コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「塚口駅 (JR西日本)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
107行目: 107行目:
** [[6月19日]] - 福知山線が復旧、脱線事故後55日ぶりに営業を再開<ref name="sone44"/>。
** [[6月19日]] - 福知山線が復旧、脱線事故後55日ぶりに営業を再開<ref name="sone44"/>。
* [[2011年]](平成23年)
* [[2011年]](平成23年)
** [[3月8日]] - [[アーバンネットワーク運行管理システム#JR宝塚・JR東西・学研都市線システム|JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム]]導入。[[接近メロディ]]導入。
** [[3月8日]] - [[運行管理システム (JR西日本)#JR宝塚・JR東西・学研都市線システム|JR宝塚・JR東西・学研都市線運行管理システム]]導入。[[接近メロディ]]導入。
** [[3月12日]] - 日中時間帯の[[快速列車]]が当駅で折り返すようになる。
** [[3月12日]] - 日中時間帯の[[快速列車]]が当駅で折り返すようになる。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]] - [[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]] - [[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始。

2020年8月21日 (金) 09:06時点における版

塚口駅
駅舎
つかぐち
Tsukaguchi
JR-G49 尼崎 (2.5 km)
(1.4 km) 猪名寺 JR-G51
地図
所在地 兵庫県尼崎市東塚口町一丁目9番1号[1]
北緯34度45分3.51秒 東経135度25分29.72秒 / 北緯34.7509750度 東経135.4249222度 / 34.7509750; 135.4249222 (塚口駅)座標: 北緯34度45分3.51秒 東経135度25分29.72秒 / 北緯34.7509750度 東経135.4249222度 / 34.7509750; 135.4249222 (塚口駅)
駅番号 JR-G50
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 G 福知山線(JR宝塚線)
キロ程 2.5km(尼崎起点)
大阪から10.2 km
電報略号 ツカ
駅構造 地上駅橋上駅[1]
ホーム 2面3線[1]
乗車人員
-統計年度-
11,656人/日(降車客含まず)
-2018年-
開業年月日 1894年明治27年)3月6日[1]
乗換 塚口駅阪急神戸本線伊丹線
備考 直営駅[1][1]
みどりの窓口
テンプレートを表示
塚口駅
つかぐち
Tsukaguchi
所在地 兵庫県尼崎市東塚口町一丁目9-1
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 福知山線(尼崎港線)
キロ程 0.0 km(塚口起点)
電報略号 ツカ
駅構造 地上駅
開業年月日 1894年明治27年)3月6日
廃止年月日 1984年昭和59年)2月1日[2]
テンプレートを表示
ホーム

塚口駅(つかぐちえき)は、兵庫県尼崎市東塚口町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線である[1]。駅番号はJR-G50

アーバンネットワークおよび「JR宝塚線」の愛称区間に含まれている。かつては、福知山線の支線に当たる尼崎港線の起点でもあった[1]。なお、地元では、阪急電鉄神戸線伊丹線塚口駅と区別するため、「J塚」と呼ばれる場合もある。

歴史

当駅が所属する福知山線は、長年にわたって単線非電化という低規格の路線であったため、ターミナル駅である大阪駅からさほど離れていない[注記 1]割りに利便性は劣っていた。改札も列車別改札で行われていた。1980年頃にもなると、当駅のすぐ北側で交差する阪急神戸本線を最新鋭の6000系電車が満員の通勤客を乗せて時速100キロで通過する近くで、当駅からDD51形ディーゼル機関車に牽引された43系客車の普通列車が発車する対照的な光景が見られた。

しかし1981年の複線電化を機に、橋上駅舎が整備されるなど近代化が進み、ようやく大都市近郊駅としての機能を果たすようになった。

1984年までは、尼崎港駅へ至る支線(通称・尼崎港線)が当駅 - 尼崎駅間で分岐していた[1]。開業当時はそれが本線とされ、尼崎港方面へ向かう線路が直線的に敷設(現在でも路盤の跡が残っている)されていたのに対し、現在の本線は一旦西にそれて大きく回り込むような線形となっている[注記 2]。この迂回ルート上にあるカーブで、2005年4月25日脱線事故が発生した[注記 3]

東海道本線東京駅 - 大阪駅間で運転されていた長距離特急『つばめ』や『はと』は、大阪駅に到着した後に当駅まで回送された上、当駅で機関車を編成の後端に付け替えた後、宮原操車場へ入り方向転換を行っていた。これは各列車の先頭に展望車があり、展望車側を先頭にする必要があったためである。こういった運用に対応すべく、1956年11月のダイヤ改正を機に尼崎駅 - 当駅間は早々に電化された。その後も1978年10月のダイヤ改正まで、宮原操車場への回送の際の時間調整のため、大阪駅から一部の特急が当駅まで回送されて運行まで待機していた。同改正をもって電気運転は一旦廃止されたものの、電化設備はそのまま残され、1981年の線内電化の際に再利用された[注記 4]

また、かつては貨物取扱を実施しており、駅東側の現在の留置線のあたりに貨物取り扱い線と貨物ホームが設けられ、近隣の森永製菓三菱電機の工場からの貨物を主に取り扱っていた。駅北側には三菱電機への引き込み線があり、蓄電池式の機関車が入れ替えを行っていた。また引き込み線横の側線には、1980年代半ばまで、廃車となっていた国鉄シキ400形貨車が長らく留置されていた。貨物取扱量は多く、駅の北側と南側の両方には信号所が設置されていた。

阪神・淡路大震災が発生した折には、発生翌日から東海道本線の尼崎駅 - 甲子園口駅間が復旧するまでの数日間のみ、大阪方面からの列車の一部が当駅で折り返していた。

年表

駅構造

島式と単式の複合型2面3線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。ホーム間の移動には跨線橋を使う。

単式ホームの屋根は島式ホーム分ほどの大きさで、ホームの外側にも張り出している(掲載写真を参照)。形状も島式ホームに準じたものになっている[注記 5]

3番線の東隣には3本の留置線があり[注記 6]、尼崎駅発着の列車(夜間以外にも設定)などの留置に使われている。留置線は本線に沿ってさらに南方(尼崎駅方)にも伸びており、そこには保線用車両が留置されている。

直営駅(尼崎駅の被管理駅)で、ICOCA(および相互利用対象のICカード)が利用できる。

のりば

のりば 路線 方向 行先 備考
1 G JR宝塚線 下り 宝塚三田方面 土休日ダイヤの一部列車は2番のりば
2・3 上り 尼崎大阪北新地方面

上表の路線名は旅客案内上の名称(愛称)で記載している。

1番のりばが単式ホーム、2・3番のりばが島式ホームで、本線は下りが1番のりば、上りが3番のりばである。中線である2番のりばは当駅折り返しと大阪方面行きの普通で快速や特急の通過待ちを行う列車が使用する。なお、土曜・休日ダイヤに限って宝塚方面の列車が2番に停車する設定がある。

JR東西線の開通前は上り線は2番線が本線、3番線が待避線として使用されていた(現行の逆)[注記 7]。また、尼崎港線の旅客扱い廃止前は3番線が起終点となっていた。

ダイヤ

日中は1時間あたり8本で、JR京都線に直通する普通とJR東西線に直通する区間快速(当駅折り返し)がそれぞれ4本ずつ発車する。朝のラッシュ時はさらに本数が多く設定されている。

快速は東西線経由で当駅を始発・終着とするもののみが停車し、その他はすべて通過する。これらは、2011年3月12日のダイヤ改正で、昼間宝塚駅発着として運転していたものを当駅折り返しに変更したものである。(一部の列車は折り返さず、当駅の留置線に入る)[注記 8][7]。このような「快速始発駅」には、他に大和路線柏原駅がある。なお、これらの快速の一部は2015年3月14日のダイヤ改正で区間快速に置き換えられた。それまで当駅発着の区間快速は、JR宝塚線内を普通列車として運転していたが、この改正を機に全区間で区間快速として運行されるようになった。

利用状況

「兵庫県統計書[8]」によると、2018年(平成30年)度の1日平均乗車人員11,656人である。

近年の1日平均乗車人員は以下の通り。当駅周辺の道路が広くなったことに加え、JR東西線の開通などにより利用者が以前より増えている。

年度 1日平均
乗車人員
1995年 6,631
1996年 6,435
1997年 7,196
1998年 7,595
1999年 7,897
2000年 8,100
2001年 8,183
2002年 7,994
2003年 7,960
2004年 8,084
2005年 7,532
2006年 8,224
2007年 8,449
2008年 8,673
2009年 8,705
2010年 8,859
2011年 9,015
2012年 8,992
2013年 8,957
2014年 8,854
2015年 9,148
2016年 9,986
2017年 11,059
2018年 11,656

駅周辺

かつては西に小規模な工場や牛舎[注記 9]などが、東に大規模な工場が存在するのみで、周辺に住宅はさほど多くなかったが、1980年代以降、工場が閉鎖されて跡地にマンションが次々に建設されたことにより、住宅地に様変わりした。東側にあった大工場のうち、旭硝子の工場は2000年代に閉鎖され、跡地には複数の大型マンションが建設された。

駅のすぐ東隣には森永製菓塚口工場が存在し、当駅のホームにまで甘い香りを漂わせることもあったが、2013年6月に閉鎖された[9]。その跡地を野村不動産長谷工コーポレーション・JR西日本不動産開発の三者が大規模な再開発し、2016年4月9日に「ZUTTOCITY」としてまちびらきを行い、これに合わせて駅ビル「ビエラ塚口」を開業した[10][11]

長らく駅付近にロータリーが存在しなかったが、2000年代になって、南側で交差する県道が立体交差化された際、併せて県道の東側にロータリーが整備された。このロータリーは駅舎からはやや南方に離れていた(駅のすぐ隣が工場だったため)ものの、ZUTTOCITY開業以前は唯一のロータリーで、バスやタクシーが発着していた。その後、ZUTTOCITYの建設の一環として、2016年に駅舎のすぐ東隣に新ロータリーが整備され、バス停はそこへ移転した。それに伴い旧ロータリーはわずか十数年で廃止された(2017年5月現在、ロータリーの施設自体はそのまま残っており、道路の一部として通り抜けが可能である)。

駅の西側にもごく小さな広場があり、タクシー乗り場が併設されている。

阪急神戸本線塚口駅は当駅から西へ直線距離で800mほど離れているが、神戸本線は当駅の北側で立体交差(オーバーパス)している。

バス路線

駅東側の「ZUTTOCITY」にあるロータリーに、阪神バス尼崎市内線[12]が乗り入れている。2016年4月10日に現在地に設置される前は、駅南側の県道立体交差の脇にあるロータリーに停留所が設置されていた[13]

  • 北側の標柱
    • 12番 - 阪神杭瀬 行(若王寺、近松公園、JR尼崎 (北)、常光寺経由)
    • 12番 - 塚口営業所前 止(若王寺、近松公園経由、平日夜一本のみ運行)
    • 12番 - JR尼崎 (北) 止(若王寺、近松公園経由、平日夜一本のみ運行)
    • 21番 - 阪急園田 (南) 行(若王寺、園田支所、競馬場経由)
    • 21-2番 - 戸ノ内 行(若王寺、園田支所、競馬場、阪急園田 (南)経由、平日のみ運行)
  • 南側の標柱

隣の駅

西日本旅客鉄道
G JR宝塚線(福知山線)
丹波路快速・快速(下記以外)・区間快速(下記以外)
通過
快速(JR東西線直通・当駅始発)・区間快速(JR東西線直通・当駅始発)
尼崎駅 (JR-G49) - 塚口駅 (JR-G50)
普通
尼崎駅 (JR-G49) - 塚口駅 (JR-G50) - 猪名寺駅 (JR-G51)
※JR東西線からの区間快速のうち猪名寺駅以北へ直通する列車は、JR宝塚線内では快速または普通として運転される。

かつて存在した路線

日本国有鉄道
福知山線支線(尼崎港線)
塚口駅 - 尼崎駅(尼崎臨時乗降場)

脚注

注記
  1. ^ 当駅 - 大阪駅間の営業キロは10.2km、所要駅数は普通列車で3駅(1997年8月31日までは、普通を含む全便が塚本駅を通過していたため、2駅のみ)である。
  2. ^ JR東西線の開業以前は接続線は上りと下りでややルートが異なり、それぞれ東海道本線の列車線(外側線)に接続していた。
  3. ^ なお、列車が突っ込んだ線路脇のマンションは、上り接続線跡と下り接続線(現在の本線)に挟まる位置にある。
  4. ^ 線内電化までは、現在の阪急神戸本線との立体交差部の下まで架線が張られ、以北は非電化であった。
  5. ^ 単式ホームの屋根は、線路とは反対の側(線路に向かって立った時、背後になる側)に支柱を立てて線路へ向かって屋根が伸びる形になることが多いが、当駅の単式ホームは中央に支柱があり、屋根は線路側と反対側の両方へ傾斜して伸びている
  6. ^ かつてはそのうちの1本が三菱電機の工場内に伸びていた。工場へ至る線路があった土地は2017年現在、自転車駐車場になっている。
  7. ^ 東西線の開通後も、2番線では逆方向の新三田行き普通が特急『北近畿』を待避していたことがあり、改札口には『次の普通新三田行きは2番線から発車する』旨の掲示がなされていた。
  8. ^ 同改正までは、朝のラッシュ時と毎日21時台にのみ設定されていた。なお、尼崎駅構内にある引き上げ線は配線の関係で東西線方面からの折り返しができないため、同改正以前から当駅まで回送されて方向転換していた。
  9. ^ 牛舎は、森永製菓塚口工場で使用する牛乳や、学校給食用牛乳を生産・納入する為にあったもので、工場周辺には、昭和50年代まで小規模な牛舎が点在していた。
出典
  1. ^ a b c d e f g h i 『兵庫の鉄道全駅 JR・三セク』神戸新聞総合出版センター、2011年12月15日、98頁。ISBN 9784343006028 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 44号 福知山線・播但線・加古川線・姫新線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年5月30日、10-11頁。 
  3. ^ a b 川辺馬車鉄道乗客貨物運賃収入表 尼崎市史第7巻p698 (1976)
  4. ^ 尼崎市史第3巻p268 (1970)
  5. ^ 「琴陽雑誌」摂津鉄道塚口停車場の開設 尼崎市史第7巻p700 (1976)
  6. ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
  7. ^ 平成23年春ダイヤ改正について 近畿統括本部のプレスリリースを参照。
  8. ^ 兵庫県統計書
  9. ^ 森永・塚口工場6月で閉鎖 跡地を長谷工に売却へ”. 神戸新聞 (2013年2月6日). 2013年9月4日閲覧。
  10. ^ “JR西日本不動産開発・他 「ビエラ塚口」来月9日開業”. 交通新聞 (交通新聞社). (2016年3月14日) 
  11. ^ “JR西日本不動産開発・他 「ビエラ塚口」オープン”. 交通新聞 (交通新聞社). (2016年4月12日) 
  12. ^ 旧・尼崎市交通局の路線。
  13. ^ JR塚口停留所の駅前ターミナルへの移設について (PDF, 阪神バス 2017年8月18日閲覧)

関連項目

外部リンク