コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「正子内親王 (後朱雀天皇皇女)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
28行目: 28行目:
'''正子内親王'''(まさこないしんのう、[[寛徳]]2年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]([[1045年]][[5月9日]]) - [[永久 (元号)|永久]]2年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]([[1114年]][[9月20日]]))は、第69代[[後朱雀天皇]]の第5[[皇女]]。母は女御・[[藤原延子 (藤原頼宗女)|藤原延子]]([[藤原頼宗]]の娘)。[[後冷泉天皇|後冷泉]]、[[後三条天皇|後三条]]両朝の[[斎院|賀茂斎院]]。'''押小路斎院'''、また'''土御門斎院'''とも号した。
'''正子内親王'''(まさこないしんのう、[[寛徳]]2年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]([[1045年]][[5月9日]]) - [[永久 (元号)|永久]]2年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]([[1114年]][[9月20日]]))は、第69代[[後朱雀天皇]]の第5[[皇女]]。母は女御・[[藤原延子 (藤原頼宗女)|藤原延子]]([[藤原頼宗]]の娘)。[[後冷泉天皇|後冷泉]]、[[後三条天皇|後三条]]両朝の[[斎院|賀茂斎院]]。'''押小路斎院'''、また'''土御門斎院'''とも号した。


後朱雀天皇の[[崩御]]から3ヶ月後に誕生。[[天喜]]6年([[1058年]])6月27日、異母姉・[[ばい子内親王 (後朱雀天皇皇女)|禖子内親王]]の後をうけて14歳で賀茂斎院に[[卜定]]。[[康平]]3年([[1060年]])4月12日、[[紫野院]]に入る。[[延久]]元年([[1069年]])7月24日、病のため25歳で退下、その後は尼となった(『[[中右記]]』)。永久2年、70歳で[[薨去]]。
後朱雀天皇の[[崩御]]から3ヶ月後に誕生。[[天喜]]6年([[1058年]])6月27日、異母姉・[[子内親王 (後朱雀天皇皇女)|禖子内親王]]の後をうけて14歳で賀茂斎院に[[卜定]]。[[康平]]3年([[1060年]])4月12日、[[紫野院]]に入る。[[延久]]元年([[1069年]])7月24日、病のため25歳で退下、その後は尼となった(『[[中右記]]』)。永久2年、70歳で[[薨去]]。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2020年6月26日 (金) 23:32時点における版

正子内親王
続柄 後朱雀天皇第五皇女

全名 正子(まさこ)
称号 押小路斎院、土御門斎院
身位 内親王
出生 寛徳2年4月20日1045年5月9日
死去 永久2年8月20日1114年9月20日)(享年70)
父親 後朱雀天皇
母親 藤原延子
役職 賀茂斎院
テンプレートを表示

正子内親王(まさこないしんのう、寛徳2年4月20日1045年5月9日) - 永久2年8月20日1114年9月20日))は、第69代後朱雀天皇の第5皇女。母は女御・藤原延子藤原頼宗の娘)。後冷泉後三条両朝の賀茂斎院押小路斎院、また土御門斎院とも号した。

後朱雀天皇の崩御から3ヶ月後に誕生。天喜6年(1058年)6月27日、異母姉・禖子内親王の後をうけて14歳で賀茂斎院に卜定康平3年(1060年)4月12日、紫野院に入る。延久元年(1069年)7月24日、病のため25歳で退下、その後は尼となった(『中右記』)。永久2年、70歳で薨去

参考文献