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アナウンサー時代は主としてスポーツ中継([[プロ野球]]、[[サッカー]]、[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]など)が中心だったが、その後はスポーツから退き報道・情報番組のレポーターやスタジオキャスターを担当していた。以前は、営業局営業推進部所属。[[2010年]][[7月1日]]より営業局営業戦略センター営業企画部長。[[2012年]][[6月1日]]よりコンテンツ事業局次長兼事業推進部長。[[2013年]]6月1日より事業局に改正。[[2014年]]6月1日よりコンテンツ事業部長兼務。[[2016年]]6月1日より社長室出向局次長ティップネスに出向。このためコンテンツ事業部長は、[[篠宮浩司]]が引き継いだ。
アナウンサー時代は主としてスポーツ中継([[プロ野球]]、[[サッカー]]、[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]など)が中心だったが、その後はスポーツから退き報道・情報番組のレポーターやスタジオキャスターを担当していた。以前は、営業局営業推進部所属。[[2010年]][[7月1日]]より営業局営業戦略センター営業企画部長。[[2012年]][[6月1日]]よりコンテンツ事業局次長兼事業推進部長。[[2013年]]6月1日より事業局に改正。[[2014年]]6月1日よりコンテンツ事業部長兼務。[[2016年]]6月1日より社長室出向局次長ティップネスに出向。このためコンテンツ事業部長は、[[篠宮浩司]]が引き継いだ。


スポーツ中継では[[斉藤雅樹]]([[読売ジャイアンツ|巨人]]・当時)の11試合連続完投勝利(1989年7月15日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦)、[[松井秀喜]](巨人・当時)のプロ入り初ホームラン([[1993年]][[5月2日]]、対ヤクルト戦)、ON対決と言われた[[2000年の日本シリーズ]]第2戦、[[長嶋茂雄]]が巨人の監督を勇退した[[2001年]]の本拠地最終戦 ([[9月30日]]、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]戦)、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]では[[2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2002年]]の第2戦([[松山中央公園野球場|松山坊っちゃんスタジアム]])を実況。また、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]の実況を1996年([[ユヴェントス]]対[[CAリーベル・プレート]])と2001年([[バイエルン・ミュンヘン]]対[[ボカ・ジュニアーズ]])の2回担当した。
スポーツ中継では[[斉藤雅樹]]([[読売ジャイアンツ|巨人]]・当時)の11試合連続完投勝利(1989年7月15日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦)、[[松井秀喜]](巨人・当時)のプロ入り初ホームラン([[1993年]][[5月2日]]、対ヤクルト戦)、ON対決と言われた[[2000年の日本シリーズ]]第2戦、[[長嶋茂雄]]が巨人の監督を勇退した[[2001年]]の本拠地最終戦 ([[9月30日]]、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]戦)、[[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]では[[2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2002年]]の第2戦([[松山中央公園野球場|松山坊っちゃんスタジアム]])を実況。また、[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]の実況を1996年([[ユヴェントス]]対[[CAリーベル・プレート]])と2001年([[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]対[[ボカ・ジュニアーズ]])の2回担当した。


現在は[[アニメーション]]番組の企画・制作を中心に携わり、[[BS日テレ]]「[[それいけ!アンパンマンくらぶ]]」のチーフプロデューサーを務めている。
現在は[[アニメーション]]番組の企画・制作を中心に携わり、[[BS日テレ]]「[[それいけ!アンパンマンくらぶ]]」のチーフプロデューサーを務めている。

2017年8月29日 (火) 09:30時点における版

たしょう ひろし
多昌 博志
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 神奈川県
生年月日 (1963-04-01) 1963年4月1日(61歳)
最終学歴 中央大学法学部卒業
勤務局 日本テレビ放送網
部署 ティップネス(出向)
職歴 日本テレビアナウンサー→日本テレビ営業局営業戦略センター営業企画部長→コンテンツ事業局次長兼事業推進部長→事業局次長兼コンテンツ事業部長。
活動期間 1985年 -
ジャンル 報道・スポーツ中継
出演番組・活動
出演経歴 劇空間プロ野球

多昌 博志(たしょう ひろし、1963年4月1日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー、現社長室出向局次長、ティップネスに出向。タツノコプロ取締役(非常勤)。神奈川県出身。桐蔭学園高校→中央大学法学部卒業。1985年に入社。同期には鷹西美佳・日高直人がいる。

来歴・人物

アナウンサー時代は主としてスポーツ中継(プロ野球サッカー箱根駅伝など)が中心だったが、その後はスポーツから退き報道・情報番組のレポーターやスタジオキャスターを担当していた。以前は、営業局営業推進部所属。2010年7月1日より営業局営業戦略センター営業企画部長。2012年6月1日よりコンテンツ事業局次長兼事業推進部長。2013年6月1日より事業局に改正。2014年6月1日よりコンテンツ事業部長兼務。2016年6月1日より社長室出向局次長ティップネスに出向。このためコンテンツ事業部長は、篠宮浩司が引き継いだ。

スポーツ中継では斉藤雅樹巨人・当時)の11試合連続完投勝利(1989年7月15日、対ヤクルト戦)、松井秀喜(巨人・当時)のプロ入り初ホームラン(1993年5月2日、対ヤクルト戦)、ON対決と言われた2000年の日本シリーズ第2戦、長嶋茂雄が巨人の監督を勇退した2001年の本拠地最終戦 (9月30日、対横浜戦)、オールスターゲームでは2002年の第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)を実況。また、トヨタカップの実況を1996年(ユヴェントスCAリーベル・プレート)と2001年(バイエルン・ミュンヘンボカ・ジュニアーズ)の2回担当した。

現在はアニメーション番組の企画・制作を中心に携わり、BS日テレそれいけ!アンパンマンくらぶ」のチーフプロデューサーを務めている。

1970年代当時は太田裕美ファンで“最愛のアイドル”だったとのことだが、薬師丸ひろ子のデビュー後は薬師丸ファンにもなっている[1]

エピソード

1987年6月28日に放送された「NNNニューススポット」のオープニングのBGMが、間違えて「笑点」のテーマソングが流れた時のニュースを担当していた[2]

担当番組

現在

過去

関連項目

脚注

  1. ^ 女子アナにも程がある (山王丸和恵、魚住りえ 著 日本テレビ放送網・編 1999年5月6日初版)p.182
  2. ^ 笑えるけど超ヤバい! テレビ放送事故&ハプニング(2007年 マイケル宮内・著 廣済堂出版)p.64 - 65