「蟹江一家3人殺傷事件」の版間の差分
m 角括弧の終了違反 |
Cookiywookiy (会話 | 投稿記録) m編集の要約なし タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集 |
||
(24人の利用者による、間の84版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{Infobox 事件・事故 |
|||
'''愛知県蟹江町母子3人殺傷事件'''(あいちけんかにえちょう ぼしさんにん さっしょうじけん)とは、[[2009年]]([[平成]]21年)5月1日に[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]事件である。2009年12月10日に[[捜査特別報奨金制度]]に指定され<ref>『中日新聞』2009年12月9日朝刊29面「蟹江殺傷に懸賞300万円 警察庁 豊田殺人は1年延長」</ref>、[[被疑者]][[逮捕 (日本法)|逮捕]]直後の[[2012年]](平成24年)[[12月9日]]に指定が取り消された([[愛知県警察]]は延長に向けて[[警察庁]]と協議していたが、「情報提供件数が少ない」ことを理由に容疑者が逮捕された日である12月7日に延長の申請を断念することが報じられていた)<ref>『中日新聞』2012年12月7日朝刊38面「豊田女子高生殺害 報奨金を1年延長 蟹江の強殺は断念」</ref><!--実際は容疑者逮捕直前に中日新聞報道で延長断念が決定しています<ref>{{Cite news|title=懸賞金の指定取り消し=容疑者逮捕で警察庁|newspaper=時事通信|date=2012-12-07|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012120700762}}{{リンク切れ|date=2015年10月}}</ref>-->。被疑者として逮捕・[[起訴]]された[[中国人]]の男は一・二審で[[日本における死刑|死刑]][[判決 (日本法)|判決]]を受け、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]に[[上告]]中である。 |
|||
| 名称 = 蟹江一家3人殺傷事件 |
|||
| 場所 = {{JPN}}・[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]][[蟹江本町]]海門{{Efn2|[[近鉄蟹江駅]]から北西約300 [[メートル|m]]、[[蟹江町立蟹江小学校]]から西方約50 mの旧来からの住宅街に位置する二階建ての一般住宅{{Sfn|愛知県警|2011}}。なお事件現場一帯の住所は、2010年1月16日から「愛知県海部郡蟹江町[[城 (蟹江町)|城]]四丁目」となっている{{Sfn|愛知県警|2011}}。}}<ref name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面">『[[中日新聞]]』2009年5月2日夕刊1頁「蟹江の民家 兄弟縛られ次男死亡 強殺で捜査 背中に刺し傷」</ref>(現:海部郡蟹江町城四丁目){{Sfn|愛知県警|2011}} |
|||
:<!--経度・緯度はおおよその位置--> |
|||
| 画像 = {{Infobox mapframe|frame-width=300|zoom=15|type=point}} |
|||
| 緯度度 = 35 |緯度分 = 7 |緯度秒 = 45.911 |
|||
| 経度度 = 136 |経度分 = 47 |経度秒 = 27.703 |
|||
| 日付 = [[2009年]]([[平成]]21年)[[5月1日]]深夜 - [[5月2日]]昼{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=1}} |
|||
| 開始時刻 = 5月1日21時30分ごろから22時ごろ{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=1}} |
|||
| 終了時刻 = 5月2日午後0時20分ごろ{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=1}} |
|||
| 時間帯 = [[UTC+9]] |
|||
| 概要 = [[万引き]]などで[[罰金]]刑を言い渡されて支払いに困窮した中国人留学生が民家に侵入し、家人の女性と同居していた次男の計2人を殺害したほか、女性の三男1人を負傷させた{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=1-2}}。 |
|||
| 武器 = 金属製モンキーレンチ{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}、鋭利な刃物(被害者宅の包丁{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}および持参したクラフトナイフ{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}) |
|||
| 攻撃側人数 = 1人 |
|||
| 標的 = 現場住宅在住の一家3人 |
|||
| 手段 = 鈍器で殴る・刃物で刺す |
|||
| 懸賞金 = [[警察庁]]が[[捜査特別報奨金制度]]対象事件に指定<ref name="中日新聞2009-12-09"/>(解決後に指定取り消し) |
|||
| 死亡 = 2人 |
|||
| 負傷 = 1人 |
|||
| 損害 = 現金約20万円・腕時計1個(時価約1,200円相当){{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}} |
|||
| 犯人 = 男L(事件当時25歳{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=15}}) - [[中華人民共和国]]国籍の[[三重大学]][[留学|留学生]]<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/> |
|||
| 動機 = 万引きにより科される見込みとなった罰金を支払うために窃盗目的で侵入{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=13-14}}。その後、家人と遭遇したことで居直り強盗に{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=10}}。 |
|||
| 謝罪 = 捜査段階・公判段階にて謝罪の言葉 |
|||
| 賠償 = 犯人の両親が500万円の被害弁償<ref name="中日新聞2015-01-23"/>+民事訴訟(後述) |
|||
| 対処 = 愛知県警が[[逮捕 (日本法)|逮捕]]<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>・名古屋地検が[[起訴]]<ref name="中日新聞2012-12-29"/> |
|||
| 刑事訴訟 = [[日本における死刑|死刑]]([[日本における収監中の死刑囚の一覧|未執行]]) |
|||
| 民事訴訟 = 犯人側に総額約5,600万円の[[損害賠償]]命令<ref name="中日新聞2016-03-25"/> |
|||
| 管轄 = |
|||
* [[愛知県警察]][[刑事部|捜査一課]]・[[蟹江警察署]] |
|||
* [[名古屋地方検察庁]] |
|||
}} |
|||
'''蟹江一家3人殺傷事件'''(かにえいっかさんにんさっしょうじけん)とは、[[2009年]]([[平成]]21年)[[5月1日]]深夜から翌[[5月2日]]昼にかけて[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]の民家で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・同未遂事件である<ref name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面"/><ref name="中日新聞2009-05-03"/><ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。 |
|||
[[犯人]]の男L<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>(事件当時25歳{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=15}})は当時[[三重大学]]在学の[[中国人]][[留学|留学生]]だったが<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、[[万引き]]により受ける見込みとなった[[罰金]]を支払うために盗みを企て、侵入先の民家で遭遇した家人3人を殺傷したほか、3年後に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]されるまでに[[三重県]]内で[[窃盗罪|窃盗]]2件を繰り返した(起訴状より){{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=1-2}}。 |
|||
== 概要 == |
|||
=== 事件概要 === |
|||
{{出典の明記|date=2015年10月|section=1}} |
|||
2009年5月2日午後0時20分頃、愛知県蟹江町蟹江本町海門の民家で家主の次男(洋菓子店勤務)が1階和室で倒れて死亡し、会社員の三男が手を縛られて首に怪我を負っているのを、[[日本の警察官|警察官]]が発見。[[愛知県警察]]は強盗殺人事件として[[捜査]]を開始した<ref>『[[中日新聞]]』2009年5月2日夕刊1面「蟹江の民家 兄弟縛られ次男死亡 強殺で捜査 背中に刺し傷」</ref>。現場は、[[近鉄名古屋線]][[近鉄蟹江駅]]から北西に約500mの住宅街<ref>『中日新聞』2009年5月2日夕刊11面「蟹江民家強殺 閑静な住宅街騒然 近隣住民ら『まさか』」</ref>。 |
|||
[[愛知県警察]]による初動捜査時の不手際から捜査は難航し<ref name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊1面"/><ref name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"">『読売新聞』2012年12月8日中部朝刊第一社会面33頁「蟹江殺傷逮捕 『情報なし』から急転 発生3年安堵の住民=中部」</ref><ref name="中日新聞2012-12-10"/>、[[警察庁]]は事件から半年以上が経過した同年12月10日、本事件を[[捜査特別報奨金制度]]対象事件に指定した<ref name="中日新聞2009-12-09"/>。その後、犯人Lは2012年(平成24年)10月に窃盗容疑で[[三重県警察]]に逮捕され、その際に採取された唾液の[[デオキシリボ核酸|DNA]]型が事件現場の遺留品と一致したため<ref name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>、同年12月に本事件の[[被疑者]]として逮捕され<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、[[起訴]]された<ref name="中日新聞2012-12-29"/>。 |
|||
翌5月3日に次男の遺体が発見された1階和室の押し入れから、所在不明と発表されていた会社員の母親の他殺体が発見され、凶器とみられる[[包丁]]も血を洗い流した状態で家の中で発見された<ref>『中日新聞』2009年5月4日朝刊23面「蟹江殺傷 押し入れに母の遺体 血洗った包丁も発見」</ref>。母親は事件の十数年前に夫を亡くし、女手ひとつで4人の息子や義母の世話をしていた。 |
|||
[[刑事手続|刑事裁判]]で[[被告人]]Lは強盗殺人・同未遂および窃盗の罪に問われ{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=1}}、2018年(平成30年)に[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]で[[日本における死刑|死刑]]が[[確定判決|確定]]<ref name="中日新聞2018-09-07"/>。[[東海3県]](名古屋・[[岐阜地方裁判所|岐阜]]・[[津地方裁判所|津]]各地裁および各支部)の[[裁判員制度|裁判員裁判]]における死刑[[求刑]]<ref name="中日新聞2015-02-06 no.1"/><ref name="中日新聞2015-02-06 no.2"/>・[[判決 (日本法)|判決]]はいずれも本事件が初だった<ref name="中日新聞2015-02-21 no.1"/><ref name="朝日新聞デジタル2015-02-20"/>。 |
|||
[[司法解剖]]の結果、2人の死亡推定時刻を5月1日午後9~10時頃としている。 |
|||
== 犯人L == |
|||
生存した三男によると同日午前2時ごろに帰宅し、靴を脱いでいる時に背後から強い衝撃を受け、男ともみ合ううちに手を縛られ気を失ったと語っている。三男は自分を襲った人間について「外国人のような[[イントネーション]]の[[日本語]]を話していた」と話しているが、帰宅時酔っていたこと、[[コンタクトレンズ]]が曇ってしまったこともあり、顔については覚えていないと語っている。 |
|||
本事件の[[犯人]]は[[中華人民共和国]](中国)[[国籍|籍]]の男'''L'''(逮捕当時{{年数|1983|7|28|2012|12|7}}歳)である<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。Lは[[1983年]]([[昭和]]58年)[[7月28日]]{{Sfn|年報・死刑廃止|2023|p=87}}、中国の[[山東省]][[済南市]]で一人っ子として生まれ<ref name="中日新聞2012-12-14"/>、事件当時は[[三重大学]]の[[留学|留学生]]であり<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、年齢は{{年数|1983|7|28|2009|5|1}}歳だった{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=15}}。 |
|||
2023年([[令和]]5年)9月25日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2023|p=203}}、Lは[[日本における死刑囚|死刑確定者(死刑囚)]]として[[名古屋拘置所]]に[[日本における収監中の死刑囚の一覧|収監されている]](現在{{年数|1983|7|28}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2023|p=201}}。 |
|||
また、駆けつけた警察官が玄関にうずくまる黒ずくめの男を目撃したが、[[被害者]]の一人と勘違いし、警察官が応援要請している間に逃走した。 |
|||
=== 生い立ち === |
|||
その後の捜査から、[[犯人]]が[[被害者]]宅に長期間滞在しており家人が用意していた[[食事]]を食べた形跡や血のついた自分の衣類を[[洗濯機]]で洗った形跡があること、飼い猫まで惨殺する手口など不可解な行動が明らかになっている。 |
|||
Lの父親は地方公務員で、家庭は中流家庭だった<ref name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>。経済的に不自由なく暮らし、読書好きな少年だったLは<ref name="中日新聞2012-12-13"/>、地元では成績優秀で地元の大学にも合格していたが、父親から「日本で先進技術を学んではどうか」と留学を勧められたことから<ref name="中日新聞2015-01-23"/>、[[2003年]](平成15年)10月に郷里の中国・山東省から留学目的で来日した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}。そして四年制大学への進学をめざし<ref name="中日新聞2012-12-12"/>、語学学校{{Efn2|京都市内の[[日本語学校]]<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。}}の1年6か月コースに入学し<ref name="中日新聞2012-12-12"/>、寮生活を送っていたが、在学中の[[2004年]](平成16年)4月・8月には[[京都府]][[京都市]]内で2度にわたって[[万引き]]をしたとして、[[窃盗罪|窃盗]]容疑で逮捕され、不起訴処分となっていた{{Efn2|Lが在学していた語学学校の関係者は『中日新聞』の取材に対し「授業料の約100万円は滞納せずに納めており、成績は優秀だった。三重大よりもさらに上の大学に届くぐらいの学力だったが、受験で手続き上のミスをしたため、上の大学には進学できなかった」と証言している<ref name="中日新聞2012-12-12"/>。}}<ref name="中日新聞2012-12-12"/>。 |
|||
語学学校を卒業後、Lは[[2005年]](平成17年)4月にコンピューター[[専門学校]](2年課程){{Efn2|[[奈良県]][[奈良市]]<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。}}に入学したが<ref name="中日新聞2012-12-14"/>、後述の三重大学合格を受けて中退<ref name="中日新聞2012-12-14">『中日新聞』2012年12月14日朝刊第一社会面39頁「中国の両親『なぜ』 蟹江の一家殺傷 『奨学金なく困窮』三重大入学後 以前の担任に手紙」「L容疑者へ仕送り計540万円 公務員家庭無口な一人っ子 母『私の命で償いたい』」</ref>。当時の授業料は年間65万円余りで、Lはこれを延滞せずに納めていたが、クラスの成績上位者が選ばれる私費留学生向けの奨学金は受けられなかった{{Efn2|Lは当時、コンピューター専門学校では「クラスのまとめ役」と評価されていたが、[[奨学金]]を受けられないことに不満を抱いており、担任教師に対して何度も「なぜ奨学金を受けられないんだ」と詰め寄っていた<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。また、三重大入学後も担当教師に対し、「なぜ自分は奨学金を受けられないのか。そのせいで金に困り、[[コンビニエンスストア]]の廃棄弁当を漁って食べるような生活を送っている」という内容の手紙を送っていた<ref name="中日新聞2012-12-14"/>。}}<ref name="中日新聞2012-12-14"/>。Lは後年(2013年)、『[[毎日新聞]]』記者・永野航太との面会取材で「来日した当初は日中間の懸け橋になることを夢見ていたが、生活が困窮したことから万引きを繰り返すようになった」と述べている<ref name="毎日新聞2013-02-06"/>。 |
|||
=== 犯人像 === |
|||
{{出典の明記|date=2015年10月|section=1}} |
|||
犯人は |
|||
* [[モンキーレンチ]](母親と次男を殺害するのに用いた[[凶器]]。国内で約3000本が流通しているが、工場に納入されるもので小売店で扱っていない) |
|||
* [[ナイフ|クラフトナイフ]](三男を切りつけた凶器) |
|||
* 血のついた[[パーカー (衣類)|パーカー]](サイズはLLサイズで全国で2003年から2004年にかけて、約450点販売されており、洗濯をせずに長期間着ていた可能性がある) |
|||
* [[マスク#フェイスマスク|不織布マスク]]([[スーパーマーケット]]、[[ドラッグストア]]などで購入できる大量生産品) |
|||
* 防寒手袋 |
|||
を遺留品として残していった。 |
|||
Lは三重大学に<ref name="中日新聞2012-12-13"/>[[2006年]](平成18年)4月から在学し{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}、国の支援を受けない私費留学生として年間約34万円の授業料を払いつつ、[[三重県]][[津市]]内の大学キャンパス付近のアパートで一人暮らししながら地域文化論を学んでいた<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面">『中日新聞』2012年12月8日朝刊第一社会面39頁「蟹江・一家3人殺傷 私費留学 生活に困窮? 家賃滞納繰り返す 逮捕の中国人 留年後卒業、勤めも」「『なぜあの家狙ったか』 被害者遺族や友人ら 叔父『みそ汁から逮捕…因縁かな』」</ref>。しかし三重大時代(2008年 - 2010年度)には学費滞納を繰り返し<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>、前期・後期ごとに大学側から何度も支払いの督促を受けていた{{Efn2|2008年には三重県の私費留学生奨学金を申請したが、成績不良などを理由に認められなかった<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。そのため、Lは母国の両親から仕送りを受けつつ、大学付近の飲食店などでアルバイトをして生活していたが、事件前には体調を崩して働けなくなった<ref name="読売新聞2012-12-29"/>。所属ゼミの教授は「大学の会計担当者から督促依頼が来ており、会計が退学をちらつかせてようやく支払う状態だった」と証言している<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。}}<ref name="中日新聞2012-12-13">『中日新聞』2012年12月13日朝刊第一社会面37頁「蟹江一家殺傷 学費滞納繰り返す L容疑者、大学から督促」</ref>。アパートの家賃も滞納するなど、生活費に困窮しており、成績も悪く、授業に来ないことも多かった<ref name="中日新聞2012-12-12"/>。結局、事件のあった2009年度は2単位しか取得できなかった{{Efn2|出席日数不足・成績不振などの理由から<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>、事件発生年の2009年4月には留年し、4年生に進級できなかった<ref name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>。}}が、2010年度(入学5年目)には授業に出席するようになり、2011年3月に卒業した<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。 |
|||
食事に残っていた[[唾液]]から犯人の[[ABO式血液型|血液型]]はO型であると判明しており(一家にO型の人間はいない)、個人を特定する[[指紋]]も検出された。 |
|||
== 事件の経緯 == |
|||
=== 事件前の動向 === |
|||
事件発生から3年後の2012年12月7日、本事件とは別の同年10月に発生した[[自動車]][[窃盗罪|窃盗]]事件で[[三重県警察]][[鈴鹿警察署]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]されていた<ref>『中日新聞』2012年10月20日朝刊三重版22面「自動車盗の疑い」</ref>当時29歳の[[中華人民共和国|中国]][[国籍]]の[[三重県]][[津市]]在住の男(以下、A)の[[DNA]]が本件の遺留品と一致した<ref>『中日新聞』2012年12月7日夕刊1面「蟹江一家殺傷男逮捕へ 現場のDNA型一致 窃盗で逮捕 津の中国人容疑者」</ref>ため、[[蟹江警察署]]はAを[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]および強盗殺人未遂の疑いで逮捕した(Aは事件当時[[三重大学]]の[[留学生]]であり、事件を起こした後の2011年3月に三重大を卒業、三重県内の自動車部品会社に[[就職]]するも2012年6月に[[自己都合退職|退職]]していた)<ref>『中日新聞』2012年12月8日朝刊1面「蟹江一家殺傷 中国人元留学生を逮捕 強殺容疑 当時、三重大に在籍」</ref><ref>『中日新聞』2012年12月8日夕刊11面「蟹江一家殺傷 窃盗事件繰り返す A容疑者『金に困っていた』」</ref>。 |
|||
来日直後から万引きなどの窃盗事件を繰り返していたLは、津市内で食料品・衣類などの万引きを繰り返した<ref name="中日新聞2012-12-12">『中日新聞』2012年12月12日朝刊第一社会面35頁「蟹江の強殺 容疑者、来日直後から万引 L容疑者 京都で2度摘発」</ref>。 |
|||
事件前年の[[2008年]](平成20年)12月31日、当時大学3年生だったLは高級食材を万引きする窃盗事件を起こし{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}、[[津警察署|三重県津警察署]]に摘発され<ref name="中日新聞2012-12-09"/>、[[罰金|罰金刑]](20万円)を受けた<ref name="中日新聞2012-12-10"/><ref name="中日新聞2012-12-12"/>。これに加え、翌2009年2月8日にはセーラー服のコスチュームを万引きしようとした窃盗未遂事件を起こして検挙された{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}。Lは2009年4月27日{{Efn2|当時、Lの銀行口座の貯金残高は1,000円未満だった<ref name="中日新聞2015-01-27"/>。}}、各事件について検察庁で取調べを受けた際に検察官から「罰金刑を科される見込みである」「罰金を納めない場合には労役場に留置される可能性がある」と説明を受けた上で、略式手続による処分を受けることに同意したが、「罰金を支払えず労役場に留置されると、大学を退学処分になり自分の人生が終わってしまう。そうなれば日本への留学のために経済的負担を掛けた両親の期待を裏切ってしまう」などと考えた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}。そのため、当初は罰金を支払う資金を得るため、[[名古屋市|名古屋]]で通行人から金品を奪う路上強盗を思い付き、相手から追跡された場合に捕まらず逃げ切るため、「武器を使って相手を脅したり、殴ったりしよう」と考えた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=3}}。 |
|||
動機については「(事件前から[[万引き]]などの窃盗を繰り返しており、事件前年の2008年には食料品を万引きしたとして窃盗容疑で三重県警[[津警察署]]に摘発され、[[罰金]]刑を受けていたため)罰金を払うために金が必要だった」と供述した。[[ひったくり]]等で金を得るため当時住んでいた三重県から[[名古屋市]]へ向かったが、都会の雑踏で犯行を断念し、[[近鉄名古屋駅]]から乗車した戻りの[[近鉄名古屋線]]の[[急行列車|急行電車]]が最初に停まった[[近鉄蟹江駅]]で降り、[[空き巣]]狙いに切り換えて周辺を物色していたところ、被害者宅に飼い猫が入っていく様子を目撃し、玄関が施錠されていないことに気付いて侵入先に選んだ。凶器の[[レンチ|スパナ]]や小刀は事前に準備していたとみられ、「侵入し、見つかったら殺すつもりだった」と述べているという<ref>『中日新聞』2012年12月9日朝刊39面「蟹江一家殺傷『名古屋の帰り、下車』容疑者 猫見つけ無施錠確認」</ref>。 |
|||
事件当日(2009年5月1日)、Lは自宅からモンキーレンチ(金属製・重量約635 [[グラム|g]]){{Efn2|モンキーレンチ(全長31.5 cm)<ref name="中日新聞2009-07-04"/>は一般家庭ではあまり使われない工業用<ref name="中日新聞2009-06-01 no.1">『中日新聞』2009年6月1日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷 きょう1カ月 室内に家族以外の手袋跡 凶器のレンチ工業用?」</ref>(自動車整備・水道配管工事用)<ref name="中日新聞2010-01-09"/><ref name="読売新聞2009-06-06"/>で、専門業者を通じて工場に納入されており、ホームセンターなどでは販売されていなかった<ref name="読売新聞2009-06-06">『読売新聞』2009年6月6日東京朝刊第一社会面39頁「愛知・母子3人殺傷 凶器は特殊スパナ 新潟メーカー製、工場から入手か」</ref>。}}・片刃のネジ付きスライド式クラフトナイフ(刃渡り約6 [[センチメートル|cm]]・重量約50 g)を、それぞれをかばんに入れて携帯した上で、パーカー・マスクを着用して[[名古屋市]]内に出掛けた{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=3-4}}。そして[[名古屋駅]]<ref name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>周辺で路上強盗をする相手を探したが、標的を見つけることができなかったために犯行を断念し{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}、[[近鉄名古屋駅]]([[近鉄名古屋線]])から帰りの[[急行列車|急行電車]]に乗車した<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。Lは乗車中に電車内で乗客の女性に目をつけ、その女性が降りた駅{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}([[近鉄蟹江駅]]){{Efn2|近鉄蟹江駅は近鉄名古屋線の急行電車(近鉄名古屋駅発)が最初に停車する駅<ref name="中日新聞2012-12-09">『中日新聞』2012年12月9日朝刊第一社会面39頁「蟹江一家殺傷 『名古屋の帰り、下車』 容疑者 猫見つけ無施錠確認」「元勤務先 まじめに仕事 昇給求め退職」</ref>。}}<ref name="中日新聞2012-12-09"/>で後を追って降車したが{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}、女性が乗用車で立ち去ったため<ref name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>、犯行は結局失敗した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。 |
|||
三男のみ生存させたまま長時間滞在した理由は「命乞いされたため」と話しており、金のありかを尋ねたり血のついた衣服の洗濯など[[証拠]]隠滅を図る間に言葉を交わしたりするうち、殺害をためらうようになったと見られる<ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:命ごいされ、三男殺害ためらう|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210210244/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html|archivedate=2012年12月10日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 |
|||
=== 一家殺傷 === |
|||
[[名古屋地方検察庁]]は12月28日、Aを強盗殺人と強盗殺人未遂、[[住居侵入罪|住居侵入]]の罪で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した(起訴状によればAは2009年5月1日午後10時頃、鍵のかかっていなかった被害者宅に侵入し、金品を物色していたところを被害者らに見つかったため、用意したモンキーレンチで母親を撲殺、次男を現場にあった包丁で刺殺し、三男にも重傷を負わせ[[現金]]20万円と腕時計を奪った。一家3人を殺傷後も翌日正午まで半日以上現場に留まっていたが、名古屋地検幹部は「物色を続けていた」と述べた)<ref>『中日新聞』2012年12月29日朝刊23面「A容疑者を起訴 蟹江一家3人殺傷」</ref>。 |
|||
Lはその後もひったくりの標的を見つけられず{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}、空き巣狙いに切り替えて周辺を物色<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。駅へ向かって歩いていたが、21時30分ごろ - 22時ごろまでの間に被害者A宅(事件現場)付近を通りかかったところ、A一家の飼い猫が施錠されていなかった玄関からA方に入るのを見た{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。家の玄関ドアが少し開いていることに気付いたLは、A宅に近付いたところ、リビングには照明が点灯しておりテレビも点いていることを確認した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。しかし、玄関ドアの隙間から屋内の様子を伺ったところ、玄関の照明は消えており、中に誰もいなかったため、「A宅で金品を窃取しよう」と考え、土足で玄関ドアからA宅に侵入した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。 |
|||
照明が点灯していたリビング・廊下を挟んで反対側の照明が点灯していなかった和室に入ると、Lは同室内を観察し、室内にあったコートなどのポケットを調べるなどして金品を物色していたが、背後から{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}家主の女性A(事件当時57歳){{Efn2|Aは三男Cが20時ごろに外出した際には在宅しており<ref name="中日新聞2009-05-04"/>、21時ごろには自宅の電話で友人と会話していた<ref name="中日新聞2009-05-07"/>。}}<ref name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面"/>に「誰やお前」と声を掛けられた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。驚いたLは玄関から逃走しようとしたが、Aに服を掴まれたため{{Efn2|この時Lは、全力でAから逃げようとすれば逃げることはできたが、「(金を手に入れる)最後のチャンス」と大金を手に入れることを諦めきれなかったため、Aから逃げなかった{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}、金品を強取する意図と殺意を持った上で、Aの頭部を多数回モンキーレンチで殴り、Aを頭蓋骨骨折・脳挫傷などによる外傷性脳障害で死亡させた(強盗殺人罪){{Efn2|Aはモンキーレンチで襲われた後もしばらく息があり、「誰か」と声を上げたが、Lによって首に紐を巻き付けられ、とどめを刺された<ref name="中日新聞2015-01-29"/>。Aの遺体の顔面には上顎骨の粉砕骨折を伴う挫創1か所・刺切創5か所が確認され、19か所の挫創(頭蓋骨を貫通して脳に達したものを含)も確認された{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=4}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=1}}。 |
|||
== 裁判 == |
|||
=== 刑事裁判 === |
|||
;第一審(名古屋地裁) |
|||
:2015年1月19日から[[名古屋地方裁判所]]で[[裁判員制度|裁判員裁判]]が開かれた<ref>『中日新聞』2015年1月20日朝刊28面「蟹江殺傷『強盗』を否定 初公判で弁護側 被告 涙流す場面も 『母が一家の支え』遺族調書」</ref>。[[検察官|検察]]側が2月6日の[[論告]][[求刑]]公判で[[東海3県]]の[[裁判員制度|裁判員裁判]]では初となる[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した<ref>『中日新聞』2015年2月6日夕刊1面「蟹江殺傷 死刑を求刑 検察側 東海の裁判員裁判で初」</ref><ref name="chunichi20150221">『中日新聞』2015年2月21日朝刊1面「蟹江一家殺傷死刑判決 名地裁 裁判員裁判で東海初」「悪質性 重くみた判断」</ref>一方で、Aの[[弁護人]]は公判で、殺傷に及んだ理由を「被害者に見つかってパニックになったためで、強盗の目的はなかった」と述べ、[[殺人罪 (日本)|殺人]]と[[窃盗罪]]が適用されるべきだと主張。さらに「[[前科]]も万引きだけで、犯行時は25歳と若かった」などとして、死刑回避を求めていた<ref name="chunichi20150221"/><ref name="asahi20150220">{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151117041914/http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html |date=2015年11月17日 }} - [http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html オリジナル]からのアーカイブ</ref>。 |
|||
:2月20日に判決公判が開かれ、名古屋地裁の[[松田俊哉]][[裁判長]]は「[[被害者]]に見つかった際に強盗を決意した。冷静さを失っていたとしても確定的な殺意があった」と指摘し、強盗殺人罪の成立を認めた上で「強盗や殺人に及ぶことを事前に計画していたわけではないが、路上強盗のための武器を持ち、家に誰かがいるとわかっていながら侵入した。予期せず家人が在宅した強盗殺人事件とは異なる」<ref name="chunichi20150221"/>「包丁が折れ曲がるほど強い力で刺すなど執拗で冷酷な犯行。動機は自己中心的で身勝手だ」として、検察側の求刑通りAに対して死刑判決を言い渡した<ref name="chunichi20150221"/><ref name="asahi20150220"/>。東海3県で行われた裁判員裁判で死刑判決が下るのは初めて<ref name="asahi20150220"/>(後に[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]でも[[正犯|主犯]]の[[被告人]]に対して死刑判決が下っている<ref>なお、この被告人は[[闇サイト殺人事件]]で[[無期懲役]]が確定した後に碧南事件で逮捕されている。</ref>)。 |
|||
しかしAに暴行を加えていた途中、Aの次男B(事件当時26歳){{Efn2|name="婚約"|Bは事件の1週間前に勤務先の同僚だった女性と婚約しており、事件前日(2009年4月30日)にはこの女性を家に泊めていた<ref name="中日新聞2015-01-24"/>。事件当夜には仕事後、女性から「今日も泊まっていい?」と尋ねられたが、Bは「連続になるからやめておこう」と女性を帰宅させていた<ref name="中日新聞2015-01-24"/>。}}がLに飛び掛かった{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=4-5}}。そのまま約1時間にわたり<ref name="中日新聞2015-01-29"/>、Lはリビング・和室などでBと揉み合った末、自己の後頭部を勢いよくBの頭部にぶつけたことで優勢となり、Bの服をまくり上げて近くにあった電気コードでBの両手を縛り上げた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。Lは揉み合いの最中、着用していたマスクが外れたため、「Bに顔を見られたから、殺すしかない」と考え、殺意を持ってA宅の台所にあった包丁(刃渡り約17.2 cm){{Efn2|Bの殺害に使用された包丁は血を洗い流した状態で見つかったが、その刃は柄から外れ<ref name="中日新聞2009-05-04"/>、刃全体が反り曲がっていた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。}}でBの左背部を数回突き刺すなどして、被害者Bを左肺動脈切断による出血性ショックにより死亡させた(強盗殺人罪){{Efn2|被害者Bの遺体の左背部には刺創・刺切創が合計4か所確認され、うち最も深いもの(深さ約11.5 cm・長さ約4.9 cm)左肺・左主気管支後面・左主肺動脈を損傷していた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。 |
|||
;控訴審(名古屋高裁) |
|||
:Aは「死刑ありきとも受け取れる判決は容認できない」として[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]<ref>『中日新聞』2015年2月25日夕刊13面「A被告が控訴 蟹江一家殺傷」</ref>。7月27日の控訴審(即日結審)では一審に続き、Aの犯行が強盗殺人罪に当たるかが争点だった(弁護側は強盗の犯意を否定するための[[証拠]]や被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退け<ref>『中日新聞』2015年7月28日朝刊27面「計画性否定、死刑回避訴え 蟹江殺傷控訴審 10月14日に判決 散髪し自力出廷 A被告」</ref>)。弁護側はAが母親に見つかってすぐに逃げようとしたことなどから、強盗殺人罪の成立を否定し、「窃盗目的だったが気付かれ半ばパニックになって殺害した」とし<ref name="sankei2015101401">{{Cite news|title=愛知親子3人殺傷、二審も死刑 中国人男の控訴棄却|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-10-14|url=https://archive.is/FrHrR|archivedate=2016-07-01|archiveurl=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140044-n1.html}}</ref>、計画性や強い殺意はなかったなどと無期懲役が妥当と主張した。これに対し、検察側は控訴棄却を求めていた<ref name="nikkei20151014">{{Cite news|title=愛知一家3人殺傷、二審も死刑 中国籍の男に判決|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-10-14|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/|archivedate=2016年7月1日|archiveurl=https://archive.is/20160701074511/http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/}}</ref>。 |
|||
:同年10月14日に名古屋高裁の[[石山容示]]裁判長は「犯行の態様は執拗で残酷。被告の生命軽視の度合いは著しく、死刑の選択は避けられないという判断は合理的だ」として一審死刑判決を支持し、Aの控訴を[[棄却]]した<ref name="chunichi20151014">『中日新聞』2015年10月14日夕刊11面「蟹江殺傷二審も死刑 控訴棄却 裁判員裁判判断を支持」2015年10月15日朝刊35面「蟹江3人殺傷二審も死刑 厳罰化傾向にはくぎ」</ref><ref name="sankei2015101401"/><ref name="nikkei20151014"/><ref>{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151119074841/http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html |date=2015年11月19日 }} - [http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html オリジナル]からのアーカイブ</ref>。ただし、判決では「殺害の被害者が二人なら原則、死刑を選択すべきとは言えない」と指摘(背景には、最高裁判所の司法研修所がAの逮捕された2012年に公表した報告書がある。ここでは死刑判断について、プロの裁判官が積み上げてきた判決傾向を分析し、公平性などの判断から「先例を尊重すべきだ」と、裁判員裁判の厳罰化傾向に懸念を示している)、極刑選択の際は「合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」とした上で、一審判決について「具体的な根拠で導き出された合理的な判断で、是認できる」と結論づけた<ref name="chunichi20151014"/>。 |
|||
:Aの弁護人は判決を不服として[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に即日[[上告]]した<ref name="chunichi20151014"/><ref name="sankei2015101402">{{Cite news|title=A被告の弁護人が上告 3人殺傷、2審も死刑で|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-10-14|url=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html|archivedate=2016年7月1日|archiveurl=https://archive.is/20160701075309/http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html}}</ref>。 |
|||
A・B両被害者を殺害後、LはA宅の床の血痕・足跡を拭き取ったり、血液の付着した衣服を洗濯したりして証拠隠滅を図っていた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。しかしその途中(2009年5月2日2時25分ごろ)、Aの三男C(事件当時25歳)が帰宅した{{Efn2|name="飲み会"|Cは事件発生数時間前にいったん帰宅していたが、同僚との飲み会に参加するため外出し、2日未明に帰宅した<ref name="中日新聞2015-01-22"/>。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。これに驚いたLはCへの殺意を持った上で、玄関に座ってブーツを脱いでいたCを背後から襲い{{Efn2|Cは当時の状況について、公判で「玄関でブーツを脱いでいたら、背後の廊下を勢いよく走る足音が聞こえた直後、後頭部に強い衝撃が2,3回走り、振り返ると暗がりに人影があった」と証言している<ref name="中日新聞2015-01-22"/>。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}、首やその周辺などを立て続けにクラフトナイフで数回突き刺した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}。しかし、Cに「殺さないでくれ」と命乞いをされたことや、顔を見られていなかったことから殺害を思い留まり<ref name="中日新聞2015-01-29"/>、Cにそれ以上の暴行を加えることはなかった{{Efn2|その理由について、Lは取り調べで「Cから『殺さないでくれ』と命乞いされたため、殺害を躊躇した」と話した<ref name="毎日新聞2012-12-08 中部夕刊">『毎日新聞』2012年12月8日中部夕刊第一社会面7頁「愛知・蟹江の母子殺傷:L容疑者、三男殺害ためらう 会話、命ごいされ」(記者:岡大介・稲垣衆史・永野航太)</ref><ref name="毎日新聞2012-12-08 電子版">{{Cite news|title=愛知一家殺傷:命ごいされ、三男殺害ためらう L容疑者|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|author1=岡大介|author2=稲垣衆史|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html|publisher=毎日新聞社|accessdate=2012-12-10|language=ja|archivedate=2012-12-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210210244/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040196000c.html}}</ref>。しかしその一方、A宅を離れるまでにCを救助するような行動(解放したり、怪我を治療したりするなど)は一切取らなかった{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}。LはCを死亡させるには至らなかったが、全治2週間の怪我を負わせた(強盗殺人未遂罪){{Efn2|被害者Cの後頸部・背部にはそれぞれ3か所ずつ刺創が認められ、5月2日12時55分ごろの時点でもわずかに出血が続いていた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。その中でも最も重篤な後頸部の刺創(正中線のほぼ真上)は傷口の長さ約2.7 cm、深さ約 6cmとかなり深く、頸椎にまで達しており、少し受傷部がずれていれば頸動脈などの重要器官を損傷して致命傷となっていた可能性が高かった{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=5}}。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}。 |
|||
<!--;上告審(最高裁) |
|||
:--> |
|||
刺されたCは背後を振り返り、廊下に立っていたLを取り押さえようとして揉み合いになり、両者はクラフトナイフを奪い合った{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=6-7}}。一時は反撃したCがLの足を刺すなどした後、両者の話し合いによる結果、Lはクラフトナイフを離れた場所に投げ捨てた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}。帰宅から約30分後、負傷したCはLに「出て行け」と迫ったが、Lは「まだやることがある。血を拭いたり、指紋を消したりする」と拒否し{{Efn2|その後もLは、Cから「早く出て行け」と迫られると「俺もそうしたいが今は無理だ。(自分も)怪我をしていたから、(傷口からの出血が止まるまでに)時間がかかる」「逃げてもすぐに見つかる。服も着替えないといけない」という趣旨の発言をし、これを拒否していた<ref>『中日新聞』2010年4月29日朝刊第一社会面33頁「蟹江一家殺傷 猫入り無施錠確信か 犯人と三男の会話公表」</ref>。また、逮捕後には「証拠隠滅作業の間に最終電車を逃したため、現場に留まって始発電車を待った」<ref name="読売新聞2012-12-29"/>「朝になってBの勤務先から通報を受けた蟹江署員が駆け付けたが、無線連絡のために現場を離れた隙に勝手口から逃走し、電車で津市に戻った」と供述した<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。}}<ref name="中日新聞2015-01-22"/>、Cの手首を電気コードで縛り上げたり、頭をパーカーやガムテープで包んで目隠しをし{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}、抵抗不能な状態に陥ったCを床に寝転がした<ref name="中日新聞2015-01-22"/>。そして金品を物色してLは財布を見つけ、入っていた現金{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}(Aほか2名所有の現金約20万円・腕時計{{Efn2|腕時計は事件前年(2008年)のクリスマス、Bが婚約者の女性からプレゼントされたもので<ref name="中日新聞2009-07-04">『中日新聞』2009年7月4日朝刊第一社会面31頁「蟹江殺傷 次男の腕時計奪う? 犯人、売った可能性も」</ref>、[[中近東]]からの逆輸入品だった<ref>『中日新聞』2011年5月3日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷現場に犯人?の布袋 同種品を公開」</ref>。事件後、この腕時計は長らく犯人Lが持っており、Bの婚約者は第3回公判(2015年1月23日)で「事件直後は形見として持っていたいと思ったが、ずっと犯人の下にあったことがわかった今はいらない」と発言している<ref name="中日新聞2015-01-24"/>。}}1個〈時価約1,200円相当〉)を強取した{{Efn2|愛知県警が現場検証を行ったところ、一家3人それぞれの預金通帳・財布が発見された<ref name="中日新聞2009-05-05">『中日新聞』2009年5月5日朝刊第一社会面23頁「死亡2人 顔に殴打痕 蟹江殺傷 女性は鈍器で殺害 強い恨み?飼い猫も殺す」</ref>。当初は「財布にはいずれも紙幣は入っていなかった」と発表された<ref name="中日新聞2009-05-08">『中日新聞』2009年5月8日夕刊第一社会面13頁「若い男 勝手口から逃走 蟹江強殺 財布の紙幣奪う? 『初動ミスない』 愛知県警」</ref><ref name="東京新聞2009-05-08 朝刊">『東京新聞』2009年5月8日朝刊第一社会面27頁「発覚時、室内に若い男 愛知殺傷 署員が目撃、姿消す」</ref><ref name="東京新聞2009-05-08 夕刊">『東京新聞』2009年5月8日夕刊第一社会面9頁「男は勝手口から逃走 愛知強殺 財布の紙幣消える」</ref>が、後日2階で改めて現場検証を行ったところ、次男Bの部屋にはBの部屋には現金が手つかずで残されていた<ref name="中日新聞2009-05-18 朝刊">『中日新聞』2009年5月18日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷 2階にも血液反応 着替え探す? 部屋の現金手つかず」</ref>。また、玄関には11,000円分の紙幣が落ちていた<ref name="中日新聞2009-06-01 no.1"/>。}}{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}。この間、CはLから金品のありかを尋ねられて「うちには金はない」と答えたところ、Lからの「家に入って女性 (A) に見つかった。揉み合っているとき、男性 (B) が入ってきて…ごめん」という返答で母親A・兄Bが死亡したことを悟った<ref name="中日新聞2015-01-22"/>。また警察が駆け付ける前(2009年5月2日早朝)、母親Aの知人がA宅(現場)を訪れ、玄関インターホンを押したが、Lは応対しようとするCを制止していた<ref>『中日新聞』2010年4月17日朝刊第一社会面35頁「蟹江一家殺傷 犯人『数日寝ていない』 三男に話す 住居なく生活苦か」</ref>。この間、Cは何度も意識が途切れたが{{Efn2|Cは事件発覚直後、捜査本部からの事情聴取に対し「抵抗していたが、飲酒していたために酔いが回って意識を失った」と証言している<ref name="中日新聞2009-05-03"/>。}}<ref name="中日新聞2015-01-22"/>、警察官が来たことで目を覚ました<ref name="中日新聞2009-05-03"/>。 |
|||
=== 民事裁判 === |
|||
2015年6月4日には生存した三男を含めた遺族3人がAに対し[[損害賠償命令制度]]<ref>犯罪被害者支援のため、重大事件の刑事裁判の有罪判決後、同じ裁判官が公判記録を使って賠償額などを審理する制度。</ref>に基づいて、死亡した2人の逸失利益や慰謝料など約1億7800万円の支払いを求めていることがわかった |
|||
<ref>『中日新聞』2015年6月4日朝刊31面「蟹江殺傷被告に賠償請求 1億7900万円 遺族、命令制度を利用」</ref><ref>{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150607033511/http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html |date=2015年6月7日 }} - [http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html オリジナル]からのアーカイブ</ref>。その後[[民事裁判]]に移行し、三男以外の2人は訴訟を取り下げて請求額は5600万円となった。2016年3月24日、名古屋地裁は三男の請求を全額認め、Aに慰謝料など約5600万円の支払いを命じた。判決理由で[[村野裕二]]裁判長は「極めて悪質、重大な事件で、動機も身勝手で同情の余地はない」「家族を奪われた原告の悲しみや心痛は余りあるものだ。被告は真摯な反省をしているとは認め難い」と指摘した。三男の代理人[[弁護士]]は「請求を認容する判決をいただいたが、実際にAから履行される可能性がないに等しいことを考えると、誠に遺憾でならない」とのコメントを出した<ref>『中日新聞』2016年3月25日朝刊37面「蟹江の3人殺傷被告に5600万円賠償命令 名古屋地裁」</ref><ref>『[[産経新聞]]』2016.3.24 15:43「[https://archive.is/20160324083702/http://www.sankei.com/west/news/160324/wst1603240051-n1.html 3人殺傷で32歳の中国人被告に賠償支払い命令、5600万円]」</ref>。 |
|||
初動捜査では犯人が証拠隠滅・現場偽装を入念に図ったかのように思える点(血痕を拭き取るなど)と、ずさんな面(凶器や自身の着ていたパーカーを現場に残したり、2階を物色しなかったりなど)がそれぞれ確認されたが、捜査幹部は「犯人は犯行後、現場を事件前のように装い、証拠隠滅を図ったが、息子たちが相次いで帰宅した上、最後に警察官が来たため、中途半端なまま逃走した可能性が高い」と指摘している<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
|||
== 出典 == |
|||
{{Reflist}} |
|||
== 初動捜査 == |
|||
2009年5月2日朝、次男Bの勤務先の上司がBの欠勤を不審に思い、同日12時20分ごろに[[蟹江警察署|愛知県蟹江警察署]]の署員とともにA宅を訪ねた<ref name="中日新聞2009-05-03">『中日新聞』2009年5月3日朝刊第一社会面31頁「蟹江の死傷 『玄関で襲われた』軽傷の弟 母親は所在不明」</ref>。駆けつけた警察官が家の中に声を掛けていたところ<ref name="中日新聞2015-01-24"/>、負傷した三男CはLの気配がないことに気付き<ref name="中日新聞2015-01-22">『中日新聞』2015年1月22日朝刊第一社会面35頁「『ごめん』と告げられ死悟る 蟹江殺傷公判 三男が状況証言」</ref>、両手首を縛られた状態で施錠されていた玄関の鍵を開けて家の玄関から飛び出してきた<ref name="中日新聞2009-05-03"/>。Cは間もなくA宅の玄関付近に来ていた警察官によって保護され{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}、「休んでいてください」と付近に待機させられた<ref name="東京新聞2009-05-08 朝刊"/>が、この時に蟹江署員に対し「強盗に入られた、助けてください。家の中で2人死んでいます。犯人は逃げました」と伝えた<ref name="中日新聞2009-05-08"/>。 |
|||
一方、Lは1階南側の玄関ドア隙間から上がり框(かまち)でうずくまっていたが、その姿を確認した蟹江署員はLを被害者だと思い込み、玄関先から「出てきてください」と声を掛けた<ref name="中日新聞2009-05-08"/>。その後、署員が2分間ほど無線で連絡を取っていた間<ref name="中日新聞2009-05-08"/>、Lは隙を見てA宅の勝手口{{Efn2|蟹江署員が訪問した際、1階北東側の勝手口が施錠されていることが確認されていた<ref name="中日新聞2009-05-08"/>。}}を解錠し<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>、現場から逃走した([[#初動捜査における不手際]]){{Sfn|名古屋地裁|2015|p=6}}。警察官らが屋内に入ったところ、次男Bが1階の和室で倒れており<ref name="中日新聞2009-05-03"/>、搬送先の病院で死亡が確認された<ref name="中日新聞2009-05-02 夕刊1面"/>。このため、愛知県警は本事件を殺人事件{{Efn2|その後、被害者Cから「襲ってきた男が自分に対し『金はないか』と聞いてきた」と証言したため、容疑を強盗殺人に切り替えた<ref name="中日新聞2009-05-04"/>。}}と断定し、特別捜査本部(特捜本部)を設置したが、Bの遺体が入っていた和室{{Efn2|和室は物的証拠・微物の収集を優先していた<ref name="中日新聞2009-05-04"/>。}}の押し入れは目視確認にとどめていたため、Aの遺体発見に時間がかかった([[#初動捜査における不手際]])<ref name="中日新聞2009-05-04"/>。 |
|||
特捜本部は事件発覚翌日(2009年5月3日朝)から改めて現場検証を行い{{Efn2|現場検証は5月17日夜まで続いた<ref name="中日新聞2009-05-18 夕刊">『中日新聞』2009年5月18日夕刊第二社会面14頁「現場の規制線撤去 蟹江3人殺傷」</ref>。}}<ref name="中日新聞2009-05-04">『中日新聞』2009年5月4日朝刊第一社会面23頁「蟹江殺傷 押し入れに母の遺体 血洗った包丁も発見」</ref><ref name="東京新聞2009-05-04">『[[東京新聞]]』2009年5月4日朝刊第一社会面23頁「愛知・兄弟殺傷 自宅押し入れに母遺体 背中に刺し傷、強殺か」</ref>、和室の押し入れ下段に押し込められている母親Aの遺体{{Efn2|name="毛布"|Aの遺体は毛布をめくれば簡単に発見できる状態で、負傷した三男Cは助けを求めた際に「中で2人死んでいる」と発言していたため、『中日新聞』に情報をリークした捜査関係者は「殺人事件の現場に立つ経験が長ければ、大量の血痕を見て『もう1人遺体がある』と思うはずだ」と苦言を呈していた<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。}}を発見した<ref name="中日新聞2009-05-04"/>。また、A宅の洗濯機には血液の付着した衣服が入れられていたことも確認され<ref name="中日新聞2009-05-07">『中日新聞』2009年5月7日夕刊第一社会面13頁「蟹江強殺 洗濯機に血ついた衣服 浴槽にも毛布など 証拠隠滅図る?」</ref><ref name="東京新聞2009-05-07">『東京新聞』2009年5月7日夕刊第一社会面11頁「愛知3人殺傷 洗濯機に血付着の衣服 風呂場にも 証拠隠滅図る?」</ref>、室内からはパーカー・凶器(モンキーレンチおよびクラフトナイフ)・防寒用手袋<ref name="中日新聞2010-01-09">『中日新聞』2010年1月9日朝刊第二社会面34頁「蟹江一家殺傷 遺留品の同種品を公開 レンチや手袋など 犯人生活圏 四日市などか」</ref>・マスク<ref name="中日新聞2009-12-28 no.1">『中日新聞』2009年12月28日朝刊第一社会面27頁「蟹江殺傷 犯人、マスク持参 他の遺留物とDNA一致」</ref><ref name="読売新聞2009-12-27">『読売新聞』2009年12月27日に中部朝刊第一社会面33頁「蟹江の3人殺傷 マスク・手袋が現場に 計画的犯行か 遺留品公開へ=中部」</ref>といった遺留品{{Efn2|これらの遺留品のうち、[[東海3県]]で当該するパーカーと手袋が両方とも販売されていた地域は三重県[[四日市市]]周辺・名古屋市都心部(名古屋駅・[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]周辺)および愛知県[[豊田市]]周辺に限定されていた<ref name="中日新聞2010-01-09"/>が、実際に逮捕されたLは三重県津市内で生活していた。ただし[[津駅]]から四日市市・名古屋駅までは、いずれも[[近鉄名古屋線]]([[近鉄四日市駅]])か、[[東海旅客鉄道|JR東海]][[関西線 (名古屋地区)|関西本線]]・[[伊勢鉄道]][[伊勢鉄道伊勢線|伊勢線]]([[四日市駅]])の[[快速列車|快速]]「[[みえ (列車)|みえ]]」を利用すれば乗り換えなしで移動できた。}}のほか、猫(Aが飼っていたペット)の死体も発見された<ref name="中日新聞2009-05-05"/>。 |
|||
被害者Cは事件当初、「犯人にパーカーで顔を隠されたので、犯人の顔はわからなかったが、[[海部郡 (愛知県)|海部地域]]とは違うイントネーションの日本語で現金を要求された」と証言していた<ref name="中日新聞2009-05-05"/>。一方、室内で発見された遺留物の中に、被害者母子とはいずれも異なる[[デオキシリボ核酸]] (DNA) 型{{Efn2|夕食の食べ残しがあった食器(廊下に落ちていた味噌汁の椀)に付着した唾液から検出された[[DNA型鑑定|DNA型を鑑定]]したところ、被害者3人 (A・B・C) や別居中のAの長男・四男のいずれとも異なるDNA型が検出された<ref name="中日新聞2009-05-15"/>。}}が検出された<ref name="中日新聞2009-05-15">『中日新聞』2009年5月15日夕刊第一社会面13頁「家族以外のDNA検出 蟹江殺傷 食べ残しの食器から 手袋跡も発見」</ref><ref name="東京新聞2009-05-15">『東京新聞』2009年5月15日夕刊第一社会面9頁「愛知殺傷 犯人?のDNA検出 遺留物から、家族と別の型」</ref>。特捜本部はそのDNA型を[[警察庁]]のデータベースで照会したが、この時点では合致する型は発見できなかった<ref>『中日新聞』2009年5月16日朝刊第一社会面33頁「蟹江殺傷 犯行当時屋外生活か 犯人の服公開 ひどい汚れ、におい」</ref>。その後、唾液・汗などを含めた室内の遺留物を鑑定したところ、被害者3人全員の[[ABO式血液型|血液型]](A型)とは異なるO型の血液型血痕が検出された<ref name="中日新聞2009-10-30">『中日新聞』2009年10月30日朝刊第一社会面31頁「蟹江3人殺傷 一家と異なる血液型 犯人の可能性 室内遺留物から」</ref><ref name="東京新聞2009-10-30">『東京新聞』2009年10月30日夕刊第一社会面9頁「異なる血液型 遺留品に検出 蟹江3人殺傷」</ref><ref name="中日新聞2009-10-30"/><ref name="東京新聞2009-10-30"/>。一方で現場の複数箇所からは手袋の跡が見つかったが、遺留品からは犯人の指紋は発見されなかった<ref name="中日新聞2009-05-15"/>。 |
|||
=== 初動捜査における不手際 === |
|||
一連の初動捜査時には以下のような不手際が指摘された。 |
|||
* 被害者Aの遺体は毛布を掛けられた状態で押し入れに隠されていたが、事件発覚当日(5月2日)に現場室内に入った捜査員は、Aの遺体が入っていた押し入れのふすまを開けたものの、毛布をめくり上げるなどせず目視にとどめた<ref group="注" name="毛布"/>ため、Aの遺体を発見できず{{Efn2|この点について、特捜本部は『中日新聞』の取材に対し「近年は現場保存が重視され、物的証拠・遺留品に神経質になっている」とコメントしている<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。}}<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>、Aは当初の警察発表で「行方不明」と発表された<ref name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>。 |
|||
* 愛知県警は事件当初、現場に駆け付けていた蟹江署員が目を離していた隙に、現場から不審な若い男(=犯人L)が逃走したことを把握していたが、当初は「住民は殺人事件として警戒しており、二次被害発生の心配はない。判明している情報は『黒っぽい服装の男』というだけであるため、それだけでどれだけ情報が集まるかも不明だ」として「捜査上の秘密」と判断し、約1週間にわたりこの事実を公表しなかった<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。しかし、捜査の進め方に不信感を抱いていた捜査関係者が『[[中日新聞]]』(いずれも[[中日新聞社]])社会部記者・平田浩二からの取材に対しこの事実を証言し、同紙がその取材内容をスクープしたことでこの事実が判明した<ref name="中日新聞2009-06-21">『中日新聞』2009年6月21日朝刊朝文面左9頁「ニュースを問う 平田浩二(社会部) 裁判員制度の中での事件報道 真実へ謙虚な気持ちで 情報の出所を明示 『中立』意識し取材」(社会部記者:平田浩二)</ref>。 |
|||
** 初動捜査時の対応について、特捜本部長・立岩智博(愛知県警捜査一課長)は「結果的に犯人かもしれない不審者に逃走されたが、当初は被害者Cの治療・現場保存などを行う必要があり、初動捜査にミスはなかった。男の情報は事件の重要な目撃情報であるため公表しなかった」とコメントしたが<ref name="中日新聞2009-05-08"/>、結果的に初動捜査時の数々の不手際が事件解決を遅らせる原因となった<ref name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>。 |
|||
* 特捜本部は事件当初、「顔見知りの犯行」と推測して初動捜査に当たったが、途中から「見ず知らずの何者かによる犯行」と見方を変えたため、捜査は後手に回った<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2"/>。 |
|||
* 5月3日に現場検証を行った際、「現場に土足痕は確認されなかった」と発表していたが<ref name="中日新聞2009-05-04"/>、その後改めて現場検証を行った結果、1階廊下など室内複数個所から犯人のものと思われる土足痕が発見された<ref name="中日新聞2009-05-10">『中日新聞』2009年5月10日朝刊第一社会面29頁「蟹江強殺 被害者宅の夕食食べる? 犯人、廊下など土足痕も」</ref><ref name="東京新聞2009-05-10">『東京新聞』2009年5月10日朝刊第一社会面25頁「愛知3人殺傷 家族の夕食食べる? 食卓に形跡 血付着小刀も発見」</ref>。 |
|||
* 特捜本部が犯人の遺留品とみられる上着{{Efn2|現場検証の結果、濡れたウィンドブレーカー(サイズは家族の衣服より大きく、三男Cも「見覚えがない」と証言していた)が玄関付近で発見された<ref name="中日新聞2009-05-13">『中日新聞』2009年5月13日夕刊第一社会面11頁「蟹江強殺 室内にぬれた上着 犯人着用?販売ルート捜査」</ref>。}}を一般に公開したのは、事件発生から約2週間後(2009年5月15日)だった<ref name="中日新聞2009-12-28 no.2"/>。 |
|||
愛知県民からの信頼が揺らぐこととなった一連の初動捜査ミスに対し、『中日新聞』(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)は「犯人逃走はすぐ地元に知らせる必要があったし、住民の記憶が薄れた時期の証拠品公開は効果が薄い。埋もれた有益な情報を引き出すには、情報公開で大勢の目を事件に向けさせ、理解・協力を得ることが不可欠だ。『情報を選別した上で、捜査に重大な支障が出るもの以外は迅速に公開する』という姿勢が県警には欠けていた」と指摘した<ref name="中日新聞2009-12-28 no.2">『中日新聞』2009年12月28日朝刊愛知県内版10頁「事件事故ファイル2009(1) 蟹江一家強殺事件」(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)</ref>。 |
|||
== 難航する捜査 == |
|||
「現場から(後に犯人Lと判明する)男の逃走を許す」「被害者Aの遺体発見が遅れる」「遺留品の公開・警察犬の投入などが遅れる」など、さまざまな不手際で捜査が後手に回ったことにより、事件発生から1か月後(2009年6月)時点でも犯人像・犯行目的は絞り込み切れず、捜査は難航した<ref name="中日新聞2009-06-01 no.2">『中日新聞』2009年6月1日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷 きょう1カ月 遅れた情報公開 犯行ずさんな面も」</ref><ref name="東京新聞2009-06-02">『東京新聞』2009年6月1日朝刊第二社会面28頁「愛知・蟹江 一家3人殺傷事件1カ月 絞れぬ犯人像…後手の捜査響く 逃走者の存在伏せて 物取りか変質者か」</ref>。事件から半年が経過した2009年11月2日までに、特捜本部には約300件の情報提供があり、捜査対象者は約5,400人に上ったが、いずれも犯人の特定には結びつかなかった<ref>『中日新聞』2009年11月3日朝刊尾張版18頁「蟹江の3人殺傷事件半年 情報提供呼び掛け 蟹江署」</ref>。事件から3年となる2012年(平成24年)5月2日時点で計526件の情報提供があったが<ref>『中日新聞』2012年5月1日夕刊第二社会面10頁「蟹江3人殺傷から3年 情報提供呼び掛け」</ref>、その後も犯人に結び付く情報は得られず、事件の記憶風化から情報提供数は減少し続けていた。 |
|||
[[警察庁]]は2009年12月8日付で、本事件を[[捜査特別報奨金制度]]対象事件に指定し(制度開始から37件目)、犯人逮捕に結びつく有力情報の提供者に最高300万円の懸賞金を支払うことを決めた<ref name="中日新聞2009-12-09">『中日新聞』2009年12月9日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷に懸賞300万円 警察庁 豊田殺人は1年延長」</ref><ref name="東京新聞2009-12-09">『東京新聞』2009年12月9日朝刊第二社会面26頁「愛知一家殺傷 懸賞金300万円 未解決3件も延長」</ref>。当初の期限は同月10日から1年間{{Efn2|その後、2010年<ref>『中日新聞』2010年12月10日朝刊愛知県内版20頁「蟹江の3人殺傷で情報提供呼び掛け 報奨金の適用延長」</ref>。・2011年にはそれぞれ1年ずつ期間が延長された<ref>『中日新聞』2011年12月10日朝刊第二社会面32頁「報奨金の期間延長 情報提供呼び掛け 蟹江の3人殺傷」</ref><ref name="#1">『中日新聞』2011年12月10日朝刊尾張版20頁「蟹江強盗殺傷 不安胸にチラシ配り 地元住民『一刻も早く解決を』」(記者:伊藤隆平)</ref>。}}で、愛知県警管轄の[[未解決事件]]としては[[豊田市女子高生殺害事件]](2008年発生){{Efn2|[[豊田警察署]]管轄。}}以来だった<ref name="中日新聞2009-12-09"/><ref name="東京新聞2009-12-09"/>。その後、被疑者Lの逮捕前日(2012年12月6日)に愛知県警は本事件について、同月9日付で期限が切れる捜査特別報奨金制度指定の延長を断念することを発表した<ref name="中日新聞2012-12-07 朝刊">『中日新聞』2012年12月7日朝刊第二社会面38頁「豊田女子高生殺害 報奨金を1年延長 蟹江の強殺は断念」</ref><ref name="読売新聞2012-12-07 朝刊">『読売新聞』2012年12月7日中部朝刊第二社会面32頁「公費懸賞金 女子高生殺害 期限1年延長 豊田=中部」</ref>。実際にはこの時点で既に被疑者Lの存在が捜査線上に浮上してはいたが、表向きの理由は「期限延長に向けて[[警察庁]]と協議したが、情報提供件数が減少しているため延長申請を断念した」というものだった<ref name="中日新聞2012-12-07 朝刊"/><ref name="読売新聞2012-12-07 朝刊"/>。 |
|||
== 事件解決 == |
|||
=== 事件後 - 逮捕までのLの行動 === |
|||
一方でLは、犯行後も[[万引き]]などの軽犯罪を繰り返していた{{Efn2|本事件の翌年(2010年)には再び万引きをして罰金刑に処された{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=15}}。}}一方<ref name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>、後述のようにDNA型鑑定が行われるまで捜査線上に浮上することはなく<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、[[2011年]](平成23年)3月には5年間在学した三重大学を卒業した{{Efn2|卒業間際、Lは急に「大学院に行きたい」と所属ゼミの教授に頼み込んだが、教授から断られた<ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊"/>。}}<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>。また、腎臓病の治療や婚約者の女性と会うことなどを理由に、度々中国に帰国しており、多い年には年3回帰国していた{{Efn2|また、内定を得た際には中国に一時帰国し、家族に日本での就職を報告していた<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。}}<ref name="中日新聞2015-01-27"/>。 |
|||
三重大卒業後、Lは2011年4月に新卒で三重県[[亀山市]]の<ref name="毎日新聞2012-12-08 中部朝刊社会面">『毎日新聞』2012年12月8日中部朝刊第一社会面29頁「愛知・蟹江の母子殺傷:L容疑者逮捕 『好青年がなぜ』知人ら当惑」(記者:岡正勝・永野航太)</ref>自動車部品メーカーに就職し<ref name="中日新聞2012-12-09"/>、部品検査・組み立てなどの部署で勤務しながら、研修生の通訳を担当していた{{Efn2|当時Lは日本語検定一級の資格を持っており、メーカーの社長は『毎日新聞』の取材に対し「面接時、真面目な印象だったので採用を決意した。コンビニでのアルバイトの話などをしており、『学生時代はあまりお金がなかったようだな』という印象を持っていた」と証言していた<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。}}<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊社会面"/>。当時の勤務態度は真面目で{{Efn2|当時の月給は手取り約20万円で、Lは「ずっと日本で働き続けたい」と言っていた<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。そのため、「大事に育てたい」と思った社長は、工場のラインではなく技術・製品検査の仕事をさせており<ref name="中日新聞2012-12-09"/>、将来的には母国・中国にある工場の幹部に登用しようと考えていた<ref name="毎日新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>。}}、同じ中国人研修生の同僚とも良好な関係を築き、休日は若手社員とともにフットサルを楽しんでいた<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。また、就職後には中国にいる交際相手女性を日本に呼び寄せ、結婚する計画を立てていた<ref name="中日新聞2015-01-29"/>。 |
|||
しかし[[2012年]](平成24年)春、Lは「結婚したいので昇給してほしい」と会社に相談し、同僚たちに転職を示唆するなどした<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。結局、Lは上司らの慰留を断り、同年6月には「家のリフォームの仕事をする」と言って会社を退職<ref name="中日新聞2012-12-09"/>。そして、より高給職を求めて三重県外の建設関係会社に転職したが<ref name="毎日新聞2012-12-08 中部朝刊社会面"/>、その仕事もすぐに辞め<ref name="中日新聞2012-12-09"/>、同年8月には名古屋市内で[[放置自転車]]を盗んで乗車していたところ、愛知県警の警察官に職務質問され、所轄の警察署で事情聴取を受けた<ref name="中日新聞2012-12-10"/>。しかし被害が軽微だったため、県警はLの身元確認はしたものの、逮捕・[[書類送検]]などの刑事手続きや、DNA型の採取などは行わず、警察内部だけで処理する「[[微罪処分]]」に処した<ref name="中日新聞2012-12-10"/>。 |
|||
=== 逮捕・起訴 === |
|||
2012年10月18日14時40分ごろ - 同日16時10分ごろまでの間、Lはかつて在学していた大学{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}(三重大学)の第一体育館2階男子更衣室で<ref name="中日新聞2012-12-13"/><ref name="読売新聞2012-12-13">『読売新聞』2012年12月13日中部朝刊第一社会面31頁「L容疑者を追起訴=中部」</ref>、携帯電話機1台(時価約60,000円相当)を窃取した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}。また同年10月19日{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}、津市栗真町屋町の駐車場で<ref name="中日新聞2012-10-20 三重版"/>会社員男性所有の乗用車1台([[ETCカード]]1枚など2点積載、時価約160万円相当)を窃取{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=2}}したが、同日中にこの車を同県[[鈴鹿市]]内で運転していたところ<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>、[[鈴鹿警察署|三重県鈴鹿警察署]]の署員に発見され、[[窃盗罪|窃盗]]容疑で同署に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]された<ref group="注" name="犯行後"/>{{Efn2|当時、被疑者Lは鈴鹿署の取り調べに対し「移動手段として車を盗んだ」と供述した<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。また、同事件の捜査中には鈴鹿署の留置場で[[リストカット|手首を傷つけ]]自殺を図った<ref name="中日新聞2015-01-27"/>。}}<ref name="中日新聞2012-10-20 三重版">『中日新聞』2012年10月20日朝刊三重版22頁「自動車盗の疑い」(窃盗容疑で逮捕されたLの実名掲載記事)</ref>。三重県警は2008年にLを摘発した際、[[指紋]]を採取したのみでDNA型は採取していなかったが<ref name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>、この逮捕時に任意で<ref name="中日新聞2012-12-10"/>「[[前科]]があるため念のために」とLのDNA型を唾液から採取し、これが本事件解決のきっかけとなった<ref name="中日新聞2012-12-08 夕刊"/>。これら2件の窃盗事件について、[[津地方検察庁]]は同年11月9日に10月19日の自動車盗事件について<ref name="毎日新聞2012-12-07 電子版">{{Cite news|title=愛知一家殺傷:29歳の中国国籍の男 強盗殺人容疑で逮捕|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-07|author1=岡大介|author2=大野友嘉子|url=http://mainichi.jp/select/news/20121207k0000e040237000c.html|accessdate=2018-05-05|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121209202609/http://mainichi.jp/select/news/20121207k0000e040237000c.html|archivedate=2012年12月9日}}</ref>、(本事件解決後の)12月11日には10月18日の三重大での窃盗事件について、それぞれ窃盗罪で[[起訴]]した{{Efn2|当時は[[津地方裁判所]]に起訴されていたが<ref name="毎日新聞2012-12-07 電子版"/><ref name="中日新聞2012-12-13"/><ref name="読売新聞2012-12-13"/>、後に本事件とともに名古屋地裁にて一括で審理された{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=1-2}}。}}<ref name="中日新聞2012-12-13"/><ref name="読売新聞2012-12-13"/>。 |
|||
2012年11月下旬、三重県警が採取したLのDNA型を警察庁のデータベースに登録・照合した結果、LのDNA型は本事件の現場にあった味噌汁の飲み残しなどに残されていたDNA型と一致することが判明した<ref name="中日新聞2012-12-07 夕刊">『中日新聞』2012年12月7日夕刊1頁「蟹江一家殺傷男逮捕へ 現場のDNA型一致 窃盗で逮捕 津の中国人容疑者」</ref><ref>{{Cite news|title=愛知の一家殺傷、現場のDNA型一致 窃盗容疑で逮捕の中国人|newspaper=日本経済新聞|date=2012-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO49289830X01C12A2CC0000/|accessdate=2018-05-08|language=ja|publisher=日本経済新聞社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508125836/https://www.nikkei.com/article/DGXNZO49289830X01C12A2CC0000/|archivedate=2018年5月8日}}</ref><ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面"/>。これを受け、愛知県警蟹江署特捜本部が被疑者Lを取り調べたところ<ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:窃盗で逮捕の男聴取へ 現場DNA一致|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-07|author=沢田勇|url=http://mainichi.jp/select/news/20121207k0000e040222000c.html|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210030455/http://mainichi.jp:80/select/news/20121207k0000e040222000c.html|archivedate=2012年12月10日}}</ref>、Lは「間違いありません」と強盗殺人容疑を認める供述をしたため、特捜本部は12月7日、強盗殺人・同未遂容疑で被疑者Lを[[逮捕 (日本法)|逮捕]]した<ref name="中日新聞2012-12-08 朝刊1面">『中日新聞』2012年12月8日朝刊一面1頁「蟹江一家殺傷 中国人元留学生を逮捕 強殺容疑 当時、三重大に在籍」</ref><ref name="東京新聞2012-12-08">『東京新聞』2012年12月8日朝刊第一社会面29頁「3人殺傷 中国人逮捕 強盗殺人容疑 窃盗被告DNA型一致 愛知・蟹江」</ref><ref name="読売新聞2012-12-08 中部朝刊1面">『[[読売新聞]]』2012年12月8日中部朝刊一面1頁「蟹江殺傷中国人を逮捕 強殺容疑 DNA型一致=中部」</ref><ref>{{Cite news|title=愛知の一家殺傷、中国籍の男逮捕 強殺などの疑い|newspaper=日本経済新聞|date=2012-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0700P_X01C12A2000000/|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508124900/https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD0700P_X01C12A2000000/|archivedate=2018年5月8日}}</ref><ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷、中国籍の男を逮捕 DNA型が一致|newspaper=日本経済新聞|date=2012-12-07|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0705Q_X01C12A2CC1000/|publisher=日本経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508124904/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0705Q_X01C12A2CC1000/|archivedate=2018年5月8日}}</ref><ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:L容疑者 事件当時は三重大の留学生|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|author1=岡大介|author2=大野友嘉子|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040118000c.html|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121209225621/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040118000c.html|archivedate=2012年12月9日}}</ref><ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:「好青年がなぜ」L容疑者の知人ら驚き(1/2ページ)|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|author1=岡正勝|author2=永野航太|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c.html|publisher=毎日新聞社|archivedate=2012年12月10日|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210011949/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:「好青年がなぜ」L容疑者の知人ら驚き(2/2ページ)|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|author1=岡正勝|author2=永野航太|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c2.html|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121209203934/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000m040119000c2.html|archivedate=2012年12月9日}}</ref>。 |
|||
逮捕後、被疑者Lは犯行動機について「万引きで受けた罰金を支払うために金が必要だった。(家人に)見つかったら殺すつもりだった」<ref name="中日新聞2012-12-08 夕刊">『中日新聞』2012年12月8日夕刊第一社会面11頁「蟹江一家殺傷 窃盗事件繰り返す L容疑者『金に困っていた』」「仏壇に『捕まったよ』 三男報告」「蟹江一家強盗殺人事件をめぐる経緯」</ref>「凶器のモンキーレンチ以外に、手袋・マスクを用意して現場に押し入った」と供述した<ref name="中日新聞2012-12-11">『中日新聞』2012年12月11日朝刊第二社会面36頁「蟹江の殺傷 容疑者、手袋を準備 現場滞在『証拠隠滅図る』」</ref>。蟹江署特捜本部は12月8日にLが住んでいた津市内のアパートを家宅捜索し<ref name="毎日新聞2012-12-08 中部夕刊"/><ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:L容疑者宅を捜索|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-08|author=永野航太|url=http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040197000c.html|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121210174046/http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040197000c.html|archivedate=2012年12月10日}}</ref>、9日に強盗殺人などの逮捕容疑でLを[[名古屋地方検察庁]]に[[送検]]した<ref name="中日新聞2012-12-10">『中日新聞』2012年12月10日夕刊第一社会面11頁「蟹江一家殺傷 L容疑者 自転車等で8月に聴取 愛知県警、微罪で処分」「蟹江一家強盗殺人事件をめぐる経緯」</ref>。そして名古屋地検は同年12月28日、強盗殺人・強盗殺人未遂・[[住居侵入罪|住居侵入]]の各罪状で被疑者Lを[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]し<ref name="中日新聞2012-12-29">『中日新聞』2012年12月29日朝刊第一社会面23頁「L容疑者を起訴 蟹江一家3人殺傷」「大学単位取得 事件後はゼロ」</ref><ref name="読売新聞2012-12-29">『読売新聞』2012年12月29日中部朝刊第一社会面27頁「蟹江3人殺傷 『終電逃し現場残った』 L容疑者供述 体壊し生活困窮か=中部」</ref><ref name="毎日新聞2012-12-29 中部朝刊">『毎日新聞』2012年12月29日中部朝刊第一社会面23頁「愛知・蟹江の母子殺傷:被告『首も絞めた』 強い殺意か 名地検が起訴」(記者:岡大介・沢田勇)「奨学金認められず 教授『会計が授業料督促』」(記者:永野航太)</ref><ref name="毎日新聞2012-12-29 東京朝刊">『毎日新聞』2012年12月29日東京朝刊第一社会面25頁「愛知・蟹江の母子殺傷:中国人容疑者『首も絞めた』」(記者:岡大介)</ref>、被告人Lの身柄は2013年(平成25年)2月4日付で勾留先の蟹江署から[[名古屋拘置所]]に[[移送]]された<ref name="毎日新聞2013-02-06">『毎日新聞』2013年2月6日中部朝刊第二社会面22頁「愛知・蟹江の母子殺傷:『自分の命で償いたい』 L被告、毎日新聞記者と面会」</ref>。 |
|||
== 刑事裁判 == |
|||
=== 第一審・名古屋地裁(裁判員裁判) === |
|||
==== 公判前整理手続・精神鑑定 ==== |
|||
[[被告人]]Lは起訴後、収監先の[[名古屋拘置所]]内で壁に頭を打ち付けたり、睡眠剤を大量服用するなどの自殺未遂・自傷行為を繰り返した{{Efn2|特に初公判直前の[[2014年]](平成26年)11月には、靴下を首に巻き付けて自殺を図り、[[低酸素脳症]]で意識障害を負った<ref name="中日新聞2015-01-27"/>。}}<ref name="中日新聞2015-01-27"/>。やがてLは精神的に不安定になり、意思疎通が難しくなったため<ref name="毎日新聞2013-10-09"/>、Lの[[弁護人]]は「Lには刑事[[責任能力]]・[[訴訟能力]]がない」とする旨を主張し、[[公判前整理手続]]中の2013年には[[名古屋地方裁判所]]にLの[[精神鑑定]]を申し入れた<ref name="中日新聞2013-10-09">『中日新聞』2013年10月9日朝刊第二社会面30頁「蟹江一家殺傷 精神鑑定へ 勾留中変調 訴訟能力めぐり弁護側」</ref><ref name="毎日新聞2013-10-09">『毎日新聞』2013年10月9日中部朝刊第二社会面22頁「愛知・蟹江の母子殺傷:被告を精神鑑定 名古屋地裁が実施へ」</ref>。当時、Lは身体・精神双方に変調をきたして外部の病院で治療を受けている状態で、名古屋地裁はこの申請を認め、精神鑑定を実施した<ref name="中日新聞2013-10-09"/>が、同年末に「責任能力・訴訟能力に問題はない」とする精神鑑定結果を示した鑑定書が名古屋地裁に提出された<ref name="中日新聞2014-01-08">『中日新聞』2014年1月8日夕刊第一社会面13頁「責任、訴訟能力『ある』 蟹江一家殺傷 被告の精神鑑定」</ref><ref name="毎日新聞2014-01-08">『毎日新聞』2014年1月8日中部夕刊第一社会面7頁「愛知・蟹江の母子殺傷:被告に責任能力 名地裁に鑑定書」</ref>。 |
|||
その後の公判前整理手続の結果、争点の絞り込みは2014年9月までに完了し<ref>『中日新聞』2014年9月12日朝刊第一社会面37頁「蟹江殺傷 1月初公判 関係者調整 強盗殺人か否か争点」</ref>、同年11月26日には[[裁判員制度|裁判員裁判]]の全[[公判]]日程が決まった<ref>『中日新聞』2014年11月17日朝刊第一社会面31頁「蟹江の一家殺傷 1月19日初公判 名地裁決定」</ref>。 |
|||
==== 公判 ==== |
|||
[[2015年]](平成27年)1月19日<ref>『中日新聞』2015年1月18日朝刊第一社会面39頁「蟹江殺傷あす初公判 名古屋地裁 強盗殺人か否か争点」</ref>、[[名古屋地方裁判所]]([[松田俊哉]][[裁判長]])で被告人Lの初公判(裁判員裁判)が開かれた<ref name="中日新聞2015-01-19 no.1">『中日新聞』2015年1月19日夕刊1頁「蟹江殺傷 強盗目的を否定 初公判で弁護側 『殺人・窃盗』主張」</ref><ref name="中日新聞2015-01-19 no.2">『中日新聞』2015年1月19日夕刊第一社会面11頁「事件から5年8カ月余 蟹江殺傷 なぜ現場に14時間」「『罰金費用のため強盗』■無施錠『最後のチャンス』 冒陳で検察側詳細に」</ref><ref name="中日新聞2015-01-20">『中日新聞』2015年1月20日朝刊第三社会面28頁「蟹江殺傷 『強盗』を否定 初公判で弁護側 被告涙流す場面も」「『母が一家の支え』遺族調書」</ref>。同日、検察官は冒頭陳述で強盗の意図があったことを指摘し<ref name="中日新聞2015-01-19 no.1"/>、「金品を取る障害となる2人を殺害した行為は強盗殺人罪が成立する」と主張した<ref name="中日新聞2015-01-20"/>。一方、弁護人は冒頭陳述で「侵入当初は空き巣目的で入っただけで、強盗の意図はなかった。被害者2人に発見されてパニックになり、とっさに殴ってしまった。強盗殺人(未遂)罪の成立は認められず、三男Cへの暴行も傷害罪に留まる」と反論した<ref name="中日新聞2015-01-19 no.1"/>が、被告人Lは「被害者らを殺意を持って死亡させた事実は合っていますか」という質問に対し「合っている」と答えた<ref name="中日新聞2015-01-19 no.2"/>。 |
|||
第2回公判(1月21日)で検察官による証人尋問が行われ、事件で唯一生き残った被害者である三男Cは証人として裁判官・裁判員らに対し「事件当日、自分が飲み会に行かなければ<ref group="注" name="飲み会"/>誰も傷つかなかったと悔やんでいる。亡くなった2人のためにも、被告人Lには死刑を望む」と訴えた<ref>『中日新聞』2015年1月22日朝刊第一社会面35頁「『ごめん』と告げられ死悟る 蟹江殺傷公判 三男が状況証言」</ref>。続く第3回公判(1月23日)でも引き続き検察官の証人尋問が行われ、被害者Bと婚約していた女性(Bの元同僚)<ref group="注" name="婚約"/>が「死刑でも死刑でなくてもどちらでも良いが、Lにはできればずっと自分の犯した罪を反省して償ってほしい」と訴えた<ref name="中日新聞2015-01-24">『中日新聞』2015年1月24日朝刊第二社会面34頁「『一緒にケーキ店』夢が… 蟹江刺殺次男 交際女性、公判で涙」</ref>。 |
|||
1月26日の公判では弁護人による証人尋問・証拠調べが行われ、証人として出廷した被告人Lの父親{{Efn2|Lの両親は事件後、借金をして被害者遺族に500万円の被害弁償を申し出ていた<ref name="中日新聞2015-01-23">『中日新聞』2015年1月23日朝刊第一社会面30頁「『1万回謝っても足りない』 蟹江一家殺傷 被告の両親『生きて償って』」</ref>。}}は「息子には[[国際電話]]などで何度も『金に困っていないか』と聞いたが、息子は『金は必要ない。努力して自分で何とかする』といつも答えていた。息子を信じていたが、このようなことになってしまったことには親として責任を感じる」と証言し、被害者遺族への謝罪の言葉も述べた<ref name="中日新聞2015-01-27">『中日新聞』2015年1月27日朝刊第一社会面31頁「被告が逮捕後自殺未遂 蟹江殺傷公判、弁護側明かす」</ref>。また、同月28日の公判では弁護人が、被告人Lによる被害者・遺族への謝罪の言葉などがつづられた手記を朗読したほか、検察官も逮捕後の被告人Lの供述調書を朗読した<ref name="中日新聞2015-01-29">『中日新聞』2015年1月29日朝刊第二社会面30頁「顔見られ殺害決意 蟹江殺傷公判 被告手記も」</ref>。 |
|||
2月2日 - 3日は被告人質問が行われ<ref name="中日新聞2015-02-03">『中日新聞』2015年2月3日朝刊第一社会面29頁「強盗の意図を否定 蟹江殺傷、被告人質問」</ref><ref name="中日新聞2015-02-04">『中日新聞』2015年2月4日朝刊第一社会面29頁「被害三男『何を考えて一日過ごしているのか』 蟹江殺傷、被告に直接質問」</ref>、Lは2日の被告人質問で弁護人からの「A宅に侵入するまでは凶器のモンキーレンチ・ナイフを使おうとは考えていなかったか」「3人を殺傷した後、腕時計を偶然発見するまでは現金を手に入れようとする気持ちはなかったか」という質問をいずれも肯定したほか、被害者遺族や自身の両親への謝罪の言葉を述べた<ref name="中日新聞2015-02-03"/>。また、翌3日の公判では[[被害者参加制度]]を利用して質問に参加した被害者Cから「万引きを繰り返していた生活を変える努力をしなかったのか」などと質問され、「事件を思い出すと感情をコントロールできない」「事件のことは後悔している」などと答えた<ref name="中日新聞2015-02-04"/>。 |
|||
2015年2月6日に開かれた第10回公判で[[論告]][[求刑]]が行われ<ref name="中日新聞2015-02-06 no.2">『中日新聞』2015年2月6日夕刊第一社会面13頁「被告 多くの『なぜ』残す 蟹江殺傷 裁判員重い判断へ」「『家族帰ってこない』 意見陳述で遺族怒り」</ref>、検察官は被告人Lに[[日本における死刑|死刑]]を[[求刑]]した<ref name="中日新聞2015-02-06 no.1">『中日新聞』2015年2月6日夕刊1頁「蟹江殺傷 死刑を求刑 検察側 東海の裁判員裁判で初」</ref>。午前中の論告で、検察官は「人がいると分かった上で、住宅に凶器を持参した上で侵入したのは、攻撃を想定していたからだ。金品を奪う目的だったのは明らかで、典型的な強盗殺人。3回にわたる殺害行為は強盗殺人の中でも特に悪質で、刑事責任は極めて重く、被害者遺族も極刑を望んでいる」と主張した<ref name="中日新聞2015-02-06 no.1"/>。一方、同日午後の最終弁論で被告人Lの弁護人は、「窃盗目的で偶然被害者宅に侵入し、家人に見つかってパニックになって暴行を加えたが、この時点では金を奪う意図はなく、強盗殺人罪は成立しない。仮に強盗殺人罪が成立するにしても、殺害された被害者2人に対しては当初、強盗殺人の犯意はなく、[[判例]]の[[量刑]]傾向からしても死刑選択の余地はない」と主張し、[[殺人罪 (日本)|殺人]]+[[窃盗罪]]の適用と[[懲役#無期懲役|無期懲役刑]]の選択を求めた<ref>『中日新聞』2015年2月7日朝刊第一社会面31頁「弁護側、死刑回避求める 蟹江殺傷結審 検察側『悪質な強殺』」</ref>。 |
|||
=== 死刑判決 === |
|||
2015年2月20日に[[判決 (日本法)|判決]]公判が開かれ<ref>『中日新聞』2015年2月18日朝刊一面1頁「極刑か回避か 裁判員重圧 蟹江殺傷 20日判決 『強殺』『殺人+窃盗』どう判断」</ref>、名古屋地裁刑事第2部(松田俊哉裁判長){{Sfn|名古屋地裁|2015|p=16}}は検察官の求刑通り、被告人Lに死刑を言い渡した{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=1}}<ref name="中日新聞2015-02-21 no.1">『中日新聞』2015年2月21日朝刊一面1頁「蟹江一家殺傷 死刑判決 名地裁 裁判員裁判で東海初」「解説 悪質性重くみた判断」(社会部記者:池田悌一)</ref><ref name="中日新聞2015-02-21 no.2">『中日新聞』2015年2月21日朝刊第一社会面35頁「蟹江一家殺傷 夢破れた末極刑 被告うつむいたまま 『日中の懸け橋に』と留学 生活苦…犯罪に手を染め」</ref><ref name="中日新聞2015-02-21 no.3">『中日新聞』2015年2月21日朝刊第二社会面34頁「蟹江一家殺傷 裁判員悩み抜き 9人全員が会見 生活者視点は重要 本当に正義なのか 時間かけ忘れたい」「母、兄へ『終わったよ』三男・Cさん」</ref><ref name="中日新聞2015-02-21 no.4">『中日新聞』2015年2月21日朝刊特集第三面29頁「蟹江一家殺傷事件 判決要旨」</ref><ref name="東京新聞2015-02-21">『東京新聞』2015年2月21日朝刊第二社会面26頁「親子3人殺傷で死刑判決」</ref><ref name="朝日新聞デジタル2015-02-20">{{Cite news|title=愛知・蟹江の母子3人殺傷、被告に死刑判決 名古屋地裁|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|date=2015-02-20|url=http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html|accessdate=2015-11-17|publisher=[[朝日新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151117041914/http://www.asahi.com/articles/ASH2M5F8ZH2MOIPE019.html|archivedate=2015年11月17日}}</ref><ref name="産経新聞2015-02-20">{{Cite news|title=親子3人殺傷で中国人の男に死刑判決、名古屋地裁|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-02-20|url=http://www.sankei.com/west/news/150220/wst1502200060-n1.html|accessdate=2015-07-05|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150705184504/http://www.sankei.com/west/news/150220/wst1502200060-n1.html|archivedate=2015年7月5日}}</ref>。 |
|||
名古屋地裁 (2015) は「被告人LはAに見つかった際、激しい暴行を加えずとも逃げようと思えば逃げられたのに敢えて逃げず、激しい暴行を加えていた。また、当時は顔をマスクで隠しており、Aの口封じをする必要性も薄く、その後には実際に事件現場の住宅で金品を奪っているため、Aに遭遇した時点で強盗を行うことを決意したと認められる」と指摘し、強盗殺人(未遂)罪の成立を認めた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=10}}。その上で、「LはAと遭遇し、警察に通報されそうになったことでパニックになり、A・B両被害者への殺害行為に及んだ。その後、Cが帰宅したことで頭が真っ白になるほど混乱し、Cをナイフで刺したが、特にどの場所を狙ったという気持ちはなかった」という弁護人の主張{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=6-7}}については、「被害者の受傷程度や凶器の殺傷能力の高さなどから、被害者3人全員への確定的な殺意を有していたことが認められる。Bを刺殺した際にはわざわざ台所まで行って包丁を持ち出しており、パニックに陥っていたとは考えられない。弁護人は『Cには途中で攻撃をやめており、殺意はなかった』と主張するが、LはCに対し、既に殺害に十分な暴行を加えたと判断して攻撃をやめたにすぎない。Cの怪我は結果的には致命傷にはならなかったが、これはナイフによる攻撃が偶然にもわずかに急所を外れたにすぎず、攻撃を中止した後も救護活動などは行っていないため、中止未遂も成立しない」と指摘した{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=10-12}}。 |
|||
そして、量刑の理由では「金銭的に苦しい状態に陥っていることを母国の両親に打ち明け、資金の援助を求めることもできたにも拘らず、自己のプライドからそれをせず、万引きにより受けた罰金の支払いのために犯行におよんでおり、動機は自己中心的・身勝手だ」{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=13-14}}「侵入時点では強盗・殺害までは考えておらず、窃盗目的を持っていたにすぎないが、当初から武器を利用したひったくりを計画して凶器を携行し、家人がいると分かって被害者宅に侵入した本事件は、予期せず家人が在宅しており、突発的に強盗・殺害におよんだ場合とは異なる。計画性がない点を重視して死刑が回避された事案と、本事件を同列に考えることはできない」{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=14-15}}などと指摘した上で、「被告人Lは一貫して殺傷の事実を認め、謝罪の言葉も述べていることなどから更生可能性も認められるが、本事件後も同じ過ちを繰り返す虞のある行動{{Efn2|name="犯行後"|Lは2012年10月に逮捕された際、窃盗の被害者に捕まらないよう、凶器となりえる6本のナイフを持ち歩いていた{{Sfn|名古屋地裁|2015|p=15}}。}}を取っており、捜査段階では供述を二転三転させ、公判でも不合理な弁解を繰り返すなど、常に自己保身を考えている様子がうかがえ、真摯な反省は認められない。事件当時25歳で前科がなかったことや、両親が被害弁償のために500万円を工面したことなど、Lにとって有利な情状を最大限に考慮しても、死刑を回避すべき特別な事情があるとはいえない」と結論付けた{{Sfn|名古屋地裁|2015|pp=15-16}}。 |
|||
被告人Lの弁護人・北條政郎弁護士は<ref name="産経新聞2015-02-20"/>、「死刑ありきとも受け取れる判決は容認できない」と判決への不服を訴え、2015年2月25日付で[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref name="中日新聞2015-02-25">『中日新聞』2015年2月25日夕刊第一社会面13頁「L被告が控訴 蟹江一家殺傷」</ref>。 |
|||
=== 控訴審・名古屋高裁 === |
|||
2015年7月27日<ref>『中日新聞』2015年7月26日朝刊第一社会面31頁「強盗犯意の有無争点 蟹江3人殺傷 あす控訴審初公判」</ref>に[[名古屋高等裁判所]]([[石山容示]]裁判長)で控訴審の初公判が開かれ、即日結審した<ref name="中日新聞2015-07-28">『中日新聞』2015年7月28日朝刊第一社会面27頁「計画性否定、死刑回避訴え 蟹江殺傷控訴審 10月14日に判決」「散髪し自力出廷 L被告」</ref>。控訴審でも強盗殺人罪成立の是非が争点となり、弁護人は「被害者に暴行を加えたのは強盗のためではなく、Aに大声を出されたためだ。仮に強盗の犯意が認められても、殺害された被害者が2人で殺害の事前計画性もないケースでは、死刑選択は妥当ではない」として、死刑判決の[[取消し|破棄]](無期懲役の適用)を訴え、強盗の犯意を否定するための[[証拠調べ]]・被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退けた<ref name="中日新聞2015-07-28"/>。 |
|||
2015年10月14日<ref name="中日新聞2015-10-12">『中日新聞』2015年10月12日朝刊第二社会面30頁「蟹江一家3人殺傷 14日に控訴審判決 強盗殺人罪成立の可否が争点」</ref>、名古屋高裁刑事第1部(石山容示裁判長){{Sfn|名古屋高裁|2015}}は死刑を選択した第一審判決を支持し、被告人Lの控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="中日新聞2015-10-14">『中日新聞』2015年10月14日夕刊第一社会面11頁「蟹江殺傷 二審も死刑 控訴棄却 裁判員判断を支持」「三男『ひとまず安心』 出廷しない被告に憤り」</ref><ref name="中日新聞2015-10-15">『中日新聞』2015年10月15日朝刊第一社会面35頁「蟹江3人殺傷 二審も死刑 厳罰化傾向にはくぎ」</ref><ref name="朝日新聞デジタル2015-10-14">{{Cite news|title=高裁、一審の死刑判決支持 愛知・蟹江の3人殺傷|newspaper=朝日新聞デジタル|date=2015-10-14|url=http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html|publisher=朝日新聞社|accessdate=2015-11-19|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151119074841/http://www.asahi.com/articles/ASHBF6GZ7HBFOIPE026.html|archivedate=2015年11月19日}}</ref><ref name="産経新聞2015-10-14 no.1">{{Cite news|title=愛知親子3人殺傷、二審も死刑 中国人男の控訴棄却|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-10-14|url=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140044-n1.html|accessdate=2016-08-16|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160816083151/http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140044-n1.html|archivedate=2016年8月16日}}</ref><ref name="日本経済新聞2015-10-14">{{Cite news|title=愛知一家3人殺傷、二審も死刑 中国籍の男に判決|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-10-14|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/|accessdate=2018-05-08|publisher=[[日本経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508124551/https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG14H3H_U5A011C1CC0000/|archivedate=2018年5月8日}}</ref>。名古屋高裁 (2015) は「殺害された被害者数が2人の場合、原則として死刑を選択すべきとは言えない。死刑選択に当たっては、合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」と指摘した上で、「被告人Lは被害者宅に侵入した際、家人と遭遇して騒がれることを予想しており、実際にAに見つかったことで確定的な強盗の犯意が生じた。Aらが抵抗しなくなっても繰り返し暴行を加えるなど、犯行の態様は執拗で残酷だ。死刑を選択した原判決は具体的な根拠から導き出された合理的判断で、是認できる」と述べた<ref name="中日新聞2015-10-14"/>。Lの弁護人は判決を不服として同日付で[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[上告]]した<ref name="中日新聞2015-10-15"/><ref name="産経新聞2015-10-15 no.2">{{Cite news|title=L被告の弁護人が上告 3人殺傷、2審も死刑で|newspaper=産経新聞|date=2015-10-14|url=http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html|accessdate=2016-08-16|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160816042322/http://www.sankei.com/west/news/151014/wst1510140085-n1.html|archivedate=2016年8月16日}}</ref>。 |
|||
=== 上告審・最高裁第一小法廷 === |
|||
2018年(平成30年)7月12日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一[[小法廷]]([[木澤克之]]裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は強盗の計画性を否定したほか<ref name="毎日新聞2018-07-13">{{Cite news|title=愛知・蟹江の一家3人殺傷:弁護側、死刑回避求める 上告審結審|newspaper=毎日新聞|date=2018-07-13|author=伊藤直孝|url=https://mainichi.jp/articles/20180713/ddq/041/040/007000c|accessdate=2018-07-17|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180717102624/https://mainichi.jp/articles/20180713/ddq/041/040/007000c|archivedate=2018年7月17日}}</ref>、Lの訴訟能力を否定する旨も主張し<ref>{{Cite news|title=強盗殺人の最高裁弁論で弁護側が「死刑回避すべき」|newspaper=[[ANNニュース]]|date=2018-07-12|url=http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000131639.html|accessdate=2018-07-12|publisher=[[テレビ朝日]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180712110835/http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000131639.html|archivedate=2018年7月12日}}</ref>、死刑回避を主張した<ref name="毎日新聞2018-07-13"/>。 |
|||
2018年9月6日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人L側の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Lの死刑判決が確定することとなった<ref name="中日新聞2018-09-07">『中日新聞』2018年9月7日朝刊第11版第三社会面29頁「蟹江3人殺傷 死刑確定へ」</ref><ref>{{Cite news|title=愛知3人殺傷、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|newspaper=中日新聞|date=2018-09-06|author=|url=http://www.chunichi.co.jp/s/article/2018090601001955.html|accessdate=2018-09-06|publisher=中日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180906090910/http://www.chunichi.co.jp/s/article/2018090601001955.html|archivedate=2018年9月6日}}</ref><ref>{{Cite news|title=愛知一家殺傷:中国籍被告の死刑確定へ 最高裁上告を棄却|newspaper=毎日新聞|date=2018-09-06|author=伊藤直孝|url=https://mainichi.jp/articles/20180906/k00/00e/040/375000c|publisher=毎日新聞社|language=ja|accessdate=2018-09-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180906135740/https://mainichi.jp/articles/20180906/k00/00e/040/375000c|archivedate=2018年9月6日}}</ref><ref>{{Cite news|title=中国人留学生、死刑確定へ…愛知県の家族3人殺傷|newspaper=産経新聞|date=2018-09-06|author=|url=https://www.sankei.com/west/news/180906/wst1809060068-n1.html|accessdate=2018-09-06|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180906090736/https://www.sankei.com/west/news/180906/wst1809060068-n1.html|archivedate=2018年9月6日}}</ref>。被告人Lおよび弁護人は同判決に対し訂正を申し立てたが、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)の決定(2018年10月2日付)で棄却されたため、翌日(2018年10月3日)付で死刑判決が正式に確定した<ref>『中日新聞』2018年10月6日朝刊第11版第一社会面35頁「蟹江3人殺傷 死刑確定」</ref>。 |
|||
== 民事裁判 == |
|||
2015年には生存した三男Cを含む被害者遺族3人が、被告人Lに対し「[[犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律#損害賠償命令制度|損害賠償命令制度]]」{{Efn2|犯罪被害者・遺族の救済支援のため、重大事件の刑事裁判の有罪判決後、同じ裁判官が公判記録を使って賠償額などを審理する制度<ref name="中日新聞2015-06-04"/><ref name="産経新聞2016-03-25"/>。}}に基づき、死亡した2人の[[逸失利益]]・[[慰謝料]]など計約1億7,900万円の支払いを求め、名古屋地裁に損害賠償手続きを申し立てた<ref name="中日新聞2015-06-04">『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31頁「蟹江殺傷被告に賠償請求 1億7900万円 遺族、命令制度を利用」</ref><ref name="読売新聞2015-06-05">『読売新聞』2015年6月5日中部朝刊第二社会面30頁「蟹江3人殺傷で被告に賠償請求 遺族が1億7900万円=中部」</ref><ref>{{Cite news|title=死刑判決の被告に、家族3人を殺傷された遺族が賠償請求|newspaper=産経新聞|date=2015-06-07|url=http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html|accessdate=2018-04-26|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150607033511/http://www.sankei.com/west/news/150604/wst1506040043-n1.html|archivedate=2018年4月26日}}</ref>。しかし第一審の死刑判決を不服として被告人Lが控訴したため、担当裁判官は賠償額を決定できず<ref name="読売新聞2015-06-05"/>、同制度に基づく手続きは2015年4月下旬に終結し<ref name="中日新聞2015-06-04"/><ref name="読売新聞2015-06-05"/>、[[原告]]の被害者遺族3人は、被告人に対して同額の[[損害賠償]]を請求する通常の[[民事訴訟]]に移行した<ref name="中日新聞2015-06-04"/>。その後、C以外の原告2人は2015年10月に訴訟を取り下げたため<ref name="読売新聞2016-03-25"/>、請求額は残る原告Cの請求していた約5,600万円となった<ref name="中日新聞2016-03-25"/><ref name="産経新聞2016-03-25"/>。 |
|||
2016年3月24日に名古屋地裁民事第6部([[村野裕二]]裁判長){{Sfn|名古屋地裁|2016}}は原告・三男Cの請求を全額認め、[[被告]](被告人L)側に慰謝料など約5,600万円の支払いを命じる判決を言い渡した{{Efn2|原告Cの代理人[[弁護士]]は判決後、「請求を認容する判決をいただいたが、実際にLから履行される可能性がないに等しいことを考えると、誠に遺憾でならない」とコメントしている<ref name="中日新聞2016-03-25"/>。}}<ref name="中日新聞2016-03-25">『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31頁「蟹江の3人殺傷 5600万円賠償命令 名地裁、被告に」</ref><ref name="読売新聞2016-03-25">『読売新聞』2016年3月25日中部朝刊第二社会面38頁「蟹江強殺事件被告に5600万円賠償命令 名古屋地裁=中部」</ref><ref name="産経新聞2016-03-25">{{Cite news|title=3人殺傷で32歳の中国人被告に賠償支払い命令、5600万円|newspaper=産経新聞|date=2015-06-07|url=http://www.sankei.com/west/news/160324/wst1603240051-n1.html|accessdate=2018-05-08|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180508140748/http://www.sankei.com/west/news/160324/wst1603240051-n1.html|archivedate=2018年5月8日}}</ref>。名古屋地裁 (2016) は[[判決理由]]で「極めて悪質・重大な事件で、動機も身勝手で同情の余地はない」<ref name="中日新聞2016-03-25"/>「家族を奪われた本件原告Cの悲しみや心痛は余りあるものだ。本件被告(被告人L)は真摯な反省をしているとは認め難い」と指摘し<ref name="産経新聞2016-03-25"/>、死亡した被害者A・B両名の逸失利益を計約1億3,600万円のうち、Cの相続分の約4,550万円+Cの負傷などに対する慰謝料など計約1,050万円=総額約5,600万円の支払いを命じた<ref name="読売新聞2016-03-25"/>。 |
|||
{{See also|#被害者遺族による民事訴訟の判決文}} |
|||
== 防犯活動 == |
|||
2010年2月15日には現場となった蟹江町と、隣接する[[弥富市]]に対し、それぞれ地元住民らにより録画・夜間撮影機能を持つ[[防犯カメラ]]が贈呈され、事件現場付近の近鉄蟹江駅{{Efn2|その後、「あまロータリークラブ」は防犯対策強化の一環として2011年5月23日、新たに近鉄蟹江駅前駐輪場に防犯カメラ1台を増設している<ref name="中日新聞2011-05-24">『中日新聞』2011年5月24日朝刊なごや東総合面19頁「近鉄蟹江駅前に防犯カメラ増設 キャンペーン」</ref>。}}や、[[近鉄弥富駅]]それぞれの駅前にそれぞれ設置された<ref name="中日新聞2010-02-16">『中日新聞』2010年2月16日朝刊尾張版16頁「殺傷事件二度と起きぬよう 市民が防犯カメラ寄贈 蟹江町と弥富市に」(記者:伊藤隆平)</ref>。 |
|||
蟹江町民はその後も、平仮名45文字を頭にした防犯標語を作ったり<ref name="中日新聞2010-03-13">『中日新聞』2010年3月13日朝刊尾張版18頁「『あ』空き巣狙い、対策講じて安心我が家 安全な街へ「防犯標語」 蟹江の住民パト隊5周年 頭に『あ』から『ん』45文字 隊長・○○さんが考案」(記者:伊藤隆平。見出し内に事件関係者ではないが、一般人の実名が含まれていたため、その箇所を伏字とした)</ref>、蟹江署・海部南部防犯協会連合会が合同で近鉄蟹江駅の利用者向けに防犯ブザーを貸し出したり<ref name="中日新聞2011-04-22">『中日新聞』2011年4月22日朝刊愛知県内総合面19頁「防犯ブザーでSOSを 近鉄蟹江駅 無料で10個貸し出し 通り魔事件などで蟹江署設置」(記者:伊藤隆平)</ref>、蟹江署特捜本部の捜査員とともに情報提供を求めるチラシ配りに参加したりなどして<ref name="中日新聞2010-05-15">『中日新聞』2010年5月15日朝刊愛知県内版24頁「被害者同級生らが情報提供呼び掛け 蟹江・一家殺傷事件」(記者:伊藤隆平)</ref>、防犯活動を継続した<ref name="#1"/>。 |
|||
== 脚注 == |
|||
=== 注釈 === |
|||
{{Notelist2|2}} |
|||
=== 出典 === |
|||
'''※見出し名に死刑囚・被害者の実名が含まれる場合、死刑囚は姓のイニシャル「L」、被害者は本文中で用いられている仮名(A・B・C)にそれぞれ置き換えている。''' |
|||
{{Reflist|2}} |
|||
== 参考文献 == |
|||
=== 刑事裁判の判決文 === |
|||
* {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[名古屋地方裁判所]]|法廷=刑事第2部|裁判形式=判決|事件番号=平成24年(わ)第2750号、平成25年(わ)第77号|事件名=住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件|裁判年月日=2015年(平成27年)2月20日|判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=84980|ref={{SfnRef|名古屋地裁|2015}}}} |
|||
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
|||
;D1-Law.com([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28231359 |
|||
#金品窃取の目的で民家に侵入し、家人に発見されたことから、居直り強盗を決意して、家人2名を殺害し、1名に重傷を負わせ、現金等を奪ったという強盗殺人、強盗殺人未遂等の事案につき、死刑を回避すべき特別な事情はないとして、死刑が言い渡された事例。 |
|||
</div> |
|||
:* 判決内容:死刑(求刑:同。被告人側は控訴) |
|||
:* [[裁判官]]:[[松田俊哉]]([[裁判長]])・山田順子・中井太朗 |
|||
* {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第1部|裁判形式=判決|事件番号=平成27年(う)第105号|事件名=住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件|裁判年月日=2015年(平成27年)10月14日|判例集=『高等裁判所刑事裁判速報集』(平成27年)号229頁|判示事項=|裁判要旨=|url=|ref={{SfnRef|名古屋高裁|2015}}}} |
|||
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
|||
;D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28244308 |
|||
# 住居に侵入し、金品強取の意図で2名を殺害し、1名の殺害を遂げなかった住居侵入、強盗殺人、強盗殺人未遂被告事件において、強盗殺人罪の法定刑が死刑と無期懲役に限られていることに照らし、2名を殺害した場合には死刑を回避する特段な事情が必要であるとした原判決の説示には問題があるとし、死刑という最大限の非難を向けることが疑問なくできるかどうか、できるとすればその合理的な根拠は何かについて可能な限り慎重に検討を進めるべきであるという死刑選択の判断方法を示した上で、本件事案においては、そのような慎重な検討に従っても死刑の選択が合理的な判断であるとして、原判決の量刑判断が是認された事例。 |
|||
# 金品強取の意図で住居に侵入し、殺意を持って被害者にナイフで傷害を負わせた被告人が被害者にナイフを奪われ反撃を受けるなどして体力を消耗し、両者の間で、被告人は犯跡を隠滅する作業を追えたら速やかに出ていくこと、被害者はその間、両手両足を縛られることについて合意が成立したという強盗殺人未遂被告事件において、被告人は、被害者の反撃という傷害によって同人の殺害を実現できない状況に陥ったにすぎないから、自己の意思によって同人の殺害を中止したものとは認められないとして、中止未遂の成立が否定された事例。 |
|||
</div> |
|||
:* 判決内容:被告人側控訴棄却(死刑判決支持・被告人側上告) |
|||
:* 裁判官:[[石山容示]](裁判長)・伊藤寛樹・小坂茂之 |
|||
* {{Cite 判例検索システム|法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第一[[小法廷]]|裁判形式=判決|事件番号=平成27年(あ)第1585号|事件名=住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件|裁判年月日=2018年(平成30年)9月6日|判例集=集刑 第323号39頁|判示事項=死刑の量刑が維持された事例(愛知一家強盗殺傷事件)|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=88087|ref=}} |
|||
<!-- |
|||
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
|||
</div> |
|||
--> |
|||
** 判決内容:被告人側上告棄却(死刑判決確定) |
|||
** [[最高裁判所裁判官]]:[[木澤克之]](裁判長)・[[小池裕]]・[[山口厚]]・[[深山卓也]] |
|||
** 検察官・弁護人 |
|||
*** 検察官:名倉俊一 |
|||
*** 弁護人:山本彰宏・永里桂太郎 |
|||
=== 被害者遺族による民事訴訟の判決文 === |
|||
* {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[名古屋地方裁判所]]|法廷=民事第6部|裁判形式=判決|事件番号=平成27年(ワ)第2342号|事件名=損害賠償請求事件|裁判年月日=2016年(平成28年)3月24日|判例集=|判示事項=|裁判要旨=|url=|ref={{SfnRef|名古屋地裁|2016}}}} |
|||
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;"> |
|||
;D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28241633 |
|||
# 被告(本文中・被告人L)は、原告(本文中C)方に侵入し、原告の母であるAの犯行を抑圧する等して金品を強取することとし、Aを殺害し、原告の兄であるBを殺害し、さらに原告に殺意を持って暴行したが原告が死亡するに至らず、Aら所有の現金等を強取したとして、A及びBを相続した原告が、被告に対し不法行為に基づき損害賠償を求めた件につき、被告が請求原因を争うことを明らかにしなかったため、請求が認容された事例。 |
|||
</div> |
|||
:* 原告・被告 |
|||
:** [[原告]]:本事件被害者C |
|||
:*** 原告訴訟代理人弁護士:上山晶子・草野勝彦・平野好道・丹羽正明・河合伸彦・古賀照平・服部祥子 |
|||
:** [[被告]]:本事件加害者・被告人L |
|||
:* 判決内容:原告側の請求をすべて認容(被告側に「合計5,605万6,274円及びそれに対する2009年5月2日から支払い済みまで年5年分の割合による金員を支払え」と命令) |
|||
:* 裁判官:村野裕二(裁判長)・山本健一・荻原惇 |
|||
=== 書籍 === |
|||
* {{Cite book|和書 |title=袴田事件再審無罪・死刑廃止へ 年報・死刑廃止2023 |publisher=[[インパクト出版会]] |date=2023-10-10 |page=87 |pages= |ref={{SfnRef|年報・死刑廃止|2023}} |author=年報・死刑廃止編集委員会 |editor=(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・[[安田好弘]]・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、死刑廃止のための大道寺幸子・[[島田事件|赤堀政夫]]基金、深瀬暢子・国分葉子) |edition=第1刷発行 |isbn=978-4755403361 |ncid=BD04317751 |id={{国立国会図書館書誌ID|033089483}}・{{全国書誌番号|23938830}}}}<!--各死刑囚の収監先のデータについては同書176-203頁に記載。同書203頁に「2023年9月25日時点の情報」と記載されています--> |
|||
== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
||
62行目: | 213行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* {{Cite web|和書|title=捜査にご協力を! >海部郡蟹江町蟹江本町地内における強盗殺人事件情報提供のお願い(事件解決前に一般から情報提供を募っていたページ)|url=http://www.pref.aichi.jp/police/jiken/jiken/kanie.html|publisher=愛知県警察|date=2011-12-10|accessdate=2018-07-28|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121114001744/http://www.pref.aichi.jp/police/jiken/jiken/kanie.html|archivedate=2012-11-14|ref={{SfnRef|愛知県警|2011}}}} |
|||
* [http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/980/084980_hanrei.pdf Aの第一審判決文] - 裁判例情報 |
|||
{{crime-stub}} |
|||
{{Good article}} |
|||
{{DEFAULTSORT:あいちけんかにえちようほし3にんさつしようしけん}} |
|||
{{死刑囚}} |
|||
{{デフォルトソート:かにえいつかさんにんさつしようしけん}} |
|||
[[Category:平成時代の殺人事件]] |
[[Category:平成時代の殺人事件]] |
||
[[Category:2009年の日本の事件]] |
[[Category:2009年の日本の事件]] |
||
73行目: | 224行目: | ||
[[Category:日本の外国人犯罪]] |
[[Category:日本の外国人犯罪]] |
||
[[Category:中国人の国外犯罪]] |
[[Category:中国人の国外犯罪]] |
||
[[Category: |
[[Category:蟹江町の歴史|いつかさんにんさつしようしけん]] |
||
[[Category:蟹江町の歴史|ほし3にんさつしようしけん]] |
|||
[[Category:2009年5月]] |
[[Category:2009年5月]] |
||
[[Category:日本の死刑確定事件]] |
2024年11月16日 (土) 04:37時点における最新版
蟹江一家3人殺傷事件 | |
---|---|
場所 |
日本・愛知県海部郡蟹江町蟹江本町海門[注 1][2](現:海部郡蟹江町城四丁目)[1] |
座標 | |
標的 | 現場住宅在住の一家3人 |
日付 |
2009年(平成21年)5月1日深夜 - 5月2日昼[3] 5月1日21時30分ごろから22時ごろ[3] – 5月2日午後0時20分ごろ[3] (UTC+9) |
概要 | 万引きなどで罰金刑を言い渡されて支払いに困窮した中国人留学生が民家に侵入し、家人の女性と同居していた次男の計2人を殺害したほか、女性の三男1人を負傷させた[4]。 |
懸賞金 | 警察庁が捜査特別報奨金制度対象事件に指定[5](解決後に指定取り消し) |
攻撃手段 | 鈍器で殴る・刃物で刺す |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 | 金属製モンキーレンチ[6]、鋭利な刃物(被害者宅の包丁[6]および持参したクラフトナイフ[6]) |
死亡者 | 2人 |
負傷者 | 1人 |
損害 | 現金約20万円・腕時計1個(時価約1,200円相当)[7] |
犯人 | 男L(事件当時25歳[8]) - 中華人民共和国国籍の三重大学留学生[9] |
動機 | 万引きにより科される見込みとなった罰金を支払うために窃盗目的で侵入[10]。その後、家人と遭遇したことで居直り強盗に[11]。 |
対処 | 愛知県警が逮捕[9]・名古屋地検が起訴[12] |
謝罪 | 捜査段階・公判段階にて謝罪の言葉 |
賠償 | 犯人の両親が500万円の被害弁償[13]+民事訴訟(後述) |
刑事訴訟 | 死刑(未執行) |
民事訴訟 | 犯人側に総額約5,600万円の損害賠償命令[14] |
管轄 |
蟹江一家3人殺傷事件(かにえいっかさんにんさっしょうじけん)とは、2009年(平成21年)5月1日深夜から翌5月2日昼にかけて愛知県海部郡蟹江町の民家で発生した強盗殺人・同未遂事件である[2][15][9]。
犯人の男L[9](事件当時25歳[8])は当時三重大学在学の中国人留学生だったが[9]、万引きにより受ける見込みとなった罰金を支払うために盗みを企て、侵入先の民家で遭遇した家人3人を殺傷したほか、3年後に逮捕されるまでに三重県内で窃盗2件を繰り返した(起訴状より)[4]。
愛知県警察による初動捜査時の不手際から捜査は難航し[16][17][18]、警察庁は事件から半年以上が経過した同年12月10日、本事件を捜査特別報奨金制度対象事件に指定した[5]。その後、犯人Lは2012年(平成24年)10月に窃盗容疑で三重県警察に逮捕され、その際に採取された唾液のDNA型が事件現場の遺留品と一致したため[19]、同年12月に本事件の被疑者として逮捕され[9]、起訴された[12]。
刑事裁判で被告人Lは強盗殺人・同未遂および窃盗の罪に問われ[3]、2018年(平成30年)に最高裁で死刑が確定[20]。東海3県(名古屋・岐阜・津各地裁および各支部)の裁判員裁判における死刑求刑[21][22]・判決はいずれも本事件が初だった[23][24]。
犯人L
[編集]本事件の犯人は中華人民共和国(中国)籍の男L(逮捕当時29歳)である[9]。Lは1983年(昭和58年)7月28日[25]、中国の山東省済南市で一人っ子として生まれ[26]、事件当時は三重大学の留学生であり[9]、年齢は25歳だった[8]。
2023年(令和5年)9月25日時点で[27]、Lは死刑確定者(死刑囚)として名古屋拘置所に収監されている(現在41歳)[28]。
生い立ち
[編集]Lの父親は地方公務員で、家庭は中流家庭だった[29]。経済的に不自由なく暮らし、読書好きな少年だったLは[30]、地元では成績優秀で地元の大学にも合格していたが、父親から「日本で先進技術を学んではどうか」と留学を勧められたことから[13]、2003年(平成15年)10月に郷里の中国・山東省から留学目的で来日した[6]。そして四年制大学への進学をめざし[31]、語学学校[注 2]の1年6か月コースに入学し[31]、寮生活を送っていたが、在学中の2004年(平成16年)4月・8月には京都府京都市内で2度にわたって万引きをしたとして、窃盗容疑で逮捕され、不起訴処分となっていた[注 3][31]。
語学学校を卒業後、Lは2005年(平成17年)4月にコンピューター専門学校(2年課程)[注 4]に入学したが[26]、後述の三重大学合格を受けて中退[26]。当時の授業料は年間65万円余りで、Lはこれを延滞せずに納めていたが、クラスの成績上位者が選ばれる私費留学生向けの奨学金は受けられなかった[注 5][26]。Lは後年(2013年)、『毎日新聞』記者・永野航太との面会取材で「来日した当初は日中間の懸け橋になることを夢見ていたが、生活が困窮したことから万引きを繰り返すようになった」と述べている[33]。
Lは三重大学に[30]2006年(平成18年)4月から在学し[6]、国の支援を受けない私費留学生として年間約34万円の授業料を払いつつ、三重県津市内の大学キャンパス付近のアパートで一人暮らししながら地域文化論を学んでいた[34]。しかし三重大時代(2008年 - 2010年度)には学費滞納を繰り返し[32]、前期・後期ごとに大学側から何度も支払いの督促を受けていた[注 6][30]。アパートの家賃も滞納するなど、生活費に困窮しており、成績も悪く、授業に来ないことも多かった[31]。結局、事件のあった2009年度は2単位しか取得できなかった[注 7]が、2010年度(入学5年目)には授業に出席するようになり、2011年3月に卒業した[32]。
事件の経緯
[編集]事件前の動向
[編集]来日直後から万引きなどの窃盗事件を繰り返していたLは、津市内で食料品・衣類などの万引きを繰り返した[31]。
事件前年の2008年(平成20年)12月31日、当時大学3年生だったLは高級食材を万引きする窃盗事件を起こし[6]、三重県津警察署に摘発され[36]、罰金刑(20万円)を受けた[18][31]。これに加え、翌2009年2月8日にはセーラー服のコスチュームを万引きしようとした窃盗未遂事件を起こして検挙された[6]。Lは2009年4月27日[注 8]、各事件について検察庁で取調べを受けた際に検察官から「罰金刑を科される見込みである」「罰金を納めない場合には労役場に留置される可能性がある」と説明を受けた上で、略式手続による処分を受けることに同意したが、「罰金を支払えず労役場に留置されると、大学を退学処分になり自分の人生が終わってしまう。そうなれば日本への留学のために経済的負担を掛けた両親の期待を裏切ってしまう」などと考えた[6]。そのため、当初は罰金を支払う資金を得るため、名古屋で通行人から金品を奪う路上強盗を思い付き、相手から追跡された場合に捕まらず逃げ切るため、「武器を使って相手を脅したり、殴ったりしよう」と考えた[6]。
事件当日(2009年5月1日)、Lは自宅からモンキーレンチ(金属製・重量約635 g)[注 9]・片刃のネジ付きスライド式クラフトナイフ(刃渡り約6 cm・重量約50 g)を、それぞれをかばんに入れて携帯した上で、パーカー・マスクを着用して名古屋市内に出掛けた[42]。そして名古屋駅[29]周辺で路上強盗をする相手を探したが、標的を見つけることができなかったために犯行を断念し[43]、近鉄名古屋駅(近鉄名古屋線)から帰りの急行電車に乗車した[36]。Lは乗車中に電車内で乗客の女性に目をつけ、その女性が降りた駅[43](近鉄蟹江駅)[注 10][36]で後を追って降車したが[43]、女性が乗用車で立ち去ったため[29]、犯行は結局失敗した[43]。
一家殺傷
[編集]Lはその後もひったくりの標的を見つけられず[43]、空き巣狙いに切り替えて周辺を物色[36]。駅へ向かって歩いていたが、21時30分ごろ - 22時ごろまでの間に被害者A宅(事件現場)付近を通りかかったところ、A一家の飼い猫が施錠されていなかった玄関からA方に入るのを見た[43]。家の玄関ドアが少し開いていることに気付いたLは、A宅に近付いたところ、リビングには照明が点灯しておりテレビも点いていることを確認した[43]。しかし、玄関ドアの隙間から屋内の様子を伺ったところ、玄関の照明は消えており、中に誰もいなかったため、「A宅で金品を窃取しよう」と考え、土足で玄関ドアからA宅に侵入した[43]。
照明が点灯していたリビング・廊下を挟んで反対側の照明が点灯していなかった和室に入ると、Lは同室内を観察し、室内にあったコートなどのポケットを調べるなどして金品を物色していたが、背後から[43]家主の女性A(事件当時57歳)[注 11][2]に「誰やお前」と声を掛けられた[43]。驚いたLは玄関から逃走しようとしたが、Aに服を掴まれたため[注 12][43]、金品を強取する意図と殺意を持った上で、Aの頭部を多数回モンキーレンチで殴り、Aを頭蓋骨骨折・脳挫傷などによる外傷性脳障害で死亡させた(強盗殺人罪)[注 13][3]。
しかしAに暴行を加えていた途中、Aの次男B(事件当時26歳)[注 14]がLに飛び掛かった[48]。そのまま約1時間にわたり[46]、Lはリビング・和室などでBと揉み合った末、自己の後頭部を勢いよくBの頭部にぶつけたことで優勢となり、Bの服をまくり上げて近くにあった電気コードでBの両手を縛り上げた[49]。Lは揉み合いの最中、着用していたマスクが外れたため、「Bに顔を見られたから、殺すしかない」と考え、殺意を持ってA宅の台所にあった包丁(刃渡り約17.2 cm)[注 15]でBの左背部を数回突き刺すなどして、被害者Bを左肺動脈切断による出血性ショックにより死亡させた(強盗殺人罪)[注 16][49]。
A・B両被害者を殺害後、LはA宅の床の血痕・足跡を拭き取ったり、血液の付着した衣服を洗濯したりして証拠隠滅を図っていた[49]。しかしその途中(2009年5月2日2時25分ごろ)、Aの三男C(事件当時25歳)が帰宅した[注 17][49]。これに驚いたLはCへの殺意を持った上で、玄関に座ってブーツを脱いでいたCを背後から襲い[注 18][49]、首やその周辺などを立て続けにクラフトナイフで数回突き刺した[7]。しかし、Cに「殺さないでくれ」と命乞いをされたことや、顔を見られていなかったことから殺害を思い留まり[46]、Cにそれ以上の暴行を加えることはなかった[注 19][53]。LはCを死亡させるには至らなかったが、全治2週間の怪我を負わせた(強盗殺人未遂罪)[注 20][7]。
刺されたCは背後を振り返り、廊下に立っていたLを取り押さえようとして揉み合いになり、両者はクラフトナイフを奪い合った[54]。一時は反撃したCがLの足を刺すなどした後、両者の話し合いによる結果、Lはクラフトナイフを離れた場所に投げ捨てた[53]。帰宅から約30分後、負傷したCはLに「出て行け」と迫ったが、Lは「まだやることがある。血を拭いたり、指紋を消したりする」と拒否し[注 21][50]、Cの手首を電気コードで縛り上げたり、頭をパーカーやガムテープで包んで目隠しをし[53]、抵抗不能な状態に陥ったCを床に寝転がした[50]。そして金品を物色してLは財布を見つけ、入っていた現金[53](Aほか2名所有の現金約20万円・腕時計[注 22]1個〈時価約1,200円相当〉)を強取した[注 23][7]。この間、CはLから金品のありかを尋ねられて「うちには金はない」と答えたところ、Lからの「家に入って女性 (A) に見つかった。揉み合っているとき、男性 (B) が入ってきて…ごめん」という返答で母親A・兄Bが死亡したことを悟った[50]。また警察が駆け付ける前(2009年5月2日早朝)、母親Aの知人がA宅(現場)を訪れ、玄関インターホンを押したが、Lは応対しようとするCを制止していた[62]。この間、Cは何度も意識が途切れたが[注 24][50]、警察官が来たことで目を覚ました[15]。
初動捜査では犯人が証拠隠滅・現場偽装を入念に図ったかのように思える点(血痕を拭き取るなど)と、ずさんな面(凶器や自身の着ていたパーカーを現場に残したり、2階を物色しなかったりなど)がそれぞれ確認されたが、捜査幹部は「犯人は犯行後、現場を事件前のように装い、証拠隠滅を図ったが、息子たちが相次いで帰宅した上、最後に警察官が来たため、中途半端なまま逃走した可能性が高い」と指摘している[63]。
初動捜査
[編集]2009年5月2日朝、次男Bの勤務先の上司がBの欠勤を不審に思い、同日12時20分ごろに愛知県蟹江警察署の署員とともにA宅を訪ねた[15]。駆けつけた警察官が家の中に声を掛けていたところ[47]、負傷した三男CはLの気配がないことに気付き[50]、両手首を縛られた状態で施錠されていた玄関の鍵を開けて家の玄関から飛び出してきた[15]。Cは間もなくA宅の玄関付近に来ていた警察官によって保護され[53]、「休んでいてください」と付近に待機させられた[59]が、この時に蟹江署員に対し「強盗に入られた、助けてください。家の中で2人死んでいます。犯人は逃げました」と伝えた[58]。
一方、Lは1階南側の玄関ドア隙間から上がり框(かまち)でうずくまっていたが、その姿を確認した蟹江署員はLを被害者だと思い込み、玄関先から「出てきてください」と声を掛けた[58]。その後、署員が2分間ほど無線で連絡を取っていた間[58]、Lは隙を見てA宅の勝手口[注 25]を解錠し[32]、現場から逃走した(#初動捜査における不手際)[53]。警察官らが屋内に入ったところ、次男Bが1階の和室で倒れており[15]、搬送先の病院で死亡が確認された[2]。このため、愛知県警は本事件を殺人事件[注 26]と断定し、特別捜査本部(特捜本部)を設置したが、Bの遺体が入っていた和室[注 27]の押し入れは目視確認にとどめていたため、Aの遺体発見に時間がかかった(#初動捜査における不手際)[44]。
特捜本部は事件発覚翌日(2009年5月3日朝)から改めて現場検証を行い[注 28][44][65]、和室の押し入れ下段に押し込められている母親Aの遺体[注 29]を発見した[44]。また、A宅の洗濯機には血液の付着した衣服が入れられていたことも確認され[45][66]、室内からはパーカー・凶器(モンキーレンチおよびクラフトナイフ)・防寒用手袋[40]・マスク[67][68]といった遺留品[注 30]のほか、猫(Aが飼っていたペット)の死体も発見された[57]。
被害者Cは事件当初、「犯人にパーカーで顔を隠されたので、犯人の顔はわからなかったが、海部地域とは違うイントネーションの日本語で現金を要求された」と証言していた[57]。一方、室内で発見された遺留物の中に、被害者母子とはいずれも異なるデオキシリボ核酸 (DNA) 型[注 31]が検出された[69][70]。特捜本部はそのDNA型を警察庁のデータベースで照会したが、この時点では合致する型は発見できなかった[71]。その後、唾液・汗などを含めた室内の遺留物を鑑定したところ、被害者3人全員の血液型(A型)とは異なるO型の血液型血痕が検出された[72][73][72][73]。一方で現場の複数箇所からは手袋の跡が見つかったが、遺留品からは犯人の指紋は発見されなかった[69]。
初動捜査における不手際
[編集]一連の初動捜査時には以下のような不手際が指摘された。
- 被害者Aの遺体は毛布を掛けられた状態で押し入れに隠されていたが、事件発覚当日(5月2日)に現場室内に入った捜査員は、Aの遺体が入っていた押し入れのふすまを開けたものの、毛布をめくり上げるなどせず目視にとどめた[注 29]ため、Aの遺体を発見できず[注 32][63]、Aは当初の警察発表で「行方不明」と発表された[17]。
- 愛知県警は事件当初、現場に駆け付けていた蟹江署員が目を離していた隙に、現場から不審な若い男(=犯人L)が逃走したことを把握していたが、当初は「住民は殺人事件として警戒しており、二次被害発生の心配はない。判明している情報は『黒っぽい服装の男』というだけであるため、それだけでどれだけ情報が集まるかも不明だ」として「捜査上の秘密」と判断し、約1週間にわたりこの事実を公表しなかった[63]。しかし、捜査の進め方に不信感を抱いていた捜査関係者が『中日新聞』(いずれも中日新聞社)社会部記者・平田浩二からの取材に対しこの事実を証言し、同紙がその取材内容をスクープしたことでこの事実が判明した[74]。
- 特捜本部は事件当初、「顔見知りの犯行」と推測して初動捜査に当たったが、途中から「見ず知らずの何者かによる犯行」と見方を変えたため、捜査は後手に回った[63]。
- 5月3日に現場検証を行った際、「現場に土足痕は確認されなかった」と発表していたが[44]、その後改めて現場検証を行った結果、1階廊下など室内複数個所から犯人のものと思われる土足痕が発見された[75][76]。
- 特捜本部が犯人の遺留品とみられる上着[注 33]を一般に公開したのは、事件発生から約2週間後(2009年5月15日)だった[78]。
愛知県民からの信頼が揺らぐこととなった一連の初動捜査ミスに対し、『中日新聞』(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)は「犯人逃走はすぐ地元に知らせる必要があったし、住民の記憶が薄れた時期の証拠品公開は効果が薄い。埋もれた有益な情報を引き出すには、情報公開で大勢の目を事件に向けさせ、理解・協力を得ることが不可欠だ。『情報を選別した上で、捜査に重大な支障が出るもの以外は迅速に公開する』という姿勢が県警には欠けていた」と指摘した[78]。
難航する捜査
[編集]「現場から(後に犯人Lと判明する)男の逃走を許す」「被害者Aの遺体発見が遅れる」「遺留品の公開・警察犬の投入などが遅れる」など、さまざまな不手際で捜査が後手に回ったことにより、事件発生から1か月後(2009年6月)時点でも犯人像・犯行目的は絞り込み切れず、捜査は難航した[63][79]。事件から半年が経過した2009年11月2日までに、特捜本部には約300件の情報提供があり、捜査対象者は約5,400人に上ったが、いずれも犯人の特定には結びつかなかった[80]。事件から3年となる2012年(平成24年)5月2日時点で計526件の情報提供があったが[81]、その後も犯人に結び付く情報は得られず、事件の記憶風化から情報提供数は減少し続けていた。
警察庁は2009年12月8日付で、本事件を捜査特別報奨金制度対象事件に指定し(制度開始から37件目)、犯人逮捕に結びつく有力情報の提供者に最高300万円の懸賞金を支払うことを決めた[5][82]。当初の期限は同月10日から1年間[注 34]で、愛知県警管轄の未解決事件としては豊田市女子高生殺害事件(2008年発生)[注 35]以来だった[5][82]。その後、被疑者Lの逮捕前日(2012年12月6日)に愛知県警は本事件について、同月9日付で期限が切れる捜査特別報奨金制度指定の延長を断念することを発表した[86][87]。実際にはこの時点で既に被疑者Lの存在が捜査線上に浮上してはいたが、表向きの理由は「期限延長に向けて警察庁と協議したが、情報提供件数が減少しているため延長申請を断念した」というものだった[86][87]。
事件解決
[編集]事件後 - 逮捕までのLの行動
[編集]一方でLは、犯行後も万引きなどの軽犯罪を繰り返していた[注 36]一方[19]、後述のようにDNA型鑑定が行われるまで捜査線上に浮上することはなく[9]、2011年(平成23年)3月には5年間在学した三重大学を卒業した[注 37][34]。また、腎臓病の治療や婚約者の女性と会うことなどを理由に、度々中国に帰国しており、多い年には年3回帰国していた[注 38][37]。
三重大卒業後、Lは2011年4月に新卒で三重県亀山市の[88]自動車部品メーカーに就職し[36]、部品検査・組み立てなどの部署で勤務しながら、研修生の通訳を担当していた[注 39][34]。当時の勤務態度は真面目で[注 40]、同じ中国人研修生の同僚とも良好な関係を築き、休日は若手社員とともにフットサルを楽しんでいた[36]。また、就職後には中国にいる交際相手女性を日本に呼び寄せ、結婚する計画を立てていた[46]。
しかし2012年(平成24年)春、Lは「結婚したいので昇給してほしい」と会社に相談し、同僚たちに転職を示唆するなどした[36]。結局、Lは上司らの慰留を断り、同年6月には「家のリフォームの仕事をする」と言って会社を退職[36]。そして、より高給職を求めて三重県外の建設関係会社に転職したが[88]、その仕事もすぐに辞め[36]、同年8月には名古屋市内で放置自転車を盗んで乗車していたところ、愛知県警の警察官に職務質問され、所轄の警察署で事情聴取を受けた[18]。しかし被害が軽微だったため、県警はLの身元確認はしたものの、逮捕・書類送検などの刑事手続きや、DNA型の採取などは行わず、警察内部だけで処理する「微罪処分」に処した[18]。
逮捕・起訴
[編集]2012年10月18日14時40分ごろ - 同日16時10分ごろまでの間、Lはかつて在学していた大学[7](三重大学)の第一体育館2階男子更衣室で[30][89]、携帯電話機1台(時価約60,000円相当)を窃取した[7]。また同年10月19日[7]、津市栗真町屋町の駐車場で[90]会社員男性所有の乗用車1台(ETCカード1枚など2点積載、時価約160万円相当)を窃取[7]したが、同日中にこの車を同県鈴鹿市内で運転していたところ[9]、三重県鈴鹿警察署の署員に発見され、窃盗容疑で同署に逮捕された[注 41][注 42][90]。三重県警は2008年にLを摘発した際、指紋を採取したのみでDNA型は採取していなかったが[19]、この逮捕時に任意で[18]「前科があるため念のために」とLのDNA型を唾液から採取し、これが本事件解決のきっかけとなった[19]。これら2件の窃盗事件について、津地方検察庁は同年11月9日に10月19日の自動車盗事件について[91]、(本事件解決後の)12月11日には10月18日の三重大での窃盗事件について、それぞれ窃盗罪で起訴した[注 43][30][89]。
2012年11月下旬、三重県警が採取したLのDNA型を警察庁のデータベースに登録・照合した結果、LのDNA型は本事件の現場にあった味噌汁の飲み残しなどに残されていたDNA型と一致することが判明した[92][93][9]。これを受け、愛知県警蟹江署特捜本部が被疑者Lを取り調べたところ[94]、Lは「間違いありません」と強盗殺人容疑を認める供述をしたため、特捜本部は12月7日、強盗殺人・同未遂容疑で被疑者Lを逮捕した[9][95][16][96][97][98][99][100]。
逮捕後、被疑者Lは犯行動機について「万引きで受けた罰金を支払うために金が必要だった。(家人に)見つかったら殺すつもりだった」[19]「凶器のモンキーレンチ以外に、手袋・マスクを用意して現場に押し入った」と供述した[101]。蟹江署特捜本部は12月8日にLが住んでいた津市内のアパートを家宅捜索し[51][102]、9日に強盗殺人などの逮捕容疑でLを名古屋地方検察庁に送検した[18]。そして名古屋地検は同年12月28日、強盗殺人・強盗殺人未遂・住居侵入の各罪状で被疑者Lを名古屋地方裁判所に起訴し[12][35][32][103]、被告人Lの身柄は2013年(平成25年)2月4日付で勾留先の蟹江署から名古屋拘置所に移送された[33]。
刑事裁判
[編集]第一審・名古屋地裁(裁判員裁判)
[編集]公判前整理手続・精神鑑定
[編集]被告人Lは起訴後、収監先の名古屋拘置所内で壁に頭を打ち付けたり、睡眠剤を大量服用するなどの自殺未遂・自傷行為を繰り返した[注 44][37]。やがてLは精神的に不安定になり、意思疎通が難しくなったため[104]、Lの弁護人は「Lには刑事責任能力・訴訟能力がない」とする旨を主張し、公判前整理手続中の2013年には名古屋地方裁判所にLの精神鑑定を申し入れた[105][104]。当時、Lは身体・精神双方に変調をきたして外部の病院で治療を受けている状態で、名古屋地裁はこの申請を認め、精神鑑定を実施した[105]が、同年末に「責任能力・訴訟能力に問題はない」とする精神鑑定結果を示した鑑定書が名古屋地裁に提出された[106][107]。
その後の公判前整理手続の結果、争点の絞り込みは2014年9月までに完了し[108]、同年11月26日には裁判員裁判の全公判日程が決まった[109]。
公判
[編集]2015年(平成27年)1月19日[110]、名古屋地方裁判所(松田俊哉裁判長)で被告人Lの初公判(裁判員裁判)が開かれた[111][29][112]。同日、検察官は冒頭陳述で強盗の意図があったことを指摘し[111]、「金品を取る障害となる2人を殺害した行為は強盗殺人罪が成立する」と主張した[112]。一方、弁護人は冒頭陳述で「侵入当初は空き巣目的で入っただけで、強盗の意図はなかった。被害者2人に発見されてパニックになり、とっさに殴ってしまった。強盗殺人(未遂)罪の成立は認められず、三男Cへの暴行も傷害罪に留まる」と反論した[111]が、被告人Lは「被害者らを殺意を持って死亡させた事実は合っていますか」という質問に対し「合っている」と答えた[29]。
第2回公判(1月21日)で検察官による証人尋問が行われ、事件で唯一生き残った被害者である三男Cは証人として裁判官・裁判員らに対し「事件当日、自分が飲み会に行かなければ[注 17]誰も傷つかなかったと悔やんでいる。亡くなった2人のためにも、被告人Lには死刑を望む」と訴えた[113]。続く第3回公判(1月23日)でも引き続き検察官の証人尋問が行われ、被害者Bと婚約していた女性(Bの元同僚)[注 14]が「死刑でも死刑でなくてもどちらでも良いが、Lにはできればずっと自分の犯した罪を反省して償ってほしい」と訴えた[47]。
1月26日の公判では弁護人による証人尋問・証拠調べが行われ、証人として出廷した被告人Lの父親[注 45]は「息子には国際電話などで何度も『金に困っていないか』と聞いたが、息子は『金は必要ない。努力して自分で何とかする』といつも答えていた。息子を信じていたが、このようなことになってしまったことには親として責任を感じる」と証言し、被害者遺族への謝罪の言葉も述べた[37]。また、同月28日の公判では弁護人が、被告人Lによる被害者・遺族への謝罪の言葉などがつづられた手記を朗読したほか、検察官も逮捕後の被告人Lの供述調書を朗読した[46]。
2月2日 - 3日は被告人質問が行われ[114][115]、Lは2日の被告人質問で弁護人からの「A宅に侵入するまでは凶器のモンキーレンチ・ナイフを使おうとは考えていなかったか」「3人を殺傷した後、腕時計を偶然発見するまでは現金を手に入れようとする気持ちはなかったか」という質問をいずれも肯定したほか、被害者遺族や自身の両親への謝罪の言葉を述べた[114]。また、翌3日の公判では被害者参加制度を利用して質問に参加した被害者Cから「万引きを繰り返していた生活を変える努力をしなかったのか」などと質問され、「事件を思い出すと感情をコントロールできない」「事件のことは後悔している」などと答えた[115]。
2015年2月6日に開かれた第10回公判で論告求刑が行われ[22]、検察官は被告人Lに死刑を求刑した[21]。午前中の論告で、検察官は「人がいると分かった上で、住宅に凶器を持参した上で侵入したのは、攻撃を想定していたからだ。金品を奪う目的だったのは明らかで、典型的な強盗殺人。3回にわたる殺害行為は強盗殺人の中でも特に悪質で、刑事責任は極めて重く、被害者遺族も極刑を望んでいる」と主張した[21]。一方、同日午後の最終弁論で被告人Lの弁護人は、「窃盗目的で偶然被害者宅に侵入し、家人に見つかってパニックになって暴行を加えたが、この時点では金を奪う意図はなく、強盗殺人罪は成立しない。仮に強盗殺人罪が成立するにしても、殺害された被害者2人に対しては当初、強盗殺人の犯意はなく、判例の量刑傾向からしても死刑選択の余地はない」と主張し、殺人+窃盗罪の適用と無期懲役刑の選択を求めた[116]。
死刑判決
[編集]2015年2月20日に判決公判が開かれ[117]、名古屋地裁刑事第2部(松田俊哉裁判長)[118]は検察官の求刑通り、被告人Lに死刑を言い渡した[3][23][119][120][121][122][24][123]。
名古屋地裁 (2015) は「被告人LはAに見つかった際、激しい暴行を加えずとも逃げようと思えば逃げられたのに敢えて逃げず、激しい暴行を加えていた。また、当時は顔をマスクで隠しており、Aの口封じをする必要性も薄く、その後には実際に事件現場の住宅で金品を奪っているため、Aに遭遇した時点で強盗を行うことを決意したと認められる」と指摘し、強盗殺人(未遂)罪の成立を認めた[11]。その上で、「LはAと遭遇し、警察に通報されそうになったことでパニックになり、A・B両被害者への殺害行為に及んだ。その後、Cが帰宅したことで頭が真っ白になるほど混乱し、Cをナイフで刺したが、特にどの場所を狙ったという気持ちはなかった」という弁護人の主張[54]については、「被害者の受傷程度や凶器の殺傷能力の高さなどから、被害者3人全員への確定的な殺意を有していたことが認められる。Bを刺殺した際にはわざわざ台所まで行って包丁を持ち出しており、パニックに陥っていたとは考えられない。弁護人は『Cには途中で攻撃をやめており、殺意はなかった』と主張するが、LはCに対し、既に殺害に十分な暴行を加えたと判断して攻撃をやめたにすぎない。Cの怪我は結果的には致命傷にはならなかったが、これはナイフによる攻撃が偶然にもわずかに急所を外れたにすぎず、攻撃を中止した後も救護活動などは行っていないため、中止未遂も成立しない」と指摘した[124]。
そして、量刑の理由では「金銭的に苦しい状態に陥っていることを母国の両親に打ち明け、資金の援助を求めることもできたにも拘らず、自己のプライドからそれをせず、万引きにより受けた罰金の支払いのために犯行におよんでおり、動機は自己中心的・身勝手だ」[10]「侵入時点では強盗・殺害までは考えておらず、窃盗目的を持っていたにすぎないが、当初から武器を利用したひったくりを計画して凶器を携行し、家人がいると分かって被害者宅に侵入した本事件は、予期せず家人が在宅しており、突発的に強盗・殺害におよんだ場合とは異なる。計画性がない点を重視して死刑が回避された事案と、本事件を同列に考えることはできない」[125]などと指摘した上で、「被告人Lは一貫して殺傷の事実を認め、謝罪の言葉も述べていることなどから更生可能性も認められるが、本事件後も同じ過ちを繰り返す虞のある行動[注 41]を取っており、捜査段階では供述を二転三転させ、公判でも不合理な弁解を繰り返すなど、常に自己保身を考えている様子がうかがえ、真摯な反省は認められない。事件当時25歳で前科がなかったことや、両親が被害弁償のために500万円を工面したことなど、Lにとって有利な情状を最大限に考慮しても、死刑を回避すべき特別な事情があるとはいえない」と結論付けた[126]。
被告人Lの弁護人・北條政郎弁護士は[123]、「死刑ありきとも受け取れる判決は容認できない」と判決への不服を訴え、2015年2月25日付で名古屋高等裁判所に控訴した[127]。
控訴審・名古屋高裁
[編集]2015年7月27日[128]に名古屋高等裁判所(石山容示裁判長)で控訴審の初公判が開かれ、即日結審した[129]。控訴審でも強盗殺人罪成立の是非が争点となり、弁護人は「被害者に暴行を加えたのは強盗のためではなく、Aに大声を出されたためだ。仮に強盗の犯意が認められても、殺害された被害者が2人で殺害の事前計画性もないケースでは、死刑選択は妥当ではない」として、死刑判決の破棄(無期懲役の適用)を訴え、強盗の犯意を否定するための証拠調べ・被告人質問を要求したが、名古屋高裁はいずれも退けた[129]。
2015年10月14日[130]、名古屋高裁刑事第1部(石山容示裁判長)[131]は死刑を選択した第一審判決を支持し、被告人Lの控訴を棄却する判決を言い渡した[132][133][134][135][136]。名古屋高裁 (2015) は「殺害された被害者数が2人の場合、原則として死刑を選択すべきとは言えない。死刑選択に当たっては、合理的な根拠は何か、可能な限り慎重に検討すべきだ」と指摘した上で、「被告人Lは被害者宅に侵入した際、家人と遭遇して騒がれることを予想しており、実際にAに見つかったことで確定的な強盗の犯意が生じた。Aらが抵抗しなくなっても繰り返し暴行を加えるなど、犯行の態様は執拗で残酷だ。死刑を選択した原判決は具体的な根拠から導き出された合理的判断で、是認できる」と述べた[132]。Lの弁護人は判決を不服として同日付で最高裁判所へ上告した[133][137]。
上告審・最高裁第一小法廷
[編集]2018年(平成30年)7月12日に最高裁判所第一小法廷(木澤克之裁判長)で上告審口頭弁論公判が開かれ、弁護人は強盗の計画性を否定したほか[138]、Lの訴訟能力を否定する旨も主張し[139]、死刑回避を主張した[138]。
2018年9月6日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)は一・二審の死刑判決を支持して被告人L側の上告を棄却する判決を言い渡したため、被告人Lの死刑判決が確定することとなった[20][140][141][142]。被告人Lおよび弁護人は同判決に対し訂正を申し立てたが、最高裁第一小法廷(木澤克之裁判長)の決定(2018年10月2日付)で棄却されたため、翌日(2018年10月3日)付で死刑判決が正式に確定した[143]。
民事裁判
[編集]2015年には生存した三男Cを含む被害者遺族3人が、被告人Lに対し「損害賠償命令制度」[注 46]に基づき、死亡した2人の逸失利益・慰謝料など計約1億7,900万円の支払いを求め、名古屋地裁に損害賠償手続きを申し立てた[144][146][147]。しかし第一審の死刑判決を不服として被告人Lが控訴したため、担当裁判官は賠償額を決定できず[146]、同制度に基づく手続きは2015年4月下旬に終結し[144][146]、原告の被害者遺族3人は、被告人に対して同額の損害賠償を請求する通常の民事訴訟に移行した[144]。その後、C以外の原告2人は2015年10月に訴訟を取り下げたため[148]、請求額は残る原告Cの請求していた約5,600万円となった[14][145]。
2016年3月24日に名古屋地裁民事第6部(村野裕二裁判長)[149]は原告・三男Cの請求を全額認め、被告(被告人L)側に慰謝料など約5,600万円の支払いを命じる判決を言い渡した[注 47][14][148][145]。名古屋地裁 (2016) は判決理由で「極めて悪質・重大な事件で、動機も身勝手で同情の余地はない」[14]「家族を奪われた本件原告Cの悲しみや心痛は余りあるものだ。本件被告(被告人L)は真摯な反省をしているとは認め難い」と指摘し[145]、死亡した被害者A・B両名の逸失利益を計約1億3,600万円のうち、Cの相続分の約4,550万円+Cの負傷などに対する慰謝料など計約1,050万円=総額約5,600万円の支払いを命じた[148]。
防犯活動
[編集]2010年2月15日には現場となった蟹江町と、隣接する弥富市に対し、それぞれ地元住民らにより録画・夜間撮影機能を持つ防犯カメラが贈呈され、事件現場付近の近鉄蟹江駅[注 48]や、近鉄弥富駅それぞれの駅前にそれぞれ設置された[151]。
蟹江町民はその後も、平仮名45文字を頭にした防犯標語を作ったり[152]、蟹江署・海部南部防犯協会連合会が合同で近鉄蟹江駅の利用者向けに防犯ブザーを貸し出したり[153]、蟹江署特捜本部の捜査員とともに情報提供を求めるチラシ配りに参加したりなどして[154]、防犯活動を継続した[85]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 近鉄蟹江駅から北西約300 m、蟹江町立蟹江小学校から西方約50 mの旧来からの住宅街に位置する二階建ての一般住宅[1]。なお事件現場一帯の住所は、2010年1月16日から「愛知県海部郡蟹江町城四丁目」となっている[1]。
- ^ 京都市内の日本語学校[32]。
- ^ Lが在学していた語学学校の関係者は『中日新聞』の取材に対し「授業料の約100万円は滞納せずに納めており、成績は優秀だった。三重大よりもさらに上の大学に届くぐらいの学力だったが、受験で手続き上のミスをしたため、上の大学には進学できなかった」と証言している[31]。
- ^ 奈良県奈良市[32]。
- ^ Lは当時、コンピューター専門学校では「クラスのまとめ役」と評価されていたが、奨学金を受けられないことに不満を抱いており、担任教師に対して何度も「なぜ奨学金を受けられないんだ」と詰め寄っていた[32]。また、三重大入学後も担当教師に対し、「なぜ自分は奨学金を受けられないのか。そのせいで金に困り、コンビニエンスストアの廃棄弁当を漁って食べるような生活を送っている」という内容の手紙を送っていた[26]。
- ^ 2008年には三重県の私費留学生奨学金を申請したが、成績不良などを理由に認められなかった[32]。そのため、Lは母国の両親から仕送りを受けつつ、大学付近の飲食店などでアルバイトをして生活していたが、事件前には体調を崩して働けなくなった[35]。所属ゼミの教授は「大学の会計担当者から督促依頼が来ており、会計が退学をちらつかせてようやく支払う状態だった」と証言している[32]。
- ^ 出席日数不足・成績不振などの理由から[34]、事件発生年の2009年4月には留年し、4年生に進級できなかった[19]。
- ^ 当時、Lの銀行口座の貯金残高は1,000円未満だった[37]。
- ^ モンキーレンチ(全長31.5 cm)[38]は一般家庭ではあまり使われない工業用[39](自動車整備・水道配管工事用)[40][41]で、専門業者を通じて工場に納入されており、ホームセンターなどでは販売されていなかった[41]。
- ^ 近鉄蟹江駅は近鉄名古屋線の急行電車(近鉄名古屋駅発)が最初に停車する駅[36]。
- ^ Aは三男Cが20時ごろに外出した際には在宅しており[44]、21時ごろには自宅の電話で友人と会話していた[45]。
- ^ この時Lは、全力でAから逃げようとすれば逃げることはできたが、「(金を手に入れる)最後のチャンス」と大金を手に入れることを諦めきれなかったため、Aから逃げなかった[43]。
- ^ Aはモンキーレンチで襲われた後もしばらく息があり、「誰か」と声を上げたが、Lによって首に紐を巻き付けられ、とどめを刺された[46]。Aの遺体の顔面には上顎骨の粉砕骨折を伴う挫創1か所・刺切創5か所が確認され、19か所の挫創(頭蓋骨を貫通して脳に達したものを含)も確認された[43]。
- ^ a b Bは事件の1週間前に勤務先の同僚だった女性と婚約しており、事件前日(2009年4月30日)にはこの女性を家に泊めていた[47]。事件当夜には仕事後、女性から「今日も泊まっていい?」と尋ねられたが、Bは「連続になるからやめておこう」と女性を帰宅させていた[47]。
- ^ Bの殺害に使用された包丁は血を洗い流した状態で見つかったが、その刃は柄から外れ[44]、刃全体が反り曲がっていた[49]。
- ^ 被害者Bの遺体の左背部には刺創・刺切創が合計4か所確認され、うち最も深いもの(深さ約11.5 cm・長さ約4.9 cm)左肺・左主気管支後面・左主肺動脈を損傷していた[49]。
- ^ a b Cは事件発生数時間前にいったん帰宅していたが、同僚との飲み会に参加するため外出し、2日未明に帰宅した[50]。
- ^ Cは当時の状況について、公判で「玄関でブーツを脱いでいたら、背後の廊下を勢いよく走る足音が聞こえた直後、後頭部に強い衝撃が2,3回走り、振り返ると暗がりに人影があった」と証言している[50]。
- ^ その理由について、Lは取り調べで「Cから『殺さないでくれ』と命乞いされたため、殺害を躊躇した」と話した[51][52]。しかしその一方、A宅を離れるまでにCを救助するような行動(解放したり、怪我を治療したりするなど)は一切取らなかった[53]。
- ^ 被害者Cの後頸部・背部にはそれぞれ3か所ずつ刺創が認められ、5月2日12時55分ごろの時点でもわずかに出血が続いていた[49]。その中でも最も重篤な後頸部の刺創(正中線のほぼ真上)は傷口の長さ約2.7 cm、深さ約 6cmとかなり深く、頸椎にまで達しており、少し受傷部がずれていれば頸動脈などの重要器官を損傷して致命傷となっていた可能性が高かった[49]。
- ^ その後もLは、Cから「早く出て行け」と迫られると「俺もそうしたいが今は無理だ。(自分も)怪我をしていたから、(傷口からの出血が止まるまでに)時間がかかる」「逃げてもすぐに見つかる。服も着替えないといけない」という趣旨の発言をし、これを拒否していた[55]。また、逮捕後には「証拠隠滅作業の間に最終電車を逃したため、現場に留まって始発電車を待った」[35]「朝になってBの勤務先から通報を受けた蟹江署員が駆け付けたが、無線連絡のために現場を離れた隙に勝手口から逃走し、電車で津市に戻った」と供述した[32]。
- ^ 腕時計は事件前年(2008年)のクリスマス、Bが婚約者の女性からプレゼントされたもので[38]、中近東からの逆輸入品だった[56]。事件後、この腕時計は長らく犯人Lが持っており、Bの婚約者は第3回公判(2015年1月23日)で「事件直後は形見として持っていたいと思ったが、ずっと犯人の下にあったことがわかった今はいらない」と発言している[47]。
- ^ 愛知県警が現場検証を行ったところ、一家3人それぞれの預金通帳・財布が発見された[57]。当初は「財布にはいずれも紙幣は入っていなかった」と発表された[58][59][60]が、後日2階で改めて現場検証を行ったところ、次男Bの部屋にはBの部屋には現金が手つかずで残されていた[61]。また、玄関には11,000円分の紙幣が落ちていた[39]。
- ^ Cは事件発覚直後、捜査本部からの事情聴取に対し「抵抗していたが、飲酒していたために酔いが回って意識を失った」と証言している[15]。
- ^ 蟹江署員が訪問した際、1階北東側の勝手口が施錠されていることが確認されていた[58]。
- ^ その後、被害者Cから「襲ってきた男が自分に対し『金はないか』と聞いてきた」と証言したため、容疑を強盗殺人に切り替えた[44]。
- ^ 和室は物的証拠・微物の収集を優先していた[44]。
- ^ 現場検証は5月17日夜まで続いた[64]。
- ^ a b Aの遺体は毛布をめくれば簡単に発見できる状態で、負傷した三男Cは助けを求めた際に「中で2人死んでいる」と発言していたため、『中日新聞』に情報をリークした捜査関係者は「殺人事件の現場に立つ経験が長ければ、大量の血痕を見て『もう1人遺体がある』と思うはずだ」と苦言を呈していた[63]。
- ^ これらの遺留品のうち、東海3県で当該するパーカーと手袋が両方とも販売されていた地域は三重県四日市市周辺・名古屋市都心部(名古屋駅・金山駅周辺)および愛知県豊田市周辺に限定されていた[40]が、実際に逮捕されたLは三重県津市内で生活していた。ただし津駅から四日市市・名古屋駅までは、いずれも近鉄名古屋線(近鉄四日市駅)か、JR東海関西本線・伊勢鉄道伊勢線(四日市駅)の快速「みえ」を利用すれば乗り換えなしで移動できた。
- ^ 夕食の食べ残しがあった食器(廊下に落ちていた味噌汁の椀)に付着した唾液から検出されたDNA型を鑑定したところ、被害者3人 (A・B・C) や別居中のAの長男・四男のいずれとも異なるDNA型が検出された[69]。
- ^ この点について、特捜本部は『中日新聞』の取材に対し「近年は現場保存が重視され、物的証拠・遺留品に神経質になっている」とコメントしている[63]。
- ^ 現場検証の結果、濡れたウィンドブレーカー(サイズは家族の衣服より大きく、三男Cも「見覚えがない」と証言していた)が玄関付近で発見された[77]。
- ^ その後、2010年[83]。・2011年にはそれぞれ1年ずつ期間が延長された[84][85]。
- ^ 豊田警察署管轄。
- ^ 本事件の翌年(2010年)には再び万引きをして罰金刑に処された[8]。
- ^ 卒業間際、Lは急に「大学院に行きたい」と所属ゼミの教授に頼み込んだが、教授から断られた[32]。
- ^ また、内定を得た際には中国に一時帰国し、家族に日本での就職を報告していた[36]。
- ^ 当時Lは日本語検定一級の資格を持っており、メーカーの社長は『毎日新聞』の取材に対し「面接時、真面目な印象だったので採用を決意した。コンビニでのアルバイトの話などをしており、『学生時代はあまりお金がなかったようだな』という印象を持っていた」と証言していた[36]。
- ^ 当時の月給は手取り約20万円で、Lは「ずっと日本で働き続けたい」と言っていた[36]。そのため、「大事に育てたい」と思った社長は、工場のラインではなく技術・製品検査の仕事をさせており[36]、将来的には母国・中国にある工場の幹部に登用しようと考えていた[88]。
- ^ a b Lは2012年10月に逮捕された際、窃盗の被害者に捕まらないよう、凶器となりえる6本のナイフを持ち歩いていた[8]。
- ^ 当時、被疑者Lは鈴鹿署の取り調べに対し「移動手段として車を盗んだ」と供述した[9]。また、同事件の捜査中には鈴鹿署の留置場で手首を傷つけ自殺を図った[37]。
- ^ 当時は津地方裁判所に起訴されていたが[91][30][89]、後に本事件とともに名古屋地裁にて一括で審理された[4]。
- ^ 特に初公判直前の2014年(平成26年)11月には、靴下を首に巻き付けて自殺を図り、低酸素脳症で意識障害を負った[37]。
- ^ Lの両親は事件後、借金をして被害者遺族に500万円の被害弁償を申し出ていた[13]。
- ^ 犯罪被害者・遺族の救済支援のため、重大事件の刑事裁判の有罪判決後、同じ裁判官が公判記録を使って賠償額などを審理する制度[144][145]。
- ^ 原告Cの代理人弁護士は判決後、「請求を認容する判決をいただいたが、実際にLから履行される可能性がないに等しいことを考えると、誠に遺憾でならない」とコメントしている[14]。
- ^ その後、「あまロータリークラブ」は防犯対策強化の一環として2011年5月23日、新たに近鉄蟹江駅前駐輪場に防犯カメラ1台を増設している[150]。
出典
[編集]※見出し名に死刑囚・被害者の実名が含まれる場合、死刑囚は姓のイニシャル「L」、被害者は本文中で用いられている仮名(A・B・C)にそれぞれ置き換えている。
- ^ a b c 愛知県警 2011.
- ^ a b c d 『中日新聞』2009年5月2日夕刊1頁「蟹江の民家 兄弟縛られ次男死亡 強殺で捜査 背中に刺し傷」
- ^ a b c d e f 名古屋地裁 2015, p. 1.
- ^ a b c 名古屋地裁 2015, pp. 1–2.
- ^ a b c d 『中日新聞』2009年12月9日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷に懸賞300万円 警察庁 豊田殺人は1年延長」
- ^ a b c d e f g h i 名古屋地裁 2015, p. 3.
- ^ a b c d e f g h 名古屋地裁 2015, p. 2.
- ^ a b c d e 名古屋地裁 2015, p. 15.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『中日新聞』2012年12月8日朝刊一面1頁「蟹江一家殺傷 中国人元留学生を逮捕 強殺容疑 当時、三重大に在籍」
- ^ a b 名古屋地裁 2015, pp. 13–14.
- ^ a b 名古屋地裁 2015, p. 10.
- ^ a b c 『中日新聞』2012年12月29日朝刊第一社会面23頁「L容疑者を起訴 蟹江一家3人殺傷」「大学単位取得 事件後はゼロ」
- ^ a b c 『中日新聞』2015年1月23日朝刊第一社会面30頁「『1万回謝っても足りない』 蟹江一家殺傷 被告の両親『生きて償って』」
- ^ a b c d e 『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31頁「蟹江の3人殺傷 5600万円賠償命令 名地裁、被告に」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2009年5月3日朝刊第一社会面31頁「蟹江の死傷 『玄関で襲われた』軽傷の弟 母親は所在不明」
- ^ a b 『読売新聞』2012年12月8日中部朝刊一面1頁「蟹江殺傷中国人を逮捕 強殺容疑 DNA型一致=中部」
- ^ a b c 『読売新聞』2012年12月8日中部朝刊第一社会面33頁「蟹江殺傷逮捕 『情報なし』から急転 発生3年安堵の住民=中部」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2012年12月10日夕刊第一社会面11頁「蟹江一家殺傷 L容疑者 自転車等で8月に聴取 愛知県警、微罪で処分」「蟹江一家強盗殺人事件をめぐる経緯」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2012年12月8日夕刊第一社会面11頁「蟹江一家殺傷 窃盗事件繰り返す L容疑者『金に困っていた』」「仏壇に『捕まったよ』 三男報告」「蟹江一家強盗殺人事件をめぐる経緯」
- ^ a b 『中日新聞』2018年9月7日朝刊第11版第三社会面29頁「蟹江3人殺傷 死刑確定へ」
- ^ a b c 『中日新聞』2015年2月6日夕刊1頁「蟹江殺傷 死刑を求刑 検察側 東海の裁判員裁判で初」
- ^ a b 『中日新聞』2015年2月6日夕刊第一社会面13頁「被告 多くの『なぜ』残す 蟹江殺傷 裁判員重い判断へ」「『家族帰ってこない』 意見陳述で遺族怒り」
- ^ a b 『中日新聞』2015年2月21日朝刊一面1頁「蟹江一家殺傷 死刑判決 名地裁 裁判員裁判で東海初」「解説 悪質性重くみた判断」(社会部記者:池田悌一)
- ^ a b 「愛知・蟹江の母子3人殺傷、被告に死刑判決 名古屋地裁」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2015年2月20日。オリジナルの2015年11月17日時点におけるアーカイブ。2015年11月17日閲覧。
- ^ 年報・死刑廃止 2023, p. 87.
- ^ a b c d e 『中日新聞』2012年12月14日朝刊第一社会面39頁「中国の両親『なぜ』 蟹江の一家殺傷 『奨学金なく困窮』三重大入学後 以前の担任に手紙」「L容疑者へ仕送り計540万円 公務員家庭無口な一人っ子 母『私の命で償いたい』」
- ^ 年報・死刑廃止 2023, p. 203.
- ^ 年報・死刑廃止 2023, p. 201.
- ^ a b c d e 『中日新聞』2015年1月19日夕刊第一社会面11頁「事件から5年8カ月余 蟹江殺傷 なぜ現場に14時間」「『罰金費用のため強盗』■無施錠『最後のチャンス』 冒陳で検察側詳細に」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2012年12月13日朝刊第一社会面37頁「蟹江一家殺傷 学費滞納繰り返す L容疑者、大学から督促」
- ^ a b c d e f g 『中日新聞』2012年12月12日朝刊第一社会面35頁「蟹江の強殺 容疑者、来日直後から万引 L容疑者 京都で2度摘発」
- ^ a b c d e f g h i j k 『毎日新聞』2012年12月29日中部朝刊第一社会面23頁「愛知・蟹江の母子殺傷:被告『首も絞めた』 強い殺意か 名地検が起訴」(記者:岡大介・沢田勇)「奨学金認められず 教授『会計が授業料督促』」(記者:永野航太)
- ^ a b 『毎日新聞』2013年2月6日中部朝刊第二社会面22頁「愛知・蟹江の母子殺傷:『自分の命で償いたい』 L被告、毎日新聞記者と面会」
- ^ a b c d 『中日新聞』2012年12月8日朝刊第一社会面39頁「蟹江・一家3人殺傷 私費留学 生活に困窮? 家賃滞納繰り返す 逮捕の中国人 留年後卒業、勤めも」「『なぜあの家狙ったか』 被害者遺族や友人ら 叔父『みそ汁から逮捕…因縁かな』」
- ^ a b c 『読売新聞』2012年12月29日中部朝刊第一社会面27頁「蟹江3人殺傷 『終電逃し現場残った』 L容疑者供述 体壊し生活困窮か=中部」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『中日新聞』2012年12月9日朝刊第一社会面39頁「蟹江一家殺傷 『名古屋の帰り、下車』 容疑者 猫見つけ無施錠確認」「元勤務先 まじめに仕事 昇給求め退職」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2015年1月27日朝刊第一社会面31頁「被告が逮捕後自殺未遂 蟹江殺傷公判、弁護側明かす」
- ^ a b 『中日新聞』2009年7月4日朝刊第一社会面31頁「蟹江殺傷 次男の腕時計奪う? 犯人、売った可能性も」
- ^ a b 『中日新聞』2009年6月1日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷 きょう1カ月 室内に家族以外の手袋跡 凶器のレンチ工業用?」
- ^ a b c 『中日新聞』2010年1月9日朝刊第二社会面34頁「蟹江一家殺傷 遺留品の同種品を公開 レンチや手袋など 犯人生活圏 四日市などか」
- ^ a b 『読売新聞』2009年6月6日東京朝刊第一社会面39頁「愛知・母子3人殺傷 凶器は特殊スパナ 新潟メーカー製、工場から入手か」
- ^ 名古屋地裁 2015, pp. 3–4.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 名古屋地裁 2015, p. 4.
- ^ a b c d e f g h 『中日新聞』2009年5月4日朝刊第一社会面23頁「蟹江殺傷 押し入れに母の遺体 血洗った包丁も発見」
- ^ a b 『中日新聞』2009年5月7日夕刊第一社会面13頁「蟹江強殺 洗濯機に血ついた衣服 浴槽にも毛布など 証拠隠滅図る?」
- ^ a b c d e 『中日新聞』2015年1月29日朝刊第二社会面30頁「顔見られ殺害決意 蟹江殺傷公判 被告手記も」
- ^ a b c d e 『中日新聞』2015年1月24日朝刊第二社会面34頁「『一緒にケーキ店』夢が… 蟹江刺殺次男 交際女性、公判で涙」
- ^ 名古屋地裁 2015, pp. 4–5.
- ^ a b c d e f g h i 名古屋地裁 2015, p. 5.
- ^ a b c d e f g 『中日新聞』2015年1月22日朝刊第一社会面35頁「『ごめん』と告げられ死悟る 蟹江殺傷公判 三男が状況証言」
- ^ a b 『毎日新聞』2012年12月8日中部夕刊第一社会面7頁「愛知・蟹江の母子殺傷:L容疑者、三男殺害ためらう 会話、命ごいされ」(記者:岡大介・稲垣衆史・永野航太)
- ^ 「愛知一家殺傷:命ごいされ、三男殺害ためらう L容疑者」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月8日。オリジナルの2012年12月10日時点におけるアーカイブ。2012年12月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 名古屋地裁 2015, p. 6.
- ^ a b 名古屋地裁 2015, pp. 6–7.
- ^ 『中日新聞』2010年4月29日朝刊第一社会面33頁「蟹江一家殺傷 猫入り無施錠確信か 犯人と三男の会話公表」
- ^ 『中日新聞』2011年5月3日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷現場に犯人?の布袋 同種品を公開」
- ^ a b c 『中日新聞』2009年5月5日朝刊第一社会面23頁「死亡2人 顔に殴打痕 蟹江殺傷 女性は鈍器で殺害 強い恨み?飼い猫も殺す」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』2009年5月8日夕刊第一社会面13頁「若い男 勝手口から逃走 蟹江強殺 財布の紙幣奪う? 『初動ミスない』 愛知県警」
- ^ a b 『東京新聞』2009年5月8日朝刊第一社会面27頁「発覚時、室内に若い男 愛知殺傷 署員が目撃、姿消す」
- ^ 『東京新聞』2009年5月8日夕刊第一社会面9頁「男は勝手口から逃走 愛知強殺 財布の紙幣消える」
- ^ 『中日新聞』2009年5月18日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷 2階にも血液反応 着替え探す? 部屋の現金手つかず」
- ^ 『中日新聞』2010年4月17日朝刊第一社会面35頁「蟹江一家殺傷 犯人『数日寝ていない』 三男に話す 住居なく生活苦か」
- ^ a b c d e f g 『中日新聞』2009年6月1日朝刊第一社会面29頁「蟹江殺傷 きょう1カ月 遅れた情報公開 犯行ずさんな面も」
- ^ 『中日新聞』2009年5月18日夕刊第二社会面14頁「現場の規制線撤去 蟹江3人殺傷」
- ^ 『東京新聞』2009年5月4日朝刊第一社会面23頁「愛知・兄弟殺傷 自宅押し入れに母遺体 背中に刺し傷、強殺か」
- ^ 『東京新聞』2009年5月7日夕刊第一社会面11頁「愛知3人殺傷 洗濯機に血付着の衣服 風呂場にも 証拠隠滅図る?」
- ^ 『中日新聞』2009年12月28日朝刊第一社会面27頁「蟹江殺傷 犯人、マスク持参 他の遺留物とDNA一致」
- ^ 『読売新聞』2009年12月27日に中部朝刊第一社会面33頁「蟹江の3人殺傷 マスク・手袋が現場に 計画的犯行か 遺留品公開へ=中部」
- ^ a b c 『中日新聞』2009年5月15日夕刊第一社会面13頁「家族以外のDNA検出 蟹江殺傷 食べ残しの食器から 手袋跡も発見」
- ^ 『東京新聞』2009年5月15日夕刊第一社会面9頁「愛知殺傷 犯人?のDNA検出 遺留物から、家族と別の型」
- ^ 『中日新聞』2009年5月16日朝刊第一社会面33頁「蟹江殺傷 犯行当時屋外生活か 犯人の服公開 ひどい汚れ、におい」
- ^ a b 『中日新聞』2009年10月30日朝刊第一社会面31頁「蟹江3人殺傷 一家と異なる血液型 犯人の可能性 室内遺留物から」
- ^ a b 『東京新聞』2009年10月30日夕刊第一社会面9頁「異なる血液型 遺留品に検出 蟹江3人殺傷」
- ^ 『中日新聞』2009年6月21日朝刊朝文面左9頁「ニュースを問う 平田浩二(社会部) 裁判員制度の中での事件報道 真実へ謙虚な気持ちで 情報の出所を明示 『中立』意識し取材」(社会部記者:平田浩二)
- ^ 『中日新聞』2009年5月10日朝刊第一社会面29頁「蟹江強殺 被害者宅の夕食食べる? 犯人、廊下など土足痕も」
- ^ 『東京新聞』2009年5月10日朝刊第一社会面25頁「愛知3人殺傷 家族の夕食食べる? 食卓に形跡 血付着小刀も発見」
- ^ 『中日新聞』2009年5月13日夕刊第一社会面11頁「蟹江強殺 室内にぬれた上着 犯人着用?販売ルート捜査」
- ^ a b 『中日新聞』2009年12月28日朝刊愛知県内版10頁「事件事故ファイル2009(1) 蟹江一家強殺事件」(記者:藤沢有哉・伊藤隆平)
- ^ 『東京新聞』2009年6月1日朝刊第二社会面28頁「愛知・蟹江 一家3人殺傷事件1カ月 絞れぬ犯人像…後手の捜査響く 逃走者の存在伏せて 物取りか変質者か」
- ^ 『中日新聞』2009年11月3日朝刊尾張版18頁「蟹江の3人殺傷事件半年 情報提供呼び掛け 蟹江署」
- ^ 『中日新聞』2012年5月1日夕刊第二社会面10頁「蟹江3人殺傷から3年 情報提供呼び掛け」
- ^ a b 『東京新聞』2009年12月9日朝刊第二社会面26頁「愛知一家殺傷 懸賞金300万円 未解決3件も延長」
- ^ 『中日新聞』2010年12月10日朝刊愛知県内版20頁「蟹江の3人殺傷で情報提供呼び掛け 報奨金の適用延長」
- ^ 『中日新聞』2011年12月10日朝刊第二社会面32頁「報奨金の期間延長 情報提供呼び掛け 蟹江の3人殺傷」
- ^ a b 『中日新聞』2011年12月10日朝刊尾張版20頁「蟹江強盗殺傷 不安胸にチラシ配り 地元住民『一刻も早く解決を』」(記者:伊藤隆平)
- ^ a b 『中日新聞』2012年12月7日朝刊第二社会面38頁「豊田女子高生殺害 報奨金を1年延長 蟹江の強殺は断念」
- ^ a b 『読売新聞』2012年12月7日中部朝刊第二社会面32頁「公費懸賞金 女子高生殺害 期限1年延長 豊田=中部」
- ^ a b c 『毎日新聞』2012年12月8日中部朝刊第一社会面29頁「愛知・蟹江の母子殺傷:L容疑者逮捕 『好青年がなぜ』知人ら当惑」(記者:岡正勝・永野航太)
- ^ a b c 『読売新聞』2012年12月13日中部朝刊第一社会面31頁「L容疑者を追起訴=中部」
- ^ a b 『中日新聞』2012年10月20日朝刊三重版22頁「自動車盗の疑い」(窃盗容疑で逮捕されたLの実名掲載記事)
- ^ a b 「愛知一家殺傷:29歳の中国国籍の男 強盗殺人容疑で逮捕」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月7日。オリジナルの2012年12月9日時点におけるアーカイブ。2018年5月5日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2012年12月7日夕刊1頁「蟹江一家殺傷男逮捕へ 現場のDNA型一致 窃盗で逮捕 津の中国人容疑者」
- ^ 「愛知の一家殺傷、現場のDNA型一致 窃盗容疑で逮捕の中国人」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2012年12月7日。オリジナルの2018年5月8日時点におけるアーカイブ。2018年5月8日閲覧。
- ^ 沢田勇「愛知一家殺傷:窃盗で逮捕の男聴取へ 現場DNA一致」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月7日。オリジナルの2012年12月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『東京新聞』2012年12月8日朝刊第一社会面29頁「3人殺傷 中国人逮捕 強盗殺人容疑 窃盗被告DNA型一致 愛知・蟹江」
- ^ 「愛知の一家殺傷、中国籍の男逮捕 強殺などの疑い」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2012年12月7日。オリジナルの2018年5月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「愛知一家殺傷、中国籍の男を逮捕 DNA型が一致」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2012年12月7日。オリジナルの2018年5月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「愛知一家殺傷:L容疑者 事件当時は三重大の留学生」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月8日。オリジナルの2012年12月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「愛知一家殺傷:「好青年がなぜ」L容疑者の知人ら驚き(1/2ページ)」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月8日。オリジナルの2012年12月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「愛知一家殺傷:「好青年がなぜ」L容疑者の知人ら驚き(2/2ページ)」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月8日。オリジナルの2012年12月9日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『中日新聞』2012年12月11日朝刊第二社会面36頁「蟹江の殺傷 容疑者、手袋を準備 現場滞在『証拠隠滅図る』」
- ^ 永野航太「愛知一家殺傷:L容疑者宅を捜索」『毎日新聞』毎日新聞社、2012年12月8日。オリジナルの2012年12月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『毎日新聞』2012年12月29日東京朝刊第一社会面25頁「愛知・蟹江の母子殺傷:中国人容疑者『首も絞めた』」(記者:岡大介)
- ^ a b 『毎日新聞』2013年10月9日中部朝刊第二社会面22頁「愛知・蟹江の母子殺傷:被告を精神鑑定 名古屋地裁が実施へ」
- ^ a b 『中日新聞』2013年10月9日朝刊第二社会面30頁「蟹江一家殺傷 精神鑑定へ 勾留中変調 訴訟能力めぐり弁護側」
- ^ 『中日新聞』2014年1月8日夕刊第一社会面13頁「責任、訴訟能力『ある』 蟹江一家殺傷 被告の精神鑑定」
- ^ 『毎日新聞』2014年1月8日中部夕刊第一社会面7頁「愛知・蟹江の母子殺傷:被告に責任能力 名地裁に鑑定書」
- ^ 『中日新聞』2014年9月12日朝刊第一社会面37頁「蟹江殺傷 1月初公判 関係者調整 強盗殺人か否か争点」
- ^ 『中日新聞』2014年11月17日朝刊第一社会面31頁「蟹江の一家殺傷 1月19日初公判 名地裁決定」
- ^ 『中日新聞』2015年1月18日朝刊第一社会面39頁「蟹江殺傷あす初公判 名古屋地裁 強盗殺人か否か争点」
- ^ a b c 『中日新聞』2015年1月19日夕刊1頁「蟹江殺傷 強盗目的を否定 初公判で弁護側 『殺人・窃盗』主張」
- ^ a b 『中日新聞』2015年1月20日朝刊第三社会面28頁「蟹江殺傷 『強盗』を否定 初公判で弁護側 被告涙流す場面も」「『母が一家の支え』遺族調書」
- ^ 『中日新聞』2015年1月22日朝刊第一社会面35頁「『ごめん』と告げられ死悟る 蟹江殺傷公判 三男が状況証言」
- ^ a b 『中日新聞』2015年2月3日朝刊第一社会面29頁「強盗の意図を否定 蟹江殺傷、被告人質問」
- ^ a b 『中日新聞』2015年2月4日朝刊第一社会面29頁「被害三男『何を考えて一日過ごしているのか』 蟹江殺傷、被告に直接質問」
- ^ 『中日新聞』2015年2月7日朝刊第一社会面31頁「弁護側、死刑回避求める 蟹江殺傷結審 検察側『悪質な強殺』」
- ^ 『中日新聞』2015年2月18日朝刊一面1頁「極刑か回避か 裁判員重圧 蟹江殺傷 20日判決 『強殺』『殺人+窃盗』どう判断」
- ^ 名古屋地裁 2015, p. 16.
- ^ 『中日新聞』2015年2月21日朝刊第一社会面35頁「蟹江一家殺傷 夢破れた末極刑 被告うつむいたまま 『日中の懸け橋に』と留学 生活苦…犯罪に手を染め」
- ^ 『中日新聞』2015年2月21日朝刊第二社会面34頁「蟹江一家殺傷 裁判員悩み抜き 9人全員が会見 生活者視点は重要 本当に正義なのか 時間かけ忘れたい」「母、兄へ『終わったよ』三男・Cさん」
- ^ 『中日新聞』2015年2月21日朝刊特集第三面29頁「蟹江一家殺傷事件 判決要旨」
- ^ 『東京新聞』2015年2月21日朝刊第二社会面26頁「親子3人殺傷で死刑判決」
- ^ a b 「親子3人殺傷で中国人の男に死刑判決、名古屋地裁」『産経新聞』産業経済新聞社、2015年2月20日。オリジナルの2015年7月5日時点におけるアーカイブ。2015年7月5日閲覧。
- ^ 名古屋地裁 2015, pp. 10–12.
- ^ 名古屋地裁 2015, pp. 14–15.
- ^ 名古屋地裁 2015, pp. 15–16.
- ^ 『中日新聞』2015年2月25日夕刊第一社会面13頁「L被告が控訴 蟹江一家殺傷」
- ^ 『中日新聞』2015年7月26日朝刊第一社会面31頁「強盗犯意の有無争点 蟹江3人殺傷 あす控訴審初公判」
- ^ a b 『中日新聞』2015年7月28日朝刊第一社会面27頁「計画性否定、死刑回避訴え 蟹江殺傷控訴審 10月14日に判決」「散髪し自力出廷 L被告」
- ^ 『中日新聞』2015年10月12日朝刊第二社会面30頁「蟹江一家3人殺傷 14日に控訴審判決 強盗殺人罪成立の可否が争点」
- ^ 名古屋高裁 2015.
- ^ a b 『中日新聞』2015年10月14日夕刊第一社会面11頁「蟹江殺傷 二審も死刑 控訴棄却 裁判員判断を支持」「三男『ひとまず安心』 出廷しない被告に憤り」
- ^ a b 『中日新聞』2015年10月15日朝刊第一社会面35頁「蟹江3人殺傷 二審も死刑 厳罰化傾向にはくぎ」
- ^ 「高裁、一審の死刑判決支持 愛知・蟹江の3人殺傷」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2015年10月14日。オリジナルの2015年11月19日時点におけるアーカイブ。2015年11月19日閲覧。
- ^ 「愛知親子3人殺傷、二審も死刑 中国人男の控訴棄却」『産経新聞』産業経済新聞社、2015年10月14日。オリジナルの2016年8月16日時点におけるアーカイブ。2016年8月16日閲覧。
- ^ 「愛知一家3人殺傷、二審も死刑 中国籍の男に判決」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2015年10月14日。オリジナルの2018年5月8日時点におけるアーカイブ。2018年5月8日閲覧。
- ^ 「L被告の弁護人が上告 3人殺傷、2審も死刑で」『産経新聞』産業経済新聞社、2015年10月14日。オリジナルの2016年8月16日時点におけるアーカイブ。2016年8月16日閲覧。
- ^ a b 伊藤直孝「愛知・蟹江の一家3人殺傷:弁護側、死刑回避求める 上告審結審」『毎日新聞』毎日新聞社、2018年7月13日。オリジナルの2018年7月17日時点におけるアーカイブ。2018年7月17日閲覧。
- ^ 「強盗殺人の最高裁弁論で弁護側が「死刑回避すべき」」『ANNニュース』テレビ朝日、2018年7月12日。オリジナルの2018年7月12日時点におけるアーカイブ。2018年7月12日閲覧。
- ^ 「愛知3人殺傷、死刑確定へ 最高裁が上告棄却」『中日新聞』中日新聞社、2018年9月6日。オリジナルの2018年9月6日時点におけるアーカイブ。2018年9月6日閲覧。
- ^ 伊藤直孝「愛知一家殺傷:中国籍被告の死刑確定へ 最高裁上告を棄却」『毎日新聞』毎日新聞社、2018年9月6日。オリジナルの2018年9月6日時点におけるアーカイブ。2018年9月6日閲覧。
- ^ 「中国人留学生、死刑確定へ…愛知県の家族3人殺傷」『産経新聞』産業経済新聞社、2018年9月6日。オリジナルの2018年9月6日時点におけるアーカイブ。2018年9月6日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2018年10月6日朝刊第11版第一社会面35頁「蟹江3人殺傷 死刑確定」
- ^ a b c d 『中日新聞』2015年6月4日朝刊第一社会面31頁「蟹江殺傷被告に賠償請求 1億7900万円 遺族、命令制度を利用」
- ^ a b c d 「3人殺傷で32歳の中国人被告に賠償支払い命令、5600万円」『産経新聞』産業経済新聞社、2015年6月7日。オリジナルの2018年5月8日時点におけるアーカイブ。2018年5月8日閲覧。
- ^ a b c 『読売新聞』2015年6月5日中部朝刊第二社会面30頁「蟹江3人殺傷で被告に賠償請求 遺族が1億7900万円=中部」
- ^ 「死刑判決の被告に、家族3人を殺傷された遺族が賠償請求」『産経新聞』産業経済新聞社、2015年6月7日。オリジナルの2018年4月26日時点におけるアーカイブ。2018年4月26日閲覧。
- ^ a b c 『読売新聞』2016年3月25日中部朝刊第二社会面38頁「蟹江強殺事件被告に5600万円賠償命令 名古屋地裁=中部」
- ^ 名古屋地裁 2016.
- ^ 『中日新聞』2011年5月24日朝刊なごや東総合面19頁「近鉄蟹江駅前に防犯カメラ増設 キャンペーン」
- ^ 『中日新聞』2010年2月16日朝刊尾張版16頁「殺傷事件二度と起きぬよう 市民が防犯カメラ寄贈 蟹江町と弥富市に」(記者:伊藤隆平)
- ^ 『中日新聞』2010年3月13日朝刊尾張版18頁「『あ』空き巣狙い、対策講じて安心我が家 安全な街へ「防犯標語」 蟹江の住民パト隊5周年 頭に『あ』から『ん』45文字 隊長・○○さんが考案」(記者:伊藤隆平。見出し内に事件関係者ではないが、一般人の実名が含まれていたため、その箇所を伏字とした)
- ^ 『中日新聞』2011年4月22日朝刊愛知県内総合面19頁「防犯ブザーでSOSを 近鉄蟹江駅 無料で10個貸し出し 通り魔事件などで蟹江署設置」(記者:伊藤隆平)
- ^ 『中日新聞』2010年5月15日朝刊愛知県内版24頁「被害者同級生らが情報提供呼び掛け 蟹江・一家殺傷事件」(記者:伊藤隆平)
参考文献
[編集]刑事裁判の判決文
[編集]- 名古屋地方裁判所刑事第2部判決 2015年(平成27年)2月20日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成24年(わ)第2750号、平成25年(わ)第77号、『住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件』。
- D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28231359
- 金品窃取の目的で民家に侵入し、家人に発見されたことから、居直り強盗を決意して、家人2名を殺害し、1名に重傷を負わせ、現金等を奪ったという強盗殺人、強盗殺人未遂等の事案につき、死刑を回避すべき特別な事情はないとして、死刑が言い渡された事例。
- 名古屋高等裁判所刑事第1部判決 2015年(平成27年)10月14日 『高等裁判所刑事裁判速報集』(平成27年)号229頁、平成27年(う)第105号、『住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件』。
- D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28244308
- 住居に侵入し、金品強取の意図で2名を殺害し、1名の殺害を遂げなかった住居侵入、強盗殺人、強盗殺人未遂被告事件において、強盗殺人罪の法定刑が死刑と無期懲役に限られていることに照らし、2名を殺害した場合には死刑を回避する特段な事情が必要であるとした原判決の説示には問題があるとし、死刑という最大限の非難を向けることが疑問なくできるかどうか、できるとすればその合理的な根拠は何かについて可能な限り慎重に検討を進めるべきであるという死刑選択の判断方法を示した上で、本件事案においては、そのような慎重な検討に従っても死刑の選択が合理的な判断であるとして、原判決の量刑判断が是認された事例。
- 金品強取の意図で住居に侵入し、殺意を持って被害者にナイフで傷害を負わせた被告人が被害者にナイフを奪われ反撃を受けるなどして体力を消耗し、両者の間で、被告人は犯跡を隠滅する作業を追えたら速やかに出ていくこと、被害者はその間、両手両足を縛られることについて合意が成立したという強盗殺人未遂被告事件において、被告人は、被害者の反撃という傷害によって同人の殺害を実現できない状況に陥ったにすぎないから、自己の意思によって同人の殺害を中止したものとは認められないとして、中止未遂の成立が否定された事例。
- 判決内容:被告人側控訴棄却(死刑判決支持・被告人側上告)
- 裁判官:石山容示(裁判長)・伊藤寛樹・小坂茂之
- 最高裁判所第一小法廷判決 2018年(平成30年)9月6日 集刑 第323号39頁、平成27年(あ)第1585号、『住居侵入,強盗殺人,強盗殺人未遂,窃盗被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(愛知一家強盗殺傷事件)」。
被害者遺族による民事訴訟の判決文
[編集]- 名古屋地方裁判所民事第6部判決 2016年(平成28年)3月24日 、平成27年(ワ)第2342号、『損害賠償請求事件』。
- D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28241633
- 被告(本文中・被告人L)は、原告(本文中C)方に侵入し、原告の母であるAの犯行を抑圧する等して金品を強取することとし、Aを殺害し、原告の兄であるBを殺害し、さらに原告に殺意を持って暴行したが原告が死亡するに至らず、Aら所有の現金等を強取したとして、A及びBを相続した原告が、被告に対し不法行為に基づき損害賠償を求めた件につき、被告が請求原因を争うことを明らかにしなかったため、請求が認容された事例。
書籍
[編集]- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金、深瀬暢子・国分葉子) 編『袴田事件再審無罪・死刑廃止へ 年報・死刑廃止2023』(第1刷発行)インパクト出版会、2023年10月10日。ISBN 978-4755403361。 NCID BD04317751。国立国会図書館書誌ID:033089483・全国書誌番号:23938830。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “捜査にご協力を! >海部郡蟹江町蟹江本町地内における強盗殺人事件情報提供のお願い(事件解決前に一般から情報提供を募っていたページ)”. 愛知県警察 (2011年12月10日). 2012年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月28日閲覧。