太田恵介
| |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
名前 | |||||||||||
愛称 | オオタ | ||||||||||
カタカナ | オオタ ケイスケ | ||||||||||
ラテン文字 | OTA Keisuke | ||||||||||
基本情報 | |||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||
生年月日 | 1979年4月24日(45歳) | ||||||||||
出身地 | 静岡県静岡市 | ||||||||||
身長 | 196cm | ||||||||||
体重 | 86kg | ||||||||||
選手情報 | |||||||||||
ポジション | FW | ||||||||||
背番号 | 24 | ||||||||||
利き足 | 右足 | ||||||||||
ユース | |||||||||||
1995-1997 | 清水商業高校 | ||||||||||
1998-2001 | 福岡大学 | ||||||||||
クラブ1 | |||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||
2002-2005 | アビスパ福岡 | 63 | (10) | ||||||||
2006 | ザスパ草津 | 38 | (4) | ||||||||
2007 | ミネソタ・サンダー | 19 | (2) | ||||||||
2008 | V・ファーレン長崎 | 1 | (0) | ||||||||
通算 | 121 | (16) | |||||||||
| |||||||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
太田 恵介(おおた けいすけ、1979年4月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。福岡大学サッカー部でコーチを経て現在、佐賀県の龍谷高校サッカー部監督を務めている。
来歴
[編集]福岡大学在学中の2001年にユニバーシアード北京大会で日本代表に選出され、チームの優勝に貢献。2002年、その年J2に降格したばかりの福岡に入団した。2004年4月24日の大宮戦にて、古賀誠史からのフリーキックを得意の頭で合わせゴールを決めた際、ポストに腹部を強打し脾臓損傷という全治3ヶ月以上の大怪我を負うが同年8月1日の横浜FCより戦線復帰。2005年チームはJ1復帰を果たしたが、本人はJ1でプレーする事無く同年に戦力外通告を受ける。2006年1月、群馬に移籍するも、同年11月、契約満了に伴い退団。2007年3月トライアウトを経て、アメリカの二部リーグにあたるUSLのミネソタ・サンダーに入団。クラブ側より翌シーズンも再契約の意思を伝えられるが、本人は監督への不信感から退団を決意する。2008年からは当時Kyuリーグの長崎に籍を置き、3年ぶりに九州の地でプレーすることになった。
2008年末、チームは悲願のJFL昇格を果たすが、太田自身はシーズン終了後に退団しそのまま現役引退。プロサッカー選手としてのキャリアを終えた。2009年より母校である福岡大学サッカー部でコーチに就任し指導者の道を歩め、2013年から佐賀県の龍谷高校に教員として赴任し、同年に創部されたサッカー部監督に就任。2018年の第97回全国高等学校サッカー選手権大会佐賀県大会で初優勝に輝きチームを全国大会に導いた。2024年の全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会佐賀大会で初優勝を決め、九州大会では惜しくも準優勝に終わった。
エピソード
[編集]- 2002年から2006年までのJリーグ在籍期間、全選手の中で最も身長の高い選手であった。
- 同音の名前のJリーガーでジェフ千葉に太田圭輔選手がいる。
- 普段の優しい人柄と試合での熱いプレーぶりから、今でも一部の福岡及び草津サポーターからは高い人気がある。
- スケートボードが趣味。
所属クラブ
[編集]個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 福岡 | 24 | J2 | 4 | 1 | - | 0 | 0 | 4 | 1 | |
2003 | 11 | 2 | - | 1 | 0 | 12 | 2 | ||||
2004 | 24 | 5 | - | 2 | 2 | 26 | 7 | ||||
2005 | 24 | 2 | - | 0 | 0 | 24 | 2 | ||||
2006 | 草津 | 38 | 4 | - | 1 | 0 | 39 | 4 | |||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | USオープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | ミネソタ | 24 | USL1部 | 19 | 2 | 19 | 2 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 長崎 | 32 | 九州 | 1 | 0 | - | |||||
通算 | 日本 | J2 | 101 | 14 | - | 4 | 2 | 105 | 16 | ||
日本 | 九州 | 1 | 0 | - | |||||||
アメリカ | USL1部 | 19 | 2 | 19 | 2 | ||||||
総通算 | 120 | 16 | 4 | 2 | 124 | 18 |
その他の公式戦
- 1999年(福岡大学)
- 天皇杯 1試合0得点
- 2004年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- Jリーグ初出場 - 2002年9月11日 J2 第30節 対水戸ホーリーホック戦(博多の森球技場)
- 83分、アレンに代わり途中出場。
- Jリーグ初得点 - 2003年7月26日 J2 第24節 対アルビレックス新潟戦(新潟スタジアム)
- 先発出場し、73分にゴールを決める。
代表歴
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 太田恵介 - FootballDatabase.eu
- 太田恵介 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 太田恵介 - J.League Data Siteによる選手データ
- 太田恵介ブログ