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魚釣島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
魚釣島
外交紛争のある島
他名: 釣魚島・釣魚台
地理
所在地東シナ海
座標北緯25度44分33秒 東経123度28分17秒 / 北緯25.74250度 東経123.47139度 / 25.74250; 123.47139
所属群島尖閣諸島
面積3.64[1] km2 (1.41 sq mi)
海岸線長11km[2]
最高地
実効支配
 日本
大字沖縄県石垣市登野城尖閣
領有権主張
 日本
大字沖縄県石垣市登野城尖閣
 中華民国
宜蘭県頭城鎮大渓里中国語版[3][4]
 中華人民共和国
台湾省宜蘭県[5][6][7][8][9][10][注 1]
人口統計
人口0人(無人島) (2020年11現在)
尖閣諸島の位置図(左上は拡大図)
1.魚釣島 2.大正島 3.久場島 4.北小島 5.南小島 6.沖の北岩 7.沖の南岩 8.飛瀬
左から魚釣島、北小島、南小島

魚釣島(うおつりしま、うおつりじま[11])は、琉球列島の一部である尖閣諸島にあり、尖閣諸島の中では最大の島である。日本の行政区分では沖縄県石垣市登野城尖閣(2020年10月1日に登野城より分離)に属する。中華人民共和国中華民国も同島の領有権を主張している。中国側は同島について釣魚島(ちょうぎょとう、ディァオユーダオ, Diàoyúdǎo) という名称を使用している[12]

概要

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尖閣諸島の西端、北緯25度44.8分、東経123度28.8分に位置する無人島。沖縄本島から約410キロメートル、石垣島から北西約170キロメートル、台湾島から約170キロメートル、中国大陸からは約330キロメートル離れている[13]

1895年から日本領有し、明治時代古賀辰四郎が開拓して島の西岸に鰹節工場が作られ、船着き場も作られた。船着き場は空中写真でも確認でき、魚釣島灯台の建設や保守にも使われた。最盛期は248名、99戸が生活する古賀村が形成されていたが、1940年に事業中止に伴って無人島となった[14]

1970年代から埼玉県さいたま市在住の日本人が私有し、日本国政府は2002年から年2112万円で賃借していたが、2012年9月11日に北小島南小島とともに3島を20億5千万円で購入し、日本国へ所有権移転登記を完了した[15]

上陸は許可を要する[16]。島への定期船は無く、上陸や見学には漁船チャーターする必要がある。

日本の行政区分では沖縄県石垣市登野城尖閣2392番地にあたる[1][11]。1895年から日本が領有し実効支配しているが、1970年頃から中華民国中華人民共和国も同島の領有権を主張している。中国側は同島について釣魚島(ちょうぎょとう、ディァオユーダオ, Diàoyúdǎo) という名称を使用している[12]

島名

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日本名の「魚釣島」について日本政府は地元で呼ばれている名称を地方公共団体が調査し使用しているとしている[12]。 「1885年、日本の公図を作る際、沖縄県職員石澤兵吾は、琉球国元官僚の大城永保から聴き取りを行ったが、大城は魚釣島に関し『釣魚島』と示しました。(趣意)」(島嶼研究ジャーナル第5巻第2号91ページ)

琉球ではゆくん(よこん)といった[11]石垣島出身の国語学・民俗学者の宮良当壮は、「よこん」の「よ」(ゆ)は「いを」(魚の古語)の琉球方言、「こん」(くん)は「くに」(國)の琉球方言であり、「よこん」は「魚國」(いをくに)、つまり魚が多いところという意味であるとする[17][18]。漁民からは方言でイーグンジマと呼ばれてきた[11]。イーグン(イグン)とは与那国方言のことで[19]、島の地形が銛のように聳えることに因む[11]。なお、鳩間島方言では銛のことをユクンという[19]

『向姓具志川家家譜 十二世諱鴻基』には、1819年に公務で薩摩に向かった琉球王族尚鴻基の船が、暴風雨で南西に漂流し「魚根久場島」に到達し、さらに漂流して3日後に与那国島に到達したとの記録がある[20]

國吉まこもは「魚根久場島」は尖閣の琉球名ユクンクバジマであるとし、長崎純心大学石井望は尖閣諸島の魚釣島か久場島を指すと指摘している[21]

魚釣島という名は、久場島とこの島との関係が、『おもろさうし』において「こはしま」(くば島)と歌われた久高島と「つれしま」(つれ島、つりしま)と歌われた津堅島[22]の関係に相似することに由来する。

ただし、『おもろさうし』の「こはしま」は、前後の歌との関係等から見て慶良間諸島久場島のことであるともされる[23][24]

沖縄本島と中国福州の航路上にあり、琉球王府時代には航海の標識として重要であったため、冊封使によって航行中にこの島を見たことが記録されており、陳侃の『使琉球録』では「釣魚嶼」と、徐葆光の『中山伝信録』では「釣魚台」とされている[11]

地理

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面積は3.641983平方キロメートル(石垣市土地台帳の数値)で[1]、これはモナコ公国の国土面積(1.95平方キロメートル)の約2倍、富山県舟橋村の面積(3.47平方キロメートル)とほぼ同面積に相当し、尖閣諸島の中では最大の島である[1][25]。最高標高362メートル[1][26]

東西3.5キロメートル、南北1.3キロメートル。島の北側は比較的緩やかだが南側は急峻な崖となっている[1]。島内には最高峰の奈良原岳(標高 362メートル)や屏風岳(標高 320メートル)といった山がある。

自然

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センカクモグラウオツリナガキマワリセンカクサワガニタカラノミギセルセンカクアオイセンカクオトギリ、センカクツツジ等の固有種が生息する[27][28]1919年水路部が発行した『日本水路誌 第6巻』によれば、8-9尺(約2.4-2.7m)のヘビが少なからず生息していたという[29]

1978年に、右翼団体日本青年社が上陸を図った際に、与那国島の島民から1つがいのヤギパサン[28])が緊急時の食料として贈られて島に持ち込まれた[30]。このヤギはのちに野生化して繁殖し、1991年に南斜面だけで300頭が確認された。2000年に13.59%であった島の裸地は、ヤギによる食害2006年は3割を超えて、固有種をはじめとする生態系への影響が懸念されている[28]。2024年には500頭いるともいわれている。植物の減少とともに保水力も失われ、8本あった川が2024年には2本に減少していたという。石垣市議会はヤギ捕獲の要請を決議して日本政府に要請しているが、対策は行われていない[27][31]

歴史

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ホアピンスの地質図(魚釣島)。1900年のH.KUROIWAによる夜明け(明治33年)
  • 1895年1月14日 - 日本領に編入される。
  • 1896年 - 古賀辰四郎が政府から魚釣島、久場島北小島南小島の30年間無償貸与を受け、無償貸与期間終了後も有償で貸与が続けられた。
  • 1919年 - 遭難し魚釣島に漂着した中国漁船の乗員を島民が救助し、中華民国長崎領事から石垣村長らに「日本帝國沖縄縣八重山郡石垣村長」等と記された感謝状が贈られる[32]
  • 1932年5月20日 - 魚釣島、久場島が辰四郎の子の古賀善次に有償で払い下げられ、同年、北小島、南小島も有償で払い下げられる。
  • 1940年2月5日 - 那覇発台北行きの大日本航空機阿蘇号(ダグラス DC-2)が魚釣島沖合に不時着水(大日本航空阿蘇号不時着事故)。機体は胴体が真っ二つになったが、乗員・乗客13人は魚釣島に上陸して無事[33]
  • 1945年7月 - 石垣島から台湾への疎開船が米軍機の爆撃を受けて遭難し、魚釣島に漂着する尖閣諸島戦時遭難事件が発生し、約80名が死亡[34]する。
  • 1946年2月2日 - 北緯30度以南がアメリカ軍の軍政下に置かれる。
  • 1952年4月28日 - サンフランシスコ講和条約の発効により、琉球政府の施政下に入る。
  • 1969年 - 疎開船遭難の慰霊碑建立[34]
  • 1970年7月 - 琉球政府が尖閣諸島の魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島に入域防止のための警告板を設置[35]する。
  • 1972年5月15日 - 沖縄が日本国へ返還される
  • 1978年
  • 1979年5月17日 - 海上保安庁が仮設ヘリポートを設置するが、後に撤去となる。
  • 1988年 - 日本青年社が灯台建設10周年を記念して灯台を新調し、航路標識法に基づく灯台としての認可を申請する。
  • 1996年 - 日本青年社が北小島に第二灯台を建設し、日本政府に海図への記載を求める。
  • 1997年5月6日 - 新進党衆議院議員西村眞悟が国会議員として初めて上陸[37]する。
  • 2000年4月20日 - 尖閣神社を創建する。
  • 2004年3月24日 - 中国人活動家が無許可で上陸[38]する。
  • 2005年2月 - 日本青年社が灯台を日本国に無償譲渡し、以後海上保安庁魚釣島灯台として管理し、海図に記載される。
  • 2012年
  • 2022年1月石垣市から石垣市周辺海域調査等を委託された東海大学の調査隊が周囲を調査、妨害目的とみられる中国海警局の船4隻が来たが海上保安庁の船8隻で護衛、海水成分分析から土壌崩壊を確認[42]
  • 2023年1月石垣市に委託された調査隊の第二回調査。やはり妨害に来たとみられる中国海警局の船4隻が一時日本側領海内にも侵入したが海上保安庁の船20隻ほどに護衛され、南側斜面を中心にドローン撮影、東側斜面の崩落が激しいことや山肌の露出等の保水力の喪失が確認される[43]
  • 2024年
    • 4月 - 石垣市委託の第三回調査、北側斜面をドローン撮影。この調査船には元防衛大臣の稲田朋美を含めた5人の国会議員も同乗し、尖閣周辺海域を視察した[44]。なお、これらの調査費用は石垣市の「尖閣諸島の資料収集と情報発信」名目のふるさと納税で賄われている。2024年の返礼品は尖閣諸島周辺に生息する現地でアカマチと呼ばれる高級魚のハマダイ[45]
    • 8月16日 - 男性が魚釣島に上陸している姿を巡視船が発見。ヘリコプターでつり上げられ救助された。男性はメキシコ人で、カヌーで与那国島から台湾に向かっていたと説明した。同月19日、石垣海上保安部は、男性を出入国管理法違反容疑で書類送検した[46]

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、中華人民共和国の主張としては、当該地域は中華民国(中華人民共和国に属する台湾省)が実効支配している地域であり、行政権は中華人民共和国の直轄ではなく、中華人民共和国に属する「台湾省」に存在するとしている。 詳しくは台湾省 (中華人民共和国)を参照。

出典

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  1. ^ a b c d e f 石垣市の宝 尖閣諸島』(PDF)石垣市、2015年3月1日https://www.city.ishigaki.okinawa.jp/material/files/group/9/senkaku_j.pdf 
  2. ^ 尖閣諸島 緊張の海 海自哨戒機で現場を見る 3/7 魚釣島の灯台”. 時事ドットコム. 2013年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月13日閲覧。
  3. ^ 外交部條約法律司 (2012年4月3日). “釣魚臺列嶼是中華民國的固有領土” (中国語). 中華民國外交部. 2012年11月16日閲覧。
  4. ^ 康仁俊 (2010年10月5日). “釣魚台誰的? 吳敦義:台灣省宜蘭縣頭城鎮大溪里” (中国語). 今日新聞網. 2012年11月16日閲覧。
  5. ^ 钓鱼岛危机” (中国語). 中華軍事網. 2014年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月16日閲覧。
  6. ^ 《環球時報》 (2012年9月7日). “媒体称日本千方百计扩军 要走军国主义老路” (中国語). 騰訊. 2012年11月16日閲覧。
  7. ^ 董國昌 (2012年9月18日). “光明網:購島鬧劇是對《和平憲法》的嘲諷” (中国語). 中國共產黨新聞網. 2012年11月16日閲覧。
  8. ^ 國務院新聞辦公室 (2012年9月25日). “《钓鱼岛是中国的固有领土》白皮书” (中国語). 新華網. 2012年11月16日閲覧。 “无论从地理上还是从中国历史管辖实践看,钓鱼岛一直是中国台湾岛的附属岛屿。”
  9. ^ 中华人民共和国外交部声明(1971年12月30日)” (中国語). 國家海洋信息中心 (2012年9月16日). 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月16日閲覧。 “钓鱼岛等岛屿自古以来就是中国的领土。早在明朝,这些岛屿就已经在中国海防区域之内,是中国台湾的附属岛屿,而不属于琉球,也就是现在所称的冲绳;”
  10. ^ (中国語) 《台湾省地图册》. 中國北京: 中國地圖出版社. (1996年10月). ISBN 978-7503103919 
  11. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "魚釣島". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 184.
  12. ^ a b c 参議院議員佐藤正久君提出尖閣諸島の呼称に関する質問に対する答弁書(野田内閣) 参議院、2019年6月12日閲覧
  13. ^ 外務省: “日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)”. 2013年2月12日閲覧。
  14. ^ 尖閣諸島をめぐる問題と日中関係
  15. ^ a b 尖閣諸島、11日に国有化…当面現状のまま維持読売新聞2012年9月11日13S版2面、尖閣登記11日に完了 2012年9月13日13版4面
  16. ^ a b 読売新聞2012年1月4日13S版2面、尖閣諸島に石垣市議ら4人上陸 海保の立ち入り検査後産経新聞
  17. ^ 幣原坦『南方文化の建設へ』 冨山房 1938年
  18. ^ 石平中国が反論できない真実の尖閣史いしゐのぞむ監修、扶桑社、2017年8月2日、207頁https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594077730 
  19. ^ a b 宮良当壮「八重山語彙 甲篇」、東洋文庫、1930年11月10日。 
  20. ^ 向姓具志川家家譜十二世諱鴻基”. 尖閣諸島資料ポータルサイト. 内閣府. 2018年10月13日閲覧。
  21. ^ “尖閣上陸最古は琉球王族 長崎純心大の石井准教授が発表”. 八重山毎日新聞. (2015年5月16日). http://www.y-mainichi.co.jp/news/27452/ 
  22. ^ 伊波普猷『校訂おもろさうし』第二巻 郷土研究社 1925年
  23. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "こはしま". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 361.
  24. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "つれしま". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. p. 475.
  25. ^ 沖縄県島しょ別面積一覧
  26. ^ 国土地理院地図
  27. ^ a b “魚釣島の裸地3割に拡大 尖閣諸島、野生ヤギの食害進む”. 八重山毎日新聞. (2009年12月22日). オリジナルの2013年11月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131109170106/http://www.y-mainichi.co.jp/news/15085/ 
  28. ^ a b c 横畑泰志、横田昌嗣、太田英利「尖閣諸島魚釣島の生物相と野生化ヤギ問題」『IPSHU研究報告シリーズ』第42号、広島大学平和科学研究センター、2009W-03、307-326頁、ISSN 1342-5935NCID AA11468178 
  29. ^ 水路部 編『日本水路誌 第6巻』水路部、1919年、186頁。doi:10.11501/10304596NDLJP:10304596 
  30. ^ 日本国の領土 石垣市字登野城2392番地の現在”. 日本青年社. 2003年10月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月18日閲覧。
  31. ^ “1年でこんなに変わるのか…尖閣で外来ヤギの食害深刻、斜面崩落・岩肌むき出し”. 読売新聞. (2023年2月1日). オリジナルの2023年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230201011109/https://www.yomiuri.co.jp/national/20230201-OYT1T50066/ 
  32. ^ 中華民国からの感謝状、新たに1通見つかる 尖閣遭難の中国漁民救助 - 八重山毎日新聞 2010年11月28日
  33. ^ 遭難日航機真二つ、乗員十三人は救出(昭和15年2月7日 東京日日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p59 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  34. ^ a b 疎開船漂着後80人死亡、「尖閣の慰霊碑」建立 琉球新報 2002年7月10日
  35. ^ 尖閣諸島「警告板の設置作業者を」 与那国の関係者探す - 八重山毎日新聞 2009年8月15日
  36. ^ 森山欽司 ─反骨のヒューマニスト─ 第二十章” (PDF). 2013年8月17日閲覧。
  37. ^ 魚釣島に国会議員ら上陸 琉球新報 1997年5月6日
  38. ^ 2004年(平成16年)沖縄県内十大ニュース 琉球新報 2004年12月24日
  39. ^ 釣魚島問題で歴史的根拠がないのは一体どの国か人民網日本語版
  40. ^ 超党派議員ら150人、洋上慰霊で尖閣沖へ読売新聞2012年8月20日13S版1面、35面
  41. ^ 東京都尖閣諸島現地調査報告書(平成24年10月)”. 石垣市. 2024年5月29日閲覧。
  42. ^ (R3)報告書”. 石垣市. 2024年5月29日閲覧。
  43. ^ 「このまま行くと魚釣島が死ぬ可能性」石垣市が尖閣調査 斜面の崩落に食害など環境悪化”. 琉球放送. 2024年5月29日閲覧。
  44. ^ 自民・稲田朋美氏ら国会議員5人、尖閣周辺海域を視察 中国側は反発”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞. 2024年5月28日閲覧。
  45. ^ 【予約受付】【2024年3月以降順次発送】高級ブランド魚 尖閣赤マチ 2~3尾 合計約5kg 下処理済 【沖縄三大高級魚】尖閣諸島 刺身 焼魚 煮物 鮮魚 冷凍 ムニエル 天然 洋食 和食 白身魚 高級魚 GK-1 - 沖縄県石垣市”. ふるさとチョイス - ふるさと納税サイト. 株式会社トラストバンク. 2024年5月28日閲覧。
  46. ^ 尖閣で日本の実効支配示す 海保、上陸のメキシコ人を救出後に警察権を行使”. 産経新聞 (2024年8月19日). 2024年8月20日閲覧。

参考文献

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  • 角川地名大百科辞典編纂委員会『角川地名大辞典47沖縄県』、角川書店、1986年
  • 日外アソシエーツ『島嶼大事典』、日外アソシエーツ、1991年
  • 『日本歴史地名体系(第48巻)沖縄県の地名』、平凡社、2002年

関連項目

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外部リンク

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  • 魚釣島 ウオッちず 地図閲覧サービス