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2020年11月10日 (火) 22:12時点における版

立花 義家
福岡ソフトバンクホークス 打撃コーチ #83
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県大牟田市
生年月日 (1958-10-27) 1958年10月27日(66歳)
身長
体重
180 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1976年 ドラフト1位
初出場 NPB / 1978年4月1日
CPBL / 1993年3月12日
最終出場 NPB / 1992年10月10日
CPBL / 1993年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

立花 義家(たちばな よしいえ、1958年10月27日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手外野手一塁手、左投左打)、コーチ

来歴・人物

「義家」という名前は、源義家にあやかって祖父が命名した。

柳川商業では2年時の1975年春の選抜中堅手として出場。1回戦で堀越高に敗退[1]。同年夏も県予選決勝に進出するが、小倉南高に敗れる。1年上のチームメートに加倉一馬がいた。翌1976年夏の甲子園には同期のエースである久保康生を擁し、一塁手・一番打者として出場。三重高を降して3回戦に進出するが、PL学園の中村誠治(早大日産自動車)に抑えられ0-1で惜敗[2]

「左の原辰徳」と呼ばれ、卒業後の1977年クラウンライターライオンズへ入団。プロ入り後は主に外野手として起用される。

2年目の1978年島原キャンプで臨時コーチを務めた松木謙治郎に「張本勲二世」と評され、根本陸夫監督がレギュラーに抜擢。開幕戦で三番に座り「19歳の三番打者」として注目を集めた。同年は規定打席(27位、打率.250)にも到達。クラウンライターとして最後の試合であった平和台での日米野球「クラウン+巨人連合軍」対シンシナティ・レッズ戦では、四番・王貞治の次の五番打者を任された。所沢移転後も主力選手として活躍し、1979年には西武球場公式戦初本塁打を放ち、これがプロ入り初本塁打となった。

1980年にはチーム最高打率.301(リーグ13位)を記録、18本塁打を放ち「恐怖の七番打者」と評された(当時田淵幸一土井正博山崎裕之大田卓司スティーブ・オンティベロスら強打者が好調で打順が上がらなかったため)。1980年と1981年にそれぞれ月間2満塁本塁打を記録するなど、低迷期を支えた。

1982年からは西武の2年連続日本一に貢献、1983年日本シリーズでは全7戦に先発出場し、第4戦で8回表に加藤初から逆転2ラン本塁打を放つなど、27打数6安打2打点を記録する。しかしその後はやや伸び悩み、1985年には田尾安志の移籍入団、金森永時の台頭もあって外野の定位置を失う。代打での出番が多くなったが、代打に回ってからも勝負強い打撃を披露、チームの黄金時代の一翼を担った。

1991年オフに阪神タイガースへ金銭トレードされ、代打の切り札として2位躍進に貢献するも、1年限りで退団。

1993年台湾プロ野球俊国ベアーズでプレーし(当時の同僚に野中徹博がいた)、チームの四番打者を務めた。同年に引退。

その後は4年間のサラリーマン生活を経て、1998年から2001年までホークス二軍打撃コーチ、2002年から2003年オリックス・ブルーウェーブ一軍打撃コーチ、2004年から2007年まで西武一軍打撃コーチ、2008年はソフトバンク編成管理統括付、2009年から一軍打撃コーチを務めたが2012年は得点がリーグ5位に低迷し[3]退団。

2013年から2016年まで千葉ロッテマリーンズ一軍打撃コーチ[4][5]2017年からはソフトバンク一軍打撃コーチを務める[6]。2019年リーグ得点が4位[7]に低迷した。

西武時代の同僚伊東勤からは西武、ロッテ監督時代一軍打撃コーチで招聘され伊東からの信頼も厚かった[8]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1978 クラウン
西武
124 497 460 34 115 6 2 0 125 39 7 7 13 3 17 0 4 90 2 .250 .281 .272 .553
1979 123 435 406 41 100 16 5 6 144 36 3 5 11 0 16 0 2 70 4 .246 .278 .355 .633
1980 130 537 478 67 144 18 4 18 224 60 8 5 16 5 30 2 8 74 9 .301 .349 .469 .818
1981 124 484 431 42 117 12 3 6 153 51 5 7 10 7 31 2 5 62 6 .271 .323 .355 .678
1982 107 307 275 24 69 7 2 1 83 25 3 5 9 2 19 0 2 30 6 .251 .302 .302 .604
1983 114 359 317 44 98 12 2 8 138 42 3 3 18 0 19 1 5 25 6 .309 .358 .435 .793
1984 95 263 239 35 54 15 2 3 82 12 1 0 6 0 17 1 1 34 2 .226 .280 .343 .623
1985 37 53 47 4 11 0 0 1 14 7 1 0 0 0 5 0 1 6 1 .234 .321 .298 .619
1986 36 76 71 4 19 0 1 1 24 5 0 0 0 0 5 0 0 13 3 .268 .316 .338 .654
1987 40 74 70 8 16 5 0 2 27 5 0 1 0 0 4 0 0 13 2 .229 .270 .386 .656
1988 67 72 65 1 16 3 0 1 22 7 1 0 0 0 6 0 1 7 1 .246 .319 .338 .658
1989 53 59 51 1 10 0 0 1 13 11 0 0 0 1 7 0 0 7 1 .196 .288 .255 .543
1990 40 52 50 3 10 2 0 2 18 11 0 0 0 0 2 0 0 8 2 .200 .231 .360 .591
1992 阪神 59 101 93 9 22 5 1 1 32 7 1 0 0 1 7 1 0 36 3 .237 .287 .244 .531
1993 俊国 71 272 237 23 70 16 2 4 102 29 3 4 1 1 31 1 2 39 6 .295 .380 .430 .810
NPB:14年 1149 3369 3053 317 801 101 22 51 1099 318 33 33 83 19 185 7 29 475 48 .262 .309 .360 .669
CPBL:1年 71 272 237 23 70 16 2 4 102 29 3 4 1 1 31 1 2 39 6 .295 .380 .430 .810
  • クラウン(クラウンライターライオンズ)は、1979年に西武(西武ライオンズ)に球団名を変更

記録

NPB初記録
NPB節目の記録
  • 1000試合出場:1989年4月25日、対日本ハムファイターズ4回戦(東京ドーム)、8回表に藤野正剛の代打として出場 ※史上282人目

背番号

  • 34 (1977年 - 1986年)
  • 33 (1987年 - 1991年)
  • 55 (1992年)
  • 66 (1993年)
  • 76 (1998年 - 2001年)
  • 83 (2002年 - 2003年、2009年 - 2012年、2017年 - )
  • 78 (2004年 - 2007年、2013年 - 2016年)

脚注

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 2012年度 パシフィック・リーグ チーム打撃成績
  4. ^ 立花義家氏 一軍打撃コーチ就任のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月30日
  5. ^ コーチの退団について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2016年10月12日
  6. ^ 2017年 コーチングスタッフについて - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2016年10月28日
  7. ^ 2019年度 パシフィック・リーグ チーム打撃成績
  8. ^ ロッテ、来季バッテリーコーチは田口昌徳氏が有力 打撃コーチは内部調整へ - サンケイスポーツ 2016年10月13日

関連項目

外部リンク