登野城
登野城 | |
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美崎御嶽 | |
北緯24度20分0秒 東経124度10分0秒 / 北緯24.33333度 東経124.16667度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 沖縄県 |
市町村 | 石垣市 |
人口 (2007年(平成19年)4月1日現在) | |
• 合計 | 9,323人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
907-0004 |
市外局番 | 0980 |
ナンバープレート | 沖縄 |
登野城(とのしろ[1][2])は、日本の沖縄県石垣市の地名。郵便番号は907-0004[2]。
地理
[編集]石垣島中西部に位置する。海岸近くから沖縄県最高峰の於茂登岳(おもとだけ)南側までが含まれる、南北に長く延びた広大な地域である。
人口が集中する南部は、石垣市の市街地の一部を形成しており、石垣地方合同庁舎[注 1]や八重山警察署、那覇地方裁判所石垣支部、沖縄県立八重山高校、石垣市立石垣第二中学校、石垣市立八重山博物館、大濱信泉記念館、石垣市営球場等の公共施設や、株式会社八重山毎日新聞、石垣ケーブルテレビ株式会社等の企業が数多く立地している[1]。
於茂登岳南麓に位置する小字嵩田(たけだ)には、戦前の台湾からの入植[4]や、戦後の沖縄本島等からの入植[5]によって形成された集落があり、パイナップル等の熱帯果樹の栽培が盛んである[1]。
琉球語のうち、沖縄方言等では「城」は「グスク」と読まれるが、石垣島等で話される八重山方言では「スク」と読まれ、登野城も古くは「トノスク」(「トゥヌスク」[1])と呼ばれていた[6]。
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於茂登岳
歴史
[編集]『球陽』によれば1500年に起きたオヤケアカハチの乱では、琉球王府軍の一隊が登野城から進攻したという。海岸近くにはこの乱で王府側についた長田大主の妹真乙姥が戦に勝った王府軍の帰途の無事を祈願したとされる美崎御嶽がある[7][8]。
琉球王国時代は、当初は石垣間切に、また、1768年からは西側の大川と共に大浜間切(現在の石垣市東部)に属し、石垣間切の石垣・新川と共に石垣四箇字(いしがきしかあざ)の一つに数えられた[9]。正保年間(1645年-1648年)に作成された『宮古・八重山両島絵図帳』では、「殿城村」と表記されている[7]。
1903年(明治36年)には、尖閣諸島が登野城村の一部とされて地番が付された[1]。
1908年(明治41年)、島嶼町村制の施行に伴って成立した八重山郡八重山村(八重山列島全域)の字となる。1914年(大正3年)には八重山村より分村した石垣村(現在の石垣市西部)の一部となり、その後の町制・市制施行を経て石垣市の一部となる[10]。
かつては海沿いにある登野城漁港も字登野城の一部であったが、埋め立てによる漁港整備が行われて1989年(平成元年)に八島町として分離されたために、字としての登野城は尖閣諸島を除き海に面しない内陸部となった。なお、字登野城からは分離されたものの、漁港の名称は登野城漁港のままで変わっていない[11]。
かつて字登野城の一部であった尖閣諸島は、2020年(令和2年)10月1日に字名が登野城尖閣に変更され、登野城から分離された[12]。
尖閣諸島
[編集]かつては尖閣諸島も登野城の一部であった。尖閣諸島は1896年(明治29年)に八重山郡に編入され、1903年(明治36年)に登野城村の一部とされて地番が付された[1]。その後は石垣市に属して字登野城の一部となり、2390番地から2394番地が割り当てられ[13]、さらに字名が登野城尖閣と改称された。このうち、魚釣島に割り当てられている登野城尖閣2392番地は東京都千代田区千代田(皇居所在地)や島根県隠岐郡隠岐の島町竹島と同様に、本籍として人気が高い住所の一つである[14]。
石垣市では、2017年(平成29年)12月の定例市議会に尖閣諸島の字を「登野城」から「登野城尖閣」に変更する議案を上程する方針であったが[15]、翌年以降に先送りされた[16]。その後、2019年(平成31年)3月の市議会では市側から当面見送るとの方針が示されたものの[17]、翌2020年(令和2年)6月9日に再び同様の改名議案が市議会に提出され[18]、議案は6月22日に市議会で可決された[19]。10月1日に改名され[12]、郵便番号は907-0031が割り振られた[20]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典編纂委員会 (8 July 1986). "登野城". 角川日本地名大辞典 47 沖縄県. 角川書店. pp. 500–501.
- ^ a b “郵便番号 9070004 の検索結果 - 日本郵便”. 日本郵便. 2022年9月3日閲覧。
- ^ “八重山合同庁舎及び管内関係機関”. 沖縄県. 2020年3月7日閲覧。
- ^ “八重山平和祈念館の企画展「ふる里を手離し ふる里を造った人たち」を観た。”. 八重山毎日新聞. (2017年11月7日)
- ^ “<終わらぬ夏 戦後74年>(中) 苦闘の開拓地、守りたい”. 東京新聞. (2019年8月5日)
- ^ Vovin Alexander「琉球語、上代日本語と周辺の諸言語-再構と接点の諸問題」『日本研究』第39号、国際日本文化研究センター、2009年3月31日、11-27頁。
- ^ a b 「登野城村」、『日本歴史地名大系』電子版(ジャパンナレッジ、2006年)
- ^ “沖縄県指定建造物・史跡 美崎御嶽の概要” (PDF). 石垣市. 2020年3月7日閲覧。
- ^ 吉田優子「石垣島・石垣市四箇字方言の今と「ユンタ」」『言語文化』第11巻第4号、同志社大学、2009年3月10日、599-616頁。
- ^ “沿革史 : 八重山村時代”. 八重山広域市町村圏事務組合. 2019年3月22日閲覧。
- ^ “5.登野城(とのしろ)漁港と八島(やしま)町”. 石垣島の風景と歴史. 石垣市教育委員会市史編集課. 2020年1月20日閲覧。
- ^ a b “尖閣諸島の字名、「登野城」から「登野城尖閣」に変更”. 読売新聞. (2020年10月1日). オリジナルの2020年10月3日時点におけるアーカイブ。 2020年10月6日閲覧。
- ^ 大濵長照. “「市長のおはようロマンメッセージ」(石垣市庁内放送)2002年7月19日放送分” (PDF). 石垣市. 2011年9月16日閲覧。
- ^ “尖閣、沖ノ鳥島、北方領土、竹島に本籍を置く日本人が増加中”. NEWSポストセブン. 小学館 (2011年1月19日). 2011年9月16日閲覧。
- ^ “尖閣の地名、「登野城尖閣」に字名変更へ 沖縄・石垣市 対中牽制、日本領土の決意示す”. 産経新聞. (2017年11月30日) 2017年12月5日閲覧。
- ^ “沖縄・石垣市「尖閣」字名明記、来年以降に先送りへ 中山義隆市長が表明 「手続き」理由も国と調整?”. 産経新聞. (2017年12月11日). オリジナルの2017年12月16日時点におけるアーカイブ。 2017年12月16日閲覧。
- ^ “尖閣字名変更、当面見送り 市議会一般質問 ゴルフ場閉鎖で波紋”. 八重山日報. (2019年3月16日)
- ^ “尖閣諸島、石垣市が字名変更へ 効率化で「尖閣」明記”. 朝日新聞. (2020年6月6日). オリジナルの2020年6月23日時点におけるアーカイブ。 2020年6月23日閲覧。
- ^ “字名に「尖閣」付け「登野城尖閣」に 石垣市議会が可決”. 沖縄タイムス. (2020年6月22日). オリジナルの2020年6月23日時点におけるアーカイブ。 2020年6月23日閲覧。
- ^ “郵便番号 9070031 の検索結果 - 日本郵便”. 日本郵便. 2022年9月3日閲覧。
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