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*: 日本政府はイギリスで損害賠償訴訟を起こし、P&O社は解決金を支払い和解。本艦喪失の保険金により代艦として「[[龍田 (通報艦)|龍田]]」が建造された。 |
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* [[キュラソー (軽巡洋艦)|キュラソー]](イギリス・軽巡洋艦)と[[クイーン・メリー (客船)|クイーン・メリー]](イギリス・客船) - 1942年10月2日、死者239名 |
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*: [[アイルランド島]][[ドニゴール県]]沖を船団護送中、対潜警戒のジグザグ行動をとった「クイーン・メリー」が「キュラソー」の側面に衝突し、「キュラソー」は船体を切断され沈没。生存者99名。 |
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*: イギリス政府は「クイーン・メリー」船主のキュナード・ホワイト・スター社(現・[[キュナード・ライン]])を相手取り損害賠償訴訟を起こすも敗訴。 |
*: イギリス政府は「クイーン・メリー」船主のキュナード・ホワイト・スター社(現・[[キュナード・ライン]])を相手取り損害賠償訴訟を起こすも敗訴。 |
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* [[てるづき (護衛艦)|てるづき]](日本・護衛艦) - 1963年3月30日、死者5名 |
* [[てるづき (護衛艦)|てるづき]](日本・護衛艦) - 1963年3月30日、死者5名 |
2020年8月30日 (日) 23:45時点における版
本記事では軍艦の事故(ぐんかんのじこ)について記述する。軍艦とは戦闘を用途とする船であり、その性質上火薬・燃料油などの危険物を大量に搭載する。このため、一旦艦内で事故が発生すると、それはしばしば艦の存亡を危うくするほどの重大事態に発展する。
水上艦艇の事故
火災
一般に近代軍艦では火災の危険を局限するために可燃物を極力排除していることが多い(特にダメージコントロールの概念が浸透して以降)。しかし完全に排除することはできないし、船質が金属であるため何らかの要因により火花(スパーク)が発生する危険は常にある。また近年では電子兵装の比重が増し、この配線ケーブルなどが火災の発生源になった事例もある。
- 代表的な事例(国籍不同・発生日時順、以下同じ)
- 横浜港ドイツ軍艦爆発事件(ドイツ) - 1942年11月30日、死者102名
- ターナー (アメリカ・駆逐艦)-1944年1月3日
- ニューヨーク沖に停泊中、爆発事故を起こし沈没、天候が非常に悪く猛吹雪の吹く中、沿岸警備隊に試験配備されていたシコルスキーR-4による輸血資材の空輸が行われ乗員の救助に貢献した。
船体構造に起因する事故
新技術の採用や無理な性能要求等に起因した設計上の不備を主たる原因とする事案である。
- 代表的な事例
天候・海象に起因する事故
軍艦も船舶であり、天候の影響から逃れられるものではない。嵐・高波による転覆・沈没事案は枚挙に暇がない。
- 代表的な事例
- 開陽丸(江戸幕府・汽走フリゲート)と神速丸(江戸幕府・運送船) - 1868年12月28日・1869年1月4日
- キャプテン(イギリス・砲塔艦) - 1870年9月6日、死者約480名
- エルトゥールル号遭難事件(オスマン帝国・汽走フリゲート) - 1890年9月16日、死者・行方不明者587名前後(諸説あり)
- 扶桑(日本・中央砲郭艦) - 1897年10月29日
- アポロ級シビル(イギリス・防護巡洋艦) - 1901年1月16日
- 春雨(日本・駆逐艦) - 1911年11月24日、死者44名
- 新高(日本・防護巡洋艦) - 1922年8月26日、死者300名超
- 早蕨(日本・駆逐艦) - 1932年12月3日、死者104名
- 第四艦隊事件(日本) - 1935年9月26日、死者54名
- ハル、モナハン、スペンス(アメリカ海軍・駆逐艦) - 1944年12月18日
- いずれも第3艦隊所属としてフィリピン攻略戦へ参加中にサマール島沖で巨大な台風(アメリカ名Typhoon Cobra)に遭遇し沈没。
- 原因としては、開戦後に追加された対空兵装によるトップヘビーや、そもそもの凌波性・対波性の不足が挙げられる。
- 又この台風により、空母を含む多数の艦船に損傷が発生し、100機以上の航空機が流失、3艦を含む全体での死者は790名に上っている。
失跡
単独航海をしていた船舶がいつまで待っても目的地に現れずに忽然と姿を消してしまう事案は古来軍民を問わず時々発生しており、中にはそれきり再発見に至らない事例がある。天候・海象により遭難したとの推定がなされることが多いが、いずれも原因不明である。
- 代表的な事例
座礁
軍艦は商船のように調査済の海路ばかりを通航するとは限らず、沿海では座礁の危険と隣り合わせである。
- 代表的な事例
- モンターギュー(イギリス・前弩級戦艦) - 1906年5月30日
- 浅間(日本・装甲巡洋艦) - 1915年1月31日
- メキシコのバハ・カリフォルニア半島中部西岸で、海図に未記載の暗礁で座礁し行動不能に。工作艦「関東」の支援により離礁したのは同年5月8日であった。
- 時津風(日本・駆逐艦) - 1918年3月25日
- ホンダポイント遭難事件(アメリカ・駆逐艦) - 1923年9月8日、死者23名
- カリフォルニア州沖を訓練航行中の米駆逐艦戦隊が航法の誤りにより次々と座礁、7隻が沈没、2隻が小破。
- 関東(日本・工作艦) - 1924年12月11日、死者99名
- 国後(日本・特別輸送艦)と神風(日本・特別輸送艦) - 1946年6月4日・7日
- 静岡県御前崎付近で「国後」が座礁大破。3日後、同艦の救援に来航した「神風」も付近で座礁。両艦とも放棄、のち解体。
- ラムーア・カウンティ(アメリカ・戦車揚陸艦) - 2000年9月12日
- ノッティンガム(イギリス・ミサイル駆逐艦) - 2002年7月7日
海氷による事故
イギリス客船「タイタニック」の氷山接触の例でもよく知られているように、海氷はひとたび衝突すれば他の浮流物とは比較にならない破壊力で鋼船をも引き裂く、航行の危険となる障碍物である。
- 代表的な事例
- チャタヌーガ(アメリカ・汽走スループ) - 1871年12月
- 南北戦争終戦に伴う軍艦余剰のため竣工の目処が立たないままフィラデルフィア海軍造船所に係船中、流氷により船体に破口を生じ沈没。
- ふじ(日本・砕氷艦) - 1970年2月25日
軍艦間の水上衝突
軍民を問わず、衝突事故は多くの場合、船舶間での錯誤などに起因する。
軍艦の場合は商船などより緊密な隊形を組む = 相互の間隔が狭いことが多く、事故が発生し易い。また1910年代頃までは衝角を装備した艦が少なからず存在し、これが被害を拡大させた。
- 代表的な事例
- ヴィクトリア(イギリス・戦艦)とキャンパーダウン(イギリス・戦艦) - 1893年6月22日、死者358名
- 東地中海での演習で2列縦陣で航行中、司令官が左列に右回頭、右列に左回頭を命じたため両列の先頭艦同士が衝突。「ヴィクトリア」は「キャンパーダウン」の衝角に船腹を破られて沈没した。生存者357名。
- 春日(日本・装甲巡洋艦)と吉野(日本・防護巡洋艦) - 1904年5月15日、死者300名超
- 美保関事件(日本) - 1927年8月24日、死者119名
- 北上(日本・軽巡洋艦)と阿武隈(日本・軽巡洋艦) - 1930年10月20日
- 特別大演習における夜間演習で「北上」の後方に「阿武隈」が続航中、「阿武隈」が「北上」の左舷中央部に衝突。「阿武隈」は1番主砲塔より前部の艦首を喪失。
- 電(日本・駆逐艦)と深雪(日本・駆逐艦) - 1934年6月29日
- 済州島南方で演習中に「深雪」艦中央部に衝突、「深雪」の船体は断裂し後部はその場で沈没、前部は軽巡洋艦「那珂」が曳航しようとするも途中で断念し放棄、「電」は艦首部を喪失し、軽巡洋艦「那珂」に曳航され、後進で佐世保に帰投、修理は呉で約三ヶ月間かけて行われた。この事故により死者3名、行方不明者2名が出た。尚、この事故により「深雪」は戦前に沈没した唯一の特型駆逐艦となった。
- ワスプ(アメリカ・航空母艦)とホブソン(アメリカ・掃海駆逐艦)
- 1952年にアメラダへ帰港する際、進路変更をした「ワスプ」が掃海駆逐艦「ホブソン」の左舷に衝突。
- 「ワスプ」は艦首下部を喪失「ホブソン」は船体を両断され艦長以下170名以上の死者を出し沈没した。
- あけぼの(日本・警備艦)といなづま(日本・警備艦) - 1960年6月4日、死者2名
- 津軽海峡東方で夜間対潜訓練中、「あけぼの」が「いなづま」の右舷艦橋直下に衝突。「あけぼの」は艦首を折損、「いなづま」は11室が全壊。
- 原因は「あけぼの」側の命令誤認。
- メルボルン(オーストラリア・軽空母)とヴォイジャー(オーストラリア・駆逐艦) - 1964年2月10日、死者82名
- 夜間、併走していた両艦は右転するも針路が錯綜し衝突、「ヴォイジャー」が沈没。
- ジョン・F・ケネディ(アメリカ・正規空母)とベルナップ(アメリカ・ミサイル巡洋艦) - 1975年11月22日、死者7名
- あまぎり(日本・護衛艦)とはまぎり(日本・護衛艦)- 1992年8月28日
- セオドア・ルーズベルト(アメリカ・原子力空母)とレイテ・ガルフ(アメリカ・イージス巡洋艦) - 1996年10月14日
- デンバー(アメリカ・ドック型揚陸艦)とユーコン(アメリカ・給油艦) - 2000年7月13日
- オアフ島西方沖で、洋上給油のために「ユーコン」の右につこうと同給油艦の後方より接近した「デンバー」が「ユーコン」の右舷後部に衝突。給油艦の油槽破損および燃料油漏出は無かった。
民間船との水上衝突
軍艦の衝突相手が民間船であった場合、往々にして責任の所在や補償交渉などで世間を騒がせることになる。
- 代表的な事例
- 千島(日本・通報艦) - 1892年11月30日、死者74名
- キュラソー(イギリス・軽巡洋艦)とクイーン・メリー(イギリス・客船) - 1942年10月2日、死者239名
- てるづき(日本・護衛艦) - 1963年3月30日、死者5名
- 浦賀水道航路を未明に通航中、右舷後部に貨物船「賀茂春丸」が追突。
- アーサー・W・ラドフォード(アメリカ・駆逐艦) - 1999年2月5日
- 護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件(日本・イージス護衛艦) - 2008年2月19日、死者2名
- 護衛艦くらまコンテナ船カリナ・スター衝突事件(日本・護衛艦)- 2009年10月27日、負傷者6名
- フィッツジェラルド(アメリカ・ミサイル駆逐艦)とACX Crystal(フィリピン・コンテナ船) - 2017年6月17日
- ヘルゲ・イングスタッド(ノルウェー・イージスフリゲート)と石油タンカー - 2018年11月8日
艦載兵器による事故
近代軍艦が装備もしくは搭載する兵器はその多くが火薬を用いた火器であり、品質不良や作動不良があったり取扱いを誤ったりするとたちまち大事故に直結し、多くの人命や艦そのものを危機に晒すことになる。
弾薬庫の発火
弾薬庫に搭載した砲弾・装薬・爆弾等が何らかの要因により発火・爆発に至った事案である。海軍内部でのいじめに対する報復が原因で起きた事件もある、とされる[19]。
爆発に伴い発生したエネルギーは船体に重大なダメージを与え、しばしば船体の切断や水線下への破口形成等に発展し、艦の沈没に直結する。
- 代表的な事例
- メイン(アメリカ・戦艦) - 1898年2月15日、死者266名(日本人8名を含む)
- 三笠(日本・前弩級戦艦) - 1905年9月11日、死者339名
- 佐世保港内に停泊中、後部弾薬庫が爆発し沈没。
- 艦は翌年8月浮揚され、修理の後1908年4月再就役した。
- 松島(日本・防護巡洋艦) - 1908年4月30日、死者223名前後
- 馬公港内に停泊中、後部弾薬庫が爆発し沈没。
- インペラトリッツァ・マリーヤ(ロシア・弩級戦艦) - 1916年10月20日、死者225名
- セヴァストポリ港内に停泊中、火災が副砲弾薬庫に引火し爆発・沈没。生存者85名。
- 筑波(日本・巡洋戦艦) - 1917年1月14日、死者73名
- 横須賀港内に停泊中、前部弾薬庫が爆発し沈没。
- ヴァンガード(イギリス・弩級戦艦) - 1917年7月9日、死者843名
- スカパ・フローに停泊中、弾薬庫が爆発し沈没。
- 河内(日本・弩級戦艦) - 1918年7月12日、死者621名
- 徳山湾に停泊中、1番主砲塔付近で爆発があり、横転し沈没。生存者438名。
- 陸奥(日本・超弩級戦艦) - 1943年6月8日、死者1,121名
武器周辺での事故
砲側や魚雷発射管、ミサイル発射機など武器の周辺で、火薬ないし機械等により事故となった事案である。
- 代表的な事例
- 常磐(日本・機雷敷設艦) - 1927年8月1日、死者35名
- 足柄(日本・重巡洋艦) - 1935年9月14日、死者24名
- アイオワ(アメリカ・超弩級戦艦) - 1989年4月19日、死者47名
- プエルトリコ近海で実弾射撃演習中、2番主砲塔内部で爆発。
- 原因は静電気による装薬の引火と断定。
暴発・腔発
砲の作動不良等により不時発射したり、正常に発射されなかった砲弾が砲身内に留まり爆発するなどの事案である。腔発は砲身内に異物が侵入することで生起し易い。
- 代表的な事例
- 日向(日本・超弩級戦艦) - 1942年5月5日、死者51名
- まつゆき(日本・護衛艦) - 1997年8月29日
- はるな(日本・護衛艦) - 1999年2月18日
- 文武大王(韓国・駆逐艦) - 2007年5月28日
誤射
何らかの理由により指定した目標以外を攻撃したり、意図に反して砲・ミサイル等が発射された等の事案である。
- 代表的な事例
- リチャード・M・ローウェル(アメリカ・護衛駆逐艦) - 1944年10月3日、死者79名
- イラン航空655便撃墜事件(アメリカ・イージス巡洋艦) - 1988年7月3日、死者290名
- ホルムズ海峡で米艦「ヴィンセンズ」が、イラン航空のエアバスA300B2-203旅客機をイラン空軍のF-14A戦闘機と誤認し、スタンダードSM-1MR艦対空ミサイルにより撃墜。
- ジャレット(アメリカ・ミサイルフリゲート) - 1991年2月25日
- サラトガ(アメリカ・正規空母) - 1992年10月1日、死者5名
- エーゲ海でNATO軍の演習中にシースパロー艦対空ミサイルを誤射、ミサイルはトルコ海軍のロバート・H・スミス級機雷敷設駆逐艦(アレン・M・サムナー級駆逐艦の派生型)「ムアヴェネト」(元・米艦「DM-33 グウィン」)の艦橋に命中し艦長以下5名が死亡、15名が負傷した。
- ゆうぎり(日本・護衛艦) - 1996年6月4日
- ミサイル艇3号(日本・ミサイル艇) - 2006年9月5日
潜水艦による事故
潜水艦は水中という特殊環境下で行動するため、艦の構造が独特であり、潜水艦特有の事故も多い。
潜水艦の密閉性の高さは有毒ガス発生時などの被害拡大要因になり、また潜航中の場合は一旦事故が発生すると乗員の救難は困難を極める。このため潜水艦救難専用の水上艦を保有する国が少なくない。
他の艦種に比べて秘密性が高いため、救助や原因の検証に際して制約を伴うこともある。
潜水艦の座礁
潜水艦は艦上からの見通しが悪いうえ、水上における操舵性も水上艦船に比べて一般に劣るため、調査済の航路以外の沿海での行動は座礁の危険が大きい。
- 代表的な事例
- ウィスキー・オン・ザ・ロック(ソ連) - 1981年10月27日
- 江陵浸透事件(北朝鮮) - 1996年9月18日
浮上中の潜水艦との衝突
潜水艦は浮上状態であっても乾舷や全高が極端に低く、加えて水上からの被発見の可能性を減ずるために暗色の船体塗粧が施されていることが多いため、他艦船からの視認性が非常に低い。このことは平時より衝突事案の生起し易い要因となっている。
- 代表的な事例
- メイ島の戦い(イギリス) - 1918年1月31日
- 伊号第六十三潜水艦(日本)と伊号第六十潜水艦(日本) - 1939年2月2日、死者81名
- 伊号第六十一潜水艦(日本) - 1941年10月2日、死者70名
- 潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件(日本) - 1988年7月23日、死者30名
- パコーチャ(ペルー) - 1988年8月26日、死者8名
水中の潜水艦と水上艦との衝突
潜水艦は特に水中からの浮上時において聴音による周囲確認が鈍るため、水上を航行中の艦船に衝突する事案がたびたび生起している。
- 代表的な事例
- 第四三号潜水艦(日本)と龍田(日本・軽巡洋艦) - 1924年3月19日、死者45名
- 佐世保湾を航行中に衝突、43号潜が沈没し全員死亡。
- 同潜水艦は翌月浮揚され、修理の後再就役。同年11月1日「呂号第二十五潜水艦」に改称された。
- スルクフ(自由フランス) - 1942年2月18日、死者130名(一説に150名)
- 貨物船日昇丸潜水艦ジョージ・ワシントン衝突事件(アメリカ) - 1981年4月9日、死者2名
- 甑島列島南西沖の東シナ海で、潜望鏡深度で航行していた原潜「ジョージ・ワシントン」と日本の貨物船「日昇丸」が衝突。「日昇丸」は沈没、「ジョージ・ワシントン」はセイル前端を小破。同艦は救助活動も救助要請の連絡もせずに現場を去ったため、当て逃げとして非難された。
- 水産実習船えひめ丸潜水艦グリーンビル衝突事故(アメリカ) - 2001年2月10日、死者9名
- オアフ島南方近海で、原潜「グリーンビル」が緊急浮上訓練の際に愛媛県立宇和島水産高等学校の漁業実習船「えひめ丸」に衝突、「えひめ丸」が沈没。
- 原因は「グリーンビル」側のソナー監視不十分。
潜水艦どうしの水中衝突
潜航中の潜水艦どうしが水中で衝突する事案が、時折報告されている。原因としては、現代の潜水艦は水中ではほぼ無音で行動するため、すぐ近くを航行していても互いの存在に気付かないものと考えられている。
- 代表的な事例
- コストロマ(ロシア)とバトンルージュ(アメリカ) - 1992年2月11日
- ヴァンガード(イギリス)とル・トリオンファン(フランス) - 2009年2月4日[28]
- ともに大西洋の深海を潜航中、ほぼ正面から衝突。両艦とも艦首を破損して母港に帰港した。
浮上不能事故
潜航中の漏水ないし船体破損による浸水で浮上不能となった事案である。海上公試の潜航試験において事故があった場合、造船所職員の民間人が犠牲になることもある。
- 代表的な事例
- 第六潜水艇(日本) - 1910年4月15日、死者14名
- スコーラス(アメリカ) - 1939年5月23日、死者23名
- ポーツマス沖で潜航試験中、後部機関室より浸水し沈没。レスキュー・チェンバーを用いた救難作戦が史上初めて実施され、33名が救出された。
- 艦は同年9月浮揚され、翌年「セイルフィッシュ」に改称されて再就役した。
- セティス(イギリス) - 1939年6月1日、死者94名
- ランセットフィッシュ(アメリカ) -1945年3月15日、係留中の点検の際、後部魚雷発射管から浸水し沈没、8日後に引き上げ同月24日退役
- スレッシャー(アメリカ) - 1963年4月10日、死者129名
- ミネルブ(Minerve)(フランス) - 1968年1月27日、死者52名
- 629型潜水艦K-129(ソ連) - 1968年3月8日、死者98名
- ハワイ諸島北西の水深4,900mの深海に沈没。全員死亡。原因は不明。
- アメリカはこの沈没船体を極秘裡に揚収・取得する特殊作戦「プロジェクト・ジェニファー」を立案、そのための特殊サルベージ船と全没水式艀を建造し、1974年に船体の一部の揚収に成功したとされる。
火災・爆発
艦内の動力プラント・燃料・搭載弾薬等が何らかの要因により発火ないし爆発した事案である。
- 代表的な事例
- スコーピオン(アメリカ) - 1968年5月22日、死者99名
- ユーリディス(Eurydice)(フランス) - 1970年3月4日、死者57名
- コムソモレツ(ソ連) - 1989年4月7日、死者42名
- クルスク(ロシア) - 2000年8月12日、死者118名
原子力艦の核事故
原子力船は民用としてはものにならなかったが、軍用としては一部の大国の潜水艦と大型水上艦を中心に普及をみせた。中でも最も数的に普及した艦種は原子力潜水艦である。1950年代に出現以来かなりの多数が就役したため、中には原子力事故の発生したものもある。原子力事故に限らず、原子力艦の事故時には放射性物質の艦外漏出が危惧される。
- 代表的な事例
原子力事故#主な軍事原子力事故を参照。
搭載航空機による事故
20世紀に入って航空機が登場して以降、軍艦は様々な航空機を搭載するようになった。しかし狭くて揺れる艦上での航空機の運用は機体の移動・格納からして危険を伴い、加えて航空燃料としての多量の軽質油(特にガソリンは揮発・引火し易い)のほか、航空機搭載用の武器・弾薬も扱われるため、平時より大変な危険を負うこととなった。このことはダメージコントロールの研究を進化させ、水上機母艦や航空母艦の設計には火災への対策が重視されるようになった。
実際、航空機による事故は多数生起しており、航空機を運用する軍艦にとって事故は身近な存在である。特に艦上機の航空母艦への着艦は「制御された墜落」と形容されるほど危険度の高い作業であり、着艦失敗による事故は少なくない。
- 代表的な事例
- フォレスタル(アメリカ・正規空母) - 1967年7月29日、死者・行方不明者134名、負傷者62名
- F-4艦上戦闘機から一発のズーニー・ロケット弾が誤って発射され、A-4艦上攻撃機に直撃、燃料タンクの破裂を引き起こし火災が発生。
- エンタープライズ(アメリカ・原子力空母) - 1969年1月14日、死者27名、負傷者314名
- 発艦準備中のF-4艦上戦闘機の排気が別の機体に装備されたズーニー・ロケット弾を引火爆発させた。搭載機15機が炎上し、2ヶ月余の修理を要する大損害となった。
- ニミッツ(アメリカ・原子力空母) - 1981年5月26日、死者14名、負傷者45名
脚注
- ^ 大内建二 『商船戦記』 光人社〈光人社NF文庫 N-439〉、2004年、pp.193-194
- ^ 護衛艦しらねの火災 保冷温庫の過熱が原因 無許可で艦内持ち込み - MSN産経ニュース、2008年2月19日
- ^ 護衛艦「しらね」の火災事案について (PDF) - 防衛省、2008年3月21日
- ^ 米原子力空母「ジョージ・ワシントン」の火災に係る米政府発表 (ズムワルト首席公使及びケリー在日米海軍司令官から西宮北米局長への説明) - 外務省、2008年7月31日
- ^ 岡部いさく 「5.22火災事故の顛末」 『世界の艦船』2008年12月号(通巻699号)、海人社、pp.110-113
- ^ a b 失敗知識データベース > 失敗事例 > 水雷艇友鶴の転覆 - 畑村創造工学研究所
- ^ 開陽丸の生涯 - 江差に消えた開陽丸
- ^ Holed destroyer to be repaired in Portsmouth - Navy News、2002年12月4日
- ^ BBC - Nottingham 360 - Tour : HMS Nottingham
- ^ Belknap-Kennedy Disaster Could Have Been Even Worse - Naval Sea Systems Command, Code 05P14, Damage Control and Fire Protection Engineering
- ^ 毎日新聞(1992年8月29日朝刊)
- ^ USS Leyte Gulf (CG 55) - navysite.de
- ^ 裁決 護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件 - 横浜地方海難審判所、2009年1月22日
- ^ “米イージス艦と比籍のコンテナ船衝突 1人負傷、7人と連絡取れず”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2017年6月17日) 2017年6月17日閲覧。
- ^ “衝突の米イージス艦浸水、航行不能に 乗組員7人不明 静岡・下田沖、コンテナ船と”. 日本経済新聞. (2017年6月17日) 2017年6月17日閲覧。
- ^ “米軍、7人の遺体確認 イージス艦衝突、貨物船は横浜へ”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞. (2017年6月19日) 2017年6月19日閲覧。
- ^ “ノルウェーの軍艦がタンカーと衝突、沈没回避のため意図的に座礁”. AFPBB. (2018年11月9日)
- ^ “タンカーと衝突したノルウェー軍艦、徐々に水没”. AFPBB. (2018年11月13日) 2018年11月14日閲覧。
- ^ 三谷秀治『火の鎖 和島為太郎伝』p.122-123(草土文化、1985年)
- ^ この引火・爆発時の日向後楼から第五・六番砲塔の様子を撮影した映像は、編集・検閲の際に爆発事故と気づかれぬままニュース映画として公開(日本ニュース第112号・1942年(昭和17年)7月29日公開 [1])され現存している。
- ^ 『世界の艦船』1998年3月号(通巻536号)、海人社、p.161
- ^ 「海上自衛隊ニュース」『世界の艦船』第557号、海人社、1999年9月、160頁。
- ^ 韓国型駆逐艦「文武大王艦」 射撃訓練中に砲身爆発事故 - 中央日報、2007年6月18日
- ^ 문무대왕함 포신폭발 원인규명 `난망' - Daum(聯合ニュース)、2007年9月21日
- ^ "Tab-H Friendly-fire Incidents: I. Ship-to-Ship Incident". Office of the Special Assistant for Gulf War Illnesses. 13 December 2000.
- ^ Evans, Mark L. (16 January 2014). "Jarrett (FFG-33)". Dictionary of American Naval Fighting Ships. Navy Department, Naval History and Heritage Command.
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- ^ “英仏両当局、原子力潜水艦の衝突事故を認める”. AFPBB. (2009年2月17日)
- ^ 失敗知識データベース > 失敗事例 > 原子力潜水艦スレッシャー号沈没事故
- ^ a b “1968年演習で沈没 仏潜水艦を発見”. 東京新聞TOKYO Web. 東京新聞. (2019年7月23日) 2020年5月6日閲覧。
- ^ 「海上自衛隊ニュース」『世界の艦船』第154号、海人社、1970年6月、41頁。
- ^ 失敗知識データベース > 失敗事例 > 爆発によるロシア原子力潜水艦クルスク沈没事故