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[[1993年]]([[平成]]5年)に自由民主党を離党。3選を目指した[[1995年]](平成7年)4月の選挙では、古巣の自由民主党に対抗馬を擁立されて落選したが、同年7月の[[第17回参議院議員通常選挙]]では、急遽[[新進党]]公認候補として[[福島県選挙区]]から立候補し初当選。後に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]に合流して2期務めた。[[2007年]](平成19年)の参議院選には出馬せず議員を引退。[[金子恵美 (1965年生の政治家)|金子恵美]]が後継となった。[[2019年]]、[[国民民主党 (日本 2018)|国民民主党]]福島県連顧問に就任<ref>[http://www.dp-fukushima.jp/?p=1019 第5回総務会別紙(役員一覧]国民民主党福島県連</ref>。[[2020年]]、[[立憲民主党 (日本 2020)|立憲民主党]]福島県連顧問<ref>[http://www.dp-fukushima.jp/?page=10 立憲民主党福島県総支部連合会役員名簿]</ref>。 |
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== 政策 == |
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2020年12月25日 (金) 08:49時点における版
和田 洋子 わだ ひろこ | |
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生年月日 | 1941年8月8日(83歳) |
出生地 | 福島県河沼郡会津坂下町 |
出身校 | 福島県立会津女子高校(現福島県立葵高等学校) |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) (民主党→) (旧国民民主党→) 立憲民主党 |
選挙区 | 福島県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1995年7月 - 2007年7月 |
和田 洋子(わだ ひろこ、1941年(昭和16年)8月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、福島県議会議員(2期)、参議院地方行政・警察委員長、参議院内閣委員長を歴任。
概要
福島県河沼郡会津坂下町出身。福島県立会津女子高校(現福島県立葵高等学校)卒業。
県議会議員であった夫が急死したことを受けて県議会補欠選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。2期務めた。
1993年(平成5年)に自由民主党を離党。3選を目指した1995年(平成7年)4月の選挙では、古巣の自由民主党に対抗馬を擁立されて落選したが、同年7月の第17回参議院議員通常選挙では、急遽新進党公認候補として福島県選挙区から立候補し初当選。後に民主党に合流して2期務めた。2007年(平成19年)の参議院選には出馬せず議員を引退。金子恵美が後継となった。2019年、国民民主党福島県連顧問に就任[1]。2020年、立憲民主党福島県連顧問[2]。
政策
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。2000年には、和田ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて当時の森総理に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[3]。