園田村 (兵庫県)
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そのだむら 園田村 | |
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廃止日 | 1947年3月1日 |
廃止理由 |
編入合併 園田村 → 尼崎市 |
現在の自治体 | 尼崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 兵庫県 |
郡 | 川辺郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
16,550人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 |
兵庫県尼崎市、伊丹市、川辺郡神津村 大阪府豊能郡庄内町、南豊島村 |
園田村役場 | |
所在地 | 兵庫県川辺郡園田村下食満字 |
座標 | 北緯34度45分30秒 東経135度25分53秒 / 北緯34.75844度 東経135.43139度座標: 北緯34度45分30秒 東経135度25分53秒 / 北緯34.75844度 東経135.43139度 |
ウィキプロジェクト |
園田村(そのだむら)は、かつて兵庫県の最東端川辺郡に属していた村。現在の尼崎市北東部(園田地区)にあたる。
概要
[編集]村の中央を旧有馬街道が縦断する。村役場などの公共施設は主に現在の食満(けま)一丁目付近に置かれていた。
村域は、現在の地図で言えば尼崎市の名神高速道路以北、JR福知山線以東の部分に東塚口町と南塚口町と戸ノ内町を加えたものにほぼ相当する。
現在でも尼崎市の定める地域区分において、旧村域はほぼそのまま園田地区と呼ばれており、村役場のあった場所には尼崎市役所園田支所がおかれていた。昭和戦前期に東部に阪急神戸線の園田駅が設置されたため、尼崎市へ編入されて以降は駅付近が発展し、その周辺を漠然と「園田」と呼ぶことが多くなったが、支所付近の旧街道沿いには園田小学校、園田中学校、園田公民館などの公共施設[1]、JA兵庫六甲園田やアプロ食品館園田店[2]などの施設も残っており、村の中心部だった頃の名残をとどめている[3]。
地理
[編集]交通
[編集]鉄道路線
[編集]国鉄福知山線が西部を縦断、塚口駅が置かれた。また、阪急神戸本線が村域を横断、東部には後に園田駅が設置された。
歴史
[編集]- 1578年(天正6年) - 有岡城の戦いの際、村域内に織田信長の本陣が置かれたことが記録に残る。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、川辺郡田能村、法界寺村、穴太(あのお)村、富田村、椎堂村、上食満村、中食満村、下食満村、瓦宮村、小中島村、猪名寺村、南清水村、口田中村、若王子(なこうじ)村、上坂部村、森村、御園村、善法寺村の一部、岩屋村の一部、口酒井村の一部が合併して川辺郡園田村が発足[4]。
- 1891年(明治24年) - 関西初の馬車鉄道である川辺馬車鉄道が開業(後に摂津鉄道、阪鶴鉄道、さらに国鉄福知山線となる)。村内に塚口駅が置かれる。また村の北端、伊丹町との境界付近には伊丹南口停車場が置かれる。
- 1897年(明治30年)12月 - 阪鶴鉄道伊丹南口駅が廃止
- 1930年(昭和5年) - 淡路競馬場が村の北東部に移転し、園田競馬場として開設。
- 1936年(昭和11年)10月20日[5] - 村の東部田園地帯に阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の園田駅が新設開業。
- 1947年(昭和22年)3月1日 - 尼崎市に編入され、同日園田村廃止。
関連項目
[編集]- 兵庫県の廃止市町村一覧
- 落第忍者乱太郎、忍たま乱太郎 - 主人公の猪名寺乱太郎をはじめ、村の地名が登場人物の名字として使われている。
- 三菱電機伊丹製作所 - 「伊丹」を冠しているが、設立当時は伊丹市ではなく村内に所在していた。名称の理由については諸説ある(該当記事を参照)。
脚注
[編集]- ^ かつては尼崎市立園田幼稚園もこの場所にあったが、1972年(昭和47年)に現在地へ移転し、跡地は園田中学校の拡張に使用された。
- ^ かつては"ラポールそのだ"という名称の独立経営のスーパーマーケットだった。さらにそれ以前は"公認園田市場"という個人商店からなる公設市場施設だった。また園田市場が出来る前には、近くに"ラッキー市場"という市場が存在した。
- ^ ちなみに、園田駅周辺の地名は「東園田町」であり、かつての園田村中心部から見て東方にあることを物語っている。
- ^ 出典:l 市町村名変遷情報。
- ^ 阪急沿線 ちょい駅散歩-園田駅(webTOKK 2008年7月1日号)では9月12日、『尼崎市史 第十三巻』(1988年)p.181では『京阪神急行電鉄 五十年史』を典拠として10月5日としている。