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京阪神大都市圏の人口は、一説によると約1,700万人。[[世界の都市圏人口の順位|世界の都市圏順位]]によれば世界10位で、[[米国]]の[[ロサンゼルス]]と同規模、[[ニューヨーク]]よりもやや少ない程度である。 |
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2006年8月16日 (水) 14:18時点における版
大阪(おおさか)
歴史と地名の変遷
西日本の経済・文化の中心地。古くは「大坂」と表記。1496年、浄土真宗中興の祖である蓮如によって書かれた御文章の中に「摂州東成郡生玉乃庄内大坂」という記載が見られ、これが大坂という漢字が現れる最古の記録である。蓮如が現在の大阪城域に大坂御坊(いわゆる石山本願寺)を建立し、その勢力を周辺に伸ばすに及び、それまでのこの地の呼称であった難波(浪華・浪花とも)から大坂という呼称が定着した。大きな坂があったために大坂という字が当てられたという説があるが、蓮如以前の大坂は「オホサカ」ではなく「オサカ」と発音されており、諸資料にも「小坂(おさか)」と表記された例が見られる。このためにこの説は信憑性に乏しい。
蓮如以後、大坂は「おおざか」と読んだ。本来「大坂」という地名をもっていたのは、現在の大阪市域のうちの、大和川と淀川(現在の大川)に間に南北に横たわる上町台地の北端に辺り、摂津国東成郡に属した。台地が、淀川の形成した低地に落ち込む場所であったことから、「坂」の地名がついたのだと考えられる。なお、大坂の「坂」の字を分解すると「土に返る」と読めてしまい縁起が悪いということから、江戸時代のころから「大阪」とも書くようになり、明治時代に大阪の字が定着する。なお、従来「おさか」と読んでいたのを大阪駅の駅員が「おーさか」と延ばして言うようになったのが広まり、「おおさか」と呼ばれる様になったという説もある。
一説に「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士」が「反」すると読めることから「坂」の字を嫌ったともいう。
現在の大阪市の直接の前身である大坂の町は、古代の日本最初の本格的な首都である大化改新の時の難波長柄豊埼宮(なにわのながらのとよさきのみや)や、住吉津(すみのえのつ)難波津(なにわのつ。なにわづ)を起源にもつ歴史的な国際的港湾都市であり、江戸時代には既に現在の大阪市の中央部を広く町域とする日本屈指の大都市であり、日本経済の中心だった。
難波宮・難波京
古代の仁徳天皇の難波高津宮をはじめ、大化の改新の時の難波長柄豊埼宮や聖武天皇の頃の難波京など、古代の大阪は、何度か都の所在地となっている。対外交渉に積極的になった時、内陸部の奈良よりも海に面した大阪が首都の地に選ばれた。
住吉津と難波津
のちの「大坂」が位置した上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる湿地に突き出した半島状の陸地で、主に「難波」の漢字があてられ、「なにわ」と呼ばれた場所にあたる。ただ、「なにわ」の地名表記は、浪花(なにわ)・浪華(なにわ)・浪速(なにわ、なみはや)とされることがあり、一定ではない。
この地には、古代大和朝廷が外国への使節の送り出しや、迎接に利用する瀬戸内海東部の重要な国際港であった「住吉津」や「難波津」が置かれ、飛鳥時代・奈良時代には、首都あるいは副都として難波宮(なにわのみや)や難波京(なにわきょう)が営まれ、律令制のもとでは首都の京職に次ぐ摂津職によって管理された。難波が古代国家によって重要視されたのは、大阪湾は西日本の交通の要である瀬戸内海の東端にあたり、かつ当時の中央政府があった内陸の飛鳥地方・平城京からみてもっとも近い港湾であることによる。住吉津を管理する住吉大社は、大和王権直属の社として重要視されており、また朝廷の儀式要員に座摩巫がおり、滝口武者の嵯峨源氏の渡辺氏が掌った坐摩神社(中央区渡辺町・東本願寺難波別院の西)がその遺跡とされ、西から来る穢れを祓う儀式といわれる。
難波津は土砂の堆積により港としての機能を衰えさせ、奈良時代の末には放棄され、かわって神崎川河口の河尻泊(現在の兵庫県尼崎市)などに繁栄を譲る。しかし、平安時代には淀川水系を利用して営まれた平安京が恒久的な都となったことから、のちの天満橋から天神橋までの淀川河口一帯には渡辺津とよばれる港ができ、瀬戸内海から淀川を通じて京都に通じる水運の要衝、また北から淀川を渡り、南の四天王寺や住吉大社、熊野へと続く陸上交通の要衝として栄えた。
河内源氏と武家の本拠
平安時代後期には前述の嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んで渡辺を名字とし、渡辺氏を起こした。また清和源氏の一族である源頼信は河内国を本拠地とし、前九年の役、後三年の役で東国を傘下にした源頼義や源義家(八幡太郎義家)ら河内源氏の本拠地となり、武家の中心地となる。
大坂
大坂の地名は15世紀に現れ、1496年に蓮如がこの地に建立した浄土真宗の石山道場に1532年、証如が山科本願寺から移り、石山本願寺となったことから寺内町として発展した。織田信長と本願寺の間に戦われた石山戦争で1580年に顕如が退去した後の1583年、石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が大坂城を築き、城下に配下の大名の屋敷や堺などの周辺の町々の町人を集めて、上町台地から大阪平野に広がる大坂の町を築いて政治・経済の中心都市とした。このため、安土桃山時代における秀吉時代である桃山時代は「大坂時代」というべきであるという立場がある。
豊臣氏が滅んだ大坂の役で一時的に荒廃したが、江戸幕府は大坂を直轄地(天領)とし、大坂城を再建する一方、河川の改修や堀の開削を行い、諸藩も蔵屋敷を置いた。蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれたため八百八橋と言われるほど橋と水路の多い町となった。こうして水の都として復興した大坂は日本全国の物流が集中する経済・商業の中心地となり、「天下の台所」と呼ばれて繁栄した。また、こうした経済的な発展にともなっていわゆる「元禄文化」が大坂で花開いた。また、堂島の米市場では世界で最初の先物取引が行われた。
近世大坂の町は江戸幕府の派遣した大坂町奉行支配のもとに北組、南組、天満組の三組に分かれ、総称して大坂三郷と呼ばれた。北組・南組は現在の中央区の本町通を境とする南北にあたり、天満組は北区の大阪天満宮を中心とする一帯である。
大坂の町 天満 上町 堂島 中之島 船場(北浜) 阿波座 堀江 島之内 江ノ子島
大坂から大阪へ
明治維新後の1868年、もとの大坂三郷に大阪府が置かれた。この頃、元来は大坂と書いていた「おおさか」は、大阪と書くのが正式となった。理由としては、大坂は明治維新直前、幕府軍の拠点であり、士が反く(武士が叛く)という意味に繋がるということで、縁起が悪いということで変名されたとある。 郡区町村制が施行されると、大阪三郷は大阪府のもとで北区・東区・西区・南区の4区に編成され、1889年には大阪府管内の大阪市となる。大阪市はその後周辺の町村を合併して現在の領域に広がった。
一方、大阪府全体を見ると、府は周辺の県を統合した後、1887年に奈良県を分離して現在の大阪府の領域となった。この結果、元来は都市名であった大阪の地名は現在のように広域を指すようになる。
一方、明治維新の直後は廃藩置県によるいわゆる「大名貸」の貸し倒れや地租改正による金納化(結果的には農民による米の自由売買につながった)によって大阪経済は大打撃を受けた。だが、経済産業の近代化とともに次第に西日本経済の中心地としての地位を確立していくことになる。
交通における「大阪」
空港
鉄道
- 西日本旅客鉄道東海道本線・大阪環状線:大阪駅(在来線:北陸・山陽・山陰地方への列車発着駅)
- 東海旅客鉄道・東海道新幹線・西日本旅客鉄道山陽新幹線:新大阪駅(新幹線)
- 西日本旅客鉄道阪和線・関西本線・大阪環状線:天王寺駅(在来線:和歌山県・奈良県への列車発着駅)
- 西日本旅客鉄道関西本線:JR難波駅(在来線:奈良県への列車発着駅)
- 阪神電気鉄道本線:梅田駅
- 阪急電鉄神戸本線・宝塚本線・京都本線:梅田駅
- 京阪電気鉄道京阪本線:京橋駅・天満橋駅・淀屋橋駅
- 近畿日本鉄道大阪線・奈良線:近鉄難波駅・上本町駅・鶴橋駅
- 南海電気鉄道南海本線・高野線:難波駅
自動車
自動車のナンバープレートに表記される国土交通省運輸局記号としての「大阪」がある。これは、大阪府寝屋川市に所在する「近畿運輸局大阪運輸支局」を示す。管轄区域は大阪府の東部・北部であり、「なにわ」が管轄区域としている大阪市とは範囲がずれている。また大和川の南側から岬町までの市町村全域は「和泉」ナンバーである。 (堺市は「堺」ナンバーになる予定。)
大阪の代表的な街
- キタ - 梅田 - 北新地 - 梅田新道
- ミナミ - 難波 - 湊町 - 日本橋 - 千日前 - 道頓堀 - 心斎橋(心斎橋筋) - 北堀江 - 南船場
- 天王寺
- 上本町
- 京橋
- 十三
- 新世界
- 築港(天保山)
- 南港(咲洲)
- 新大阪
大阪都心部の代表的な街
大阪の代表的な神社仏閣
大阪にあるプロスポーツ団体
プロ野球
- ※阪神、オリックスは2007年まで暫定的に大阪府・兵庫県のダブルフランチャイズである
サッカー(Jリーグ)
バスケットボール(bjリーグ)
大阪都市圏
大阪市を中心として奈良県や兵庫県、京都府・滋賀県にまで及ぶ都市圏。京都都市圏、神戸都市圏、および大阪都市圏で「京阪神」という大都市圏を形成している。
京阪神は大都市圏であるが、大阪市・神戸市・京都市それぞれの昼間人口が常住人口を越え、通勤・通学者を求心して中心機能を持っているため、首都圏のように一括しないことも多い。ただし、業務機能は大阪が飛び抜けているため、神戸・京都を衛星都市と見ることもある。大阪市への流入超過人口は107万人であり、昼間人口は366万人となって、横浜市の昼間人口を越える。
京阪神大都市圏の人口は、一説によると約1,700万人。世界の都市圏順位によれば世界10位で、米国のロサンゼルスと同規模、ニューヨークよりもやや少ない程度である。
大阪周辺部の代表的な都市
大阪の名物
食文化
大阪では、独特の食文化が栄えた。しゃぶしゃぶや懐石料理など高級料理は大阪が本場だが、高級料理とは別にたこ焼きやお好み焼きは、大阪ならではの庶民の味が楽しめる。昔ながらの土産物としては、「岩おこし」、「昆布」が有名。
天下の台所と言われ、あらゆる食材が集結する環境にあったことから、これぞ大阪という特産品には恵まれていない。
例えば新大阪駅で買われる土産物のトップは伊勢名物のはずの「赤福」である。東京駅で買われる土産物トップが福岡市が本場のはずの「銘菓ひよ子」であると言うことと同じく、大都市ゆえの矛盾を抱えている。
しかし、網焼きの焼肉など、実は大阪が発祥であると言う料理は数知れない。インスタントラーメンの発祥も大阪であると言える。
芸能
「人形浄瑠璃」発祥地であり本場だが、庶民の娯楽として 吉本新喜劇・松竹新喜劇などがあり、それらに代表される芸人と人情の町でもある。 また、太閤豊臣秀吉以来、大阪城の下、商人の町として栄えた。
参考
- 和文通話表で、「お」を送る際に「大阪のオ」という。
- コンピュータのMacintoshのフォントに「Osaka」というフォントがある。
- 漫画およびアニメの「あずまんが大王」に「大阪」という名のキャラクターがいる。本名(春日歩)よりも愛称の「大阪」のほうがよく知られている。愛称の由来は、関西(大阪ではない)出身であることから。こちらも参照。
- なお、2ちゃんねるにおいて「また大阪か」と呼ばれる当地域を蔑視した文句がよく使用されているが、その語源は上記の春日歩ではないかといわれている。
関連項目
関連書
- 塚田孝 『近世大坂の都市社会』 吉川弘文館 ISBN 4-642-03411-0