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:クラブOBで[[ヴィッセル神戸|神戸]]元コーチの[[前田浩二]]が監督に就任。[[田中誠 (サッカー選手)|田中誠]]が引退、[[田中佑昌]]が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ、[[岡本英也]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ、[[中町公祐]]、[[六反勇治]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]へ、[[山形辰徳]]が[[栃木SC]]へ完全移籍、[[丹羽大輝]]([[ガンバ大阪|G大阪]]へ復帰)、[[松浦拓弥]]([[ジュビロ磐田|磐田]]へ復帰)、[[重松健太郎]]([[FC東京]]へ復帰)がレンタル移籍期間満了、[[清水範久]]、[[ハファエル・ハマゾッチ・デ・クアドロス|ハマゾッチ]]が退団した。一方で[[横浜FC]]から[[西田剛]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[尾亦弘友希]]、磐田から[[古賀正紘]]、FC東京から[[坂田大輔]]、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[堤俊輔]]を完全移籍で、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[木原正和]]、G大阪から[[河田晃兵]]、磐田から[[岡田隆]]をレンタル移籍で獲得、 [[呉昌 |
:クラブOBで[[ヴィッセル神戸|神戸]]元コーチの[[前田浩二]]が監督に就任。[[田中誠 (サッカー選手)|田中誠]]が引退、[[田中佑昌]]が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ、[[岡本英也]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ、[[中町公祐]]、[[六反勇治]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]へ、[[山形辰徳]]が[[栃木SC]]へ完全移籍、[[丹羽大輝]]([[ガンバ大阪|G大阪]]へ復帰)、[[松浦拓弥]]([[ジュビロ磐田|磐田]]へ復帰)、[[重松健太郎]]([[FC東京]]へ復帰)がレンタル移籍期間満了、[[清水範久]]、[[ハファエル・ハマゾッチ・デ・クアドロス|ハマゾッチ]]が退団した。一方で[[横浜FC]]から[[西田剛]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[尾亦弘友希]]、磐田から[[古賀正紘]]、FC東京から[[坂田大輔]]、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[堤俊輔]]を完全移籍で、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[木原正和]]、G大阪から[[河田晃兵]]、磐田から[[岡田隆]]をレンタル移籍で獲得、 [[呉昌炫]]、[[石津大介]]が新加入した。 |
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:[[鹿児島市]]出身の前田を始めとして九州にゆかりのある人物で戦っていく「オール九州」の方針を打ち出し、同時に1年でのJ1復帰を目指したが、開幕2連勝を挙げて4位タイとなったが、それが最高順位となりその後はJ2ワースト2となる失点の多さ(68失点53得点 得失点差-15)などで、第6節[[京都サンガF.C.|京都]]戦、第7節[[愛媛FC|愛媛]]戦と連敗して5位→8位→13位と転落して以降は一度も一ケタ順位に復帰できず、第35節の熊本戦に敗れてJ1自動昇格となる2位以内の可能性が、第36節の横浜FC戦に引き分けて[[J1昇格プレーオフ]]に出場できる6位以内の可能性も消滅した。8月26日の第31節[[松本山雅FC]]戦から10試合連続勝利なしとなった10月28日、第40節大分戦での敗戦後に前田を監督から解任、[[池田太]]が監督代行に就任したが、結局シーズン終了まで12戦連続勝利なし(5分7敗)のまま、J1在籍経験のあるクラブとして[[2011年のJリーグ|2011年]]の[[横浜FC]]と並びシーズン終了時最低の順位となるJ2リーグ戦18位<ref>但し、横浜FCは20クラブ中18位、福岡は22クラブ中18位</ref> でシーズンを終えた。[[バトルオブ九州]]は、全てホームゲームだった前半3戦は2勝1分ながら、後半は3戦全敗し最終的に最下位となった。 |
:[[鹿児島市]]出身の前田を始めとして九州にゆかりのある人物で戦っていく「オール九州」の方針を打ち出し、同時に1年でのJ1復帰を目指したが、開幕2連勝を挙げて4位タイとなったが、それが最高順位となりその後はJ2ワースト2となる失点の多さ(68失点53得点 得失点差-15)などで、第6節[[京都サンガF.C.|京都]]戦、第7節[[愛媛FC|愛媛]]戦と連敗して5位→8位→13位と転落して以降は一度も一ケタ順位に復帰できず、第35節の熊本戦に敗れてJ1自動昇格となる2位以内の可能性が、第36節の横浜FC戦に引き分けて[[J1昇格プレーオフ]]に出場できる6位以内の可能性も消滅した。8月26日の第31節[[松本山雅FC]]戦から10試合連続勝利なしとなった10月28日、第40節大分戦での敗戦後に前田を監督から解任、[[池田太]]が監督代行に就任したが、結局シーズン終了まで12戦連続勝利なし(5分7敗)のまま、J1在籍経験のあるクラブとして[[2011年のJリーグ|2011年]]の[[横浜FC]]と並びシーズン終了時最低の順位となるJ2リーグ戦18位<ref>但し、横浜FCは20クラブ中18位、福岡は22クラブ中18位</ref> でシーズンを終えた。[[バトルオブ九州]]は、全てホームゲームだった前半3戦は2勝1分ながら、後半は3戦全敗し最終的に最下位となった。 |
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:[[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦で大宮に敗退した。 |
:[[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦で大宮に敗退した。 |
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:チームスローガン:'''一燃蜂起 〜2013 福岡ヂカラ〜''' |
:チームスローガン:'''一燃蜂起 〜2013 福岡ヂカラ〜''' |
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:[[NKマリボル]]などの元監督の[[マリヤン・プシュニク]]が監督に就任。[[成岡翔]]が[[アルビレックス新潟]]へ、[[鈴木惇]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ、[[高橋泰]]および[[小原章吾]]が[[愛媛FC]]へ完全移籍、[[和田拓三]]が引退、[[河田晃兵]]は期限付き移籍期間満了でG大阪に復帰した一方、2006年まで福岡に所属していた[[水谷雄一]]が京都から完全移籍で獲得、前年[[ギラヴァンツ北九州]]に[[特別指定選手]]として所属した[[中原秀人]]が[[福岡教育大学]]から加入した。 |
:[[NKマリボル]]などの元監督の[[マリヤン・プシュニク]]が監督に就任。[[成岡翔]]が[[アルビレックス新潟]]へ、[[鈴木惇]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ、[[高橋泰]]および[[小原章吾]]が[[愛媛FC]]へ完全移籍、[[和田拓三]]が引退、[[河田晃兵]]は期限付き移籍期間満了でG大阪に復帰した一方、2006年まで福岡に所属していた[[水谷雄一]]が京都から完全移籍で獲得、前年[[ギラヴァンツ北九州]]に[[特別指定選手]]として所属した[[中原秀人]]が[[福岡教育大学]]から加入した。 |
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:開幕から連勝スタートで第2節終了時には2位となるが、直後に3連敗を含む5試合勝ちなしとなり15位まで順位を下げる。第8節、[[福岡ダービー]]対北九州戦で勝利し、第9節で連勝した時点で8位まで再浮上して以降、前半戦終了の第21節までは8位から11位の間を推移する。6月19日には、元[[フォルトゥナ・デュッセルドルフ]]U-19で5月から練習生として参加していた[[金城クリストファー達樹]]が加入。また、8月に入って、[[V・ファーレン長崎|長崎]]に期限付き移籍していた[[呉昌 |
:開幕から連勝スタートで第2節終了時には2位となるが、直後に3連敗を含む5試合勝ちなしとなり15位まで順位を下げる。第8節、[[福岡ダービー]]対北九州戦で勝利し、第9節で連勝した時点で8位まで再浮上して以降、前半戦終了の第21節までは8位から11位の間を推移する。6月19日には、元[[フォルトゥナ・デュッセルドルフ]]U-19で5月から練習生として参加していた[[金城クリストファー達樹]]が加入。また、8月に入って、[[V・ファーレン長崎|長崎]]に期限付き移籍していた[[呉昌炫|オ・チャンヒョン]]が期間満了前の契約解除で復帰し、[[ルーマニア]]から[[ブラティスラフ・プノセバッチ]]を獲得した。第24、25節終了時には[[J1昇格プレーオフ]]圏内の6位となるが、その直後10試合で3連敗5連敗各1回を含む1勝1分8敗と低迷し、第34節終了時には15位まで転落。11月10日、第40節の時点で6位以内の可能性が消滅し、最終的に14位でシーズンを終了した。ただし、[[九州ダービー|バトルオブ九州]]では、[[福岡ダービー]]で連勝するなど3勝3分で、2010年シーズン以来2度目の制覇となった。 |
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:[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、初戦(2回戦)で[[栃木SC]]に敗北。なお、10月に経営問題が表面化した(詳細は[[#経営問題]]を参照)。 |
:[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、初戦(2回戦)で[[栃木SC]]に敗北。なお、10月に経営問題が表面化した(詳細は[[#経営問題]]を参照)。 |
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:チームスローガン:'''福岡MOVEMENT 鼓動。躍動。感動。''' |
:チームスローガン:'''福岡MOVEMENT 鼓動。躍動。感動。''' |
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:元日本代表DFで前[[柏レイソル|柏]]のヘッドコーチだった[[井原正巳]]が監督に就任。[[鈴木健仁]]がチーム統括部長に、[[三浦文丈]]がコーチに就任。選手では、MF[[金城クリストファー達樹]]、MF[[タム・シイアンツン]]、DF[[畑本時央]]との契約を満了<ref>{{Cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?152631-152631-fl|title=福岡が3選手の契約満了を発表|newspaper=[[ゲキサカ]]|publisher=[[講談社]]|date=2014-11-30|accessdate=2015-11-29}}</ref>、DF[[山口和樹]]が現役引退。また、MF[[野崎雅也]]、DF[[武田英二郎]]、FW[[鍋田亜人夢]]、GK[[清水圭介]]が期限付き移籍期間満了で退団。DF[[呉昌 |
:元日本代表DFで前[[柏レイソル|柏]]のヘッドコーチだった[[井原正巳]]が監督に就任。[[鈴木健仁]]がチーム統括部長に、[[三浦文丈]]がコーチに就任。選手では、MF[[金城クリストファー達樹]]、MF[[タム・シイアンツン]]、DF[[畑本時央]]との契約を満了<ref>{{Cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?152631-152631-fl|title=福岡が3選手の契約満了を発表|newspaper=[[ゲキサカ]]|publisher=[[講談社]]|date=2014-11-30|accessdate=2015-11-29}}</ref>、DF[[山口和樹]]が現役引退。また、MF[[野崎雅也]]、DF[[武田英二郎]]、FW[[鍋田亜人夢]]、GK[[清水圭介]]が期限付き移籍期間満了で退団。DF[[呉昌炫|オ・チャンヒョン]]が[[ソウルイーランドFC]]に移籍。一方、MF[[鈴木惇]]、DF[[中村北斗]]、MF[[末吉隼也]]が完全移籍により復帰したほか、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]からDF[[濱田水輝]]と[[ベガルタ仙台|仙台]]からFW[[中原貴之]]がそれぞれ完全移籍で、[[柏レイソル|柏]]からGK[[中村航輔]]と[[湘南ベルマーレ|湘南]]からDF[[亀川諒史]]がそれぞれ期限付き移籍で加入。また、浦和ユース出身のMF[[邦本宜裕]]、[[福岡大学]]からMF[[田村友]]が新加入した。 |
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:開幕節から3連敗し一時は最下位に沈んだものの、井原が挑んだ3バックによる守備の再構築が功を奏し第4節からクラブ記録を更新する11戦無敗(8勝3分)と戦績が向上<ref>{{Cite web|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151208/377877.html|title=“井原マジック”の真実。福岡J1昇格へ指揮官が施した一年間の取り組み|author=藤江直人|work=[[Jリーグサッカーキング|サッカーキング]]|publisher=[[フロムワン]]|date=2015-12-08|accessdate=2015-12-08}}</ref>。さらに夏の移籍期間には湘南などでプレーしたFW[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]を完全移籍で獲得すると攻撃にも厚みを増すようになり、相手によって3バックと4バックを使い分けるシステムも機能し始め、シーズン後半には自動昇格争いにも絡めるようになる。終盤には8連勝を含む12戦負け無し(11勝1分)でシーズンを終え、最終的に2位磐田に同勝点ながら得失点差で4点届かず3位で[[J1昇格プレーオフ]]に駒を進めることになった<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/1570384.html|title=井原福岡が4発8連勝も自動昇格に4得点届かず|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-11-24|accessdate=2015-11-29}}</ref>。 |
:開幕節から3連敗し一時は最下位に沈んだものの、井原が挑んだ3バックによる守備の再構築が功を奏し第4節からクラブ記録を更新する11戦無敗(8勝3分)と戦績が向上<ref>{{Cite web|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151208/377877.html|title=“井原マジック”の真実。福岡J1昇格へ指揮官が施した一年間の取り組み|author=藤江直人|work=[[Jリーグサッカーキング|サッカーキング]]|publisher=[[フロムワン]]|date=2015-12-08|accessdate=2015-12-08}}</ref>。さらに夏の移籍期間には湘南などでプレーしたFW[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]を完全移籍で獲得すると攻撃にも厚みを増すようになり、相手によって3バックと4バックを使い分けるシステムも機能し始め、シーズン後半には自動昇格争いにも絡めるようになる。終盤には8連勝を含む12戦負け無し(11勝1分)でシーズンを終え、最終的に2位磐田に同勝点ながら得失点差で4点届かず3位で[[J1昇格プレーオフ]]に駒を進めることになった<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkansports.com/soccer/news/1570384.html|title=井原福岡が4発8連勝も自動昇格に4得点届かず|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-11-24|accessdate=2015-11-29}}</ref>。 |
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:昇格プレーオフは、準決勝で[[V・ファーレン長崎|長崎]]戦に勝利。決勝で[[セレッソ大阪|C大阪]]に引き分けでレギュレーションにより5年ぶりのJ1昇格が決まった。 |
:昇格プレーオフは、準決勝で[[V・ファーレン長崎|長崎]]戦に勝利。決勝で[[セレッソ大阪|C大阪]]に引き分けでレギュレーションにより5年ぶりのJ1昇格が決まった。 |
2020年8月28日 (金) 21:58時点における版
アビスパ福岡 | |||
---|---|---|---|
原語表記 | アビスパ福岡 | ||
呼称 | アビスパ福岡 | ||
クラブカラー |
ネイビー[1] シルバー[1] ブルーベールダンス[1] | ||
創設年 | 1982年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J2リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 福岡県福岡市[1] | ||
ホームスタジアム | ベスト電器スタジアム[1] | ||
収容人数 | 21,562[1] | ||
運営法人 | アビスパ福岡株式会社[1][2] | ||
代表者 | 川森敬史[1] | ||
監督 | 長谷部茂利 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
本社所在地 |
813-8585 福岡市東区香椎浜ふ頭1-2-17 福岡フットボールセンター 管理棟内[2] |
---|---|
設立 | 1994年9月29日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 8290001016199 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 川森敬史[1][2] |
資本金 | 1億7,611万円(2014年9月22日現在)[2] |
売上高 | 19億7,900万円 (2018年1月期)[3] |
営業利益 | 5,200万円 (2018年1月期)[3] |
経常利益 | 3,400万円 (2018年1月期)[3] |
純利益 | ▲1億0703万2000円(2020年01月31日時点)[4] |
総資産 | 6億4994万3000円(2020年01月31日時点)[4] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 | システムソフト 45.8%[5] |
関係する人物 | 野見山篤(元社長) |
外部リンク | https://www.avispa.co.jp/ |
特記事項:2006年に福岡ブルックス株式会社から商号変更 |
アビスパ福岡(アビスパふくおか、Avispa Fukuoka)は、福岡県福岡市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
1982年創部の中央防犯サッカー部が前身。1994年にJリーグ準会員となり、1996年よりJリーグへ加盟している[1]。クラブ名のアビスパは、スペイン語で「熊ん蜂(スズメバチ)」の意味[1]。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する[1]。運営会社はアビスパ福岡株式会社である[1]。
ホームタウンは福岡市1市のみであるが、2017年4月29日にホームスタジアムのある東平尾公園の近郊に位置する糟屋郡宇美町、志免町との間で「地域活性化とスポーツ文化の振興」並びに、「地域に根ざしたスポーツクラブ」および「地域に生活する人々とともにスポーツを通じて子どもたちに夢と感動を、地域に誇りと活力を与える」ことを目的とした「フレンドリータウン協定」を締結している [6][7]。2019年11月24日(2019年のJ2リーグ最終節開催日)現在、このフレンドリータウン協定は久山町を除く糟屋郡全町など9市町村(予定含む)[注 1]と締結されている。
ホームスタジアムは東平尾公園博多の森球技場(命名権名称、ベスト電器スタジアム)[1]、練習場は福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である[1](詳細は#スタジアムを参照)。
運営会社の出資企業・団体の多くは福岡市に主要拠点を置く、もしくは福岡が発祥の企業であり[注 2]、取締役には主要株主であるコカ・コーラウエスト・福岡市(市民局)・九州電力・西日本新聞社・九電工・ふくや・福岡銀行・西日本シティ銀行の幹部が就いている。なお、主要な出資者にセコムが入っているのはクラブの母体となった中央防犯アクトサービス(現・中央防犯)がセコムの販売代理店を請け負っていた縁があり、大都技研が入っているのは2008年の増資時に大都からの出資の意向を受け入れたことによる(後述)。2014年に増資を行い、システムソフトが筆頭株主となった(後述)。
福岡市の姉妹都市でもあるボルドー(フランス)をホームタウンするFCジロンダン・ボルドー(リーグ・アン)と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っていた[18]。
歴史
前身
1982年に静岡県藤枝市で創部された中央防犯サッカー部が前身であり[1]、1991年に日本サッカーリーグ2部[1]、1993年にジャパンフットボールリーグ1部に昇格した[1]。1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスと改名し、同年にJリーグ準会員となった[1] が、当時藤枝市内にJリーグ基準を満たすスタジアムが存在しなかったことなどからJリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の要請を受け、1995年に福岡市にホームタウンを移すと共に福岡ブルックスへ改名した[1]。
1995年(JFL)
1995年JFL優勝主要メンバー |
- チームスローガン:iARRIBA!(上へ向かってさあ行こう)
監督に1978 FIFAワールドカップでアルゼンチン代表であったホルヘ・マリオ・オルギンが就任。
鳥栖Fよりウーゴ・マラドーナ、簔口祐介、中込正行らを獲得、引き続き中央防犯時代より所属の元アルゼンチン代表ペドロ・トログリオらを擁し、京都、鳥栖F、神戸などと争った結果、24勝6敗の成績でJFLで優勝し、1996年からのJリーグ加盟を決めた[1]。なお、シーズン終了後にオルギンが監督を退任した。
また、Jリーグ加盟に合わせ「アビスパ福岡」へ改称した[1]。これは「ブルックス」の呼称が紳士服メーカー「ブルックス・ブラザーズ社」の商標で商標権侵害の恐れがあるためであった。
1996年 - 1998年(Jリーグ)
1998年 J 2nd 第04節 清水戦 (年間総合順位最下位) |
1997年 J 1st 第02節 磐田戦 |
1996年 J 第02節 浦和戦 (Jリーグホームゲーム初戦) |
1996年、横浜M元監督の清水秀彦が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の都並敏史、広島から森秀昭などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸らも入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。1998年はJ1参入決定戦に参加したが、1回戦で川崎、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に千代反田充(東福岡高等学校3年)を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れた。
1999年 - 2001年(J1)
2001年 J1 2nd 第10節 FC東京戦 (J2降格前最終勝利) |
2000年 J1 1st 第11節 清水戦 |
1999年 J1 2nd 第08節 浦和戦 (連勝時) |
- 1999年
- チームスローガン:¡MAS ARRIBA!(もっと上を目指そう)
- 監督に菊川凱夫が就任。前年、監督を務めた森孝慈はGMに就任。
- 平塚からGK小島伸幸、鹿島からDF水筑優文、広島からDF小島光顕、横浜FMからMF野田知、市原からMFネナド・マスロバル、V川崎からMF三浦泰年などを獲得したが、最終順位は14位。
- 2000年
- チームスローガン:¡JUNTOS,PODEMOS!(一丸となれば、やれる)
- 元福岡所属で、前年アシスタントコーチのネストール・オマール・ピッコリが監督に就任。
- 例年下位に低迷するチーム状態からの脱却を目指すことを念頭に置き、キャンプは朝・昼・晩練習することや戦術面などはそこそこにし砂浜での走り込みなどを中心にまず徹底してフィジカルトレーニングを課して精神・肉体面の基礎力向上(スキルアップ)を選手に求めた。第2ステージでは最後まで優勝争いに加わり、結果として6位の成績を収めた。
- 新加入の高卒ルーキー平島崇が主力として機能したことや、外国人も元横浜MのMFダビド・ビスコンティ、平塚や柏で活躍したバデア、エースフォワードのモントージャも活躍した。
- 2001年
- チームスローガン:¡MAS JUNTOS,PODEMOS MAS!(もっと一丸となれば、もっとやれる)
- ピッコリ体制2年目。元韓国代表で広島やC大阪に所属したMF盧廷潤、元U-23日本代表のFW松原良香を補強したが、年間成績15位となりJ2へ降格。なお、所属のDF平島崇が児童買春等禁止法違反で逮捕された(当時は19歳であったため、実名では報じられていない)。
- シーズン終了後にピッコリが監督を退任。また、三浦泰年らベテランも運営費縮小に伴って、退団した。
2002年 - 2005年(J2)
2003年 J2 第39節 広島戦 |
2002年 J2 第09節 C大阪戦 |
- 2002年
- チームスローガン:Just in ONE
- 名古屋元コーチの今井雅隆が監督に就任。
- 中払大介・山下芳輝らが退団した一方、呂比須ワグナー・内藤就行・盧廷潤などが残留し、横浜FMから古賀誠史、磐田から元日本代表GKの大神友明などを補強し1年でのJ1復帰を目指したが、後半戦はわずか3勝に留まり、8位の成績。
- 2003年
- チームスローガン:新生
- 松田浩が監督に就任。前半戦は下位に低迷したが、千代反田・米田・宮崎・古賀・宮原・林ら若手を辛抱強く使い、後半戦は5連勝を含む16勝3分3敗(後半戦だけの成績ではトップ)の成績を残し、シーズン4位の成績を収めた。
- 2004年
2005年 J2 第27節 京都戦 |
2004年 J2 第35節 大宮戦 |
- チームスローガン:We WILL make it! 成し遂げる!
- 松田体制2年目。前年に行ったサポーターへのアンケートを受けてユニフォームの色を変更した(1stがシルバー、2ndがネイビーだったのを逆にした)。
- リーグ戦では第37節から最終節まで8連勝して3位。J1・J2入れ替え戦に進出したが、柏に敗れて昇格はならなかった。
- 2005年
- チームスローガン:挑戦 〜Try it again to J1 !
- 松田体制3年目。チームの育成路線が実を結び高卒2年目の中村・同じく2年目ユース出身の田中、新加入の元ブラジルユース代表グラウシオらが活躍。11月23日のホームでの第42節徳島戦を引き分けて2位を確定。5年ぶりのJ1復帰を決めた。
- 6月の2005 FIFAワールドユース選手権に中村北斗・柳楽智和が日本代表として出場した。
2006年(J1)
2006年 J1 第09節 新潟戦 (J1復帰後初勝利) |
- チームスローガン:Climb to the top !
松田体制4年目。薮田光教(前神戸)、布部陽功、久藤清一(共に前C大阪)などを補強したが、12節終了時点で1勝6敗5分の16位。5月22日に松田を監督から解任。後任にV川崎と神戸の元監督の川勝良一が就任。
2006 FIFAワールドカップによるリーグ戦中断期間に神戸からバロンを完全移籍、また大宮から佐伯直哉、東京Vから飯尾一慶を期限付き移籍で獲得。シーズン成績は16位。J1・J2入れ替え戦でJ2・3位の神戸に2分けながらアウェーゴール差で敗れ、1年でのJ2降格が決まった。
シーズン終了後に川勝が監督を辞任。5回戦へ勝ち残っていた天皇杯は沖野等が代行監督を務めた。なお、この年に運営会社の商号が福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社へ変更された。
2007年 - 2010年(J2)
- 2007年
2007年 J2 第43節 山形戦 |
- チームスローガン:SUFFER FOR SUCCESS!
- シドニーFC元監督のピエール・リトバルスキーが監督に就任。GK水谷雄一が柏、DF千代反田充が新潟にそれぞれ移籍。さらに前年キャプテンを務めたMFホベルトが退団した。一方で、ブラジルからFWリンコン、かつてリトバルスキー監督の下でプレイしたDFチェッコリを獲得した。そのリンコン、アレックスのコンビは2007年チームにとって重要な得点源となった。
- 開幕戦の鳥栖とのダービーで攻撃的布陣が機能し5-0で完勝するなど第1クールを1位で終えた。第2クールに入って以降も上位に入っていたが、第36節京都戦から第40節東京V戦まで5年ぶりとなる5連敗。第48節の仙台戦に敗れてJ1昇格が消滅。最終順位は7位で終了した。なお、シーズン終了後にチーム統括グループ長の小林伸二、同副長の中村重和、育成統括の沖野等を解任した。
- 2008年
2008年 J2 第40節 横浜FC戦 |
- チームスローガン:ココロ粋 !
- リトバルスキー体制2年目。前年の登録メンバー31人の半数以上にあたる16人(レンタル選手、外国籍選手含む)と契約を結ばなかったため、選手が大幅に入れ替わった。また、外国籍選手は全員退団し、新たにいずれもオーストラリア出身のDFルダン、MFタレイ、FWグリフィスを獲得した。また、京都から元福岡所属のMF中払大介、千葉からFW黒部光昭、横浜FCからDF中島崇典、C大阪からGK吉田宗弘らが加入。横浜FMからハーフナー・マイク、柏から大久保哲哉の両FWがレンタル移籍、鈴木惇、大山恭平の両名をユースチームから昇格した(鈴木は2007年シーズンに2種登録で出場)。
- 4月12日の岐阜戦では5分間で4失点[19] するなど守備が崩壊、第1クールは15チーム中14位に終わった。7月11日、成績不振により監督・リトバルスキー、ヘッドコーチ・クルーク、フィジカルコーチ・クレアを解任し、篠田善之が監督に就任したが、最終順位は8位に終わった。
- 2009年
2009年 J2 第51節 横浜FC戦 |
- チームスローガン:結心 〜全ての心をひとつに〜
- 前年途中から監督に就任した篠田が引き続き指揮を執る。中村北斗がFC東京へ完全移籍した他、昨季所属した外国籍選手もすべて退団。一方で熊本からFW高橋泰、磐田から元日本代表DFの田中誠を獲得。シーズン序盤は、この年よりJリーグに加盟した岡山にJ2初勝利を献上するなど、第1クール(17試合)終了時点で4勝5分け8敗の勝ち点17。第41節の徳島戦の引き分けにより、J2残留が決定。最終順位も11位。また、鳥栖とのダービーでクラブ史上初めて未勝利に終わった。その一方でJ2を優勝した仙台には2勝1敗と勝ち越した。
- 2010年
2010年 J2 第34節 大分戦 |
- チームスローガン:福岡 維心
- 篠田体制3年目。前年度のオフに吉田宗弘や黒部光昭らベテランを中心に選手9人との契約を打ち切り、監督以外のコーチ陣も一斉に退団。30歳を越える選手が久藤、田中誠だけと大きく若返り、下部組織から昇格した朝鮮籍の孫正倫以外は日本人選手だけでシーズンに臨んだ(7月に韓国人の李鍾民が加入)。なおシーズン直前の1月27日にJ1時代の2006年途中からクラブ社長に就いていた都筑興が辞任し、3月4日に後任として電通九州大分支社長の大塚唯史が就任した。
- 東京Vから加入した永里源気が得点源として、更には大卒選手の中町公祐(高校卒業後の2004年 - 2007年に湘南在籍)と末吉隼也がボランチコンビを形成し中盤の要として、移籍2年目の田中誠が守備の中心としてチームを牽引した。
- 開幕戦で甲府に3-1と快勝。4月には4連敗を喫したが、5月5日の11節熊本戦で6-1と大勝するとそれ以降は順調に勝ち点を積み上げて9月12日に千葉、11月20日に東京Vと昇格争いのライバル相手にホームゲームで勝利を収め、アウェイで岐阜を破った11月23日に4位の千葉が草津に敗れ3位以内が確定、5年ぶりのJ1復帰を決めた(最終順位は3位)。外国籍選手は李と孫の2人のみであったため、この年のリーグ戦での全得点を日本人選手が挙げた(ちなみに天皇杯では孫が1ゴールを挙げている)。
- 天皇杯では広島、大宮とJ1勢を連覇して15年ぶりでアビスパ福岡となってからは初のベスト8へ進出(準々決勝はFC東京に延長戦の末に2-3で敗退)。
2011年(J1)
2011年 基本布陣 |
- チームスローガン:福岡力! 〜Run with the ALL〜
篠田体制4年目。長年在籍した久藤清一が引退、前シーズン15ゴールを挙げた永里源気が甲府へ、中島崇典が柏へ、大久保哲哉が山形へ、柳楽智和がFC東京へ、阿部嵩が金沢へ移籍、大山恭平、平石健太が退団した。
補強は、千葉から和田拓三、磐田から成岡翔、横浜FMから清水範久が完全移籍で、磐田から松浦拓弥、FC東京から重松健太郎がレンタル移籍で加入。キム・ミンジェ、畑本時央、牛之濱拓が新加入した。また丹羽大輝のレンタル移籍期間も延長した。
開幕戦で新潟に敗れて以降、開幕から9連敗(Jリーグ杯・磐田戦を含めると公式戦10連敗)。6月15日の第15節(リーグ10戦目)の神戸戦に引き分けて初の勝ち点を得た。その後、3連敗で13試合連続勝ち無しとなったが、7月2日のリーグ戦14試合目の甲府戦で初勝利を挙げたが、8月に篠田を解任し、ヘッドコーチの浅野哲也が監督に就任した。
10月22日に新潟に敗戦してJ2降格が決定[20]。最終順位は17位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で仙台に敗退した。
2012年 - 2015年(J2)
- 2012年
- チームスローガン:ガムシャラ!! 今年だから出せる力がある。2012福岡ヂカラ
- クラブOBで神戸元コーチの前田浩二が監督に就任。田中誠が引退、田中佑昌が千葉へ、岡本英也が鹿島へ、中町公祐、六反勇治が横浜FMへ、山形辰徳が栃木SCへ完全移籍、丹羽大輝(G大阪へ復帰)、松浦拓弥(磐田へ復帰)、重松健太郎(FC東京へ復帰)がレンタル移籍期間満了、清水範久、ハマゾッチが退団した。一方で横浜FCから西田剛、C大阪から尾亦弘友希、磐田から古賀正紘、FC東京から坂田大輔、浦和から堤俊輔を完全移籍で、大宮から木原正和、G大阪から河田晃兵、磐田から岡田隆をレンタル移籍で獲得、 呉昌炫、石津大介が新加入した。
- 鹿児島市出身の前田を始めとして九州にゆかりのある人物で戦っていく「オール九州」の方針を打ち出し、同時に1年でのJ1復帰を目指したが、開幕2連勝を挙げて4位タイとなったが、それが最高順位となりその後はJ2ワースト2となる失点の多さ(68失点53得点 得失点差-15)などで、第6節京都戦、第7節愛媛戦と連敗して5位→8位→13位と転落して以降は一度も一ケタ順位に復帰できず、第35節の熊本戦に敗れてJ1自動昇格となる2位以内の可能性が、第36節の横浜FC戦に引き分けてJ1昇格プレーオフに出場できる6位以内の可能性も消滅した。8月26日の第31節松本山雅FC戦から10試合連続勝利なしとなった10月28日、第40節大分戦での敗戦後に前田を監督から解任、池田太が監督代行に就任したが、結局シーズン終了まで12戦連続勝利なし(5分7敗)のまま、J1在籍経験のあるクラブとして2011年の横浜FCと並びシーズン終了時最低の順位となるJ2リーグ戦18位[21] でシーズンを終えた。バトルオブ九州は、全てホームゲームだった前半3戦は2勝1分ながら、後半は3戦全敗し最終的に最下位となった。
- 天皇杯は3回戦で大宮に敗退した。
- 2013年
- チームスローガン:一燃蜂起 〜2013 福岡ヂカラ〜
- NKマリボルなどの元監督のマリヤン・プシュニクが監督に就任。成岡翔がアルビレックス新潟へ、鈴木惇が東京Vへ、高橋泰および小原章吾が愛媛FCへ完全移籍、和田拓三が引退、河田晃兵は期限付き移籍期間満了でG大阪に復帰した一方、2006年まで福岡に所属していた水谷雄一が京都から完全移籍で獲得、前年ギラヴァンツ北九州に特別指定選手として所属した中原秀人が福岡教育大学から加入した。
- 開幕から連勝スタートで第2節終了時には2位となるが、直後に3連敗を含む5試合勝ちなしとなり15位まで順位を下げる。第8節、福岡ダービー対北九州戦で勝利し、第9節で連勝した時点で8位まで再浮上して以降、前半戦終了の第21節までは8位から11位の間を推移する。6月19日には、元フォルトゥナ・デュッセルドルフU-19で5月から練習生として参加していた金城クリストファー達樹が加入。また、8月に入って、長崎に期限付き移籍していたオ・チャンヒョンが期間満了前の契約解除で復帰し、ルーマニアからブラティスラフ・プノセバッチを獲得した。第24、25節終了時にはJ1昇格プレーオフ圏内の6位となるが、その直後10試合で3連敗5連敗各1回を含む1勝1分8敗と低迷し、第34節終了時には15位まで転落。11月10日、第40節の時点で6位以内の可能性が消滅し、最終的に14位でシーズンを終了した。ただし、バトルオブ九州では、福岡ダービーで連勝するなど3勝3分で、2010年シーズン以来2度目の制覇となった。
- 天皇杯では、初戦(2回戦)で栃木SCに敗北。なお、10月に経営問題が表面化した(詳細は#経営問題を参照)。
- 2014年
- チームスローガン:協力同心 福岡ヂカラ2014
- プシュニク体制2年目。宮本卓也、船山祐二、尾亦弘友希らと契約を更新せず、岡田隆、金久保順、金永基が期限付き移籍満了(金久保は後に川崎に期限付き移籍、金は長野に完全移籍)、水谷雄一が富山、西田剛、キム・ミンジェが愛媛、木原正和がカンボジア・リーグのトライアジア プノンペンFCにそれぞれ完全移籍し、畑本時央が金沢へ期限付き移籍した。一方、北九州から森村昂太、神戸からイ・グァンソン、松本から阿部巧、G大阪から平井将生がいずれも完全移籍、浦和から野崎雅也、大分から清水圭介、新潟から酒井宣福、横浜FMから武田英二郎がいずれも期限付き移籍でそれぞれ加入した。
- 天皇杯では、2回戦で水戸に敗れ、2年連続の初戦敗退となった。
- 前半戦は好調で一時は5位にまで上昇し、プレーオフ圏内の6位で前半21試合を終えたが、31節から最終戦までの12試合で1勝3分8敗という成績で順位は去年を下回る16位。バトルオブ九州は最下位となった。
- このシーズンをもってマリヤン・プシュニクが退任した。
- 2015年
2015年 J1昇格プレーオフ 決勝 |
- チームスローガン:福岡MOVEMENT 鼓動。躍動。感動。
- 元日本代表DFで前柏のヘッドコーチだった井原正巳が監督に就任。鈴木健仁がチーム統括部長に、三浦文丈がコーチに就任。選手では、MF金城クリストファー達樹、MFタム・シイアンツン、DF畑本時央との契約を満了[22]、DF山口和樹が現役引退。また、MF野崎雅也、DF武田英二郎、FW鍋田亜人夢、GK清水圭介が期限付き移籍期間満了で退団。DFオ・チャンヒョンがソウルイーランドFCに移籍。一方、MF鈴木惇、DF中村北斗、MF末吉隼也が完全移籍により復帰したほか、浦和からDF濱田水輝と仙台からFW中原貴之がそれぞれ完全移籍で、柏からGK中村航輔と湘南からDF亀川諒史がそれぞれ期限付き移籍で加入。また、浦和ユース出身のMF邦本宜裕、福岡大学からMF田村友が新加入した。
- 開幕節から3連敗し一時は最下位に沈んだものの、井原が挑んだ3バックによる守備の再構築が功を奏し第4節からクラブ記録を更新する11戦無敗(8勝3分)と戦績が向上[23]。さらに夏の移籍期間には湘南などでプレーしたFWウェリントンを完全移籍で獲得すると攻撃にも厚みを増すようになり、相手によって3バックと4バックを使い分けるシステムも機能し始め、シーズン後半には自動昇格争いにも絡めるようになる。終盤には8連勝を含む12戦負け無し(11勝1分)でシーズンを終え、最終的に2位磐田に同勝点ながら得失点差で4点届かず3位でJ1昇格プレーオフに駒を進めることになった[24]。
- 昇格プレーオフは、準決勝で長崎戦に勝利。決勝でC大阪に引き分けでレギュレーションにより5年ぶりのJ1昇格が決まった。
- →「2015年のJリーグ § J1昇格プレーオフ」も参照
- 天皇杯は、2回戦で磐田を下し3年ぶりに初戦を突破するも、3回戦でJ3の町田に敗れた。
2016年 (J1)
- チームスローガン:子供たちに夢と感動を!
- 井原体制2年目。コーチの三浦文丈が長野監督に就任のため退団。前年守備の要として活躍したGK中村航輔が柏に、MF酒井宣福が新潟に復帰したものの、湘南から期限付き移籍中だったDF亀川諒史を完全移籍で獲得。また、名古屋からMFダニルソン、川崎からDF實藤友紀、千葉からDFキム・ヒョヌン、長崎からMF古部健太、大分からMF為田大貴を獲得したほか、Kリーグクラシック・釜山から韓国代表のGKイ・ボムヨンが加入した。
- 5年振りのJ1は、開幕から7試合勝ちがなく(3分4敗)、第9節のFC東京戦で初勝利を挙げるも、結局1stステージはわずか2勝にとどまり最下位に終わる。夏の移籍期間には巻き返しのためにFC東京からDF駒野友一、横浜FMから三門雄大を獲得するも、得点源のFWウェリントンが7月に持病の左膝痛を悪化させて出場機会が激減したことも影響し、8月から9月にかけては今季チーム最長の5連敗を喫する[25]。2nd第14節で名古屋に敗れ、残留を争っていた新潟が勝利したことにより、年間順位16位以下が決定し、1年でJ2降格となった。
- 4度目のJ1からの降格はJリーグ史上最多タイ、またJ1最下位でのJ2降格はクラブ初で、J1年間総合順位で最下位となるのもJ2創設前の1998年シーズン(J1参入決定戦で勝ち残りJ1残留)以来18シーズンぶりとなった。
- YBCルヴァンカップでは、Bグループ第6節終了時点では6位だったものの、最終節対新潟戦の勝利により逆転でグループ2位となり、クラブ史上初の準々決勝進出を果たす。準々決勝でFC東京に敗れた。
2017年 - (J2)
- 2017年
- チームスローガン:子供たちに夢と感動を!
- 井原体制3年目。FW金森健志が鹿島、MF古部健太が長崎、沼津へ期限付き移籍していたDF光永祐也が熊本、GKイ・ボムヨンがKリーグクラシック・江原FCへ完全移籍、MF田村友が浦和、MF鈴木惇が大分へ期限付き移籍、DF阿部巧(群馬へ移籍)、MF中原秀人、FW平井将生(以上北九州へ移籍)が契約満了になった一方で、名古屋からFW松田力、G大阪からDF岩下敬輔、清水からGK杉山力裕、京都からMF山瀬功治を完全移籍で獲得。FW石津大介が神戸への期限付き移籍から復帰、期限付き移籍加入だったDF駒野友一が完全移籍で加入し、U-18のFW崎村祐丞が昇格、静岡学園高校のGK山ノ井拓己が加入、新外国人選手として磐田・甲府・岐阜でプレーしていたMFジウシーニョがアトレチコ・ゴイアニエンセから加入した。
- シーズン中にMFダニルソンが家庭の事情により退団したが、漢陽大学校のDFウォン・ドゥジェを獲得、さらに横浜FMからFW仲川輝人が期限付き移籍で加入した。
- 開幕戦は大分に敗れたが、第3節からは1桁順位を維持、第12節からの4連勝で、第15節終了時に首位に立つ。第16節には2位となるも、第17節から前半戦終了の第21節まで首位をキープする。第22節に湘南に首位を明け渡すと、その後は2位をキープしていたが、第28節から6試合未勝利で第33節にはついに長崎に抜かれ3位となる。第34節から3連勝し再び2位に浮上するが、第39節には長崎だけでなく名古屋にも抜かれ4位に落ちる。最終的に長崎を抜き返すことは出来ず、4位でシーズンを終え、2シーズンぶりのJ1昇格プレーオフに回ることとなった。えがお健康スタジアムで開催された[注 3]プレーオフ初戦の5位・東京V戦は山瀬功治のゴールで1-0で勝利。3位名古屋とのプレーオフ決勝に進むも、アウェーの豊田スタジアムで0-0の引き分けに終わり、規定により名古屋が2018年のJ1リーグ昇格となり、1年でのJ1復帰を逃した。
- リーグ戦では42試合で僅か36失点、次に少ない優勝した湘南の41失点よりさらに5点少ない守備力の高さを誇りながらも、得点は54点でリーグ12位タイ、うちウェリントンだけで19得点を挙げており、次点が石津の8得点、山瀬の6得点と差が大きく、ウェリントン以外の攻撃力が課題であった。
- 天皇杯は3回戦で筑波大学に敗れた。
- 2018年
- チームスローガン:感動と勝ちにこだわる
- 井原体制4年目。FW坂田大輔が引退、DF冨安健洋(ベルギー・シント=トロイデンVV)、DF中村北斗(長崎)、DF亀川諒史(柏)、MF三門雄大(大宮)、FWウェリントン(神戸)、DF濱田水輝、MF末吉隼也(以上岡山)、GK兼田亜季重(大分)、FW中原貴之(JFL青森)、MF三島勇太(JFL宮崎)、MFジウシーニョ(ブラジル・フェロヴィアリア)、FWウィリアン・ポッピ(韓国・富川)が完全移籍、DF下坂晃城か町田に期限付き移籍。期限付き移籍していたFW仲川輝人が横浜FMに復帰した。一方、DF篠原弘次郎(岡山)、DF輪湖直樹(柏)、FW森本貴幸(川崎)、FWトゥーリオ・デ・メロ(ブラジル・シャペコエンセ)が完全移籍で、FW平尾壮(G大阪)、MFユ・インス(FC東京)、GK圍謙太朗(C大阪)、MF枝村匠馬(清水)、FWドゥドゥ(甲府)が期限付き移籍でそれぞれ加入、FW木戸皓貴(明治大)が新加入した。またMF鈴木惇(大分)、DF田村友(浦和)が期限付き移籍から復帰した。シーズン中の6月には、DFエウレーとFWトゥーリオ・デ・メロが相次ぎ退団した一方、ブラジル・コインブラECからFWレオミネイロ、FC東京からDF吉本一謙、柏からDF古賀太陽がいずれも期限付き移籍(古賀は育成型)で加入した。7月には田村友が山形に完全移籍した。
- 開幕から3節は負けなし(2勝1分)だったが、直後に3戦未勝利(1分2敗)で一旦順位を11位まで下げた後、8戦負けなし(5勝3分)で3位まで浮上、1敗の後3連勝で、第17節終了時には暫定2位、第18節終了時には暫定首位に浮上する。しかし自動昇格圏内順位となったのはこの時だけで、直後に連敗し暫定4位となり、その後は第26節ホーム横浜FC戦が台風12号の影響で中止になった際に暫定8位、第29節栃木戦に敗れた直後と第33節から第34節にかけ暫定7位となった以外、第41節終了時点までプレーオフ進出圏内となる6位以内を維持していたが、最終節アウェー岐阜戦に引き分け、前節まで7位だった大宮が最終節勝利したことにより順位を逆転され、最終的に5位大宮、6位東京Vと勝点差1の勝点70(19勝13分10敗)、7位で終了、2年連続のプレーオフ進出を逃した[26]。ホームゲームでは6連勝するなどし、優勝した松本と並びJ2トップの勝点42(12勝6分3敗)を挙げながら、アウェーでは最終節含め勝ちきれない試合も多く、勝点28(7勝7分7敗)しか挙げられなかったことも、昇格を逃した原因の一つとなった[27]。
- 最終節終了後の11月19日、監督の井原の退任が発表され[28]、同月23日には、奥野僚右、山岸範之、竹原靖和、菊池忍各コーチの退団も発表された[29]。
- 2019年
- チームスローガン:感動と勝ちにこだわる
- イタリア・エラス・ヴェローナFC前監督のファビオ・ペッキアが監督に就任[30]。
- 神山竜一、堤俊輔、山瀬功治[31]、駒野友一[32]が契約満了、ドゥドゥ、枝村匠馬、ユ・インスら6選手が期限付き移籍期間終了で[33]それぞれ退団するなど計11人を放出。また町田に期限付き移籍中であった下坂晃城はそのまま町田に完全移籍となった。一方でセランテス、石原広教、菊地直哉、三國ケネディエブス、田邉草民ら計10人が新たに加入した。
- シーズン開幕直後には岩下敬輔が鳥栖に期限付き移籍した一方で、C大阪からヤン・ドンヒョンが完全移籍で加入。夏の移籍期間では吉本一謙が清水へ完全移籍した一方で、初瀬亮、加藤大ら4選手が期限付き移籍で加入した。
- 開幕から4戦未勝利で最下位に転落、第5節アウェー新潟戦でシーズン初勝利を挙げ20位に浮上するも、続く第6節に敗れ再び最下位となる。第7節栃木戦でようやくホームゲーム初勝利を挙げ最下位は脱したが、順位は第1節終了時以降常に17位以下、第14節終了時にはJ3降格圏内の21位となるなど低迷。第16節終了翌日の6月3日、監督のペッキアが家庭の事情を理由に急遽退任、コーチを務めていた久藤清一が監督に昇格した。先述の栃木戦以降ホームゲーム10戦勝ちなし(3分7敗)や、第17節から21節、23節には再び21位になるなど低迷は続き、最終節の勝利により、同シーズン最高順位の16位に浮上してシーズンを終えた。シーズン終了後、久藤が監督を退任した。
- 2020年
- チームスローガン:感動と勝ちにこだわる
- 前年水戸で監督を務めていた長谷部茂利が監督に就任[34]。
- 菊地が現役を引退した他、松田力、ヤン・ドンヒョン、ウォン・ドゥジェ、石原、初瀬、加藤ら計12人が退団。また、前年鳥栖に期限付き移籍していた岩下はそのまま鳥栖に完全移籍した。一方で前年水戸で長谷部の元でプレーした前寛之、福満隆貴、村上昌謙をはじめ、フアンマ・デルガド、エミル・サロモンソン、湯澤聖人、重廣卓也、菊池大介ら計14人が新たに加入した。
- シーズン開幕後には實藤友紀が横浜FMに完全移籍した一方で、藤井悠太が横浜FCから完全移籍で加入した。
- 新型コロナウイルス感染拡大の影響により、7月27日にスタッフ1名の感染が判明したため、クラブ独自で他の選手とクラブ関係者計51人に対しPCR検査を施したところ全選手陰性だったものの[35]、8月2日になり、Jリーグ公式検査の結果、前が陽性である可能性が高いと診断され、同日夜のJ2第9節対大宮戦(NACK5スタジアム大宮)は試合開始2時間前を切った17時過ぎに急遽中止となり[36]、前はドクター管理の下チームバスとは別車両で受入れ先の神奈川県内の医療施設へ移送、翌3日のPCR検査により陽性と診断され、無症状ながら医療施設にて経過観察となった[37]。
成績
タイトル
国内タイトル
※福岡ブルックスとして
個人別
ハットトリック
得点数 | 選手名 | 開催日 | 対戦クラブ | スタジアム | 得点時間 | |
---|---|---|---|---|---|---|
J1 | 3得点 | ビスコンティ | 2000年11月18日(2nd第13節) | ジェフユナイテッド市原 | 市原 | 12分, 44分, 82分 |
J2 | 3得点 | 江口倫司 | 2002年7月24日(第20節) | セレッソ大阪 | 博多球 | 19分, 28分, 29分 |
宮崎光平 | 2003年5月31日(第15節) | サガン鳥栖 | 19分, 39分, 80分 | |||
アレックス | 2007年7月25日(第30節) | ザスパ草津 | 群馬陸 | 11分, 31分, 34分 | ||
JFL | 3得点 | ウーゴ・マラドーナ | 1995年5月7日(第1節) | 福島FC | 平和台 | 36分, 55分, 68分 |
1995年6月11日(第7節) | NTT関東サッカー部 | 15分, 40分, 70分 |
スタジアム
ホームスタジアムは福岡市博多区の東平尾公園内にある東平尾公園博多の森球技場(命名権名称:ベスト電器スタジアム)。
2008年以降のリーグ公式戦は全て同競技場で開催しているが、同競技場がラグビーワールドカップ2019の会場の一つとなったことから、これに向けての改修工事のため2017年11月26日のJ1昇格プレーオフ準決勝は熊本県民総合運動公園陸上競技場(命名権名称:えがお健康スタジアム)で開催した[38]ほか、2019年のリーグ戦では東平尾公園博多の森陸上競技場をホームスタジアムとして併用する[39]。
なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「アビスパ福岡の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。
練習場は福岡市東区の福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である。
スタジアムDJ
- 信川竜太
- 信川が日曜にテレビ・ラジオで生番組を担当している関係で、その際はEIJI(2008年度はMAX、LOVE FMAJ。プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの主催試合でもスタジアムDJを担当)が代役としてスタジアムDJを担当する。
チームマスコット
ユニフォーム
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チームカラー
2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーブルーであったが、2004年からは前述のサポーターのアンケート結果を受けて、1stユニフォームがネイビーブルー、2ndユニフォームがシルバーに変更された。クラブカラーについてもメインカラーがネイビーブルーと定められていたが、2020年にクラブとサポーターとの間でカラーに対して意識の隔たりがあった事を理由として、メインカラーをネイビー(カラーコード:PANTONE281C)に変更した[40]。
限定ユニフォーム
- 2015年
- 1996年のJリーグ加盟から20周年目のシーズンを迎えた事を踏まえ「20周年記念ユニフォーム」を製作。デザインは事前にファン・サポーターから公募した結果[41]、J加盟初年度のユニフォームをベースにしたデザインに決まった。白地に縦ストライプ柄が入り、差し色の一部には前身「藤枝ブルックス」のチームカラーであった藤色も使用された[42]。
- 2017年
- 「2017ハチ祭り記念ユニフォーム」と題して製作。前身「福岡ブルックス」のユニフォームデザインをベースに、ネイビーとイエローのボーダー柄でクラブ名の由来である「蜂」をイメージしたデザインに仕上げられた。8月27日のJ2第30節・水戸戦で着用[43]。
- 2018年
- 「2018ハチ祭り記念ユニフォーム」と題して製作。「ビクトリー」をコンセプトとし、同シーズンの目標であるJ2優勝・J1昇格を胸のVラインで表現。濃紺をベースに伝統のストライプで仕上げられた[44]。着用試合は当初の発表では8月11日のJ2第28節・水戸戦のみの予定であったが[44]、同試合を勝利し、多くのファン・サポーターからリクエストされた事を受け、9月1日・J2第31節大分戦でも着用した[45]。同試合でも勝利した事もあり、その後着用試合を9月の全ホームゲームに拡大した他[46]、関東在住のサポーターからの要望を受けて、アウェー・フクダ電子アリーナで行われた9月16日・J2第33節千葉戦でも着用した[47]。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 福岡地所 | Fj. 福岡地所 |
2015年 - | |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | 博多グリーンホテル | HAKATA GREEN HOTEL |
2018年 - | |
背中上部 | 新日本製薬 | 新日本製薬 | 2018年 - | |
背中下部 | ユーピーエス | プランテルEX | 2020年 - | |
袖 | ふくや | 博多中洲 ふくや | 2011年7月 - | |
パンツ | ピエトロ | ピエトロ | 2020年 - | 2017年 - 2019年は背中下部 |
ユニフォームサプライの遍歴
- 1995年:アドミラル
- 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はアドミラル
- 1997年 - 2010年:ミズノ
- 2011年 - 2014年:スボルメ
- 2015年 - 2017年:アスレタ
- 2018年 - 現在:ヨネックス[48]
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
FP 2nd | ||||
---|---|---|---|---|
FP other | ||||
---|---|---|---|---|
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 鎖骨 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1995 | GEORGIA | 解禁前 | - (FUKUOKA) |
解禁前 | 三洋信販 | - | Admiral |
1996 | RICOH | Admiral / Mizuno | |||||
1997 | |||||||
1998 | Mizuno | ||||||
1999 | 三洋信販 | RICOH | |||||
2000 | |||||||
2001 | |||||||
2002 | ポケットバンク | ||||||
2003 | - | ||||||
2004 | 九州電力 | ||||||
2005 | J.COM | ||||||
2006 | ZENRIN | ||||||
2007 | |||||||
2008 | - | アクセス・ジャパン | .Rドッとあ〜る | 九州電力 | |||
2009 | everlife 皇潤 | Odyssey | |||||
2010 | |||||||
2011 | - / 西日本新聞 |
- / 博多中洲 ふくや |
svolme | ||||
2012 | - / Nishitetsu Group |
- | 博多中洲 ふくや | 西日本新聞 | |||
2013 | Nishitetsu Group | ||||||
2014 | - | Broad-minded | 伊都きんぐ | ||||
2015 | Fj. 福岡地所 |
ATHLETA | |||||
2016 | Toppa! | E保険 | BIKEN TECHNO | ||||
2017 | プレモバ Premiere Mobile |
ピエトロ | |||||
2018 | HAKATA GREEN HOTEL |
新日本製薬 | YONEX | ||||
2019 | |||||||
2020 | プランテルEX | ピエトロ |
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アカデミー
この節の加筆が望まれています。 |
- アビスパ福岡U-18
- アビスパ福岡U-15
- アビスパ福岡U-14
- アビスパ福岡U-13
タイトル
U-18
U-15
- 九州ユース (U-15)サッカーリーグ:2010年、2011年
問題・トラブル
李官雨入団問題
1999年11月に、韓国の漢陽大学校に所属していた李官雨(当時五輪韓国代表)の獲得を発表したが、Kリーグからドラフト規約違反と反発があったため、入団契約を解除した。
主力温存(Jリーグ規定)問題
2000年のJリーグカップ予選・湘南ベルマーレ戦(4月12日)で、アビスパは主力を温存し、若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になったものの、試合は勝利を収めた。
経営問題
福岡移転後から、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと最大9億円の融資を拠出、2006年には資本金34億円の99%減資と大株主からの追加支援を受ける[49] など、慢性的な赤字体質が続いていた。そんな中、ユニフォームの胸スポンサー(「GEORGIA」のロゴを掲出)であった筆頭株主の北九州コカ・コーラボトリング→コカ・コーラウエストジャパン(CCWJ、リコー三愛グループ)が2007年シーズンを最後にユニフォームスポンサーを撤退[50]。その他のユニフォームスポンサーもすべて交替となったが、胸スポンサーだけは後継が埋まらず(#歴代ユニフォームスポンサー年表も参照)、経営問題がクローズアップされることになる。
2008年6月、パチスロ機メーカーの大都技研がクラブに資本参加し、ユニフォームスポンサーとなると報道された[51]。同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示した[52]、が同年9月に正式に同社の資本参加が発表された[53]。ただし、ユニフォームスポンサーとしての参加は見送られた。
2009年シーズンはパンツ以外のユニフォームスポンサーが無い状態でシーズンに突入するという異常事態となった[54] が、2009年4月にユニフォームの胸スポンサーが「エバーライフ」に決定した[55]。背スポンサーも オデッセイ コミュニケーションズ に決まった[56]。2010年には電通出身の大塚唯史が社長に就任、大口スポンサー頼みの企業体質からの脱却を図るべく広告スポンサー数を約90社から約150社にまで増やし[49]、経営問題に改善の傾向が見られたかに思われた。
しかし2013年、2014年度のJリーグクラブライセンスで経営状態について「是正通達」より一段階軽い「個別通知」の付帯付きのJ1ライセンスが交付された[57] 直後の10月15日に、地元紙の西日本新聞(西日本スポーツ)が、アビスパがJリーグ退会の可能性もある極めて厳しい経営状態にあることを報じた[58]。具体的には2013年5月ごろから運営会社の資金繰りが厳しくなり、数千万円の短期借入で運転資金を回したが、9月末現在でも約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対し実際の営業収入が約8億2000万円に留まる一方、10月の時点で運転資金について新規の借入が出来なくなったため、手元資金が底を付く11月末に運営資金約5000万円が決済不能になり、12月分の選手の給与が遅配になる可能性があるというものであり、アビスパの小学生招待事業「アビスパKidsパートナー」の協賛金募集に際して、福岡県サッカー協会が傘下の少年サッカークラブに対し「アビスパ福岡が資金面で最大の危機に面しております。11月30日までに5000万円の運転資金が準備できなければ、お金の流れが滞り、最悪の結果を招くことになります」という趣旨の文書を送付したことで明らかになったものであった。
アビスパ社長の大塚唯史は「最悪の場合は、Jリーグから借金して、勝ち点マイナス10となることを覚悟している」とコメントし、大株主らに協賛金の要請を行ったが、2006年当時の経緯もあり、大株主の福岡市や西部ガス[59]、ふくおかフィナンシャルグループ、西日本鉄道[60] などがアビスパに対する追加支援に否定的な見解を示した。しかし「アビスパKidsパートナー」協賛金をはじめとする個人・法人からの小口協賛金2645万円や、大株主のふくやによる間接的な支援(支援商品を販売し、売り上げをアビスパに寄付[61]・最大約1776万円)などが集まり、11月16日時点で年内の資金繰りは手当てできたことを発表[62]。11月30日には一連の経営問題の責任を取って大塚唯史が代表取締役を辞任し[63]、後任には元鹿島アントラーズ強化担当部長の野見山篤が就任し、野見山をサポートする役割として常勤の取締役に市文化振興部課長の樽見哲が就任した[49]。
翌2014年2月5日、クラブ経営強化を図るためにアドバイザリーボード(経営諮問委員会)を設置[64]。7月23日に発表されたJリーグ参加51クラブの2013年度決算において、2期連続赤字で約2800万円の債務超過となっていることが報告された。大河正明Jリーグ常務理事は「黒字化はなんとかなるが、債務超過(解消)は確証が持てない」と指摘[65]、報告時点において債務超過であった11のクラブのうち、9月のライセンス審査までに債務超過を解消させる目処が立っていないクラブは福岡のみであった[66]。
2014年8月25日、この日行われた臨時取締役会で、福岡市発祥で基幹・業務系システムの開発やWebアプリの開発を手がけるシステムソフトを対象に約1億円の第三者割当増資を実施することを9月の臨時株主総会に諮ることを決議[67]。8月29日付けでシステムソフトがアビスパへの資本参加決定を発表した[68] ことから、懸念されていた債務超過の解消と、Jリーグクラブライセンス制度の剥奪は回避される見通しとなった。第三者割当増資は9月22日付けで実施されシステムソフトが筆頭株主となり、同社社長の吉尾春樹とシステムソフトの親会社であるアパマンショップホールディングス常務取締役(アパマンショップネットワーク代表取締役、あるあるCity代表取締役)の川森敬史が新たに非常勤の取締役に就任[69]。川森は2015年3月30日に開かれた株主総会および取締役会で社長に就任(前社長の野見山は常勤の取締役に交代)した[70]。
社長に就任した川森敬史は、経営再建と効率化に向けた様々な改革を実施。業務限定社員の導入を含めた営業体制の拡充、社員それぞれのスキルを生かせる雇用環境の確立、キャッシュフローの改善等を進めた。その結果、スポンサー数が186社(2014年度)から1010社(2015年度)と約5倍以上に増加。観客動員においても「レベスタ1.5万人プロジェクト」を始め、トップチームはもちろん、アカデミー・スクール生に対する理念共有を含めた様々な取り組みを重ねた結果、2016年では2015年との比較で観客動員数172%へアップした[71][72]。
メディア
テレビ
現在
過去
- 瞬感スポーツ (RKB毎日放送、金曜 23時55分 - 24時15分)
- VIVA!SPORTAS (TVQ九州放送、土曜 18時30分 - 19時00分)
- アビスパッと!TV (テレビ西日本、土曜25時35分 - 25時40分)
ラジオ
現在
- NEWSIC (CROSS FM、月曜-金曜 6時30分 - 9時00分)
- D U Know? ~アビスパ MOVEMENT~ (FM FUKUOKA、土曜 6時55分 - 7時00分)
過去
- バモス!アビスパ (FREE WAVE、木曜 19時00分 - 19時30分)
- NOBUKAWA SPORTS (CROSS FM、金曜 20時00分 - 23時00分)
- オーレ!アビスパ (RKB毎日放送、土曜 6時00分 - 6時20分)
決算
アビスパ福岡の決算は、つぎのとおり。
損益
年度 | 収入 | 広告料 | 入場料 | 配分 | その他 | 費用 | 事業費 | 人件費 | 管理費 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 1,220 | 581 | 237 | 120 | 282 | 1,243 | 908 | N.A. | 335 | -23 | -21 |
2006 | 1,575 | 767 | 387 | 235 | 186 | 1,682 | 1,238 | 778 | 444 | -107 | -117 |
2007 | 1,421 | 669 | 266 | 121 | 365 | 1,385 | 1,024 | 610 | 361 | 36 | 21 |
2008 | 1,157 | 552 | 245 | 110 | 250 | 1,209 | 930 | 559 | 279 | -52 | -61 |
2009 | 1,006 | 424 | 201 | 103 | 278 | 1,119 | 872 | 479 | 247 | -113 | -109 |
2010 | 938 | 377 | 206 | 105 | 250 | 925 | 693 | 401 | 232 | 13 | 33 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 1,246 | 441 | 308 | 207 | 144 | 146 | 1,122 | 428 | 101 | 157 | 71 | 0 | 365 | 124 | 130 |
2012 | 854 | 301 | 170 | 95 | 172 | 116 | 1,015 | 411 | 86 | 155 | 63 | 0 | 300 | -161 | -158 |
2013 | 871 | 324 | 180 | 94 | 171 | 102 | 986 | 390 | 73 | 161 | 58 | 0 | 284 | -95 | -87 |
2014 | 947 | 334 | 192 | 96 | 210 | 115 | 942 | 417 | 76 | 121 | 65 | 0 | 263 | 5 | 9 |
2015 | 1,654 | 474 | 235 | 94 | 211 | 640 | 1,595 | 626 | 96 | 374 | 73 | 0 | 426 | 59 | 49 |
年度 | 収益 | 広告料 | 入場料 | 配分 | 育成 | 物販 | その他 | 費用 | 人件費 | 試合 | トップ | 育成 | 女子 | 物販 | 販売 | 利益 | 純利益 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 1,836 | 618 | 275 | 207 | 175 | 112 | 449 | 1,814 | 937 | 142 | 187 | 67 | 0 | 92 | 389 | 22 | 21 |
- 金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
資産
年度 | 総資産 | 総負債 | 純資産 | 資本金 |
---|---|---|---|---|
2005 | 449 | 196 | 252 | 3,370 |
2006 | 558 | 424 | 134 | 90 |
2007 | 439 | 284 | 155 | 90 |
2008 | 437 | 273 | 164 | 125 |
2009 | 463 | 409 | 54 | 125 |
2010 | 440 | 353 | 87 | 125 |
2011 | 515 | 298 | 217 | 217 |
2012 | 415 | 355 | 60 | 126 |
2013 | 345 | 373 | -28 | 126 |
2014 | 389 | 307 | 82 | 176 |
2015 | 537 | 406 | 130 | 176 |
2016 | 732 | 580 | 152 | 176 |
- 金額の単位: 百万円
出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016
現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。 |
脚注
注釈
出典
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関連項目
- アビスパ福岡の選手一覧
- 九州ダービー
- 福岡ダービー
- 福岡J・アンクラス - アビスパのホームゲームでボールスタッフをしている。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- アビスパ福岡 (avispaf) - Facebook
- アビスパ福岡 (@AvispaF) - X(旧Twitter)
- アビスパ福岡 (@avispaf) - Instagram
- AVISPA FUKUOKA CHANNEL - YouTubeチャンネル
- 広報ブログ
- 西日本新聞/アビスパ福岡