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=== 五社の招聘 === |
=== 五社の招聘 === |
2020年7月13日 (月) 20:13時点における版
暴力街 | |
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監督 | 五社英雄 |
脚本 |
掛札昌裕 中島信昭 |
原案 | 五社英雄 |
出演者 |
安藤昇 小林旭 丹波哲郎 菅原文太 |
音楽 | 佐藤勝 |
撮影 | 山沢義一 |
編集 | 祖田富美夫 |
製作会社 | 東映 |
公開 | 1974年4月13日 |
上映時間 | 96分 |
製作国 | 日本 |
『暴力街』(ぼうりょくがい)は、1974年4月13日に公開された日本の映画。主演・安藤昇、監督・五社英雄。東映東京撮影所製作、東映配給[1]。
概要
銀座のクラブ支配人で、元暴力団組長の江川(安藤昇)が、次々と殺される自分たちの子分を見かねて、かつての仲間ギザゴロの辰(菅原文太)とともに矢崎(小林旭)、郷原(高田繁司)率いる東菊会と、島村(丹波哲郎)を長とする西日本連合と対峙するハードボイルド・アクション[2]。
予告編のBGMには、『人斬り与太 狂犬三兄弟』、『現代やくざ 人斬り与太』の一部が使われている。
あらすじ
もと関東東菊会幹部江川組々長・江川紘一は、今では足を洗い銀座のクラブ・マドリッドを経営し、情婦の晃子と平穏な生活を送っていた。関西西日本連合会が全国制覇の最後の拠点、東京・銀座に乗り出して来た。銀座の中心マドリッドに目をつけた西日本連合会だが、東菊会の剛原も同幹部・矢崎竜二を指し向けて、マドリッド買収に乗り出した。しかし、江川はあくまでマドリッドを守る態度を示した。一方、東菊会たちの仕業に腹をすえかねた江川の配下の望月たちは、江川に内密で江川組再建を企てた。望月はチンピラ数人で、東菊会経営の新興企画の新人歌手・天野マリを誘拐し、それを西日本連合会の仕業にみせかけ一億円の恐喝を行なった。そして、数日後、天野マリが死体で発見され、マスコミはこの事件の背後に関東・関西の暴力団の抗争がからんでいると騒ぎたてた。望月は一億円を手に入れ、元江川組々員・浜勇喜に金を預けた。そして望月、浜は江川に組再建を打診するが、江川は拒否する。一方、天野マリ誘拐が望月たちの仕業だと知った東菊会は、殺し屋を雇い望月たち江川の配下を殺した。今まで沈黙を保っていた江川は、配下の無残な死に様を見て、遂に剛原に喧嘩状をたたきつけた。それを知った浜は、かつての江川組々員に連絡し、解体屋をしているギザゴロの辰を江川に紹介した。辰は解体屋をしながら、手製の銃を百挺余り作っていた。戦いの用意は整った。江川たちは、西日本連合会に対する作戦を練っている東菊会の幹部たち--諸木、二橋、山岡、東松、西田、そして矢崎の中に殴り込みをかけた。銃撃戦が繰り広げられ、江川と辰は山岡、東松、西田を殺し逃走するが、途中で辰は殺されてしまった。江川は、剛原の妻で、もと恋人の悠子に助けられ逃げのびる。一方、必死で江川を探す矢崎は、江川の情婦・晃子のアパートへ行き、江川をおびき出そうとした。江川は、罠にはまってしまったが一目散に逃げ、ある養鶏場に身を隠す。矢崎は、江川の逃げ場所を察知するが、単身で江川に対決を挑んだ。一方、剛原は江川の銃弾で倒れてしまったために、幹部の諸木が東菊会の会長に納まり、西日本連合会々長・島村と手を組んだ。そして、島村たちにとって邪魔な江川、矢崎の二人を殺す相談を秘かに進めていた……。
キャスト
- 江川紘一:安藤昇
- 矢崎竜二:小林旭
- 浜男喜:夏八木勲
- 諸木:小池朝雄
- 二橋:葉山良二
- 悠子:赤座美代子
- 殺し屋:マダム・ジョイ
- 吉井晃子:川村真樹
- 天野マリ:中津川みなみ(テイチク・ユニオン)
- 望月邦弘:室田日出男
- 東菊会幹部:田中浩
- ジョージ:安岡力也
- マリの母親:松井康子
- 東松:八名信夫
- 山岡:佐藤京一
- 吉井治夫:平泉征
- 剛原:高田繁司(レディ・ファースト・マスター)
- ドン・神谷:ドン・神谷(ドンの城・マスター)
- 宝京子
- 宝ナナ
- 宝まみ(ロック座)
- 横山あさの
- アンジィ・ストーム
- 藤田:広瀬義宣
- タケシ:誠直也
- 日尾孝司
- 佐藤晟也
- 剛原の秘書:久地明
- 仙川:藤山浩二
- 殺し屋:山本昌平
- 玉木:潮健児
- 解体屋:関山耕司
- 松森:花田達
- 西田:土山登士幸
- サブ:大塚吾郎
- ケン:高月忠
- 治夫の共犯者:須賀良
- 亀山達也
- 仲塚康介
- 木川哲也
- 伊達弘
- 沢美鶴
- 高橋洋一
- 太古八郎
- 山田光一
- 桐島好夫
- 大泉公孝
- 山浦栄
- 五野上力
- 西本良治郎
- 溝口久夫
- 沢田浩二
- 畑中猛重
- 清水照夫
- 城春樹
- 横山繁
- 比良元高
- 木村修
- 宮地謙吾
- 高島志敏
- 藤崎英幸
- 竹村清女
- 三城貴子
- 泉福之助
- 工藤武
- 大淀浩司
- 宮崎あすか
- 章文栄
- 金子恵美子
- 島村:丹波哲郎
- ギザゴロの辰:菅原文太
スタッフ
製作
1974年2月に公開された多岐川裕美主演『聖獣学園』の「想像できないほどの不入り」を見た[3]岡田茂東映社長は[4]「ストリップ映画は所詮キワモノだよ!」と宣言し[4][5]、製作中だったシャロン・ケリー、梅宮辰夫共演による『色情トルコ日記』を最後に[6]「あきられてきたポルノ路線から撤退し、今後は実録ものとギャングもの、それに歌謡路線を強化していく」という新方針を打ち出した[7][8][9][10]。また同年4月には「オレがOKしなきゃ撮らせない」と、全ての企画を岡田自身が決定する陣頭指揮を宣言した[11]。実録ものの新方針第一弾が千葉真一主演の『ルバング島の奇跡 陸軍中野学校』で[注釈 1]、第二弾・新しいアクション路線と銘打って製作が発表されたのが本作『暴力街』であった[7][13]。実際には『ルバング島の奇跡 陸軍中野学校』より先に『暴力街』と八代亜紀の同名楽曲をモチーフにした歌謡映画『夜の演歌 しのび恋』が二本立てで先に公開されている。
東映ギャング路線の復活
「東映ギャング路線」は、1961年9月に東映東京撮影所(以下、東撮)所長に赴任した岡田茂が[14]、社会派映画がメインで当たる映画が1本もなかった東撮を再建するため[15][16][17]、高倉健を軸に最初に手掛けた路線で[18][19][20][21][22]、古手監督を一掃して[23][24]、深作欣二ら、若手をどんどん起用し[15][24][25]、東撮復活の起爆剤となった路線で[26]、その後数多くの路線を仕掛ける岡田が抬頭する切っ掛けとなった[19][22][23][27][28]。しかし人気が落ちると[29]、「そもそも日本にギャングなどいない」と見も蓋もない理由で終了させ[29][30]、以降はほとんど作られていなかった[31]。
五社の招聘
東撮のエース格だった深作欣二が『仁義なき戦い』で京撮に招かれ、以降東映京都撮影所(以下、京撮)に定着したため、東撮にアクション映画を撮れる者がいなくなった[32]。フジテレビで五社が浮いた存在になっていると知った岡田が[32]、「東映ギャング路線」復活として五社を招いた[32]。岡田による五社の東映招聘は、1966年の『丹下左膳 飛燕居合斬り』に続いて二度目。三度目の招聘が1982年の『鬼龍院花子の生涯』[33][34]。岡田は外部からの変わり者にはすぐに「達(たつ)を呼べ!」と、本作のプロデューサーにも腹心・吉田達を担当に就けた[28][35]。『鬼龍院花子の生涯』以降は、東映付いた五社であるが、製作は全て京撮のため、本作は東撮で撮った唯一の映画となる[35]。
タイトル
『暴力街』という映画は本作以前に、同じ東映の小林恒夫監督が1955年と1963年に二度製作している[36][37]。1955年版は同年の『終電車の死美人』と共に犯罪映画の佳作として東映現代劇に大きな影響を与えたとされる[36][37]。1963年版は、岡田が「東映ギャング路線」量産時に名作を復活させたもので、本作も含めた三本はストーリーが異なり、リメイクとはいえないが、題名だけは復活させたものとみられる。
キャスティング
主演・安藤昇は五社とウマが合った[38]。オカマの殺し屋役のマダム・ジョイは、吉田が常連のオカマバーのマダムで、五社が気に入って映画に出した[35]。撮影の日に自前の100万円の着物を着て来て、五社が「血糊が付くし殺陣でズタズタになるぞ」と着替えさせようとしたら、「切られたって、捨てたっていいの。この衣装を着て五社さんの作品に出たいの」と訴えたため、そのままその着物で撮影した[35]。
作品の評価
興行成績
岡田は「シャシンの出来は決して悪くない。ところが結果はソコソコしか来ていない。これはマスコミの乗りが非常ににぶかった。セリング・ポイントが一つに絞り切れていないんだな。あれだけのキャスト揃えるなら、勝負してパチンと当てる素材を掴まなくちゃダメだよ」などと評している[39]。
後の作品への影響
「ギャング路線」はその後は1960年代ほどは量産はされなかったが、1975年の『神戸国際ギャング』は、任侠スターになる前の高倉健が、岡田の指導で取り組んでいた「ギャング路線」を復活させたものである[31]。またタイトルに"ギャング"と入っていなくても東映は時々「ギャング路線」を想起させる映画を作ることがある[40]。
同時上映
脚注
注釈
出典
- ^ “暴力街(1974) - 日本映画情報システム”. 文化庁. 2016年4月1日閲覧。
- ^ 映画俳優安藤昇 2015, pp. 368–371.
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- ^ a b 「映画になる小野田寛郎元少尉ドノ」『サンデー毎日』1974年3月31日号、毎日新聞社、40頁。
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