「伊豆半島」の版間の差分
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2020年7月29日 (水) 08:39時点における版
伊豆半島(いずはんとう)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島。静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した半島は東岸に相模灘、西岸には駿河湾があり、最南端の石廊崎から太平洋を望む。
地理
静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した、駿河湾と相模灘を隔てている半島である。一説には、南海に突き出ているので、「出づ」から「伊豆」と呼ばれるようになったと言われる[1]。
北部を除き山地が大部分を占め、平坦地は少ない。したがって、市街地は狭く、海岸沿いの低地や谷に住宅が集まっている。東岸に相模灘、西岸には駿河湾がある。最南端は石廊崎であり、太平洋を望む。なお、フィリピン海プレートの東端に載る伊豆諸島や小笠原諸島から沖縄県の各諸島までの海域は、太平洋の一海域であるフィリピン海の一部であるが、この名称は普及していない。
北部は、一級河川の狩野川の沖積平野である田方平野が広がっており、伊豆半島内でも田畑が多く、稲作は弥生時代の遺跡もあり古く農業が行われている[2][3]。
また、伊豆半島は山が険しく人の手の入らない箇所が多くあり、海岸線と天城山などの中北部の山稜が富士箱根伊豆国立公園の一部として指定されている。
主要な地形
- 山 :天城山、達磨山、玄岳、丹那山地、静浦山地、伊豆東部火山群
- 湖 :一碧湖、松川湖(奥野ダムの人造湖)
- 川 :狩野川(一級水系)
- 平野 :田方平野
- 海岸 :御浜岬(砂州)、大瀬崎(陸繋島と砂州)、白浜海岸、城ヶ崎海岸、奥石廊崎海岸、堂ヶ島海岸
- 断層 :北伊豆断層帯(丹那断層など)、石廊崎断層
地史
伊豆半島の地殻はフィリピン海プレートの最北端に位置している。北アメリカプレートとの衝突のため、岩盤に亀裂が起こり、これにマグマが貫入することにより伊豆東部火山群が形成されている。このマグマの貫入によって、半島東部では群発地震がしばしば起こっている。古くは伊豆諸島の島々と同様に火山島であったこともあり大型火山が大きく侵食された地形が残り、各地に温泉が湧く。植物相は本州島とは異なる南方系を形成している[4]。半島が海底火山であった頃の噴出物が海底に積み重なってできた地層を、古い順に仁科層群、湯ヶ島層群と呼ぶ[5]。
- 1000万 - 200万年前
- 伊豆全体が浅い海となり、火山島になった火山もあった。この時期の噴出物で形成された地層を白浜層群と呼ぶ[5]。
- 200万 - 100万年前
- 伊豆が本州に衝突して合体しようとしていた時期。この時初めて伊豆の大部分が陸地となり、以後はすべての火山が陸上で噴火するようになった。 この時期以降の堆積物を熱海層群と呼ぶ[5]。
- 60万年前
- 本州から突き出た半島となる[6]。この頃に天城山や達磨山などの大型火山ができた[5]。
- 60万年前 - 20万年前
- ほぼ現在の姿になる[6]。
- 20万年前 - 現在
- 20万年前頃になると、箱根火山を除く複成火山は活動を停止し、単成火山で構成される伊豆東部火山群が活動を始める[5]。
異説
上記の『伊豆半島がフィリピン海プレートに乗って南から移動し、本州にぶつかった』とする説は、プレートテクトニクスに連動したものである。
一方、プレートテクトニクス説が普及する1980年以前は、伊豆半島は現在の位置で形成されたものと考えられていた。プレートテクトニクスに批判的な柴正博は、2016年時点でも半島の移動はなかったと主張している[7]。
伊豆半島の鮮新世の地層からは大型有孔虫のレピドシクリナが発見されるが、これは日本本土の他の地域では中新世中期の後期までには見られなくなる。この有孔虫は珊瑚礁に生息していたものとされており、これは伊豆諸島および伊豆半島がその当時熱帯にあった証拠と考えられている。これに対し、中新世中期は大規模な隆起が起きていた時期であり、それが周辺海域に粗粒堆積物を多量にもたらして珊瑚礁を全滅させたことで有孔虫がいなくなったのであり、伊豆半島では大きな川がないためにサンゴ礁が無くならず、有孔虫が生き残ったと柴は推測し、半島が熱帯にあった証拠にならないとしている[7]。
また小笠原諸島の生物相は海洋島によく見られる生物相の特徴を持つ。それに対し、伊豆諸島はむしろ日本本土の生物相に非常に近い[8]。伊豆半島が北上して本州に繋がったのだとすれば、同じプレート上にある伊豆諸島、小笠原諸島もそれに伴って移動してきたと考えられるが、柴は先述の生物相の差異を指摘してこれを疑問視している。柴によれば、過去のある時期に伊豆諸島と本州が同じ陸地にあり、その頃には寒冷な気候で伊豆諸島の位置までが夏緑広葉樹林帯に覆われていたのが、後に海水面が上昇して島となり、隔離によって種分化が進んだという。中新世末期には伊豆半島から伊豆諸島の青ヶ島までを含む巨大な半島(古伊豆半島)[9]が順次切り離されていったと柴は推測している。
歴史
- 伊豆国成立
- 律令制において伊豆国は東海道の一国であり、天武天皇9年(680年)7月に駿河国より分離されて設置された(『扶桑略記』)。畿内から遠い伊豆国は、律令時代には流刑の地とされていた。
- 国府は三島に置かれた。以来、国府所在地たる三島は伊豆国一宮・三島大社の門前町ともなっている。
- 伊豆国の範囲に、伊豆半島だけでなく伊豆諸島も含まれる。
- 12世紀末には源頼朝が蛭ヶ小島へ流刑となり、頼朝は三島大社で必勝祈願を行った。
- 鎌倉時代には執権北条氏の本拠地でもあることから、監視すべき重要(危険)人物の流刑地になった。
- 1203年、2代将軍源頼家が修善寺に幽閉され、翌年に暗殺された。
- 1261年、鎌倉幕府に批判的な日蓮宗開祖の日蓮が幕府より流刑に処される(上陸直前に海上の岩に置き去りにされ、危うく助かったという日蓮法難伝説の一つ伊豆法難が起きた)。
- 室町時代には、鎌倉府と室町幕府の対立の前線となり、足利政知は鎌倉に入れずに韮山町に留まって堀越公方と呼ばれた。
- 戦国時代には北条早雲が足利茶々丸を滅ぼし、豊臣秀吉に滅ぼされるまで後北条氏が支配した。
- 小田原合戦後には徳川家康が支配するが、関ヶ原の戦い以後は天領、旗本領、各藩の領地が錯綜した。
- 江戸時代には、韮山に韮山代官所が置かれて伊豆だけでなく周辺国の天領を差配した。
- 近代以降
- 明治維新期の廃藩置県では、当初は韮山県が成立したものの、のち足柄県に編入され、1876年8月21日に足柄県が分割されると静岡県に編入され、以後は静岡県の一部となる。
- 1895年、熱海町に豆相人車軌道が通じる。
- 1898年、旧伊豆国域で初の蒸気鉄道の駿豆鉄道が開通。6月には三島(旧駅)で東海道本線と連絡する。
- 1904年、天城山を貫く旧天城トンネルが開通。南伊豆から中伊豆への移動が容易になる。
- 1925年、初の官鉄線の熱海線が熱海まで開通。
- 1930年、北伊豆地震が発生。半島北部で大きな被害を出す。
- 1934年、丹那トンネルが開通して、熱海線が東海道本線に編入され、東海道本線は函南・三島(現駅)経由のルートに変更される。
- 1958年9月27日、狩野川台風によって半島北部の狩野川流域で甚大な被害を出す。静岡県全体で死者行方不明者1046名。
- 1964年10月1日、東海道新幹線が開業し、熱海駅が設置される。1969年(昭和44年)4月25日には、三島駅が新たに設置される。
- 1965年7月、狩野川放水路が完成。
- 1974年5月9日、伊豆半島沖地震(M6.9)により、半島南部で被害が出る。死者30名。
- 1978年1月14日、伊豆大島近海の地震(M7.0)により、半島南西部で被害が出る。死者23名。
- 1989年7月13日、同年6月からの群発地震後、伊東沖約3kmで海底噴火。手石海丘と命名される。
- 2006年4月21日、同年4月17日より活発した川奈崎沖での群発地震で、最大震度6弱を記録した伊豆半島東方沖地震が発生。
- 2006年10月10日、伊豆半島にある自治体を対象に、伊豆ナンバーが導入された[10]。
- 2009年8月11日、駿河湾地震(M6.5)が発生。駿河湾で起きた地震であったが伊豆半島では大きな被害は受けなかった。
- 2012年9月24日、伊豆半島ジオパークが日本ジオパークネットワークへ加盟。
地域
伊豆地方のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
面積 | 1,421.24km² |
総人口 | 437,884人 (2019年2月1日) |
半島内の地域はそれぞれ、西岸を西伊豆(にしいず)、中北部を中伊豆(なかいず)、東岸を東伊豆(ひがしいず)、南部を南伊豆(みなみいず)と呼ぶ。なお北伊豆(きたいず)も使われることがあるが使用頻度は低い[11]。
なお、伊豆地方は東京に近いことから、東海地方ではなく、関東地方の一部として認識されることが多い。衆議院小選挙区においては、静岡県第5区と静岡県第6区にまたがっている。
観光ガイドでのエリア区分例(四分割)
- 東伊豆
- 熱海市、伊東市、東伊豆町
- 中伊豆
- 三島市、函南町(日守地区は除く)、伊豆市の一部(旧修善寺町、旧天城湯ケ島町、旧中伊豆町)、伊豆の国市(旧伊豆長岡町、旧大仁町、旧韮山町)
- 西伊豆
- 沼津市の一部(内浦地区、西浦地区、旧戸田村)、伊豆市の一部(旧土肥町)、西伊豆町、松崎町
- 南伊豆
- 下田市、南伊豆町、河津町
交通
鉄道
バス
道路
船舶
括弧内は季節運航
(月・木・土曜日は逆回り。水曜日は運休。)
経済
関東地方からの観光客に人気な観光地である伊豆半島は、主に熱海・修善寺と伊東の温泉行楽地として知られている。
富士山や箱根と隣接しており、富士箱根伊豆国立公園の一部であると同時に、伊豆半島単独でも伊豆半島ジオパークを構成する。
旅行地として、温泉の他には、海水浴、サーフィン(主に下田)、スキューバダイビング、ゴルフ、オートバイ(ツーリング)などで人気がある。
旅行地として以外では、農業と釣りは地域経済の重要な要素である。
特に内陸はワサビの主要生産地の1つで、郷土料理はワサビ風味となっている。それでも東京や静岡に人口が流出するのを防ぐにはこれは十分ではなく、東京や静岡に対してこれらの産業は有利ではない。
行政
伊豆半島は、その全体が静岡県に属している。一般的には、以下の7市と6町から成る「13市町」として言及されることが多い[12][13]。
(地理的に言えば、沼津市と三島市の間に位置し、狩野川水系の柿田川を抱える清水町もここに加えられ、全「14市町」とされてもおかしくないが、清水町は長泉町・小山町と共に駿東郡を構成するため、伊豆地方には数えられないことが多い。)
- 市
- 町
観光
日本でもよく知られた温泉地帯である。数多くの漁港を抱え、新鮮な魚介類と温泉を目当てに観光客が訪れる。山間では山葵(わさび)やわさび漬け、椎茸などの名産品や、イノシシ鍋などの郷土料理もある。
早くから日本有数の観光地域でもあったが、戦後になって大手資本による大規模な開発合戦も行われた。代表的なのは東急と西武の開発競争で、東急は1961年に伊豆急行線を下田まで開通させ、西武は伊豆箱根鉄道駿豆線を軸に、陣取り・誘致合戦を繰り広げた。特に伊豆急行開通後の東伊豆の観光地・別荘地化はめざましいものがあった。
文化面では、川端康成の『伊豆の踊子』を始めとして、文学の舞台となっている街も多い(#伊豆地方を舞台にした小説)。
神社仏閣
温泉
伊豆地方を舞台にした作品
伊豆地方を舞台にした小説
- 伊豆の踊子(川端康成、1926年)〔伊豆市、賀茂郡、下田市〕
- 妖婦の宿(高木彬光、1949年)〔古奈温泉〕
- 女怪(横溝正史、1950年)〔伊豆の鄙びた温泉場〕
- 女王蜂(横溝正史、1951 - 1952年)〔伊豆市〕
- 真夏の死(三島由紀夫、1952年)〔河津町(今井浜海水浴場)〕
- 天城越え(松本清張、1959年)〔伊豆市〕
- しろばんば(井上靖、1960年)〔伊豆市〕
- 獣の戯れ(三島由紀夫、1961年)〔西伊豆町〕
- 夏草冬涛(井上靖、1964年)〔沼津市〕
- 花のいのち(立原正秋、1967年)〔沼津市〕
- 銭の花(花登筺、1970 - 1973年)〔東伊豆町(熱川温泉)〕
関連書籍
- 小山真人『伊豆の大地の物語』静岡新聞社、2009年。ISBN 978-4783805496。
脚注
- ^ 出典 : 秋山富南、萩原正平、萩原正夫、戸羽山瀚 纂修『増訂豆州志稿・伊豆七島志』長倉書店 (1967年) ASIN: B000JA580I 1頁
- ^ “狩野川水系 中流田方平野ブロック河川整備計画”. 静岡県. 2020年2月18日閲覧。
- ^ “三島アメニティ大百科 原始・古代”. 三島市. 2020年2月18日閲覧。
- ^ プロト伊豆―マリアナ島弧の衝突付加テクトニクス 地学雑誌 Vol.119 (2010) No.6 P1125-1160
- ^ a b c d e 出典 : 伊豆の大地の物語 伊豆新聞連載記事 - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室、2012年11月6日閲覧
- ^ a b 出典 : 伊豆半島ジオパーク - 伊豆半島ジオパーク推進協議会、2012年11月6日閲覧
- ^ a b 化石研究会会誌第49巻第1号(2016年6月): 伊豆半島は南から来たか? - 柴正博
- ^ 例として、内山他(2002)によると、ヘビは小笠原諸島にはいないが、伊豆諸島にはシマヘビやアオダイショウ、ジムグリ、マムシなどがおり、いずれも本州のものと同種とされている。
- ^ 柴の提唱ではなく、それ以前に言及されたものである。野村鎮「伊豆諸島産コガネムシ主科の動物」『地理学的研究.昆虫学評論』21,1969年 p71-p94、大場達之「ハチジョウイタドリ-シマタヌキラン群集-伊豆諸島のフロラの成立にふれて-」『神奈川県立博物館研究報告』8,1975年,p91-p106、高桑正敏「神奈川県の昆虫相の特性とそれを支えてきた要因」『神奈川自然誌資料』1,1980年,p1-p13など。
- ^ 伊豆市・伊豆の国市・三島市・熱海市・伊東市・下田市・田方郡・賀茂郡
- ^ 伊豆半島ジオパークなどで用いられている。伊豆半島の付け根である三島市、田方郡函南町、沼津市、駿東郡を指す事が多い。
- ^ 伊豆半島仏像めぐり ― 伊豆13市町の仏たち - Internet Museum
- ^ 熱海市で伊豆半島地域サミット 知事と13市町の首長が地域づくりで意見交換 - 伊豆新聞 2019/10/25
出典
- 柴正博「伊豆半島は南から来たか?」『化石研究会会誌』2016年6月,Vol.49(1),p.35-43[1].
- 内山りゅう他、『決定版 日本の両生爬虫類』、(2002)、平凡社
関連項目
外部リンク
- 伊豆半島ジオパーク - 伊豆半島ジオパーク推進協議会(地球科学上の解説)
- 伊豆の大地の物語 (伊豆新聞連載記事) - 静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人研究室
- 伊豆新聞