「第1次シルテ湾海戦」の版間の差分
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*Jurgen Rohwer, ''Chronology of the War at Sea 1939-1945'', Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2 |
*Jurgen Rohwer, ''Chronology of the War at Sea 1939-1945'', Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2 |
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2020年8月16日 (日) 15:22時点における版
第1次シルテ湾海戦(だいいちじシルテわんかいせん)は、第二次世界大戦中の、イギリス海軍とイタリア海軍との間で戦われた海戦である。1941年12月17日にマルタの西、シルテ湾の北の地中海で生起した。海戦は引き分けに終わったが、両軍とも船団護衛という任務は達成した。
背景
1941年11月、北アフリカでイギリス軍はクルセーダー作戦を開始した。英軍の攻勢によりドイツアフリカ軍団は後退、包囲されていたトブルクの解放に成功した。枢軸国軍は12月13日までにベンガジの東のガザラで態勢を立て直した。
北アフリカの枢軸国軍では物資が欠乏しており、その状況を打破するためイタリアは大規模な補給作戦M41を実施しようとしていた。
一方、イギリスの拠点マルタも補給を必要としており、イギリス軍は補給作戦を行っていた。
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海戦前の状況
M41作戦
M41作戦では合計8隻の船からなる3つの船団が北アフリカへ向かう計画であったが、この作戦は最初から災厄に見舞われた。12月13日、集結場所へと向かっていた貨物船2隻がイギリス潜水艦アップライトにより沈められ、2隻が衝突して引き返した。また、この日にはトリポリまで燃料などを輸送中であった軽巡洋艦2隻も撃沈されている。
残る4隻は駆逐艦5隻に護衛されて13日夜にターラントから出発した。その支援のため戦艦リットリオ、ヴィットリオ・ヴェネト、駆逐艦4隻、水雷艇2隻が出撃したが、14日朝にヴィットリオ・ヴェネトがイギリス潜水艦アージの雷撃で損傷。作戦は中止となり、すべての艦船は引き返した。
イギリス軍は迎撃のため軽巡洋艦ナイアド、ガラティア、ユーライアラス、駆逐艦9隻をアレクサンドリアから出撃させた(ME9作戦)が、イタリア軍が引き返したためイギリス艦隊も撤収した。その途中でイギリスはドイツ潜水艦U557の雷撃によりガラティアを失った。
M42作戦
一度引き返した4隻は12月16日に再度ターラントから出発した。7隻の駆逐艦と1隻の水雷艇が船団を直接護衛し、近接護衛部隊として戦艦カイオ・ドゥイリオ、軽巡洋艦エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ、ライモンド・モンテクッコリ、ムツィオ・アッテンドーロ、駆逐艦3隻が、遠距離護衛部隊として戦艦リットリオ、アンドレア・ドリア、ジュリオ・チェザーレ、重巡洋艦トレント、ゴリツィア、駆逐艦10隻が出撃した。
マルタを偵察した偵察機が2隻のイギリス戦艦の存在を報告したため船団には強力な護衛部隊がつけられたが、その報告は誤報であった。
イギリスの補給作戦
ME9作戦では、マルタへの補給物資を積んだ輸送船ブレコンシャーをアレクサンドリアからマルタへ向かせることも計画されていた。ブレコンシャーはナイアドなどの帰還を待って12月15日に出発した。
護衛部隊は軽巡洋艦ナイアド、ユーライアラス、防空巡洋艦カーライル、駆逐艦8隻で、フィリップ・ヴァイアン少将が指揮を執った。このうちカーライルと駆逐艦2隻は途中でアレクサンドリアへ引き返した。マルタからもK部隊と第4駆逐群の軽巡洋艦オーロラ、ペネロピ、駆逐艦6隻が出撃し、さらに軽巡洋艦ネプチューンと駆逐艦2隻からなるB部隊もそれに続いた。
ヴァイアンの部隊とK部隊は12月17日8時に合流した。
両軍の部隊
イギリス
- 第15巡洋艦戦隊(フィリップ・ヴァイアン少将)
- 第14駆逐群(マック大佐)
- K部隊(アグニュー大佐)
- 第4駆逐群(ストークス大佐)
- 駆逐艦シーク、リージョン、マオリ、イサーク・スウェールズ
- 船団
- ブレコンシャー
イタリア
- 戦艦戦隊(アンジェロ・イアキーノ中将)
- 戦艦リットリオ(旗艦)、アンドレア・ドリア、ジュリオ・チェザーレ
- 第3戦隊(Angelo Parona上級少将)
- 第9駆逐隊
- 第10駆逐隊
- 駆逐艦マエストラーレ
- 第12駆逐隊
- 第13駆逐隊
- 第16駆逐隊
海戦経過
12月17日中にイアキーノの元にはイギリス艦隊に関する情報が届いたが、それではブレコンシャーを戦艦と誤認していた。さらに、1隻しか報告されていないにもかかわらず、イアキーノはイギリス戦艦3隻がイタリア船団の攻撃に向かっていると判断した。実際にはイギリス戦艦は護衛駆逐艦不足のためアレクサンドリアに留め置かれていた。イアキーノの部隊は速度を上げ南へ向かった。
一方、ヴァイアンもイタリア艦隊の情報を得て、会敵の可能性を下げるため南西へ向かった。イギリス艦隊はドイツ・イタリア軍機による攻撃を何度も受けたが損害はなかった。
夕刻、イギリス艦隊の対空砲火を視認したイタリア艦隊はそのほうへと向かい、日没後に戦闘が開始された。イタリア艦隊は32,000メートルの距離で砲撃を開始した。ヴァイアンはブレコンシャーに駆逐艦デコイとハヴォックをつけて南へ向かわせると、残りの艦艇を率いてイタリア艦隊に向かった。イタリア艦隊はイギリス駆逐艦が雷撃を行ったと誤認して回避運動を取ると、そのまま砲撃を停止し、18時28分には北へむかった。イアキーノの任務は船団護衛であったためである。ヴァイアンもブレコンシャーの護衛を優先し、海戦は終了した。
この海戦でイギリス駆逐艦キプリングが軽微な損傷を受け死者1名を出した。
海戦後
ブレコンシャーはK部隊とB部隊に護衛されて無事にマルタに到着した。ヴァイアンの第15巡洋艦戦隊、第4、第14駆逐群は敵船団を捜索したが発見できなかったためアレクサンドリアへ帰投した。
イタリアの船団のうち1隻は12月18日にベンガジに到着。残り3隻はトリポリへ向かったが、掃海作業を待つ間にイギリス軍機の攻撃を受け1隻が損傷した。この船団を攻撃するため、マルタに入港したK部隊は再び出撃したが、12月19日に機雷原に進入してしまい軽巡洋艦ネプチューンと駆逐艦カンダハーが失われた。
結果と影響
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脚注
参考文献
- The Royal Navy and the Mediterranean, Volume II:November 1940-December 1941, Frank Cass Publishers, 2002, ISBN 0-7146-5205-9
- Eric Grove, Sea Battles in Close-up: World War 2 Volume Two, Naval Institute Press, 1993, ISBN 1-55750-758-9
- Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3
- Jack Greene and Alessandro, The Naval War in the Miditerranean, Chatham Publishing, 1998, ISBN 1-86176-190-2
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2