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2020年6月29日 (月) 13:52時点における版
チーム名(通称) | エネオス |
---|---|
加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1950年 |
チーム名の遍歴 |
|
本拠地自治体 |
|
練習グラウンド | ENEOSとどろきグラウンド(川崎市中原区) |
チームカラー | オレンジ色 |
監督 | 大久保秀昭 |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 49回 |
最近の出場 | 2015年 |
最高成績 | 優勝(11回) |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 21回 |
最近の出場 | 2017年 |
最高成績 | 優勝(2回) |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
ENEOS野球部(エネオスやきゅうぶ)は、神奈川県横浜市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。運営母体は、ENEOSホールディングス。
獲得した全国タイトルは、全国の社会人野球チームで最多の計16回(全日本アマチュア王座決定戦1回・都市対抗野球11回・日本選手権2回・日本産業対抗2回)である。そのうち、都市対抗野球大会の優勝11回も歴代最多で、出場回数も2位の記録である。プロ野球選手や日本代表選手を多数輩出している。
概要
1950年、横浜金港クラブのエースであった日本石油社員の吉村英次郎が尽力し『日本石油硬式野球部』として創部[1]。一時期、提携先であった「カルテックス(CALTEX)」をユニフォームにロゴとして使用し、「日石カルテックス」と呼ばれた時期もあるが、同一チームである。
同じく神奈川県に本拠地を置く、川崎市の日本鋼管、三菱自動車川崎、東芝、横須賀市の日産自動車、藤沢市のいすゞ自動車らとしのぎを削りながら実力を伸ばし、早々と全国大会の常連となっていった。
1951年の都市対抗野球で初出場を果たし、4度目の出場となった1956年の都市対抗野球で初優勝を達成した。1961年の都市対抗野球と1962年の都市対抗野球では、大会史上5チーム目となる2連覇を達成している。
1981年の日本選手権で初出場を果たし、7度目の出場となった1991年の日本選手権で初優勝を達成した。
1999年、母体の日本石油と三菱石油が合併し日石三菱が発足。これに伴いチーム名を『日石三菱硬式野球部』に改称した。
2002年6月、日石三菱が社名変更で新日本石油となったため、シーズン途中にチーム名を『新日本石油硬式野球部』に改称した。
2005年、サービスステーションのブランド名を冠してチーム名を『新日本石油ENEOS硬式野球部』に改称した[2]。
2010年4月、新日本石油と新日鉱ホールディングスとの経営統合により共同持株会社のJXホールディングスが発足し傘下に入る。さらに、同年7月にはグループ内の再編により新日本石油が新日本石油精製とジャパンエナジーの吸収合併しJX日鉱日石エネルギーに社名変更した。これに伴い、同チーム名も7月1日より『JX-ENEOS野球部』に改称した[3][4]。同時にジャパンエナジー(旧共同石油)女子バスケットボール部もJXサンフラワーズ(現・ENEOSサンフラワーズ)に改称している[5]。
2012年、同年の都市対抗野球と日本選手権を制し、史上2チーム目となる同一年2大大会制覇を達成した[6]。また、チームとして社会人ベストナイン特別賞を受賞した。
2013年、都市対抗野球で優勝して51年ぶりの連覇となり、さらに史上初となる同一チームによる複数回の連覇を達成して「絶対王者」とも称されるようになったが、2016年以降は4年連続都市対抗野球で予選敗退に終わるなど、現在は低迷状態にある。
その後、JX日鉱日石エネルギーは2016年1月1日にJXエネルギーに、さらに2017年4月1日にはJXTGエネルギーへと社名変更したが、この時はJX-ENEOS野球部の名称変更はJX-ENEOSサンフラワーズともども行われなかった。
2020年6月25日、JXTGホールディングスがENEOSホールディングスに、JXTGエネルギーがENEOSに社名変更した際に、名称を『ENEOS野球部』に改称した(女子バスケットボール部も同様にENEOSサンフラワーズに名称を変更している)。
親会社がスポンサーとなっている関係から、野球日本代表チームとは練習試合相手となるなど密接なつながりがある。チーム応援歌「力と希望」は作詞:行武雅之、補作詞:サトウハチロー、作曲:古関裕而によって作られた[7]。
設立・沿革
- 1950年 - 『日本石油』として創部。
- 1951年 - 都市対抗野球に初出場(8強)。
- 1956年 - 都市対抗野球で初優勝。
- 1958年 - 都市対抗野球で2度目の優勝。
- 1961年 - 都市対抗野球で3度目の優勝。
- 1962年 - 都市対抗野球で4度目の優勝。※史上5チーム目となる連覇を達成。
- 1965年 - 日本産業対抗野球大会で初優勝。
- 1967年 - 都市対抗野球で5度目の優勝。
- 1972年 - 日本産業対抗野球大会で2回目の優勝。
- 1981年 - 日本選手権に初出場(1回戦敗退)。
- 1986年 - 都市対抗野球で6度目の優勝。
- 1991年 - 日本選手権で初優勝。
- 1993年 - 都市対抗野球で7度目の優勝。
- 1995年 - 都市対抗野球で8度目の優勝。
- 1999年 - チーム名を『日石三菱』に改称。
- 2002年 - チーム名を『新日本石油』に改称。
- 2005年 - チーム名を『新日本石油ENEOS』に改称。
- 2008年 - 都市対抗野球で9度目の優勝。
- 2010年 - チーム名を『JX-ENEOS』に改称。
- 2012年 - 都市対抗野球で10度目の優勝。日本選手権で2度目の優勝。史上2チーム目となる同一年2大大会制覇を達成し、チームとして社会人ベストナイン特別賞を受賞。
- 2013年 - 都市対抗野球で11度目の優勝。チーム名の遍歴こそあるが、史上初となる同一チームによる複数回連覇を達成。
- 2020年 - チーム名を『ENEOS』に改称。
練習場
主要大会の出場歴・最高成績
- 全日本アマチュア野球王座決定戦:出場1回、優勝1回(1991年)
- 都市対抗野球大会:出場49回、優勝11回(1956、1958、1961、1962、1967、1986、1993、1995、2008、2012、2013年)
- 社会人野球日本選手権大会:出場21回、優勝2回(1991、2012年)
- 日本産業対抗野球大会:優勝2回(1965、1972年)
- JABA北海道大会:優勝2回(1993、2019年)
- JABA東北大会:優勝3回(2010、2013、2015年)
- JABA東京スポニチ大会:優勝11回(1961、1962、1966、1982、1988、1991、1994、1995、2008、2009、2011年)
- JABA静岡大会:優勝1回(1956年)
- JABA長野県知事旗争奪野球大会:優勝1回(2007年)
- JABAベーブルース杯争奪大会:優勝3回(1955、1956、1964年)
- JABA京都大会:優勝3回(1964、1966、1968年)
- JABA岡山大会:優勝8回(1966、1967、1968、1992、1995、1996、1997、2009年)
- JABA四国大会:優勝1回(2012年)
- JABA九州大会:優勝1回(2003年)
- JABA徳山(スポニチ)大会:優勝1回(1980年)
- JABA新潟大会:優勝1回(1956年)
- JABA高山市長旗・飛騨市長杯争奪高山大会:優勝1回(2009年)
主な出身プロ野球選手
- 日本石油
- 花井悠(投手) - 1957年に西鉄ライオンズに入団
- 藤田元司(投手) - 1957年に読売ジャイアンツに入団
- 佐々木吉郎(投手) - 1962年に大洋ホエールズに入団
- 平松政次(投手) - 1966年第2次ドラフト2位で大洋ホエールズに入団
- 植原修平(外野手) - 1970年ドラフト7位でヤクルトアトムズに入団
- 奥江英幸(投手) - 1971年ドラフト2位で大洋ホエールズに入団
- 河村健一郎(捕手) - 1971年ドラフト外で阪急ブレーブスに入団
- 五月女豊(投手) - 1972年ドラフト1位で阪神タイガースに入団
- 片貝義明(捕手) - 1972年ドラフト2位で中日ドラゴンズに入団
- 根本隆(投手) - 1974年ドラフト1位で大洋ホエールズに入団
- 町田公雄(内野手) - 1974年ドラフト5位で阪神タイガースに入団
- 土居正史(投手) - 1976年ドラフト2位で広島東洋カープに入団
- 荒井幸雄(外野手) - 1985年ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団
- 高橋一彦(投手) - 1985年ドラフト2位で横浜大洋ホエールズに入団
- 若井基安(内野手) - 1987年ドラフト2位で南海ホークスに入団
- 鈴木慶裕(外野手) - 1988年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団
- 石田文樹(投手) - 1988年ドラフト5位で横浜大洋ホエールズに入団
- 金沢健一(投手) - 1989年ドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団
- 秋村謙宏(投手) - 1989年ドラフト外で広島東洋カープに入団
- 五十嵐章人(外野手) - 1990年ドラフト3位でロッテオリオンズに入団
- 久慈照嘉(内野手) - 1991年ドラフト2位で阪神タイガースに入団
- 小桧山雅仁(投手) - 1992年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団
- 鈴木健(投手) - 1992年ドラフト3位で広島東洋カープに入団
- 川村丈夫(投手) - 1996年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団
- 小野仁(投手) - 1996年ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団
- 高橋憲幸(投手) - 1996年ドラフト5位で日本ハムファイターズに入団
- 大久保秀昭(捕手) - 1996年ドラフト6位で近鉄バファローズに入団
- 新日本石油
- 手嶌智(投手) - 2004年ドラフト自由獲得枠で千葉ロッテマリーンズに入団
- 新日本石油ENEOS
- 栂野雅史(投手) - 2005年大学生・社会人ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団
- 岩崎達郎(内野手) - 2006年大学生・社会人ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団
- 柳川洋平(投手) - 退団後、西多摩倶楽部、BCリーグの福井ミラクルエレファンツを経て、2008年育成選手ドラフト3位で福岡ソフトバンクホークスに入団
- 田澤純一(投手) - 2008年にアマチュア・フリーエージェントでボストン・レッドソックスと契約
- JX-ENEOS
- 嘉弥真新也(投手) - 2011年ドラフト5位で福岡ソフトバンクホークスに入団
- 屋宜照悟(投手) - 2012年ドラフト6位で北海道日本ハムファイターズに入団
- 三上朋也(投手) - 2013年ドラフト4位で横浜DeNAベイスターズに入団
- 石川駿(内野手) - 2014年ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団
- 井領雅貴(外野手) - 2014年ドラフト6位で中日ドラゴンズに入団
- 糸原健斗(内野手) - 2016年ドラフト5位で阪神タイガースに入団
- 高梨雄平(投手) - 2016年ドラフト9位で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
- 齋藤俊介(投手) - 2017年ドラフト4位で横浜DeNAベイスターズに入団
- 塩見泰隆(外野手) - 2017年ドラフト4位で東京ヤクルトスワローズに入団
- 若林晃弘(内野手) - 2017年ドラフト6位で読売ジャイアンツに入団
- 左澤優(投手) - 2018年ドラフト6位でオリックス・バファローズに入団
- 鈴木健矢(投手) - 2019年ドラフト4位で北海道日本ハムファイターズ指名
元プロ野球選手の競技者登録
- 青山誠(元:読売ジャイアンツ) - 外野手(2019年)→退団
- 大久保秀昭(元:大阪近鉄バファローズ) - 監督(2006年~2014年、2020年~)
- 高橋憲幸(元:北海道日本ハムファイターズ) - コーチ→退団
- 谷口邦幸(元:横浜ベイスターズ) - 投手(2006年~2008年)→退団
- 園部聡(元:オリックス・バファローズ) - 内野手(2019年)→退団
- 東泉東二(元:東急フライヤーズ) - 投手→退団
主な在籍選手
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かつて在籍した主な選手・コーチ・監督
- 池邉啓二(外野手) - 選手として在籍。ミスター社会人と呼ばれた。
- 石山建一(内野手) - 選手として在籍。現役引退後、早稲田大学野球部、プリンスホテル硬式野球部の監督を歴任。
- 大城基志(投手) - 2012年に史上初となる同一年の都市対抗野球と日本選手権でMVPを獲得。
- 坂口裕之(外野手) - 選手・監督として在籍。バルセロナオリンピック日本代表。現在はNHKの春夏の高校野球中継の解説者。
- 高林孝行(外野手) - 選手として在籍。アトランタオリンピック日本代表。
- 徳永耕治(内野手) - 選手として在籍。バルセロナオリンピック日本代表。
- 野島正弘(内野手) - 選手として在籍。アトランタオリンピック日本代表。
- 増永祐一(投手) - 選手として在籍。ヤクルトスワローズからの1984年ドラフト4位指名を拒否し入団。
- 宮澤健太郎(内野手) - 選手として在籍。社会人野球において都市対抗野球、日本選手権、JABA東京スポニチ大会の3大大会で首位打者を獲得した唯一の選手。
- 若林重喜(内野手) - 選手・コーチ・監督として在籍。バルセロナオリンピック日本代表。
野球部長経験者
脚注
- ^ 【企業スポーツと経営】JXホールディングス(上)野球部 - サンケイビズ 2014年6月30日。なお、吉村は第26回都市対抗野球大会から表彰が始まった本大会10年連続出場選手の表彰第1号となった。
- ^ “チーム情報 2005年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年6月10日閲覧。
- ^ 企業スポーツ活動および創作童話賞の所管・名称について - JXホールディングス ニュースリリース 2010年6月16日
- ^ “チーム情報 2010年 登録・変更情報”. 日本野球連盟. 2017年6月10日閲覧。
- ^ 当時ジャパンエナジーには水島製油所の軟式野球部は存在するものの硬式野球部は持っていなかった。なお旧日本鉱業には日立と佐賀関の硬式野球部2チームが存在し、どちらも都市対抗野球に出場する実力を有していたが、いずれも日本鉱業の名称が変更されるまでの間に廃部となっている。
- ^ 他に、1988年に東芝、2015年に日本生命が達成している。
- ^ 社名変更に伴い、歌詞は若干変更されている。
関連項目
- 社会人野球チーム一覧
- 都市対抗野球大会 (神奈川県勢)
- ベイスターズ・ベースボールアカデミー - 横浜ベイスターズと新日本石油が提携して設立。
- 谷川哲也 - トレーナーとして在籍。
- 一色誠一 - 新日本石油ENEOS時代の2007年4月~2008年9月まで野球部の部長を務めていた。現在はJXTGエネルギー顧問。