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1995年の野球(1995ねんのやきゅう)では、1995年の野球界における動向をまとめる。
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
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|
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月21日(土) | 第1戦 | ヤクルトスワローズ | 5 - 2 | オリックス・ブルーウェーブ | グリーンスタジアム神戸 |
10月22日(日) | 第2戦 | ヤクルトスワローズ | 3 - 2 | オリックス・ブルーウェーブ | |
10月23日(月) | 移動日 | ||||
10月24日(火) | 第3戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 4 - 7 | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 |
10月25日(水) | 第4戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 2 - 1 | ヤクルトスワローズ | |
10月26日(木) | 第5戦 | オリックス・ブルーウェーブ | 1 - 3 | ヤクルトスワローズ | |
優勝:ヤクルトスワローズ(2年ぶり3回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | T.オマリー | ヤクルト | イチロー | オリックス | ||
最優秀新人 | 山内泰幸 | 広島 | 平井正史 | オリックス | ||
首位打者 | A.パウエル | 中日 | .355 | イチロー | オリックス | .342 |
本塁打王 | 江藤智 | 広島 | 39本 | 小久保裕紀 | ダイエー | 28本 |
打点王 | 江藤智 | 広島 | 106点 | イチロー | オリックス | 80点 |
初芝清 | ロッテ | |||||
田中幸雄 | 日本ハム | |||||
最多安打 | 野村謙二郎 | 広島 | 173本 | イチロー | オリックス | 179本 |
盗塁王 | 緒方孝市 | 広島 | 47個 | イチロー | オリックス | 49個 |
最高出塁率 | T.オマリー | ヤクルト | .429 | イチロー | オリックス | .432 |
最優秀防御率 | T.ブロス | ヤクルト | 2.33 | 伊良部秀輝 | ロッテ | 2.53 |
最多勝利 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 18勝 | K.グロス | 日本ハム | 16勝 |
最多奪三振 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 187個 | 伊良部秀輝 | ロッテ | 239個 |
最高勝率 | 石井一久 | ヤクルト | .765 | 平井正史 | オリックス | .750 |
最優秀救援投手 | 佐々木主浩 | 横浜 | 39SP | 平井正史 | オリックス | 42SP |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 斎藤雅樹 | 巨人 | 伊良部秀輝 | ロッテ |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 中嶋聡 | オリックス |
一塁手 | T.オマリー | ヤクルト | J.フランコ | ロッテ |
二塁手 | R.ローズ | 横浜 | 小久保裕紀 | ダイエー |
三塁手 | 江藤智 | 広島 | 初芝清 | ロッテ |
遊撃手 | 野村謙二郎 | 広島 | 田中幸雄 | 日本ハム |
外野手 | A.パウエル | 中日 | イチロー | オリックス |
松井秀喜 | 巨人 | D.ジャクソン | 西武 | |
金本知憲 | 広島 | 佐々木誠 | 西武 | |
指名打者 | T.ニール | オリックス |
高校野球
- 第67回選抜高等学校野球大会優勝:観音寺中央(香川)
- 第77回全国高等学校野球選手権大会優勝:帝京(東東京)
- 第50回国民体育大会高等学校野球競技優勝:PL学園(大阪)
- 第26回明治神宮野球大会優勝:帝京(東京)
大学野球
- 第44回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第26回明治神宮野球大会優勝:明治大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1995年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ - アトランタ・ブレーブス(ナ・リーグ) (4勝2敗) クリーブランド・インディアンス(ア・リーグ)
- ナショナルリーグ東地区優勝:アトランタ・ブレーブス
- ナショナルリーグ中地区優勝:シンシナティ・レッズ
- ナショナルリーグ西地区優勝:ロサンゼルス・ドジャース
- アメリカンリーグ東地区優勝:ボストン・レッドソックス
- アメリカンリーグ中地区優勝:クリーブランド・インディアンス
- アメリカンリーグ西地区優勝:シアトル・マリナーズ
できごと
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1月
- 1月9日 - 近鉄バファローズの野茂英雄が任意引退選手として球団を退団し、メジャーリーグへ挑戦すると表明[1]。
- 1月19日 - ヤクルトは前ロッテのヘンスリー・ミューレンを獲得したと発表[2]。
- 1月22日 - 元プロ野球コミッショナーの下田武三が心不全のため午前6時17分、文京区の病院にて死去[3]。
- 1月25日 - 野球殿堂入りを決める競技者表彰委員会による記者投票の開票が行われ、元南海ホークスの杉浦忠と元早稲田大学野球部監督の石井藤吉郎が選出される[4]。
2月
- 2月13日
- 野茂英雄が米メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースと契約。
- ダイエーはケビン・ミッチェルの獲得とブライアン・トラックスラーの解雇を発表[5]。
3月
4月
- 4月1日 - プロ野球パ・リーグの公式戦が開幕。
- 4月2日 - ダイエーは広島から石貫宏臣を金銭トレードで獲得したと発表[7]。
- 4月5日
- 第67回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、観音寺中央が銚子商を4-0で破り、初優勝。
- 西武は藤井寺球場での対近鉄2回戦に7-0で勝ち、球団通算3000勝を達成[8]。
- 4月7日 - プロ野球セ・リーグの公式戦が開幕[9]。
- 4月8日 - 【MLB】クリーブランド・インディアンズは前ロサンゼルス・ドジャースのオーレル・ハーシュハイザーと契約したと発表[10]。
- 4月13日 - 近鉄のリー・スチーブンスが日生球場での対オリックス3回戦の九回裏に6号本塁打を打ち、パ・リーグタイ記録となる6試合連続本塁打[11]。
- 4月15日 - 巨人の落合博満が東京ドームでの対阪神2回戦の六回裏に2号本塁打を打ち、プロ通算2000本安打を達成。名球会への入会は辞退すると試合後の会見で表明[12]。
- 4月19日 - 巨人の四条稔とオリックスの佐々木明義のトレードが成立したと巨人、オリックスが発表[13]。
- 4月20日 - 西武は横浜の今久留主成幸を金銭トレードで獲得したと発表[14]。
- 4月21日 - オリックスの野田浩司が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ3回戦に先発し9回まで投げ19奪三振を記録し、1試合最多奪三振のプロ野球新記録を達成[15]。
- 4月23日 - 千葉マリンスタジアムでのロッテ対オリックス戦が強風を理由に中止となる[16]。
- 4月25日 - 【MLB】メジャーリーグの公式戦が、ストライキの影響で当初の4月2日予定より約1か月遅れで開幕[17]。
- 4月26日 - 近鉄は東京ドームでの対日本ハム4回戦の一回裏から六回裏までプロ野球タイ記録の6インング連続併殺[18]。
- 4月28日 - プロ野球実行委員会が開かれ、阪神大震災の復興チャリティー試合を7月14日福岡ドームにて行うことを決定[19]。
- 4月30日 - 【MLB】ロサンゼルス・ドジャースは野茂英雄とのマイナー契約を見直し、メジャー契約を結んだと発表。日本人選手として1965年村上雅則以来2人目のメジャーリーガーとなる[20]。
5月
- 5月2日
- 5月12日 - 日本ハムの河野博文が東京ドームでの対ダイエー7回戦に先発し1回を投げ、プロ通算1000投球回を達成[23]。
- 5月17日 - 横浜スタジアムでの横浜対巨人8回戦で巨人はプロ野球タイ記録の1試合6併殺打[24]。
- 5月23日 - 広島の前田智徳が対ヤクルト戦(神宮)の1回表、一塁を駈け抜けた際に右足アキレス腱を断裂。
- 5月26日
6月
- 6月2日
- 中日のオーナーの加藤巳一郎が午前10時50分、急性心不全のため死去[27]。
- 中日ドラゴンズは監督の高木守道が対阪神タイガース7回戦限りでの辞任し、ヘッドコーチの徳武定祐が代理監督に就任すると発表[28]。高木は対阪神7回戦の阪神が六回裏の攻撃の一死満塁の場面で阪神の久慈照嘉の打球を判定した一塁塁審の友寄正人を右手で突き、暴行により退場処分を受けた[29]。
- 【MLB】ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄がドジャー・スタジアムでの対ニューヨーク・メッツ戦に先発し8回0/3、1失点でメジャー初勝利を挙げ、日本人選手がメジャーリーグで勝利投手となったのは1965年サンフランシスコ・ジャイアンツの村上雅則以来30年ぶり史上2人目[30]。
- 6月4日 - 広島の大野豊が東京ドームでの対巨人10回戦に先発し二回裏槙原寛己から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[31]。
- 6月8日 - 近鉄の石井浩郎が西武球場での対西武9回戦に4番・一塁で先発し、362試合連続先発四番打者として出場のプロ野球新記録[32]。
- 6月9日 - 西武はオレステス・デストラーデが家庭の事情を理由に15日のオリックス戦を最後に退団し、帰国すると発表[33]。
- 6月13日 - オリックスの長谷川滋利がグリーンスタジアム神戸での対西武9回戦に先発し5失点で完投し、パ・リーグタイ記録の1試合19被安打[34]。
- 6月20日 - 日本ハムの松浦宏明と横浜の岡本透の交換トレードが成立したと日本ハム、横浜両球団が発表[35]。
- 6月27日 - ナゴヤ球場での中日対ヤクルト10回戦で中日、ヤクルトの両投手陣が共に10与四球を記録し、1試合20四球のセ・リーグタイ記録[36]。
- 6月30日
7月
- 7月5日 - 日本ハムファイターズの西崎幸広が東京ドームでの対西武ライオンズ14回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[39]。
- 7月11日 - 野茂英雄が日本人として初めてMLBオールスターゲームにナショナルリーグの先発投手として出場[40]。
- 7月14日 - 【MLB】ロサンゼルス・ドジャースのラモン・マルティネスがドジャースタジアムでのフロリダ・マーリンズ戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[41]。
- 7月23日
- 7月24日 - 阪神の監督の中村勝広が大阪市福島区の阪神電鉄本社にオーナーの久万俊二郎を訪ね、成績不振を理由に辞任を申し出て了承される。球団は二軍監督の藤田平が監督代行となると発表[45]。
- 7月30日 - 中日は広島市民球場での対広島13回戦で6回まで0-9と9点差を逆転し10-9で勝利。9点差を逆転し勝ち試合となったのは33年ぶり[46]。
8月
- 8月3日 - オリックスのイチローは千葉マリンスタジアムでの対ロッテ16回戦で4打数0安打、無四死球の成績で連続試合出塁の記録が67で止まる[47]。
- 8月6日 - ヤクルトの吉井理人が神宮球場での対広島17回戦に先発し、三回表にセ・リーグタイ記録の1イニング5与四球[48]。
- 8月8日 - 近鉄は監督の鈴木啓示休養とヘッドコーチ兼任打撃コーチの水谷実雄の監督代行就任を発表[49]。
- 8月9日 - オリックスのD・Jがナゴヤ球場での対近鉄16回戦の一回表に11号本塁打を打ち、プロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打[50]。
- 8月10日 - 【MLB】ドジャースタジアムでのロサンゼルス・ドジャース対セントルイス・カージナルス戦の九回裏ドジャースの一死一、三塁の場面でラウル・モンデシーが三振を喫した後審判と口論になり退場を宣告される。ドジャースの監督のトミー・ラソーダも審判と口論となり退場処分に。球場のファンがファンサービスで配布されたサインボールをグランドに投げ入れ、審判団は試合を中断。再開後に再びファンによるボールの投げ入れが続いたため、審判団は没収試合を宣告[51]。
- 8月13日 - 【MLB】元ニューヨーク・ヤンキースのミッキー・マントルが肝臓がんのためテキサス州ダラスの病院にて死去[52]。
- 8月18日 - 日本ハムの西崎幸広が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ19回戦に先発して今季7勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[53]。
- 8月19日 - 巨人は一時帰国中のジャック・ハウエルの退団、任意引退を発表[54]。
- 8月21日 - 第77回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、東東京代表の帝京が石川代表の星稜を3-1で破り、6年ぶり2回目の優勝。
- 8月22日 - 中日の大豊泰昭が西宮球場での対阪神17回戦の六回表に16号本塁打を打ち、プロ通算150号本塁打を達成[55]。
- 8月26日 - オリックスの佐藤義則が藤井寺球場での対近鉄19回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成。40歳での達成は史上最年長[56]。
- 8月30日 - 近鉄の大石大二郎が東京ドームでの対日本ハム22回戦の九回表に二塁盗塁を決め、プロ通算400盗塁を達成[57]。
9月
- 9月8日 - 近鉄は元監督の岡本伊三美のフロント入りを発表[58]。
- 9月9日 - ヤクルトのテリー・ブロスが東京ドームでの対巨人22回戦に先発し、ノーヒットノーランを達成[59]。
- 9月17日 - 日本ハムのロブ・デューシーが対ダイエー戦(東京ドーム)の初回に坊西浩嗣に暴行し退場。前日に続き2試合連続の退場は日本プロ野球初[60]。
- 9月19日 - オリックスが西武球場での対西武23回戦に6-2で勝利し、11年ぶり12度目のパ・リーグ優勝達成。オリックスになってからは初[61]。
- 9月23日 - 横浜の監督の近藤昭仁が球団社長の大堀隆に対し、今季限りでの辞任を申し入れて了承される[62]。
- 9月30日
10月
- 10月1日 - 巨人の原辰徳が球団代表の保科昭彦と監督の長嶋茂雄に対し、今季限りでの現役引退を申し入れて了承される[65]。
- 10月6日
- 10月7日 - プロ野球ジュニア日本選手権が富山市民球場で行われ、イースタン・リーグ優勝の巨人がウエスタン・リーグ優勝の近鉄を1-0で下し、2年ぶり優勝[68]。
- 10月8日
- 10月11日
- 10月12日
- 10月13日
- 10月14日 - 【MLB】ナショナル・リーグの優勝決定戦の第4戦がアトランタで行われ、アトランタ・ブレーブスがシンシナティ・レッズを6-0で下し4連勝でナショナル・リーグ優勝を達成[78]。
- 10月16日 - 横浜はバッテリーコーチの大矢明彦の新監督就任と1軍コーチングスタッフを正式に発表[79]。
- 10月17日 - 千葉ロッテマリーンズは西新宿のロッテ本社にて記者会見し、監督のボビー・バレンタインを解任し、後任にはヘッドコーチの江尻亮が就任すると発表[80]。
- 10月24日 - 沢村賞の選考が都内のホテルで行われ、巨人の斎藤雅樹を選出。斎藤は89年以来2度目の受賞[81]。
- 10月26日 - 日本シリーズの第5戦が神宮球場にて行われ、ヤクルトがオリックスに3対1で勝利し、4勝1敗で2年ぶり3度目の日本一達成。シリーズ打率.529のトーマス・オマリーがシリーズMVPに選ばれる[82]。
- 10月28日
- 10月30日 - 中日の仁村徹・酒井忠晴・山本保司とロッテの前田幸長・平沼定晴・樋口一紀の交換トレードが成立したと中日、ロッテ両球団が発表[86]。
- 10月31日 - 正力松太郎賞の選考が東京都内のホテルで行われ、オリックスのイチローを選出[87]。
11月
- 11月2日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースは前セントルイス・カージナルス監督のジョー・トーリが新監督に就任したことを発表[88]。
- 11月9日 - ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が日本人として初めてナショナルリーグの新人王に選ばれる。
- 11月11日 - 阪神の真弓明信が球団に対し現役引退することを申し入れる[89]。
- 11月16日 - 日本ハムの武田一浩・松田慎司とダイエーの下柳剛・安田秀之のトレードが成立したと日本ハム、ダイエー両球団が発表[90]。
- 11月20日 - ヤクルトの河野亮・柳田聖人とダイエーの田畑一也・佐藤真一のトレードが成立したとヤクルト、ダイエー両球団が発表[91]。
- 11月22日 - ドラフト会議が行われ、PL学園の福留孝介は高校生として最多となる7球団の競合の末近鉄が交渉権を獲得。当たりクジを引いた佐々木監督は「ヨッシャー」と絶叫したが、その後福留は入団を拒否。
- 11月29日 - 日本ハムからFAになっていた河野博文が巨人へ移籍。
12月
誕生
1月
2月
4月
5月
6月
- 6月3日 - 齊藤大将
- 6月5日 - ケムナ誠
- 6月9日 - 横田慎太郎
- 6月16日 - 鈴木翔太
- 6月22日 - タイラー・オニール
- 6月27日 - 近藤弘樹
- 6月28日 - 関根大気
- 6月29日 - 大竹耕太郎
7月
8月
9月
10月
11月
- 11月2日 - 高橋礼
- 11月7日 - 髙橋遥人
- 11月8日 - 渡邊佑樹
- 11月10日 - 熊谷敬宥
- 11月10日 - 園部聡
- 11月13日 - 肘井竜蔵
- 11月20日 - アーメッド・ロザリオ
- 11月20日 - 又吉亮文
- 11月22日 - ストーン・ギャレット
- 11月24日 - フランシス・マルテス
- 11月29日 - 東克樹
12月
死去
- 1月22日 - 下田武三(*1907年)
- 2月2日 - 山崎武昭(*1941年)
- 2月16日 - 植上健治(*1955年)
- 4月4日 - 山下実(*1907年)
- 4月21日 - 樽井清一(*1929年)
- 8月13日 - ミッキー・マントル(*1931年)
- 8月15日 - 仲根正広(*1954年)
- 10月8日 - 小川健太郎(*1934年)
- 10月26日 - 松葉昇(*1922年)
- 11月17日 - 平岡一郎(*1945年)
- 11月28日 - 横沢三郎(*1904年)
- 12月24日 - 島秀之助(*1908年)
脚注
- ^ 読売新聞1995年1月1日21面「大リーグ目指し野茂退団 近鉄が同意、任意引退」読売新聞縮刷版1995年1月p409
- ^ 読売新聞1995年1月20日21面「ミューレン獲得」読売新聞縮刷版1995年1月p893
- ^ 読売新聞1995年1月23日1面「下田武三氏が死去 元最高裁判事・元プロ野球コミッショナー」読売新聞縮刷版1995年1月p1013
- ^ 読売新聞1995年1月1日21面「杉浦氏、石井氏殿堂入り 元南海エース 元早大監督」読売新聞縮刷版1995年1月p1195
- ^ “【2月13日】1995年(平7) 減量してもクビ!?トラックスラー、再就職先は少年野球教室?”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年2月1日). 2016年1月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “【3月19日】1995年(平7) 破談一転成立 西村龍次が近鉄 吉井理人がヤクルト”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2010年3月1日). 2016年1月2日閲覧。
- ^ 読売新聞1995年4月3日夕刊17面「ダイエーが広島・石貫を獲得」読売新聞縮刷版1995年4月p109
- ^ 読売新聞1995年4月6日19面「西武がリーグ通算3000勝を達成」読売新聞縮刷版1995年4月p239
- ^ 読売新聞1995年4月8日19面「セも開幕」読売新聞縮刷版1995年4月p347
- ^ 読売新聞1995年4月10日19面「ハーシュハイザーがイ軍へ」読売新聞縮刷版1995年4月p433
- ^ 読売新聞1995年4月14日19面「スチーブンス6戦連発 『パ』タイ」読売新聞縮刷版1995年4月p639
- ^ 読売新聞1995年4月16日19面「落合2000本安打 史上27人目 最年長41歳」読売新聞縮刷版1995年4月p743
- ^ 読売新聞1995年4月20日19面「四条と佐々木を交換 巨人とオリックス」読売新聞縮刷版1995年4月p929
- ^ 読売新聞1995年4月20日19面「西武が横浜・今久留主捕手を獲得」読売新聞縮刷版1995年4月p985
- ^ 読売新聞1995年4月6日19面「野田、日本新19K 快投実らず降板 10回サヨナラ負け」読売新聞縮刷版1995年4月p1038
- ^ 読売新聞1995年4月24日11面「ロッテーオリックス パで初の強風中止」読売新聞縮刷版1995年4月p1117
- ^ 読売新聞1995年4月26日夕刊3面「すったもんだしましたが・・・大リーグ開幕」読売新聞縮刷版1995年4月p1235
- ^ 読売新聞1995年4月27日19面「近鉄が6イニング連続併殺のプロ野球タイ」読売新聞縮刷版1995年4月p1267
- ^ 読売新聞1995年4月28日19面「阪神大震災復興のオールスター開催」読売新聞縮刷版1995年4月p1377
- ^ 読売新聞1995年5月1日夕刊3面「『大リーガー野茂』正式誕生 ド軍と契約」読売新聞縮刷版1995年5月p35
- ^ 読売新聞1995年5月4日11面「大リーガー野茂 無失点デビュー」読売新聞縮刷版1995年5月p131
- ^ 読売新聞1995年5月3日21面「ローズがサイクル安打」読売新聞縮刷版1995年5月p113
- ^ 読売新聞1995年5月13日17面「日本ハム・河野が1000投球回」読売新聞縮刷版1995年5月p469
- ^ 読売新聞1995年5月18日17面「巨人がプロ野球タイの1試合6併殺打」読売新聞縮刷版1995年5月p707
- ^ 読売新聞1995年5月27日16面「エッ!!『ミッチェル無断帰国』」読売新聞縮刷版1995年5月p1162
- ^ 読売新聞1995年5月27日16面「ロッテ新社長に金親氏」読売新聞縮刷版1995年5月p1162
- ^ 読売新聞1995年6月2日夕刊15面「中日新聞育成に貢献」読売新聞縮刷版1995年11月p105
- ^ 読売新聞1995年6月3日17面「高木監督が辞任」読売新聞縮刷版1995年6月p125
- ^ 読売新聞1995年6月3日17面「"最終戦"で退場」読売新聞縮刷版1995年6月p125
- ^ 読売新聞1995年6月4日15面「『ドクターK』粘投の勝利 大リーグ日本人投手30年ぶり」読売新聞縮刷版1995年6月p169
- ^ 読売新聞1995年6月4日17面「広島・大野が1500奪三振」読売新聞縮刷版1995年6月p207
- ^ 読売新聞1995年6月9日19面「四番・石井 記録達成」読売新聞縮刷版1995年6月p415
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