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ヘンスリー・ミューレンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘンスリー・ミューレンス
Hensley Meulens
コロラド・ロッキーズ コーチ #31
2011年
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地 オランダ領アンティルの旗 オランダ領アンティル自治領ウィレムスタッド(現:キュラソーの旗 キュラソー
生年月日 (1967-06-23) 1967年6月23日(57歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手外野手
プロ入り 1985年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1989年8月23日
NPB / 1994年4月9日
KBO / 2000年
最終出場 MLB / 1998年5月14日
NPB / 1996年10月2日
KBO / 2000年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
国際大会
代表チーム オランダの旗 オランダ
五輪 2000年

ヘンスリー・フィレモン・アカシオ・ミューレンス(Hensley Filemon Acasio Meulens、1967年6月23日 - )は、オランダ領アンティルキュラソーウィレムスタッド出身の元プロ野球選手内野手外野手)、野球指導者。右投右打。現在は、MLBコロラド・ロッキーズで打撃コーチを務める。

NPBでの登録名は「ミューレン」。NPB史上初のオランダ人選手である。

国際大会では2013年から野球オランダ代表の監督を務めている。

経歴

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現役時代

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1985年にアマチュア・フリーエージェントでニューヨーク・ヤンキースと契約してプロ入り。

1989年8月23日のボストン・レッドソックス戦で「8番・三塁手」としてMLBデビューを果たし、3打数1安打をマークする。

1994年NPB千葉ロッテマリーンズに入団。カリブ海にあるキュラソーはオランダ領であることから、NPB初の「オランダ人助っ人」が誕生した。英語・スペイン語・オランダ語(実際はオランダ語というよりも出身地の母語であるパピアメント語[1])を話せるマルチリンガルとして選手名鑑に登場した。登録名は「ミューレン」とされ、離日直前のサインにはつたないながらも、カタカナで「ミューレンス」と添え書きしていた。ロッテでは23本塁打、69打点の数字を残したが、この年のオフに就任したボビー・バレンタイン監督から戦力外通告を受け、1年で退団となった。

1995年ヤクルトスワローズに入団した。ヤクルトは同年阪神タイガースからアベレージヒッターのトーマス・オマリーを獲得したものの、広沢克己ジャック・ハウエルの2人の長距離打者が読売ジャイアンツに移籍したことにより、長打力を買ってミューレンを獲得した。開幕2戦目、桑田真澄飯田哲也への頭部死球で退場となった後、1点ビハインドの1死満塁のチャンスで回ってきて、その日は3打席3三振で1エラーのミューレンは汚名返上のタイムリーツーベースヒット(シーズン初安打)を放ってシーズン初勝利に貢献した。当初は中軸を期待されたが、下位(主に7番か8番)に置いて自由に打たせた結果、打率は低いものの長打力を発揮し「恐怖の8番打者」として、同年のリーグ優勝・日本一に貢献した。

1996年も打率の低さと三振が多く(2年連続リーグ三振王)、シーズン終了後にヤクルトを退団した。

1997年モントリオール・エクスポズでMLB復帰した。

1998年アリゾナ・ダイヤモンドバックスでプレーしたが、MLBに在籍する期間はそれほど長くなく、IBAFワールドカップIBAFインターコンチネンタルカップのオランダ代表としてたまに顔を見せる程度となった。

1999年独立リーグであるアトランティックリーグニューアーク・ベアーズでプレー。

2000年にはKBOサンバンウル・レイダースでプレーする予定であったが、経営難で同球団は解散し、その後を受けて設立されたSKワイバーンズに入団。しかし、成績不振によりシーズン途中で解雇された。その後はメキシカンリーグでプレーした[2]。なお、シドニー五輪にもオランダ代表として出場している。

2001年は再びニューアーク・ベアーズに復帰。その後メキシカンリーグに移籍し、2002年に現役を引退した[2]

引退後

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2009年サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のAAA級フレズノ・グリズリーズにコーチとして在籍した。また、第2回WBCオランダ代表のコーチも務めた。

2010年からはジャイアンツの打撃コーチを務めている。

2012年4月27日にオランダにおける野球界での功績を称えて、ベアトリックス女王からナイトの称号であるOrder of Orange-Nassauオランダ語版が与えられた。

2013年には、前年に打撃コーチとしてジャイアンツをワールドチャンピオンに導いた手腕を評価され、第3回WBCオランダ代表の監督を務めた。この大会では、チームを初の決勝ラウンド進出(準決勝で敗退)に導いた。

2015年9月10日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表監督に就任した[3]

2016年1月18日にキューバ代表との強化試合のオランダ代表監督を務める予定だった[4]が、同試合は雨天中止となった[5]。7月17日の日本代表との強化試合でもオランダ代表監督を務めることになった[6]

2017年3月の第4回WBCでもオランダ代表の監督を務めている。

2017年シーズン終了後にはヤンキースの新監督候補として面談を受け、最終候補2人まで残ったが落選した(新監督にはアーロン・ブーンが就任)[7][8]2018年シーズンからはジャイアンツのベンチコーチに転任となり[9]2019年まで務めた。

2020年シーズンからはニューヨーク・メッツのベンチコーチを務める[10]も、1年限りで退任した[11]

2022年2月28日にヤンキースの打撃コーチ補佐に就任し[12]、シーズン終了後に退任した。

2023年シーズンからはコロラド・ロッキーズの打撃コーチを務める[13]

人物

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温厚な性格で、ヤクルト時代の同僚の高津臣吾は、「性格はヤクルトに来た外国人選手の中でもトップクラス」と述べており、会話のほとんどは日本語という[14]。また、ヤクルト時代監督だった野村克也も、「人間的にも最高の男で、ナイスガイ」と述べている[15]。 現役引退後も野球指導者として成功し、母国にも多大な貢献をしている。

ヤクルト時代の応援歌はミューレン退団後高橋智副島孔太(副島はCDのみ収録されていて、球場では未使用)に流用され、2011年から2019年までは同じキュラソー島出身のウラディミール・バレンティンに流用されていた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1989 NYY 8 30 28 2 5 0 0 0 5 1 0 1 0 0 2 0 0 8 2 .179 .233 .179 .412
1990 23 95 83 12 20 7 0 3 36 10 1 0 0 0 9 0 3 25 3 .241 .337 .434 .771
1991 96 313 288 37 64 8 1 6 92 29 3 0 1 2 18 1 4 97 7 .222 .276 .319 .595
1992 2 6 5 1 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 1 0 0 0 1 .600 .667 1.200 1.867
1993 30 61 53 8 9 1 1 2 18 5 0 1 0 0 8 0 0 19 2 .170 .279 .340 .618
1994 ロッテ 122 475 431 49 107 21 0 23 197 69 8 8 0 4 36 1 4 135 9 .248 .288 .457 .745
1995 ヤクルト 130 506 438 74 107 16 0 29 210 80 6 5 0 4 60 4 4 134 16 .244 .338 .479 .817
1996 128 495 439 47 108 14 3 25 203 67 1 3 1 6 44 5 5 140 25 .246 .318 .462 .780
1997 MON 16 29 24 6 7 1 0 2 14 6 0 1 0 1 4 0 0 10 0 .292 .379 .583 .963
1998 ARI 7 15 15 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .067 .067 .267 .333
2000 SK 14 54 46 5 9 0 0 1 12 3 2 0 0 1 6 1 18 1 .196 .296 .261 .557
MLB:7年 182 549 496 67 109 17 2 15 175 53 4 3 1 3 42 1 7 165 15 .220 .288 .353 .641
NPB:3年 380 1476 1308 170 322 51 3 77 610 216 15 16 1 14 140 10 13 409 50 .246 .322 .466 .788
KBO:1年 14 54 46 5 9 0 0 1 12 3 2 0 0 1 6 1 18 1 .196 .296 .261 .557
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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MiLB

記録

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NPB

背番号

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  • 28(1989年 - 同年途中)
  • 57(1989年途中 - 同年途中)
  • 58(1989年途中 - 同年終了、2020年)
  • 31(1990年 - 1991年、1993年 - 1994年、1997年、2000年、2010年 - 2019年、2023年 - )
  • 59(1992年)
  • 9(1995年 - 1996年)
  • 29(1998年)
  • 56(2022年 - 同年7月31日[16]

代表歴

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  • シドニーオリンピック野球オランダ代表

代表でのコーチ歴

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代表での監督歴

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脚注

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  1. ^ http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=4617680
  2. ^ a b https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=meulen001hen
  3. ^ Meulens en Janssen leiden samen het Koninkrijksteam bij Premier12 KNBSB (オランダ語) (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧
  4. ^ Team Kingdom als onderdeel van handelsmissie naar Cuba KNBSB - Koninklijke Nederlandse Baseball en Softball Bond (オランダ語) (2016年1月8日) 2016年10月8日閲覧
  5. ^ Game cancelled, but mission accomplished in Havana Mister Baseball (英語) (2016年1月16日) 2016年11月8日閲覧
  6. ^ 侍ジャパンが11月に強化試合開催! メキシコ代表、オランダ代表と“本番モード”4試合 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2016年7月17日) 2016年8月20日閲覧
  7. ^ Bryan Hoch (2017年12月6日). “Boone: 'Amazing opportunity' ahead with Yanks” (英語). https://www.mlb.com/news/aaron-boone-thrilled-to-be-yankees-manager/c-262981594 2017年12月11日閲覧。 
  8. ^ ヤンキース新監督はアーロン・ブーンに決定 米報道、元燕ミューレンは落選”. Full-count (2017年12月2日). 2017年12月11日閲覧。
  9. ^ Chris Haft (2017年11月2日). “Giants poised to hire Astros' Powell” (英語). https://www.mlb.com/news/giants-to-hire-astros-coach-alonzo-powell/c-260461858 2017年12月11日閲覧。 
  10. ^ Anthony DiComo (2019年12月8日). “Mets finalize coaching staff for Beltrán's 1st year” (英語). MLB.com. 2019年12月12日閲覧。
  11. ^ Anthony Franco (2020年12月13日). “Mets To Hire Dave Jauss As Bench Coach” (英語). MLB Trade Rumors. 2021年6月1日閲覧。
  12. ^ Press release: Yankees name Hensley Meulens assistant hitting coach”. MLB.com. 2022年3月1日閲覧。
  13. ^ Thomas Harding (2022年11月7日). “Rockies make 2 additions to big league staff” (英語). MLB.com. 2023年2月28日閲覧。
  14. ^ 高津氏 ミューレン監督とは「会話はほとんど日本語」”. スポーツニッポン (2013年3月10日). 2022年2月15日閲覧。
  15. ^ TBS『クイズ☆タレント名鑑』2011年10月23日放送
  16. ^ 2022年8月1日にオークランド・アスレチックスからルー・トリビーノが加入後に何番を着用していたかは不明。

関連項目

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外部リンク

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