「華北政務委員会」の版間の差分
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督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として4局(総務・税務・会計・庫蔵)のほか、中国聯合準備銀行、華北統税総局、華北禁煙総局が置かれた。 |
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として4局(総務・税務・会計・庫蔵)のほか、中国聯合準備銀行、華北統税総局、華北禁煙総局が置かれた。 |
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督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として7局(総務・軍咨・軍務・軍学・軍需・宣導・警政)2処(軍医・軍法)が置かれた。1943年3月、警政局は内務総署に属した。 |
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として7局(総務・軍咨・軍務・軍学・軍需・宣導・警政)2処(軍医・軍法)が置かれた。1943年3月、警政局は内務総署に属した。 |
2020年8月26日 (水) 23:29時点における版
華北政務委員会(かほく-せいむいいんかい)は1940年3月29日に成立した行政組織。前身は中華民国臨時政府であり、臨時政府が汪兆銘政権に参加したことにより華北政務委員会に改編された。
『華北政務委員会組織条例』に依拠し汪兆銘政権の委託を受け河北、山東、山西3省及び北京、天津、青島3市地域の防共、治安維持、経済政策を汪兆銘政権に代わり実行し、下部省及び市政府を監督すると定められ、条例に定められていない河南地区も華北政務委員会が実質的な行政実務を行っていた。
1942年1月に蘇北淮北地区が蘇淮特別区行政公署として汪兆銘政権の直轄となった。
委員の構成
委員は17~21名。1名が委員長に指定され、5~9名が常務委員となった。その下には、顧問、参議、咨議、専員、調査員がそれぞれ若干名置かれた。
歴代委員長
政務委員会直属機関(1940年3月 - 1943年11月)
華北政務委員会設立から1943年11月までは、6総署(内政・財政・治安・教育・実業・建設)2庁(政務・秘書)などが直属機関として設けられた。また最高法院華北分院も、事実上は華北政務委員会に属していた。
内務総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として4局(総務・民政・礼俗・衛生)が置かれた。1943年3月、治安総署に属していた警政局も内務総署に属し、5局体制となった。
- 歴代総署督弁
- 王克敏:1940年3月 - 6月〔兼任〕
- 王揖唐:1940年6月 - 1943年2月〔兼任〕
- 斉燮元:1943年2月 - 11月〔兼任〕
財務総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として4局(総務・税務・会計・庫蔵)のほか、中国聯合準備銀行、華北統税総局、華北禁煙総局が置かれた。
- 総署督弁
- 汪時璟:1940年3月 - 1943年11月
治安総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として7局(総務・軍咨・軍務・軍学・軍需・宣導・警政)2処(軍医・軍法)が置かれた。1943年3月、警政局は内務総署に属した。
- 総署督弁
- 斉燮元:1940年3月 - 1943年11月〔1943年2月より内務総署督弁兼任〕
教育総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として3局(総務・教育・文化)が置かれた。
- 歴代総署督弁
実業総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として7局(総務・農林・工商・漁牧・鉱業・労工・合作)のほか、華北合作事業総会が置かれた。
- 総署督弁
- 王蔭泰:1940年3月 - 1943年11月
建設総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として5局(総務・経理・公路・水利・都市)のほか、企画委員会が置かれた。
- 歴代総署督弁
政務庁
庁長を1名、参事を若干名置いた。下部機関として1室(秘書室)5局(外務・法制・審計・情報・交通)が置かれた。
- 歴代庁長
秘書庁
庁長を1名、参事を若干名置いた。下部機関として2処(文案・事務)1室(機要)が置かれた。
- 歴代庁長
- 王克敏:1940年5月 - 6月〔兼任〕
- 瞿益鍇:1940年6月 - 7月〔代理〕
- 夏粛初:1940年7月 - 1942年4月
- 李元暉:1942年4月 - 1943年2月
- 張仲直:1943年2月 - 3月〔兼任〕
- 祝書元:1943年3月 - 11月〔代理〕
最高法院華北分院
民事1庭、刑事2庁、検察署が置かれた。
- 院長
- 張孝栘:1940年5月 - 1943年11月
政務委員会直属機関(1943年11月 - 1945年8月)
1943年11月10日、華北政務委員会臨時常務委員会で機構改革案と人事調整案が承認され、翌11日に中央政治委員会第129次会議で追認された。これにより、政務・秘書の2庁が廃止、総務・内務・財務の3庁が改めて設置され、また6総署は治安・経済・農務・教育・工務の5総署に再編された。
総務庁
庁長、次長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として1室(秘書室)4局(総務・外務・統計・情報)が置かれた。
- 歴代庁長
- 王蔭泰:1943年11月 - 1945年2月〔兼任〕
- 蘇体仁:1945年2月 - 8月〔兼任〕
内務庁
庁長を1名置いた。下部機関として2局(民政・警政)が置かれた。
- 歴代庁長
- 王蔭泰:1943年11月 - 1945年2月〔兼任〕
- 蘇体仁:1945年2月 - 8月〔兼任〕
財務庁
庁長を1名置いた。下部機関として3局(主計・審計・印刷)が置かれた。
- 歴代庁長
- 張仲直:1943年11月 - 1945年2月〔代理〕
- 汪時璟:1945年2月 - 8月〔兼任〕
治安(綏靖)総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として7局(総務・軍咨・軍務・軍学・軍需・宣導)2処(軍医・軍法)が置かれた。1943年12月30日、最高国防会議第36次会議において、治安総署から綏靖総署に改名された。
- 歴代総署督弁
経済総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として6局(総務・実業・金融・税務・労工・物価)が置かれた。
- 総署督弁
- 汪時璟:1943年11月 - 1945年8月〔1945年2月より財務庁長兼任〕
農務総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として5局(総務・農産・糧政・林牧・合作)が置かれた。
- 歴代総署督弁
- 王蔭泰:1943年11月 - 1945年2月〔兼任〕
- 陳曽栻:1945年2月 - 8月
教育総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として4局(総務・文化・教育・保健)が置かれた。
- 歴代総署督弁
工務総署
督弁、署長を各1名、参事を若干名置いた。下部機関として4局(総務・水利・公路・都市計画)が置かれた。
- 歴代総署督弁
- 蘇体仁:1943年11月 - 1945年2月
- 唐仰杜:1945年2月 - 8月
最高法院華北分院
改組以前からそのまま継続された。
- 院長
- 張孝栘:1943年11月 - 1945年8月
行政区画
汪兆銘政権崩壊直前の下部行政区画は下記の通り。
参考文献
- 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌 下』甘粛人民出版社、1990年。ISBN 7-226-00582-4。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。