす労組系の議員がほとんどいないのも特徴である。
政治手法としては、花斉会(野田グループ)同様、与党と政策で勝負する対案路線[1]を掲げている。反面、政局や選挙を軽視しているとか、経験が浅くワキが甘いと批判されることも多い。小沢グループとの対立は、こうした政治手法の差に由来する部分もある。前原代表体制での党運営、特にいわゆる堀江メール問題ではこの弱点が露呈することとなった。
なお、2002年9月の代表選で支援し、凌雲会結成のきっかけとなった野田は凌雲会に参加せず、自らのグループを主宰している。また、政策的には野田グループのほうが保守色が強く、必ずしも主張が共通しているとはいえない。しかし、経済政策や外交路線で共通する部分もあり、また経歴や年齢など民主党内の立場や、いわゆる政治と金の問題や国会における対案路線など政治手法の近さから、2005年9月の代表選で凌雲会の前原誠司を一致して支援するなど、政策集団として共同歩調を取ることが多かった。このため両グループをまとめて前原・野田グループあるいは前原・枝野・野田グループと呼ぶこともあった。
沿革
凌雲会は、2002年に、仙谷由人・前原誠司・枝野幸男らを中心に結成された。その前身は旧新党さきがけメンバーが1999年ごろに結成した「高朋会」である。この高朋会メンバーと旧民政党出身の羽田孜らが結成した政権戦略研究会(羽田グループ)に参加していた若手議員たちとが、2002年9月の代表選で若手議員のなかから代表候補を擁立するための議員団として結束したことが、のちに、凌雲会発足の契機となった。
2002年9月の代表選では、この議員団の中から名乗りを上げた前原と野田佳彦との調整の末、野田を代表候補として支援した。野田は落選したものの、若手議員のグループとして大きく存在感をアピールすることとなった。その後議員団は「凌雲会」として正式に旗揚げする。日本新党や新党さきがけ出身の議員を中心に活動し、選挙で当選してきた新人議員を取り込むことで成長していった。
2004年5月の代表選では岡田克也を無投票当選させ、2005年9月の代表選では前原を菅直人に競り勝たせる原動力となった。
2006年4月に前原が代表を辞任し、続く代表選で小沢一郎が代表に就任すると、鳩山由紀夫、菅直人を取り込む形でいわゆるトロイカ体制が民主党の基盤となり、途中2009年5月の代表選で代表が鳩山に変わったが、基本的には「小鳩体制」のまま8月の第45回衆議院議員総選挙と政権交代に至った。この間、小沢が党内における影響を強めていく中、反小沢的な議員が多い凌雲会はやや微妙な立場にあったが[2][3]、対立が表面化することはなかった。鳩山内閣では仙谷が行政刷新担当大臣、前原が国土交通大臣に就任し[4]、挙党一致的な体制の一角を担った。
しかし、2010年6月に鳩山が内閣総理大臣を辞任し、小沢も幹事長を離れると、続く代表選では6月3日に凌雲会として菅支持を決定し[5][6][7]、菅の当選後の党役員人事では枝野が幹事長、内閣人事では仙谷が内閣官房長官と要職につき[8][9][10]、国のかたち研究会(菅グループ)、花斉会(野田グループ)とともに主流派となった。9月の代表選でも凌雲会として菅再選を支持し[11][12][注 1]、代表選後の内閣改造では前原が外務大臣に就任した。2011年1月の党役員人事では仙谷が代表代行、内閣改造では枝野が内閣官房長官に就任するなど、菅政権を支える重要な役割を担っている[15]。
また、2010年から2011年にかけての「脱小沢」路線を主導し[9][16][17][18][19]、陸山会事件をめぐる小沢の処遇などについて小沢グループと激しく対立した[20][21]。この間、これまで不定期で開いていた会合を毎週木曜日に定例化し、所属議員への結束を促した[22]。所属議員が一堂に会してカレーライスを食べながら幹事長室や国会対策室からの伝達事項を報告するという自民党のようなスタイルは、派閥化の象徴として話題を呼んだ[23]。
2011年8月の代表選では、当初、野田が出馬した上で前原・野田両グループが一致して支援する方向で調整が進められていたが、凌雲会を野田支持でまとめきれず、結局、前原・野田ともに出馬することとなった[24]。前原は在日外国人献金問題などが響き[25][26]、1回目の投票で3位に終わったが、海江田万里対野田の決選投票では野田グループと2位・3位連合が組まれ、これに4位の鹿野道彦の陣営(後の素交会)も加わったため、野田が代表に選出された[27][28][29]。
2011年11月、仙谷由人に代わって前原誠司が会長に就くことになった[30][31]。また、役職を明確化することになり、顧問に仙谷由人[30][31][32][33]、副会長に小宮山洋子と古川元久と渡辺周[32]、幹事長に枝野幸男[30][31][32][33]、幹事長代理に小川勝也[30][32]、事務局長に福山哲郎[32][33]、といった者を充てる人事を決定した。また、政治団体としての代表者は仙谷由人として届け出ていたが[31][32]、これを期に前原誠司に変更することになった[31]。
2012年9月の代表選では前原や仙谷が野田再選支持を表明した一方[34]、凌雲会としては9月6日の会合で自主投票の方向となったが[35][36]、細野豪志の不出馬表明を受け[37]、9月11日の会合で野田再選支持を決定した[37][38][39]。10月には細野が袂を分かつ形で基本政策研究会(細野グループ)を立ち上げた[40]。12月の第46回衆議院議員総選挙では前会長の仙谷由人と副会長の小宮山洋子が落選し、解散時の党および内閣の主軸を野田グループとともに担っていたこともあって発言力を大幅に失った。続く代表選では一方の陣営への肩入れが党再生の妨げになることを懸念し、凌雲会としては自主投票とした一方、前原は現場で話を聞いてから投票先を決めるとした[41]。
2013年10月、細野グループが定例会の日時を凌雲会と同じ木曜日の昼に変更し、両グループを掛け持ちするメンバーにくさびを打つ構えを見せた[42][43][44]。2014年4月には細野グループは自誓会(細野派)に改組して派閥化し、凌雲会と完全に決別した[45]。12月の第47回衆議院議員総選挙後に行われた2015年1月の代表選では凌雲会は岡田支持派と細野支持派に割れ、更なる求心力の低下もささやかれた[46][47]。
2016年3月に民進党が結成され、7月の第24回参議院議員通常選挙後に行われた9月の代表選では会長の前原自ら出馬したが[48]、幹事長として岡田執行部の路線を支える枝野が蓮舫支持を表明するなど[49]、凌雲会内には異論もあり[50]、結果は野田グループから出馬した蓮舫の当選に終わった。
2017年9月の代表選では、凌雲会から会長の前原と幹事長の枝野の2人が立候補を表明し[51][52][53]、凌雲会としては8月7日の会合で前原支持を決定した[54][55][56](なお、事務局長の福山は枝野支持に回った[57])。前原当選後の党役員人事では、山尾志桜里が幹事長に内定したが[58][59][60]、手腕への疑問や政治経験の不足から党内で異論があり[61][62][63][64]、近く週刊誌のスキャンダル報道があることも判明したため[65][66]、代表代行への横滑りも断念されて無役となった[67][68][69]。9月7日発売の週刊文春で既婚男性との交際疑惑が報じられたことを受け、山尾は同日夜に離党届を提出し、翌日受理された[70]。
10月の第48回衆議院議員総選挙では、9月28日の民進党両院議員総会で希望の党への事実上の合流方針が了承されたことを受けてメンバーも希望の党から出馬することとなったが、9月29日に希望の党代表の小池百合子東京都知事が「リベラル派は排除する」と明言したことを受け、10月2日に枝野が「立憲民主党」の結成を表明し、福山がこれに参加した[57]。選挙後は民進党から希望の党への合流者約10人による勢力となり、前原の下、泉健太希望の党国会対策委員長を若手の筆頭に据えて活動を継続していることが報じられた[71]。
2018年5月7日の国民民主党結成後、国民民主党所属議員ら約10人[注 2]による勢力となり、8月6日から7日にかけて兵庫県で合宿を開いた際には国民民主党、無所属の議員6人[注 3]が参加したことが報じられた[72]。
2020年9月には国民民主党と立憲民主党が合流し、新・立憲民主党が結成されたが、前原はこれに加わらず、合流不参加者による新・国民民主党の結成に参加。しかし、友好議員として参加していた源馬を含む旧・国民民主党所属の凌雲会会員の7名全員が立憲民主党に参加したため、政策グループとしては消滅し、凌雲会古株の議員の提案で懇親会に形を変えて継続することになった[73]。2020年12月時点で約10人が凌雲会に集まっているとされるが、うち国民民主党の議員は前原のみで、他の多くは立憲民主党に所属していると報じられている[74]。
所属国会議員一覧
歴代役員
会長 | 幹事長 | 会計責任 | 就任年月 |
---|---|---|---|
仙谷由人 | 2002年 | ||
前原誠司 | 枝野幸男 | 小川淳也 | 2011年11月 |
(空席) | 城井崇 | 2017年10月 |
衆議院議員 | |||
---|---|---|---|
国民民主党(1名) | |||
前原誠司[75][注 4][注 5] (9回、京都2区) |
|||
立憲民主党(6名) | |||
渡辺周[76][注 6] (8回、静岡6区) |
城井崇[注 7] (3回、比例九州・福岡10区) |
稲富修二[注 8] (2回、比例九州・福岡2区) |
斉木武志[注 9] (2回、比例北陸信越・福井2区) |
源馬謙太郎[注 10] (1回、比例東海・静岡8区) |
関健一郎[73][注 11] (1回、比例東海・愛知15区) |
過去の在籍者
「†」は物故者。
衆議院議員
- 枝野幸男[75][77][注 12](9回、埼玉5区)
- 安住淳[注 13](8回、宮城5区)
- 泉健太[78][注 14][73](7回、京都3区)
- 大島敦[注 15](7回、埼玉6区)
- 山井和則[79][注 16](7回、比例近畿・京都6区)
- 菊田真紀子[80][注 17](6回、新潟4区)
- 田嶋要[注 18](6回、比例南関東・千葉1区)
- 津村啓介[注 19](6回、比例中国・岡山2区)
- 大串博志[注 20](5回、佐賀2区)
- 岡本充功[注 21](5回、比例東海・愛知9区)
- 小川淳也[注 22](5回、比例四国・香川1区)
- 黒岩宇洋[81][注 23](3回・参院1回、新潟3区)
- 無所属・その他
参議院議員
- 立憲民主党
元衆議院議員
- 民進党
- 希望の党
- 立憲民主党
- 田島一成[注 33](4回、比例近畿・滋賀2区)
- 長安豊[注 34](3回、大阪19区)
- 神山洋介[注 35](2回、比例南関東・神奈川17区)
- 井戸正枝[注 36](1回、兵庫1区)
- 三村和也[85](1回、比例南関東)
- 無所属
- 北神圭朗[注 37](3回、比例近畿・京都4区)
- 高井美穂(3回、徳島2区)
- 宮崎岳志[注 38](2回、比例北関東・群馬1区)
- 小原舞(1回、比例近畿・京都5区)
- 仁木博文[注 39](1回、比例四国・徳島3区)
元参議院議員
- 民進党
- 立憲民主党
- 日本維新の会
- 無所属
政治資金収支報告書の記載
年 | 本年収入額 | 会費納入者数 | 備考 |
---|---|---|---|
2003年(平成15年) | 317万0104円 | 20人 | [84] |
2004年(平成16年) | 655万4036円 | 40人 | [86] |
2005年(平成17年) | 448万0044円 | 38人 | [87] |
2006年(平成18年) | 133万0410円 | 42人 | [88] |
2007年(平成19年) | 324万5796円 | 42人 | [89] |
2008年(平成20年) | 686万4994円 | 40人 | [90] |
2009年(平成21年) | 155万4879円 | 39人 | [91] |
2010年(平成22年) | 858万5000円 | 90人 | [75] |
2011年(平成23年) | 741万円 | 90人 | [92] |
2012年(平成24年) | 640万1149円 | 84人 | [93] |
2013年(平成25年) | 270万1540円 | 29人 | [94] |
2014年(平成26年) | 237万1570円 | 22人 | [95] |
2015年(平成27年) | 299万1772円 | 27人 | [96] |
2016年(平成28年) | 255万5000円 | 261人 | [97] |
2017年(平成29年) | 152万円 | 172人 | [98] |
2018年(平成30年) | 26万円 | 30人 | [99] |
2019年(令和2年) | 11万円 | 15人 | [100] |
脚注
注釈
- ^ 2010年9月の代表選当時、凌雲会の事務局長を務めていた細野豪志は、小沢一郎支持を表明するのに先立って凌雲会に脱会届を提出した[13][14]。
- ^ 前原、古川、渡辺、泉、山井、玉木、城井、稲富、斉木、源馬、関を指すと見られる。
- ^ 客員参加の安住、田嶋、小川、黒岩を含む。
- ^ 2017年11月に民進党離党。その後は無所属(所属会派は「希望の党・無所属クラブ」)を経て希望の党に合流。2018年5月に参加。
- ^ 前原グループが政策グループとしての解散時の参加者。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。兄弟派閥・細野派→旧細野グループからの移籍(移籍元の旧細野グループにも友好議員として準参加しており、階グループに変わった現在も継続中。)。移籍した当初は正会員として所属し、2019年10月に会派内派閥直諫の会の結成と同時に友好議員に転じるが、2020年6月に前原が日本共産党を含めた野党共闘よりも日本維新の会との共同歩調に切り替えたことにより2020年9月に正式に離脱。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。その後は階グループに正会員として復帰。
- ^ 2017年10月に民進党離党。同時に前原グループ離脱後は重複所属していた菅グループに所属。
- ^ 希望の党のグループに移行した後は客員として参加。2018年5月に民進党離党。後に立憲民主党の会派に合流したためグループを離脱。2019年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。2020年9月時点ではすでにグループを離脱していることが報じられた
- ^ グループ離脱後の所属は鹿野グループ→大畠グループ→無派閥。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加。2019年6月に除籍。無所属を経て2020年9月に入党。
- ^ 2017年11月に民進党離党。無所属(所属会派は「無所属の会」→「立憲民主党・無所属フォーラム」)を経て2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加後は客員として参加すると同時に希望の党の所属議員時代に客員として所属していた菅グループに正会員として復帰。後に立憲民主党の会派に合流したため前原グループを離脱し、菅グループの単独所属となる。2020年9月に入党。
- ^ 前原グループ離脱後の所属は細野グループ→細野派→旧細野グループ→階グループ。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て2019年9月に立憲民主党に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加後は客員として参加するが、後に立憲民主党の会派に合流したためグループを離脱。2020年9月に入党。
- ^ 希望の党のグループに移行した後は客員として参加。2017年12月に民進党離党。無所属(所属会派は「無所属の会」→「立憲民主党・無所属フォーラム」)を経て2019年9月に入党。その後は掛け持ちしている菅G・野田Gに所属。
- ^ a b 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に参加。2020年8月に分党と同時に不参加を表明してグループを離脱
- ^ 2017年9月に民進党離党。その後は無所属(所属会派は「立憲民主党・市民クラブ」)を経て立憲民主党に入党するも、2020年3月に離党。7月に国民民主党に入党
- ^ 前原グループ離脱後の所属は細野グループ→細野派。2017年8月に民進党離党。その後の所属は希望の党→無所属(自民党二階派)。
- ^ 前原グループ離脱後の所属は長島グループ[83]。2017年4月に民進党除籍。その後の所属は希望の党→無所属→自由民主党(無派閥→二階派)。
- ^ 前原グループ離脱後の所属は樽床グループ→細野グループ→細野派→旧細野グループ→無派閥。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。
- ^ 2017年10月に民進党離党。
- ^ 2018年5月に民進党離党。
- ^ 前原グループ離脱後の所属は無派閥。2018年5月に参加
- ^ 前原グループ離脱後の所属は細野グループ→細野派。2017年10月に合流。
- ^ 前原グループ離脱後の所属は細野派→旧細野グループ→無派閥。2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て同年10月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月の時点では国民民主党に不参加だったが、無所属を経て2020年4月に国民民主党に入党し、2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。無所属を経て、2020年10月に入党。
- ^ 2017年10月に民進党離党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は無所属。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は無所属。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は無所属。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に参加。2020年9月に入党。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は無所属→日本維新の会。
- ^ 2018年5月に国民民主党に不参加。
- ^ 2013年11月に民主党離党後、2015年・2016年に安倍内閣の文部科学大臣補佐官を歴任した。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。2018年5月に国民民主党に不参加。その後の所属は無所属。
出典
- ^ a b 世界情勢を読む会『面白いほどよくわかる政治のしくみ : 国会、政党、官僚、選挙制度…日本政治のすべてがわかる!』日本文芸社〈学校で教えない教科書〉、2010年、197頁。ISBN 9784537257984。
- ^ “西松建設献金事件:小沢・民主代表、続投強まる 規正法違反、捜査拡大なければ”. 毎日新聞. (2009年3月23日). オリジナルの2009年3月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主党解剖】第2部小沢ショック(4)あらわになる党内亀裂”. (2009年3月26日). オリジナルの2009年3月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主役員人事で冷遇される「非小沢」系 どうなる枝野、小宮山氏ら”. 産経新聞. (2009年10月5日). オリジナルの2009年10月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主党代表選】岡田、前原、野田各氏が菅氏支持表明 樽床氏は代表選出馬の意向”. 産経新聞. (2010年6月3日). オリジナルの2010年6月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “菅氏を岡田氏・前原氏が支持、樽床氏も出馬表明”. 読売新聞. (2010年6月3日). オリジナルの2010年6月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “非小沢氏系、菅氏支持で一致 小沢氏系は独自候補を模索”. 朝日新聞. (2010年6月3日). オリジナルの2010年6月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主幹事長に枝野氏起用方針 蓮舫氏の入閣も浮上”. 朝日新聞. (2010年6月5日). オリジナルの2010年6月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “進む「小沢外し」…「組閣本部」は3日から始動”. 読売新聞. (2010年6月5日). オリジナルの2010年6月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “菅内閣:官邸主導狙う 官房長官に仙谷氏”. 毎日新聞. (2010年6月7日). オリジナルの2010年6月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「小沢氏出馬」で民主二分 菅陣営「まだ起訴の可能性」 盛り上がる「反菅」勢”. 日本経済新聞. (2010年8月21日). オリジナルの2017年3月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “旧民社は「首相支持」へ 議員票互角、菅首相優位に”. 産経新聞. (2010年9月5日). オリジナルの2010年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “細野電撃訪中と対中工作の全貌”. 週刊朝日. (2010年10月7日). オリジナルの2015年9月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ “仙谷氏 枝野氏について「反省さえできぬようでは…」と語る”. NEWSポストセブン. (2010年10月10日). オリジナルの2010年10月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “前原G、衆院選準備を指示 早期解散へ臨戦態勢”. 47NEWS. 共同通信. (2011年2月26日). オリジナルの2011年3月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「脱小沢」か「挙党態勢」か=陣営内に両論、首相両にらみ―民主代表選”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 時事通信. (2010年8月18日). オリジナルの2017年3月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “小沢チルドレンこっちにおいで 首相、ラブレター作戦”. 産経新聞. (2010年8月18日). オリジナルの2010年8月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主代表選:「脱小沢」の旗降ろす”. 毎日新聞. (2010年8月31日). オリジナルの2010年8月31日時点におけるアーカイブ。
- ^ “仙谷氏、雌伏の日々 政局より政策、「ポスト菅」にらむ”. 朝日新聞. (2011年2月4日). オリジナルの2011年2月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “前原氏、代表選出馬否定せず 小沢氏処分を要求”. 47NEWS. 共同通信. (2011年6月5日). オリジナルの2011年6月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “小沢氏、「非前原」へ一本化調整 菅首相、辞任を表明”. 朝日新聞. (2011年8月26日). オリジナルの2011年8月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “菅・前原・野田グループ、勢力争い活発”. 日本経済新聞. (2010年10月24日). オリジナルの2017年8月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党のグループ事情に異変! 我が世の春の「凌雲会」 凋落一途の小沢・鳩山グループ”. 産経新聞. (2010年10月22日). オリジナルの2010年10月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “キーマン小沢、前原とウラで手を組む?京セラ稲盛氏が“接着剤””. 夕刊フジ. (2011年8月23日). オリジナルの2011年9月18日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【激突 民主党代表選】「真の目標は小沢首相」 元気なのは小鳩だけ”. 産経新聞. (2011年8月28日). オリジナルの2011年8月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主代表選:新代表きょう選出 決選投票の行方焦点”. 毎日新聞. (2011年8月29日). オリジナルの2011年8月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【激突】反小沢「2位~5位連合」を模索 前原、野田両陣営「手を組む話はできている」”. 産経新聞. (2011年8月29日). オリジナルの2011年8月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “非小沢勢力結集に成功”. 東京新聞. (2011年8月29日). オリジナルの2011年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “非海江田で結集…岡田氏「描いたシナリオ通り」”. 読売新聞. (2011年8月29日). オリジナルの2011年8月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d “前原氏、グループ会長に就任”. 時事通信. (2011年11月10日)
- ^ a b c d e “前原氏、グループ会長に…党代表選の反省踏まえ”. 読売新聞. (2011年11月10日). オリジナルの2012年1月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e f “前原氏がグループ会長に 凌雲会、仙谷氏は顧問”. 日本経済新聞. (2011年11月10日)
- ^ a b c “ファイル:前原グループ新体制決定”. 毎日新聞. (2011年11月11日)
- ^ “前原政調会長、民主代表選不出馬の意向 細野環境相も 野田首相再選強まる”. 産経新聞. (2012年7月16日). オリジナルの2012年7月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ “細野氏、出馬検討=有志が午後要請―前原グループ自主投票へ・民主代表選”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 時事通信. (2012年9月6日). オリジナルの2017年3月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “細野氏、出馬要請「しっかり受け止める」 民主代表選”. 朝日新聞. (2012年9月6日). オリジナルの2012年9月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “民主代表選、前原グループは首相支持”. 日本経済新聞. (2012年9月11日). オリジナルの2017年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主代表選】前原グループ、首相再選支持を正式決定”. 産経新聞. (2012年9月11日). オリジナルの2012年9月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “前原グループも首相支持=他候補、浸透へ懸命―民主代表選”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 時事通信. (2012年9月11日). オリジナルの2017年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “細野氏、「ポスト野田」にらみ勉強会”. 日本経済新聞. (2012年10月17日). オリジナルの2017年2月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主党代表選、前原グループは自主投票に 「現場で話聞いて決める」と前原氏”. 産経新聞. (2012年12月25日). オリジナルの2012年12月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “細野氏が前原氏に下克上!? グループ会合同時開催で派閥化 師弟関係崩れる”. 産経新聞. (2013年10月21日)
- ^ 和田千才 (2013年10月21日). “細野豪志氏が率いる「基本政策研究会」は、野党再編の布石となるか?”. ハフィントンポスト. オリジナルの2013年10月23日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主、細野・前原グループが議員争奪戦 同時刻に会合”. 日本経済新聞. (2013年10月31日). オリジナルの2013年11月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ “世代交代訴え「過去」批判も…細野氏「党再生が野党再生そのもの」の真意は”. 産経新聞. (2014年12月20日). オリジナルの2014年12月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民主党代表選】「豪志、分かっているんだろうな」…党再建にシフトする細野氏に「兄貴分」前原氏はクギを刺した”. 産経新聞. (2014年12月26日). オリジナルの2014年12月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主代表選、国会議員票は3氏に分散…読売調査”. 読売新聞. (2015年1月11日). オリジナルの2015年1月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党代表選】思惑からみ非主流派候補一本化は後退 前原誠司氏が凌雲会メンバーに出馬伝達”. 産経新聞. (2016年8月26日). オリジナルの2016年8月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党代表選】前原誠司元外相の“登板”予定は?「まだブルペンで投球練習の段階…」 「凌雲会」没落の危機 グループの足場固めすら苦慮”. 産経新聞. (2016年8月11日). オリジナルの2016年8月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進代表選 前原氏が出馬の意向 細野氏は見送り蓮舫氏支持へ”. 産経新聞. (2016年8月10日). オリジナルの2016年8月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党代表選】枝野幸男氏が出馬表明 野党共闘「軸は妥協しない」”. 産経新聞. (2017年7月29日). オリジナルの2017年7月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “<民進党>代表選、保守VSリベラル 前原氏と枝野氏”. 毎日新聞. (2017年8月6日). オリジナルの2017年8月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党代表選】「新党ブーム」で初当選 実は政策もソックリな前原誠司元外相と枝野幸男元官房長官 その相違点は?”. 産経新聞. (2017年8月22日). オリジナルの2017年8月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党代表選】前原誠司元外相が政策発表 「尊厳ある生活保障」訴える 憲法9条改正は封印”. 産経新聞. (2017年8月7日). オリジナルの2017年8月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “代表選、前原氏が議員票で優位 追う枝野氏、情勢流動的”. 共同通信. (2017年8月9日). オリジナルの2017年8月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進党代表選:知名度の地方票か、組織票の国会議員票か”. 毎日新聞. (2017年8月9日). オリジナルの2017年8月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “「民進党分裂」は2年前の「あの時」に始まっていた”. AERA. (2017年10月18日)
- ^ “民進幹事長に山尾志桜里氏 刷新狙うも「ガソリン」問題と諸刃の剣”. 産経新聞. (2017年9月3日). オリジナルの2017年9月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進幹事長に山尾氏 代表代行は枝野、大島氏”. 東京新聞. (2017年9月4日). オリジナルの2017年9月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進幹事長に山尾氏 枝野氏は代表代行に”. 日本経済新聞. (2017年9月4日). オリジナルの2017年9月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進、山尾幹事長起用に見送り論 前原執行部、5日に主要人事決定”. 共同通信. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “前原氏:山尾幹事長を断念…党内反発受け 大島氏起用へ”. 毎日新聞. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党人事】山尾志桜里氏の幹事長登用見送りへ 反発の声に押され…大島敦氏起用で最終調整”. 産経新聞. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “前原氏、「山尾幹事長」撤回を検討 民進党内の反発強く”. 朝日新聞. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【民進党人事】民進党新執行部が発足 「山尾志桜里幹事長」は週刊誌の既婚男性との交際疑惑取材で断念”. 産経新聞. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “山尾氏の幹事長起用、週刊誌取材受け断念 本人は否定”. 朝日新聞. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “<民進・前原新執行部>混乱の中発進 統治能力に疑問”. 毎日新聞. (2017年9月5日). オリジナルの2017年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “前原民進、船出から座礁=党内にしらけた空気”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2017年9月6日). オリジナルの2017年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進党 山尾氏、主要人事外れる 幹事長に大島氏 前原氏、混乱を謝罪”. 東京新聞. (2017年9月6日). オリジナルの2017年9月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民進「影響最小限に」、山尾氏離党で収束図る”. 読売新聞. (2017年9月8日)
- ^ “民進系「異床異夢」…野田G 再結集「接着剤に」/赤松G 「引き抜き」画策”. 読売新聞. (2017年12月8日)
- ^ “旧民進の国会議員、相次ぎ合宿…低下する存在感”. 読売新聞. (2018年8月12日). オリジナルの2018年8月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d “前原氏の政策グループ存亡の危機 メンバー全員が立民に参加 「原点戻る」懇親会形式に”. 京都新聞. (2020年9月21日) 2020年9月23日閲覧。
- ^ “国民民主代表選 異例の「推薦人不要」で候補乱立? 告示日に前原氏は…”. 毎日新聞. (2020年12月9日) 2020年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e "平成22年分政治資金収支報告書の要旨(平成23年11月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 November 2011.
- ^ a b “旧民進 グループで相次ぎ 合宿の季節 結束強化は遠く”. 読売新聞. (2018年8月12日)
- ^ “枝野幸男『シン・ゴジラ』を語る「3.11当時の官僚の頑張りは映画以上」”. ニコニコニュース. (2016年8月29日). オリジナルの2016年8月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「無所属」出馬の前原氏、迷走発言で側近がとばっちり 「最低のトップで部下が不幸」同情殺到”. J-CASTニュース. (2017年9月29日)
- ^ “民進、新執行部が発足 代表代行3人体制に”. 日本経済新聞. (2016年9月21日)
- ^ “衆院選2017:4区 菊田氏、無所属で出馬へ 自民・金子氏と一騎打ちか /新潟”. 毎日新聞. (2017年10月4日)
- ^ “衆院選2017:県内の民進系出馬予定者、「希望」敬遠する動き 実績ある野党共闘得策 /新潟”. 毎日新聞. (2017年10月3日)
- ^ “交わらない枝野氏と玉木氏 自民「1強」の責任、野党にも”. (2018年4月18日)
- ^ “民主・長島氏が前原、野田両グループを退会”. 産経新聞. (2014年3月5日). オリジナルの2015年8月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b "平成15年分政治資金収支報告書の要旨(平成16年9月10日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 10 September 2004.
- ^ [1]
- ^ "平成16年分政治資金収支報告書の要旨(平成17年9月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 September 2005.
- ^ "平成17年分政治資金収支報告書の要旨(平成18年9月8日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 8 September 2006.
- ^ "平成18年分政治資金収支報告書の要旨(平成19年9月14日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 14 September 2007.
- ^ "平成19年分政治資金収支報告書の要旨(平成20年9月12日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 12 September 2008.
- ^ "平成20年分政治資金収支報告書の要旨(平成21年9月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 September 2009.
- ^ "平成21年分政治資金収支報告書の要旨(平成22年11月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 November 2010.
- ^ "平成23年分政治資金収支報告書の要旨(平成24年11月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 November 2012.
- ^ "平成24年分政治資金収支報告書の要旨(平成25年11月29日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 29 November 2013.
- ^ "平成25年分政治資金収支報告書の要旨(平成26年11月28日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 28 November 2014.
- ^ "平成26年分政治資金収支報告書の要旨(平成27年11月27日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 27 November 2015.
- ^ "平成27年分政治資金収支報告書の要旨(平成28年11月25日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 25 November 2016.
- ^ "平成28年分政治資金収支報告書の要旨(平成29年11月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 November 2017.
- ^ "平成29年分政治資金収支報告書の要旨(平成30年11月30日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 30 November 2018.
- ^ "平成30年分政治資金収支報告書の要旨(令和元年11月29日付け官報)" (PDF) (Press release). 総務省. 29 November 2019.
- ^ "政治資金収支報告書 令和2年11月27日公表(令和元年分 定期公表)" (PDF) (Press release). 総務省. 27 November 2020.