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その後、カートレースで実績を重ね、2002年にはザップスピードのドライバーオーデションを受け、フルサポートドライバーに合格。[[フォーミュラトヨタレーシングスクール]](FTRS)では受験生40人全員が全日本カート経験者という中で非経験者ながら最終模擬レースで[[中嶋一貴]]や[[大嶋和也]]を抑え[[ポールポジション]]を獲得するも、21歳という年齢を理由に最終選考会で不合格となる<ref name="autosport1409">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、95頁。</ref>。 |
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この頃資金が底を突いたため、石浦は残る100万円の元手で[[INGING]]やザップスピードやハナシマレーシングから型落ちのシャシーやエンジンなどを借り、ボランティアの[[メカニック]]やTeamNaokiの後輩と共に「これでやめよう」という思いで2月に[[岡山国際サーキット]]で行われた[[フォーミュラ3|F3]]合同テストに石浦曰く「勝手に混じった」<ref name="autosport1410">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、96頁。</ref>。ここで[[クラッチ]]がすべるマシン、ツギハギだらけの体制でどのセッションでも上位タイムを記録し総合3番手を記録<ref name="autosport1410">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、96頁。</ref>。これを見たナウモータースポーツの藤田直廣が、速いのに不遇の男がいると[[関谷正徳]]に言ったことで<ref name="autosport1410">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、96頁。</ref>、2006年からは一度は落選した[[トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム]](TDP)契約ドライバーとして、全日本F3選手権にステップアップ。最終戦では最後のチャンスだからと[[トムス]]の山田健二エンジニアが最新パーツやセッティングを回してくれたこともあり<ref>[https://ameblo.jp/ishiura/entry-12370768159.html 2018-04-24 プロとは ISHIURA.BLOG]</ref>、初優勝を挙げシリーズ9位の実績を残した。近代レースの成功法は如何にメーカーの支援の路線に乗るかで、石浦のように泥臭く這い上がるものは今日ではまず見かけず、石浦は「僕が最後じゃないですかね」と述べている<ref name="autosport1411">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、97頁。</ref>(実際には国内ワークスを外され転々とした[[関口雄飛]]の例がある)。 |
この頃資金が底を突いたため、石浦は残る100万円の元手で[[INGING]]やザップスピードやハナシマレーシングから型落ちのシャシーやエンジンなどを借り、ボランティアの[[メカニック]]やTeamNaokiの後輩と共に「これでやめよう」という思いで2月に[[岡山国際サーキット]]で行われた[[フォーミュラ3|F3]]合同テストに石浦曰く「勝手に混じった」<ref name="autosport1410">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、96頁。</ref>。ここで[[クラッチ]]がすべるマシン、ツギハギだらけの体制でどのセッションでも上位タイムを記録し総合3番手を記録<ref name="autosport1410">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、96頁。</ref>。これを見たナウモータースポーツの藤田直廣が、速いのに不遇の男がいると[[関谷正徳]]に言ったことで<ref name="autosport1410">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、96頁。</ref>、2006年からは一度は落選した[[トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム]](TDP)契約ドライバーとして、全日本F3選手権にステップアップ。最終戦では最後のチャンスだからと[[トムス]]の山田健二エンジニアが最新パーツやセッティングを回してくれたこともあり<ref>[https://ameblo.jp/ishiura/entry-12370768159.html 2018-04-24 プロとは ISHIURA.BLOG]</ref>、初優勝を挙げシリーズ9位の実績を残した。近代レースの成功法は如何にメーカーの支援の路線に乗るかで、石浦のように泥臭く這い上がるものは今日ではまず見かけず、石浦は「僕が最後じゃないですかね」と述べている<ref name="autosport1411">[[#AUTOSPORT No.1409|AUTOSPORT No.1409]]、97頁。</ref>(実際には国内ワークスを外され転々とした[[関口雄飛]]の例がある)。 |
2018年5月29日 (火) 00:23時点における版
石浦 宏明[1] | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1981年4月23日(43歳) |
出身地 | 東京都世田谷区 |
スーパーフォーミュラおよびSUPER GTでの経歴 | |
デビュー |
2014年(スーパーフォーミュラ) 2006年(SUPER GT) |
所属 |
P.MU/CERUMO·INGING(スーパーフォーミュラ) LEXUS TEAM ZENT CERUMO(SUPER GT) |
車番 |
1(スーパーフォーミュラ) 38(SUPER GT) |
過去所属 |
TOY STORY Racing Team apr TOYOTA TEAM TSUCHIYA LEXUS TEAM KRAFT LEXUS TEAM SARD |
出走回数 |
29(スーパーフォーミュラ) 94(SUPER GT) |
優勝回数 |
4(スーパーフォーミュラ) 7(SUPER GT) |
ポールポジション |
5(スーパーフォーミュラ) 11(SUPER GT) |
過去参加シリーズ | |
2003-2005 2006-2007 2008-2011 |
フォーミュラ・トヨタ 全日本F3選手権 フォーミュラ・ニッポン |
選手権タイトル | |
2007 2015,2017 |
SUPER GT(GT300クラス) スーパーフォーミュラ |
石浦 宏明(いしうら ひろあき、1981年4月23日 - )は日本のレーシングドライバー。東京都世田谷区出身。
略歴
高校に通うかたわら17歳の1999年にカートレースにデビューする。デビュー戦は新東京サーキットヤマハクラス。いきなりポールトゥーウィンを現在も残るコースレコードで飾るという鮮やかなデビューであった。
その後、カートレースで実績を重ね、2002年にはザップスピードのドライバーオーデションを受け、フルサポートドライバーに合格。フォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)では受験生40人全員が全日本カート経験者という中で非経験者ながら最終模擬レースで中嶋一貴や大嶋和也を抑えポールポジションを獲得するも、21歳という年齢を理由に最終選考会で不合格となる[1]。
2003年から2005年まではエッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズに参戦する。両親がサラリーマン共働きのごく普通の家庭に育った[1]石浦には人脈が無かったため、参戦3年目は服部尚貴の電話番号を調べて営業を行い[2]、服部が作った若手ドライバー育成プロジェクトチームである「TeamNaoki」のサポートを受け参戦し、シリーズランキング3位・優勝2回を記録した。また、この年はGC-21シリーズにも参戦し、シリーズチャンピオンに輝いている。その後全日本F3選手権へのステップアップを目指すもシートが埋まっていたこと、5,000万円の持参金を要求されたなどの理由でステップアップを果たせず[2]、この年の末に服部の提案でフォーミュラ・ニッポンのルーキーテストに、シートは獲得できなかったが「TeamNaoki」のスカラシップによりTEAM DANDELION RACINGから参加した。
この頃資金が底を突いたため、石浦は残る100万円の元手でINGINGやザップスピードやハナシマレーシングから型落ちのシャシーやエンジンなどを借り、ボランティアのメカニックやTeamNaokiの後輩と共に「これでやめよう」という思いで2月に岡山国際サーキットで行われたF3合同テストに石浦曰く「勝手に混じった」[2]。ここでクラッチがすべるマシン、ツギハギだらけの体制でどのセッションでも上位タイムを記録し総合3番手を記録[2]。これを見たナウモータースポーツの藤田直廣が、速いのに不遇の男がいると関谷正徳に言ったことで[2]、2006年からは一度は落選したトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)契約ドライバーとして、全日本F3選手権にステップアップ。最終戦では最後のチャンスだからとトムスの山田健二エンジニアが最新パーツやセッティングを回してくれたこともあり[3]、初優勝を挙げシリーズ9位の実績を残した。近代レースの成功法は如何にメーカーの支援の路線に乗るかで、石浦のように泥臭く這い上がるものは今日ではまず見かけず、石浦は「僕が最後じゃないですかね」と述べている[4](実際には国内ワークスを外され転々とした関口雄飛の例がある)。
2007年は全日本F3選手権にTOYOTA TEAM TOM'Sから参戦。手堅いドライビングで全戦でポイントを挙げ、2勝・ランキング4位となった。この年よりSUPER GT・GT300クラスにもデビューし、TOY STORY Racing Team aprから出場、同じアパートでTDPの年下の先輩である大嶋和也との2人のコンビは「ヤングガン」と呼ばれた。第2戦岡山ラウンドにて初優勝を飾り、第4戦セパンラウンドでも優勝するなど好成績を残し、GT300クラスのドライバーズチャンピオン[5]に輝いた。
2008年は、服部尚貴がテクニカルディレクターを務めるTeam Le Mansよりフォーミュラ・ニッポンに参戦。SUPER GT・GT500クラスでは、土屋武士と共にTOYOTA TEAM TSUCHIYAのECLIPSE ADVAN SC430をドライブした。
2009年12月19日、ファッションモデルの久保寺瑞紀と結婚。久保寺は前述のSUPER GT「TOY STORY Racing Team」のイメージガールを務めていた[6]。
2011年は土屋武士を監督に据えTeam Le Mansから分離されたTeam KYGNUS SUNOCOからフォーミュラ・ニッポン参戦、第6戦スポーツランドSUGOで2位に入るなど躍進を見せドライバーズランキング6位に入る。
2012年はル・マン24時間レースに参戦するトヨタ・TS030 HYBRIDのドライバーに起用されたため、フォーミュラ・ニッポンを離れることになったが、事前テストでクラッシュし背中を痛めたことから肝心のル・マンは欠場を余儀なくされた。一方でニュルブルクリンク24時間レースではトヨタ・86でクラス優勝するなど、悲喜こもごものシーズンとなった。
2014年はスーパーフォーミュラにp.mu/cerumo・INGINGから、3季ぶりにトップフォーミュラに参戦し、開幕戦鈴鹿で3位、第4戦もてぎで2位になるなどの活躍でドライバーズランキング5位となる。
2015年はスーパーフォーミュラには前年と同じ体制で参戦。第2戦岡山で自身初のポールポジションを獲得。この時のインタビューで、一週間前に参戦したニュルブルクリンク24時間レースでマーシャルカーに追突して失格、乗車禁止になったことへの責任感と屈辱感を思い出し涙を流した。なお決勝では小林可夢偉の猛追を振り切って悲願の初優勝を飾った。このレースから一気に覚醒し、第4戦もてぎでもポールトゥウィンを果たして2勝目を飾るなどしてついに自身初のドライバーズチャンピオンを獲得、大躍進の一年となった。なお同年スーパーGTでもセルモへ移籍し、スーパーフォーミュラではチーム監督の立川祐路とコンビを組んでいる。
2016年は雨でスタートから黄旗のまま終了となった岡山以外では勝利を挙げられなかったが、3度のポールポジションと5度の表彰台を獲得する速さを見せた。また、同年チャンピオンの国本雄資とともにセルモ・INGINGの初チームズタイトルに貢献した。スーパーGTでは第5戦鈴鹿1000kmで4年ぶりとなるGT500優勝を収めた。
2017年も同体制で参戦。ポールポジション1回・1勝・2表彰台と前年ほどの活躍ではなかったが、持ち味の安定感でポイントを確実に獲得したのが生きてピエール・ガスリーとフェリックス・ローゼンクヴィストの新外国人2人を振り切り、0.5ポイント差でドライバーズタイトル獲得となった。これにより、F1参戦に必要なスーパーライセンス発給(3年間で通算40ポイント以上獲得)の条件を満たした。しかし、彼は30代後半でF1に参戦していないトヨタから参戦するドライバーであること、さらにF1への昇格には20億円以上とも言われる持参金(または持ち込みスポンサー)が必要とされるため、F1への参戦を現実的にイメージしにくい[7]状態となっている。この件に関しては2017年シーズン開幕前に自身のブログで「人生の記念に家を売ってスーパーライセンスを手にしてみるってのもありか!?」と[8]、さらにチャンピオン獲得後のインタビューでも「(ライセンス取得費用が)3,000万円かかるらしいんですよ。(中略)……3,000万は高いですよね」と発言している[9]。スーパーGTでは第2戦富士で、2015年の雪辱となるポールトゥウィンを果たした。
-
MJ craft SC430(2010年)
-
DENSO KOBELCO SARD RC-F(2014年)
-
ZENT CERUMO RC F(2015年)
人物
- 身長:178cm。
- 体重:70kg。
- 血液型:RH+AB型。
- 国学院久我山中学・高校卒業
- 最終学歴:青山学院大学理工学部機械創造工学科中退。
- 2007年、元レースクイーンの久保寺瑞紀と結婚。
- 娘が2人いる[10]。
- 愛車:レクサス・LS460 F SPORT、トヨタ・86
- 家にはグランツーリスモとステアリングコントローラーを所有しているとニコニコ生放送で明かしている
- BSフジテレビの番組、 カンニングのDAI安吉日!(2018年3月25日終了)に2010年頃からDAI安ファミリーの一員として不定期出演していた。2015年に石浦がスーパーフォーミュラで初タイトルを獲った最終戦JAFグランプリにはDIA安ファミリーのカンニング竹山やDAIGO、笠原美香扮する「ミュラ子」らが駆けつけた。またDAIGOはこのとき、サーキットクイーンの代わりに決勝直前のタイムボードを掲げる役を務めた。2016年のDAI安では「ミュラ男」として石浦自身がミュラ子とおそろいのピンクの衣装を着て解説する場面もあった[11]。
レース戦績
- 1999年 - 新東京サーキットヤマハクラス優勝(カートデビューレース)
- 2000年 - 新東京サーキットPRDカップ(シリーズ2位・2勝)
- 2001年
- 新東京サーキットSSクラス
- もてぎ選手権FAクラス(シリーズチャンピオン・2勝)
- 2002年 - FTRS受講
- 2003年 - エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(トリイレーシング #3 SOH WAKO'S FT/FT30)(シリーズ4位)
- 2004年 - エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(ZAP SPEED #14 アイライン ZAP FT/FT30)(シリーズ6位)
- 2005年
- エッソ・フォーミュラ・トヨタシリーズ(Team Naoki #71 ロッテ爽 TeamNaoki FT/FT30)(シリーズ3位・2勝)
- GC-21(#10 TeamアイラインGC-21/GC-21)(シリーズチャンピオン・全戦優勝)
- 2006年 - 全日本F3選手権((株)ナウモータースポーツ #33 広島トヨタダラーラF305/ダラーラF305 3S-GE)(シリーズ9位・1勝)
- 2007年
- 全日本F3選手権(TOM'S #37 TDP TOM'S ダラーラF307/ダラーラF307 3S-GE)(シリーズ4位・2勝)
- SUPER GTシリーズ・GT300クラス(apr #101 TOY STORYapr MR-S/TOYOTA MR-S ZZW30 2GR-FE)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 2008年
- 2009年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team Le Mans #8/スウィフト017.n RV8K)(シリーズ6位)
- SUPER GTシリーズ・GT500クラス(LEXUS TEAM KRAFT #35 KRAFT SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ9位・1勝)
- 2010年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team Le Mans #8/スウィフト017.n RV8K)(シリーズ8位)
- SUPER GTシリーズ・GT500クラス(LEXUS TEAM KRAFT #35 MJ KRAFT SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ6位・1勝)
- 2011年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team KYGNUS SUNOCO #8)(シリーズ6位)
- SUPER GTシリーズ・GT500クラス(LEXUS TEAM SARD #39 DENSO SARD SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ7位)
- 2012年
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM SARD #39 DENSO KOBELCO SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ3位・1勝)
- ニュルブルクリンク24時間レース SP3クラス(GAZOO Racing #166 TOYOTA 86/TOYOTA 86 ZN6 FA20)(総合46位・クラス優勝)
- 2013年
- 2014年
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM SARD #39 DENSO KOBELCO RC F/LEXUS RC F RI4AG)
- 全日本選手権スーパーフォーミュラ(Project μ/cerumo・INGING #38)
- ニュルブルクリンク24時間レース SP8クラス(GAZOO Racing #48 LFA/LEXUS LFA LFA10 1LR-GUE)(総合15位・クラス優勝)
- ニュルブルクリンク耐久レースシリーズ VLN3・SP8クラス(GAZOO Racing #48 レクサス・LFA/1LR-GUE)(総合133位・クラス5位)
- 2015年
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM ZENT CERUMO #38 ZENT CERUMO RC F/LEXUS RC F RI4AG)(シリーズ4位)
- 全日本選手権スーパーフォーミュラ(P.MU/CERUMO・INGING #38)(シリーズチャンピオン・2勝)
- ニュルブルクリンク24時間耐久レース SP-PROクラス(GAZOO Racing #53 レクサス・LFA Code X/1LR-GUE)(総合14位・クラス優勝)
- 2016年
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM ZENT CERUMO #38 ZENT CERUMO RC F/LEXUS RC F RI4AG)(シリーズ6位・1勝)
- 全日本スーパーフォーミュラ選手権(P.MU/CERUMO・INGING #1)(シリーズ5位・1勝)
- 2017年
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM ZENT CERUMO #38 ZENT CERUMO LC500/LEXUS LC500 RI4AG)(シリーズ4位・1勝)
- 全日本スーパーフォーミュラ選手権(P.MU/CERUMO・INGING #2)(シリーズチャンピオン・1勝)
- 2018年
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM ZENT CERUMO #38 ZENT CERUMO LC500/LEXUS LC500 RI4AG)
- 全日本スーパーフォーミュラ選手権(P.MU/CERUMO・INGING #1)
フォーミュラ
全日本フォーミュラ3選手権
年 | チーム | エンジン | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | NOW MOTOR SPORT | トヨタ | FSW1 12 |
FSW2 Ret |
SUZ1 8 |
SUZ2 7 |
TRM1 10 |
TRM2 8 |
OKA1 5 |
OKA2 7 |
SUZ1 5 |
SUZ2 Ret |
AUT1 10 |
AUT2 8 |
FSW1 7 |
FSW2 8 |
SUG1 Ret |
SUG2 Ret |
TRM1 1 |
TRM2 6 |
9位 | 69 | |||
2007年 | TDP TEAM TOM'S | FSW1 2 |
FSW2 4 |
SUZ1 4 |
SUZ2 2 |
TRM1 4 |
TRM2 2 |
OKA1 1 |
OKA2 7 |
SUZ1 10 |
SUZ2 8 |
AUT1 6 |
AUT2 11 |
AUT3 4 |
FSW1 6 |
FSW2 5 |
SEN1 2 |
SEN2 2 |
SEN3 1 |
TRM1 4 |
TRM2 3 |
4位 | 201 |
フォーミュラ・ニッポン/スーパーフォーミュラ
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | Team LeMans | FSW 7 |
SUZ 13 |
TRM 8 |
OKA Ret |
SUZ1 14 |
SUZ2 Ret |
TRM1 13 |
TRM2 8 |
FSW1 17 |
FSW2 16 |
SUG 9 |
16位 | 9 | |
2009年 | FSW 11 |
SUZ 8 |
TRM 3 |
FSW 4 |
SUZ 4 |
TRM 4 |
AUT 5 |
SUG 5 |
6位 | 30 | |||||
2010年 | SUZ 10 |
TRM Ret |
FSW 6 |
TRM 8 |
SUG 4 |
AUT 3 |
SUZ1 7 |
SUZ2 10 |
8位 | 16 | |||||
2011年 | Team KYGNUS SUNOCO | SUZ 8 |
AUT 10 |
FSW 6 |
TRM 7 |
SUZ C |
SUG 2 |
TRM1 6 |
TRM2 6 |
6位 | 17 | ||||
2014年 | P.MU/CERUMO·INGING | SUZ 3 |
FSW1 Ret |
FSW2 11 |
FSW 4 |
TRM 2 |
AUT 8 |
SUG 6 |
SUZ1 5 |
SUZ2 7 |
5位 | 26 | |||
2015年 | SUZ 5 |
OKA 1 |
FSW 3 |
TRM 1 |
AUT 2 |
SUG 5 |
SUZ1 2 |
SUZ2 4 |
1位 | 51.5 | |||||
2016年 | SUZ 11 |
OKA 1 |
FSW 6 |
TRM 3 |
OKA1 7 |
OKA2 3 |
SUG 16 |
SUZ1 3 |
SUZ2 3 |
5位 | 27 | ||||
2017年 | SUZ 4 |
OKA1 8 |
OKA2 2 |
FSW 1 |
TRM 4 |
AUT 4 |
SUG 6 |
SUZ1 C |
SUZ2 C |
1位 | 33.5 | ||||
2018年 | SUZ 4 |
AUT C |
SUG 11 |
FSW |
TRM |
OKA |
SUZ1 |
SUZ2 |
6位 | 5 |
SUPER GT
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年 | DHG Racing | フォード・GT | GT300 | SUZ | OKA | FSW | SEP | SUG | SUZ Ret |
TRM | AUT | FSW | NC | 0 |
2007年 | apr | トヨタ・MR-S | GT300 | SUZ 3 |
OKA 1 |
FSW 3 |
SEP 1 |
SUG 15 |
SUZ 14 |
TRM 21 |
AUT 9 |
FSW 2 |
1位 | 89 |
2008年 | TOYOTA TEAM TSUCHIYA | レクサス・SC430 | GT500 | SUZ 11 |
OKA 11 |
FSW 8 |
SEP 4 |
SUG 4 |
SUZ 14 |
TRM 10 |
AUT 12 |
FSW 8 |
15位 | 23 |
2009年 | LEXUS TEAM KRAFT | GT500 | OKA 9 |
SUZ 7 |
FSW 5 |
SEP 9 |
SUG 12 |
SUZ 1 |
FSW 7 |
AUT 7 |
TRM 9 |
9位 | 44 | |
2010年 | GT500 | SUZ 6 |
OKA 9 |
FSW 1 |
SEP 7 |
SUG Ret |
SUZ 5 |
FSW C |
TRM 8 |
6位 | 45 | |||
2011年 | LEXUS TEAM SARD | GT500 | OKA 13 |
FSW 6 |
SEP 8 |
SUG 2 |
SUZ 5 |
FSW 8 |
AUT 15 |
TRM 3 |
7位 | 40 | ||
2012年 | GT500 | OKA 9 |
FSW 1 |
SEP 4 |
SUG 4 |
SUZ Ret |
FSW 6 |
AUT 5 |
TRM 4 |
3位 | 57 | |||
2013年 | GT500 | OKA 8 |
FSW 4 |
SEP 2 |
SUG 4 |
SUZ 9 |
FSW 11 |
AUT 7 |
TRM 4 |
8位 | 47 | |||
2014年 | レクサス・RC F | GT500 | OKA 4 |
FSW 6 |
AUT 11 |
SUG 6 |
FSW 12 |
SUZ 12 |
CHA 7 |
TRM 9 |
13位 | 24 | ||
2015年 | LEXUS TEAM ZENT CERUMO | GT500 | OKA 3 |
FSW Ret |
CHA Ret |
FSW 2 |
SUZ 2 |
SUG 10 |
AUT 4 |
TRM 5 |
4位 | 59 | ||
2016年 | GT500 | OKA 6 |
FSW 14 |
SUG 3 |
FSW 7 |
SUZ 1 |
CHA 15 |
TRM 6 |
TRM 9 |
6位 | 52 | |||
2017年 | レクサス・LC500 | GT500 | OKA 4 |
FSW 1 |
AUT 10 |
SUG 13 |
FSW 3 |
SUZ 10 |
CHA 4 |
TRM 3 |
4位 | 62 | ||
2018年 | GT500 | OKA 8 |
FSW 3 |
SUZ 8 |
CHA |
FSW |
SUG |
AUT |
TRM |
6位 | 18 |
脚注
- ^ a b AUTOSPORT No.1409、95頁。
- ^ a b c d e AUTOSPORT No.1409、96頁。
- ^ 2018-04-24 プロとは ISHIURA.BLOG
- ^ AUTOSPORT No.1409、97頁。
- ^ シリーズ2位の高橋一穂・加藤寛規組とは同ポイントであったが、優勝回数の差でチャンピオンになった。
- ^ イメージガール紹介 久保寺瑞紀 - ウェイバックマシン(2007年10月17日アーカイブ分)
- ^ “日本のレースとF1「スーパーライセンス」。その乖離(かいり)がモータースポーツの人気復活を妨げる。(辻野ヒロシ) - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース 個人 2018年4月13日閲覧。
- ^ “『スーパーライセンス』” (日本語). ISHIURA.BLOG 2018年4月13日閲覧。
- ^ 「2度目の王者獲得、石浦宏明「海外勢に甘く見られるわけにはいかない」」『Motorsport.com』。2018年4月13日閲覧。
- ^ 松山へ - ISHIURA.BLOG(2009年10月24日)
- ^ ミュラ男➡解説
参考文献
- 角田五十四「「最後の100万円」 石浦宏明 崖っぷちでつかんだ人生逆転ストーリー」『AUTOSPORT No.1409』2015年7月3日号、三栄書房、2015年、94-97頁。
関連項目
外部リンク
- 石浦宏明オフィシャルサイト
- ISHIURA.BLOG - Ameba Blog
- 石浦 宏明 (@Hiroaki_Ishiura) - X(旧Twitter)
- 石浦 宏明 (hiroaki.ishiura) - Facebook
- ザップスピード ZAP SPEED
- ミュラ子のスーパーフォーミュラ日記:はじめまして編
JMS P.MU/CERUMO·INGING | KONDO RACING | DOCOMO TEAM DANDELION RACING | UOMO SUNOCO TEAM LEMANS | TEAM 無限 | REAL RACING | ||||||
1 | 石浦宏明 | 3 | ニック・キャシディ | 5 | 野尻智紀 | 7 | ピエトロ・フィッティパルディ(Rd.1) トム・ディルマン(Rd.2-4) |
15 | 福住仁嶺(Rd.1,5-) 阪口晴南(Rd.2) ダニエル・ティクトゥム(Rd.3,4) |
17 | 塚越広大 |
2 | 国本雄資 | 4 | 山下健太 | 6 | 松下信治 | 8 | 大嶋和也 | 16 | 山本尚貴 | ||
carrozzeria Team KCMG | ITOCHU ENEX TEAM IMPUL | VANTELIN TEAM TOM'S | B-MAX Racing team | TCS NAKAJIMA RACING | |||||||
18 | 小林可夢偉 | 19 | 関口雄飛 | 36 | 中嶋一貴 | 50 | 千代勝正 | 64 | ナレイン・カーティケヤン | ||
20 | 平川亮 | 37 | ジェームズ・ロシター | 65 | 伊沢拓也 |