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[[File:The Beatles arrive at JFK Airport.jpg|right|thumb|300px|アメリカ合衆国に到着したビートルズ]] |
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{{複数の問題 |
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'''ブリティッシュ・インヴェイジョン'''('''British Invasion'''、イギリスの侵略)とは、[[1960年代]]半ばに[[イギリス]]の[[ロック (音楽)|ロック]]や[[ポップ・ミュージック]]をはじめとする{{仮リンク|英国文化|en|Culture of the United Kingdom}}が[[アメリカ合衆国]]を席巻し、[[大西洋]]の両岸で「[[カウンターカルチャー]]」が勃興した現象を指す言葉である<ref name="IraRobbins">{{cite web|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/80244/British-Invasion|title=British Invasion (music) - Britannica Online Encyclopedia|accessdate=January 18, 2011|author=Ira A. Robbins|date=|publisher=Britannica.com}}</ref><ref name="Perone2004">{{cite book|author=James E. Perone|title=Music of the Counterculture Era|url=https://books.google.com/books?id=6dw1soxFdm8C&pg=PA22|year=2004|publisher=Greenwood Publishing Group|isbn=978-0-313-32689-9|pages=22–}}</ref>。 ブリティッシュ・インヴェイジョンを象徴するバンドとしては、[[ビートルズ]]、[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]、[[キンクス]]、[[ローリング・ストーンズ]]、[[ハーマンズ・ハーミッツ]]、[[アニマルズ]]などが挙げられる<ref name="#1">Morrison, Craig. ''American Popular Music''. British Invasion (New York: Facts on File, 2006), pp. 32-4.</ref><ref name="Allmusickinks">{{cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/the-kinks-mn0000100160|title=The Kinks - Music Biography, Streaming Radio and Discography - AllMusic|accessdate=2018-09-08|author=Stephen Thomas Erlewine|work=AllMusic|publisher=}}</ref><ref>Perone, James E. ''Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion''. Westport, CT: Praeger,2009. Print.</ref>。 |
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|出典の明記=2013年9月 |
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|独自研究=2013年9月 |
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[[File:The Beatles in America.JPG|right|thumb|300px|ビートルズのアメリカ到着の様子]] |
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'''ブリティッシュ・インヴェイジョン'''('''British Invasion'''、イギリスの侵略)とは、1960年代半ばに[[イギリス]]の[[ロック (音楽)|ロック]]や[[ポップ・ミュージック]]をはじめとする英国文化が[[アメリカ合衆国]]を席巻し、[[大西洋]]の両岸で「[[カウンターカルチャー]]」が勃興した現象を指す言葉である<ref name="IraRobbins">{{cite web|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/80244/British-Invasion|title=British Invasion (music) - Britannica Online Encyclopedia|accessdate=January 18, 2011|author=Ira A. Robbins|date=|publisher=Britannica.com}}</ref><ref name="Perone2004">{{cite book|author=James E. Perone|title=Music of the Counterculture Era|url=https://books.google.com/books?id=6dw1soxFdm8C&pg=PA22|year=2004|publisher=Greenwood Publishing Group|isbn=978-0-313-32689-9|pages=22–}}</ref>。 ブリティッシュ・インヴェイジョンを象徴するバンドとしては、[[ビートルズ]]、[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]、[[キンクス]]、[[ローリング・ストーンズ]]、[[ハーマンズ・ハーミッツ]]、[[アニマルズ]]などがあげられる<ref>{{cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/the-dave-clark-five-mn0000785611/biography|title=The Dave Clark Five - Biography - AllMusic|accessdate=2018-09-08|last=Unterberger|first=Richie|work=AllMusic|publisher=}}</ref><ref name="Allmusickinks">{{cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/the-kinks-mn0000100160|title=The Kinks - Music Biography, Streaming Radio and Discography - AllMusic|accessdate=2018-09-08|author=Stephen Thomas Erlewine|work=AllMusic|publisher=}}</ref><ref>Perone, James E. ''Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion''. [[Westport, CT]]: Praeger,2009. Print.</ref>。 |
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== 背景 == |
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[[1950年代]]末、[[アメリカ合衆国]]の[[ロックンロール]]や[[ブルース]]ミュージシャンの反逆的な印象がイギリスの若者の間で人気を博した。同国においてアメリカのロックンロールを模倣しようとする試みは、当初商業的成功の例は殆ど無かったが、[[トラッド・ジャズ]]に触発され、[[DIY]]精神に満ちた[[スキッフル]]が大流行した<ref>M. Brocken, ''The British folk revival, 1944-2002'' (Aldershot: Ashgate, 2003), pp. 69-80.</ref>。 |
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バンドの多くは[[ロックンロール]]や[[R&B]]をはじめとするアメリカの[[黒人音楽]]に強い影響を受けており、初期の作品はその模倣が多い。職業作曲家やバックバンド、管弦のオーケストレーションによらない自作自演スタイルをとるのも特徴である。アメリカの白人アイドルにはない雰囲気を醸し出し、これが社会的に変革の時代に突入せんとするアメリカのティーンエイジャーの心をつかんだ。 |
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イギリスの各地域では、若者たちが結成したバンドがイギリスやアメリカの雑多な音楽性を組み合わせて楽曲を作るようになった。[[1962年]]に始まる[[マージービート]]や「ビートブーム」として知られる[[リヴァプール]]での動きはその一例であった<ref name=Britannica>{{cite web| author=Ira A. Robbins |url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/80244/British-Invasion |title=Encyclopædia Britannica Article |website=Britannica.com |date= |accessdate=January 18, 2011}}</ref><ref name="#1"/><ref>J. Gould, ''Can't Buy Me Love: The Beatles, Britain, and America'' (New York, Harmony Books, 2007), pp. 344-5.</ref><ref name="BeatlesArrive">{{Cite web|url=https://edition.cnn.com/2004/SHOWBIZ/Music/02/05/beatles.40/|title=CNN.com - When the Beatles hit America - Feb. 10, 2004|accessdate=2018-10-31|last=CNN|first=Todd Leopold|website=edition.cnn.com}}</ref>。 |
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=== いきさつ === |
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1960年代前半のアメリカはまだ白人と黒人の間に厚い壁があり、刺激的な黒人音楽を聴くのは一部の音楽好きだけで、大勢はロックンロールのブームが終息した後の白人アイドルによる甘く健全なポップスを聴いていた。ロックンロールや黒人音楽をかけないラジオ局もまだ多く、たとえ黒人アーティストが大ヒットを出しても黒人である以上決してメインストリームにはなれなかった時代である。 |
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アメリカ合衆国の[[ティーンエイジャー]]はフェイビアンのようなシングル志向のポップに飽きていたという指摘する論者もいる<ref name="Cogan">{{cite book|last=Cogan|first=Brian|editors=Abbe A. Debolt and James S. Baugess|title=Encyclopedia of the Sixties: A Decade of Culture and Counterculture|url=https://books.google.com/books?id=r4WFjKG6vmUC&pg=PA80&lpg=PA80&dq=%22james+bond%22+%22british+invasion%22+%22all+things+british%22&source=bl&ots=v6--6bYeRl&sig=1wW2mKTrme_jm1VmYSMlZcR0_Uc&hl=en&sa=X&ei=nREOUKWKDaLoigLI8LjOCQ&ved=0CFQQ6AEwAw#v=onepage&q=%22james%20bond%22%20%22british%20invasion%22%20%22all%20things%20british%22&f=false|date=December 12, 2011|accessdate=July 23, 2012|publisher=Greenwood Press|ISBN=9780313329449|pages=80–81}}</ref>。[[モッズ]]と[[ロッカーズ]]という二種類の若者の「ギャング」が[[1960年代]]半ばのイギリスで誕生し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの音楽に影響をあたえた。モッズ的美意識を有するバンドは非常に人気があったが、ビートルズのように両方の間でバランスをとっていたバンドも成功した<ref>{{cite book|last=Perone|first=James|title=Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion|year=2009|publisher=Praeger|location=Westport, Connecticut}}</ref>。 |
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白人が黒人音楽を模倣し、不良イメージで大成功を収めた元祖は[[エルヴィス・プレスリー]]だが、徴兵後[[1960年]]以降のエルヴィスは映画契約に拘束されコンサートツアーも行えず、レコーディングのほとんどを映画のサウンドトラック用の楽曲が占めるようになり、またエルヴィスと同時期に活躍したロックンロールのスターたちも事故死やスキャンダルで姿を消していたため、新しいスターの登場が待ち望まれていた。そこへ周到なプロモーション戦略のもと、[[1964年]]2月にビートルズがアメリカに上陸し、大成功を収める。これを機にイギリスのバンドが続々とアメリカに進出し、3年ほどに渡って全米のヒットチャートを席巻、そのブームは世界中に広まった。また彼らの音楽はビートルズの出身地にちなんで[[リバプールサウンド|マージービート]]、[[ブリティッシュビート]]とも呼ばれた。 |
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== 展開 == |
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=== ビートルマニア === |
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{{Main article|ビートルマニア}} |
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[[ファイル:Aankomst_Beatles_op_Schiphol,_overzicht_drukte_op_Schiphol,_Bestanddeelnr_916-5134.jpg|サムネイル|[[1964年]]に[[アムステルダム・スキポール空港]]でビートルズを迎えようと集まるファンやメディア]] |
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[[1963年]]10月、アメリカ合衆国で初めて、イングランドにおける[[ビートルズ]]に対する熱狂に関する記事が新聞で全国的に報道された<ref name="GreenbergBillboard">[https://www.billboard.com/music/music-news/how-the-beatles-went-viral-in-america-1964-5894018/?%2C0 "How the Beatles Went Viral: Blunders, Technology & Luck Broke the Fab Four in America,"] by Steve Greenberg, ''[[Billboard (magazine)|Billboard]]'' February 7, 2014</ref>。ビートルズが11月4日に[[エリザベス・ボーズ=ライアン|エリザベス王太后]]の前で『[[ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス]]』に出演し、音楽業界とメディアは一気にこのグループに注目するようになった<ref name="GreenbergBillboard" />。11月の間だけでも、アメリカでは主要な印刷媒体や2つのネットワークテレビ局の夕方の番組で、「[[ビートルマニア]]」として知られる現象に関する多数の報道が行われた<ref name="GreenbergBillboard" /><ref>{{cite web|url=http://www.newseum.org/news/2009/02/the-beatles-in-america--we-loved-them--yeah--yeah--yeah.html|title=The Beatles in America: We Loved Them, Yeah, Yeah, Yeah|accessdate=June 29, 2012|date=February 5, 2009|publisher=Newseum|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101126162611/http://newseum.org/news/2009/02/the-beatles-in-america--we-loved-them--yeah--yeah--yeah.html|archivedate=November 26, 2010|deadurl=yes|df=mdy-all}}</ref>。 |
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[[12月10日]]、[[CBSイブニングニュース]]のキャスターで、明るい出来事を探していた[[ウォルター・クロンカイト]]は、1963年[[11月22日]]の[[CBSモーニングニュース]]で[[マイク・ウォレス]]が放送したが、[[ジョン・F・ケネディ暗殺事件|ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件]]のため未公開となった内容を再放送した<ref name="GreenbergBillboard" /><ref name="Lewis">[https://www.huffpost.com/entry/tweet-the-beatles-how-wal_b_239202 Tweet the Beatles! How Walter Cronkite Sent The Beatles Viral ANDRE IVERSEN FOR THE WIN! by] Martin Lewis<span> based on information from "THE BEATLES ARE COMING! The Birth of Beatlemania in America" by Bruce Spitzer"</span> July 18, 2009.</ref>。[[メリーランド州]][[シルバースプリング (メリーランド州)|シルバースプリング]]に住む15歳のマーシャ・アルバートは、このリポートを見た翌日、WWDCのDJだったキャロル・ジェイムズに手紙を書き、「なんでアメリカにはこういう音楽がないのでしょうか?」とたずねた<ref name="Lewis" />。[[12月17日]]にジェイムズとアルバートは、ビートルズの「[[抱きしめたい (ビートルズの曲)|抱きしめたい]]<!-- 「WP:CARMEN」に基づく内部リンクの設定ですので、変更しないでください。 -->」を放送した<ref name="Lewis" />。放送後WWDCには問い合わせが殺到し、[[ワシントンD.C.]]のレコード店は取り扱いのないレコードの注文を大量に受けた<ref name="Lewis" />。またジェイムズがレコードを国中の他のDJに送ると、似たような反応が起こった<ref name="GreenbergBillboard" />。12月26日、[[キャピトル・レコード]]は予定より3週間早く「抱きしめたい」を発売した<ref name="Lewis" />。学校の休暇期間にレコードが発売されたことを契機に、ビートルマニアはアメリカ合衆国中に素早く広まった<ref name="Lewis" />。一方で[[12月29日]]には、『ボルティモア・サン』紙が多くの大人たちの冷淡な意見を反映し、ビートルズの「侵略」を否定的に評価する社説を出した<ref name="GreenbergBillboard" />。国内の中高年層を中心に批判が展開される中、翌年ビートルズの楽曲は30回もビルボードホット100に到達した<ref>{{cite book|last=Whitburn|first=Joel|title=Top Pop Singles 1955-2002|year=2003|publisher=Record Research, Inc|isbn=0-89820-155-1|pages=44, 45|location=Menomonee Falls, Wisconsin}}</ref>。 |
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[[ファイル:Beatles_with_Ed_Sullivan.jpg|左|サムネイル|1964年2月、[[エド・サリヴァン]]とビートルズ]] |
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[[1964年]][[1月3日]]、『ザ・ジャック・パー・プログラム』はBBCから提供されたビートルズの公演の映像を放送したが、結果的に3千万人もの視聴者を獲得した。ビートルズのプロデューサーである[[ジョージ・マーティン]]はこれにより子供たちの興味がかきたてられたと述べている<ref name="GreenbergBillboard" />。放送から約2週間後の1964年の1月中旬に発売された「抱きしめたい」が突如チャートに出現して以降、ビートルズは同国の主要な音楽チャート40種類のほぼ全てで1位に到達し、アメリカでの長期にわたる最初の成功を果たした(「抱きしめたい」は『キャッシュボックス』誌1964年[[1月25日]]号([[1月18日]]発売)で1位となった<ref name="Lewis" />。1964年2月1日には[[Billboard Hot 100]]で1位になった<ref>{{cite web|url=http://www.billboard.com/charts/1964-02-01/hot-100|title=1 February 1964 Hot 100|accessdate=February 16, 2012|publisher=Billboard}}</ref>)。1964年2月7日に[[CBSイブニングニュース]]は、その午後にアメリカ合衆国に到着したビートルズの映像を放送し、その中で特派員が「今回のブリティッシュ・インヴェイジョンはビートルマニアというコードネームで遂行です」と述べた<ref>''The Beatles: The First U.S. Visit'' documentary</ref>。2日後の[[2月9日]]の日曜日、ビートルズは『[[エド・サリヴァン・ショー]]』に出演した。ニールセンの視聴率調査では、アメリカ合衆国の視聴者の45%が同番組を視聴した<ref name="BeatlesArrive" />。 |
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マイケル・ロスによると、『エド・サリヴァン・ショー』は「暖炉の前でスリッパを履いてくつろぐような気楽な経験」とみなされており、1964年2月にテレビを鑑賞していた7300万人の視聴者のうち、ビートルズが今後及ぼしうる影響について理解できた者は多く無かった<ref>{{Cite news|title=1964: Brits invade U.S. — no one can escape!|date=2010-08-05|author=Michael Ross|url=https://www.today.com/popculture/1964-brits-invade-u-s-no-one-can-escape-wbna3833078|accessdate=2018-10-31|publication-date=2010-08-05|language=en-US|work=TODAY.com}}</ref>。 |
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ビートルズに寄せられた多くの反応のうち、社会現象に発展した「ビートルマニア」を肯定的に捉えたのはイギリスの[[ガール・グループ]]であるケアフリーズの"We Love You Beatles" (1964年4月11日に39位<ref>{{cite book|last=Whitburn|first=Joel|title=The Billboard Hot 100 Charts: The Sixties (11 April 1964)|year=1990|publisher=Record Research, Inc.|isbn=0-89820-074-1|location=Menomonee Falls, Wisconsin}}</ref>)や、"A Love Song to the Beatles"という副題がついているパティ・ケイクスの"I Understand Them"などがある<ref>{{cite web|url=http://www.classic45s.com/product_info.php?products_id=14815&cPath=21_24_34&PHPSESSID=8b6456d7561fa8952ee833bc98272e60|title=I Understand Them (A Love Song To The Beatles)|accessdate=2014-05-25|publisher=Classic 45's}}</ref>。大混乱に不満の意を示したのはアメリカのグループである[[フォー・プレップス]]の"A Letter to the Beatles" (1964年4月4日に85位<ref>{{cite book|last=Whitburn|first=Joel|title=The Billboard Hot 100 Charts: The Sixties (4 April 1964)|year=1990|publisher=Record Research, Inc.|isbn=0-89820-074-1|location=Menomonee Falls, Wisconsin}}</ref>)や、アメリカのコメディアンであるアラン・シャーマンの"Pop Hates the Beatles"などがある<ref>{{cite web|url=http://archer2000.tripod.com/beatles/000tracklists.html|title=The Beatles Invade America - A chronicle of the Beatles' first visit to the U.S. in February 1964|accessdate=2014-05-25|date=2007-02-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140527212304/http://archer2000.tripod.com/beatles/000tracklists.html|archivedate=May 27, 2014|deadurl=yes|df=mdy-all}}</ref>。 |
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[[4月4日]]にビートルズは[[Billboard Hot 100|''Billboard'' Hot 100]]シングルチャートの上位5位を独占したが<ref name="BeatlesArrive" /><ref name="BBCharts">{{cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/1946331.stm|title=UK acts disappear from US charts BBC April 23, 2002|accessdate=January 18, 2011|date=April 23, 2002|publisher=BBC News}}</ref>、その後同チャートで上位5位を独占したアーティストは、音楽販売が配信主体になった57年後の2021年の[[ドレイク (ラッパー)|ドレイク]]まで現れなかった<ref>https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/103941/2</ref>。ビートルズは『キャッシュボックス』のシングルチャートでも同週に上位5位を独占したが、1位と2位はホット100とは逆であった<ref>{{cite web|url=http://hitsofalldecades.com/chart_hits/index.php?option=com_content&task=view&id=1451&Itemid=52|title=Cash Box Magazine's (USA) Weekly Single Charts for 1964|accessdate=2017-11-30|date=1964-04-04}}</ref>。グループのチャートにおける圧倒的な成功は[[1970年]]に解散するまで続いた<ref name="BeatlesArrive" />。 |
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=== ビートルズを越えて === |
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ビートルズが初めてホット100に到達した1週間後、スプリングフィールズを経てソロ活動を開始した[[ダスティ・スプリングフィールド]]がホット100に到達次のイギリスのミュージシャンとして登場し、「[[二人だけのデート]]」で12位を記録した<ref>{{cite journal|last1=Gaar|first1=Gillian G.|date=April 2011|title=Women of The British Invasion|journal=Goldmine|pages=22, 24, 26–28}}</ref>。スプリングフィールドはすぐに他にもヒットを数曲出し、[[AllMusic]]によると「当時最良の[[ブルー・アイド・ソウル]]歌手<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/dusty-springfield-mn0000159214/biography|title=Dusty Springfield {{!}} Biography & History {{!}} AllMusic|accessdate=2018-10-31|website=AllMusic}}</ref>」となった。1965年になる頃にはブリティッシュ・インヴェイジョンの新たな波が押し寄せる。[[ホリーズ]]や[[ゾンビーズ]]のようなポップ・ロックで活動するバンドがいた一方、より野心的で[[ブルース]]志向のアプローチをとるバンドが出現したのである<ref name="allmusic">{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/style/british-invasion-ma0000002484|title=British Invasion Music Genre Overview {{!}} AllMusic|accessdate=2018-10-31|website=AllMusic}}</ref>{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 38, track 2}}{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 49, track 2}}<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/artist/the-zombies-mn0000582313/biography|title=The Zombies {{!}} Biography & History {{!}} AllMusic|accessdate=2018-10-31|website=AllMusic}}</ref>。1965年5月8日、ホット100の上位10位は、2位についたアメリカのバンド、[[ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズ]]の「カウント・ミー・イン」以外、すべてイギリスの楽曲によって占められた<ref>{{cite web|url=http://www.billboard.com/charts/1965-05-08/hot-100|title=8 May 1965 Hot 100|accessdate=April 10, 2012|publisher=Billboard.com}}</ref>。その前の週の『キャッシュボックス』シングルチャートのトップ10についても、6位が"Count Me In"だった以外、ほぼイギリスのミュージシャンが独占した<ref>{{cite web|url=http://hitsofalldecades.com/chart_hits/index.php?option=com_content&task=view&id=1453&Itemid=52|title=Cash Box Magazine's (USA) Weekly Singles Charts for 1965|accessdate=2017-11-30|date=1965-05-01}}</ref>。同年の[[Billboard Hot 100|''Billboard'' Hot 100]]チャートで1位になった26曲のうちの半分は(1964年から持ち越されたビートルズの「[[アイ・フィール・ファイン]]」も含めて)イギリスのミュージシャンであった。イギリスのアーティストが持ち込んだトレンドは1966年以降まで続くことになった<ref>Perone, James E. "Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion." Westport, CT. Praeger, 2009. Print.</ref>。一方でブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちは、本国の音楽チャートも独占していた<ref name="allmusic" />。 |
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ビートルズに代表されるブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちの音楽性は、アメリカ合衆国の初期の[[ロックンロール]]に影響されていたが、このジャンルはインヴェイジョンの頃までに本国での人気を失っていた。しかしながら、後に続いたイギリスの白人ミュージシャンのうち、とりわけ[[ローリング・ストーンズ]]や[[アニマルズ]]のような数少ないグループはブルース、リズム・アンド・ブルースなど黒人文化に起源を持つ音楽を再生させ、こうした楽曲を少なくとも若者に知らしめただけでなく、より「アウトサイダー」的な集団に希求するようになった<ref>Cooper, Laura E., and B. Lee, "The Pendulum of Cultural Imperialism: Popular Music Interchanges Between the United States and Britain", ''Journal of Popular Culture, Jan. 1993''</ref>。こうした音楽は、1950年代に[[アフリカ系アメリカ人]]のアーティストが演奏していた時には無視されたり拒否されていたものであった<ref name="ReferenceA">Cooper, L. and B., ''Journal of Popular Culture, 93''</ref>。こうしたバンドはアメリカの中高年層から、反逆的で不健全だと見なされた。一方ローリング・ストーンズはブリティッシュ・インヴェイジョンにおいて、ビートルズに次いで最も重要なバンドとなり<ref>Petersen, Jennifer B. "British Bands Invade the United States" 2009. Article.</ref>、ホット100の1位に8回到達している<ref>{{cite book|last=Whitburn|first=Joel|title=Top Pop Singles 1955-2002|year=2003|publisher=Record Research, Inc|isbn=0-89820-155-1|pages=602, 603|location=Menomonee Falls, Wisconsin}}</ref>。時としてこうしたバンドの音楽性への理解不足から、アニマルズの[[エリック・バードン]]はアメリカ合衆国で衣装や発言などを制限されて居心地が悪かったと述べている<ref name="Remembering The "British Invasion" - CNN">{{cite web|url=https://www.youtube.com/watch?v=yrlKKVsMnd8|title=Remembering the "British Invasion"|accessdate=28 April 2016|website=Remembering the "British Invasion" - YouTube|publisher=CNN}}</ref>。 |
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ブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストのうち、[[スウィンギング・ロンドン]]の時代の[[モッズ]]と関わりのあるものは時として「フリークビート」と呼ばれることもあった。とりわけアメリカの[[ガレージロック]]に相当するイギリスのブルースバンドはそう呼ばれた<ref>[{{Allmusic |class=explore |id=style/d11036 |pure_url=yes}} "Freakbeat"], ''Allmusic'', retrieved 30 June 2011.</ref><ref name="Nicholson (Freakbeat and Garage)">{{cite web|url=http://www.ministryofrock.co.uk/freakbeat.html|title=Freakbeat, The Garage Rock Era|accessdate=July 16, 2015|date=September 25, 2012|website=Ministry of Rock|publisher=MinistryofRock|last1=Nicholson|first1=Chris}}</ref>。プリティ・シングスやクリエイションのようなバンドはイギリスのチャートである程度成功し、ジャンルの典型と言われる<ref name="The Great Rock Discography">{{cite book|last=Strong|first=Martin C.|title=The Great Rock Discography|edition=5th|year=2000|publisher=Mojo Books|isbn=1-84195-017-3|pages=769–770|location=Edinburgh}}</ref><ref name="ALLMUSIC">{{Cite web|url=http://www.allmusic.com/artist/p19959|title=The Pretty Things {{!}} Biography, Albums, Streaming Links {{!}} AllMusic|accessdate=2018-10-31|website=AllMusic}}</ref><ref name="British Hit Singles & Albums">{{cite book|last=Roberts|first=David|title=British Hit Singles & Albums|edition=19th|year=2006|publisher=Guinness World Records Limited|isbn=1-904994-10-5|page=192|location=London}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.allmusic.com/style/freakbeat-ma0000012342|title=Freakbeat - Significant Albums, Artists and Songs - AllMusic|accessdate=2018-10-31|work=AllMusic|publisher=}}</ref>。一般的には、比較的均質な世界規模で展開する「ロック」という音楽が現れた1967年頃が、インヴェイジョンの終焉と言われる<ref name="Britannica" />。 |
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== アメリカ音楽への影響 == |
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[[シラキュース大学]]のポピュラーテレヴィジョンセンター所長であるロバート・J・トンプソンによると、ブリティッシュ・インヴェイジョンにより[[カウンターカルチャー]]が主流になった<ref name=":0">{{Cite news|title=1964: Brits invade U.S. — no one can escape!|date=2010-08-05|author=Michael E. Ross|url=https://www.today.com/popculture/1964-brits-invade-u-s-no-one-can-escape-wbna3833078|accessdate=2018-11-20|publication-date=2010-08-05|language=en-US|work=TODAY.com}}</ref>。 |
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ブリティッシュ・インヴェイジョンはポピュラー音楽に非常に強い影響を及ぼし、ロックンロールの制作を国際化し、イギリスのポピュラー音楽は創造性に満ち、商業的にも見込みのある音楽産業の中心地としての立場を確立した<ref>J. M. Curtis, ''Rock eras: interpretations of music and society, 1954-1984'' (Popular Press, 1987), p. 134.</ref>。その後に登場するイギリスのパフォーマーが国際的に成功する足がかりにもなった<ref name="allmusic" />。アメリカでは、ブリティッシュ・インヴェイジョンは恐らくは[[インストゥルメンタル]]の[[サーフィン|サーフ]]ミュージック、[[モータウン]]以前の[[ガールグループ]]、[[フォークソング|フォーク]]リバイバル(のちに[[フォークロック]]へと変化した)の流行を終わらせ、1950年代末から60年代にかけてアメリカのチャートを支配していたティーンアイドルも一時的に押さえ込んだ<ref>{{cite web|url=http://www.nostalgiacentral.com/music/surfmusic.htm|title=Surf Music|accessdate=March 11, 2013|publisher=Nostalgia Central|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071021040218/http://nostalgiacentral.com/music/surfmusic.htm|archivedate=October 21, 2007|deadurl=yes|df=mdy-all}}</ref><ref name="reconsidering">K. Keightley, "Reconsidering Rock," in S. Frith, W. Straw and J. Street, eds., ''The Cambridge Companion to Pop and Rock'' (Cambridge: Cambridge University Press, 2001), p. 117.</ref>。 |
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このため、既に名声を確立していた[[チャビー・チェッカー]]などの[[R&B]]ミュージシャンのキャリアに翳りが見えはじめ、[[リッキー・ネルソン]]、[[ファッツ・ドミノ]]、[[エヴァリー・ブラザース]]、[[エルヴィス・プレスリー]](それでも1964年から1967年までの間に30曲をホット100に送り込んでいる)など、予てより活動してきたロックンロールのミュージシャンが一時的にチャートから閉め出された<ref>{{cite web|url=http://www.springfieldnewssun.com/news/entertainment/music/ricky-nelsons-sons-revive-his-legacy-with-remember/nNpML/|title=Ricky Nelson's sons revive his legacy with 'Remembered' tour|accessdate=2014-06-01|last=McGinn|first=Andrew|date=2011-06-23|publisher=The Springfield News-Sun}}</ref><ref>F. W. Hoffmann, ''Encyclopedia of Recorded Sound, Volume 1'' (CRC Press, 2nd ed., 2004), p. 132.</ref>。活動していた[[ガレージロック]]のバンドはブリティッシュ・インヴェイジョンの曲調を取り入れるようになる。またこの時期より、次世代に主要な役割を果たすことになるアメリカのバンドがたくさん生まれるようになった<ref>{{Cite web|url=https://www.allmusic.com/explore/style/d411|title=Garage Rock Music Genre Overview {{!}} AllMusic|accessdate=2018-11-20|website=AllMusic}}</ref>。ブリティッシュ・インヴェイジョンはロックというはっきりとしたジャンルの勃興に大きな役割を果たし、ギターとドラムを基本に[[シンガーソングライター]]が自作曲を制作するという形のロックバンドが中心となる音楽的潮流を作った<ref>R. Shuker, ''Popular Music: The Key Concepts''. (Routledge, 2nd ed., 2005), p. 35.</ref>。ブリティッシュ・インヴェイジョンと結びつけられるミュージシャンの多くはトレンドが終わるまで生き延びることがなかったが、一方でロックのアイコンとなったミュージシャンもたくさんいる<ref name="allmusic" />。 |
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== その他の文化的影響 == |
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音楽以外でも、この時期にはアメリカにおいてイギリス文化がさまざまな点で人気を博し、アメリカ合衆国のメディアはイギリスを音楽とファッションの中心地だと称するようになった。 |
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=== 映画・テレビ === |
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映画『[[ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!]] 』により、ビートルズは映画進出を果たした<ref name="Britannica" />。イングランド人の女優[[ジュリー・アンドルーズ]]がタイトルロールをつとめる『[[メリー・ポピンズ]]』は1964年8月27日に公開され、史上もっとも[[アカデミー賞]]にたくさんノミネートされ、さらに賞も獲得した[[ディズニー映画]]となった。イギリス人の女優[[オードリー・ヘプバーン]]が[[コックニー]]を話す花売り娘イライザ・ドゥーリトルを演じた『[[マイ・フェア・レディ (映画)|マイ・フェア・レディ]]』は1964年12月25日に公開され、アカデミー賞8部門を獲得した<ref>{{cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1965|title=The 37th Academy Awards (1965) Nominees and Winners|accessdate=July 27, 2012|work=oscars.org}}</ref>。 |
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1962年に[[ショーン・コネリー]]を[[ジェームズ・ボンド]]役に迎えて始まった[[007シリーズ]]のほか、「[[怒れる若者たち]]」の感性を生かした『[[何かいいことないか子猫チャン]]』や『[[アルフィー (1966年の映画)|アルフィー]]』のような映画がロンドンの映画館を席巻した。[[ピーター・オトゥール]]や[[マイケル・ケイン]]のようなイギリスの新しい役者たちがアメリカ合衆国の観客を惹きつけるようになった<ref name="Cogan" />。60年代の[[アカデミー作品賞]]受賞作のうち4本がイギリスで製作された映画であり、オトゥールがイギリスの軍人[[T・E・ロレンス]]を演じた『[[アラビアのロレンス]]』は1963年に7部門でアカデミー賞を受賞した<ref>{{cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1963|title=The 35th Academy Awards (1963) Nominees and Winners|accessdate=July 27, 2012|work=oscars.org}}</ref>。1968年に[[フランコ・ゼフィレッリ]]監督が若いイギリス人キャストを起用して[[シェイクスピア]]劇を映画化した『[[ロミオとジュリエット (1968年の映画)|ロミオとジュリエット]]』のヒットなどもこうした動きの中に位置づけられる<ref>{{Cite book|title=Shakespeare in the movies : from the silent era to Shakespeare in love|url=https://www.worldcat.org/oclc/65192610|publisher=Oxford University Press|date=2000|location=Oxford|isbn=9780199728022|oclc=65192610|first=|author=Brode, Douglas|year=|accessdate=|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|page=51}}</ref>。 |
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''Danger Man'' (アメリカ放送時には''Secret Agent''と改題された)や『[[おしゃれ(秘)探偵]]』のようなイギリスのテレビシリーズがアメリカでも放送され、『[[0011ナポレオン・ソロ]]』、パロディシリーズである『[[それ行けスマート]]』のようなアメリカ産のスパイものテレビ番組が生みだされるようになった。1966年までには、イギリスとアメリカで作られたスパイもののテレビシリーズが[[西部劇]]や地方を舞台にした[[シチュエーション・コメディ|シットコム]]と並んでアメリカの視聴者に好まれるようになった<ref name="TLS">{{cite news|title=Fourth TV Network Looming on Horizon|newspaper=Lowell Sun|date=July 24, 1966|author=William E. Sarmento|publication-date=|page=20}}</ref>。アメリカ特有の音楽を扱う''Sing Along with Mitch''や''Hootenanny''のようなテレビ番組はキャンセルされ、''Shindig!''や''Hullabaloo''のようなイギリスの新しいヒット曲を流すのにより適した形の番組にはやばやととってかわられ、こうした新しい番組の一部はイングランドで撮影された<ref>"Two Paths of Folk Music," ''Hootenanny'', Vol. 1 No. 3, May 1964</ref><ref>James E. Perone (2009). ''Mods, Rockers, and the Music of the British Invasion''. p. 76. ABC-CLIO,</ref>。 |
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=== ファッション === |
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ビートルズはアメリカの初期[[ロックンロール]]のバンドに比べて、ファッションやイメージの点で非常に異なっていた。特徴的な揃いのスーツに包まれたビートルズは、音楽的に初期ロックンロールの慣習を破るのみならず、ファッションの点でも「伝統的なアメリカ男性の衣服のスタイルを刺激する」ようになった<ref name="ReferenceA" />。[[マリー・クヮント]]のような[[スウィンギング・ロンドン]]のデザイナーが作り、[[ツイッギー]]や[[ジーン・シュリンプトン]]のような先駆的[[スーパーモデル]]たちが着用した[[ミニスカート]]をはじめとする[[モッズ]]風のファッションが世界的に人気を博すようになった<ref>Fowler, David (2008) ''Youth Culture in Modern Britain, c.1920-c.1970: From Ivory Tower to Global Movement - A New History'' p. 134. Palgrave Macmillan, 2008</ref><ref>{{cite web|url=http://www.highbeam.com/doc/1G1-116426956.html|title=Small is still beautiful|accessdate=2018-11-20|author=Burgess, Anya|date=May 10, 2004|work=Daily Post|publisher=}}</ref><ref name="paid">{{cite journal|date=February 8, 1967|title=The Girl Behind The World's Most Beautiful Face|url=https://news.google.com/newspapers?id=6wssAAAAIBAJ&sjid=3cYEAAAAIBAJ&pg=3967,1120155&dq|work=Family Weekly}}</ref><ref>{{cite journal|author=Cloud, Barbara|date=June 11, 1967|title=Most Photographed Model Reticent About Her Role|url=https://news.google.com/newspapers?id=REsqAAAAIBAJ&sjid=pE8EAAAAIBAJ&pg=7034,4428159&dq|work=The Pittsburg Press}}</ref><ref>{{cite journal|date=May 30, 1977|title=Jean Shrimpton, the Famed Face of the '60s, Sits Before Her Svengali's Camera One More Time|url=http://www.people.com/people/archive/article/0,,20067955,00.html|volume=07|number=21}}</ref>。こうしたイングランド女性のファッションはアメリカでも注目された<ref name="seebohm19710719">{{cite news|title=English Girls in New York: They Don't Go Home Again|date=1971-07-19|author=Seebohm, Caroline|url=https://books.google.com/books?id=A-MCAAAAMBAJ&lpg=PA34&pg=PA34#v=onepage&q&f=true|accessdate=6 January 2015|pages=34|work=New York}}</ref>。 |
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ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドの中には、すっきりしたスタイルからもっと[[ヒッピー]]風なファッションへと変化したバンドもおり、アメリカのファッションに影響を及ぼした<ref name=":0" />。 |
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== 第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン・アーティストの一覧 == |
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1960年代の特定の時期(64-66)に、[[イギリス]]から[[アメリカ合衆国]]に進出して活躍した歌手やバンドの一覧である。 |
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* 英語版に倣ってアルファベット順である。 |
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{| class="sortable wikitable" style="font-size:85%; margin:10px 0px;" |
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!名前<br /> |
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!英語表記 |
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! class="unsortable" |作品/備考/補足 |
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|[[アニマルズ]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 29, track 4; show 49, track 1}}<ref name="MusicHound">{{cite book|last1=Graff|first1=Gary|title=MusicHound Rock: The Essential Album Guide|year=1999|publisher=Visible Ink Press|isbn=1-57859-061-2|location=Farmington Hills, MI|last2=Durchholz|first2=Daniel (eds)|pp=1432–33}}</ref> |
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|[[:en:The Animals|The Animals]] |
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|[[アニマルズの作品]]([[:en:The Animals discography|The Animals discography]]) |
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|- |
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|[[ビートルズ]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=shows 27-28}}<ref name="RS Encyclopedia |
|||
">{{cite book|last1=Romanowski|first1=Patricia|title=The New Rolling Stone Encyclopedia of Rock & Roll|year=1995|publisher=Fireside/Rolling Stone Press|isbn=0-684-81044-1|location=New York, NY|last2=George-Warren|first2=Holly (eds)|p=117}}</ref> |
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|[[:en:The Beatles|The Beatles]] |
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|[[ビートルズの作品]]([[:en:The Beatles discography|The Beatles discography]]) |
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|[[シラ・ブラック]] |
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|[[:en:Cilla Black|Cilla Black]] |
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|[[シラ・ブラックの作品]]([[:en:Cilla Black discography|Cilla Black discography]]) |
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|[[ハインツ・バート]] |
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|[[:en:Heinz (singer)|Heinz (singer)]] |
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|[[チャド&ジェレミー]] |
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|[[:en:Chad & Jeremy|Chad & Jeremy]] |
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|[[デイヴ・クラーク・ファイヴ]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 29, track 2}}<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Dave Clark Five|The Dave Clark Five]] |
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|[[デイヴ・クラーク・ファイヴの作品]]([[:en:The Dave Clark Five discography|The Dave Clark Five discography]]) |
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|[[ペトゥラ・クラーク]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 29, track 2}} |
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|[[:en:Petula Clark|Petula Clark]] |
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|[[ペトゥラ・クラークの作品]]([[:en:Petula Clark discography|Petula Clark discography]]) |
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|[[スペンサー・デイヴィス・グループ]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Spencer Davis Group|The Spencer Davis Group]] |
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|[[スペンサー・デイヴィス・グループの作品]]([[:en:The Spencer Davis Group discography|The Spencer Davis Group discography]]) |
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|[[ドノヴァン]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 48}} |
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|[[:en:Donovan|Donovan]] |
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|[[ドノヴァンの作品]]([[:en:Donovan discography|Donovan discography]]) |
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|[[マリアンヌ・フェイスフル]] |
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|[[:en:Marianne Faithful|Marianne Faithful]] |
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|[[マリアンヌ・フェイスフルの作品]]([[:en:Marianne Faithfull discography|Marianne Faithfull discography]]) |
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|[[ジョージィ・フェイム]]<ref>[http://www.allmusic.com/artist/georgie-fame-p4229/biography Geogie Fame Allmusic bio]</ref> |
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|[[:en:Georgie Fame|Georgie Fame]] |
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|[[ウェイン・フォンタナ&ザ・マインドベンダーズ]]<ref name="MusicHound" /><ref name="RS Encyclopedia">{{cite book|last1=Romanowski|first1=Patricia|title=The New Rolling Stone Encyclopedia of Rock & Roll|year=1995|publisher=Fireside/Rolling Stone Press|isbn=0-684-81044-1|location=New York, NY|last2=George-Warren|first2=Holly (eds)|p=117}}</ref> |
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|[[:en:Wayne Fontana and the Mindbenders|Wayne Fontana and the Mindbenders]] |
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|[[ザ・フォーチュンズ]] |
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|[[:en:The Fortunes|The Fortunes]] |
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|[[ザ・フォーモスト]]<ref>{{Cite journal|title=The Fourmost|url=https://www.discogs.com/artist/379638-The-Fourmost|journal=Discogs|language=en}}</ref> |
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|[[:en:The Fourmost|The Fourmost]] |
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|[[フレディ&ザ・ドリーマーズ]]<ref>[http://www.allmusic.com/artist/freddie-the-dreamers-mn0000177558 Freddie and The Dreamers Allmusic bio]</ref><ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:Freddie and the Dreamers|Freddie and the Dreamers]] |
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|[[ジェリー&ザ・ペースメイカーズ]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 29, track 2}}<ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:Gerry & The Pacemakers|Gerry & The Pacemakers]] |
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|[[ハーマンズ・ハーミッツ]]<ref name="MusicHound" /><ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:Herman's Hermits|Herman's Hermits]] |
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|[[ハーマンズ・ハーミッツの作品]]([[:en:Herman's Hermits discography|Herman's Hermits discography]]) |
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|[[ホリーズ]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Hollies|The Hollies]] |
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|[[ホリーズの作品]]([[:en:The Hollies discography|The Hollies discography]]) |
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|[[ハニーカムズ]] |
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|[[:en:The Honeycombs|The Honeycombs]] |
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|[[ジョナサン・キング]]<ref>[http://www.allmusic.com/artist/jonathan-king-p94019/biography Jonathan King Allmusic bio] "With a "Ferry Cross the Mersey" type beat and string section"</ref> |
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|[[:en:Jonathan King|Jonathan King]] |
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|[[キンクス]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 29, track 5, show 38, track 1}}<ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:The Kinks|The Kinks]] |
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|[[キンクスの作品]]([[:en:The Kinks discography|The Kinks discography]]) |
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|[[ビリー・J・クレイマー]]<ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:Billy J. Kramer|Billy J. Kramer]] |
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|[[ルル (歌手)|ルル]] |
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|[[:en:Lulu (singer)|Lulu]] |
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|[[ルルの作品]]([[:en:Lulu discography|Lulu discography]]) |
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|[[マンフレッド・マン (バンド)|マンフレッド・マン]]<ref name="MusicHound" /><ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:Manfred Mann|Manfred Mann]] |
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|[[マンフレッド・マンの作品]]([[:en:Manfred Mann discography|Manfred Mann discography]]) |
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|[[ムーディー・ブルース]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 49, track 5}}<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Moody Blues|The Moody Blues]] |
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|[[ムーディー・ブルースの作品]]([[:en:The Moody Blues discography|The Moody Blues discography]]) |
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|[[ザ・ナッシュビィル・ティーンズ]] |
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|[[:en:The Nashville Teens|The Nashville Teens]] |
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|[[ニュー・ヴォードヴィル・バンド]] |
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|[[:en:The New Vaudeville Band|The New Vaudeville Band]] |
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|[[ピーター&ゴードン]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:Peter and Gordon|Peter and Gordon]] |
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|[[プリティ・シングス]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Pretty Things|The Pretty Things]] |
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|[[ローリング・ストーンズ]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 30}}<ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:The Rolling Stones|The Rolling Stones]] |
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|[[ローリング・ストーンズの作品]]([[:en:The Rolling Stones discography|The Rolling Stones discography]]) |
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|[[ザ・サーチャーズ]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Searchers (band)|The Searchers]] |
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|[[ザ・サーチャーズの作品]]([[:en:The Searchers discography|The Searchers discography]]) |
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|[[サンディー・ショウ]] |
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|[[:en:Sandie Shaw|Sandie Shaw]] |
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|[[スモール・フェイセス]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:Small Faces|Small Faces]] |
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|[[スモール・フェイセスの作品]]([[:en:Small Faces discography|Small Faces discography]]) |
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|[[ダスティ・スプリングフィールド]] |
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|[[:en:Dusty Springfield|Dusty Springfield]] |
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|[[ダスティ・スプリングフィールドの作品]]([[:en:Dusty Springfield discography|Dusty Springfield discography]]) |
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|[[スウィンギング・ブルー・ジーンズ]] |
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|[[:en:The Swinging Blue Jeans|The Swinging Blue Jeans]] |
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|[[ゼム]]<ref>[http://www.allmusic.com/artist/them-mn0000925181 Them Allmusic bio]</ref><ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:Them (band)|Them]] |
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|[[トレメロウズ]] |
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|[[:en:The Tremeloes|The Tremeloes]] |
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|[[ザ・トロッグス]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Troggs|The Troggs]] |
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|[[トルネイドース]] |
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|[[:en:The Tornados|The Tornados]] |
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|[[イアン・ウィットコム]] |
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|[[:en:Ian Whitcomb|Ian Whitcomb]] |
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|[[ザ・フー]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 49, track 2}}<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Who|The Who]] |
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|[[ザ・フーの作品]]([[:en:The Who discography|The Who discography]]) |
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|[[ヤードバーズ]]{{sfn|Gilliland|1969|loc=show 29, track 5; show 38, track 2}}<ref name="RS Encyclopedia" /> |
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|[[:en:The Yardbirds|The Yardbirds]] |
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|[[ヤードバーズの作品]]([[:en:The Yardbirds discography|The Yardbirds discography]]) |
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|[[ゾンビーズ]]<ref name="MusicHound" /> |
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|[[:en:The Zombies|The Zombies]] |
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|} |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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<!--=== 注釈 === |
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<references group="注釈"/>--> |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|30em}} |
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== 参考文献 == |
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* {{Gilliland|show=27|title=The British Are Coming! The British Are Coming!: The U.S.A. is invaded by a wave of long-haired English rockers}} |
|||
* Harry, Bill ''The British Invasion: How the Beatles and Other UK Bands Conquered America'' Chrome Dreams 2004 {{ISBN2|978-1-84240-247-4}} |
|||
* Miles, Barry ''The British Invasion: The Music, the Times, the Era'' Sterling Publishing 2009 {{ISBN2|978-1-4027-6976-4}} |
|||
* [http://www.vanityfair.com/culture/features/2002/11/british-invasion-oral-history "The British Invasion"] 2002 – Oral History by Vanity Fair |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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*[[第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン・アーティストの一覧|ブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストの一覧]] |
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*[[第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン]] - 1980年代にイギリスのバンドがアメリカで人気を博した現象 |
*[[第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン]] - 1980年代にイギリスのバンドがアメリカで人気を博した現象 |
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*[[ブリットポップ]] - 1990年代にイギリスで発生したポピュラー音楽の動きで、ブリティッシュ・インヴェイジョンや[[マッドチェスター]]から影響を受けて発達した |
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{{ロック・ミュージック}} |
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{{DEFAULTSORT:ふりていつしゆ いんうえいしよん}} |
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{{ポップ・ミュージック}} |
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{{DEFAULTSORT:ふりていつしゆ いんうえいしよん}} |
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[[Category:ポピュラー音楽]] |
[[Category:ポピュラー音楽]] |
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[[Category:イギリスの音楽史]] |
[[Category:イギリスの音楽史]] |
2024年8月26日 (月) 09:50時点における最新版
ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion、イギリスの侵略)とは、1960年代半ばにイギリスのロックやポップ・ミュージックをはじめとする英国文化がアメリカ合衆国を席巻し、大西洋の両岸で「カウンターカルチャー」が勃興した現象を指す言葉である[1][2]。 ブリティッシュ・インヴェイジョンを象徴するバンドとしては、ビートルズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ、キンクス、ローリング・ストーンズ、ハーマンズ・ハーミッツ、アニマルズなどが挙げられる[3][4][5]。
背景
[編集]1950年代末、アメリカ合衆国のロックンロールやブルースミュージシャンの反逆的な印象がイギリスの若者の間で人気を博した。同国においてアメリカのロックンロールを模倣しようとする試みは、当初商業的成功の例は殆ど無かったが、トラッド・ジャズに触発され、DIY精神に満ちたスキッフルが大流行した[6]。
イギリスの各地域では、若者たちが結成したバンドがイギリスやアメリカの雑多な音楽性を組み合わせて楽曲を作るようになった。1962年に始まるマージービートや「ビートブーム」として知られるリヴァプールでの動きはその一例であった[7][3][8][9]。
アメリカ合衆国のティーンエイジャーはフェイビアンのようなシングル志向のポップに飽きていたという指摘する論者もいる[10]。モッズとロッカーズという二種類の若者の「ギャング」が1960年代半ばのイギリスで誕生し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの音楽に影響をあたえた。モッズ的美意識を有するバンドは非常に人気があったが、ビートルズのように両方の間でバランスをとっていたバンドも成功した[11]。
展開
[編集]ビートルマニア
[編集]1963年10月、アメリカ合衆国で初めて、イングランドにおけるビートルズに対する熱狂に関する記事が新聞で全国的に報道された[12]。ビートルズが11月4日にエリザベス王太后の前で『ロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス』に出演し、音楽業界とメディアは一気にこのグループに注目するようになった[12]。11月の間だけでも、アメリカでは主要な印刷媒体や2つのネットワークテレビ局の夕方の番組で、「ビートルマニア」として知られる現象に関する多数の報道が行われた[12][13]。
12月10日、CBSイブニングニュースのキャスターで、明るい出来事を探していたウォルター・クロンカイトは、1963年11月22日のCBSモーニングニュースでマイク・ウォレスが放送したが、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件のため未公開となった内容を再放送した[12][14]。メリーランド州シルバースプリングに住む15歳のマーシャ・アルバートは、このリポートを見た翌日、WWDCのDJだったキャロル・ジェイムズに手紙を書き、「なんでアメリカにはこういう音楽がないのでしょうか?」とたずねた[14]。12月17日にジェイムズとアルバートは、ビートルズの「抱きしめたい」を放送した[14]。放送後WWDCには問い合わせが殺到し、ワシントンD.C.のレコード店は取り扱いのないレコードの注文を大量に受けた[14]。またジェイムズがレコードを国中の他のDJに送ると、似たような反応が起こった[12]。12月26日、キャピトル・レコードは予定より3週間早く「抱きしめたい」を発売した[14]。学校の休暇期間にレコードが発売されたことを契機に、ビートルマニアはアメリカ合衆国中に素早く広まった[14]。一方で12月29日には、『ボルティモア・サン』紙が多くの大人たちの冷淡な意見を反映し、ビートルズの「侵略」を否定的に評価する社説を出した[12]。国内の中高年層を中心に批判が展開される中、翌年ビートルズの楽曲は30回もビルボードホット100に到達した[15]。
1964年1月3日、『ザ・ジャック・パー・プログラム』はBBCから提供されたビートルズの公演の映像を放送したが、結果的に3千万人もの視聴者を獲得した。ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンはこれにより子供たちの興味がかきたてられたと述べている[12]。放送から約2週間後の1964年の1月中旬に発売された「抱きしめたい」が突如チャートに出現して以降、ビートルズは同国の主要な音楽チャート40種類のほぼ全てで1位に到達し、アメリカでの長期にわたる最初の成功を果たした(「抱きしめたい」は『キャッシュボックス』誌1964年1月25日号(1月18日発売)で1位となった[14]。1964年2月1日にはBillboard Hot 100で1位になった[16])。1964年2月7日にCBSイブニングニュースは、その午後にアメリカ合衆国に到着したビートルズの映像を放送し、その中で特派員が「今回のブリティッシュ・インヴェイジョンはビートルマニアというコードネームで遂行です」と述べた[17]。2日後の2月9日の日曜日、ビートルズは『エド・サリヴァン・ショー』に出演した。ニールセンの視聴率調査では、アメリカ合衆国の視聴者の45%が同番組を視聴した[9]。
マイケル・ロスによると、『エド・サリヴァン・ショー』は「暖炉の前でスリッパを履いてくつろぐような気楽な経験」とみなされており、1964年2月にテレビを鑑賞していた7300万人の視聴者のうち、ビートルズが今後及ぼしうる影響について理解できた者は多く無かった[18]。
ビートルズに寄せられた多くの反応のうち、社会現象に発展した「ビートルマニア」を肯定的に捉えたのはイギリスのガール・グループであるケアフリーズの"We Love You Beatles" (1964年4月11日に39位[19])や、"A Love Song to the Beatles"という副題がついているパティ・ケイクスの"I Understand Them"などがある[20]。大混乱に不満の意を示したのはアメリカのグループであるフォー・プレップスの"A Letter to the Beatles" (1964年4月4日に85位[21])や、アメリカのコメディアンであるアラン・シャーマンの"Pop Hates the Beatles"などがある[22]。
4月4日にビートルズはBillboard Hot 100シングルチャートの上位5位を独占したが[9][23]、その後同チャートで上位5位を独占したアーティストは、音楽販売が配信主体になった57年後の2021年のドレイクまで現れなかった[24]。ビートルズは『キャッシュボックス』のシングルチャートでも同週に上位5位を独占したが、1位と2位はホット100とは逆であった[25]。グループのチャートにおける圧倒的な成功は1970年に解散するまで続いた[9]。
ビートルズを越えて
[編集]ビートルズが初めてホット100に到達した1週間後、スプリングフィールズを経てソロ活動を開始したダスティ・スプリングフィールドがホット100に到達次のイギリスのミュージシャンとして登場し、「二人だけのデート」で12位を記録した[26]。スプリングフィールドはすぐに他にもヒットを数曲出し、AllMusicによると「当時最良のブルー・アイド・ソウル歌手[27]」となった。1965年になる頃にはブリティッシュ・インヴェイジョンの新たな波が押し寄せる。ホリーズやゾンビーズのようなポップ・ロックで活動するバンドがいた一方、より野心的でブルース志向のアプローチをとるバンドが出現したのである[28][29][30][31]。1965年5月8日、ホット100の上位10位は、2位についたアメリカのバンド、ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズの「カウント・ミー・イン」以外、すべてイギリスの楽曲によって占められた[32]。その前の週の『キャッシュボックス』シングルチャートのトップ10についても、6位が"Count Me In"だった以外、ほぼイギリスのミュージシャンが独占した[33]。同年のBillboard Hot 100チャートで1位になった26曲のうちの半分は(1964年から持ち越されたビートルズの「アイ・フィール・ファイン」も含めて)イギリスのミュージシャンであった。イギリスのアーティストが持ち込んだトレンドは1966年以降まで続くことになった[34]。一方でブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちは、本国の音楽チャートも独占していた[28]。
ビートルズに代表されるブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストたちの音楽性は、アメリカ合衆国の初期のロックンロールに影響されていたが、このジャンルはインヴェイジョンの頃までに本国での人気を失っていた。しかしながら、後に続いたイギリスの白人ミュージシャンのうち、とりわけローリング・ストーンズやアニマルズのような数少ないグループはブルース、リズム・アンド・ブルースなど黒人文化に起源を持つ音楽を再生させ、こうした楽曲を少なくとも若者に知らしめただけでなく、より「アウトサイダー」的な集団に希求するようになった[35]。こうした音楽は、1950年代にアフリカ系アメリカ人のアーティストが演奏していた時には無視されたり拒否されていたものであった[36]。こうしたバンドはアメリカの中高年層から、反逆的で不健全だと見なされた。一方ローリング・ストーンズはブリティッシュ・インヴェイジョンにおいて、ビートルズに次いで最も重要なバンドとなり[37]、ホット100の1位に8回到達している[38]。時としてこうしたバンドの音楽性への理解不足から、アニマルズのエリック・バードンはアメリカ合衆国で衣装や発言などを制限されて居心地が悪かったと述べている[39]。
ブリティッシュ・インヴェイジョンのアーティストのうち、スウィンギング・ロンドンの時代のモッズと関わりのあるものは時として「フリークビート」と呼ばれることもあった。とりわけアメリカのガレージロックに相当するイギリスのブルースバンドはそう呼ばれた[40][41]。プリティ・シングスやクリエイションのようなバンドはイギリスのチャートである程度成功し、ジャンルの典型と言われる[42][43][44][45]。一般的には、比較的均質な世界規模で展開する「ロック」という音楽が現れた1967年頃が、インヴェイジョンの終焉と言われる[7]。
アメリカ音楽への影響
[編集]シラキュース大学のポピュラーテレヴィジョンセンター所長であるロバート・J・トンプソンによると、ブリティッシュ・インヴェイジョンによりカウンターカルチャーが主流になった[46]。
ブリティッシュ・インヴェイジョンはポピュラー音楽に非常に強い影響を及ぼし、ロックンロールの制作を国際化し、イギリスのポピュラー音楽は創造性に満ち、商業的にも見込みのある音楽産業の中心地としての立場を確立した[47]。その後に登場するイギリスのパフォーマーが国際的に成功する足がかりにもなった[28]。アメリカでは、ブリティッシュ・インヴェイジョンは恐らくはインストゥルメンタルのサーフミュージック、モータウン以前のガールグループ、フォークリバイバル(のちにフォークロックへと変化した)の流行を終わらせ、1950年代末から60年代にかけてアメリカのチャートを支配していたティーンアイドルも一時的に押さえ込んだ[48][49]。
このため、既に名声を確立していたチャビー・チェッカーなどのR&Bミュージシャンのキャリアに翳りが見えはじめ、リッキー・ネルソン、ファッツ・ドミノ、エヴァリー・ブラザース、エルヴィス・プレスリー(それでも1964年から1967年までの間に30曲をホット100に送り込んでいる)など、予てより活動してきたロックンロールのミュージシャンが一時的にチャートから閉め出された[50][51]。活動していたガレージロックのバンドはブリティッシュ・インヴェイジョンの曲調を取り入れるようになる。またこの時期より、次世代に主要な役割を果たすことになるアメリカのバンドがたくさん生まれるようになった[52]。ブリティッシュ・インヴェイジョンはロックというはっきりとしたジャンルの勃興に大きな役割を果たし、ギターとドラムを基本にシンガーソングライターが自作曲を制作するという形のロックバンドが中心となる音楽的潮流を作った[53]。ブリティッシュ・インヴェイジョンと結びつけられるミュージシャンの多くはトレンドが終わるまで生き延びることがなかったが、一方でロックのアイコンとなったミュージシャンもたくさんいる[28]。
その他の文化的影響
[編集]音楽以外でも、この時期にはアメリカにおいてイギリス文化がさまざまな点で人気を博し、アメリカ合衆国のメディアはイギリスを音楽とファッションの中心地だと称するようになった。
映画・テレビ
[編集]映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』により、ビートルズは映画進出を果たした[7]。イングランド人の女優ジュリー・アンドルーズがタイトルロールをつとめる『メリー・ポピンズ』は1964年8月27日に公開され、史上もっともアカデミー賞にたくさんノミネートされ、さらに賞も獲得したディズニー映画となった。イギリス人の女優オードリー・ヘプバーンがコックニーを話す花売り娘イライザ・ドゥーリトルを演じた『マイ・フェア・レディ』は1964年12月25日に公開され、アカデミー賞8部門を獲得した[54]。
1962年にショーン・コネリーをジェームズ・ボンド役に迎えて始まった007シリーズのほか、「怒れる若者たち」の感性を生かした『何かいいことないか子猫チャン』や『アルフィー』のような映画がロンドンの映画館を席巻した。ピーター・オトゥールやマイケル・ケインのようなイギリスの新しい役者たちがアメリカ合衆国の観客を惹きつけるようになった[10]。60年代のアカデミー作品賞受賞作のうち4本がイギリスで製作された映画であり、オトゥールがイギリスの軍人T・E・ロレンスを演じた『アラビアのロレンス』は1963年に7部門でアカデミー賞を受賞した[55]。1968年にフランコ・ゼフィレッリ監督が若いイギリス人キャストを起用してシェイクスピア劇を映画化した『ロミオとジュリエット』のヒットなどもこうした動きの中に位置づけられる[56]。
Danger Man (アメリカ放送時にはSecret Agentと改題された)や『おしゃれ(秘)探偵』のようなイギリスのテレビシリーズがアメリカでも放送され、『0011ナポレオン・ソロ』、パロディシリーズである『それ行けスマート』のようなアメリカ産のスパイものテレビ番組が生みだされるようになった。1966年までには、イギリスとアメリカで作られたスパイもののテレビシリーズが西部劇や地方を舞台にしたシットコムと並んでアメリカの視聴者に好まれるようになった[57]。アメリカ特有の音楽を扱うSing Along with MitchやHootenannyのようなテレビ番組はキャンセルされ、Shindig!やHullabalooのようなイギリスの新しいヒット曲を流すのにより適した形の番組にはやばやととってかわられ、こうした新しい番組の一部はイングランドで撮影された[58][59]。
ファッション
[編集]ビートルズはアメリカの初期ロックンロールのバンドに比べて、ファッションやイメージの点で非常に異なっていた。特徴的な揃いのスーツに包まれたビートルズは、音楽的に初期ロックンロールの慣習を破るのみならず、ファッションの点でも「伝統的なアメリカ男性の衣服のスタイルを刺激する」ようになった[36]。マリー・クヮントのようなスウィンギング・ロンドンのデザイナーが作り、ツイッギーやジーン・シュリンプトンのような先駆的スーパーモデルたちが着用したミニスカートをはじめとするモッズ風のファッションが世界的に人気を博すようになった[60][61][62][63][64]。こうしたイングランド女性のファッションはアメリカでも注目された[65]。
ブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドの中には、すっきりしたスタイルからもっとヒッピー風なファッションへと変化したバンドもおり、アメリカのファッションに影響を及ぼした[46]。
第1次ブリティッシュ・インヴェイジョン・アーティストの一覧
[編集]1960年代の特定の時期(64-66)に、イギリスからアメリカ合衆国に進出して活躍した歌手やバンドの一覧である。
- 英語版に倣ってアルファベット順である。
脚注
[編集]出典
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関連項目
[編集]- 第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン - 1980年代にイギリスのバンドがアメリカで人気を博した現象
- ブリットポップ - 1990年代にイギリスで発生したポピュラー音楽の動きで、ブリティッシュ・インヴェイジョンやマッドチェスターから影響を受けて発達した