「小室眞子」の版間の差分
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== 略歴 == |
2017年5月16日 (火) 10:34時点における版
眞子内親王 | |
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ファイル:Princess Mako on the birthday of the reigning Emperor, 2016.jpg 2016年(平成28年)天皇誕生日にて | |
続柄 | 秋篠宮文仁親王第1女子(今上天皇孫) |
身位 | 内親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 木香茨 |
出生 |
1991年10月23日(33歳) 日本・東京都千代田区、宮内庁病院 |
配偶者 | 大学時代の男性と婚約[1] |
父親 | 秋篠宮文仁親王 |
母親 | 文仁親王妃紀子 |
役職 |
公益財団法人日本テニス協会名誉総裁 公益社団法人日本工芸会総裁 東京大学総合研究博物館特任研究員 インターメディアテク客員研究員 |
皇室 |
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|
眞子内親王(まこないしんのう、1991年(平成3年)10月23日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子。第125代今上天皇の初孫。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。成年に伴い、宝冠大綬章受章(旧勲等では勲1等宝冠章に相当)。学位はレスター大学修士(学術)(博物館学)。お印は木香茨(もっこうばら)。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。現在、内親王では最年長。[2]2017年5月16日、大学の同級生と婚約[1]。
略歴
1991年(平成3年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。同日、賜剣の儀。この時に今上天皇から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された隅谷正峯の作。同年10月29日、命名の儀が執り行われ、父の秋篠宮文仁親王により、「眞子」と名付けられる。この名は、「天性のものを失わず自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名された[3]。高校時代のあだ名は「まこしー」[4]。
1998年(平成10年)4月、学習院初等科入学。その後学習院女子中・高等科に進学。この間、2005年(平成17年)頃からは、日本国内を中心として両親の公務、接見に同行・同座することが多くなり、最年長の内親王として国民の前に姿を現す機会も増えている。
2006年(平成18年)8月の夏休み期間中、2週間に渡ってオーストリアのウィーンでホームステイをした。ホームステイ先は、母・紀子妃の父川嶋辰彦の仕事仲間だったオーストリア人の家。かねてより美術や建築に関心があり、美術館や、シュテファン大聖堂やシェーンブルン宮殿などの建築物を見学した。[5][6]
2006年(平成18年)には、父・秋篠宮の三重県訪問に同行して伊勢神宮式年遷宮の行事「川曳き」を視察、自ら行事に参加した。高等科在学中の2008年(平成20年)からは、単独公務も開始している。
2009年(平成21年)11月、国際基督教大学をAO入試で受験して、合格したことが発表された[7]。2010年(平成22年)学習院女子高等科を卒業し、同年4月、国際基督教大学教養学部アーツ・サイエンス学科に入学。皇族の同大学への入学は初となる[8]。雪面滑走競技部に入部した[9]。同年7月14日から、同大学の海外英語研修としてアイルランド共和国に留学し、1か月間、アイルランド国立大学ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンで英語を学んだほか、研修生の一員としてメアリー・マッカリースアイルランド大統領との懇談や、イギリス北アイルランド地方への訪問も行った[10][11]。
2011年(平成23年)7月、東北地方太平洋沖地震による東日本大震災の被災地で身分を明かさずボランティア活動を行った[4]。同年10月23日、成年を迎え、宝冠大綬章を授与された。以後、成年皇族として各種行事、儀式に出席している。
2012年(平成24年)4月、3学年に進級し、美術・文化財研究を専攻。在学中に学芸員資格および運転免許を取得[12][13]。2012年(平成24年)8月3日、同年9月から2013年(平成25年)5月までイギリスのエディンバラ大学に留学することが閣議で報告された[14]。同大学では美術史などを学んだ[12]。皇族の同大学への留学は高円宮家の承子女王に次いで2人目となる。
2014年(平成26年)3月、国際基督教大学教養学部を卒業し、学士(教養)の学位を修得[9]。卒業論文は日本神話を題材とした絵画をテーマとした「明治時代における神話画の誕生、発展、そして葛藤」(英文、80頁)。同年国際陶磁器フェスティバル美濃名誉総裁に就任[12][15]。
2014年(平成26年)9月、レスター大学大学院博物館学研究科に入学し[16][17]、日本を離れる。翌2015年(平成27年)9月、同大学院の課程を終え、帰国する[18]。大学院在学中は、他の学生と変わらず学生寮で生活し、サイモン・ネル(Simon Knell)教授の指導の下、ブラシュカ父子の海洋生物模型を題材に、修士論文「博物館におけるオブジェクトの解釈の可能性」を執筆したほか、イギリス王室との交流も行った。また、2015年(平成27年)7月から8週間、コヴェントリーのハーバート美術博物館で実務研修プログラムに参加し、レスターのニュー・ウォーク博物美術館での研究にも従事した。[19][20][21][22][23][24]
帰国後の同年10月、父の文仁親王から引き継ぐ形で、日本テニス協会名誉総裁に就任した[25]。同年11月、東京大学総合研究博物館客員研究員に就任。
2016年(平成28年)1月21日、レスター大大学院の修了式に出席し、修士(学術)(博物館学)の学位記を受けた[26]。同年、日本郵便・東京大学産学協働プロジェクト「インターメディアテク」JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」客員研究員就任[27][28]。同年4月1日東京大学総合研究博物館特任研究員就任[29]。同年6月15日、日本工芸会総裁に就任[30]。
同年9月、国際基督教大学大学院アーツ・サイエンス研究科博士後期課程に入学した[31][32]。
外遊歴(単独公式訪問)
年 | 出国 | 帰国 | 訪問地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
2015年 (平成27) |
12月2日 | 12月12日 | エルサルバドル、 ホンジュラス( アメリカ合衆国立ち寄り) | エルサルバドル国政府およびホンジュラス国大統領からの招待 外交関係樹立80周年記念[33] |
2016年 (平成28) |
9月6日 | 9月16日 | パラグアイ ( ドイツ、 アメリカ合衆国立ち寄り) | パラグアイ国政府からの招待 日本人の同国移住80周年記念[34] |
逸話
- 今上天皇の初孫であるため、幼年期は報道、ワイドショーへの露出も多かった。また、この時期は警備にも多数の人員が割かれていたという。
- 1993年(平成5年)夏、軽井沢静養の折り、大型犬が紀子妃に抱かれた眞子内親王の眼前まで飛び上がり、驚いた飼い主に対し紀子妃が「お友だちになりたいのね」と咄嗟にフォローしたことがある。
- 1995年(平成7年)5月、葉山静養の折り、浜辺の散策において、海蛇に関心を持っていた当時3歳の眞子内親王が「あっちまで行ったら海蛇がいるわね、お父さま。(あの人たちは)どうして海蛇釣るの?」と父・秋篠宮にしきりに尋ねる映像がある。幼少時のエピソードの中でも有名なもので、皇室特番・ニュースでも頻繁に紹介されている。
- 美術、古文書、建築物などに関心がある。特に日本画に関心が深く、学習院初等科を卒業した時の作文には正倉院、唐招提寺、京都御所において美術を鑑賞し、奈良鳥類研究所において鳥を描く際の心得についての指導を受けた出来事が記されている。同作文においては、修復技術への関心もうかがわせた。
- 皇后美智子の手がける皇后御親蚕を、母・紀子妃や妹・佳子内親王と共に手伝っている。皇后御親蚕において小石丸から採取された糸から作られた絹は皇族が儀式に用いる着物に用いられ、内親王も瑞鳥である鶴をあしらった晴れ着を着用した。
- 同様に1996年(平成8年)から、妹とともに祖父・今上天皇の稲作も手伝っている[35]。
- インターネット上での人気が高く、話題となったことがある[36]。
- 男性アイドルのファンと言われ、そのコンサートに行ったとするゴシップ記事が掲載された[37]こともあったが、2008年(平成20年)9月26日になって、テレビ番組での報道と併せ、コンサートに行った事実が宮内庁発表により否定された[38]。
- 公式には宮家の当主ではないため「秋篠宮」の宮号は冠しないが、自署などでは「秋篠宮眞子内親王」とした例がある。
系譜
眞子内親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 今上天皇 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 |
曾祖父: 川嶋孝彦 | |
曾祖母: 川嶋紀子 | |||
祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 | ||
曾祖母: 杉本栄子 |
脚注
- ^ a b “眞子さま 同級生とご婚約へ”. NHK NEWS WEB. (2017年5月16日) 2017年5月16日閲覧。
- ^ ご略歴 宮内庁
- ^ “秋篠宮「眞子」さま 内親王命名の儀 ご夫妻でお決めに”. YOMIURI ONLINE. (1991年10月29日). オリジナルの2014年7月6日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ a b “眞子さま、大学時代に名前隠しボランティア 担当記者の解説です。”. YAHOO!ニュース. (2015年11月6日). オリジナルの2015年11月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「眞子さまがホームステイ 夏にオーストリアへ」北海道新聞2006/07/11 10:44 [リンク切れ]
- ^ 「世界遺産の宮殿を見学 ウィーンで眞子さま」中国新聞2006年08月12日[リンク切れ]
- ^ “眞子さまが国際基督教大に合格 AO入試、教養学部進学へ”. 47NEWS. 共同通信社. (2009年11月5日). オリジナルの2009年11月7日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ なお同大学の創設には高松宮宣仁親王も関与しており、皇室と縁のある大学の一つである。詳細は国際基督教大学#沿革を参照。
- ^ a b 眞子さま、ICU卒業 結婚は、「遅過ぎず早過ぎず」 朝日新聞(2014年3月26日)
- ^ “Japanese royal to spend time in Dublin studying English”. The Irish Times (June 18, 2010). April 11, 2016閲覧。
- ^ 眞子さま、アイルランドから帰国 日本経済新聞(2010年8月15日)
- ^ a b c 眞子さま、国際基督教大学をご卒業 「感謝しています」 iZa(産経デジタル)2014年3月26日
- ^ 「〈眞子さま〉国際基督教大学を卒業「一生の思い出の4年間」毎日新聞 2014年3月26日(水)
- ^ “眞子さまが9月に英国ご留学”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年8月3日). オリジナルの2012年12月19日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ 「眞子さま 卒業 国際基督教大学 公務専念の意向」『読売新聞』2014年3月26日東京夕刊12頁
- ^ “「眞子さま、英大学院へ…期間未定・寮で生活」”. YOMIURI ONLINE. (2014年6月20日). オリジナルの2014年6月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ 「眞子さま、英国に留学へ 」 日本経済新聞(2014年6月20日)
- ^ 「良い環境での学びに感謝」 眞子さま、留学先の英国からご帰国 産経ニュース(2015年9月29日)2015年9月29日閲覧。
- ^ 英国の地元紙が報じた「日本のプリンセス」眞子さまの謎に包まれた留学生活 クーリエジャパン(2015年11月7日)
- ^ 「英留学から帰る「眞子さま」のキラリと輝く研究対象」週刊新潮10月1日号
- ^ "Princess Mako of Japan has been secretly studying at University of Leicester"SEPTEMBER 22, 2015 BY HELLOMAGAZINE.COM
- ^ "Japanese princess found secretly living in Leicester"INDEPENDENT Sunday 20 September 2015
- ^ "Japanese princess secretly worked at Coventry's Herbert Art Gallery"Coventrytelegraph 12:52, 21 SEP 2015
- ^ 「得ることの多い1年」 眞子さま、英留学から帰国 朝日新聞デジタル(2015年9月29日)
- ^ 眞子さま、日本テニス協会名誉総裁に 初代は秋篠宮さま 朝日新聞デジタル(2015年10月10日)2015年10月10日閲覧。
- ^ 眞子さま、英国で修了式 レスター大大学院 産経ニュース(2016年1月21日)
- ^ 「東大関連施設勤務の眞子さま 紀子さまが運命の出会い期待か」女性セブン2016年3月31・4月7日号
- ^ 「施設概要」JPタワー学術文化総合ミュージアム「インターメディアテク」
- ^ “眞子さま、東大総合研究博物館の特任研究員に”. 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2016年4月1日) 2016年7月25日閲覧。
- ^ 眞子さま、日本工芸会総裁に 時事ドットコム(2016年6月15日)
- ^ “眞子さま、ICU大学院に合格 9月入学へ”. 朝日新聞デジタル. (2016年8月20日) 2016年9月25日閲覧。
- ^ “眞子さま、ICU大学院でご研究”. 産経ニュース. (2016年8月20日) 2016年9月25日閲覧。
- ^ “眞子内親王殿下のエルサルバドル国及びホンジュラス国御訪問について”. 宮内庁 (2015年11月10日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “眞子内親王殿下のパラグアイ国御訪問について”. 宮内庁 (2016年8月24日). 2016年9月25日閲覧。
- ^ “皇后陛下お誕生日に際し(平成14年)”. 宮内庁. 2013年10月19日閲覧。
- ^ “「眞子様萌え」の不思議 動画投稿サイトでアイドル扱い”. J-CASTニュース. (2008年6月16日) 2013年10月18日閲覧。、週刊現代(2008年07月19日号)他
- ^ 週刊新潮 2006年9月14日号
- ^ “TBSテレビ番組「2時っチャオ!」(平成20年9月11日)の放送について”. 宮内庁. 2013年10月20日閲覧。
参照文献
- 『読売新聞』2014年3月26日東京夕刊
外部リンク
- 秋篠宮家のご活動 - 秋篠宮夫妻と子女の紹介
- 読売新聞・秋篠宮ご一家の歩み・眞子さま誕生