「貴ノ岩義司」の版間の差分
m →人物 |
→外部リンク: *[http://hogenkoron.hatenablog.com/entry/2017/05/04/003245 天皇の天皇制からの解放-天皇解放論とは何か] |
||
166行目: | 166行目: | ||
{{sumodb|11724|貴ノ岩 義司}} |
{{sumodb|11724|貴ノ岩 義司}} |
||
* [http://www.takanohana.net/heya_guide/05.html?keepThis=true&TB_iframe=true&height=380&width=600 貴ノ岩義司] - 貴乃花部屋オフィシャルサイト力士紹介 |
* [http://www.takanohana.net/heya_guide/05.html?keepThis=true&TB_iframe=true&height=380&width=600 貴ノ岩義司] - 貴乃花部屋オフィシャルサイト力士紹介 |
||
*[http://hogenkoron.hatenablog.com/entry/2017/05/04/003245 天皇の天皇制からの解放-天皇解放論とは何か] |
|||
{{大相撲関取}} |
{{大相撲関取}} |
2017年11月19日 (日) 01:40時点における版
| ||||
---|---|---|---|---|
基礎情報 | ||||
四股名 | 貴ノ岩 義司 | |||
本名 |
アディヤギーン・バーサンドルジ Адъяагийн Баасандорж | |||
愛称 | バスカ | |||
生年月日 | 1990年2月26日(34歳) | |||
出身 | モンゴル・ウランバートル市 | |||
身長 | 181cm | |||
体重 | 148kg | |||
BMI | 45.18 | |||
所属部屋 | 貴乃花部屋 | |||
得意技 | 右四つ・寄り・投げ | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 東前頭8枚目 | |||
最高位 | 西前頭2枚目 | |||
生涯戦歴 | 323勝276敗14休(52場所) | |||
幕内戦歴 | 124勝143敗3休(18場所) | |||
優勝 |
十両優勝1回 三段目優勝1回 | |||
賞 |
殊勲賞1回 敢闘賞1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2009年1月場所 | |||
入幕 | 2014年1月場所 | |||
趣味 | カラオケ、ビリヤード | |||
備考 | ||||
金星1個(白鵬1個) | ||||
2017年10月30日現在 |
貴ノ岩 義司(たかのいわ よしもり、1990年2月26日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で貴乃花部屋所属の現役大相撲力士。本名はアディヤギーン・バーサンドルジ(モンゴル語キリル文字表記:Адъяагийн Баасандорж、ラテン文字転写:Adiyagiin Baasandorj)。身長181cm、体重148kg、血液型はO型、趣味はカラオケ、ビリヤード。好物はしゃぶしゃぶ、エビ[1]。最高位は西前頭2枚目(2017年3月場所)。
人物
鳥取城北高校の監督がモンゴルで行った選抜テストに合格し、16歳で日本に相撲留学した[2]。8歳で母を心臓病、来日してから3カ月後に父を肝臓癌で失うという不幸があったが[2]、2007年の国体少年個人でベスト4、2008年の世界ジュニア選手権で準優勝した[2]。石浦外喜義監督によると「真面目な努力家」であったという[3]。当時の鳥取城北高校は毎年、貴乃花部屋で合宿をしていたため、この頃から貴乃花部屋とは縁があったと言える。
2008年11月、少年時代に憧れだった貴乃花が師匠の貴乃花部屋へ入門した[2][4][5]。四股名「貴ノ岩」の命名には美輪明宏が関係しており、貴乃花と2人で母校のある鳥取から上京した際に羽田空港のゲートで2人と偶然会った美輪明宏が貴乃花に「岩のようですね」と貴ノ岩の印象について声を掛けたことでその夜に師匠が四股名を決断したという[3][6]。
ビザ取得手続きなどのため1場所遅れのデビューとなり、2009年1月場所に貴ノ岩の四股名で貴月芳、貴斗志とともに初土俵を踏む。なお、同期生には他に宝富士、皇風、徳勝龍などがいる(ただし3力士とも大卒のため学年は違う)[2]。初めて番付に名前の載った3月場所は序ノ口で5勝2敗と勝ち越し、5月場所は序二段で7戦全勝を挙げ優勝決定戦に進むが[7]、天禄に敗れ優勝を逃した。その後三段目で7月場所は6勝1敗、9月場所は4勝3敗と勝ち越し、三段目3場所目となった11月場所は7戦全勝で迎えた優勝決定戦で無双傑を下し優勝、2004年2月に創設された貴乃花部屋にとって初の優勝を決めた[5]。
幕下へ昇進して西13枚目で迎えた2010年1月場所は終盤で2連敗し3勝4敗で終え、初土俵以来初の負け越しとなった。続く3月場所と5月場所も勝ち越せず、3場所連続で負け越した。
幕下に定着した2011年5月技量審査場所の土俵上で負傷し、途中休場。初土俵以来初の休場となった。翌7月場所を全休し、9月場所は10場所ぶりに三段目へと地位を下げたが、この場所は6勝1敗の好成績を挙げ、1場所での幕下復帰を決めた。その後は勝ち越しを続けており、十両が見える地位まで番付を上げた。西幕下筆頭で迎えた2012年5月場所も4勝3敗と勝ち越した。この結果、場所後の番付編成会議にて2012年7月場所での十両昇進が決定され、貴乃花部屋としては貴ノ浪以来、貴乃花が継承した後に入門した力士としては初の関取誕生となった[8]。2011年5月場所に左足首を骨折して以降それまでの投げ主体の取り口から前に出る寄り身の相撲に改造したことが功を奏した[9]。十両昇進を果たした7月場所では13日目まで黒星先行で関取維持が危ぶまれたが、14日目、千秋楽と連勝して8勝7敗と勝ち越した。翌場所は千秋楽の相撲で敗れ、7勝8敗と負け越した。
2013年1月場所は好調で、13日目終了時点で11勝2敗であり単独トップに立っていた。14日目に3敗の常幸龍に敗れて自身も3敗に後退したものの翌千秋楽は勝って12勝3敗で取り終え、その後の一番で常幸龍が敗れたため自身初の十両優勝となった。この場所の相撲ぶりを部屋付の音羽山からは「突っ張りとかできないことをやろうとしなくなった。押されてもうまく対応できるようになった」と好評された[10]。翌3月場所は西十両4枚目で8勝7敗と2場所連続の勝ち越し。翌5月場所は東十両2枚目で8勝7敗と3場所連続で勝ち越した。翌7月場所は東十両筆頭まで番付を上げ、この場所は10日目まで7勝3敗としていたが、その後5連敗で、最終的に7勝8敗と負け越し、新入幕はならなかった。翌9月場所は東十両2枚目に下がった。この場所は13日目に勝ち越しを決め、その後2連敗で、最終的には8勝7敗と勝ち越したが、またしても新入幕はならなかった。それでも連日50番以上の猛稽古を行っていることが実力を着実に伸ばし[11]、その甲斐あって翌11月場所は西十両筆頭で8勝7敗と勝ち越し、翌2014年1月場所で新入幕を果たした。貴乃花部屋からは初めての新入幕力士となった[12]。この場所は7勝8敗と負け越したが翌3月場所は名目上据え置きの西前頭15枚目の地位が与えられた(関脇が1人増えたため、実質半枚降下)。続く3月場所は西前頭15枚目の地位で10勝5敗の好成績を残し、自身初の幕内勝ち越しを2桁白星で飾った。ところが東前頭12枚目で迎えた翌5月場所は3勝12敗の大敗を喫し、場所後には師匠から「先場所10勝出来た事はまぐれ。今場所の成績が貴ノ岩の実力です」とコメントされた[13]。7月場所は師匠が検査入院していた中で10日目に勝ち越しを決める好調ぶりを示し、12勝3敗の十両優勝次点という好成績を残した[14]。翌9月場所に再入幕を果たすも7勝8敗の負け越し、続く11月場所で3勝12敗と大敗し、2場所連続負け越しにより2015年1月場所に2度目の十両陥落。同年3月場所に11勝4敗の好成績を収めて3度目の入幕。東前頭16枚目の地位で迎えた5月場所は7勝8敗と負け越すも、翌7月場所は番付据え置きとなった。7月場所は場所前に死去した先代音羽山に捧げるべく2桁白星を目標としたが敢え無く6勝9敗の負け越し[15]。
4度目の入幕となった2016年1月場所(西前頭13枚目)は、11日目に2014年3月場所以来となる幕内での勝ち越しを決めた。13日目から3連敗を喫して最終的に9勝6敗と2桁勝利には届かなかったものの、幕内2度目の勝ち越しには自身も手応えを掴んでおり、「(幕内に)定着して横綱と当たる地位を目指したい」と意気込んでいた[16]。3月場所は東前頭8枚目で8勝を挙げ勝ち越し。5月場所は負け越した。7月場所では8日目までに3敗していたものの、その後上位陣が星を落としたことで最終盤に優勝争いに参戦。千秋楽でも勝利し、2敗の日馬富士が敗れれば優勝決定戦進出というところだったが日馬富士が勝ったため成らず。それでも最終的に優勝次点となる12勝3敗の好成績で自身初の三賞となる敢闘賞を受賞した[3][17]。初の上位総当たりとなる9月場所は、新関脇(高安、宝富士)に2人とも勝利し、高校の後輩でもある大関照ノ富士も破るなどの奮闘を見せたが、最終的には5勝10敗の負け越しに終わった。
東前頭10枚目で臨んだ2017年1月場所は好調を維持。12日目終了時点で10勝2敗として、横綱の白鵬、平幕の逸ノ城と共に、単独トップを走る大関稀勢の里を一差で追走した。13日目に前頭10枚目の地位ながら今場所好調の小結高安との相撲が組まれ、これに敗れたため優勝争いからは脱落したものの、14日目に白鵬と初顔合わせで対戦し、寄り切りで下して11勝目と同時に初金星を挙げた。これにより白鵬は3敗目を喫し、すでに取り組みが終わっていた稀勢の里は勝って13勝1敗としたため、千秋楽を待たずに稀勢の里の初優勝をアシストする結果となった。横綱戦初挑戦での金星に貴ノ岩は「覚えていません」と興奮気味に話し[18]、優勝した稀勢の里が支度部屋で涙を流したと知らされると、「稀勢関も泣くんですね」と驚いていた[19]。3月場所は、この場所1勝しか挙げられず途中休場を喫した豪栄道以外の大関・横綱に勝てないなど上位の壁に阻まれ、白鵬の途中休場により白鵬との対戦が消滅する幸運があったもののそれを活かせず、最終的に6勝9敗の負け越しに終わった。4月2日の伊勢神宮奉納大相撲で行われた幕内トーナメントでは決勝戦で鶴竜を破って優勝。トーナメントでの優勝に関して貴ノ岩は「うれしいです。歴史のある大会で優勝できたことは本当に名誉なことです。相撲はいつも通りに淡々と取りました」と笑顔を見せて話した[20]。
東前頭5枚目で臨んだ2017年5月場所は11日目の輝戦で負傷し、「左大腿四頭筋肉離れで約3週間の安静加療を要する見込み」との診断書を協会に提出して翌12日目から休場。これにより、場所11日目・12日目と2日連続で結びの一番が不戦となった[21]。最終的に5勝7敗3休で実質10敗だったが、翌7月場所は番付運に恵まれて僅か2枚減となる東前頭7枚目の地位を与えられた。しかしその7月場所も不調であり開幕から7連敗、8日目に初日を出して何とか中日負け越しは避けたが、9日目に敢え無く負け越し。しかし残りは11日目の千代の国戦を除いてすべて白星を挙げる追い上げを見せ、6勝9敗と踏みとどまった。東の9枚目で迎えた9月場所は序盤から好調で、11日目目に4場所ぶりとなる勝ち越しを決めるなど一時は優勝戦線にも名前が挙がった。しかし、東の9枚目の地位ながら14日目に大関豪栄道戦が組まれるなど厳しい割り当てもあり、そこから4連敗。勝ち越しは1つに留まった。
2017年11月場所は場所前の秋巡業10月26日に怪我。その後、秋巡業の残りにすべて出場し、11月2日には福岡県田川市の市役所を表敬訪問しており、抱負を聞かれた貴ノ岩は「2桁(勝利)目指して頑張ります」と答えていたいた[22]が、同5日から5日間、福岡市内の病院に入院。詳しい診断症状が出るまで少々時間がかかり11月場所2日目となる11月13日に出された診断書は「1脳しんとう、2前頭部裂傷、3右外耳道炎、4右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」で全治2週間と発表された[23]。11月場所3日目にこの怪我が日馬富士の暴行によるものであると発覚した[24]。春日野広報部長は暴行問題が発覚した日馬富士の休場は左腕の負傷によるもので、問題を受けての謹慎ではないと強調し、さらに「あいさつ回りで2桁勝ちたいと言っていたそうだから安心していた。まさか休むのかと思った」と振り返った[25]。
取り口
基本的に右四つの相撲を取るが、左四つでも浅い上手を取ると十分になり、出し投げや廻しの切り方など技術に優れる。がっちりとした体を活かした突き押しもある程度は得意である。2014年1月場所千秋楽の遠藤戦でも上手を切ってからの攻めで白星を収めるなど、廻しを切る技術は一級品である。この取り口を支えるのは稽古熱心さにあり、『大相撲ジャーナル』の座談会ではしばしば貴ノ岩の稽古熱心さが話題に上がる[26][27]。前述のように美輪明宏からは「岩のようですね」と評されているが、石浦監督は「そう言わせるだけの体を高校時代に作り上げたことになります」とこれについて自著で語っている[3]。一方で攻めに速さが必要であるという指摘もあり、2014年3月場所前の座談会で大至伸行がその点に触れており、2016年12月場所前の座談会でも鳴戸(元大関・琴欧洲)がまだ攻めの遅さが治っていない点を言及している[26][28]。2017年3月5日の貴乃花一門連合稽古で十両から幕下上位の力士相手に30番取った際には阿武松が「取り口といい、師匠に似てきた。芯の強い、体幹の強い相撲。不思議なものだ。強くなって自信をつけた」と称賛した[29]。2017年11月場所前の舞の生みのコラムでは「150㎏と決して太り過ぎではなく、筋肉質の動ける体つき。突き押しに加え、前まわしを取って食い下がる元大関旭国のような相撲が取れるようになるとおもしろい。大関も夢ではありません。ただ、力に頼るところも見受けられるので、それでは力負けしてしまう。横のまわしを取ってから前に崩すなど、ちょっとした工夫でさらに強くなると思います。膝のけががないのも魅力です」と話されていた[30]。
エピソード
- 来日前はバスケットボールを経験しており、現在でもコービー・ブライアント(レイカーズ)のファンと公言している。 新十両を果たした折にはディケンベ・ムトンボとの記念撮影を行った様子が報道されており、その際には「(2メートル18は)本当に大きくて凄い」と目を白黒させ、「NBAの選手に会えてよかった」とプレゼントされたTシャツを手に大喜びしていた[31] 。
- 場所前には逸ノ城が貴乃花部屋へ出稽古へ訪れ、貴ノ岩が相手を務めている。逸ノ城は同じモンゴル出身者であり鳥取城北の4学年後輩である[32]。
- 2014年1月場所千秋楽、すでに6勝8敗と負け越している中で祖国から兄弟と甥・姪合わせて7人が国技館に観戦へ訪れた。この日は遠藤を破るも7勝8敗と負け越しの運命は変わらなかった。それでもこの一番での奮戦ぶりは周囲から喜ばれ、本人も満足していた[33]。
- 2017年8月19日の夏巡業札幌場所では高安らとキャッチボールを行った。モンゴルでは野球は盛んではなく、来日してから知ったという。“打席”に小結嘉風が入った最初はぎこちなく、球が高めに浮いていた。ただ「鳥取城北高時代に野球部の同級生から教わったことがあるんです」と、当時を徐々に思い出すと良い球が決まりだした。球筋にはときおり、スライダーも交じり、捕手役として受けた高安も「曲がるなぁ」と驚いていた[34]。
主な成績
2017年9月場所終了現在
通算成績
- 通算成績:323勝276敗14休(52場所)
- 幕内成績:124勝143敗3休(18場所)
- 十両成績:119勝91敗(14場所)
各段優勝
- 十両優勝:1回(2013年1月場所)
- 三段目優勝:1回(2009年11月場所)
三賞・金星
- 三賞
- 殊勲賞:1回(2017年1月場所)
- 敢闘賞:1回(2016年7月場所)
- 金星:1個
- 白鵬1個(2017年1月場所)
場所別成績
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2009年 (平成21年) | (前相撲) | 西序ノ口26枚目 5–2 | 東序二段92枚目 7–0 | 東三段目85枚目 6–1 | 西三段目27枚目 4–3 | 西三段目14枚目 優勝 7–0 |
2010年 (平成22年) | 西幕下13枚目 3–4 | 東幕下19枚目 3–4 | 東幕下26枚目 2–5 | 東幕下45枚目 6–1 | 東幕下19枚目 3–4 | 西幕下24枚目 4–3 |
2011年 (平成23年) | 東幕下21枚目 3–4 | 八百長問題 により中止 | 西幕下30枚目 1–2–4 | 西幕下44枚目 休場 0–0–7 | 西三段目22枚目 6–1 | 東幕下42枚目 6–1 |
2012年 (平成24年) | 東幕下17枚目 5–2 | 西幕下6枚目 5–2 | 西幕下筆頭 4–3 | 東十両14枚目 8–7 | 東十両10枚目 7–8 | 東十両12枚目 7–8 |
2013年 (平成25年) |
東十両13枚目 優勝 12–3 |
西十両4枚目 8–7 |
東十両2枚目 8–7 |
東十両筆頭 7–8 |
東十両2枚目 8–7 |
西十両筆頭 8–7 |
2014年 (平成26年) |
西前頭15枚目 7–8 |
西前頭15枚目 10–5 |
東前頭12枚目 3–12 |
東十両3枚目 12–3 |
西前頭11枚目 7–8 |
東前頭13枚目 3–12 |
2015年 (平成27年) |
西十両4枚目 6–9 |
西十両6枚目 11–4 |
東前頭16枚目 7–8 |
東前頭16枚目 6–9 |
西十両2枚目 9–6 |
東十両筆頭 8–7 |
2016年 (平成28年) |
西前頭13枚目 9–6 |
東前頭8枚目 8–7 |
東前頭6枚目 5–10 |
東前頭10枚目 12–3 敢 |
東前頭3枚目 5–10 |
西前頭7枚目 6–9 |
2017年 (平成29年) |
東前頭10枚目 11–4 殊★ |
西前頭2枚目 6–9 |
東前頭5枚目 5–7–3[35] |
東前頭7枚目 6–9 |
東前頭9枚目 8–7 |
東前頭8枚目 – |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
脚注
- ^ 貴乃花部屋紹介 貴乃花部屋公式ホームページ
- ^ a b c d e あこがれの部屋に入門 モンゴル出身の貴ノ岩 共同通信 2009年1月17日
- ^ a b c d 石浦外喜義『弱くても勝てる 強くても負ける』(幻冬舎、2017年)p162
- ^ 貴ノ岩 貴乃花部屋初の優勝に王手 スポニチ 2009年11月28日
- ^ a b 三段目・貴ノ岩 貴乃花部屋初V! スポニチ 2009年11月30日
- ^ [1] Sponichi Annex 2012年7月10日 06:00
- ^ 貴乃花部屋初Vだ!モンゴル出身・貴ノ岩決定戦へ スポニチ 2009年5月22日
- ^ 貴親方に初の関取 貴ノ岩 日刊スポーツ 2012年5月23日閲覧
- ^ 貴ノ岩 貴乃花部屋関取1号に前進 4勝3敗勝ち越し Sponichi Annex 2012年5月19日 06:00
- ^ 貴ノ岩 貴乃花部屋十両初V!幕下陥落“背水場所”残った Sponichi Annex 2013年1月28日 06:00
- ^ 貴ノ岩、貴乃花親方の教え胸に日々精進 Daily Sports Online 2014年1月10日
- ^ 貴ノ岩、鏡桜が初場所で新入幕 nikkansports.com 2013年12月24日
- ^ 五月場所をおえて 貴乃花部屋 部屋便り 2014.6.2
- ^ 貴の岩 勝ち越し!検査入院中の貴親方に「いい報告できる」 Sponichi Annex 2014年7月23日 05:30
- ^ 天国の音羽山親方へ 貴ノ岩2ケタ勝つ 日刊スポーツ 2015年7月9日9時49分 紙面から
- ^ 雑誌相撲 2016年3月号、春場所展望号 55頁(2016年3月3日発売)
- ^ “宝富士、貴ノ岩が初受賞 殊勲に嘉風、技能に高安”. スポニチアネックス. (2016年7月24日) 2016年7月24日閲覧。
- ^ 貴ノ岩が横綱初挑戦で金星挙げる 白鵬の優勝を阻む daily.co.jp 2017.1.21
- ^ 貴ノ岩驚き「稀勢関も泣くんですね」 asahi.com 2017年1月21日19時59分
- ^ 『大相撲中継』2017年5月27日号35頁
- ^ 貴ノ岩が休場 2日連続で結びの一番が不戦 日刊スポーツ 2017年5月25日12時9分
- ^ 貴ノ岩「2桁を」1週間後の田川市長表敬で 毎日新聞2017年11月14日 19時36分(毎日新聞社、2017年11月15日閲覧)
- ^ 貴ノ岩が頭蓋底骨折などの診断書を提出…全治2週間、10月下旬に受傷
- ^ 横審委員長「厳しい処置求める」 日馬富士の暴行問題 朝日新聞 DIGITAL 2017年11月14日21時48分(朝日新聞社、2017年11月15日閲覧)
- ^ 相撲協会の春日野広報部長 日馬関の休場は負傷と強調「罰ではない」 Sponichi Annex 2017年11月14日 23:01(スポーツニッポン新聞社、2017年11月16日閲覧)
- ^ a b 『大相撲ジャーナル』2014年4月号72ページ
- ^ 『大相撲ジャーナル』 2016年10月号63ページ
- ^ 『大相撲ジャーナル』 2016年12月号67ページ
- ^ 貴ノ岩タフネス30番「師匠に似てきた」阿武松親方 日刊スポーツ 2017年3月5日17時23分
- ^ 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p26
- ^ 新十両・貴ノ岩 ムトンボ氏にびっくり「本当に大きい」 Sponichi Annex
- ^ 純粋な"怪物"逸ノ城の大いなる野望。~史上最速の新十両、その威圧感~ Number Web 2014/05/18 06:00
- ^ 初場所懇親会 貴乃花部屋 部屋便り 2014.1.27
- ^ 貴ノ岩、野球センスあり?スライダーに高安驚く 2017年8月19日18時43分(2017年11月5日閲覧)
- ^ 左大腿四頭筋肉離れのため12日目から休場
外部リンク
- 貴ノ岩 義司 - 日本相撲協会
- 貴ノ岩 義司 - 相撲レファレンス
- 貴ノ岩義司 - 貴乃花部屋オフィシャルサイト力士紹介
- 天皇の天皇制からの解放-天皇解放論とは何か