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「反日感情」の版間の差分

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* 2012年9月25日、朝鮮日報の朴海鉉論説委員が「他人を踏み付けることに快感を覚える加虐本能が、日本人の遺伝子の中に今なお流れている」「日本文化には以前から猟奇的、怪奇的な要素が多かったが、それにしても最近の日本列島はついに巨大な虫に変化し始めたかのようだ」などの論説を朝鮮日報に寄稿。
* 2012年9月25日、朝鮮日報の朴海鉉論説委員が「他人を踏み付けることに快感を覚える加虐本能が、日本人の遺伝子の中に今なお流れている」「日本文化には以前から猟奇的、怪奇的な要素が多かったが、それにしても最近の日本列島はついに巨大な虫に変化し始めたかのようだ」などの論説を朝鮮日報に寄稿。
* 2013年5月5日、朝鮮日報の金大中顧問が「日本は結局、世界一流の国ではなかった。非常に豊かでカネをよく稼ぎ、立派なふりをしていても、やはり日本は、周辺諸国を強奪・植民地化して侵略戦争を起こした前世紀の水準から脱しきれていない」と朝鮮日報に寄稿。
* 2013年5月5日、朝鮮日報の金大中顧問が「日本は結局、世界一流の国ではなかった。非常に豊かでカネをよく稼ぎ、立派なふりをしていても、やはり日本は、周辺諸国を強奪・植民地化して侵略戦争を起こした前世紀の水準から脱しきれていない」と朝鮮日報に寄稿。
* 2014年、韓国国会議員の[[羅卿ウォン|羅卿瑗]](ナ・ギョンウォン)が、「政治家の立場では、日本と対立ばかりできないことも当然あるでしょうが、それでも日本は根本的に悪質だと思います。」と朝鮮日報のインタビューに回答<ref>朝鮮日報 2014/08/08 11:05 朝鮮日報記者に質問:与党議員の自衛隊行事出席は事実か[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/08/2014080801274.html]</ref>。
* 2014年、韓国国会議員の[[羅卿瑗]](ナ・ギョンウォン)が、「政治家の立場では、日本と対立ばかりできないことも当然あるでしょうが、それでも日本は根本的に悪質だと思います。」と朝鮮日報のインタビューに回答<ref>朝鮮日報 2014/08/08 11:05 朝鮮日報記者に質問:与党議員の自衛隊行事出席は事実か[http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/08/08/2014080801274.html]</ref>。


==== 韓国国民の対日意識調査 ====
==== 韓国国民の対日意識調査 ====

2020年8月24日 (月) 11:54時点における版

第二次世界大戦中の反日感情を煽るアメリカのプロパガンダポスター。誇張されたステレオタイプを用いている。“東京の坊主が言っている、「材料を多く浪費すると、とても幸せになります、ありがとう」”
「日本人と犬は入場禁止」中国広州市内のレストランにて。かつて上海共同租界パブリック・ガーデンに入口に「犬と支那人入るべからず」との看板が建てられていたという都市伝説[1][2][3][4]をもじったもの

反日感情(はんにちかんじょう、英語:Anti-Japanese sentiment)は、日本日本人日系人に対して抱いている反感を指す言葉である。

背景

2017年英国放送協会(BBC)の調査
日本に対する印象(国外) [5]
国家 正面 負面 中立 正負面差
中華人民共和国の旗 中国
22%
75%
3 -53
スペインの旗 スペイン
39%
36%
25 +3
トルコの旗 トルコ
50%
32%
18 +18
パキスタンの旗 パキスタン
38%
20%
42 +18
インドの旗 インド
45%
17%
38 +28
ロシアの旗 ロシア
45%
16%
39 +29
ペルーの旗 ペルー
56%
25%
19 +31
世界平均
56%
24%
20 +32
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
57%
24%
19 +33
イギリスの旗 イギリス
65%
30%
5 +35
メキシコの旗 メキシコ
59%
23%
18 +36
ケニアの旗 ケニア
58%
22%
20 +36
ドイツの旗 ドイツ
50%
13%
37 +37
インドネシアの旗 インドネシア
57%
17%
26 +40
アメリカ合衆国の旗 アメリカ
65%
23%
12 +42
ギリシャの旗 ギリシャ
52%
9%
39 +43
フランスの旗 フランス
74%
21%
5 +53
ブラジルの旗 ブラジル
70%
15%
15 +55
オーストラリアの旗 オーストラリア
78%
17%
5 +61
カナダの旗 カナダ
77%
12%
11 +65
2014年ピュー研究所の調査[6]
日本に対する印象(アジアのみ)
国家 正面 負面 中立 正負面差
中華人民共和国の旗 中国
4%
90%
6% -86%
大韓民国の旗 韓国
22%
77%
1% -55%
パキスタンの旗 パキスタン
51%
7%
42% +44%
フィリピンの旗 フィリピン
78%
18%
4% +60%
オーストラリアの旗 オーストラリア
78%
16%
6% +62%
インドネシアの旗 インドネシア
79%
12%
9% +67%
マレーシアの旗 マレーシア
80%
6%
14% +74%

原因

アジアでは、BBC[7]が定期的に実施している世界各国を対象とした対他国感情に関する調査によれば、概ね日本に好意的な回答が示される中でいわゆる特定アジア2ヶ国である中国と韓国は日本を肯定的に考える回答より否定的にとらえる回答が多い傾向にある。また、アジアでは読売新聞韓国日報ギャラップが共同で行った[8] 世界各国を対象とした対他国感情に関する調査によれば、東南アジアを含め他の調査対象国における対日・対日本人感情は好意的な回答を示した一方で、中国と韓国では日本を肯定的に考える回答より否定的にとらえる回答が多くなっており、「特定アジア」の国が突出して日本に対して反日感情を抱いている結果が出ている。

特に中国と北朝鮮、韓国との間には現在でも歴史認識などで軋轢があり、日本への歴史的・政治的批判は日本国内でも頻繁に報道されている。東北アジアにおける「反日」感情は、反日教育の賜物であるといわれている[9]

「特定アジア」の民族差別的「反日」感情

中国や朝鮮半島では、組織的にあるいは突然に「反日」感情の噴出が見られる。このような動きを、第二次世界大戦の「被害」を材料にした日本人に対する民族差別として糾弾すべきとする人もいる。日本の右派・保守派は、中国・朝鮮半島の「反日」感情は自然発生的なものではなく、様々な教育によって人為的に形成・増幅された特殊な感情であるとする。このため、教育的な「反日」感情の露わな朝鮮半島と中国を「特亜(特定アジア)」と区別するなどして、その他の地域とを区別して取り扱うことがある。世界各国を対象とした各種の調査において「特定アジア」が日本を否定的に捉える比率は突出して多い[7][8]

韓国では「百済」というインディーズバンドが歌っている、日本人を「障碍者」と罵倒する曲や[10]日本沈没がヒットしたほか、中国では日本人留学生が殴られたり、日本人旅行者へのサービス提供を拒否するレストランや病院などが話題となった。

旅行者

1960年代以降、海外渡航の自由化に伴い日本人の海外ツアーが一般的になると、「旅の恥はかき捨て」的な一部の恥知らずな日本人ツアー客による迷惑行為に不快感を覚える現地の人たちも増えていった。西欧において「集団で押し寄せる日本人」のイメージが出来上がったのはこの時代による。渡航自由化から数十年を経た近年ではマナーやイメージが好転し、一般的には日本人旅行者はマナーが良く、たくさんお金を使うため現在ではアメリカ人やスイス人の旅行者と並んで歓迎される外国人旅行客という評価もある[11][12]

企業活動

日本企業は、その投資行為によって世界各地で摩擦を引き起こしたことがある。象徴的な例としては、バブル経済最盛期に三菱地所ニューヨークのシンボルであるロックフェラー・センターを買収し、ニューヨーク市民の反感を買ってしまったという事例がある。三菱地所は、結局、ロックフェラーセンターを売却し、大損失を被った。

日本の外国人政策

日本政府による外国人受け入れ問題や、外国人不法就労者に絡む人権問題から日本政府の対応を批判する活動がある。これらはヘイトクライムの側面こそもたないものの、広義の意味で反日感情を助長しているものと指摘する論者がある。

日本国内においては、本人の意志に反して売春させられている外国人女性たちの問題に対し日本国民がほとんど放置していたという問題に対しては、米国国務省[13]国際労働機関(ILO)[14]・各種NGO[15][16]・各種研究機関[17] などから人身売買と厳しく批判されている。このため、近年、入国管理を強化する一方で、不当就労を強いられている被害者の発見と保護を目的とした法改正が始まっている[18]

また、日本国の外国人労働者受け入れは少子高齢化社会のため増加傾向にはあるものの[19]、世界各国の外国人労働者受け入れ動向と比較すれば極めて限定的であり、日本国内の労働者人口に占める外国人労働者の比率は先進国の中では著しく小さい[20]。これらのことは日本国内における外国人労働者の問題が軽視される原因ともなっており、政府同士によるFTA/EPA交渉や労働組合による交渉などを通じて積極的に改善されることが望まれている。

日本では外国からの単純労働力の受け入れを原則として拒否しており、外国人研修制度技能実習制度といった抜け穴を利用した就労を斡旋された外国人出稼ぎ労働者たちが日本国内の職場に不当に拘束され、日本人には強いられないような過酷な労働を強要され続けていたという事件が発生しており、外国人就労者の反発を招いている[14][17]。一部の外国人労働者は、言語的・経済的不利にもかかわらず、余りの人権侵害的な扱いに裁判を起こさざるを得ないような状況に追い込まれている[17]

中華人民共和国

歴史問題や領土問題を巡って反日感情が 高まっている。

しかし、日本と現在の中国を見ると、日中戦争第二次世界大戦時の中国は中華民国であり、厳密には日本と中華人民共和国は戦争状態になったことはない。もっとも中華人民共和国の事実上の支配政党である中国共産党、その軍隊である中国人民解放軍との戦闘が中国大陸において行われたことは歴史的事実であり、このような説明は外交上の言辞的修辞以上の意味はない。また自国の歴史の重要な要素であるとして日中戦争における日本軍による残虐行為についても教科書で多く取り上げられているが、この教育については、「反西洋を愛国」とし、「野蛮な犯罪を革命」とする思想であるという指摘がある[21]

また尖閣列島の領有権や東シナ海の海底資源をめぐって対立も歴史問題に加えて反日感情を助長した。2003年9月に起こった珠海日本人買春事件では中国の多くのメディアは行為者の違法行為をもとに、連日の報道キャンペーンを展開し日本あるいは総体としての日本人にまで批判的な姿勢をとった。

反日感情から日本人が歴史・政治問題について謝らないとサービスの提供を拒否する店や病院がでてきている[22][23]

中国における反日感情は、おもに旧日本軍による中国大陸への侵攻(日中戦争)に焦点が集まっており、日清戦争から辛亥革命期、第一次世界大戦下における対華21ヶ条要求などが話題となることは少ない。当時は対華21ヶ条要求が大変な問題となり中華民国政府は大規模な反日キャンペーンを展開したが、現代の中国でこれが問題視されることは少ない。

しかし日本は仮想敵国ソ連の脅威があったために、満州事変以降一貫して中国本土を植民地化また侵略する意図は持っていなかった。特に日中戦争で中国を刺激させたのは陸軍出先が推し進めた華北分離工作であり、これが広田弘毅が訴えた日中親善政策を挫折させる事となり、抗日意識を煽った[24]梅津・何応欽協定土肥原・秦徳純協定で中国と満州国の間に中国側の自治政府の冀察政務委員会と日本側の冀東防共自治政府が成立し、事実上満州国防衛のための緩衝地帯となった。1936年、広田弘毅が提案した「広田三原則」や有田八郎川越茂が提案した防共協定締結を蒋介石は拒否している[25]。同年に一致抗日を主張した張学良により西安事件が起こり、これにより反共路線から反日路線へと転換し日中の防共協定は破綻となった。1937年に林銑十郎内閣で佐藤尚武外相が華北分離工作を中止事を述べた[26][27]。しかし盧溝橋事件の際、7月11日に現地軍が停戦協定を結んだものの蒋介石の中央軍が北上した情報により近衛文麿内閣が北支派兵を発表した事により、現地解決は困難となった。現地軍が和平したものの、結局刺激を受けた蒋介石開戦を決意し、近衛文麿が8月に船津に華北分離工作を解消しようとした和平工作を行おうとしたものの、中国軍が上海に駐留する日本軍に総攻撃した第二次上海事変が勃発する。蒋介石は自身が期待していた日本への対日制裁が行われなかったため、11月初頭に日本側が提出した「華北の行政権は南京政府に委ねる」が記載されている非併合・非賠償の条件のトラウトマン工作で1度目の和平案を12月初頭に受諾を検討したものの、南京陥落により2度目の和平案が加重されたため失敗した。後に様々な和平案を出すが、中国側が承諾できない過酷なものであり、1940年の桐工作の際まで最悪の日中関係となった。このように日中戦争は第二次世界大戦の始まりのナチスドイツソビエト連邦ポーランド侵攻のような不可侵条約を破棄した一方的な侵攻とは多少異なる。

中国政府は、日本との関係が良好な時には戦時中の日本軍による残虐行為などを取り上げている映画に対して、日本や日本人への敵意が表立って見られない場合でも圧力をかけることがあり、中国における「反日」感情は政権の都合により利用されたり抑制されるのが実情であるという意見もある。福田康夫政権は「親中」と見られていることから、中国は南京大虐殺を取り上げた映画などに圧力をかけているという報道もあった[28]。しかし四川大地震では日本の救援隊が派遣された際には歴史とは別に被災者から感謝の意を表した。

2007年新華社通信が中国人約1万2000人を対象にアンケート調査した結果、「好きではない隣国」の1位に韓国(40.1%)、2位に日本(30.2%)が挙げられた。一方、「好きな隣国」の1位はパキスタン(28.0%)、次いでロシア、日本が3位(13.2%)となった[29]。また、2007年12月に中国の大手ポータルサイト『天涯コミュニティ』の行った世論調査では、最も嫌いな国の1位は韓国、次いで日本が挙げられた。一方、最も好きな国の3位が日本となった[30]。また、中国のインターネット上で実施された「どの国が一番好きか?」という統計によると、中国人が最も好きな国の1位は米国、2位は日本だったという[31]。また人民日報の姉妹紙『環球時報』が中国の北京上海広州武漢重慶の5つの都市に在住する中国人、1350人を対象に「中国人が見た世界」と題する調査を行った結果、中国人が最も好きな国は順に米国、フランス、オーストラリア、シンガポール、日本だった[32]。中国人が一番嫌いな国は韓国であり、日本は「好き」「嫌い」双方の設問で上位に入っている。

2009年末の人民日報系の国際情報紙『環球時報』の世論調査では15〜20歳の若年層では「最も好きな国」の1位に日本を挙げている。国民全体でも「最も好きな国」「最も行きたい国」の区分で、日本は5位、3位に入っている。2010年2月に『北京晨報』が報じた大手旅行会社の調査によると、海外(中国本土以外)の人気旅行先は、日本が台湾と並んで3位だった。1位の香港、2位のマカオは中国領であるため、純粋な外国では実質的には日本が1位となる[33]

南京事件を巡る対立

抗日神劇

中国ではテレビ番組の内容について共産党の検閲が行われているが、内容が「反日」的であれば規制が緩くなるとされる。そのため、第二次大戦中の中国大陸を舞台に中国人が日本兵を撃退する「抗日ドラマ(反日ドラマ)」というジャンルが一定数制作されていた。これらの一部は「神劇[34]」という中国のネットスラングから「抗日神劇」と通称されている。

2005年の中国における反日デモ・暴動

2005年日本の国連安保理常任理事国入りの可能性が濃厚になると、中国で反発が高まり、ネットで1,000万人を超える反対署名が集められた。4月9日には北京で日中国交回復以来最大となる1万人の学生が参加した反日デモが発生した。このデモ隊は日本大使公邸まで行進の後、一部が日本大使館や日本企業に投石を行うなど暴徒化した。4月10日には広州で2万人参加のデモが行われた。デモ隊はいっそう過激化して、日本人が中国人に殴られたり、中国人経営の日本料理店や中国人が乗る日本車に対して攻撃するなどした。北京政府の謝罪は無く、これらに対する補償はあくまで上海市当局や国営企業名義で行われた。これには小泉政権下での歴史認識をめぐる日中間の軋轢が背後にあるという指摘もある。また他の常任理事国は第二次世界大戦で日本の敵国であったために中国を擁護し日本の過去の戦争行為を批判する面も見られた。

2010年の中国における反日デモ・暴動

2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件をめぐって中国各地で行われた反日デモに関して、中国政府の外務省スポークスマンは「一部の大衆が日本側の誤った言動に義憤を表明した」としていたが、香港のメディアは、その実態は各大学の政府系学生会が組織したものだと報じている。ある香港紙は、取材に対して「各大学の学生会が 1カ月前から準備を開始した」「校内で日本製品ボイコットの署名活動も行った」というコメントを得たとしている。また、「デモに参加したある大学生がインターネット上で、デモは学生会が組織したことを明らかにした」とも報じられている。なお、中国の大学学生会とは自主的な政治活動は認められておらず、すべて政府や共産党の指導のもとで活動が行われる[35]

精日日本人への制裁

日本の支配下であった台湾と日本の交戦国である中国は政府が反日的であっても親日派に対する制裁は近年では行われていなかったが[36]、近年中華人民共和国では中国江蘇省人民代表大会常務委員会会議は23日、南京大虐殺を否定する行為や、南京市内の国家追悼施設で旧日本軍の軍服を着るなどの「精日(精神日本人)」行為を処罰する「南京市国家公祭保障条例」を満票で可決しており、韓国同様に戦前の日本に対する言論統制を行うようになった。

中国江蘇省人民代表大会常務委員会会議は23日、南京大虐殺を否定する行為や、南京市内の国家追悼施設で旧日本軍の軍服を着るなどの「精日(精神日本人)」行為を処罰する「南京市国家公祭保障条例」を満票で可決した。条例は12月13日から施行される。条例は第28条で、いかなる組織や個人も南京大虐殺の史実を歪曲、否定したり、犠牲者や生存者を侮辱、誹謗したり、前述の内容を含む国家と民族の尊厳を損ない人民の感情を傷つける言論や情報をつくり出したり、伝播させたりすることを禁止。第29条では、国家公祭施設や抗日戦争の遺跡や記念館などで、日本軍国主義を象徴する軍服や旗、図または関連する道具を用いて写真や動画を撮ったり、インターネットを通じて前述の行為を公開伝播したりすることを禁じた[37]。 。

反日感情と関連のある施設

中華民国(台湾)

日本や日本人自体への反感はきわめて少ないとされており、日本文化も若者を中心に人気である。日本と中華民国が断交した際、「反日」意識が高まった時期もあった。本土化意識の強い台湾人の間では、中国寄りの姿勢を取り続ける日本政府に対して不満と失望感も強い。また、中華民国は日中戦争を戦った当事国であり、泛藍連盟系政党の支持派の中には「反日」意識を強く持つ人達も存在する。

尖閣諸島魚釣島)の領有権を巡る問題や台中関係における日本の外交姿勢などが論じられる事がある。尖閣諸島を台湾の領土と主張する運動である保釣運動など日本政府に抗議しているものも存在している。2008年6月13日、中国劉兆玄行政院長は立法院の答弁で「問題解決の最終手段として開戦も辞せず」と戦争の可能性を示唆したが、その日の晩に行政院は、行政院長の発言の趣旨について、外交処理を優先し、日本と開戦するとは言っていないとする見解を出している[38]

また日本植民地統治時代の差別・圧迫を強く記憶している本省人、先住民や日本軍の慰安婦として性的搾取を受けたとする女性たちを中心に、日本植民地統治への反感も存在しており、日本政府に対する訴訟や抗議なども行われている。2007年安倍晋三首相の慰安婦問題に関する発言に関しては、台湾政府も元慰安婦たちの圧力に押されて抗議声明をだした[39]

また台湾人の中には、自国の「親日」的意見を日本の右派・保守派が過大に取り上げることを嫌う人物も存在している[40]。日本人研究者の中にも、台湾における「親日」的な植民地統治肯定・賛美論を安易に一般化することを批判するものもある[41]麻生太郎外相(当時)が2006年に講演で植民地支配下で台湾の教育水準が向上したなどと述べたことについて、台湾の英字紙『Taipei Times』は「麻生外相の発言(それ自体)はその通りであり、抗議するには及ばない。日本の為政者から発せられる冷淡で無思慮なコメントは(中韓以外の)日本の友人の好意を損ないかねないという点を東京は考慮すべきであろう」「日本の植民地時代を過ごした台湾人には、懐旧の念とほろ苦さのこもごもの思いを持つ人がよく見受けられる。これは自然なことである。日本人が国家として台湾の発展に貢献した多くの良い側面があるのは疑う余地がない」という社説を掲載した[42]

世論調査

台湾における各種世論調査では反日感情は特に見られない。2009年の世論調査では、「日本に親しみを感じる」が69%で、「親しみを感じない」の12%を大きく上回った。「最も好きな国」としても38%が日本を挙げ、2位のアメリカ(5%)、中国・大陸(2%)を大きく上回った[43]2010年度の世論調査でも「日本に親しみを感じる」が62%で、「親しみを感じない」の13%を大きく上回り、「最も好きな国」として52%が日本を挙げ、2位のアメリカ(8%)、中国・大陸(5%)を大きく上回った[44]。2009年の台湾の学生の意識調査では、日本は「最も友好的な国」の第1位(44.4%)で、日本が首位になったのは3回目だった[45]

中華民国(台湾)の政治における対日感情

中国国民党政権下においては、日本の中国侵攻による大陸の被害を重視した教育がなされていたが、李登輝元総統以降の台湾民主化による反動、および李自身が日本の植民地統治を肯定していたこともあり、「親日」的な学者の勢力が増大し彼らによる日本統治時代についての肯定・賛美などが表立って唱えられるようになった。李政権時代に採用されていた台湾の歴史教科書では、日本統治時代に台湾の経済基盤の整備や教育の普及、衛生環境の改善などの近代化がなされたと記述されている(認識台湾)。2005年に李登輝は、「台湾と日本は生命共同体であり、その絆は決して揺るがない。台湾は台湾人だけのものではなく、日本も日本人だけのものではない。日本は台湾人の日本であり、世界の日本である」と発言した事がある。また、2009年の講演で「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」と訴え、台湾が日本統治下にあった時代に、日本人技師らの貢献でインフラ整備などが進められたことを説明し、「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた日本精神を学び、あなたたちも大切にしてほしい」と発言した[46]

馬英九総統の外交政策、対日戦略のブレーンで中華民国総統府国家安全会議諮問委員を務める楊永明台湾大学教授は、「一般的に言って、日台間では相互に友好感情が存在するという基本認識がある。台湾はおそらく世界で最も親日的な社会であり、日本でも台湾に対する好感が広範に存在するのである」と指摘している[47]。同じく中華民国総統府国家安全会議諮問委員(閣僚級、日台関係担当)を務める李嘉進は「日台は『感情の関係』だ。普通の外交関係は国益が基本だが、日台は特別。お互いの好感度が抜群に高い。戦前からの歴史が育てた深い感情が出発点となっている」と発言している[48]

台湾の陳水扁元総統は2006年に、国慶節祝賀記念式典に出席するため訪台した日華議員懇談会のメンバーと会見し、その席で北朝鮮が同日地下核実験を実施したことに触れ、これを強く非難するとともに、日米との軍事交流を強化し両国と準軍事同盟関係を構築する必要性を強調した事がある[49]

その他、台湾には日本人の警察官森川清二郎(神称を「義愛公」)や杉浦茂峰兵曹長などを神として祀っている2地方がある。

2011年3月における東北地方太平洋沖地震において、多額の義捐金を日本に送っている。(2011年8月現在で200億円超)

朝鮮半島

李氏朝鮮の小中華思想・日本小国論

小中華思想における華夷秩序

朝鮮では中国を中心として周辺国を夷狄(いてき)とみなす小中華思想が存在し、1402年の地図「混一疆理歴代国都之図」などにもみられるように李氏朝鮮ではと朝鮮が中華(世界の中心)であり、それ以外は文明化されていないと認識していた[50]1468年朴時衡は獄中から国王宛書簡で日本、琉球女真、三島(壱岐対馬松浦)の「四夷」が李朝に「来庭」(入貢)していると書いている[51][52]。ただし現実にはこうした扱いを出来たわけではない[52]。また両班達は自身を中華文明の体現者と捉える一方、朝鮮国内の庶民に対しても「夷狄禽獣の類い」と差別していた[53]。このような李朝の対日認識の原因としては当時の日朝外交が対馬を経由していたため、日本の情報が対馬の外交使(対馬使と称する偽使もいた[52])の裁量によって左右されていたこと[52]や、とりわけ1467年からの応仁の乱それに続く戦国時代において日本国内が混乱していたことなどがあげられる。李朝もこうした事情は察していたが[54]日本小国論の修正には繋がらなかった。琉球国王使が通交しなくなった後、李朝と国交を持っていたのは明、日本、女真族に限定されていた。女真族は建国初期から李朝の藩属として扱われていたため、残る日本を小国視することで李朝は当時の東アジアの政治情勢を、明を頂点とし李朝は小中華として日本と女真族を夷狄として従えるとする、小中華的政治観の枠に当てはめて認識していた[55][56]

13世紀の元寇で高麗軍は元・中国の手先になり日本を2度侵略した。そして15世紀には応永の外寇で対馬を再び侵略しているが、その後、小国また夷狄とみなしていた日本と女真から朝鮮は侵略をうける。16世紀末の1592年1598年にかけて豊臣秀吉を中心とした華夷秩序から抜け出ようと企図し、朝鮮半島を侵略、李氏朝鮮連合軍と大規模な戦争を行った。この文禄・慶長の役で甚大な被害を受けた朝鮮半島では反日感情が残る。一方、文禄・慶長の役などの万暦の三征による戦費と財政悪化でが疲弊するなか、女真族のヌルハチがアイシン国(後金)を1616年に建国し、さらには1619年サルフの戦いで明・朝鮮軍を破り山海関を攻略する。1627年にはヌルハチを継いだホンタイジが朝鮮へ侵略(丁卯胡乱)。さらに後金は1636年に大清国へ国号を改称したあとへの服属を拒絶した朝鮮を再度侵略する(丙子の乱)。敗北した朝鮮は清と三田渡の盟約を交わし以降、属国として服属する。

江戸時代になって1607年に日本と国交回復した朝鮮朝鮮通信使を派遣するようになるが、朝鮮通信使らは、日本の風俗風習について野蛮であるとたびたび指摘している。第四回(1636年)副使の金世濂は『金東溟海槎録見聞雑記』において「男子はみな半幅の青布でへそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない」と記し、また第六回使節従事官の南龍翼1628年1692年)は『扶桑録』において倭国の草履は「前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである」と日本の風習を夷狄視する記述を見せている[57][50][58]。第九回使節製述官申維翰は『日本見聞雑録』で「淫穢の行いはまったく禽獣と同じで、家々では必ず浴室を設けて男女がともに裸で入浴し、白昼からたがいに狎れあう」と書いている [57]

さらに1763年に来日した第11回朝鮮通信使の金仁謙は著書『日東壮遊歌』で京都について「沃野千里をなしているが、惜しんであまりあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。この犬にも等しい輩を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ」と日本侵略の願望を述べている[59]。また金仁謙は「犬にも等しい倭人に拝礼するのが苦痛である」[60]と江戸での将軍との謁見を拒んで一人宿舎に残っている。同じく第11回朝鮮通信使の一員であった元重挙も帰国後、日本側の戦勝意識と朝鮮側の敗北意識を払拭する「臥薪嘗胆」の意を込めて『和国志』に壬申倭乱戦勝論を展開する[61]。このように小中華思想にもとづく反日感情は李氏朝鮮時代に存続し続けていた。

近代朝鮮における反日感情

19世紀になって、西欧列強諸国が朝鮮にも進出するようになると、開国を強要する欧米を「洋夷」とする衛正斥邪という鎖国攘夷思想が展開し、朝鮮を中華として清をも夷狄とみなした[62]。1854年に開国した日本は李氏朝鮮にも開国を要求した。衛正斥邪の思想では日本を欧米に追随する「仮洋夷」また「倭夷」とみなした[50]。のちに江華島事件で日本の砲艦外交で朝鮮は1876年開国するが、衛正斥邪思想は朝鮮における近代的民族主義の基礎となって展開していく[50]。開国後も親日派の開国派(開化派)と鎖国攘夷を訴える斥邪派が対立し、1882年の壬午事変で日本人の軍事顧問公使館員らが殺害された。1880年代に駐朝鮮アメリカ公使を務めたジョージ・クレイトン・フォークは、当時の朝鮮人の対日感情について、(中国人はその外観、行為、習慣のせいで朝鮮人から嫌われているが、残虐行為や詐欺をしても恨みを買わないが、)日本人はその外観、行為、習慣のおかげで称賛さえ受けているにも関わらず嫌われており、朝鮮人は日本人の血を流すことでこの感情を爆発させる機会を常にうかがっている、と報告している[63]

1894年東学党の乱(甲午農民戦争)の処理をめぐって日本と清が対立し日清戦争にいたる。清が日本に敗れたことで華夷秩序が崩壊し、朝鮮はへの冊封体制から独立する。三国干渉によって日本は一時半島から退いたため、親日派開化派金弘集政権は新ロシア派の王妃閔妃勢力のクーデタで1895年7月6日に崩壊する。しかしその三ヶ月後の10月8日には王妃閔妃が日本人と開化派によって暗殺される(乙未事変)。政権に復帰した金弘集が同年12月に出した断髪令 (朝鮮)を日本の真似だと反発した元儒学者らが義兵運動を開始する。朝鮮はその後、親ロシア政策によって(露館播遷)1897年に国号を大韓帝国とするが、1904年2月に日露戦争が勃発する。1905年9月に日本はロシアに勝利し、大韓帝国への優越権を獲得、11月には第二次日韓協約を締結し、大韓帝国大日本帝国保護国にする。これに反発して反日感情の強い義兵運動が活発化するが、日本軍に鎮圧される。日本はさらに1907年に第三次日韓協約大韓帝国軍を解散させると、元兵士が義兵運動に参加し、1909年には安重根が初代統監伊藤博文を暗殺するが、韓国では一進会ら親日派が日韓併合論を推進して翌1910年には韓国併合が行われる。反日派にとっては夷狄視していた日本に国が併合されたため小中華思想をもとにした民族主義は、より強い反日感情へと発展した[57]古田博司は「近代に至り、この「野蛮人」である日本人の植民地支配を経ると、朝鮮の矜持を回復せんとする試みは反日思想と結合し、中華思想のより強固かつ執拗な復権となって開始され今日に至る」としている[57]。戦後の大韓民国では安重根は抗日闘争の英雄とみなされている。

朝鮮独立軍と大韓民国臨時政府

日本統治時代の朝鮮でも義兵運動は朝鮮独立運動として継続して1919年の三・一運動を経て、満州間島では抗日独立軍が成立し、上海では独立運動家による亡命政府大韓民国臨時政府が成立する。初代代表には、アメリカに亡命して朝鮮独立運動を展開していた李承晩が就任する(李は内紛で一時アメリカに戻る)。大韓民国臨時政府は1933年に蒋介石ら中国国民党と対日戦線で協力合意、1940年9月17日に重慶で「韓・中二つの国の独立を回復しようと共同の敵・日本帝国主義を打倒し、連合国の一員として抗戦することを目的にする」と宣言して韓国光復軍を創立した。1941年12月8日の真珠湾攻撃でアメリカ、中国が対日宣戦布告を行うのとともに臨時政府も日本へ宣戦布告を行うが、日本政府に布告文書は通達されず実効性はなかった。その後アメリカ戦略事務局 (OSS) の下、訓練を行うが、実地での戦闘を行うことはなかった。

他方、朝鮮独立軍は1920年の青山里戦闘で壊滅するが、満州では中国共産党指導下の東北抗日聯軍(抗日パルチザン)が成立し、のちの北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を建国した金日成が所属していた。

大韓民国

李承晩政権

アメリカでの韓国独立運動を経て1945年に帰国した李承晩は、東亜日報韓国民主党の創設者である実業家金性洙と組み左派を排除し1948年にアメリカの支持を得て大韓民国初代大統領となる。李承晩は大変強い反日感情を持っており「反日主義」一辺倒の民族主義を煽り「日帝に対する闘争」を掲げることで民族の紐帯を醸成し[64]反日教育を実施した。

1957年12月に李承晩は談話で次のように述べている[65][57]

日本が日本海中の三島倭人として離れて暮らしていた頃、我が文明と礼儀作法を学び、東洋の開化をこうむっていたのだが、現今に至り、自分たちが昔から文化的な人種であるとかこつけ自慢しても歴史上の事実を拒むことはできず、東洋の文明を「韓国」からもらったということを認めているのである。
- 1957年12月30日、第二講話「すべての同胞たちが三綱五倫を知り、護れ」
朴正煕政権

韓国の朴正煕大統領は著書『国家・民族・私』で「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」と韓国(朝鮮)について述べ、さらに「姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」「わが民族史を考察してみると情けないというほかない」「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、まずどんなことがあっても、この歴史を改新しなければならない。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史は、むしろ燃やして然るべきである」と自民族を批判的に述べた[66]

朴は朝鮮史における事大主義属国性を自覚し、自著『韓民族の進むべき道』で韓国人の「自律精神の欠如」「民族愛の欠如」「開拓精神の欠如」「退廃した国民道徳」を批判し、「民族の悪い遺産」として次の問題を挙げている[67]

  • 事大主義
  • 怠惰と不労働所得観念
  • 開拓精神の欠如
  • 企業心の不足
  • 悪性利己主義
  • 名誉観念の欠如
  • 健全な批判精神の欠如

朴正煕は独裁体制(維新体制)を確立すると、「国籍ある教育」を掲げ、歴史教育の目的として「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」がうたわれるようになった。この様な韓国の公教育が反日感情を増幅させている側面がある。ただ、朴正煕は李承晩とは違い、終生親日家であったといわれ、公式的な場では「反日」であるが、非公式な場では「親日」の面もあり、「昼は反日、夜は親日」とも言われる[68][69]

自身が日本に潜伏していた北朝鮮の工作員に暗殺されそうになった(妻の陸英修が死亡)1974年8月の文世光事件では韓国内の反日感情が激化し、朴も日本政府の対応に激怒した。

戦後補償

韓国では現在も日本の文化に対して否定的な風潮があり、地上波テレビは日本製コンテンツの放映をほぼ認めていない。韓国併合により一時朝鮮半島が日本の一部となっていたため、日本や日本人そのものへの敵意を抱く人もいまだに存在しているとされる。また在日コリアンの問題もあって、それらの人々の扱いを巡る感情的な問題が起こることもある。

1991年従軍慰安婦問題がマスコミで大きく取り上げられ、また元慰安婦と称する人々が名乗り出始めた。いわゆる「従軍慰安婦」問題は韓国国内における「反日」感情の高まりへと発展し、ソウルの日本大使館への侵入やデモ、国旗を焼き捨てるなどの暴動が発生した。事態を重く見た日本政府は同年12月に調査を指示、1995年には同女性らに対する補償を目的とした財団法人アジア女性基金」を設立した。しかし、慰安婦については日本軍による強制連行の証拠は発見できなかったとするのが日本政府の公式見解であり、民間レベルだけではなく日韓の外交問題としていまだに全面的な解決に至っていない。

1998年には金大中大統領の訪日や、日韓合同のワールドカップ開催などで関係改善に曙光が見えたが、依然として韓国の反日感情は強く、韓国東アジア研究院と日本の言論NPOが、2013年3月〜4月に実施した世論調査では、両国民の約4割がこの1年間に相手国への印象が「悪化した」と答え、日本に「良くない印象を持っている」、「どちらかといえば良くない印象を持っている」と答えたのは韓国人は76.6%だった[70]

盧武鉉政権

2003年に発足した盧武鉉政権は当初は日本との関係改善に積極的であったが、小泉政権との対立が深まるにつれ日本政府との距離を置く政策を採った。2005年に韓国政府が1965年の日韓基本条約交渉議事録を公開し、韓国国民個人への補償は韓国政府が行うので日本政府は韓国政府へ一括して経済援助金を支払うという文言が存在していることが報道された。しかし、その後盧武鉉大統領は日本側に一部補償義務が残されているという演説をおこなった。2005年3月には島根県議会竹島の日条例を制定したことから韓国政府や地方自治体レベルの抗議や交流停止が相継いだ(竹島の日参照)。

親日派に対する制裁

韓国・北朝鮮は日本統治を肯定する親日派に対する制裁が厳しい。北朝鮮で親日派は終身収容所送りとなり、韓国では親日派は社会的に抹殺され、盧武鉉政権下の2005年に歴史問題、竹島問題や小泉純一郎首相の靖国神社参拝などで反日感情が高まった際には日本統治時代の親日派の子孫で日露戦争開始前から韓国独立前までの間、反民族反国家行為の対価として取得、相続もしくは故意による贈与を受けた財産の財産を没収する親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法の制定など、反日的政策が実行された。

韓国のインターネットでは親日的な書き込みに対してネット検閲が行われている。大統領直属機関である大韓民国放送通信委員会が、親日的な発言をするウェブサイトとブログを強制的に削除やアクセス禁止をし、言論統制を行っている。

李明博政権

経済界出身の李明博大統領は「実用主義」=現実主義の政策アプローチを標榜しており、対日外交政策においても硬軟おりまぜた現実的スタンスを採用している[71]。李大統領の就任以降、靖国神社参拝を行わなかった福田康夫との日韓シャトル外交が復活した。また韓国では日本文化、日本食が売れ、さらに韓国企業に退職日本人技術者を招いている。

しかし2012年には李大統領は強硬外交による人気取りのため、竹島に不法上陸し、天皇の謝罪を要求するなど反日にブレーキがかからなくなっている[72]

日本大衆文化との関連

韓国は日本を通じて近代文化を摂取した側面を持ち、日本統治時代以降も一貫して日本文化の流入が続き、日本の影響は韓国社会に広く深く浸透している。しかし、1980年代まで韓国では日本の映画や音楽の流通や広告などマスメディアでの日本文化に関する表現は厳しく禁止されていた[73]。ただし、実際には韓国南部では日本語放送を傍受できたほか、日本国内で録音録画したものが密輸入され海賊版として流通していた。一部のアニメは日本から輸入され、スタッフ欄、作品内の表現や文字を書き換えたり日本国旗を塗り潰して韓国旗を上書きしたりして、あたかも韓国内で作られた作品であるかのように修正され、或いは和服などの日本を連想させる描写をカット、或いはそのようなシーンを含む回を隠蔽・放送しない形で放送されていた。これらのアニメ手塚治虫作品など、日本国内でも高い評価を受けた作品が中心であり、韓国では公的には日本の大衆文化を排除しつつ、一般的な韓国人が気がつかない形で日本文化の摂取が行われていた。また日本統治時代の名残である日本の武道が韓国式にアレンジされる例もあった。日本文化の露骨な模倣が行われることも多々あり、その結果、韓国の大衆文化は現在でも日本の大衆文化との類似性が高い。以前はこれらの事情を知らない韓国人の間で、日本の大衆文化が韓国のそれに似ているのは前者が後者を模倣したためだという誤解も生じていた。その一方、日本文化の起源そのものが韓国であるから、模倣とは言えないとする主張(韓国起源説を参照)も一部で活発に唱えられている。この主張は日本の文化人などもすることがある。

1987年に日本語書籍、1992年に日本映画、1998年には日本のマンガが相次いで制限を解除され、2010年9月にはSKE48が「2010ソウルドラマアワード」授賞式で「強き者よ」「青空片想い」を日本語で歌う姿が韓国の地上波テレビで初めて生中継された[74]

他方、日本の自衛隊映画亡国のイージスに出演した韓国人女優チェ・ミンソが韓国で激しく非難されるなど、一部の韓国人の極端な反日感情は収まっていない。韓国の反日作品は大衆文化開放後も盛んに刊行され、人気を呼んでいる。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、韓国内で日本チームを応援するために日の丸を振った韓国人がいたが、即座に周りの韓国人に取り囲まれ、こづかれた。この様子は、Youtubeにて全世界に公開されている。反日デモでは、一部の団体が日の丸日本の首相の写真を焼く事は日常茶飯事であり、日本の国鳥であるキジを大使館前で屠殺する事態も発生し、日本人はもちろん海外のニコニコ動画ファンも韓国人のキジ屠殺に激しく非難し、『日本はもう韓国に謝る必要はない』『日本を敵に回していいのかい?』などと反韓的な発言が見られ、対韓感情をより悪化させた。このような反日行動は結果として日本人の対韓感情を悪化させている。

韓国有識者たちの対日意識

  • 2012年12月9日、朝鮮日報の金翰秀文化部次長が「日本では記憶歪曲の集団化が進んでいるため、韓国が教育し続けなければならない」と朝鮮日報に寄稿。
  • 2012年9月25日、朝鮮日報の朴海鉉論説委員が「他人を踏み付けることに快感を覚える加虐本能が、日本人の遺伝子の中に今なお流れている」「日本文化には以前から猟奇的、怪奇的な要素が多かったが、それにしても最近の日本列島はついに巨大な虫に変化し始めたかのようだ」などの論説を朝鮮日報に寄稿。
  • 2013年5月5日、朝鮮日報の金大中顧問が「日本は結局、世界一流の国ではなかった。非常に豊かでカネをよく稼ぎ、立派なふりをしていても、やはり日本は、周辺諸国を強奪・植民地化して侵略戦争を起こした前世紀の水準から脱しきれていない」と朝鮮日報に寄稿。
  • 2014年、韓国国会議員の羅卿瑗(ナ・ギョンウォン)が、「政治家の立場では、日本と対立ばかりできないことも当然あるでしょうが、それでも日本は根本的に悪質だと思います。」と朝鮮日報のインタビューに回答[75]

韓国国民の対日意識調査

韓国国民の対日感情に関するアンケート調査結果を以下のように推移している。

1984年

朝日新聞社と韓国の東亜日報社の共同調査では、1984年は「日本が好き」が23%、「嫌い」が39%、「どちらでもない」34%であった[76]

1995年

朝日新聞社と韓国の東亜日報社の共同調査は1984年以降、1988年、1990年と不定期に継続されたが、慰安婦問題などによって対日感情が悪化し、1995年の調査では「嫌い」が69%、「好き」が6%になる[76]

2004年

韓国中央日報社が調査期間は2004年8月19日〜9月10日、20歳以上の男女1200人を対象をとした世論調査を2004年9月22日に発表した資料を下に示す(括弧内の数字は100分率を示す)。

項目 1位 2位 3位
好きな国 米国(14%) 豪州(14%) スイス(14%)
嫌いな国 日本(41%) 米国(24%) 北朝鮮(11%)
見習うべき国 日本(33%) 米国(14%) 中国(11%)
経済協力すべき国 中国(44%) 米国(29%) 日本(15%)
2005年

CBSラジオの世論調査(526人を対象)によると「韓国の安全保障を脅かす国」として以下の結果となっている[77]

項目 1位 2位 3位 4位 5位
韓国の安全保障を脅かす国 北朝鮮(30.8%) 日本(29.5%) 米国(15.5%) 中国(11.4%) ロシア(0.8%)
2008年
2008年「中央日報」に掲載された世論調査の結果 [78]
  • 「最も嫌いな国」1位は日本(57%)、2位は中国(13%)、3位は北朝鮮(10%)。
  • 「最も好きな国」1位は米国(18%)、2位はオーストラリア(14%)、3位スイス(9%)。
  • 「最も見習うべき国」1位は日本(24%)、2位は米国(18%)、3位はドイツ(9%)。
  • 「経済的に最も協力すべき国」1位は米国(42%)、2位は中国(38%)、3位は日本(6%)となった。
2008年「京郷新聞」が世論調査機関に委託した調査の結果[79]
  • 「最も好感を持つ国」1位は米国(45.4%)、2位は中国(15.2%)、3位は日本(11.7%)、4位はロシア(8.1%)、5位は北朝鮮(4.0%)。
  • 「最も脅威となる国」1位は日本(35.1%)、2位は米国(23.8%)、3位は北朝鮮(20.1%)、4位は中国(19.2%)。
  • 「韓国の国益のために親しくすべき国」1位は米国(49.8%)、2位は中国(22.9%)、3位は北朝鮮(9.3%)、4位は日本(3.3%)。
2009年

2009年のアンケートでは鳩山由紀夫首相のアジア重視路線で「靖国神社は参拝しない」と公言したためか、天皇訪韓に6割以上が「問題ない」日本に対する好感度では「嫌い」との回答は35.9%で「好き」の10.8%を上回り、「好きでも嫌いでもない」は52.0%だった。北朝鮮に対しては「嫌い」が33.8%で、「好き」は9.2%にとどまった。

2010年

2010年NHKKBSによる共同世論調査[80]では、日本を「嫌い」「どちらかといえば嫌い」の合計(a.)が、1991年1999年の過去のNHKの調査と比較して、年を経るごとに増えている。しかし、その内訳では、「嫌い」が減少して、「どちらかといえば嫌い」が増加し、(a.)の8割を占めている[81]

項目 2010年 1999年 1991年
好き 2% 5% 6%
どちらかといえば好き 26% 31% 33%
わからない/無回答 1% 0% 3%
どちらかといえば嫌い 57% 44% 37%
嫌い 14% 19% 21%

また、日本を「好き」「どちらかといえば好き」と答えた年層別の割合(b.)は、40代から60代で減少している。一方で、20代と30代の若者層では、(b.)は、調査年による変化がほぼ無く、他の年層より比較的高い[82]

年層 2010年 1999年 1991年
20代 42% 40% 37%
30代 35% 36% 41%
40代 25% 37% 37%
50代 20% 33% 38%
60代 17% 25% 37%
70代以上 17% - -
2011年

韓国青少年未来リーダー連合などが韓国国内の400校以上の中高校生を対象に実施した『青少年の国家観と安全保障観』調査。現在韓国の敵対国について[83]

項目 日本 北朝鮮 アメリカ 中国 ロシア
韓国の敵対国 44.5% 22.1% 19.9% 12.8% 0.6%
2013年

韓国の学習塾「ノーベルと蟻」及び「ノーベル子ども」が小学生(618人が回答)を対象に実施した嫌いな国アンケート。一番嫌いな国について[84]

項目 日本 中国 ロシア アメリカ フランス
一番嫌いな国 86%
(530人)
9%
(53人)
2%
(13人)
2%
(11人)
2%
(11人)

朝鮮民主主義人民共和国

北朝鮮では、国家の樹立者である金日成朝鮮独立運動の民兵司令官であったこと、および自国の独裁政権への不満をそらすために、アメリカと並んで日本への侮蔑意識をあおるプロパガンダが随時流されている。北朝鮮国内で反日ドラマ・反米ドラマが放映しており、内容は現実で起こらなかった虐殺描写なども描かれている。教育においても金日成の朝鮮独立運動における役割をきわめて誇大化した内容が教えられている。反日宣伝の一方で、金日成・金正日親子を崇拝するプロパガンダも流されている。

1993年の『民主朝鮮』では次のように書かれている[57]

日本の荒唐無稽な建国神話によっても、やつらの国家起源年代は紀元前660年をさらに越えることはできないが、我々の檀君神話(朝鮮の建国神話)や檀君に関する記録によれば、朝鮮の建国年代は紀元前2300年まで遡る。かくして日本の歴史が朝鮮より1600年以上も短いものとなり、したがって自ずから文化もその分だけ劣った ものとなる。 --「日帝の檀君抹殺策動」『民主朝鮮』1993年8月31日

東南アジア

東南アジア各国は前述のBBCの調査結果によると日本を高評価しており、また日本の外務省が東南アジア諸国連合の各国(一カ国約300名)に世論調査(Ipsos香港社に調査依頼)をしたところ、「最も信頼できる国」として日本はトップ(日本33%、米国16%、中国5%、韓国2%)であり[85]、一般的には東南アジアは日本や日本人への感情は良好な国々である[7][8]

しかし、第二次世界大戦における日本軍の東南アジア侵攻と占領統治の影響で、東南アジアの住民の間にも日本による占領統治への批判や感情的軋轢も存在する。教科書でも、第二次世界大戦中の日本軍の行為を具体的に記述している場合もある[86]。軍政への批判としては、いわゆる慰安婦問題、捕虜や現地住民に対する大小の虐殺・虐待、皇民化教育、ヨーロッパ宗主国(イギリスオランダフランス)と日本軍による二重支配がしばしば提示されることもある。

フィリピンは国土が大規模な戦場となりマニラ大虐殺(マニラ市街戦)など戦争の直接の被害を受けたこともあり、他の東南アジア諸国と比較すると日本軍の統治や戦争被害への反感がある。フィリピンはアジアの中では例外的にカトリックが古くから定着し(約8割、キリスト教で9割以上)第二次世界大戦前のスペイン・アメリカ支配が圧政を伴いながらも浸透していたこと、侵攻した日本軍が国土の約3割しか制圧できなかったこと、27万もの反日ゲリラが組織され存命中の彼らやその家族が日本を受け入れがたい心情を抱いている事、また旧ケソン政権の通貨を廃止し軍票を大量に発行して貨幣経済を混乱に陥れたことなど統治軍政に失敗したこともあり、旧日本軍に対する評価は高くない。また、戦前、フィリピンで建設業等に従事した日本人労働者と現地女性との間に生まれた日系フィリピン人は、戦後、数十年にわたり強い反日感情の中、身を隠して厳しい環境の中で生活を余儀なくされてきた[87]。しかし80年代までには戦後の反日感情は緩和しており、日系人会の運動は表立って活発化することが可能となった[87]。近年では、前述のBBC等の調査によればフィリピン国民は概して日本・日本人へ好感を持っている結果(「日本は好影響約70%」対「日本は悪影響約10%」)が出ている。マニラ市街戦については米軍の無差別爆撃や艦砲射撃が被害の多数を占めていたとする主張もある[88]

リチャード・アーミテージは、「世界でどの国が優れているか聞いた調査によると、アジアの人々の82%が『日本』と回答しました。彼らは(第二次世界大戦の)日本軍による占領は独立への機会になったと考えています。日本は文化政治安全保障の面でも優れた模範を提供でき、その役割は高まっているのです」と指摘している[89]

欧米

第二次世界大戦では、旧日本軍はイギリス・オランダ・フランスの植民地を攻撃し、アメリカ合衆国 1945年からはソビエト連邦とも戦闘状態に陥った。そして日本に対する反感は日系人に向けられ強制収容された。この際、同じく枢軸国で大戦を戦ったドイツおよびイタリアに起源を持つドイツ系アメリカ人、イタリア系アメリカ人の強制収容は行われなかった(日系人の強制収容)。日本側における連合国軍側兵士の捕虜の取り扱いについては、戦後の東京裁判において捕虜への虐待や必要以上の重労働への動員などが取り上げられた。今日でもイギリスを始めとする関係国では、戦時博物館などに於いて日本軍との戦闘に関する資料が展示され、学校教育の一環で見学者も絶えない。高齢者を中心として、一定のネガティブな印象を持つ人々がいる。

オランダは17世紀から日本と交流関係を持っているが、現在でも反日感情が見られる国の一つでもある。1971年昭和天皇のオランダ訪問の際に卵が投げつけられたり、手植えの苗を引き抜かれたりした。また、1960年代中頃一人の日本人作家がアンネ・フランクの家近くの書店にてアンネ・フランクに関する資料を探したところ、客の一人の老婦人から「アンネの悲劇はナチス・ドイツと手を組んだ日本にも責任がある」と激しく非難された[90]1986年にはベアトリクス女王の訪日が国内世論の反発により中止され、昭和天皇崩御後の1991年の訪日の際には、宮中晩餐会で『(日本のオランダ人捕虜問題は)お国ではあまり知られていない歴史の一章です』とのスピーチがあった(→オランダ#歴史)。

ロシアは北方領土問題などで日本大使館などに対して抗議集会が起こった事があった

ヨーロッパに限らず、第二次世界大戦に巻き込まれた国家の反日感情の心底には天皇制が残された事や、大日本帝国の国家元首かつ大元帥だった昭和天皇が戦後も引き続き天皇の地位にあった事も要因に挙げられることがある。第二次世界大戦当時、イギリス、オーストラリアソ連中華民国などの政治家や民衆は昭和天皇の戦争責任を主張していたが[91]ダグラス・マッカーサーの政治的思惑で昭和天皇の訴追が却下された[92]近衛文麿元首相や昭和天皇の弟宮でもある三笠宮崇仁親王は天皇制は維持するものの、昭和天皇自身は退位して皇太子に譲位するような工作を検討したがマッカーサーや吉田茂首相は昭和天皇の退位に反対し、そのまま天皇として在位させ続ける事を主張した。マッカーサーが占領政策に天皇を利用すべきと、アメリカ議会や他の戦勝諸国の反対を押し切って戦犯に指名されなかった。この経緯から朝鮮半島台湾、中国、東南アジア、アメリカ、イギリス、オランダや日本国内では天皇に対して敵意や憎悪を持つ者も存在する事が明らかになっている。

2005年の中国のデモと同時期に、中国系、韓国系アメリカ人により国連本部前でのデモが行われた。

一方、アメリカにおける各種世論調査では反日感情は特に見られない。ギャラップによる「アメリカ人の最も好ましい、好ましくない国」アンケート2008年度では1位のカナダ92%、2位のイギリス89%、3位のドイツ82%に次いで日本は80%が好ましいとする回答結果が出ている[93]2010年度調査では1位のカナダ90%、2位のイギリス87%、3位ドイツ80%に次いで日本は77%が好ましいとする回答結果が出ている[94]2009年外務省が米国で実施した対日世論調査では、日本を「信頼できる」と答えた人が一般市民で80%、行政財界などに関係する有識者で91%、「アジアで最も重要なパートナー」を質問したところ、日本を挙げたのは一般市民と有識者でそれぞれ46%と44%でいずれも1位であり、2位の中国もそれぞれ39%と42%だった[95]。また、若年層においては、財団法人日本青少年研究所2006年に日本、米国、中国、韓国の高校生計約7300人を対象に行ったアンケート調査の結果「日本が好き」と答えたのは米国がトップで45.2%、次いで中国24.5%、韓国24.0%。一方、日本の生徒が「好き」と答えた国は米国が39.6%で最も高く、韓国16.7%、中国10.2%で、日米は双方で好感度が高かった。

2010年のBBCの「日本が世界に与えている影響」についての調査[96]では、「ポジティブ」と答えたのが、アメリカ(65%)、カナダ、ブラジル、イギリス(58%)、ロシア、ドイツ(50%)などで、「ネガティブ」と答えた国は、37%のフランス、次いでドイツ34%、イタリア31%、スペイン29%と、欧州主要国が上位を占めており、アメリカは欧州主要国より低い11%だった。

ジャパンバッシング(貿易摩擦)

アメリカ合衆国自動車産業は、1980年代、小型低燃費な日本車の輸入がオイルショックの追い風もあり壊滅的打撃を被っていた。アメリカの農家からは日本の農家保護を目的とした輸入制限措置により、不満が噴出していた。そのため次第にアメリカ内の国民対日感情は悪化していった。また1987年に東芝機械がソ連技術機械輸入公団への取引の件について、対共産圏輸出統制委員会(略称「ココム」。1994年解散)の協定に違反したことが問題視された。尚、当時、日本の商業捕鯨を停止させる目的で自然保護団体と環境ロビイストに押された議員などが日本批判のキャンペーンを実施、これに貿易不均衡に不満を持つ業界団体を加えて、大規模な反日キャンペーンが方々で開催された。この中には、日章旗を燃やしたり、日本製乗用車をハンマーで叩き潰すといった過激なパフォーマンスが行われた。ただし、これらのパフォーマンスは反日の個人の行為であり組織的なものではないという指摘もある[97]。(→捕鯨問題

オーストラリア

日本は第二次世界大戦当時、オーストラリアにも攻撃を加え、北部・西部沿岸部に空爆潜水艦による攻撃を行った。この際、医療船セントールを攻撃した事件(戦時活動中の医療関係への攻撃は、特に問題視される)においても、第二次世界大戦中の悲劇として伝えられている。また東南アジア方面で活動していたオーストラリア兵2万2000名が日本軍によって捕虜とされたが、内1/3が収容所で死亡しており、捕虜の扱いに関する非人道性が問題となった[98]

近年では、オーストラリアは捕鯨問題をめぐって日本を特に強く非難している国の一つであり、オーストラリアにおける反捕鯨運動の盛り上がりとともに反日感情の増大が一部で見られ、2008年7月には親日家が多いケアンズにおいて、レンタカー会社がレンタカーのキャンピング・カーに「Save a Whale,Harpoon a Jap(クジラを救え、ジャップに銛を打ち込め)」という反日的な反捕鯨スローガンをスプレーで書き付けていたことが発覚した[99]クイーンズランド州首相アンナ・ブライは、このスローガンを人種差別的だと非難した[99]

また、オーストラリアのテレビでは、太った日本人が寿司を食べようとすると、銛が飛んで来て刺さって死ぬという内容のビール会社「Blue Tongue」のCMが放映されている[100]。このCMについてビール研究者のブライス・エディングス(Bryce Eddings)は、「ブルータン社以外のビールを飲むと、クジラの殺害に加担するというのか」として、同社の「安っぽい」販売戦略を批判している[101]

オーストラリアの反日・反捕鯨運動には日本の女性にも参加者がおり、男女問題やフェミニズムと絡めてこの問題を複雑化している。

2019年現在、[102]において「今後重要なパートナーとなるのは次のうちどの国か。」の調査結果では、44%でアメリカと日本が同率1位となっている。

注釈

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関連項目

外部リンク