「ライチョウ」の版間の差分
150行目: | 150行目: | ||
[[イヌワシ]]など[[猛禽類]]の[[天敵]]を避けるため朝夕のほかに[[雷]]の鳴るような空模様で活発に活動することが名前の由来と言われているが<ref>[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、161頁]]</ref>、実際のところははっきりしていない。古くは「らいの鳥」と呼ばれており[[江戸時代]]より[[火災|火]]難、雷難よけの信仰があったが<ref name="雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁">[[#雷鳥が語りかけるもの|雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁]]</ref>、「らい」がはじめから「雷」を指していたかは不明である<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁">[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁]]</ref><ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁">[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁]]</ref>。ヨーロッパや北アメリカでライチョウ類は重要な狩猟対象の鳥として古くから利用されていて、信仰の対象として崇められていた日本とは対照的である<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁" />。狩猟文化があるイギリス人の[[ウォルター・ウェストン]]が日本に長期滞在した際の1894年(明治27年)8月8日に[[常念岳]]周辺でライチョウの狩猟を行っていた<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、163頁" />。 |
[[イヌワシ]]など[[猛禽類]]の[[天敵]]を避けるため朝夕のほかに[[雷]]の鳴るような空模様で活発に活動することが名前の由来と言われているが<ref>[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、161頁]]</ref>、実際のところははっきりしていない。古くは「らいの鳥」と呼ばれており[[江戸時代]]より[[火災|火]]難、雷難よけの信仰があったが<ref name="雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁">[[#雷鳥が語りかけるもの|雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁]]</ref>、「らい」がはじめから「雷」を指していたかは不明である<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁">[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁]]</ref><ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁">[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁]]</ref>。ヨーロッパや北アメリカでライチョウ類は重要な狩猟対象の鳥として古くから利用されていて、信仰の対象として崇められていた日本とは対照的である<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁" />。狩猟文化があるイギリス人の[[ウォルター・ウェストン]]が日本に長期滞在した際の1894年(明治27年)8月8日に[[常念岳]]周辺でライチョウの狩猟を行っていた<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、163頁" />。 |
||
文献上では[[1200年]]の歌集『夫木和歌抄』で[[後白河天皇|後白河法皇]]が、「しら山の 松の木陰に かくろひて やすらにすめる らいの鳥かな」と詠んだのが初出とされる<ref name="nakamura2007" />。江戸時代初期に中国の[[明]]から渡来した[[ |
文献上では[[1200年]]の歌集『夫木和歌抄』で[[後白河天皇|後白河法皇]]が、「しら山の 松の木陰に かくろひて やすらにすめる らいの鳥かな」と詠んだのが初出とされる<ref name="nakamura2007" />。江戸時代初期に中国の[[明]]から渡来した[[高泉性潡]]が『鶆(らい)』を著した名称も用いらるようになった<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、157頁">[[#ライチョウ・生活と飼育への挑戦|ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、157頁]]</ref>。1711年([[正徳 (日本)|正徳]]元年)に[[加賀藩]]がライチョウを見た白山と立山の登拝者から調査した調査では、「らいの鳥」が用いられ、1720年([[享保]]5年)の調査では「らいの鳥」と「雷鳥」の両方が用いられていた<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、157頁" />。江戸時代には立山、白山、御嶽山にライチョウが生息していることが、登拝者により広く知られていて、江戸時代後期に[[牧野貞幹]]が『野鳥写生図』でライチョウのオスとメスを写生し「鶆鳥」と表記し、毛利梅園が『毛利禽譜』で白山のライチョウのオスと雛を写生し「雷鳥」と表記している<ref name="雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁" />。1779年([[安永 (元号)|安永]]8年)に葛山源吾兵衛の『木の下陰』などにあるように長野県の[[諏訪地域]]や[[上伊那地域]]では「岩鳥」と呼ばれていて、1834年([[天保]]5年)の『信濃奇勝録』の[[乗鞍岳]]のものには「がんてう」の[[振り仮名]]が付けられていた<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁" />。1813年([[文化 (元号)|文化]]10年)の小原文英による『白山紀行』の写生図では「雷鳥」と「鶆鳥」の両方を記している<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁" />。地方名では富山県で「閑古鳥」、[[木曽地域|木曽]]の御嶽山で「御鳥」などの記録がある<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁" />。 |
||
1916-1918年(大正5-7年)の百科事典『[[広文庫]]』で「雷鳥に鶆に作るは誤、本邦の神鳥にして支那になし」と記載され、「雷鳥(ライチョウ)」の名称が一般的となった<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁" />。 |
1916-1918年(大正5-7年)の百科事典『[[広文庫]]』で「雷鳥に鶆に作るは誤、本邦の神鳥にして支那になし」と記載され、「雷鳥(ライチョウ)」の名称が一般的となった<ref name="ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁" />。 |
2020年9月3日 (木) 11:15時点における版
この記事の内容の信頼性について検証が求められています。 |
ライチョウ | |||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ライチョウ(手前:オス、奥:メス)
Lagopus muta muta | |||||||||||||||||||||||||||
保全状況評価[1] | |||||||||||||||||||||||||||
LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) | |||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||
学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Lagopus muta (Montin, 1781)[2][3] | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
Tetrao mutus Montin, 1781 | |||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||
ライチョウ[3][4] | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Ptarmigan[1] Rock ptarmigan[1][2][3][4] | |||||||||||||||||||||||||||
ライチョウ(雷鳥、Lagopus muta)は、鳥綱キジ目キジ科ライチョウ属に分類される鳥類。
分布
ライチョウ科の鳥は世界に6 属17種が生息し(但し分類には諸説ある)、ライチョウの仲間では最も寒冷な気候に適応した種である。ユーラシア大陸と北アメリカの北極海沿岸、ヨーロッパとアジアの一部の高山帯に広く分布する[5]。ピレネー山脈、アルプス山脈、日本には隔離分布している[6]。Johsgardによる1983年の報告で、フィンランドで約8,000羽、イギリスで2,000-20,000羽が生息していると推定されている[7]。
形態
孵化直後のヒナは背丈およそ6cmほどで、足は体と比較して大きい。成鳥の体重は400-600g程度(ヨーロッパのものがオス375-610 g、メス347-475g[6])。全長は約37cm、翼開長は約59cm[8]。
夏は褐色・冬は純白と季節によって羽毛の色が変化するのが特徴である。冬は羽毛の中に空気をたっぷり蓄えて体温を逃さないようにしている。羽毛は軸が2つに分かれその軸に突いた細かい羽毛の密度が高いため、空気をたくさん含むことができる。
春は黒い羽毛が混じりはじめる。オス個体では目の上には赤色の肉冠がある。これはオスの特徴で興奮しているサインである。メスは背中が茶色になる。
分類
スカンジナビア半島からコラ半島までのヨーロッパ大陸とスコットランドに分布する秋に翼が灰色になるグループと、これ以外のグループ(北シベリア、アラスカ、北部ユーコン地域、アリューシャン列島に分布する)に分類される[6]。日本の固有亜種 の亜種ライチョウは、後者である。
以下の亜種の分類は、IOC World Bird List(v 10.1)に従う[2]。分布はIOC World Bird List(v 10.1)および黒田・橋崎(1987)に従う[2][4]。
- Lagopus muta muta (Montin, 1781)
- スカンジナビア半島北部、ロシア北西部(コラ半島)
- Lagopus muta atkhensis Turner, 1882
- アダック島、アトカ島。
- L. m. chamberlaini、L. m. sanfordiはシノニムとする。
- Lagopus muta dixoni Grinnell, 1909
- アラスカ南東部のグレイシャー湾島
- Lagopus muta evermanni Elliot, 1896
- アッツ島
- Lagopus muta gerasimovi Red'kin, 2005
- ロシア(カラギンスキー島)
- Lagopus muta helvetica (Thienemann, 1829)
- アルプス山脈
- Lagopus muta hyperborea Sundevall, 1845
- スバールバル諸島とロシアのフランツ・ヨーゼフ諸島の最北に分布する最大亜種[9]。
- Lagopus muta islandorum (Faber, 1822)
- アイスランド
- Lagopus muta japonica Clark, 1907 ライチョウ[3]
- 日本(本州中部)固有亜種[10]。飛騨山脈・赤石山脈・火打山・焼山・乗鞍岳・御嶽山で繁殖する[10]。以前は木曽山脈・白山・八ヶ岳などにも分布していた[10]。分布の南限にあたり、大陸と陸続きだった最終氷期に進入し温暖化に伴い高山帯に遺存分布したと考えられている[11]
- 別名ニホンライチョウ[11]。
- Lagopus muta kurilensis Kuroda, 1924
- 千島列島
- Lagopus muta macruros Schiøler, 1925
- グリーンランド北東部
- Lagopus muta millaisi Hartert, 1923
- スコットランド
- Lagopus muta nadezdae Serebrovski, 1926
- シベリア南部、モンゴル国北部
- Lagopus muta nelsoni Stejneger, 1884
- アラスカ南部、アリューシャン列島(ウニマク島・ウナラスカ)
- Lagopus muta pleskei Serebrovski, 1926
- シベリア北部
- Lagopus muta pyrenaica Hartert, 1921
- ピレネー山脈中部および東部
- Lagopus muta reinhardi (Brehm, 1824)
- グリーンランド南部
- Lagopus muta ridgwayi Stejneger, 1884
- コマンドルスキー諸島
- Lagopus muta rupestris (Gmelin, 1789)
- 北アメリカ
- Lagopus muta saturata Salomonsen, 1950
- グリーンランド北西部
- Lagopus muta townsendi Elliot, 1896
- アムチトカ島、キスカ島、小シットキン島
- L. m. gabrielsoniはシノニムとする。
- Lagopus muta welchi Brewster, 1885
- ニューファンドランド島
- Lagopus muta yunaskensis Gabrielson & Lincoln, 1951
- アメリカ合衆国(ユナスカ島)
亜種ライチョウ
日本には亜種ライチョウが本州中部地方の高山帯(頸城山塊、飛騨山脈、御嶽山、赤石山脈)のみに生息する。蛙に似た鳴き声を発する。[12]日本の生息地が、ライチョウの南限である。日本国内の、現在の分布北限は新潟県頸城山塊の火打山と焼山、分布南限は赤石山脈(南アルプス)のイザルガ岳である[13]。なお、北海道にはエゾライチョウ属Tetrastesのエゾライチョウが生息する。北海道にLagopus属 が生息しない理由は分かっていない。
環境省は、有精卵を抱かせての孵化や天敵(キツネ、カラスなど)の生息状況調査を計画している[14]。
|
|
日本の過去の生息地
江戸時代以前の文献では蓼科山、八ヶ岳、白山にライチョウが生息していたと記録されているが、現在は生息していない[13]。岐阜県・石川県境に位置する白山は大正初期を最後に確認が途絶え、絶滅したとされた。 本来ライチョウの繁殖活動が確認されていない八ヶ岳東天狗岳、飯縄山や戸隠連峰高妻山で、1960年代以降数回にわたり登山者により写真撮影されたり、糞が確認されたことがある。これは、本来の生息地である高山帯の生息環境が悪化した事によって、新しい生息場所を求めて飛来した個体と考えられる[15]。
日本に生息する種の起源
ライチョウが日本にやって来たのはおよそ2万年前の氷期で、樺太、カムチャッカ半島を経由し本州中央部の高山帯に定住したが、氷期が終わり温暖になったことで大半のライチョウは寒い北へ戻ったが、ごく一部が日本の高山に残った[16]。現在は北極周辺が主な生息地域である。日本のライチョウは一番南の端ということになる。ミトコンドリアDNAの解析結果では、北アルプスに2系統、南アルプスに2系統が生息している[17]。また、年平均気温は現在より2-4℃高かった 6000年前から9000年前のヒプシサーマル期の前半に著しく個体数を減少させた事が遺伝的多様性に欠けた個体群を形成させた[18]。南部の生息地ほど遺伝的多様性に欠けている。同属の Lagopus属の分布で物理的な距離が最も近いのはカラフトであり、日本に生息する種は物理的にも隔絶されている。
日本の生息数
2005年の調査によれば新潟県頸城山塊の火打山と新潟焼山に約25羽、北アルプス朝日岳から穂高岳にかけて約2000羽、乗鞍岳に約100羽、御嶽山に約100羽、南アルプス甲斐駒ヶ岳から光岳にかけて約700羽生息しているとみられる。日本国内では合わせて約3000羽程度が生息していると推測されている[8][13]。2007年には南アルプス北岳で絶滅したとの報告があったが2008年には生息が再確認されている。
天敵の猛禽類や動物に捕食される以外に、山小屋などから排出されるゴミに混じる病原体やヒトが持ち込むサルモネラ菌やニワトリなどの感染症であるニューカッスル病、ロイコチトゾーン感染により国内のライチョウが減少することが懸念されている。また、登山者の増加に伴い登山道周辺のハイマツ帯が踏み荒らされ劣勢となり次第に減少しており、それに伴いライチョウの生息数も減少している。卵及び幼鳥やメスはオコジョ、テンやキツネなどの天敵に捕食されやすいと考えられ、オスの比率が高い地域は絶滅の前兆とされている[15]。
更に、以前からニホンザルに幼鳥が捕食されているとの情報がもたらされていたが、2015年には研究者が捕食しているニホンザルの写真撮影に成功した[19]。
生態
高山やツンドラに生息する[4]。日本では高山帯の岩場・ハイマツの茂みなどを隠れ家とし、ハイマツは営巣場所・食物としても利用される(ハイマツは中華人民共和国北東部・日本の高山帯・シベリア極東部・朝鮮半島北部にのみ分布するため、日本のように本種と同所的に分布する地域は限られる)[11]。
夏期は標高2,000-3,000mのハイマツ帯に分布し、繁殖期にはつがい毎に直径300-400m程度の縄張りを形成する。
春にはハイマツやお花畑の周辺に集まり採食する。ハイマツ周辺ではオス同士の縄張り争いが行われ、5-6月のハイマツの縄張り形成期には、縄張りに侵入してくるオスと激しい空中戦を行うことがある。孵化後はオスの縄張り活動はなくなり、単独またはオスだけの群れを形成する。
産卵は5月下旬-7月上旬に行われる。産卵用の巣は30cmから40cm程度の比較的背の低いハイマツやシャクナゲ類の陰に作られることが多い。メスは淡黄灰色の暗褐色の大小の斑点がある25g程度の卵を5個から10個程度産み、抱卵を行う。抱卵の時期にはメスは通常より10倍ほど大きな糞をする[20]。孵化日数は3週間程度である。孵化した雛は1か月で100gを越える大きさに成長する。幼鳥は4か月程度メスに保護され、10月には親鳥と同じ程度まで成長し親離れする。このころ白色の冬羽へと変化も始まる。
冬のライチョウはめったに飛ばない。ゆっくり歩いて雪の中で体力を温存する。夜、休む時には雪を掘り首だけ出して休む。また、脚に羽毛を持つのは他のキジ類にない特徴である。
一般的に登山者の間では「ガスの出ているような天候の時に見ることが多い」と言われている。もともと寒冷な地域を生活圏とする鳥であるため夏場の快晴時には暑さのためにハイマツ群落内、岩の隙間、雪洞の中などに退避しているという可能性、天敵から身を隠しているという2つの可能性からこのようなことが言われていると考えられる。寒さが得意なライチョウは逆に夏の暑さが苦手で気温が26℃以上になると呼吸が激しくなり、体調を崩したという報告もある。
厳冬期は餌を確保するために亜高山帯の森林限界付近まで降下し、ダケカンバの冬芽やオオシラビソの葉を餌としている姿が観察されている。
ヨーロッパと日本の亜種は定住性であるが、北方の亜種は広範囲の移動を行う[8]。飛ぶことはあまり得意ではないといわれており、基本的には地上を徘徊する。飛翔能力については、十分に解明されていないが、前述のように本来の生息域外の山塊で発見されていることから、低山帯を中継しながら15-30km程度の距離を飛ぶ能力は有していると考えられる。
人間との関係
スキー場建設などの観光開発や家畜の放牧などによる生息地の破壊、狩猟、送電線による衝突死、人間による攪乱などにより、生息数は減少している[1]。アルプスでは気候変動、北極圏では温暖化による低木林の増加による影響が懸念されている[1]。一方で2016年の時点では分布が非常に広く生息数も非常に多いと考えられているため、種として絶滅のおそれは低いと考えられている[1]。
ヨーロッパのいくつかの国、中国、日本でレッドリストの指定を受けていて、その他の地域では狩猟対象となっているところがある[5]。スウェーデンでは、1978-1980年に年間11,700羽ほどのライチョウが捕獲されている[7]。アイスランドでは、狩猟による生息数への影響調査が行われている[5]。
日本
イヌワシなど猛禽類の天敵を避けるため朝夕のほかに雷の鳴るような空模様で活発に活動することが名前の由来と言われているが[21]、実際のところははっきりしていない。古くは「らいの鳥」と呼ばれており江戸時代より火難、雷難よけの信仰があったが[22]、「らい」がはじめから「雷」を指していたかは不明である[23][24]。ヨーロッパや北アメリカでライチョウ類は重要な狩猟対象の鳥として古くから利用されていて、信仰の対象として崇められていた日本とは対照的である[24]。狩猟文化があるイギリス人のウォルター・ウェストンが日本に長期滞在した際の1894年(明治27年)8月8日に常念岳周辺でライチョウの狩猟を行っていた[7]。
文献上では1200年の歌集『夫木和歌抄』で後白河法皇が、「しら山の 松の木陰に かくろひて やすらにすめる らいの鳥かな」と詠んだのが初出とされる[11]。江戸時代初期に中国の明から渡来した高泉性潡が『鶆(らい)』を著した名称も用いらるようになった[25]。1711年(正徳元年)に加賀藩がライチョウを見た白山と立山の登拝者から調査した調査では、「らいの鳥」が用いられ、1720年(享保5年)の調査では「らいの鳥」と「雷鳥」の両方が用いられていた[25]。江戸時代には立山、白山、御嶽山にライチョウが生息していることが、登拝者により広く知られていて、江戸時代後期に牧野貞幹が『野鳥写生図』でライチョウのオスとメスを写生し「鶆鳥」と表記し、毛利梅園が『毛利禽譜』で白山のライチョウのオスと雛を写生し「雷鳥」と表記している[22]。1779年(安永8年)に葛山源吾兵衛の『木の下陰』などにあるように長野県の諏訪地域や上伊那地域では「岩鳥」と呼ばれていて、1834年(天保5年)の『信濃奇勝録』の乗鞍岳のものには「がんてう」の振り仮名が付けられていた[23]。1813年(文化10年)の小原文英による『白山紀行』の写生図では「雷鳥」と「鶆鳥」の両方を記している[23]。地方名では富山県で「閑古鳥」、木曽の御嶽山で「御鳥」などの記録がある[23]。
1916-1918年(大正5-7年)の百科事典『広文庫』で「雷鳥に鶆に作るは誤、本邦の神鳥にして支那になし」と記載され、「雷鳥(ライチョウ)」の名称が一般的となった[23]。
日本のライチョウは江戸時代までは信仰の対象として保護されていたが、明治時代に一時乱獲され、以後の以下年表の法律で保護され現在に至っている[26]。
- 古代山岳信仰 - 江戸時代よりずっと以前から山岳信仰登拝者に知られ、神秘性を帯びた「神の使者」の鳥とされていた[27]。
- 江戸時代 - 明治以前は、宗教的な殺生禁断の戒律により人により捕獲されることは少なかったと考えられている[27]。
- 明治時代 - 西洋思想の流入と、狩猟具の発達に伴い狩猟が行われていた。
- 1895年(明治28年)3月27日 - 狩猟法施行細則により、雷鳥および松鶏の狩猟停止期間が4月16日から8月14日までと定められた[28]。
- 1901年(明治34年) - 狩猟法が改定されその狩猟停止期間が4月16日から10月14日までと定められた。
- 1910年(明治43年) - ライチョウが、狩猟法の保護鳥に指定されて、捕獲禁止となった。
- 1923年(大正12年) - ライチョウが、史蹟名勝天然紀念物保存法により天然記念物に指定された[29]。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、白山周辺の山域が白山鳥獣保護区に指定された[30]。
- 1972年(昭和47年)11月30日 - ニホンライチヨウが、特殊鳥類の譲渡等の規制に関する法律により特殊鳥類に指定された[31]。
- 1984年(昭和59年)11月1日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、北アルプス鳥獣保護区が拡大され、北アルプスの主要な山域が指定された[32]。
- 1999年(平成11年)9月15日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律により、保護繁殖を特に図る必要がある鳥獣に指定される[33]。
- 2003年(平成15年)4月15日 - 鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律を全部改正した鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律により、希少鳥獣に指定される[34]。
- 2012年(平成24年)9月18日 - 中央環境審議会野生生物部会において、「ライチョウの保護増殖事業計画の策定について」答申がなされた[35]。
地球温暖化、低地からのアカギツネ・テン・ハシブトガラス・チョウゲンボウなどの捕食者の侵入および増加、低地からのイノシシ・ニホンジカ・ニホンザルなどの侵入および植生の破壊などにより生息数は減少している[10][11]。1980年代に行われた縄張りの垂直分布調査から、「年平均気温が3℃上昇した場合、日本のライチョウは絶滅する可能性が高い」ことが指摘されている[11]。木曽駒ヶ岳ではロープウェイの設置による登山客の増加に伴い、残飯を求めて捕食者のテンやキツネ・ハシブトガラスなどが侵入したため、1965年頃までは確認されていたものの絶滅したとされる[11]。2018年7月に木曾駒ヶ岳で登山者による撮影例があり、8月に調査が行われ卵と巣が発見された[36]。採取された羽毛の遺伝子解析から乗鞍岳から飛来した個体と考えられ、2018年11月にも複数の撮影例があることから2017年から2018年にかけて少なくともメス1羽が定着していたと考えられている[36]。白山では1930年代に絶滅したと考えられていたが、2009年5月に撮影例があり同年6月の調査でもメス1羽が確認された(2011年の時点で、2010年にも確認例がある)[37]。2011年に発表された2009年に白山で発見された個体と1936年に採取された白山産の剥製標本のミトコンドリアDNA制御領域の分子系統解析では、いずれも飛騨山脈や乗鞍岳・御岳山でみられるハプロタイプに含まれるという解析結果が得られており、2009年に発見された個体はこれらの地域から飛来してきたと考えられている[38]。
1955年に、国の特別天然記念物に指定されている[11]。1993年に国内希少野生動植物種に指定され、卵も含め捕獲・譲渡などが原則禁止されている[39]。 1960年に白馬岳で捕獲した個体(オス1羽、メス2羽、ヒナ4羽の計7羽)を富士山へ移し、1966年に9羽が確認されて繁殖にも成功したが、1970年以降の目撃情報はなく定着しなかった[11]。2015 - 2016年に乗鞍岳で22個の卵が採取され、人工孵化させる試みが進められた[39]。梅雨時の悪天候や捕食者による雛の死亡率が高いため、孵化直後の雛を母親と一緒にケージで保護し飛翔できるようになったら放鳥するという試みが進められている[10]。日本での1961 - 1985年における繁殖期の縄張りから推定した生息数は、2,953羽とされる[11]。2000年代に同様の調査から推定した生息数は、約1,700羽とされる[10]。富山県の立山の生息地で立山黒部アルペンルートの開発前後で生息数が約250羽から約150羽(1983年)に減少したと調査報告されている[40]。
2019年の時点でいしかわ動物園・大町山岳博物館・恩賜上野動物園・富山市ファミリーパーク・那須どうぶつ王国の5施設で、29羽(オス18、メス11羽)が飼育されている[39]。
- 1963年(昭和38年) - 生態研究のため、長野県大町市の大町山岳博物館が飼育研究を開始した。
- 1966年(昭和41年) - 富山県も飼育研究を開始した。
- 1967年(昭和42年)7月 - 南アルプス北岳から山梨県金峰山に5羽が移植されたが、定着しなかった。定着しなかった理由として、隠れ家や営巣場所となるハイマツ帯の面積が小さかったことや、山体の形成年代が新しく餌となる高山植物が十分に無かったため、とされている。
- 1969年(昭和44年) - 山梨県も飼育研究を開始した。しかし各県の飼育は、寄生虫や家禽類起源の感染症、サルモネラ菌、トリアデノウイルス、緑膿菌[41]などにより死滅する例が多く、安定した増殖には繋がっていない。
- 2008年(平成20年)12月5日 - ノルウェースバールバル諸島産の大型亜種スバールバルライチョウが、上野動物園で公開されており、そこで生まれた個体が長野市茶臼山動物園や富山市ファミリーパーク[9]でも公開されている。
富山市ファミリーパークでは、募金によりライチョウの飼育・繁殖技術の確立と野生復帰を目指す「ライチョウ基金」を設立している[42]。
国際ライチョウシンポジウム
ライチョウ属などの研究に関する国際的なシンポジウムがほぼ3年ごとに開催されている。2012年7月20日-24日に長野県松本市で「第12回国際ライチョウシンポジウム」が開催された[45]。
開催地
地方公共団体の鳥に指定している自治体
以下の自治体の鳥に指定されている。
都道府県
市町村
日本国外
雷鳥とサンダーバード
JR西日本の列車サンダーバードはアメリカ先住民族に伝わる空想の鳥、サンダーバードから命名されたものであり、ライチョウとは関係ない。
関連文献
写真集
- 水越武 『雷鳥―日本アルプスに生きる』 平凡社、1991年7月。ISBN 4582529275。
- 高木清和 『雷鳥』 山と溪谷社、1994年5月。ISBN 4635590305。
- 若林繁 『らいちょう 厳しい自然の中に生きる立山の雷鳥』 光村印刷、1994年9月。ISBN 4896158296。
絵本
- 天野明 『ライチョウの四季―200万年を生きた鳥』 大日本図書、1980年1月20日。ISBN 4477165552。
- 遠藤和子 『ライチョウは生きる』 小峰書店、1988年7月。ISBN 4338069090。
出典
- ^ a b c d e f BirdLife International. 2016. Lagopus muta (errata version published in 2017). The IUCN Red List of Threatened Species 2016: e.T22679464A113623562. https://doi.org/10.2305/IUCN.UK.2016-3.RLTS.T22679464A89358137.en. Downloaded on 01 August 2020..
- ^ a b c d Pheasants, partridges, francolins, Gill F, D Donsker & P Rasmussen (Eds). 2020. IOC World Bird List (v10.2). https://doi.org/10.14344/IOC.ML.10.2. (Downloaded 01 August 2020.)
- ^ a b c d 日本鳥学会「ライチョウ」『日本鳥類目録 改訂第7版』日本鳥学会(目録編集委員会)編、日本鳥学会、2012年、1-2頁
- ^ a b c d 黒田長久・橋崎文隆 「ライチョウ亜科の分類」『世界の動物 分類と飼育10-I (キジ目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、1987年、45-55頁。
- ^ a b c “Lagopus mutus Montin, 1776” (英語). GSG. 2012年7月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、184-185頁
- ^ a b c ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、163頁
- ^ a b c 中川雄三(監修) 編『ひと目でわかる野鳥』成美堂出版、2010年1月、136頁。ISBN 978-4415305325。
- ^ a b “スバールバルライチョウ”. 富山市ファミリーパーク. 2012年7月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g 中村浩志 「ライチョウ」『レッドデータブック2014 日本の絶滅のおそれのある野生動物 2 鳥類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、100-101頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 中村浩志 「ライチョウLagopus mutus japonicus」『日本鳥学会誌』第56巻 2号、日本鳥学会、2007年、93-114頁。
- ^ “市川美織、ライチョウは「鳴き声がカエル」 至近距離で見ても逃げない性格に関心”. oricon. 2020年8月7日閲覧。
- ^ a b c 中村浩志 著、日高敏隆(監修) 編『日本動物大百科 鳥類II』平凡社、1997年3月、10-11頁。ISBN 4582545548。
- ^ 「ライチョウ 来年度ふ化試験/木曽駒ケ岳で生息確認/絶滅危惧種 野生復帰目指す」『毎日新聞』朝刊2019年1月11日(総合・社会面)2019年1月24日閲覧。[出典無効]
- ^ a b 羽田健三、「山岳地帯の環境破壊による鳥類の分布と生態の変化について : 特にライチョウを中心として」 日本生態学会誌 1974年 24巻 4号 p.261-264 , NAID 110001881510, doi:10.18960/seitai.24.4_261
- ^ 雷鳥が語りかけるもの (2006)、19-21頁
- ^ ニホンライチョウの遺伝的多様性と分化 日本鳥類学会 (PDF)
- ^ 馬場芳之、藤巻裕蔵、吉井亮一 ほか、「ニホンライチョウ(Lagopus mutus japonicus)におけるミトコンドリアDNAコントロール領域の遺伝変異性」 日本鳥学会誌 2001年 50巻 2号 p.53-64,107, doi:10.3838/jjo.50.53
- ^ ニホンザル、ライチョウ捕食の瞬間 研究者が初めて確認 朝日新聞デジタル 記事:2015年8月31日、閲覧:2015年9月1日[出典無効]
- ^ 雷鳥が語りかけるもの (2006)、31頁
- ^ ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、161頁
- ^ a b 雷鳥が語りかけるもの (2006)、101-102頁
- ^ a b c d e ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、159頁
- ^ a b ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、162頁
- ^ a b ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、157頁
- ^ 雷鳥が語りかけるもの (2006)、104-105頁
- ^ a b ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、6-7頁
- ^ 1895年(明治28年)3月27日農商務省令第4号「狩猟法施行細則」
- ^ 1923年(大正12年)3月7日内務省告示第57号「史蹟名勝天然記念物保存ニ依リ指定」
- ^ 1969年(昭和44年)3月26日農林省告示第357号「鳥獣保護区を設定した件」
- ^ 1972年(昭和47年)11月27日総理府令第71号「特殊鳥類の譲渡等の規制に関する法律施行規則」
- ^ 1984年(昭和59年)10月23日環境庁告示第64号「鳥獣保護区を設定する件」
- ^ 1999年(平成11年)9月14日環境庁告示第43号「保護繁殖を特に図る必要がある鳥獣を定める件」
- ^ 2002年(平成14年)12月26日環境省令第28号「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律施行規則」
- ^ “「ライチョウ保護増殖事業計画の策定について」及び「国指定鳥獣保護区及び特別保護地区の指定について」に関する中央環境審議会答申について(お知らせ)”. 環境省 (2012年9月18日). 2012年12月28日閲覧。
- ^ a b 中央アルプス木曽駒ヶ岳のライチョウの生存確認について(環境省・2020年8月1日に利用)
- ^ 上馬康生・佐川貴久・白井伸和・中村浩志・宮野典夫 「2009・2010年に白山で観察された雌ライチョウの行動,食性および営巣場所」『石川県白山自然保護センター研究報告』第37集、2011年、41-47頁。
- ^ 中谷内修・上馬康生 「白山で発見されたライチョウの遺伝子分析」『石川県白山自然保護センター研究報告』第37集、2011年、49-55頁。
- ^ a b c 国内希少野生動植物種一覧・ニホンライチョウの公開展示について(環境省・2020年8月1日に利用)
- ^ ライチョウ・生活と飼育への挑戦 (1992)、7頁
- ^ 佐藤良彦、太田俊明、平澤博一 ほか、肉芽腫病変を伴った日本ライチョウの緑膿菌感染症例 日本獣医師会雑誌 Vol.39 (1986) No.8 P.516-519, doi:10.12935/jvma1951.39.516
- ^ 「ライチョウ基金」について富山市ファミリーパーク(2018年2月2日閲覧)
- ^ “レッドデータブックにいがた”. 新潟県 (2001年3月). 2020年8月7日閲覧。
- ^ “岐阜県レッドデータブック(動物編)改訂版”. 岐阜県 (2010年8月). 2020年8月7日閲覧。
- ^ “12TH INTERNATIONAL GROUSE SYMPOSIUM(第12回国際ライチョウシンポジウム)” (PDF) (英語). The Conference Committee of the IGS2012. 2012年7月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 雷鳥が語りかけるもの (2006)、173頁
参考文献
- 大町山岳博物館『ライチョウ・生活と飼育への挑戦』信濃毎日新聞社、1992年2月。ISBN 4784092056。
- 中村浩志『雷鳥が語りかけるもの』山と溪谷社、2006年8月。ISBN 4635230066。
- 中村浩志、北原克宣、所洋一、火打山におけるライチョウのなわばり分布と生息個体数 信州大学教育学部附属志賀自然教育研究施設研究業績 (40): 1-8(2003), hdl:10091/2062
- 畑正憲『雷鳥の山―天然記念物の動物たち』角川書店、1993年5月。ISBN 4041319234。.
- 野鳥歳時記 ライチョウ(雷鳥)
- 第4回ライチョウ会議資料(2003年9月6 - 7日、東京農業大学) 日本大学・生物資源科学部
関連項目
- 矢澤米三郎(生物学者)
- 大町山岳博物館
- 恩賜上野動物園
- 長野市茶臼山動物園
- 富山市ファミリーパーク
- 雷鳥 (列車)
- マスコット - カターレ富山、富山GRNサンダーバーズ、富山グラウジーズ、松本山雅FC
- 雷鳥 (お笑いコンビ)
外部リンク
- 大町山岳博物館/その生い立ちとライチョウ研究 - 山小舎カルチャー 講演資料 1998年6月 宮野典夫