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「勧修寺家」の版間の差分

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2020年7月3日 (金) 06:17時点における版

勧修寺家
家紋
竹に雀たけにすずめ
本姓 藤原北家勧修寺流支流
家祖 勧修寺経顕
種別 公家名家
華族伯爵
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
東京府
著名な人物 勧修寺晴豊
支流、分家 坊城家(名家)
芝山家(名家)
穂波家(名家)
長尾家(奈良華族
伊予勧修寺氏武家)?
凡例 / Category:日本の氏族

勧修寺家(かじゅうじけ/かんじゅじけ)は、藤原北家勧修寺流の支流の公家公家貴族)である。

家格名家藤原高藤の子孫の系統を「勧修寺流」と言うが、嫡流は勧修寺家ではなく、甘露寺家である。ただし、戦国時代から江戸時代初期に勧修寺家から2代の国母を輩出した事から、当時は勧修寺家を嫡流とみなす説もあり、それに基づいて書かれた文献もある(『諸家伝』)[1]

南北朝時代坊城定資の子・経顕南北朝時代)を勧修寺家の祖とする。江戸時代石高は726石。家学は儒学

明治維新後は華族となり顕允伯爵に叙せられた。

歴代当主

  1. 勧修寺経顕 (1298 - 1373)
  2. 勧修寺経方 (1335 - )
  3. 勧修寺経重 (1355 - 1389)
  4. 勧修寺経豊 ( - 1411)
  5. 勧修寺経興 (1396 - 1437)
  6. 勧修寺経直 ( - 1449)
  7. 勧修寺教秀 (1426 - 1496)
  8. 勧修寺経茂 (1430 - 1500)
  9. 勧修寺政顕 (1452 - 1522)
  10. 勧修寺経熈 (1432 - 1504)
  11. 勧修寺尚顕 (1478 - 1559)
  12. 勧修寺尹豊 (1503 - 1594)
  13. 勧修寺晴秀 (1523 - 1577)
  14. 勧修寺晴豊 (1544 - 1602)
  15. 勧修寺光豊 (1575 - 1612)
  16. 勧修寺教豊 (1610 - 1615)
  17. 勧修寺経広 (1606 - 1688)
  18. 勧修寺経慶 (1644 - 1709)
  19. 勧修寺尹隆 (1676 - 1722)
  20. 勧修寺高顕 (1695 - 1737)
  21. 勧修寺顕道 (1717 - 1756)
  22. 勧修寺敬明 (1740 - 1758)
  23. 勧修寺経逸 (1748 - 1805)
  24. 勧修寺良顕 (1765 - 1795)
  25. 勧修寺経則 (1788 - 1836)
  26. 勧修寺顕彰 (1814 - 1861)
  27. 勧修寺経理 (1828 - 1871)

系図

幕末の領地

国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』より算出した幕末期の勧修寺家領は以下の通り。(4村・726石4斗5升3合)

  • 山城国葛野郡東梅津村のうち - 268石4斗2升
  • 山城国乙訓郡東土川村のうち - 408石4斗5升3合
  • 山城国乙訓郡大原野村のうち - 21石8斗8升
  • 山城国紀伊郡吉祥院村のうち - 27石7斗

脚注

  1. ^ 橋本政宣 編『公家事典』吉川弘文館2010年、P467

関連項目