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2020年11月1日 (日) 09:24時点における版
あおがしまむら 青ヶ島村 | |||||
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青ヶ島・丸山 | |||||
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都(八丈支庁) | ||||
市町村コード | 13402-3 | ||||
法人番号 | 3000020134023 | ||||
面積 |
5.95km2 | ||||
総人口 |
167人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 28.1人/km2 | ||||
村の木 | 椨の木 | ||||
村の花 | 佐久百合(為朝百合) | ||||
村の鳥 | 烏鳩(黒鳩) | ||||
青ヶ島村役場 | |||||
村長 | 佐々木宏 | ||||
所在地 |
〒100-1701 東京都 | ||||
外部リンク | 青ヶ島村ホームページ | ||||
ウィキプロジェクト |
伊豆諸島南部の青ヶ島全域が村域。所属する郡は無い。青ヶ島村を所管する行政出先機関は八丈支庁。
日本政府が実効支配していない北方領土各村を除き、日本国内で最も人口の少ない市町村である。
2014年にアメリカの観光保護NGOの"One Green Planet"が青ヶ島を「死ぬまでにみるべき世界の絶景13」という記事[1]で紹介し、2016年7月5日にスミソニアン博物館が青ヶ島村を「活火山内に眠る日本の街」という記事[2]で紹介したことで、世界から観光客や取材班が押し寄せて来るようになった[3]。
地理
青ヶ島村は、東京都内とは謂えども本州の東京都区部から358.4km南方の東京都島嶼部に在る。
本村の村域は他のどの地方自治体とも接しておらず、最も近くの八丈町からは68km離れている。
人が定住している集落は青ヶ島の北部にあり、西側の
歴史
- 1785年 - 天明の別れ
- 4月18日から始まり5月頃まで続いた天明の大噴火が青ヶ島の最も新しい火山活動である。
- 当時327人いたとされる島民のうち202人が八丈島からの救助により避難するも、避難に間に合わなかった残りの者は爆発に巻き込まれて全員死亡したとされる。
- 八丈島での避難生活は、時には流人以下の扱いを受けるという悲惨なものであった。これは、不作続き(天明の大飢饉)で八丈島民だけでも食うのがやっとであったにもかかわらず、幕府が避難民の他地域への移住を認めなかった(さらに八丈島の流人はもともと武家など身分の高い人物ばかりだった)というやむを得ない事情による。
- 嘗ての豊かな青ヶ島を夢見て帰島を企てる者も幾度か在ったが、航海の途中で遭難したり、無事に辿り着いても噴火で荒廃した土地では生きていけず、叶わなかった。
- 1817年
- 1824年 - 還住
- 遂に還住(全島民帰還)を果たす。
- 天明の別れから復興まで半世紀もの歳月が掛かった。この時点での島の人口は241名(男133・女108名)であった。
- 定期船「還住丸」の名称はこの一連の出来事に由来している。
- 青ヶ島は東京都八丈支庁の管轄となり、青ヶ島村が置かれる。
- 1946年1月29日 - 日本からの一時的な行政権切り離し
- 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)677号『特定外周領域の日本政府よりの政治的行政的分離に関する件』[6]によって日本政府の行政権から切り離される
- 1946年3月22日 - 日本の行政下に復帰する
- 同令841号『特定外周領域の日本政府よりの政治的行政的分離に関する件』で伊豆諸島や小笠原諸島の他の町村と同じく、行政権が日本国政府に戻される
- 1974年6月28日 - 村章を制定する[7]
- 2014年 - アメリカの環境保護NGOであるOne Green Planetが、「死ぬまでにみるべき世界の絶景13」という記事[1]で、日本では唯一青ヶ島を選出した。
- 2016年7月5日 - アメリカを代表する博物館・研究機関であるスミソニアン博物館が青ヶ島村を「活火山内に眠る日本の街」という記事[8]で紹介した。
人口
本村民の平均年齢は、人口の約半分が村外出身の村役場職員や学校教員および建設作業員とその家族で占められていることから、離島としては低く、30歳代後半である。
青ヶ島村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 村長:菊池利光(きくち としみつ)(2001年10月1日就任、5期目)
議会
村議会
- 定数:6人(任期満了日 : 2021年9月5日)
- 議長:菊池俊幸
都政
青ヶ島村が属する島部選挙区から選出される東京都議会議員の定数は1議席である。
国政
- 選挙区:東京都第3区 (品川区の一部、大田区の一部、大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ヶ島村、小笠原村)
- 任期:2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(令和3年)10月21日(「第48回衆議院議員総選挙」参照)
議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|
石原宏高 | 自由民主党 | 4 | 選挙区 |
松原仁 | 無所属(立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム) | 7 | 比例復活 |
東京都選挙区に属する。選出議員についての詳細は、東京都選挙区の項を参照のこと。
選挙
1945年から1956年までは青ヶ島村は僻地で通信手段が無いとの理由から、国政選挙および都政選挙については日本国憲法で保障された参政権がなく、選挙に参加できなかった[9]。1956年5月21日に青ヶ島村に無線電話回線が開通したことを受け、その年の第4回参議院議員通常選挙(公示日:6月12日・投票日:7月8日)では青ヶ島村で戦後初の国政選挙への参政権を行使できるようになり、以後は国政選挙や都政選挙でも参政権を行使できるようになった[10]。なお、公職選挙法を厳格に判断すると、投票用紙を外部から持ち込んだり、可開票速報に関する書類を外部に即時に送る必要があるが、それに対処するため公職選挙法施行令第146条で「村政以外の選挙の投票用紙を村内で作成してもよい」「開票結果はまず無線で報告し、書類等は後で送付してもよい」とする規定が設けられている[11]。
なお、国政選挙や都政選挙で青ヶ島村の村民が参政権が無かったのは戦後の1945年以降のことであり、戦前は事情が異なったという[12]。ただし、国政選挙に関しては村内に投票所がなかっため、68km離れた八丈島まで行かなければならず、1932年の第18回衆議院議員総選挙ではたまたま八丈島にいた1人のみ投票できたという[12]。また1940年には東京府議会議員選挙では村内に投票所が設けられ、有権者として認められた79人中60人が投票したという記録が残っている[13]。
産業
青ヶ島村民の過半数は村役場職員や建設作業員であり、主な産業は公共事業及び島内出身者による農業である。なお、来島者の大部分は農林水産・土木・設備関連を主とする公共事業目的の公務員及び建設作業の従事者である。
農業は、平坦な土地がないことと水が足りないことから稲作は行われておらず、主にサツマイモが栽培されている。近年では、神農椰子(フェニックス・ロベレニー)や桔梗蘭などの切り葉類の農業生産が増えている。畜産業は、繁殖させた黒毛和種の子牛が本土へ出荷されており、1972年までは乳牛も飼養されていた。かつては本島の基幹産業であった畜産業は、近年では飼養者の高齢化などでその戸数や頭数を減らしている。
また、本島の周辺海域はフィッシングスポットでもある。 しかし、訪れる遊漁船の多くは八丈島からのチャーターであり、本島に上陸する人は少ない。
岡部集落には、民宿(『御宿為朝』、『民宿マツミ荘』、『民宿杉の沢』、『あおがしま屋』、『ビジネス宿中里』、『あじさい荘』[14])、商店(『十一屋酒店』)、居酒屋(『居酒屋おじゃれ池之沢』、『居酒屋もんじ』)[14]、運送業とレンタカー屋とガソリンスタンドを兼ねた自動車整備工場(青ヶ島整備工場[15])が在る。 池之沢(カルデラの地域)には、青ヶ島村キャンプ場、地熱を利用したサウナ「青ヶ島村ふれあいサウナ」が在る。
特産品
青ヶ島生産者協議会などによって、様々な製品が造られている[16]。 「青酎」[17]や「ひんぎゃの塩」[18]などのこれらの特産品は、青ヶ島内で唯一の商店である『十一屋酒店』の他にも、東京都区部の竹芝客船ターミナル内に在るアンテナショップ『TOKYO ISLANDS CAFE』[19]や通販等でも購入可能である。また来島者は民宿で味わえることが多い。
- 島寿司
- 伊豆各島で作られる寿司をこう呼ぶ。青ヶ島では酢飯に練り辛子と、醤油漬けにした様々な近海魚刺身をのせる[20]。寿司ネタ としては目近魚[21]が有名であるが、他にも、鮪や勘八(間八)[22]、金目鯛、鯛、飛魚、イサキ、シイラなど。
- 焼酎(芋・麦)
- 青ヶ島酒造が「青酎」各種を製造している(「青酎 池の沢」「青酎 伝承」「青酎 伝承 喜久一」「青酎 青宝」「あおちゅう」「青酎 麦」「恋ヶ奥」[23])。2017年12月、「青酎特区」が構造改革特区に認定された。原料アルコール(45度以上)の製造量下限規制が適用されず、希少性の高い焼酎の原酒「初垂れ」の販売が可能になる[24][25]。
- ケーキ - 「あおちゅうケーキ」
- 辛子だれ - 「島だれ」「中里のしまだれ」「マツミおばちゃんち 秘伝 島だれ」
- 特産の唐辛子を使った少し辛めの味付けになっており、島寿司に好く合う。
- 燻製 - 「とびくん」
- 青ヶ島整備工場が青ヶ島周辺海域で獲れた脂の乗った旬の飛魚を燻製にしている。
- 海塩 - 「ひんぎゃの塩」
- 三宝港で汲み上げられた海水を青ヶ島村製塩事業所にて火山の地熱で煮詰めている
- 各種菓子 - 「ひんぎゃの塩ドロップ」「ひんぎゃの塩キャラメルラスク」「ひんぎゃの塩クッキー」
- 発酵香辛料 - 「鬼辛」
- 辛さと風味に優れた島特産の青唐辛子や赤唐辛子を、あおがしまふぁーむが、ひんぎゃの塩で漬け込んで醗酵熟成させてペースト状に加工。
- 鬱金(ウコン) - 「池乃沢七五三うこん」
- 春・紫・秋の各鬱金がブレンドされた粉末。
- 一味唐辛子 - 「ひんぎゃの島とうがらし」「青ヶ島のとうがらし」
- 市販されている唐辛子と比べると格段に辛い。
- 辣油 - 「じゅんこの手作り島ラー油」
- 特産の唐辛子と鬱金で製造されている。
- ラスク - 「ラー油んにんにくラスク」
- 「じゅんこの手作り島ラー油」各種を使って作られている。
- 石鹸 - 「ひんぎゃの塩せっけん」
- ひんぎゃの塩が練り込まれている。
- その他 - 「青ヶ島マグネット」「青ヶ島ポストカード」など
公共施設
青ヶ島を俯瞰すると、岡部の南のカルデラ外縁部の一面で、雨水を集める取水施設の向沢取水場が緑色に目立つ。
その他にも、老人福祉館・物流センター・青ヶ島村役場・青ヶ島駐在所・青ヶ島村共同放牧場施設・和牛人工授精センターが有る。 また、本島外との異動の激しい公務員用の宿舎も整備されている。
名所・行事
青ヶ島村では観光地も整備されてきている。2010年代中頃に、幾つかの著名なWebサイトで紹介されたことで、世界中から訪問者が訪れるようになった。
観光地
- 神子ノ浦展望広場
- 黒潮の流れや嘗ての青ヶ島の住民が上陸や荷揚のために使っていた神子ノ浦を一望できる
- 神子ノ浦へ続く断崖絶壁の道を降りる道(通行不能)が繋がっている。
- 尾山展望公園
- 青ヶ島の二重カルデラの地形を一望できる
- 周辺を巡るハイキングコースの他にも、夜に星空を観察できるように足下を照らす照明が整備されている。
- ふれあいサウナ
- 地熱を利用したサウナと海水を沸かせた風呂を備える温泉(含有成分は無い)
- 水道水は、地熱で温められて、必然的に温水となってしまう。
- 青ヶ島村キャンプ場[26]
- 炊事場・トイレ・竈および地熱蒸気噴気孔『ひんぎゃ』を利用した地熱釜が設置されている。「ひんぎゃ」は島言葉で「火の際」の意である[27]。
- 利用には事前予約と当日申請が必要で、飲料水に関しては予め用意しておくか村役場の水道まで汲みに行く必要が有る。
社寺
- 大里神社
- 青ヶ島の総鎮守
- その参道は急斜面に丸石を300段に敷き詰めたものである。
東台所神社 - 祟り神を祀る神社
- 1757年に名主の息子の浅之助なる者が色恋沙汰で錯乱した挙句に青ヶ島民7名を斧で殺害し自らも入水した。その浅之助が祟り神として祀られている。
- 参道は急斜面に丸石を石段状に積み上げたもので、通行困難であるが、これとは別に尾山展望台からの道も在る。
- 金比羅神社
- 還住(全島帰還)を果たした際の船頭の岩松が航海無事の報恩のため金比羅神を祀った。
- 渡海神社
- 天明の大噴火の犠牲者を祀る
- 清受寺
- 八丈島大賀郷の宗福寺(浄土宗)の末寺とされているが無住の堂が建つのみである
- 本島内では唯一の寺院
他にも、カルデラ外周部を三宝港へ下る道路の傍と神子ノ浦展望広場から神子ノ浦へ下る遊歩道(崩落)の途中に、それぞれ小さな祠が在る。
旧跡
- 名主屋敷跡
- 1824年に還住を果たした佐々木次郎太夫の屋敷跡
祭
- 牛祭り
- 毎年8月10日に行われる島内最大の祭(曜日に関係無く実施される)
- この日に合わせて青ヶ島外にいる出身者が大勢帰省してくるため、本島内は一斉に賑やかになる。また、牛祭りの実行委員会が作成するTシャツの『牛T』は牛を主題にして毎年異なったデザインで作成されるため、本島外にもファンが多い。
交通
- 三宝港
- 伊豆諸島開発の『あおがしま丸』が、八丈島(底土港)との間を、週4往復ないし5往復就航している。天候に左右されやすく平時でも就航率が低い(50%~60%程度)。
- 就航している船舶の乗船手続きは青ヶ島港落石防護施設[28]で行われる。
- クレーンで高架に留置された漁船の船揚げ降ろしを行っている
- 海水汲み上げ式温泉(無料・湯張りや清掃は各自で行う・水着着用)が有った三宝港待合所は、2009年の台風第18号で高波に襲われて、廃墟と化した[29]。
- 青ヶ島ヘリポート
- 東邦航空の『東京愛らんどシャトル』が、八丈島(八丈島空港)との間を、1日1往復就航している。就航率は9割を超えるが定員が少なく料金も割高である。
- 八丈島に向けてヘリコプターが離陸する際には、送迎者が手を振り青ヶ島駐在所の警察官(駐在さん)が敬礼する風景が見られる。
関連人物
出身者
- 5期(17年3か月)に亘って村長職を務めた
その他
- 公募により2002年から2005年まで教育長を務めた。
- 篠原ともえ(歌手・タレント・デザイナー)
- 青ヶ島村とのタイアップでの特集企画が行われており[30]、2010年には本島でライブも開催された。
- 母親が青ヶ島の出身であり、祖母が青ヶ島に在住して青酎を製造している。本人はひんぎゃの塩のパッケージデザインを手掛けている[31]
- 1971年から1974年まで役場職員、1990年から1993年まで助役を務めた。
村内風景
-
青ヶ島
-
三宝港
-
出港した還住丸
注釈
- ^ a b “13 Amazing Natural Wonders You Should See Before You Die” (英語). One Green Planet (2014年10月30日). 2019年8月25日閲覧。
- ^ Nalewicki, Jennifer. “The Sleepy Japanese Town Built Inside an Active Volcano” (英語). Smithsonian. 2019年8月25日閲覧。
- ^ “日本一小さな村「青ヶ島」が外国人観光客に大人気 人口170人の島は大混乱…”. ライブドアニュース. 2019年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月25日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 編『東京都』角川学芸出版〈角川日本地名大辞典〉、2009年10月23日。ISBN 978-4-046-22917-5 。
- ^ 日本加除出版 編『全国市町村名変遷総覧』市町村自治研究会、日本加除出版、2006年8月1日。ISBN 978-4-817-81318-3 。
- ^ H. W. Allen. “Governmental and Administrative Separation of Certain Outlying Areas from Japan” (PDF). 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ). 1946年1月29日閲覧。
- ^ 小学館辞典編集部 編『図典 日本の市町村章』小学館、2006年12月15日。ISBN 978-4-095-26311-3 。
- ^ Nalewicki, Jennifer. “The Sleepy Japanese Town Built Inside an Active Volcano” (英語). Smithsonian. 2019年8月25日閲覧。
- ^ 宮澤暁『ヤバい選挙』新潮新書(新潮社)、2020年、pp=121-125頁。ISBN 9784106108648。
- ^ 宮澤暁『ヤバい選挙』新潮新書(新潮社)、2020年、pp=131-135頁。ISBN 9784106108648。
- ^ 宮澤暁『ヤバい選挙』新潮新書(新潮社)、2020年、pp=132-133頁。ISBN 9784106108648。
- ^ a b 宮澤暁『ヤバい選挙』新潮新書(新潮社)、2020年、p=125頁。ISBN 9784106108648。
- ^ 宮澤暁『ヤバい選挙』新潮新書(新潮社)、2020年、pp=125-126頁。ISBN 9784106108648。
- ^ a b “青ヶ島村 牛とかんもと神々の島” (PDF). 東京市町村自治調査会. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “有限会社 青ヶ島整備工場 -自動車分解整備事業,青ヶ島レンタカー,青ヶ島運送,産業廃棄物収集・運搬,浄化槽維持管理,Good One事業-”. 青ヶ島整備工場. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “特産品の紹介”. 青ヶ島生産者協議会. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “絶海の孤島・青ヶ島だけで代々醸されてきた幻の焼酎 AO-CHU(青酎・あおちゅう)”. 青ヶ島酒造. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “ひんぎゃの塩”. 青ヶ島製塩事業所. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “伊豆諸島・小笠原諸島のアンテナショップ東京愛らんど(TOKYO ISLANDS CAFE)”. BMC. 2016年7月1日閲覧。
- ^ 特産品・島寿司青ヶ島村役場(2017年12月30日閲覧)
- ^ “島寿司作りのお手伝い”. hakarametakonoki. 2008年11月24日閲覧。
- ^ “マグロとカンパチのお寿司”. aogashimaauralife. 2009年10月25日閲覧。
- ^ AO-CHU商品一覧青ヶ島酒造(2017年12月30日閲覧)
- ^ 島焼酎特区の認定について東京都政策企画局(2017年12月26日)
- ^ 伊豆・青ケ島“幻の焼酎”を販売 アルコール度数60度「初垂れ」、特区認定で30年度から『産経新聞』朝刊2017年12月27日
- ^ “キャンプ・宿泊”. 青ヶ島村. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “ぐるり39 ~自治調査会だより~” (PDF). 東京市町村自治調査会. 2014年2月1日閲覧。
- ^ “青ヶ島港落石防護施設”. 東京都. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “港の様子”. hakarametakonoki. 2009年10月25日閲覧。
- ^ “青ヶ島 星の魅力を語る 篠原ともえ”. 青ヶ島村. 2016年7月1日閲覧。
- ^ “篠原ともえさんデザインの青ヶ島「ひんぎゃの塩」!”. BMC. 2015年7月9日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 青ヶ島村公式サイト
- 青ヶ島村 (@Aogashima_Vill) - X(旧Twitter)