「吉林省 (中華民国)」の版間の差分
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[[清|清代]]の吉林省には[[東南路道]]、[[東北路道]]、[[西南路道]]、[[西北路道]]の4道が設置されていたが、[[1912年]](民国元年)に廃止されている。[[1913年]](民国2年)、[[北京政府]]の『劃一令』により省域には'''東南路道'''、'''東北路道'''、'''西南路道'''、'''西北路道'''が設置され、[[観察使]]が任命された。[[1914年]](民国3年)5月、各道は'''延吉道'''、'''依蘭道'''、'''吉長道'''、'''浜江道'''と改称され、観察使も道尹と改められ、翌6月に行政区域が確定された<ref>『政府公報』745号 1914年6月3日</ref>。[[1929年]](民国18年)、[[蔣介石政権|南京国民政府]]により道制は廃止されている。 |
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2020年9月15日 (火) 14:58時点における版
中華民国 吉林省 | |
← 1928年 - 1948年 → | |
簡称:吉
| |
吉林省の位置 | |
簡体字 | 吉林 |
繁体字 | 吉林 |
---|---|
拼音 | Jílín |
カタカナ転記 | ジーリン |
国家 | 中華民国 |
行政級別 | 省 |
政府所在地 | 吉林県 吉林市 |
建置 | 1912年 |
消滅 | 1948年 |
面積 | |
- 総面積 | 72,675.93 km² |
人口 |
吉林省(きつりんしょう)は、かつての中華民国の省。現在の吉林省とほぼ同一地域に相当する。
行政府沿革
1912年(民国元年)、辛亥革命により南京臨時政府が成立したが、吉林地区はなおも清朝の支配地域であり、東三省総督の下の吉林巡撫により統治されていた。同年3月、東三省総督が廃止、吉林巡撫は吉林都督と改称され軍政長官となり、民政長官としてはかつて吉林巡撫の下の民政使(1913年に民政長、1914年に巡按使、1916年に省長と改称)が当てられた。1928年12月31日、張学良が易幟を実行したことで、南京国民政府は吉林省政府の設置を実施、ここに吉林省が正式に誕生した。
1931年(民国20年)の満州事変以降は関東軍の影響下に入り、1932年(大同元年)以降は満州国の領土に編入され、中華民国による支配は一旦中断したが、1945年(民国34年)8月15日の日本の敗戦により満州国は自然消滅、国民政府は旧吉林省地区に吉林省・松江省・合江省の3省を設置、9月には吉林省政府が再興された。
1947年(民国36年)に行政院は東北9省の行政区画を発表、吉林省は18県2市、1旗を管轄するとされたが、翌1948年に中国共産党の支配下に入り中華民国の行政権は消滅した。
省会
歴代省長
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 |
---|---|---|---|
1 | 陳昭常 | 1912年3月 | - |
2 | 張錫鑾 | 1913年6月 | - |
3 | 孟恩遠 | 1914年6月 | - |
4 | 鮑貴卿 | 1919年7月 | - |
5 | 孫烈臣 | 1921年3月 | - |
6 | 張作相 | 1924年4月 | - |
7 | 丁超 | 1932年7月 | - |
8 | 鄒作華 | 1940年5月 | - |
9 | 鄭道儒 | 1945年9月 | - |
10 | 梁華盛 | 1946年10月 | - |
11 | 鄭洞国 | 1948年2月 | - |
- | 関吉玉 | 1945年9月 | - |
- | 洪鈁 | 1947年11月 | - |
- | 周福成 | 1948年4月 | - |
行政区画
道制
清代の吉林省には東南路道、東北路道、西南路道、西北路道の4道が設置されていたが、1912年(民国元年)に廃止されている。1913年(民国2年)、北京政府の『劃一令』により省域には東南路道、東北路道、西南路道、西北路道が設置され、観察使が任命された。1914年(民国3年)5月、各道は延吉道、依蘭道、吉長道、浜江道と改称され、観察使も道尹と改められ、翌6月に行政区域が確定された[1]。1929年(民国18年)、南京国民政府により道制は廃止されている。
県級行政区画
満州国成立直前の行政区画
- 県
- 阿城県
- 葦河県:1921年、同浜・五常県の一部に葦沙河政治局を設置。1927年に改称
- 伊通県:清代の伊通直隷州。1913年に改称
- 依蘭県:清代の依蘭府。1913年に改称
- 永吉県:清代の吉林府。1913年に吉林県、1929年に永吉県と改称
- 延吉県:清代の延吉府。1913年に改称
- 延寿県:清代の長寿県。1913年に同賓県、1929年に延寿県と改称
- 汪清県
- 額穆県
- 樺川県
- 樺甸県
- 五常県:清代の五常府。1913年に改称
- 虎林県:清代の虎林庁。1913年に改称
- 琿春県:清代の琿春府。1913年に改称
- 珠河県:1921年、五常・同浜県の一部に烏珠河政治局を設置。1927年に改称
- 饒河県
- 舒蘭県
- 双城県:清代の双城府。1913年に改称
- 双陽県
- 長春県:清代の長春府。1913年に改称
- 長嶺県
- 同江県:清代の臨江府。1913年に臨江県、1914年に同江県と改称
- 東寧県:清代の東寧庁。1913年に改称
- 徳恵県
- 敦化県
- 寧安県:清代の寧安府。1913年に改称
- 農安県
- 磐石県
- 賓県:清代の賓州府。1913年に改称
- 浜江県:清代の浜江庁。1913年に改称
- 撫遠県:清代の綏遠州。1913年に綏遠県、1929年に撫遠県と改称
- 富錦県
- 扶余県:清代の新城府。1913年に改称
- 方正県
- 宝清県:1915年、同江県宝清地区に設置
- 勃利県:1916年、依蘭県勃利地区に設置
- 密山県:清代の密山府。1913年に改称
- 濛江県:清代の濛江州。1913年に改称
- 穆棱県
- 楡樹県:清代の楡樹直隷庁。1913年に改称
- 和竜県
- 設治局
- 乾安設治局:1928年、郭爾羅斯旗地区より分割設置
満州国崩壊後の行政区分 (50音順)
- 市
- 県
- 旗
行政察督区
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関連項目
脚注
- ^ 『政府公報』745号 1914年6月3日
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吉林省の歴史的地名 1928年 - 1931年 |
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