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中央線は国鉄で最初に「特別快速」が設定された路線であり、当時は、東京駅・[[神田駅 (東京都)|神田駅]]・御茶ノ水駅・[[四ツ谷駅]]・新宿駅・中野駅・三鷹駅と立川駅 - 高尾駅間の各駅に停車していた。当初は1時間に3本設定され、[[1970年]](昭和45年)10月より1時間あたりの本数が4本に増発されたが、特快通過駅利用客から不満が発せられ[[1985年]](昭和60年)3月14日に1時間に3本に戻された<ref name="rp200309-010" />。民営化された1987年(昭和62年)4月1日時点では、特別快速は日中のみ設定されていた。<ref name="1987年4月1日">『交通公社の時刻表』1987年4月号(復刻版) [[JTBパブリッシング]]</ref> |
中央線は国鉄で最初に「特別快速」が設定された路線であり、当時は、東京駅・[[神田駅 (東京都)|神田駅]]・御茶ノ水駅・[[四ツ谷駅]]・新宿駅・中野駅・三鷹駅と立川駅 - 高尾駅間の各駅に停車していた。当初は1時間に3本設定され、[[1970年]](昭和45年)10月より1時間あたりの本数が4本に増発されたが、特快通過駅利用客から不満が発せられ[[1985年]](昭和60年)3月14日に1時間に3本に戻された<ref name="rp200309-010" />。民営化された1987年(昭和62年)4月1日時点では、特別快速は日中のみ設定されていた。<ref name="1987年4月1日">『交通公社の時刻表』1987年4月号(復刻版) [[JTBパブリッシング]]</ref> |
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[[1988年]](昭和63年)12月1日に国分寺駅ホームが2面4線に拡張され、青梅線直通の特別快速として「青梅特快」が新設された。従来の特別快速は「中央特快」に呼称が変更され国分寺駅も停車するようになった<ref name="rp200309-046" />。[[1993年]](平成5年)4月10日のダイヤ改正からは青梅特快も国分寺駅に停車するようになり、中央特快・青梅特快の中央線内での停車駅は統一された。以降、平日・土休日ともに日中は1時間に4本前後(およそ15分間隔)運行され、おおむね中央特快3本と青梅特快1本の割合で運行されていた。[[2013年]](平成30年)3月16日改正からは、日中1時間に平日5本・土休日6本(中央特快4本、青梅特快平日1本土休日2本)に増発された<ref name="2013年3月ダイヤ改正">{{PDFlink|[ |
[[1988年]](昭和63年)12月1日に国分寺駅ホームが2面4線に拡張され、青梅線直通の特別快速として「青梅特快」が新設された。従来の特別快速は「中央特快」に呼称が変更され国分寺駅も停車するようになった<ref name="rp200309-046" />。[[1993年]](平成5年)4月10日のダイヤ改正からは青梅特快も国分寺駅に停車するようになり、中央特快・青梅特快の中央線内での停車駅は統一された。以降、平日・土休日ともに日中は1時間に4本前後(およそ15分間隔)運行され、おおむね中央特快3本と青梅特快1本の割合で運行されていた。[[2013年]](平成30年)3月16日改正からは、日中1時間に平日5本・土休日6本(中央特快4本、青梅特快平日1本土休日2本)に増発された<ref name="2013年3月ダイヤ改正">{{PDFlink|[http://www.jreast.co.jp/press/2012/20121215.pdf 2013年3月ダイヤ改正について]}} 東日本旅客鉄道 2012年12月15日</ref>。 |
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三鷹駅と国分寺駅で快速に接続する<ref name="jreast-hachioji-20121221_info02"/>。多くは東京駅 - 新宿駅 - 高尾駅間の運転だが、一部列車は大月駅発着で、土曜と休日は下り1本と上り2本が河口湖駅発着で運転される。青梅特快は東京駅 - 青梅駅間で運転されるが、土曜と休日は上り1本が武蔵五日市始発と高麗川始発で運転し、拝島駅で連結する列車が設定されている。一部の中央特快は高尾駅・相模湖駅・四方津駅のいずれかで特急の通過待ちを行うことがあり、大月行と富士急行線河口湖駅行の電車は1本を除くすべてが途中で特急に追い抜かれる。 |
三鷹駅と国分寺駅で快速に接続する<ref name="jreast-hachioji-20121221_info02"/>。多くは東京駅 - 新宿駅 - 高尾駅間の運転だが、一部列車は大月駅発着で、土曜と休日は下り1本と上り2本が河口湖駅発着で運転される。青梅特快は東京駅 - 青梅駅間で運転されるが、土曜と休日は上り1本が武蔵五日市始発と高麗川始発で運転し、拝島駅で連結する列車が設定されている。一部の中央特快は高尾駅・相模湖駅・四方津駅のいずれかで特急の通過待ちを行うことがあり、大月行と富士急行線河口湖駅行の電車は1本を除くすべてが途中で特急に追い抜かれる。 |
2018年6月11日 (月) 01:17時点における版
中央線快速 | |||
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基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 東京都 | ||
種類 | 通勤列車 | ||
起点 | 東京駅 | ||
終点 | 高尾駅 | ||
駅数 | 24駅 | ||
経由路線 | 中央本線 | ||
路線記号 | JC | ||
開業 | 1889年4月11日 | ||
所有者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) | ||
運営者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) | ||
車両基地 | 中野電車区、三鷹車両センター、豊田車両センター武蔵小金井派出、豊田車両センター | ||
使用車両 | E233系0番台 10両 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 53.1 km | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 | 複線 | ||
電化方式 | 直流1500 V 架空電車線方式 | ||
閉塞方式 | 複線自動閉塞式 | ||
保安装置 | ATS-P | ||
最高速度 |
95 km/h(東京-八王子間) 100 km/h(東京-八王子間のE233系0番台の列車、八王子-高尾間のライナーを除く普通列車) 130 km/h(八王子-高尾間の特急列車・中央ライナー) | ||
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中央線快速(ちゅうおうせんかいそく)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)管内の中央本線のうち、東京都千代田区の東京駅から東京都八王子市の高尾駅までの快速電車の運転系統の案内上および営業上の呼称である。路線図などの案内では山梨県大月市の大月駅までとなっているものもある。駅ナンバリングで使われる路線記号は JC である。
御茶ノ水駅 - 三鷹駅間の複々線区間のうち、快速電車と優等列車が走る線路は「中央急行線」が正式な名称である[1](詳細後述)が、書籍・雑誌・新聞[2]やJRのプレスリリース[3]などでは東京駅 - 高尾駅・大月駅間の運転系統を「中央快速線」と表したり、JRの路線図や駅ホームなどでは「中央線(快速)」や「中央線快速電車」のほかに「中央線」の表記も多く見られる。
概要
東京地区の電車特定区間(E電)の運転系統の一つで、東京都心と多摩地域の各都市とを結び、都心部では東京駅と副都心の一つである新宿を結ぶ役割を担っている。起源は1933年(昭和8年)に東京駅 - 中野駅間で運行が開始された“急行電車”であり、その後“快速”と改称されている。日本国有鉄道(国鉄)時代に投入された101系電車以降の車両にはオレンジバーミリオン(■、国鉄朱色1号)が車体色に採用され、これが当路線のラインカラーとして旅客案内などにも使用されている。
基本的な運行系統は、電車特定区間内の東京駅 - 高尾駅間であるが、大月駅まで運行される列車や、立川駅から青梅線に直通して青梅駅まで乗り入れる列車も、ほぼ終日にわたって設定されている。一部は五日市線武蔵五日市駅(青梅線経由)、八高線高麗川駅(同)、富士急行線河口湖駅まで運行される。
2007年10月から、JR東日本八王子支社では「中央線が好きだ。」というポスターを製作し、駅や電車の中吊りに掲出している[4]。
名称について
東京駅 - 神田駅間は東北本線、代々木駅 - 新宿駅間は山手線に属し、その他の区間は中央本線である。国鉄時代はこれらの2区間が重複所属であったが、民営化後に変更された。マルスシステムの経路表示は「中央東線」と称して区間は「東京 - 神田 - 御茶ノ水 - 代々木 - 新宿 - 韮崎 - 」としており、東京駅 - 神田駅間が「東北線」と重複して「山手線」の代々木駅 - 新宿駅間は分断されている。
当該区間のうち、御茶ノ水駅 - 中野駅間は国鉄時代に早くから複々線化されたことや、複々線の両方に旅客列車が走行し急行運転を行ってきたことから、現在も快速電車や長距離列車などが走る線路の正式な呼称は「中央本線(急行線)」である[1]。
かつて、現在の快速電車は急行電車と称していたが、松本・甲府方面の準急が急行列車(有料)に格上げされたことから、料金不要の急行電車は快速電車と改称された。
歴史
甲武鉄道の東京都心乗り入れに際して建設された市街線(しがいせん)に、関東大震災後の復興事業での貨客分離および長距離列車と近郊電車との路線分離を行うために複々線化した上で、列車線兼貨物線として開業したのが現行の中央線快速の始まりとされる。
御茶ノ水駅 - 中野駅間で複々線が建設され、1932年(昭和7年)に完成した。計画当初は貨物輸送力の増強を企図していたが、完成後は一部時間帯に急行電車を運行させて旅客輸送力の強化を図った。この計画と同時に総武本線両国駅 - 御茶ノ水駅間も高架鉄道として建設され、ラッシュ時は東京駅発着の電車を急行電車として運行することとなり、各駅に停車する電車は一部の時間帯に総武本線へ乗り入れることとなった。
第二次大戦後は中央線の輸送力増大が重要な課題となり、1957年に東京駅 - 御茶ノ水駅間および中野駅 - 三鷹駅間の複々線化を決定するも実施に苦慮していたところ、1960年に帝都高速度交通営団から東西線との直通運転の提案を受け、東京 - 御茶ノ水駅間線増に代わるものとした[5]。引き続き「通勤五方面作戦」が進む中で1966年(昭和41年)に中野駅 - 荻窪駅間の複々線化が完成し、中央緩行線の電車と営団地下鉄東西線(現在の東京メトロ東西線)乗り入れの電車がこの区間に運行されている。1969年(昭和44年)には複々線区間が三鷹駅まで延長された。だがそれ以降計画はほとんど進まず、三鷹駅 - 立川駅間の複々線化事業は事実上の凍結状態にある。
- 1889年(明治22年)
- 4月11日:甲武鉄道新宿駅 - 立川駅間が開業。
- 8月11日:立川駅 - 八王子駅間が延伸開業。
- 1894年(明治27年)10月9日:牛込駅 - 新宿駅間が延伸開業(市街線の開業)。
- 1895年(明治28年)4月3日:飯田町駅 - 牛込駅間が延伸開業。
- 1904年(明治37年)
- 8月21日:飯田町駅 - 中野駅間が電化(直流600V)。
- 12月31日:御茶ノ水駅 - 飯田町駅間が延伸開業(電化)。
- 1901年(明治34年)8月1日:官設鉄道八王子駅 - 上野原駅間が開業。
- 1902年(明治35年)
- 6月1日:上野原駅 - 鳥沢駅間が延伸開業。
- 10月1日:鳥沢駅 - 大月駅間が延伸開業。
- 1906年(明治39年)10月1日:甲武鉄道御茶ノ水駅 - 八王子駅間を買収・国有化し、八王子駅 - 篠ノ井駅間を鉄道に編入、これにより御茶ノ水駅 - 篠ノ井駅間が鉄道となる。
- 1908年(明治41年)4月19日:御茶ノ水駅 - 昌平橋駅間が延伸開業(電化)。
- 1911年(明治44年)5月1日:宮ノ越駅 - 木曽福島駅間が延伸開業(全通)。中央西線を編入し、昌平橋駅 - 名古屋駅間を中央本線に改称。
- 1912年(明治45年)4月1日:昌平橋駅 - 万世橋駅間が延伸開業(電化)。
- 1919年(大正8年)
- 1月25日:中野駅 - 吉祥寺駅間が電化。
- 3月1日:万世橋駅 - 東京駅間が延伸開業。
- 1920年(大正9年)5月26日:国分寺駅 - 下河原駅間貨物支線が開業(東京砂利鉄道の線路を譲受、1910年(明治43年)敷設)。
- 1922年(大正11年)11月20日:吉祥寺駅 - 国分寺駅間が電化。
- 1927年(昭和2年)
- 2月:東浅川駅が開業。
- 3月1日:代々木駅 - 信濃町駅間が複々線化。
- 1928年(昭和3年)
- 5月1日:新宿駅 - 中野駅間が複々線化。
- 11月15日:飯田橋駅が開業。牛込駅及び電車線の飯田町駅が廃止。跡地は複々線化用地となる。
- 1929年(昭和4年)
- 3月10日:国分寺駅 - 国立駅間が電化。
- 4月15日:飯田町駅 - 信濃町駅間が複々線化。
- 6月16日:国立駅 - 立川駅間が電化。
- 1930年(昭和5年)12月20日:立川駅 - 浅川駅(現在の高尾駅)間が電化。
- 1931年(昭和6年)4月1日:浅川駅 - 甲府駅間が電化。ただし、浅川駅以西を結ぶ列車は電気機関車牽引の客車により運転される。
- 1932年(昭和7年)7月1日:御茶ノ水駅改良工事完了。総武本線乗り入れ開始。
- 1933年(昭和8年)
- 7月15日:長距離列車の東京側の始発駅が、飯田町駅から新宿駅に変更。飯田町駅は貨物駅となり汽車駅跡は複々線化用地となる。
- 8月:御茶ノ水駅 - 飯田町駅間の急行線の延長部分が落成。御茶ノ水駅 - 中野駅間が複々線となる。
- 9月15日:朝夕ラッシュ時に限り列車線を使用して御茶ノ水駅 - 中野駅間で急行電車が運行開始。
- 1934年(昭和9年)4月2日:国分寺駅 - 東京競馬場前駅間の支線開業(電化路線、国分寺駅 - 北府中駅間は国分寺駅 - 下河原駅間貨物支線と重複)。
- 1943年(昭和18年)11月1日:万世橋駅が休止(事実上廃止)。
- 1944年(昭和19年)
- 3月5日:急行電車の運行を休日にも拡大。
- 10月1日:国分寺駅 - 東京競馬場前駅間が休止。
- 1946年(昭和21年)
- 6月14日:東中野駅 - 大久保駅間の曲線区間でドアより通勤客が放り出され死亡する中央線乗客転落事故が発生する。
- 6月17日:朝間上りに限り急行電車が四ツ谷駅を通過。
- 1947年(昭和22年)
- 4月24日:国分寺駅 - 東京競馬場前駅間の支線の運行が再開。
- 5月5日:急行電車に婦人子供専用車が設定。
- 1949年(昭和24年)9月:二等車の連結が再開。
- 1951年(昭和26年)
- 1956年(昭和31年)9月1日:国分寺駅 - 下河原駅間貨物支線の起点を北府中駅に変更、これにより国分寺駅 - 東京競馬場前駅間の支線との重複が解消する。
- 1957年(昭和32年):急行電車に101系が導入開始。二等車の設定が廃止され、代わって老幼優先車が設定される。1958年に廃止。
- 1959年(昭和34年)
- 11月1日:三鷹駅 - 武蔵野競技場前駅間の支線が廃止[7]。
- 11月9日:平日に限り急行電車の終日運行開始。
- 1960年(昭和35年)9月10日:東浅川駅が廃止。
- 1961年(昭和36年)3月17日:急行料金を徴収する急行列車「アルプス」の運行開始(1960年)により、急行電車を現行の快速電車に改称。
- 1966年(昭和41年)4月28日:中野駅 - 荻窪駅間が複々線化。休日にも快速電車の終日運行が行われる。
- 1967年(昭和42年)7月3日:国電区間が中野駅から高尾駅まで延長。同時に特別快速の運行開始。設定時より昼間時のみ運行。
- 1969年(昭和44年)4月8日:荻窪駅 - 三鷹駅間が複々線化。
- 1973年(昭和48年)
- 4月1日:国分寺駅 - 東京競馬場前駅間の支線廃止。北府中駅 - 下河原駅間貨物支線は武蔵野線に移籍(1976年9月20日廃止)。
- 9月1日:婦人子供専用車が廃止。
- 1979年(昭和54年):201系試作車の導入開始。
- 1981年(昭和56年):201系量産車の導入開始。
- 1983年(昭和58年)3月3日:103系がこの日限りで運転終了(中央総武緩行線の103系が武蔵小金井または立川への乗り入れを除く)。
- 1985年(昭和60年)3月14日:定期普通列車の新宿乗り入れを夜行の下り1本をのぞいて廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:定期普通列車の新宿駅乗り入れを朝夕を中心に復活。快速電車の大月方面への直通運行および通勤快速の運行開始。当初は新宿駅始発の通勤快速も設定されていた。停車駅は現在と異なり、新宿駅以東と三鷹駅以西は快速と同じ、新宿駅 - 三鷹駅間は中野駅のみ停車(新宿駅始発は中野駅通過)。途中での追い越しはなし。設定は深夜帯。
- 1988年(昭和63年)12月1日:国分寺駅2面4線化完成。従来の特別快速を「中央特快」に名称を変更し、新たに国分寺駅に停車する。休日の夕方以降にも運行時間帯を拡大。青梅線に直通し国分寺駅を通過する「青梅特快」が運行開始。当時のダイヤでは青梅特快のみ新宿駅の発車時刻がほかの特快よりも特急に近く、国分寺駅に停車させるとそこで追い抜かれざるを得ないため、青梅線方面への速達効果を最大限に出すために国分寺駅通過の措置を採っていた。夜間の新宿駅始発含む通勤快速を中央特快に格上げ。夕方ラッシュ時に新たな通勤快速を新設。停車駅は現行と同じ。
- 1990年(平成2年)3月10日:快速電車の富士急行線河口湖駅までの直通運転開始。
- 1991年(平成3年)3月16日:「おはようライナー高尾・青梅」「ホームライナー高尾・青梅」が運行開始。
- 1993年(平成5年)
- 4月10日:「青梅特快」が国分寺駅に停車。「通勤特快」運行開始。
- 12月1日:新宿駅発着の普通列車(下り3本・上り1本)が廃止。115系が新宿駅から完全に撤退。
- 1994年(平成6年)12月3日:土曜日も休日ダイヤでの運転となる。
- 1996年(平成8年)
- 3月16日:八高線電化により青梅線経由で拝島駅 - 高麗川駅間へ直通運転開始。
- 12月14日:東京圏輸送管理システム (ATOS) の使用開始[8]。
- 1999年(平成11年)12月4日:「成田エクスプレス」高尾駅発着列車の運行開始(1往復)。
- 2001年(平成13年)12月1日:「おはようライナー高尾・青梅」と「ホームライナー高尾・青梅」が「中央ライナー」・「青梅ライナー」に列車名と運行形態を変更して運行開始。
- 2003年(平成15年)9月28日:三鷹駅 - 立川駅間の連続立体交差事業(高架化)により、前日の午後4時から同日にかけて三鷹駅 - 国分寺駅上り線の仮線切替工事が実施[9]。この際に信号トラブルが発生し、工事終了予定時刻(朝6時頃)を過ぎても8時間あまり同区間が不通になる状態が続いた[10][11]。→詳細は「§ 第1回切り替え工事の問題」を参照
- 2004年(平成16年)
- 7月19日:高架化工事のため、武蔵小金井駅付近の下り線が仮線化。
- 11月7日:高架化工事のため、国分寺駅・東小金井駅・武蔵境駅付近の下り線を仮線化。三鷹駅 - 国分寺駅間は上下線とも仮線となった。
- 2005年(平成17年)
- 9月5日:女性専用車両が再設定。
- 9月25日:高架化工事のため、西国分寺駅 - 立川駅間の上り線が仮線化。
- 2006年(平成18年)
- 10月9日:高架化工事のため、西国分寺駅 - 立川駅間の下り線を仮線化。西国分寺駅 - 立川駅間は上下線とも仮線となった。
- 12月26日:E233系の運用開始[2]。
- 2007年(平成19年)7月1日:三鷹駅 - 国分寺駅間の下り線が高架化。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 1月11日:西国分寺駅 - 立川駅間の下り線が高架化。
- 12月6日:三鷹駅 - 国分寺駅間の上り線が高架化。
- 2010年(平成22年)
- 10月14日:201系がこの日を最後に定期運用を終了。
- 10月17日:豊田駅 - 松本駅間の廃車回送を兼ねたさよなら運転をもって201系の運用が完全に終了。
- 11月7日:西国分寺駅 - 立川駅間の上り線が高架化。
- 2013年(平成25年)3月16日:東京駅 - 三鷹駅間の急行線と三鷹駅 - 八王子駅間の最高速度が95km/hから100km/hに向上[14]。
- 2017年(平成29年)3月4日:ダイヤ改正。下りの中央特快を東京始発・中野駅停車に統一。
今後の予定
- 2023年(平成33年)度末:東京駅 - 大月駅間と青梅線立川駅 - 青梅駅間にグリーン車導入予定。当初の予定では2020年度であったが、駅構内の改築工事などに想定以上の時間がかかることが判明したため延期となった。JR東日本の冨田(当時)社長は「5年も遅れることはない」と発言し、実施時期は未定としていた[15][16]が、2018年4月に2023年度末のサービス開始を目指すと発表された[17]。
運行形態
東京駅 - 高尾駅間のうち、御茶ノ水駅 - 三鷹駅間では急行線と緩行線から構成される複々線区間となっており、快速系電車は急行線を、各駅停車の電車(中央・総武緩行線)は緩行線を走行する。御茶ノ水駅付近では方向別複々線をなすが、以西では線路別複々線となる。中央線は貨客分離を優先とした大改修を行った上で旅客化されていることや、改修に際して渡り線を複々線区間の出入口に当たる地点にのみ設けた関係で、各駅停車以外は快速も特急もすべて急行線で運行されている[注 1]。
定期列車のうち、かつての国電に相当する近距離電車については、停車駅の少ない順に通勤特快・中央特快・青梅特快・通勤快速・快速・各駅停車が設定されている。このうちほぼ終日運行されるのは中央特快・青梅特快・快速の3種別で、それ以外の種別は一部の時間帯のみ運行される。「特快」(とっかい)とは特別快速の略称であるが、現在では中央線や直通線区においては基本的に「特快」と略して使用されている。
これらの快速系電車は、東京駅 - 新宿駅 - 立川駅間で日中1時間に14本(中央特快4本・青梅特快1 - 2本・快速8 - 9本)、平日朝は29本(新宿駅8時台上り到着本数)と高頻度で運行されており、緩行線(御茶ノ水駅 - 新宿駅 - 中野駅間で日中5分間隔で1時間に11 - 12本、平日朝2分間隔の24本)よりも運行本数が多い。
下り電車に関しては、特別快速と通勤快速は立川駅、快速は中野駅(土休日は吉祥寺駅)から先は各駅に停車するため、駅・車両ともに種別表示が消え「各駅停車」として案内される。上り電車も、御茶ノ水駅・神田駅では種別名を表示せず単に「東京行」としか案内しない場合もある。快速以上の種別の停車駅がすべて同一となる新宿駅・四ツ谷駅においては、同種別はすべて「快速」と案内される。中野駅においては案内の統一などは行われていない。
国鉄時代より高尾駅で運行系統が分断されているが、中央本線普通列車(中距離列車)の新宿駅への乗り入れ縮小(その後廃止)と引き換えに1986年11月1日の改正より大月駅までの直通運転が増えている。高尾駅を越えて大月方面に直通運転する列車は、高尾駅 - 大月駅・河口湖駅間では末尾が「M」の列車番号となり、高尾駅以東の種別に関係なくすべて「普通」(中距離列車)である。冊子の時刻表でも「東京・高尾間快速」などと注記されている。
上り(東京方面) | 下り(高尾方面) | |
---|---|---|
早朝 | 各駅停車・快速・中央特快 | 各駅停車・快速・中央特快 |
朝 | 快速・通勤特快 | 快速 |
昼 | 快速・中央特快・青梅特快 | 快速・中央特快・青梅特快 |
夜 | 快速・中央特快・青梅特快 | 快速・通勤快速 |
深夜 | 各駅停車・快速・中央特快 | 各駅停車・快速・中央特快・青梅特快 |
- 臨時列車や普通・特急等は上表の対象外。各駅停車は快速車両で運転するもののみ。
特急
特急列車は、東京と甲府・松本方面とを結ぶ「スーパーあずさ」・「あずさ」と「かいじ」がおおむね30分間隔で運行される。朝夜は成田国際空港へのアクセス特急「成田エクスプレス」が2往復運行されている。
これらについての詳細は、それぞれの列車記事を参照。
通勤ライナー
東京駅・新宿駅 - 高尾駅(一部八王子駅発着)・青梅線青梅駅間で、1991年(平成3年)3月16日の改正より座席定員制の通勤ライナーが運行されている。運行当初は「おはようライナー高尾」「ホームライナー高尾」・「おはようライナー青梅」・「ホームライナー青梅」の列車名で運行され、2001年(平成13年)12月1日の改正から座席指定制に変更し「中央ライナー」・「青梅ライナー」として運行されている[18]。
車両は、中央本線特急用のE257系が使用される。下りライナーは東京駅・新宿駅で乗車客扱いのみを、ほかの駅では降車客扱いのみを行う。上りライナーはその逆である。グリーン車の扱いは、首都圏の他路線の通勤ライナーとは違い指定席扱いとなる。
通勤特快
1993年(平成5年)4月10日より、遠距離利用の速達化および遠距離・近距離利用客の分離を目的として、平日朝ラッシュ時の上り東京行のみ設定されている種別である[19]。略さずに「通勤特別快速」とも表記される[19]。種別カラーはピンク。
高尾駅 → 御茶ノ水駅間で通過運転を行う。この区間の途中停車駅は八王子駅・立川駅・国分寺駅・新宿駅・四ツ谷駅で、国分寺駅 → 新宿駅間では中央特快・青梅特快の停車する三鷹駅・中野駅を通過して無停車で走行する、料金不要の列車では最も停車駅が少ない種別である。運行開始以来、停車駅の変更はない。大月駅 → 高尾駅間および青梅線内は各駅に停車する。
大月・青梅線青梅始発各2本、高尾始発1本の計1日5本が運行されている。立川駅と国分寺駅で快速と接続するほか、豊田駅・東小金井駅・三鷹駅・中野駅で快速を追い越す列車がある。
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通勤特快
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通勤特快LED表示
特別快速(中央特快・青梅特快)
特別快速は、競合する京王線特急への対抗を目的に、国鉄時代の中野駅 - 荻窪駅間複々線化翌年の1967年(昭和42年)7月3日に運行を開始した快速の上位種別である[20][21]。現在は早朝から深夜にかけて運行されており、中央線内のみで運行されるものが中央特快、青梅線に直通するものが青梅特快と称される。中央特快の種別カラーは水色で、青梅特快の種別カラーは緑。平日の朝ラッシュの上りと夕方ラッシュの下りは運転せず、代わりに通勤特快(上り)や通勤快速(下り)が運転されている。
快速よりも通過運転を行う区間が長く、中野駅 - 立川駅間でも通過運転を行い、下りの立川駅から先は各駅停車として案内される。平日深夜には新宿始発の中央特快が2本設定されており、この電車は中野駅を通過していたが、2017年3月4日に改正されて週明け月曜日の6日から適用されたダイヤで、東京始発の中央特快を0時まで拡大し、下りは臨時ホリデー快速列車と特急列車を除く全列車が中野駅停車に統一された[22]。
中央線は国鉄で最初に「特別快速」が設定された路線であり、当時は、東京駅・神田駅・御茶ノ水駅・四ツ谷駅・新宿駅・中野駅・三鷹駅と立川駅 - 高尾駅間の各駅に停車していた。当初は1時間に3本設定され、1970年(昭和45年)10月より1時間あたりの本数が4本に増発されたが、特快通過駅利用客から不満が発せられ1985年(昭和60年)3月14日に1時間に3本に戻された[21]。民営化された1987年(昭和62年)4月1日時点では、特別快速は日中のみ設定されていた。[23]
1988年(昭和63年)12月1日に国分寺駅ホームが2面4線に拡張され、青梅線直通の特別快速として「青梅特快」が新設された。従来の特別快速は「中央特快」に呼称が変更され国分寺駅も停車するようになった[19]。1993年(平成5年)4月10日のダイヤ改正からは青梅特快も国分寺駅に停車するようになり、中央特快・青梅特快の中央線内での停車駅は統一された。以降、平日・土休日ともに日中は1時間に4本前後(およそ15分間隔)運行され、おおむね中央特快3本と青梅特快1本の割合で運行されていた。2013年(平成30年)3月16日改正からは、日中1時間に平日5本・土休日6本(中央特快4本、青梅特快平日1本土休日2本)に増発された[24]。
三鷹駅と国分寺駅で快速に接続する[14]。多くは東京駅 - 新宿駅 - 高尾駅間の運転だが、一部列車は大月駅発着で、土曜と休日は下り1本と上り2本が河口湖駅発着で運転される。青梅特快は東京駅 - 青梅駅間で運転されるが、土曜と休日は上り1本が武蔵五日市始発と高麗川始発で運転し、拝島駅で連結する列車が設定されている。一部の中央特快は高尾駅・相模湖駅・四方津駅のいずれかで特急の通過待ちを行うことがあり、大月行と富士急行線河口湖駅行の電車は1本を除くすべてが途中で特急に追い抜かれる。
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中央特快
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青梅特快
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通勤快速
国鉄最終年度の1986年(昭和61年)11月1日改正から運行されている種別である[25]。種別カラーは紫。平日の東京発17時台 - 21時台の下りのみで特別快速に代わって運行されている。
運行開始当時は東京始発6本・新宿始発3本[23]が設定されていた。東京駅 → 三鷹駅間(通過運転区間)の途中停車駅は神田駅・御茶ノ水駅・四ツ谷駅・新宿駅・中野駅で、三鷹駅から終点・高尾駅までは各駅に停車した[25]。新宿始発の電車は中野駅を通過していた。後に、三鷹駅 → 立川駅間は国分寺駅のみ停車となり[注 2]、1988年(昭和63年)12月1日に荻窪駅・吉祥寺駅に停車するようになり、現在に至る。2017年8月25日時点[26]では、東京発17時台から21時台までの速達種別として1時間に4本が運行されている。特別快速との違いは、荻窪駅・吉祥寺駅にも停車することである。
三鷹駅・国分寺駅・立川駅で快速(既に各駅停車)との接続を行う。一部の通勤快速は豊田駅・高尾駅・相模湖駅・四方津駅のいずれかで特急の通過待ちを行うことがあり、大月行と富士急行線河口湖行の電車は1本を除くすべてが途中で特急に追い抜かれる。
現行ダイヤではほとんどの列車が高尾行きで運転されるが、大月・青梅・富士急行線河口湖行きがそれぞれ2本設定されている。
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通勤快速
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快速
中央急行線で最も多く運行されている基本種別である。複々線区間である御茶ノ水駅 - 中野駅(土休日は吉祥寺駅)間で通過運転を行う(平日は中野以西、土休日は吉祥寺以西では各駅停車として案内される)。1933年(昭和8年)9月15日に「急行」の名称で運行を開始し、1961年(昭和36年)3月20日に現在の「快速」に改称された。種別カラーはオレンジ。
運行開始当時は、東京駅・神田駅・万世橋駅(のちに廃止)・御茶ノ水駅・四ツ谷駅・新宿駅と中野駅から先の各駅に停車し、平日ラッシュ時のみ運行されていた。その後1959年(昭和34年)11月から平日の日中、1966年(昭和41年)4月から休日の運行が開始されている。中野駅 - 三鷹駅間の複々線化後も平日は中野駅から先は各駅に停車し、土休日に限り高円寺駅・阿佐ケ谷駅・西荻窪駅が通過となった。日中時間帯は東京駅 - 新宿駅 - 立川駅間で1時間に9本(土曜・休日は8本)程度運行されている。2013年(平成25年)3月15日までは10本程度運行されていた。
運行区間は原則として東京駅 - 新宿駅 - 立川駅・八王子駅・高尾駅間(一部は大月駅まで)および青梅線直通(青梅駅発着)が基本である。朝夕は武蔵小金井駅・国分寺駅・豊田駅・富士急行線河口湖駅発着および、青梅線河辺発・五日市線武蔵五日市駅発着が設定されている。土休日朝に東京駅 - 三鷹駅間のみを運転する区間列車も設定されている。このほか八高線直通の高麗川駅発着と箱根ケ崎行の電車も設定されており、折り返しは拝島行となり唯一の八高線内のみの電車となる。上りはほとんどが東京行だが、平日夜間や土曜・休日朝に新宿行の電車(折り返し新宿発の快速[注 3]、ホリデー快速おくたま・あきがわの送り込みを兼ね、新宿駅では多くが下り線用11番線に到着)も設定されている。下りもほとんどが東京発で、早朝や朝夕の出庫電車に武蔵小金井・立川・豊田発がわずかにある程度である。武蔵小金井駅・立川駅・豊田駅 - 高尾駅・大月駅・河辺駅・青梅駅間を運転する列車は通過駅はないが、種別上は快速となる。
青梅線奥多摩始発東京行の列車が早朝のみ設定されているが、逆の東京始発で奥多摩行になる列車は定期列車では設定されていない。
特急とは通常、新宿駅・三鷹駅・立川駅・八王子駅で連絡するが、かいじ121号とは四ツ谷駅で連絡する列車もある[注 4]。
2017年3月6日からの適用新ダイヤでは、東京発22時台終わり(新宿発は23時過ぎ)に快速を増発し、23・0時台に新宿始発の列車が設定された[22]。
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快速
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快速停車駅に関する議論
1960年代の中央線複々線化工事の際には杉並区にある高円寺駅・阿佐ケ谷駅・西荻窪駅の3駅に快速(急行線)ホームを建設しない予定であったが、ホームを設け土曜日を含む平日に限り停車することになった。緩行線が別線路で並行しているうえ、平日の快速区間の西限が中野駅で東京23区内であり、複々線区間の急行線の性格を持つ他路線(東海道線・総武快速線・宇都宮線・常磐快速線など)と比較して電車特定区間での各駅停車区間がかなり長いこと[注 5]、この区間の特別快速等の上位種別がかなりの低速で運転しており運行の妨げになっていること、中野駅・荻窪駅・吉祥寺駅などと比較すると利用客数はかなり少ないことなどからこれら3駅には快速を停車させる必要がないのではという意見がある(いわゆる「杉並三駅問題」)[27]。一方、この区間が線路別複々線であり乗り換えが大変なため利用者の意見は説得力をもち、もし方向別複々線であったならば、通過しても問題は生じなかっただろうという見解もある[21]。
各駅停車
各駅停車は基本的に急行線と併設された緩行線を使用し、すべての駅に停車する。種別カラーは黄色。
1933年(昭和8年)の急行電車の運行開始当時、急行運行時間帯の東京駅発着の中央線電車は半数が緩行線で運行されていたが、1941年 - 1942年ごろに中央線の運行本数が増発されたことにより御茶ノ水駅での急行線・緩行線の振り分けが困難となり、ラッシュ時の東京駅発着電車はすべて急行となった。その後も前述のとおり、平日日中は1959年(昭和34年)まで、休日は1966年(昭和41年)まで急行(快速)が運行されておらず、緩行線経由の各駅停車が東京駅に乗り入れていた(総武線電車は御茶ノ水駅折り返し)[21]。
現在では、東京駅発着の各駅停車は早朝・深夜のみの運行となっている。運行時間帯は土曜・休日ダイヤでは朝晩とも平日ダイヤより40分程度長い。それ以外の時間帯の各駅停車は緩行線専用の車両で総武緩行線や東京メトロ東西線との直通運転を行っており、神田駅・東京駅および三鷹駅より先の武蔵境方面へは乗り入れていない。毎日早朝と土曜・休日の深夜上りは、ほぼ各駅停車のみの運行(ただし、早朝の上りは総武線直通電車も混在する)だが、平日深夜の上下と土曜・休日深夜の下りは、終電の少し前の時間帯まで特快・快速と各駅停車が混ざって走行する状態となる。深夜の下りは、山手線などとの接続の観点から、新宿駅で数分程度停車する電車がある。特に、新宿1:01発三鷹行き終電は、京浜東北線品川1:01発蒲田行き終電と並び、他会社の列車も含め、山手線の駅を最後に出発する放射路線の列車となる。上下線初電(各1本)と上り終電(2本)は中野駅発着である[注 6]。土曜・休日の夜間には大月始発の東京行直通列車も存在する[注 7]。2013年3月18日から2018年3月16日までは、平日にも設定されていた。なお、東京発大月行で各駅に停車する列車は設定されていない。
この運行と前後して、早朝の上りと夜間の下りに武蔵小金井駅・立川駅発着および国分寺発のみの総武緩行線直通電車があり、それらには緩行線用のE231系、E231系500番台、209系500番台が運用されている。
このほか、新宿駅跨線橋架け替え工事が行われる場合など、急行線が使用停止になる際には、快速電車の運行が中止され、終日東京駅発着の各駅停車が運行されることがある。この場合、総武線直通電車と交互に運行される(総武線直通と中央線の本数は通常より減り、東西線との直通運転は中止となる)。
E233系のグリーン車連結に伴うホームの12両対応への改築計画には、緩行線の駅は対象に含まれていない[28]。
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各駅停車LED表示
普通(中距離列車)
立川駅 - 高尾駅間には、中央本線大月・甲府方面の中距離列車である3ドアの普通列車も運行されている。高尾駅での列車番号・種別の変更はなく、立川駅 - 高尾駅間も「普通」のまま運転する。立川駅・豊田駅・八王子駅・高尾駅発着で、ほぼ半数以上が高尾駅での折り返し運転となっており、日中は高尾駅で中央特快との相互接続が行われている。時間帯によっては、途中駅発着の快速と高尾駅との接続列車にもなっている(例:快速豊田行から、立川始発の列車に接続など)。
1933年(昭和8年)7月15日以前は東京駅へも乗り入れており、1911年(明治44年)5月1日の全線開通時からしばらくは中央本線全区間を結ぶ列車も存在した。戦後「三多摩」周辺市街地の拡大や人口急増により、東京駅・高尾間の快速は101系・103系・201系といった最新鋭の4ドア通勤形電車が次々投入され、特別快速、通勤快速の設定により、近距離需要を重視した運行形態がとられ、3ドア・ボックス席の115系電車を用いる普通は新宿駅 - 立川駅間では過密状態になり、新宿駅発着列車が減少した(中央本線の定期客車列車が全廃された1970年代後半になると2時間に1本の割合にまで減少した)。同じく中電と通勤電車が混在する常磐線では、通勤電車まで15両編成化して需要増大に応えたが、中央線ではこのような措置は取られず、代わりに10両編成の快速を日中でも数分間隔で運転するという方針を採り、最大12両編成の中電が停車できるのは新宿駅 - 立川駅間で三鷹駅だけであった。このため、甲府駅・松本駅方面へは立川駅・高尾駅発着の短編成の列車が多くなった。なお、1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正の時点で新宿発着は下り9本、上り7本(うち下り・上り1本ずつは夜行)となっていた。
新宿駅始発の普通列車は、立川駅・八王子駅と高尾駅以西の各駅に停車していたが、1986年(昭和61年)11月1日から三鷹駅にも(その後さらに西八王子駅も)停車を開始した。しかし、1993年(平成5年)12月1日に新宿駅発着が廃止され新宿駅 - 立川駅間での運行がなくなり、普通列車は立川駅・高尾駅発着のみとなり、1996年(平成8年)12月1日に日野駅・豊田駅にも停車するようになってからは通過駅がなくなった。
「むさしの号」
大宮行 | 大宮発 | |||
---|---|---|---|---|
八王子発 | 府中本町発 | 計 | 八王子行 | |
朝 | 1 / 2 | 2 / 1 | 3 / 3 | 1 / 1 |
夕-夜 | 1 / 1 | 0 / 0 | 1 / 1 | 2 / 2 |
計 | 2 / 3 | 2 / 1 | 4 / 4 | 3 / 3 |
国立駅以西では、武蔵野線を経由して中央線沿線と東北本線大宮駅とを結ぶ「むさしの号」が運行されている。この列車は元来臨時快速列車であったが、2010年12月4日より定期列車化したことに伴い、同日付で列車種別が普通列車に変更された[29]。車両は武蔵野線の205系・209系・E231系が使用されている。当初は中央線内では通勤特快と同じ停車駅(立川駅・八王子駅)であり、国立駅・日野駅・豊田駅の3駅は通過となっていた。
2014年3月ダイヤ改正で通過駅となっていた3駅はすべて停車となり、従来から各駅停車区間となっていた大宮駅 - 武蔵野線新小平駅間と合わせて、全区間各駅停車に変更された[30]。
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むさしの号幕表示
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むさしの号LED表示
ホリデー快速
土曜・休日には行楽客などを対象にホリデー快速が運行される。
このうち定期列車の青梅線直通「ホリデー快速おくたま」と五日市線直通「ホリデー快速あきがわ」は特別快速(電車)のグループに含まれるが、青梅線内でも通過運転を行う。
このほか臨時列車として、富士急行線に直通する「ホリデー快速富士山」、中央本線甲府・小淵沢方面へ直通する「ホリデー快速ビューやまなし」がある。こちらは列車種別が「快速」(列車)であるものの、特別快速より停車駅が少なく設定されている(新宿駅・三鷹駅・立川駅・八王子駅・高尾駅のみ停車し、中野駅・国分寺駅・日野駅・豊田駅・西八王子駅、ほか高尾駅以西の一部駅は通過)。これは、かつて存在した新宿駅発着の普通(前述)の上位種別として設定された列車であることによる。
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ホリデー快速「おくたま」「あきがわ」
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ホリデー快速のLED表示
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おくたま号LED表示
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あきがわ号LED表示
使用車両
ここでは、快速電車(かつての急行電車)としてこれまで運用されてきた車両について述べる。特急・急行、ホームライナー、中距離電車で運用される車両は「あずさ (列車)」「かいじ (列車)」「中央ライナー・青梅ライナー」「中央本線」を参照のこと。
現在の使用車両
現在中央線快速では、片側4扉の通勤型電車10両編成が運用されるが、10両貫通の編成と、6両編成と4両編成を連結した編成とが存在する(以降、後者の編成を「分割編成」、編成を分割する運用を「分割運用」と記す)。2023年度にグリーン車が導入される際、12両貫通の編成と、8両編成と4両編成を連結した編成となる[15]。グリーン車付車両は、大月駅、青梅線青梅駅まで直通する。
- E233系0番台(2006年12月 - ):59編成(590両・中央線運用編成のみ)
- 中央線快速では初のステンレス車両であり、車体にオレンジバーミリオン(■)の帯が巻かれた車両が使用される。201系と比較して車体幅が広くなっている。
- 2006年12月26日より[2]東京駅 - 大月駅・青梅駅間で10両編成による営業運転を開始した。翌2007年3月18日のダイヤ改正より分割運用も始まり、青梅以西・五日市線・八高線・富士急行線直通列車でも運用を開始した。分割編成は、後述の201系が東京側4両・大月側6両の構成であったところを本系列は東京側6両・大月側4両の編成に変更された。201系では快速運転を実施する場合でも行先のみを表示するが、E233系では行先表示器に「快速」を併記している[注 8]。中央線用編成としては10両貫通編成のT1 - 42と6両+4両編成のH43 - 57の57本が製造されたが、2008年3月ダイヤ改正で運用本数の変更があり、青梅線・五日市線専用編成2本(青458・658)を中央線編成に転用し、H58に改名している。2015年5月にも2008年と同様に、青梅線・五日市線専用編成2本(青659・459)を転用しH59とした。これは、同年3月のダイヤ改正による、青梅・五日市線のみでの運用変更と、中央線内での予備車の確保のために行われたものである。
過去の使用車両
- 72系
- 101系(1957年12月 - 1985年3月)
- 103系(1973年4月 - 1983年3月)
- もともと、駅間の短い線区用であったが、当線にも投入された(国鉄103系電車#歴史を参照)。103系は総武緩行線や南武線の冷房化率を向上させるため、101系よりも早い時期に全車両が他線に転出した。
- 201系(1979年8月 - 2010年10月)
- オレンジバーミリオンの車両が使用された。4両編成と6両編成を連結した編成と、10両貫通編成の2種類があった。列車番号・編成番号では前者がH、後者がTとされ、運用も区別されていた。末期は全編成が豊田車両センターに所属していたが、この区分はHが旧武蔵小金井電車区、Tが旧豊田電車区受け持ちを示していた頃の名残りである。過去には旧三鷹電車区の受け持ち運用もあり、A運用となっていた。A編成は10両貫通であり、A運用は三鷹区が緩行線専門になった以降もしばらくの間武蔵小金井区の10両貫通運用に存在したが、JR化後の平成初期にH運用となり、その後豊田への統合でTへと変化していた。高尾駅以西に乗り入れる場合、いずれも高尾駅以西の列車番号の末尾はMになった。
- 2006年からE233系の導入に伴い廃車が始まった。2008年3月末までにE233系への置き換えを完了した後も、三鷹駅 - 国分寺駅間の高架工事完成まで予備車としてH4編成・H7編成の2編成が使用された。2010年3月のダイヤ改正では2編成とも定期運用を外れ、豊田車両センターに留置された。H4編成はさよなら運転のイベントのみの運用となり、H7編成はしばらく運用がなかったが、E233系の1編成が事故により運用を離脱したことで、運用不足を補うため4月後半に再び定期運用に復帰し、さよなら運転のイベントを除いて毎日運用され続けた。H4編成は定期運用に復帰することなく、2010年6月20日の長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねたさよなら運転をもって運用を終了[32]、その後H7編成も同年10月14日が最後の定期運用となり、10月17日の廃車回送を兼ねたさよなら運転をもって運用を終了した[33]。
女性専用車
中央線では1912年(明治45年)1月31日に昌平橋駅(同年4月1日万世橋駅開設に伴い廃止) - 中野駅間の登下校時間帯の電車に婦人専用車を連結したのが始まりで[34]、戦後は1947年5月5日 - 1973年8月31日にも婦人子供専用車を設置していた。1957年に二等車を廃止した代わりに老人幼児優先車を翌年まで連結していた。
1973年(昭和48年)9月15日にシルバーシートを導入するとともに専用車両の扱いを取りやめたが、警視庁による首都圏鉄道路線の痴漢件数調査で、中央線は埼京線に次いで多かった。2005年9月5日より痴漢防止対策として平日朝ラッシュ時間帯の7時30分 - 9時30分に新宿駅を発着する上り快速・通勤特快で、東京寄りの一番前の車両にあたる1号車に女性専用車が設定されている。専用車両の設定はJR東日本で埼京線に続き2路線目だが、2006年の調査結果は痴漢件数が第1位であった。
最初に設定された時点では、分割対応編成は奥多摩駅・高麗川駅・河口湖駅への乗り入れ運用をこなす4両編成が東京寄りに連結される編成を組んでいたため、この4両編成が乗り入れる区間から女性専用車が設定されていた。しかし、2007年3月18日のダイヤ改正以降はE233系による編成分割運用が登場し、201系の分割対応編成も運用共通化のため編成の組み換えを実施した。分割対応編成は東京寄りに6両編成が連結される組成になり、女性専用車が4両編成側から6両編成側に移動したため、翌3月19日の電車からは設定区間が変更されている。
- 2005年9月5日 - 2007年3月16日
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- 中央線:大月駅 → 東京駅間
- 青梅線:奥多摩駅 → 東京駅間
- 八高線:高麗川駅 →東京駅間
- 富士急行線:河口湖駅 →東京駅間
201系の一部編成では女性専用車であることを分かりやすくするため、1号車に女性向け商品の車体広告がラッピングされていた。2006年12月から運転を開始したE233系では、1号車のみすべての吊り手や網棚の位置を優先席と同様に低くする工夫がなされている。
中央線と青梅線立川駅 - 青梅駅間では2023年度にグリーン車導入が予告されているが、女性専用車の取り扱いについては未定[35]。
発車メロディ
中央線の駅の発車メロディは、塩塚博作曲のSHシリーズが多く使用されているが、ご当地メロディーも多く採用されている。ご当地メロディーが使用されている駅は以下の通り。
- 高円寺駅 : 阿波踊り - 各駅停車1・2番線ホームのみで使用されている。
- 阿佐ケ谷駅 : たなばたさま
- 三鷹駅 : めだかの学校
- 武蔵小金井駅 : さくらさくら
- 国分寺駅 : 電車ごっこ
- 西国分寺駅 : 一番星見つけた
- 豊田駅 : たきび
- 八王子駅 : 夕焼け小焼け
諸問題
定時性
日本の鉄道の中では定時性はあまり良くない路線として知られており、ラッシュ時には5分程度の遅れが頻繁に発生する。これは利用客の多さにより、10両でラッシュ時最短2分間隔運転と、すでに複線での輸送力のほぼ限界一杯に達しており、混雑の緩和が困難であることが大きな原因である[注 9]。ほかにも、人身事故の多さや、30分に1本走る特急や特別快速、通勤ライナーなど多種多様な列車種別があること、青梅線などの支線が多く運行形態が複雑で遅れの回復が困難などといった理由もある。
人身事故とその対策
ほかの路線と比較して自殺、事故を含めた人身事故が多いとされているが、正確な統計が公開されていないためその真偽は不明である。ただし、特に1997年から1998年にかけて、事故や気象によるトラブルが重なった上に人身事故による列車遅延が頻発したことによってマスメディアに盛んに取り上げられるようになった[36]。
自殺が多いとされることの原因については諸説あるが、自殺の名所というイメージが定着することによる負の連鎖反応によるものなどがあげられている。JRでは一部の駅でホームの両端に柵を設ける、照明を増やす、死角となる壁や柱を作らない、ホームの表面を明るい色にするなどの対策を行っており、荻窪駅では自殺を思い留まらせる目的でホームの向かい側に鏡を設置している。
荻窪駅と西荻窪駅では2009年9月15日より、自殺防止を目的として、ホームの端の蛍光灯を青色のものに変え、10月以降、東京駅 - 高尾駅間の24駅と、立川駅 - 八王子駅間の18の踏切に、青色LEDの照明を順次導入した。
連続立体交差事業
開かずの踏切による街の分断と交通渋滞を解消するために、1996年(平成8年)度から、東京都やJR東日本などが事業主体となって、自動車税やガソリン税を財源として、東京駅 - 日野駅間40.8kmの連続立体交差化が決定され、三鷹駅 - 国分寺駅間7.3kmと国立駅 - 立川駅間3.0kmで連続立体交差事業が実施された。
本工事は1999年(平成11年)から始まり、2006年(平成18年)10月までに5回の仮線への切り替え工事が行われた。下り線は三鷹駅 - 国分寺駅間が2007年(平成19年)7月1日に、西国分寺駅 - 立川駅間が2009年(平成21年)1月11日に、上り線は三鷹駅 - 国分寺駅間が同年12月6日に、西国分寺駅 - 立川駅間が2010年(平成22年)11月7日に高架に切り替えられ、合計で18か所の踏切を解消した。これにより東京駅 - 日野駅間の立体交差化が実現し、同区間における開かずの踏切は解消された。その後上り線の新線路が、武蔵小金井駅で2012年(平成24年)5月20日に、国立駅で同年12月16日に増設された。そして2013年(平成25年)2月24日に武蔵小金井駅の車庫付近のポイント切り替え工事が行われたのを最後に、高架切り替え工事は終了した。同年までに仮線路や駅施設、および武蔵小金井駅前にあった歩道橋の撤去や側道の整備などを行い、2014年3月に事業は完了した[37]。
第1回切り替え工事の問題
最初の大規模な工事は2003年(平成15年)9月27日の夕方から翌28日朝までの予定で行われ、三鷹駅 - 国分寺駅間の上り線を仮線に切り替えた[10]。27日は予定通り進んだが、翌28日朝になってから武蔵小金井駅で配線ミス(配線図そのものに誤りがあったり、つなぎ間違えやつなぎ忘れがあった[38]。)でポイントが作動しないことにより運行再開できない状態が続き、終了予定時刻を8時間近く遅れた13時52分に国分寺発の列車から運行を再開した[10][39][40]。JR東日本は運行再開までバス代行の運行時間を延長するよう各バス会社に要請したが、人員不足などを理由に1時間の延長で代行バスは終了し[10][41]、同区間から立川・新宿方面への確実な移動手段がなくなったため大混乱となった。この作業の際に武蔵境駅周辺ではケーブルテレビ(電波障害用)が日中帯に半日ほど視聴できなかったが、この件に関してもJR側からは何の説明も行われなかった[要出典]。
この前代未聞の事象に各種メディアは、「同社が関連会社に工事を丸投げして監督責任を怠っていたこと」[42]「東海旅客鉄道(JR東海)が東海道新幹線品川駅工事の時に事前に工事リハーサルを行ったなどの例に比して、これだけの大規模な工事をぶっつけ本番で一挙に行う半ば無謀な計画であったこと」[41]などと批判し、9月28日にJR東日本は記者会見を行ったが、その中で「もっとバスを借りられるように手配すべきであったが、ここまでの事態は予想できなかった。しかし、すべての乗客をそもそもバスに振り替えるのは無理。バス輸送は補完的なもので、隣接する私鉄に回って、と前からお願いしていた」と発言した。
この仮線への切り替えにより、踏切の幅が広がって渡りきれないなどのケース[43]や(翌2004年の7月と11月に行われた仮線への切替工事により、仮線切替前の横断距離に戻った[44]ほか、2007年7月1日と2009年1月11日の下り線高架化により遮断時間・横断距離が短縮されている)、踏切の遮断時間が増えたため、国土交通省の指示によりJR東日本は歩行者・自転車用に架道橋を設置したりした[45][46]。
この後に実施された三鷹駅 - 国分寺駅間下り線の仮線化工事に際しては、切替工事に対するリスク管理のため[47]、切替区間を分割して実施された。以降実施された切替工事に関してもリスク管理の徹底が図られ、すべて予定時間内に完了している。
複々線化
この高架化事業とは別に、三鷹駅 - 立川駅では複々線化が計画中である。複々線のうち急行線は高規格な地下路線となる予定で、実現した場合には中野駅 - 立川駅間を運行している快速の停車駅も変更を迫られると見られる。2015年頃までの完成を計画していたが、高架化工事の状況から見込みが立っていない。建設費は国土交通省の試算で約3,600億円と見積もられている[48]。
三鷹駅 - 立川駅間の複々線化は1970年代にはすでに計画されており、そのさなかに開業した西国分寺駅のホーム構造を見れば明らかなように用地は確保されていた。しかし、複々線化工事の着工に手間取っているうちに法改正がなされ、高架化する際には、脇に側道を整備することが義務付けられたため、複々線の用地を環境側道に転用することになってしまった。このため、仮に複々線化が実現したとしても「緩行線は高架・快速線は地下」という構造になる見込みである。ただし、国分寺駅西側から国立駅東側までは掘割であり、既存線に並行して複々線を設置する用地もある。
この複々線を利用する特急列車などの優等列車が三鷹駅から大深度地下を利用した高速地下鉄道によって新宿駅を経由し東京駅で京葉線につなげるという構想もある。ただし、そのための設備投資費用は約4,500億円とJR東日本だけが負うにはあまりにも巨額のため、国や自治体の道路建設や整備新幹線並みの援助が必要だろうといわれている[48][49][50]。
沿線概況
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京駅 - 新宿駅間
東京駅の中央線快速ホームは、1995年7月2日に完成した3重層構造高架線の最上部にある(それ以前は現在の3・4番線の位置にあった)。東海道・東北・上越の各新幹線のホームを真下に見渡すことも、赤レンガ駅舎を真横に見ることもできるホームは、非常に近代的な構造となっている。
東京駅を発車すると、左半分が側道に架かる形になった高架線を34‰で下っていき、一層下の山手線・京浜東北線とフラットレベルになると首都高速八重洲線(地下)と交差、日本橋川と直上の首都高速都心環状線を潜り渡る。直後に右手の東北本線列車線(上野東京ライン)が急勾配で上ってゆく。まもなく神田駅に到着する。
高尾寄りで国道17号(中央通り)を跨ぐ。この付近は中小ビルが連なる中で商店も多く軒を連ねている。間もなく緩やかに左へカーブし山手線・京浜東北線・東北本線から分かれる。間もなく交通博物館および万世橋駅・昌平橋駅の跡地が見えると右手から神田川が近付く。間もなく総武本線支線(中央・総武緩行線)の松住町架道橋・総武線神田川橋梁が見え、中央・総武緩行線が合流し、聖橋を潜ると御茶ノ水駅に到着する。同駅は神田川を通すため武蔵野台地を削った谷にあり、都心部とは思えない崖に引っかかっているような駅となっており、眼下には川を渡る東京メトロ丸ノ内線を見ることができる。駅周辺は日本最大の学生街であり、明治大学や東京医科歯科大学などの教育施設がある。
御茶ノ水駅から複々線区間に入る。右へ左へとカーブを切りながら方向別複々線から路線別複々線となり、左手から崖がなくなると水道橋駅を通過する。間もなく首都高速5号池袋線を潜り、神田川と別れ、左手に日本貨物鉄道(JR貨物)の旧本社ビルと合流してくる留置線が見えてくる。かつての飯田町駅はこの付近の本線上にあった。甲武鉄道のターミナルとして開業し、近年は紙の物流基地として栄えた飯田町駅だが、開発の進んだ現在はほとんどその面影がない。間もなく飯田橋駅を通過する。飯田橋駅を通過すると見えてくるのは旧江戸城の外堀となる。お堀の堤には青々と草が生えて桜の木も多く、さながら都会のオアシスのようである。市ケ谷駅下の外堀には釣り堀があり、毎日のように釣り人で賑わっている。
市ケ谷駅を通過すると並行していた外堀が消え(正確には、埋め立てられて二次利用されている)、左へカーブし南を向くと四ツ谷駅に到着し、国道20号(新宿通り)と東京メトロ丸ノ内線を潜る。高尾寄りがカーブ上にあり、再び南西を向く。
四ツ谷駅を発車すると間もなく御所トンネルを抜ける。このトンネルは赤坂離宮(現・赤坂迎賓館)を潜るため、離宮内の土を開削しトンネルを建設した後再び廃土を埋め戻す、地下鉄の開削工法のような工事が行われた。御所トンネルを抜けると新宿区に入り、左手から首都高速4号新宿線が近付くと信濃町駅を通過する。
間もなく左手奥に明治神宮外苑が見えて渋谷区に入る。さらに右手に新宿御苑が見えると千駄ケ谷駅。並行していた首都高速4号新宿線が左へ分かれると右へカーブして北を向き、山手線・埼京線・湘南新宿ラインと合流して代々木駅を通過する。
間もなくバスタ新宿・ルミネが見えると勾配を下り再び新宿区に入り、国道20号(甲州街道)を潜ると新宿駅。JR以外に京王電鉄・小田急電鉄・東京メトロ・東京都交通局と、4社局の路線が接続するターミナル駅である。JRの1日の平均乗降人員が150万人(2005年度)で日本一、さらに接続する路線の乗降人員を含めると346万人(2004年度)に達し、世界一である。
駅東側はかつて甲州街道の第1宿(内藤新宿)や青梅街道が分岐する交通の要衝として発達し、伊勢丹などの老舗デパートや専門店・飲食店が立ち並び日本有数の繁華街となっており、特にスタジオアルタなどは全国的に知名度が高く、繁華街に北接する駅北東側の歌舞伎町は日本有数の歓楽街であり、飲食店やホテルが軒を連ねている。
一方の駅西側は戦前まで行楽地であったが、高度経済成長期の1960年代から1970年代にかけて京王百貨店・小田急百貨店・ヨドバシカメラが開店し、1971年に淀橋浄水場の跡地に建てられた京王プラザホテルを皮切りに続々と高層ビルが建設された。さらに1991年に千代田区丸の内から東京都庁が移転し、現在は新宿副都心として都心部に次ぐ商業集積地帯となっている。駅南側は再開発によって商業化が進み、前述のルミネのほか、新南口に隣接してタカシマヤタイムズスクエアがある。
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東京駅1・2番線
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飯田橋駅 - 市ケ谷駅間のお堀の横を走る
新宿駅 - 三鷹駅間
新宿駅を発車するとガード(新宿大ガード)を渡り、西側に高層ビル群、東側に西武新宿駅を見ながら緩やかに左へカーブして湘南新宿ライン・山手線・埼京線から分かれ、間もなく大久保駅を通過、その先も緩やかにカーブし、カーブを抜けて西を向くと再び神田川を渡り中野区に入って東中野駅を通過、ここからはるか先の立川駅まで長い直線区間となる。東中野駅を発車し、東京都道317号環状六号線(山手通り)を潜ると、掘割の右手に桜並木が見える。左手に中野電車区が現れると東京メトロ東西線が地上に出て合流し、中野駅に到着する。
中野駅から荻窪駅までの区間は「中央線中野三鷹間線路増設計画」に基づき1961年12月から高架化工事が行われ1964年に工費260億円をかけて完成し、同年9月20日より上下線同時に運用が開始された。これによりそれまで同区間にあった24の踏切はすべて姿を消すこととなった。
同駅周辺は中野サンプラザや中野ブロードウェイを中心に繁華街が形成されて賑わいを見せている。高架駅だが、高架が低い上構内が広く、地上駅の様相を見せる。この先いったん高架線を降りるが、間もなく杉並区に入ると再び高架線を上り、東京都道318号環状七号線を跨いで、程なく高円寺駅に到着する。
高架線の下には住宅街が広がっているが、高円寺駅・阿佐ケ谷駅周辺はコンパクトに収まった商業地帯となっている。高架線の下に住宅街が迫り側道を作る余裕がないため、この区間の高架下には歩行者専用道路を作るなどの苦慮が施されている。いったん高架線を降り、東京都道5号新宿青梅線(青梅街道、都道4号と重複)を潜ると荻窪駅に到着する。東京都道311号環状八号線(環八通り)を跨ぐと再び高架を上り、善福寺川を渡る。
西荻窪駅は東京女子大学を中心とした文教地区にあり、駅周辺にはアンティーク雑貨店や古書店が立ち並ぶ。宗教団体の関連施設も多く、かつてオウム真理教の主要施設があったことでも知られる。発車すると間もなく東京23区を抜け、武蔵野市に入る。
東京都道7号杉並あきる野線(五日市街道)を跨ぐと左手に丸井とユザワヤ、右手に東急百貨店等が見え、大規模な繁華街に入り、吉祥寺駅へ。水道橋にあった同名の寺院の門前町の住民が五日市街道沿いのこの付近に移住し開墾したことから始まり、現在では京王井の頭線と接続して多摩地区有数の商業地帯となっている。発車すると間もなく両側の高層ビルはなくなり、再び住宅街を走る。駅から北へ15分のところには成蹊学園がある。南口は歓楽街として、夜になると別の顔を見せる。
そして再び高架線を下ったところが三鷹駅となる。駅直下に玉川上水が流れ、武蔵野市と三鷹市の市境となっている。北側(武蔵野市)には官公庁の施設が多く、南側(三鷹市)には南北に商店街が伸びている。ここで複々線区間は終わる。
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東中野駅 - 中野駅間の桜並木の横を走る(2010年4月10日)
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高円寺駅 - 阿佐ケ谷駅間の高架複々線区間(2008年4月6日)
三鷹駅 - 立川駅間
三鷹駅を発車すると左手に三鷹車両センターが見えてきて、跨線橋をくぐると間もなく高架線をのぼる。再び武蔵野市に入り、左手の日本獣医生命科学大学を過ぎると武蔵境駅に到着する。甲武鉄道開業時からの駅であり周辺には商業施設も多いが、三鷹・吉祥寺の両駅に近く商業地帯としてはあまり大規模なものではない。
西武多摩川線の高架が地上に降りて左手に分かれると間もなく小金井市に入る。東小金井駅周辺は東京農工大学や法政大学など実に大学6校と高校3校が所在する文教地区だが、北口・南口共に大規模な商業施設はなく、少し閑散とした様相である。駅前ロータリーから50mほどのところに畑があるなど、近隣の他駅とくらべ郊外然とした雰囲気が特徴である。
武蔵小金井駅の手前(地上)には、開かずの踏切である東京都道15号府中清瀬線(小金井街道)の踏切があった。同駅を発車すると高架線から電車庫に通じる線路が分かれて下っていく。駅北西方向には東京学芸大学がある。右手に豊田車両センター武蔵小金井派出所(旧武蔵小金井電車区)を見ながら間もなく国分寺市に入る。
東京経済大学を左手に見ながら高架線を下りると、間もなく東京都道133号小川山府中線(国分寺街道)を跨いですぐ掘割となり、国分寺駅に到着する。元々快速と各駅停車のみの停車駅であったが、駅周辺の再開発によって大きく変貌し、現在では特別快速・通勤快速・通勤特快の全電車と成田エクスプレスが停車するようになった。並行してホームがある西武国分寺線との間にはかつて渡り線があり、貨物列車の受け渡しが行われ、甲武鉄道時代には飯田町駅 - 川越駅間(現在の西武新宿線本川越駅)間直通列車まで運行されていた。さらにかつて下河原線が分岐し、廃止後もホームが残されていたが、駅構造が大きく変化した現在ではその面影はほとんどなくなり、高尾寄りの線路脇に廃線跡が残るのみである。
国分寺駅を発車すると右手に西武国分寺線が並行するが、野川を渡ると間もなく分かれ、右側に住宅街と姿見の池緑地保全地域を見下ろす。かつては左手に中央鉄道学園があり、前述の下河原線の廃線が中央鉄道学園への引き込み線として使用されていた。現在跡地は再開発が進められており、西側が団地、東側が武蔵国分寺公園となっている。旧鉄道学園は線路よりやや高くなっている。間もなく再び切り通しに入り、西国分寺駅に到着する。同駅は住宅街に囲まれているため乗降客はそれほど多くないが、武蔵野線に接続するため乗り換え客が多く、特に朝夕ラッシュ時は混雑する。
西国分寺駅を発車すると間もなく府中市をかすめるが、駅はなくすぐに再び国分寺市に入る。勾配を上り切ると上下線の間が広がり、間から武蔵野線の短絡線が地上に出てくる。下り勾配となって短絡線と合流し、国分寺崖線を越え国立市に入る。間もなく掘り割りを出て高架線を上る。国立駅は箱根土地(後のコクド、現在のプリンスホテル)の堤康次郎が計画した学園都市の最寄り駅として開業した経緯があり、駅南口から南・南西・南東の3方向に放射状に道路が伸びる。三角屋根の国立駅旧南口駅舎の屋根の形状はこの道路の形状を現していると云われる。南へ延びる東京都道146号国立停車場谷保線(大学通り)に沿って一橋大学や桐朋中学校・高等学校など教育施設が多く立ち並び、駅から2km程南進したところに南武線の谷保駅がある。北側(所在地は国分寺市)には鉄道総合技術研究所があり、かつて同駅から引き込み線があったが、2004年に廃止され、現在その跡地は自転車駐輪場となっている。国立駅を発車すると両側に住宅街を見て走る。左側は学園都市の計画によって碁盤状に整備されている。
立川市に入ると次第に国立市から続く住宅街から商業地帯へと入っていく。前方にルミネが見え、高架線を下りると間もなく左手から南武線が合流、東京都道・埼玉県道16号立川所沢線(立川通り)を跨ぎ、立川駅に到着する。高尾寄りで直上を多摩都市モノレール線が跨いでいる。同駅はかつて日本国有鉄道東京西鉄道管理局が所在し、一部の中距離電車も発着する交通の要衝であり、現在は利用客の増加に伴い大規模な駅舎改良工事が進んでいる。駅周辺は多摩地区でも随一の繁華街であり、北側・南側共に商業施設が軒を連ねている。
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高架化工事中時代の武蔵小金井駅付近(2008年4月6日)
立川駅 - 高尾駅間
立川駅を発車すると右手に青梅線が分かれ、その先で中央線快速→青梅線直通電車や貨物列車などが使用する青梅短絡線が分かれると大きく左へカーブし南西を向き、切り通しに入り勾配を下っていく。
切り通しが終わり、武蔵野台地を抜けると残堀川を渡り築堤となり、東京都道29号立川青梅線(新奥多摩街道)を跨ぐと多摩川橋梁にて多摩川を渡り、日野市に入る。日野駅は東京都道256号八王子国立線(甲州街道)との交差部の築堤上にあり、利用客に対してホームが大変狭く、危険な状態になっている。日野市の中心部にあり、駅周辺には商業施設が広がるが、市内の豊田駅、高幡不動駅と比べると農地や住宅地の占める割合が大きく、同規模都市の中心駅にありがちな賑わいは弱い。
日野駅を発車すると中央自動車道を潜り、日野台地に入る。切り通しに入ると鉄道総合研究所の研究施設と共に本線に挟まれたホームのない待避線が現れる。開業時はこちらに日野駅が設置され、1937年に現在地に移転した後も同駅発着列車の折り返しに使用されていたが、発着列車がなくなった現在では一部の回送列車や臨時列車が使用するのみである。
国道20号(日野バイパス)を潜ると日野台地を抜け築堤となり、緩やかに右へカーブしながら勾配を下っていく。カーブを抜けたところが豊田駅となる。同駅は日野台地南端の崖下にあり、駅北側は商業施設や工場が多いが、駅南側は北側ほど開発が進んでおらず少し閑散としている。発車すると間もなく左手に豊田車両センター(元豊田電車区)が広がり、E233系や211系、189系などさまざまな車両を見ることができる。周辺は住宅街だが、大規模な農地も多い。
右へ大きくカーブしながら新駅設置予定地を抜けて勾配を上ると切り通しに入りすぐに左へカーブする。ここは中央線で非常に有名な撮影スポットの一つで、列車の撮影をしている鉄道ファンの姿を目にすることも多い。そして切り通しと八王子盆地に入り、浅川を渡ると八王子市に入る。再び大きく右へカーブし北西を向くと右手に八王子卸売市場などの大型商業施設と日本オイルターミナルの引き込み線を見ながら勾配を上り、国道16号(八王子バイパス)を跨ぐと右手に八王子(貨物)駅(八王子オフレールステーション)を見る。前方にセレオ八王子(旧そごう)が現れると間もなく京王線を跨ぎ、右手から八高線が合流、さらに左手から横浜線も合流し、八王子駅に到着する。かつて八王子機関区も所在し、現在もJR東日本八王子支社とJR貨物八王子総合鉄道部が所在する多摩地区の交通の要衝であり、構内には多くの側線がある。駅北側はかつて甲州街道最大の宿場(八王子横山十五宿)であり、多摩地区の経済的中心として古くから発達、官公庁施設や大規模な商業施設が立ち並び、近年は中央大学を初め多数の大学を擁する学生街、学園都市として大きな繁華街を形成している(ただし中央大学は八王子駅よりは立川駅の方がアクセスが良い)。駅から北東へ0.4km程離れた繁華街の東側には京王線京王八王子駅がある。一方で駅南側は再開発が進んでおり、2010年(平成22年)秋に地上41階の複合ビルが完成する予定。これにあわせ南口も北口同様ペデストリアンデッキ化される。
八王子駅を発車すると勾配を上り、東京都内では珍しい国道16号(東京環状)の踏切を渡る。1.5km程走ると大きく左へカーブし南西を向き、西八王子駅に到着する。八王子駅から続く市街地にあるが、駅南側を中心に住宅街も広がっており、教育施設も多く、朝夕は多くの学生で賑わう。
発車すると前方には関東山地が現れ、市街地から抜け住宅街をほぼ一直線で抜けていくが、2km程走ると右手に駐車場と化した空き地が見える。ここは東浅川駅の跡地である。同駅は大正天皇の大喪列車の終着駅として設置され、その後も皇室の多摩御陵参拝に利用された。廃止後駅舎は八王子市に下賜され「陵南会館」という集会施設となっていたが、1990年の過激派による放火で焼失してしまった。
東浅川駅跡地を過ぎると右へカーブしながら勾配を上り、東京都道47号八王子町田線(町田街道)を跨ぎ勾配を上りきったところが高尾駅。左手に京王高尾線の高架線が見える。同駅は八王子盆地の西端にあり、駅北側と西側は共に山が迫る。駅南側は開発が進み、住宅街が広がっている。
データ
路線データ
東京駅 - 高尾駅間のもの(御茶ノ水駅 - 三鷹駅間では急行線に関するもののみ)。
- 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):東京駅 - 高尾駅間 53.1キロメートル
- 軌間:1067ミリメートル
- 駅数:24(起終点駅を含む。急行線上にホームのない駅はのぞく)
- 複線区間:全区間
- 電化区間:全区間(直流1500ボルト)
- 閉塞方式:(複線)自動閉塞式
- 保安装置:ATS-P
- 最高速度:
- 運転指令所:東京総合指令室
- 列車運行管理システム:東京圏輸送管理システム (ATOS)
混雑率の推移
2016年度の最混雑区間(中野 → 新宿間)の混雑率は187%である[51]。
朝ラッシュ時は新宿駅や中野駅、三鷹駅、国分寺駅、立川駅等の主要駅で相互発着をし、東京駅では車止めをホームの先端から数十メートル伸ばしたことで入線速度を高めるなど、運転本数を極限まで増やすための工夫がなされたことで、1993年度以降は毎時30本の運行を実現している。それでも輸送人員は他路線と比較しても非常に多かったことから、2006年度までは混雑率が200%以上で推移していた。近年は輸送人員が減少傾向であることから徐々に混雑は緩和されているが、現在でも混雑率は180%を上回る。
年度 | 最混雑区間(中野 → 新宿間)輸送実績[52][53] | 特記事項 | |||
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運転本数:本 | 輸送力:人 | 輸送量:人 | 混雑率:% | ||
1955年(昭和30年) | 29 | 33,950 | 95,030 | 280 | 最混雑区間は新宿→四ツ谷間 |
1960年(昭和35年) | 29 | 40,040 | 114,900 | 287 | |
1965年(昭和40年) | 30 | 42,000 | 121,350 | 289 | |
1970年(昭和45年) | 28 | 39,200 | 100,450 | 256 | |
1975年(昭和50年) | 28 | 39,200 | 102,100 | 260 | |
1980年(昭和55年) | 28 | 39,200 | 101,500 | 259 | |
1985年(昭和60年) | 28 | 39,200 | 101,560 | 259 | |
1990年(平成 | 2年)28 | 39,200 | 99,960 | 255 | |
1991年(平成 | 3年)28 | 39,200 | 99,960 | 255 | 最混雑区間を中野→新宿間に変更 |
1992年(平成 | 4年)28 | 39,200 | 100,150 | 255 | |
1993年(平成 | 5年)30 | 42,000 | 98,910 | 236 | |
1994年(平成 | 6年)30 | 42,000 | 97,150 | 231 | |
1995年(平成 | 7年)30 | 42,000 | 95,600 | 228 | |
1996年(平成 | 8年)30 | 42,000 | 95,580 | 228 | |
1997年(平成 | 9年)30 | 42,000 | 94,620 | 225 | |
1998年(平成10年) | 30 | 42,000 | 93,650 | 223 | |
1999年(平成11年) | 30 | 42,000 | 92,760 | 221 | |
2000年(平成12年) | 30 | 42,000 | 91,460 | 218 | |
2001年(平成13年) | 30 | 42,000 | 218 | ||
2002年(平成14年) | 30 | 42,000 | |||
2003年(平成15年) | 30 | 42,000 | 91,560 | 218 | |
2004年(平成16年) | 30 | 42,000 | 214 | ||
2005年(平成17年) | 30 | 211 | |||
2006年(平成18年) | 30 | 87,260 | 208 | ||
2007年(平成19年) | 30 | 198 | |||
2008年(平成20年) | 30 | 44,400 | 86,720 | 195 | |
2009年(平成21年) | 30 | 44,400 | 85,960 | 194 | |
2010年(平成22年) | 30 | 44,400 | 194 | ||
2011年(平成23年) | 30 | 44,400 | 85,570 | 193 | |
2012年(平成24年) | 30 | 44,400 | 194 | ||
2013年(平成25年) | 30 | 44,400 | 86,310 | 194 | |
2014年(平成26年) | 30 | 44,400 | 84,930 | 191 | |
2015年(平成27年) | 30 | 44,400 | 83,260 | 188 | |
2016年(平成28年) | 30 | 44,400 | 83,220 | 187 |
駅一覧
ここでは電車特定区間内(東京駅 - 高尾駅)の設置駅と停車種別・接続路線・所在地を一覧表形式で記述する。
- 特定都区市内制度適用範囲の駅 : 山=東京山手線内、区=東京都区内
- 停車駅
- 特急以外の各種別:●印の駅は停車、|↓↑印の駅は通過(↓↑印はその方向のみ運行)
- 各駅停車:御茶ノ水駅 - 三鷹駅間では緩行線を走行。○印の区間は早朝・深夜のみ運行(詳細は「中央・総武緩行線」を参照)
- 快速:▲印の駅は平日のみ停車、土休日は終日通過
- ライナー=「中央ライナー」「青梅ライナー」
- 高尾駅以西の区間は特急列車以外はいずれの種別も全駅に停車する。
- 特急「あずさ」「かいじ」・臨時列車:列車記事参照
- 特急以外の各種別:●印の駅は停車、|↓↑印の駅は通過(↓↑印はその方向のみ運行)
- 接続路線 : 東京駅 - 新宿駅間の東日本旅客鉄道の路線名は運転系統上の名称(正式路線名とは異なる)。駅名が異なる場合は⇒印で駅名を示す。
- 所在地 : 全駅東京都内
駅番号 | 駅名 | 駅間 営業 キロ |
累計 営業 キロ |
停車種別 | 接続路線 | 所在地 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
各駅停車 | 快速 | 通勤快速 | 中央特快 | 青梅特快 | 通勤特快 | ライナ丨 | むさしの号 | 普通 | ||||||
JC 01 | 区山 東京駅 | - | 0.0 | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道: 東北新幹線・山形新幹線・秋田新幹線・北海道新幹線・上越新幹線・北陸新幹線・ 山手線 (JY 01)・ 京浜東北線 (JK 26)・ 東海道線 (JT 01)・上野東京ライン( 宇都宮線〔東北線〕・高崎線・ 常磐線(快速))(JU 01)・ 横須賀・総武快速線 (JO 19)・ 京葉線 (JE 01) 東海旅客鉄道: 東海道新幹線 東京地下鉄: 丸ノ内線 (M-17) 東京地下鉄: 東西線 ⇒大手町駅 (T-09) 東京地下鉄: 千代田線 ⇒二重橋前駅 (C-10) 都営地下鉄: 三田線 ⇒大手町駅 (I-09) |
千代田区 | ||
JC 02 | 区山 神田駅 | 1.3 | 1.3 | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | | | 東日本旅客鉄道: 山手線 (JY 02)・ 京浜東北線 (JK 27) 東京地下鉄: 銀座線 (G-13) | |||
JC 03 | 区山 御茶ノ水駅 | 1.3 | 2.6 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | | | 東日本旅客鉄道: 総武線(各駅停車)〈秋葉原・市川・船橋・千葉( 総武線)方面〉(JB 18) 東京地下鉄: 丸ノ内線 (M-20) 東京地下鉄: 千代田線 ⇒新御茶ノ水駅 (C-12) | |||
- | 区山 水道橋駅 | 0.8 | 3.4 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | 都営地下鉄: 三田線 (I-11) | |||
- | 区山 飯田橋駅 | 0.9 | 4.3 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | 東京地下鉄: 東西線 (T-06)・ 有楽町線 (Y-13)・ 南北線 (N-10) 都営地下鉄: 大江戸線 (E-06) | |||
- | 区山 市ケ谷駅 | 1.5 | 5.8 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | 東京地下鉄: 有楽町線 (Y-14)・ 南北線 (N-09) 都営地下鉄: 新宿線 (S-04) | |||
JC 04 | 区山 四ツ谷駅 | 0.8 | 6.6 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | | | 東京地下鉄: 丸ノ内線 (M-12)・ 南北線 (N-08) | 新宿区 | ||
- | 区山 信濃町駅 | 1.3 | 7.9 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | ||||
- | 区山 千駄ケ谷駅 | 0.7 | 8.6 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | 都営地下鉄: 大江戸線 ⇒国立競技場駅 (E-25) | 渋谷区 | ||
- | 区山 代々木駅 | 1.0 | 9.6 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | 東日本旅客鉄道: 山手線 (JY 18) 都営地下鉄: 大江戸線 (E-26) | |||
JC 05 | 区山 新宿駅 | 0.7 | 10.3 | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道: 埼京線 (JA 11)・ 湘南新宿ライン (JS 20)・ 山手線 (JY 17) 京王電鉄: 京王線・京王新線 (KO01) 小田急電鉄: 小田原線 (OH01) 東京地下鉄: 丸ノ内線 (M-08) 都営地下鉄: 新宿線 (S-01) 都営地下鉄: 大江戸線 ⇒新宿駅 (E-27)・新宿西口駅 (E-01) 西武鉄道: 新宿線 ⇒西武新宿駅 (SS01) |
新宿区 | ||
- | 区 大久保駅 | 1.4 | 11.7 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | ||||
- | 区 東中野駅 | 1.1 | 12.8 | ● | | | ↓ | | | | | ↑ | | | 都営地下鉄: 大江戸線 (E-31) | 中野区 | ||
JC 06 | 区 中野駅 | 1.9 | 14.7 | ● | ● | ● | ● | ● | ↑ | | | 東京地下鉄: 東西線 (T-01) | |||
JC 07 | 区 高円寺駅 | 1.4 | 16.1 | ● | ▲ | ↓ | | | | | ↑ | | | 杉並区 | |||
JC 08 | 区 阿佐ケ谷駅 | 1.2 | 17.3 | ● | ▲ | ↓ | | | | | ↑ | | | ||||
JC 09 | 区 荻窪駅 | 1.4 | 18.7 | ● | ● | ● | | | | | ↑ | | | 東京地下鉄: 丸ノ内線 (M-01) | |||
JC 10 | 区 西荻窪駅 | 1.9 | 20.6 | ● | ▲ | ↓ | | | | | ↑ | | | ||||
JC 11 | 吉祥寺駅 | 1.9 | 22.5 | ● | ● | ● | | | | | ↑ | | | 京王電鉄: 井の頭線 (IN17) | 武蔵野市 | ||
JC 12 | 三鷹駅 | 1.6 | 24.1 | ● | ● | ● | ● | ● | ↑ | | | 北:武蔵野市 南:三鷹市 | |||
JC 13 | 武蔵境駅 | 1.6 | 25.7 | ○ | ● | ↓ | | | | | ↑ | | | 西武鉄道: 多摩川線 (SW01) | 武蔵野市 | ||
JC 14 | 東小金井駅 | 1.7 | 27.4 | ○ | ● | ↓ | | | | | ↑ | | | 小金井市 | |||
JC 15 | 武蔵小金井駅 | 1.7 | 29.1 | ○ | ● | ↓ | | | | | ↑ | | | ||||
JC 16 | 国分寺駅 | 2.3 | 31.4 | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | | | 西武鉄道: 国分寺線 (SK01)・ 多摩湖線 (ST01) | 国分寺市 | ||
JC 17 | 西国分寺駅 | 1.4 | 32.8 | ○ | ● | ↓ | | | | | ↑ | | | 東日本旅客鉄道: 武蔵野線 (JM 33) | |||
JC 18 | 国立駅 | 1.7 | 34.5 | ○ | ● | ↓ | | | | | ↑ | | | ● | 東日本旅客鉄道:武蔵野線貨物支線〈新小平方面〉 | 国立市 | |
JC 19 | 立川駅 | 3.0 | 37.5 | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道: 青梅線(一部直通運転)・ 南武線 (JN 26) 多摩都市モノレール:多摩都市モノレール線 ⇒立川北駅・立川南駅 |
立川市 |
JC 20 | 日野駅 | 3.3 | 40.8 | ○ | ● | ● | ● | ↑ | | | ● | ● | 日野市 | ||
JC 21 | 豊田駅 | 2.3 | 43.1 | ○ | ● | ● | ● | ↑ | | | ● | ● | |||
JC 22 | 八王子駅 | 4.3 | 47.4 | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道: 横浜線 (JH 32)・■八高線 京王電鉄: 京王線 ⇒京王八王子駅 (KO34) |
八王子市 | |
JC 23 | 西八王子駅 | 2.4 | 49.8 | ○ | ● | ● | ● | ↑ | | | ● | ||||
JC 24 | 高尾駅 | 3.3 | 53.1 | ○ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | 東日本旅客鉄道:■中央本線〈大月・甲府・河口湖(富士急行線)方面(一部直通運転)〉 京王電鉄: 高尾線 (KO52) |
日野市には豊田駅 - 八王子駅間に西豊田駅(仮称)を設置する計画がある。そのため同区間の中間に設置を求める看板が設置されている。
-
東京駅 丸の内口
-
新宿駅
-
吉祥寺駅 北口
-
国分寺駅 南口
-
立川駅 北口
-
八王子駅 南口
-
高尾駅
過去の接続路線
脚注
注釈
- ^ 通勤五方面作戦で線路別複々線の方式がとられたのは、工事のしやすさや、駅ホームのスペースを重視したためと考えられる。(曽根悟「都市鉄道における急行運転の技術」『鉄道ピクトリアル』710号 電気車研究会 p.10 - p.21)
- ^ 1988年12月改正以降の特別快速停車駅と同一。1986年11月当時の特別快速は国分寺駅を通過していた。
- ^ 2017年3月3日までは中央特快であった。
- ^ 四ツ谷駅平日21:49発豊田行は4分、土休日21:48発高尾行は5分で直後のかいじ121号に連絡する。
- ^ 東海道線は東京駅から40.9 km先の戸塚駅以西、総武線は東京駅から43.4 km先の都賀駅以東、宇都宮線(東北線)は東京駅から28.7 km先のさいたま新都心駅以北、常磐線は東京駅から37.1 km先の我孫子駅以東が各駅停車区間となるが、中央線は東京駅から14.7 km先の中野駅以西が平日は各駅停車区間となっており、他路線よりも通過運転区間が短くなっている。なお、杉並3駅を通過したとしても、その次の吉祥寺駅までの距離は東京駅から22.5kmと一番短い。
- ^ 平日ダイヤにおいては、通常の快速と停車駅に差違はないが、三鷹駅 - 中野駅間で緩行線を走行するため、種別表示は無表示ではなく、各駅停車と表示する。この点で武蔵小金井駅以西発着と異なる。
- ^ 高尾発22時台の2本。土曜・休日ダイヤでは、上りの快速の運転は武蔵小金井止まりの列車を除き高尾発21時台で終了するため、2本とも東京駅まで先着する。
- ^ 平日の東京駅 - 中野駅間、土休日の東京 - 吉祥寺駅間で「快速」を表示。上り電車は全区間に渡り表示する。
- ^ 東海道線などは15両編成で運転しているが、編成が長くなると最小運転時隔も長くなる。古い例ではあるが1964年ごろ、中央線快速が101系で既に10両2分間隔運転で限界とされていたとき、東海道線では15両3分間隔が限界と考えられており、この両者の比較では編成を長くしても輸送力は増大させられない(小沢耕一「東京の通勤輸送の現状と問題点」『鉄道ピクトリアル』156号 電気車研究会 p.4 - p.6)。一方常磐線については15両で2分30秒間隔が可能という1985年頃の意見もある(曽根悟「理想の通勤車両」『鉄道ピクトリアル』451号 電気車研究会 p.20 - p.24)。ただし中央線快速ではそれ以外に車両留置線不足も深刻な問題である(向井慧文「1960年代の中央線の輸送状況」『鉄道ピクトリアル』796号 電気車研究会 p.56 - p.62)。
出典
- ^ a b JR中央線飯田橋駅ホームにおける抜本的な安全対策の着手について (PDF) - 2014年7月2日 東日本旅客鉄道 プレスリリース。2ページ目の図において、線路名を「中央急行線」としている。
- ^ a b c “E233系1000番代/京浜東北に22日登場”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2007年12月7日)
- ^ 中央快速線および青梅・五日市線に新型電車を導入! (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2005年10月1日
- ^ “中央線が好きだ。”. JR東日本八王子支社. 2012年7月3日閲覧。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』No.796 電気車研究会 p.59。
- ^ 1951年(昭和26年)4月14日日本国有鉄道公示第104号「中央本線三鷹停車場から武蔵野競技場前停車場に至る鉄道において運輸営業開始」
- ^ 1959年(昭和34年)10月26日日本国有鉄道公示第386号「中央本線三鷹・武蔵野競技場前間の運輸営業は廃止する件」
- ^ 「東京圏輸送管理システム(ATOS)の展開と更新」 (PDF) 『JR East Technical Review』No.36 Summer 2011、東日本旅客鉄道、p.64
- ^ “JR中央線 『空前』の工事運休”. 朝日新聞(夕刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 1. (2003年9月20日)
- ^ a b c d “中央線大混乱 JR高架化工事 配線ミス、復旧8時間遅れ”. 朝日新聞(朝刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 1. (2003年9月29日)
- ^ 信号制御システムの開発概要 (PDF) - 東日本旅客鉄道
- ^ JR中央線、11日始発から通常運転へ 影響50万人(インターネットアーカイブ)- 朝日新聞 2008年4月10日
- ^ 休講:亜大、ICU、一橋大がJR中央線火災で(インターネット・アーカイブ)- 毎日新聞 2008年4月10日
- ^ a b c 2013年3月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社プレスリリース 2012年12月21日
- ^ a b 中央快速線等へのグリーン車サービスの導入について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2015年02月03日
- ^ “JR東日本、中央線のグリーン車計画を延期”. 産経新聞. (2017年3月24日) 2017年3月24日閲覧。
- ^ 中央快速線等へのグリーン車サービス開始時期および車内トイレの設置について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2018年04月03日
- ^ 「【特集】通勤ライナー - 首都圏の国鉄-JR 通勤ライナー運転変遷史」『鉄道ピクトリアル』第747号、電気車研究会、2004年6月、62-63頁。
- ^ a b c RP2003-9 46-52頁「JR各社の快速運転状況 JR東日本 東京圏」
- ^ RF1984-3 31頁「国電中央線の問題個所」
- ^ a b c d RP2003-9 10-24頁「大都市圏での快速運転の発達 -国鉄時代を中心に-」
- ^ a b 2017年3月ダイヤ改正について (PDF) 東日本旅客鉄道八王子支社 2016年12月16日
- ^ a b 『交通公社の時刻表』1987年4月号(復刻版) JTBパブリッシング
- ^ 2013年3月ダイヤ改正について (PDF) 東日本旅客鉄道 2012年12月15日
- ^ a b RP2003-9 34-35頁「JR東日本 東京圏の「通勤快速」」
- ^ 交通新聞社『JR時刻表』2017年9月号
- ^ 例としては『鉄道ピクトリアル』No.796 電気車研究会 p.23
- ^ 中央線快速「運行ダイヤ」はこうして作られる - 2016年12月21日 東洋経済オンライン
- ^ 2010年12月ダイヤ改正について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2010年9月24日
- ^ "2014年3月ダイヤ改正について" (PDF) (Press release). 東日本旅客鉄道. 20 December 2013.
- ^ 『鉄道ピクトリアル』No.796 電気車研究会 p.28 -p.29
- ^ 「さよなら中央線201系」キャンペーン<第1弾>を開催します (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社プレスリリース 2010年2月25日
- ^ 「さよなら中央線201系」キャンペーン<第2弾>を開催します (PDF) - 東日本旅客鉄道八王子支社プレスリリース 2010年6月17日
- ^ 沢和哉『日本の鉄道ことはじめ』築地書館、1996年、pp.95-97頁。ISBN 4-8067-5595-8。
- ^ 2階建てグリーン車を連結している東海道線・高崎線・宇都宮線・横須賀線・総武快速線・常磐線では、女性専用車が導入されていない。
- ^ 『鉄道ファン』No.526 交友社 p.20
- ^ “鉄道連続立体交差”. 武蔵野市 (2016年11月14日). 2016年11月15日閲覧。
- ^ “中央線トラブル 配線図自体に誤り”. 朝日新聞(夕刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 14. (2003年10月7日)
- ^ ネットワーク信号システム - 東日本旅客鉄道
- ^ お詫び(インターネット・アーカイブ) - 東日本旅客鉄道
- ^ a b JR中央線工事、8時間遅れ終了 配線ミスで信号故障(インターネット・アーカイブ)- 朝日新聞 2003年9月29日
- ^ “JR東日本発 「業者任せ」も一因”. 朝日新聞(朝刊) (東京都: 朝日新聞社): p. 29(第3社会). (2003年10月8日)
- ^ “高架化工事で踏切延長 人も車も立ち往生”. 日本経済新聞(朝刊) (東京都: 日本経済新聞社): p. 39(社会). (2003年10月11日)
- ^ 2004年7月21日、11月9日付け交通新聞
- ^ “中央線対策/JR、歩道橋2カ所新設/エレベーター付き”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 1. (2003-10-21(夕刊))
- ^ 中央線高架化工事に伴う踏切しゃ断時分の改善等について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2003年10月15日
- ^ 2004年5月19日付け交通新聞
- ^ a b 国交省/東京圏の鉄道新設・延伸23計画の概算建設費試算/都心直結線は4400億円 - 日刊建設工業新聞(2016/10/21版 / 2017年10月30日閲覧)
- ^ 山之内秀一郎 『JRはなぜ変われたか』 毎日新聞社、2008年、ISBN 978-4-620-31832-5。
- ^ ケンセツ的視点 中央線は立川まで複々線にできるか - ケンプラッツ(2009/11/11版 / 2015年10月30日閲覧)
- ^ “混雑率データ(平成28年度)” (PDF). 国土交通省. p. 1. 2017年7月26日閲覧。
- ^ 「都市交通年報」各年度版
- ^ “地域の復権―東京一極集中を越えて(昭和62年9月)”. 神奈川県 (1987年9月). 2015年1月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月10日閲覧。
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 5 東京、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790023-4。
- 「特集・国鉄電車1984」『鉄道ジャーナル』第205号、鉄道ジャーナル社、1984年3月。(RJ1984-3と記す)
- 「【特集】大都市圏JR線区の快速運転」『鉄道ピクトリアル』第736号、電気車研究会、2003年9月。(RP2003-9と記す)