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いなづま (護衛艦・初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
いなづま
基本情報
建造所 三井造船 玉野造船所
運用者  海上自衛隊
艦種 乙型警備艦→護衛艦(DE)
級名 いかづち型
艦歴
計画 昭和28年度計画
発注 1953年
起工 1954年12月25日
進水 1955年8月4日
就役 1956年3月5日
退役 1977年3月15日(保管船に種別変更)
除籍 1983年3月30日
要目
排水量 基準 1,075トン
満載 1,300トン
全長 88,0m
最大幅 8.7m
深さ 5.43m
吃水 3.09m
主機 三井/バーマイスター 950VBU-60ディーゼルエンジン × 2基
出力 12,000PS
推進器 スクリュープロペラ × 2軸
速力 最大速 25.9ノット
燃料 154.3トン
航続距離 16ノットで5,000海里
乗員 162名
兵装 54式50口径3インチ単装砲 × 2基(1959年撤去)
Mk.34 50口径3インチ単装速射砲 × 2基(1959年装備)
Mk.1 40mm連装機関砲 × 2基(1959年1基撤去)
54式ヘッジホッグ × 1基
54式爆雷投射機(K砲)× 8基
54式爆雷投下軌条 × 2条
FCS Mk.51 射撃指揮装置 × 3基(1959年2基撤去)
Mk.63 砲射撃指揮装置 × 1基(1959年装備)
レーダー OPS-2 対空
OPS-3 対水上
ソナー QHBa 捜索用
QDA 攻撃用
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いなづまローマ字JDS Inazuma, DE-203YAC-31)は、海上自衛隊護衛艦いかづち型護衛艦の2番艦。旧海軍雷型駆逐艦」、吹雪型駆逐艦」に続き日本の艦艇としては3代目。

艦歴

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「いなづま」は、昭和28年度計画乙型警備艦1203号艦として、三井造船玉野造船所で1954年12月25日に起工され、1955年8月4日に進水、1956年3月5日に就役し、呉地方隊に編入された。

1956年5月1日第1護衛隊群に編入。同年8月1日、第1護衛隊群隷下に第7護衛隊が新編され、「あけぼの」、「いかづち」とともに編入された。

1958年12月10日から1959年3月27日の間で特別改装工事が実施され、54式50口径3インチ単装砲をMk.34 50口径3インチ単装速射砲に換装、前部の40mm連装機関砲を撤去し、艦橋上の射撃指揮装置をMk.51からMk.63に換装、Mk.34射撃用レーダーも搭載された。また、戦闘区画諸室への冷房装置が施された。

1960年6月4日津軽海峡東口付近で夜間対潜訓練中に僚艦の「あけぼの」が衝突し艦橋が破損、「いなづま」の乗員2名が死亡し、2名が負傷する事故が発生した。海自の事故調査委員会によれば、原因は「あけぼの」の操艦ミスであった。 その後、応急修理のため函館に向かい函館どつくの岸壁に係留していたが、同年6月15日、ガソリンを使用した清掃作業中に火災が発生、乗員3名が死亡、乗員4名とドック従業員2名が負傷する事故が起きた[1]。ちなみに、初代電、2代電、4代いなづまも衝突事故を起こしている。

1964年12月10日、第7護衛隊が第3護衛隊群隷下に編成替え。

1968年、ソナーをAN/SQS-4に換装した。

1969年3月15日、第7護衛隊が呉地方隊隷下に編成替え。

1976年5月11日、第7護衛隊が第36護衛隊に改称。

1977年3月15日、保管船に種別変更され、艦籍番号がYAC-31に変更。舞鶴教育隊に係留され、停泊実習艦として使用された。

1983年3月30日、除籍。

脚注

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  1. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、142-149頁。ISBN 9784816922749 

参考文献

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  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)