「参宮線」の版間の差分
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[[2007年]][[5月26日]]、沿線の有力者である[[伊勢商工会議所]]会頭の[[濱田益嗣]]([[赤福餅|赤福]]会長)が、[[自動車]]での[[観光客]]誘致に「参宮線が大きな阻害要因」になると主張、[[2013年]]の[[神宮式年遷宮|第62回神宮式年遷宮]]で予想される交通渋滞の緩和のためとして、参宮線の廃止と伊勢市駅構内にある[[車両基地]]([[伊勢車両区]])の用地の駐車場への転用を提案した<ref>[http://web.archive.org/web/20070527065627/http://www.asahi.com/life/update/0526/NGY200705250010.html 「参宮線廃止、駐車場に」 赤福会長、式年遷宮控え提案]([[インターネットアーカイブ]])- [[朝日新聞]] 2007年5月26日</ref>。その後、2007年10月に赤福の[[赤福餅#消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件|消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件]]が発覚し、濱田益嗣も商工会議所会頭および赤福会長を辞任したことから廃止の話は立ち消えとなった。2013年の式年遷宮に際して、JR東海は名古屋駅と伊勢市駅を結ぶ臨時急行「いせ」の運行や快速「みえ」の増発を行った<ref>[http://jr-central.co.jp/news/release/nws001260.html 【社長会見】式年遷宮に向けた取り組みについて] - JR東海プレスリリース(2013年7月18日)</ref>。なお、伊勢車両区は2016年3月限りで廃止されている<ref name="chunichi20160319" />。 |
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[[2011年]][[3月12日]]のダイヤ改正では、式年遷宮よる参拝客増加で快速「みえ」号を2両(多客時などは4両)から常時4両(最多客期で6両)に増結し、サービス向上を図ったが、2014年12月1日から一部列車が2両に減車されている。 |
[[2011年]][[3月12日]]のダイヤ改正では、式年遷宮よる参拝客増加で快速「みえ」号を2両(多客時などは4両)から常時4両(最多客期で6両)に増結し、サービス向上を図ったが、2014年12月1日から一部列車が2両に減車されている。 |
2017年9月4日 (月) 14:12時点における版
参宮線 | |
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宮川橋梁を渡る快速「みえ」 | |
概要 | |
起終点 |
起点:多気駅[1] 終点:鳥羽駅[1] |
駅数 | 11駅[1] |
運営 | |
開業 | 1893年12月31日 |
全通 | 1911年7月21日[1] |
区間縮小 | 1959年7月15日 |
所有者 |
参宮鉄道→ 帝国鉄道庁→鉄道院→鉄道省→運輸通信省→運輸省→ 日本国有鉄道→ 東海旅客鉄道 |
使用車両 | 使用車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 29.1 km (18.1 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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参宮線(さんぐうせん)は、三重県多気郡多気町の多気駅から鳥羽市の鳥羽駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。
概要
「参宮線」とあるように、伊勢神宮への参詣路線として建設された路線である。1893年(明治26年)から1911年(明治44年)にかけて開業した[2]。現在の参宮線は紀勢本線の多気駅から分岐しているが、もともと亀山駅 - 鳥羽駅間が参宮線とされ、紀勢本線が全通した1959年に参宮線は多気駅 - 鳥羽駅間に変更された[3]。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受け、首都圏や西日本各地からの直通列車も運転されていたが、1970年に近畿日本鉄道(近鉄)の鳥羽線が開業すると乗客は激減し、一時は存廃問題にまで発展した。収支は現在でも厳しく、『週刊東洋経済』の臨時増刊に掲載された記事で評論家が2008年度の営業係数として推定した値は、JR東海の路線中でワースト2位の422.1(100円の収入を得るために422.1円の費用がかかる)とされている(ワースト1は同じ三重県内の名松線で、534.4)[4]。ただし鉄道会社による公式の営業係数は公表されていない。また、2008年度の輸送密度は1655[4]、2010年度は1639[5]であり、国鉄改革の際に廃止された特定地方交通線の輸送密度と同水準である。
全線が東海鉄道事業本部の管轄となっている。ICカード乗車券TOICAの対象エリアには含まれていない。
路線データ
- 管轄(事業種別):東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):29.1km[1]
- 軌間:1067mm
- 駅数:11(起終点駅・臨時駅含む)[1]
- 参宮線所属駅に限定した場合、紀勢本線所属の多気駅が除外され[6]、10駅となる。
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:自動閉塞式(特殊)
- 保安装置:ATS-PT
- 運転指令所:東海総合指令所
運行形態
おおむね1時間あたり1 - 2本程度(一部時間帯は3本)の運行である。快速「みえ」が伊勢鉄道線経由で名古屋駅 - 伊勢市駅・鳥羽駅間に1時間あたり1本程度(一部時間帯の上りは2本)運行されている。「みえ」は朝の上りおよび夕方の伊勢市駅 - 鳥羽駅間と夜間の多気駅 → 伊勢市駅間では各駅に停車する。そのほかの普通列車は朝と夕方を除く大半の列車が紀勢本線に直通して亀山駅 - 松阪駅 - 伊勢市駅 - 鳥羽駅間で運転されており、1時間あたり1本程度の運行になっている。
快速「みえ」と朝夕の一部の列車を除いてワンマン運転を行っている(列車番号の末尾が「C」の列車がワンマン列車)。
なお、過去に正月限定で名古屋駅 - 鳥羽駅間において運行された臨時特急「ワイドビュー伊勢初詣」号が当路線を走行したことがある[7]。
使用車両
全線が非電化のため、すべての列車が名古屋車両区所属の気動車で運転されている。
2016年3月26日のダイヤ改正以後はすべてキハ25形・キハ75形に統一され[8]、キハ11形およびキハ40・48形は運転を終了した[8]。
過去の使用車両
この節の加筆が望まれています。 |
これらの車両は、伊勢市駅に併設されている伊勢車両区に配置されていたが、同区は2016年3月限りで廃止(名古屋車両区へ統合)された[9][10]。
歴史
関西鉄道によって、1891年(明治24年)に開業した亀山駅 - 津駅間を延長して、参宮鉄道によって、1893年(明治26年)に津駅 - 相可駅(現在の多気駅) - 宮川駅間が開業し[11][2]、1897年(明治30年)に宮川駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間が開業した[2]。1907年(明治40年)に関西鉄道・参宮鉄道ともに国有化され、1911年(明治44年)に山田駅 - 鳥羽駅間が開業し[2]全通した[3]。
伊勢神宮への参詣路線として戦前は幹線同等に扱われ、一部区間が複線化され東京や大阪、宇野などからの直通参詣列車が運転されていた[3]。しかし、1938年(昭和13年)に関西急行電鉄(現在の近鉄)が関急名古屋乗り入れを果たし、名古屋方面からの参詣客を奪われることになった。さらに第二次世界大戦下に不要不急線とされ、1944年(昭和19年)資材供出のため一線撤去し、単線化された[3]。また、参宮線の一部であった亀山駅 - 多気駅間は1959年(昭和34年)の紀勢本線全通時に同線に編入された[3]。
戦後も暫く東京・名古屋・京都・大阪方面から直通列車が運転され、かつ、当時は近鉄大阪線・山田線が標準軌であるのに対し、近鉄名古屋線が狭軌であり、近鉄京都線も奈良電気鉄道と別会社の保有路線であったことから、近鉄経由で名古屋・京都から伊勢へ向かうには伊勢中川駅や大和八木駅での乗り換えが必須であったため、名古屋方面からは亀山での方向転換があるものの、直通でそれらの地域から伊勢へ向かえる参宮線は競争力を保っていた。さらに近鉄鳥羽線が未開通で、伊勢 - 二見間こそ路面電車である三重交通神都線と競合したものの、伊勢 - 鳥羽間の鉄道往来は参宮線が独占していた。
また、1965年の計画では、戦前の複線区間の復活と、1線のみの五十鈴ヶ丘駅・松下駅の行き違い施設の設置、鳥羽駅の改良と積極策を立てていた。
しかし、並行する近鉄が名古屋線の標準軌への改軌や奈良電気鉄道の買収で伊勢中川駅や大和八木駅での乗り換えを解消し、さらに近鉄鳥羽線が開通して志摩線賢島駅まで特急列車を直通させると、完全なローカル線に転落した。そして、日本国有鉄道の赤字が深刻化すると、複線区間の復活などの積極策は放棄されることになった。
逆に、1968年9月には伊勢市駅 - 鳥羽駅間が、近鉄鳥羽線開通前にもかかわらず赤字83線の一つに挙げられ、廃線を勧告された。この時は廃止は見送られたが、同年10月の改正で名古屋からの急行「いすず」が、1972年3月には東京からの急行「紀伊」の鳥羽編成が、1986年11月の改正で京都からの急行「志摩」が廃止されて東京・名古屋・京都方面との直通列車は全廃された。
また、1981年からの特定地方交通線選定でも、一度は第3次特定地方交通線の選定対象に挙げられた。しかし、1986年4月8日に例外規定の一つである「ピーク時の乗客が一方向1時間1,000人を超す」に該当するとして、選定は見送られ、そのままJRに引き継がれた。
国鉄分割民営化後、近鉄には運転本数や車両の快適さなどで大きく水をあけられているが、JR東海は再び積極姿勢に転じ、1988年に「ホームライナーみえ」、1989年に「伊勢路」を設定し、臨時ながら名古屋直通が復活。さらに1991年からは前年に名古屋駅 - 松阪駅間に新設された快速「みえ」を参宮線内まで延長。「みえ」はその後、車両も転換クロスシートを備えたキハ75形に置き換えられた。近鉄にはなお大差があるとはいえ、「みえ」は1時間に1本の本数を確保し対抗している(「近鉄並行路線における優等列車」の項目も参照)。
1993年から1994年にかけて、鳥羽駅 - 紀伊勝浦駅間に特急「鳥羽・勝浦」を運転した。臨時列車ながら参宮線初の特急列車であった。
2007年5月26日、沿線の有力者である伊勢商工会議所会頭の濱田益嗣(赤福会長)が、自動車での観光客誘致に「参宮線が大きな阻害要因」になると主張、2013年の第62回神宮式年遷宮で予想される交通渋滞の緩和のためとして、参宮線の廃止と伊勢市駅構内にある車両基地(伊勢車両区)の用地の駐車場への転用を提案した[12]。その後、2007年10月に赤福の消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件が発覚し、濱田益嗣も商工会議所会頭および赤福会長を辞任したことから廃止の話は立ち消えとなった。2013年の式年遷宮に際して、JR東海は名古屋駅と伊勢市駅を結ぶ臨時急行「いせ」の運行や快速「みえ」の増発を行った[13]。なお、伊勢車両区は2016年3月限りで廃止されている[10]。
2011年3月12日のダイヤ改正では、式年遷宮よる参拝客増加で快速「みえ」号を2両(多客時などは4両)から常時4両(最多客期で6両)に増結し、サービス向上を図ったが、2014年12月1日から一部列車が2両に減車されている。
年表
- 1893年(明治26年)12月31日[2]:参宮鉄道により津駅 - 相可駅 - 宮川駅間(23M58C≒38.18km)が開業。阿漕駅・高茶屋駅・松阪駅・相可駅(初代・現在の多気駅)・田丸駅・宮川駅が開業[11]。
- 1894年(明治27年)
- 1897年(明治30年)11月11日[2]:宮川駅 - 山田駅間(2M37C≒3.96km)が延伸開業。筋向橋駅(現在の山田上口駅)・山田駅(現在の伊勢市駅)が開業。
- 1899年(明治32年)2月28日:全線で営業距離が4C(≒0.08km)短縮。
- 1901年(明治34年)5月13日:全線で営業距離が1C(≒0.02km)短縮。
- 1902年(明治35年)11月12日:営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化(26M10C→26.1M)。
- 1907年(明治40年)
- 1909年(明治42年)
- 1911年(明治44年)
- 1917年(大正6年)10月10日:筋向橋駅が山田上口駅に改称[3]。
- 1923年(大正12年)3月20日:相可駅が相可口駅に改称[3]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(亀山駅 - 鳥羽駅間 44.5M→71.6km)。
- 1944年(昭和19年)
- 1956年(昭和31年)10月15日:六軒駅構内において列車脱線事故(六軒事故)が発生[3]。死者42名、負傷者94名。
- 1959年(昭和34年)7月15日:亀山駅 - 多気駅間 (42.5km) が紀勢本線に編入され、多気駅 - 鳥羽駅間のみが参宮線となる[3]。山田駅が伊勢市駅・相可口駅が多気駅に改称[3]。
- 1963年(昭和38年)4月1日:外城田駅・五十鈴ヶ丘駅・松下駅が開業[3]。
- 1969年(昭和44年)7月1日:伊勢市駅 - 鳥羽駅間の貨物営業廃止。
- 1973年(昭和48年)7月30日:蒸気機関車がなくなり、無煙化される[3]。
- 1982年(昭和57年)10月1日:宮川駅 - 伊勢市駅間の貨物営業廃止。
- 1983年(昭和58年)12月21日:列車集中制御装置 (CTC) が導入[20]。
- 1986年(昭和61年)4月1日:多気駅 - 宮川駅間の貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道に承継[3]。
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)3月16日:前年運転を開始した快速「みえ」が鳥羽駅まで運転区間が延長[3]。
- 2015年(平成27年)8月1日:キハ25形気動車が当線で運用開始。
駅一覧
- 停車駅
- 普通…臨時駅を除くすべての駅に停車
- 快速「みえ」…みえ (列車)#停車駅を参照
- (臨):池の浦シーサイド駅は臨時駅である。営業期間中、主に日中の列車が停車する
- 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
- 全駅三重県内に所在
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
多気駅 | - | 0.0 | 東海旅客鉄道:紀勢本線(松阪方面へ直通あり) | ∨ | 多気郡多気町 |
外城田駅 | 3.3 | 3.3 | | | ||
田丸駅 | 3.7 | 7.0 | ◇ | 度会郡玉城町 | |
宮川駅 | 4.0 | 11.0 | ◇ | 伊勢市 | |
山田上口駅 | 2.2 | 13.2 | | | ||
伊勢市駅 | 1.8 | 15.0 | 近畿日本鉄道:M 山田線 | ◇ | |
五十鈴ケ丘駅 | 2.9 | 17.9 | | | ||
二見浦駅 | 3.5 | 21.4 | ◇ | ||
松下駅 | 2.3 | 23.7 | | | ||
(臨)池の浦シーサイド駅 | 1.7 | 25.4 | | | ||
鳥羽駅 | 3.7 | 29.1 | 近畿日本鉄道:M 鳥羽線・M 志摩線 | ∧ | 鳥羽市 |
線内の有人駅は多気駅・伊勢市駅・鳥羽駅のみ、直営駅は多気駅と伊勢市駅のみで、鳥羽駅は東海交通事業による業務委託駅となっている(二見浦駅の簡易委託は2011年3月31日、田丸駅の業務委託は2012年9月30日をもってそれぞれ終了)。自動改札機は伊勢市駅にのみ設置されている。
脚注
- ^ a b c d e f 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 23頁
- ^ a b c d e f g 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』平成18年度、電気車研究会・鉄道図書刊行会、p.39
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 25頁
- ^ a b 梅原淳「国内鉄道全路線の収支実態」『鉄道完全解明2011』(週刊東洋経済臨時増刊、2011年7月8日)
- ^ 梅原淳「最新!! JR&私鉄 全路線収支」『鉄道完全解明2013』(週刊東洋経済臨時増刊、2013年2月22日号)
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 『鉄道ファン』1998年4月号、p.112より。なお、1998年は1月1日 - 5日、10日、11日、15日に運転されていた。
- ^ 『業務ニュース名古屋』2014年12月19日 No.253 (PDF) - JR東海労働組合名古屋地方本部
- ^ a b 電化の波、118年に幕 JRの伊勢車両区 - 中日新聞、2016年3月19日
- ^ a b 「開業廣告」『伊勢新聞』1894年1月1日、p.1。
- ^ 「参宮線廃止、駐車場に」 赤福会長、式年遷宮控え提案(インターネットアーカイブ)- 朝日新聞 2007年5月26日
- ^ 【社長会見】式年遷宮に向けた取り組みについて - JR東海プレスリリース(2013年7月18日)
- ^ 「六軒停車塲落成」『伊勢新聞』1894年1月9日、p.1。
- ^ a b 六軒駅・徳和駅の開業日は、『明治27年 三重県統計書』でも六軒は明治27年1月10日、徳和は同年12月31日開業の旨の注記があるが、鉄道省編集『鉄道停車場一覧』(大正15年版)では両駅とも明治26年12月31日となっている(各リンクは国立国会図書館デジタルコレクション)。
- ^ 「参宮鐵道德和驛開業廣告」『伊勢新聞』1894年12月30日、p.3。
- ^ a b c d 『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、754頁。
- ^ a b 『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、752頁。
- ^ a b 『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、753頁。
- ^ 「『CTC化』完成 紀勢本線と参宮線」『伊勢新聞』1983年12月20日、p.1。
- ^ 「三重地方のJRの3線に新型車両 参宮、名松、紀勢 ワンマン運転」『中日新聞』1989年2月22日 朝刊 三重版
参考文献
- 川島令三編著『東海道ライン 全線・全駅・全配線(8) 名古屋南部・紀勢東部』講談社、2009年。ISBN 978-4-06-270018-4。
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日。