イサーク・スウェールズ (駆逐艦)
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このページ名「イサーク・スウェールズ (駆逐艦)」は暫定的なものです。(2009年8月) |
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1938年11月26日 |
進水 | 1940年3月16日 |
就役 | 1941年5月29日 |
退役 | |
その後 | 1942年11月13日、ドイツ潜水艦「U431」の雷撃を受け沈没 |
除籍 | |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,628トン、満載:2,240トン |
全長 | 107.0m 105.0m(水線長) |
全幅 | 10.6m |
吃水 | 3.5m |
機関 | ヤーロー式重油専焼三胴型水管缶3基 +パーソンズ式ギヤード・タービン2基2軸推進 |
最大出力 | 45,000hp |
最大速力 | 37.5ノット |
航続距離 | 19ノット/5,400海里(重油:696トン) |
乗員 | 194名(戦時) |
兵装 | 10.2cm(45口径)連装速射砲3基 ボフォース 40mm連装機関砲2基 エリコン 20mm単装機銃2基 ヴィッカース 12.7mm四連装機銃2基 53.3cm四連装魚雷発射管2基 |
イサーク・スウェールズ (Hr. Ms. Isaac Sweers) は、1940年進水のオランダ海軍の駆逐艦。ティエルク・ヒッデス級。
艦歴
[編集]1938年11月26日起工。1940年3月16日進水。竣工前にドイツ軍がオランダに侵攻してきたため、1940年5月に曳船に曳航されてイギリスへ脱出した。イギリスで1941年5月29日に竣工。
就役後しばらくは船団護衛に従事した。1941年9月、イギリス駆逐艦「ブロックレスビー」と衝突。
1941年9月以降は主に地中海で活動した。地中海ではハルバード作戦やパーペテュアル作戦に参加。続いて1941年12月、H部隊から地中海艦隊への転属のための駆逐艦「シーク」、「リージョン」、「マオリ」とともに地中海を航行中、北アフリカへの補給物資輸送中のイタリア軽巡洋艦「アルベルコ・ダ・バルビアーノ」と「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」の迎撃に向かう[1]。そして、これらの駆逐艦は12月13日のボン岬沖海戦で2隻のイタリア軽巡洋艦を沈めた。この海戦で「イサーク・スウェールズ」は2隻の軽巡洋艦に同行していた水雷艇「チーニョ」に対して砲雷撃を行ったが命中させられなかった[2]。
「イサーク・スウェールズ」は1942年3月には東洋艦隊所属となるが、同年中にヨーロッパに戻った。1942年11月13日、アルジェ北方の地中海でドイツ潜水艦「U431」の雷撃で撃沈された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Eric Grove, Sea Battles in Close-up :World War 2 Volume Two, Naval Institute Press, 1993, ISBN 1-55750-758-9
- Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3
外部リンク
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