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2016年11月13日 (日) 03:40時点における版
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東国原 英夫 ひがしこくばる ひでお | |
---|---|
生年月日 | 1957年9月16日(67歳) |
出生地 | 日本・宮崎県都城市 |
出身校 |
宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科卒業 専修大学経済学部経済学科卒業 早稲田大学第二文学部社会人間系専修卒業 早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学 |
所属政党 |
(無所属→) (日本維新の会→) 無所属 |
配偶者 | あり |
公式サイト | 東国原英夫オフィシャルサイト |
選挙区 | 比例近畿ブロック |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2012年12月21日[1] - 2013年12月17日 |
公選第17代 宮崎県知事 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2007年1月23日 - 2011年1月20日 |
そのまんま東 | |
---|---|
本名 | 東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお) |
生年月日 | 1957年9月16日(67歳) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県都城市 |
言語 | 日本語 |
師匠 | ビートたけし |
グループ名 | たけし軍団 |
事務所 | オフィス北野 |
活動時期 | 1982年 - 2006年 |
同期 | とんねるず・コロッケ・小柳トム |
東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお、1957年9月16日 - )は、日本の政治活動家、タレント。元衆議院議員(1期)。第17代宮崎県知事。
かつてお笑い芸人であり、ビートたけし率いる芸人集団・たけし軍団の一員でビートたけしの最初の弟子。俳優、作家としての活動歴がある。タレント時代は『そのまんま東』(そのまんまひがし)や『東英夫』(ひがし ひでお)という芸名で活動していた。身長は171cm。血液型B型。
宮崎県都城市出身。専修大学経済学部経済学科卒業、早稲田大学第二文学部社会人間系専修卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科中退。
タレント活動復帰後はシンクバンクに所属している。
人物
タレント“そのまんま東”として
1980年、フジテレビ『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出て[2]、1981年1月に付き人となる。現在までに数多くいるたけしの弟子の第1号である。デビュー当初の芸名は東英夫であった。
その後、相方の芸能界引退に伴いコンビは解散。京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらった「ツーツーレロレロ」というコンビを結成。3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、東国原は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもん(当時の芸名は大森クンタ)とコンビを組み「ツーツーレロレロ」を続ける[3]。人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消。
1983年末、たけしと東国原以下たけしの弟子たち(たけし軍団)の宴会が開かれ、その席で弟子全員の新しい芸名をたけしが命名した。しかし、東国原は新しい芸名が与えられなかったため、たけしに「殿、私の名前はどうなるのでしょうか?」と聞いたところ「東はもう、そのまんま、東でいいよ」と返答された。これは「お前は従来の芸名『東英夫』を名乗り続けろ」という意味であったが、書記係のラッシャー板前がたけしの言葉の意を勘違いし、『東英夫』ではなく『そのまんま東』とメモし、最終的に半ばシャレで、東国原は「『そのまんま東』という芸名を与えられた」ということにした。北野オフィス所属の漫才コンビ浅草キッドの水道橋博士によると、事務所所属芸人で表立った活動をしている団員に対して東は素っ気無い態度で、軍団内でどうにも使えない半端な底辺の芸人の面倒を良く見ていたという。
引退した山口百恵(現三浦百恵)への全く周りの許可を得ていないプライベート映像を番組が特ダネとして放送した際、他のコメンテーターはプライバシーの問題について放送した番組を擁護する発言を行ったが、東のみが「これはいくらなんでもやりすぎである」と番組を強く批判した。夫の三浦友和はエッセイの中で「擁護する発言をした人たちを忘れはしない。またそのまんま東さんの発言も忘れないし発言に感謝している」と記している[4]。
愛弟子に芸人早川伸吾がいる。なお早川はたけしの初孫弟子でもある。
日本テレビのお笑いバラエティ番組『ビートたけしの全日本お笑い研究所』(1988年4月 - 1988年9月)で ニュースキャスター 「東国原英夫」として出演していた(出演者クレジットは「そのまんま東」)。
上岡龍太郎に誘われ、石田純一らとマラソンに打ち込んだ時期があり、それが現在にも生かされている。
作家活動
不祥事で芸能活動を自粛していた1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、翌1988年にはTBSでドラマ化され、東国原自身もたけし軍団の面々と共に出演。後に結婚することになるかとうかず子もヒロイン役で出演していた。
逮捕・犯罪歴
- 1986年12月9日、ビートたけしに率いられてたけし軍団と共に講談社を襲撃、暴行罪で現行犯逮捕されたが不起訴処分となる。→詳細はフライデー襲撃事件を参照。
- 1997年に催されたオフィス北野の新年会において、当時たけし軍団に在籍していた男性の側頭部を蹴って頭部打撲等のけがを負わせたとして、1999年11月22日に傷害容疑で書類送検された。東国原は暴行の事実を認め、略式起訴で罰金を払い、芸能活動を再度自粛した。東国原の公式ウェブサイトでの説明によると、先輩として規律を正す意味で蹴ったとし、自著の中で件の後輩が事務所の経費を無断で使い込んでいた疑惑に対して「先輩として」怒ってしまったと明かし、暴行傷害行為に至った事については全面的に認め反省を表している。ただし、男性はブログで暴行事件について反論し[5]、後に東国原に500万円の慰謝料などを求める訴訟を起こしている。
不祥事
- 1998年10月13日、東京都内のイメージクラブ店が未成年の従業員を使っていたことで、児童福祉法違反並びに東京都の青少年健全育成条例違反の容疑で経営者が逮捕された。その当時16歳であった従業員の少女が、性的なサービスをした客として東国原の名前を供述したことで、東国原も同容疑で警察から任意の事情聴取を数回受けたが、「18歳未満とは知らなかった」と釈明した。当時の妻のかとうもマスコミを通じ、謝罪の文書を発表した。以後芸能活動を5か月間自粛した。東国原自身は法的に罪を免れたが、倫理的な性質の問題からマスコミでは「淫行事件」として大々的に報道され、社会の激しい批判を浴びることとなった[6]。その後も一部で「東国原は少女への淫行で逮捕された」と誤解されることがあるが、前述の通り、任意の事情聴取のみであるため逮捕・訴追の事実はない。よって、実際には犯罪歴ではない。
政治家として
かとうかず子との離婚後に「前々から政治家になりたいと思っていた」と言っていたことが明かされ、本人の発言やブログの記事からも政治への強い関心を見せるなど、タレント時代から政界への進出を考えていたという。謹慎中に入学した早稲田大学第二文学部社会人間系専修では、卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、卒業後も早稲田大学政治経済学部政治学科に再入学して地方自治を専攻している。同学部入試において出題された小論文の「入学後に学んだことをどのように社会に還元するか?」との課題に対して、「地方自治を学び、それを実践する」という主旨の論述を明確に展開しており、この頃までに地方自治への進出志向が確固たるものとなっていた。
2006年には本人を代表とする政治研究会「そのまんま会」を設立、同12月4日には故郷宮崎県の県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行い、地元での事務所開きにおいて、支援者を前に自らの出馬にかける思いを語った際には過去の不祥事についても自ら切り出し語った。その数日後には所属していたオフィス北野を退社。官製談合事件で当時の現職知事安藤忠恕が逮捕されたことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。当初は過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声や東国原を泡沫候補とする声もあった。
東国原は、選挙活動において、タレント候補にありがちなタレントの選挙応援を一切受けないことで、「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。遊説や立会演説では宮崎弁を使い、早稲田大学出身をアピールし、選挙活動最終日にはマラソンをしながら活動した。宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出した『そのまんまマニフェスト』や無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。
東国原をサポートする政務秘書には元たけし軍団の吉川敏夫が就任。早川伸吾と共に、多忙な東国原の生活面を助けている。
こうして、「しがらみのなさ」や「宮崎を変える」という期待感が県民に好印象を与えたことに加え、保守陣営の分裂という追い風も幸いして、得票のうち約45%を得て当選した。各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが伺える。小学校の卒業文集に「夢は政治家とお笑い芸人」と書いていたが、その夢を2つとも叶えることとなった。
宮崎県知事として
2007年
早稲田受験にあたって、政治家への転身の希望までは告げぬまま、ビートたけしに相談を持ちかけたところ、「どんな政権になっても生き延びるのが芸人であり、社会の問題をただすのは芸人ではない。政治家として活動するのであれば、たけし軍団を脱退し、師弟関係を一度解消すること。」と、政治家への転身の希望を見透かしていたビートたけしから条件付きで承諾を得た。このため、選挙活動は芸名の「そのまんま東」で行ったが、県知事に就任してからは本名で活動している。一方、返上された「そのまんま東」の芸名は、2007年3月にたけしの付き人であるゾマホン・ルフィンが襲名した(2代目)。
作業服で初登庁したり、「椅子をパイプ椅子に変える」「こんな立派な机もいらない」「退職金は出来高払い。議会がいらないと言えばいらない」などの言動が地元では好意的に受け止められている。知事専用の公用車について、当初は「廃止する」と述べていたが、燃費や他の手段を使った場合のコストなどの問題を考え、車種をトヨタの「センチュリー」から、ハイブリッドカーである「クラウンセダン」へ乗り換え、これにより年60万円の公費削減となった。似たような理由で知事公舎にも住んでいない(置き換えられたセンチュリーは競売に掛けられ、255万円で落札(譲渡)された。また副知事車両、出納長車両も同様に競売に掛けられ落札された)。
報道番組やワイドショーに連日報道されたり多くの特集が組まれるようになったとともに、積極的にマスメディアに出演して宮崎県の宣伝を行っており、自らを「宮崎県のセールスマン」と称した。バラエティー番組への出演も多かったことから、「テレビに出演しすぎだ」「知事になってもタレントのつもりでいる」などの批判が一部からも挙がっていたものの[7]、本人は宮崎県の全国に対する効果的なPR活動として重点を置いた。就任後のテレビ番組出演はすべて宮崎県のPR目的であるため、スケジュール、時間的にどうしても不可能な場合を除き、極力出演依頼を断らないようにしていた。また出演料もタレント時代では考えられないような低い条件でも出演を断ることはほぼなかったとのことである。仕事によっては、ほぼノーギャラで交通費など雑費のオファー側負担だけでもテレビ番組やイベントに出演することもあったようだ。
2007年1月23日の知事就任直前に清武町で、そして直後には日向市、新富町で鳥インフルエンザが発生した。この状況に素早く対処すべく、1月29日には中央省庁を訪れ、国からの財政支援などを要請した。また、県内の民放局で流す、県内産の鶏肉や鶏卵の安全性を訴えるCMに自ら出演したり、宮崎県の巨人軍キャンプとソフトバンクの練習場を訪れ、宮崎県産地鶏などを贈呈するなど、風評被害対策のため、鶏肉の安全性を盛んにアピールしている。これらの努力の甲斐もあり、宮崎の地鶏の消費量は、発生前より4割も増加した(その他にも県内特産品のPRも積極的に行っている)。ソフトバンクのキャンプでは監督の王貞治と会って、「王監督の手は神のようだ」と言っていた。
2007年2月15日、「オール野党」とも評される県議会で所信表明演説を行った。その様子はMRT(宮崎放送)で午前9時55分から生中継(所信表明演説の中継は県議会史上初)され、普段は埋まることのない60の傍聴席を求めて93人の市民が訪れるなど、異例づくめの所信表明演説となった。その際に発した「宮崎をどげんかせんと(どうにかしないと)いかん」というフレーズは幾度となくマスコミに取り上げられ、注目を集めた。この言葉は流行語大賞にも選ばれた。なお、実際には「どげんかせんないかん」が正しく、本人もそう発声している。地元都城では、「どげんかせんといかん」と発声することはまずない。また、「どげんか」と発声するのは実際には鹿児島地方で、都城は旧薩摩藩領だったため同様に言うのであって、宮崎市などは「どんげか」と発声する。こういったことが間違った形で広まり、流行語大賞も間違った形でノミネート・受賞に至っている。
2003年に4億9600万円の公費を費やして建設された知事公舎を批判し、選挙前から住んでいるマンションに知事に当選後も住んでいたが、当選後は自宅マンションや近隣住民への悪戯が多く迷惑を掛けているとの理由で勤務先の県庁に歩いて行ける近場のマンションをローンで購入し、2007年3月29日から住んでいる。
知事選で争った、自民党推薦の持永哲志を副知事に迎えるという人事構想を抱く。自民党会派が勢力を占める県議会とのパイプ役や中央省庁とのパイプ役を模索していると報道されるが、「脱・官僚」を期待して東国原に投票した県民の反発を招き、起用を断念した。副知事には総務省出身で宮崎県に出向中の河野俊嗣(現・宮崎県知事)を起用した。
2007年4月16日の定例記者会見において、「特に発表することがない場合は(会見を)カットしてもよいのではないか」、「毎日取材に答えているので、改めて話す内容はない。それでもやる意義はあるのか」などとして、各社の記者と20分間にわたり問答を繰り返した。
後に出演した『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)4月29日放送分でも「特に発表することがない場合でも、わざわざ12時まで会見時間を設けるのは効率が悪く、浮いた時間を公務に回すべき」(通常の定例記者会見が11:00〜12:00の1時間で行われるため)と発言したが、かつての長野県知事である田中康夫のように記者クラブを撤廃させようというものではなく、あくまでも県政の効率化のための提案であることを述べている。その際は一部保守系メディアから非難を受けた[8]。
2007年4月に宮崎日日新聞社が行った世論調査は、支持86.7%、不支持1.1%であった。
2008年
2008年1月20日に、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)を母体とする「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(通称:せんたく)の設立に発起人として参加。
道路特定財源問題では「暫定税率維持」の方針を明確に打ち出し、「暫定税率撤廃」を主張する政党(主に民主党)や議員に対して、連日テレビで批判を繰り返した。この為、東国原は新「道路族」と呼ばれる事もある[9]。
2008年6月、宮崎県議会の一般質問に於いて、現在は予定額250万円以上の全ての工事を一般競争入札であるのに対して、「今の方法がベストではない。検証結果を踏まえ、その都度見直す」と指名競争入札の復活も検討する方針を示した。[10]
2007年1月から2008年9月30日までの間に政治資金パーティーを11回開き、約6000万円を集金した。東国原の前任者で、競売入札妨害容疑によって逮捕された安藤忠恕の政治団体(明日の宮崎を創る会)に寄付していた県建設業政治連盟(宮崎県内の建設業界による政治団体)も、東国原のパーティ券を購入していた[11]。
衆院選出馬騒動
2008年の騒動
2008年10月、地元宮崎県選出の代議士・中山成彬(宮崎1区)が次期衆議院議員総選挙に出馬せず、引退を表明した際には宮崎県政界の中に東国原を後継候補者として擁立する動きがあった。しかし、東国原は10月6日、「現時点で(衆議院の)総選挙に出る意思はない。知事の任期を全うしたい」と衆議院総選挙出馬をしないことを表明した[12]。しかし、程なく変節し、11月20日夜に延岡市内で行われた講演で、「なるからには閣僚か、トップです。初当選、初入閣[13]」と述べた。
2009年の騒動
2009年6月23日、当時自由民主党選挙対策委員長であった古賀誠と会談し、次期衆議院議員選挙への出馬を要請された。それに対して、全国知事会の改革案を一言一句違わずに受入れることや自身を「自民党総裁候補」とすることを条件として提示した。一方で、同日FNNスーパーニュースに出演し、「民主党で出馬する方が、早く改革できるのでは?」と問われたのに対し、「党としての経験が蓄積されていることを重視し、自民党が下野することになっても民主党で出馬することはない」と発言し、相対的に自民党を支持していることを示唆した。会談の仲介役となったのは、早大時代の友人である唯是一寿。[要出典]
2009年7月1日、毎日新聞の朝刊において、地方分権担当大臣または無任所の大臣としての入閣との報道がされた。これを受けて、同日、宮崎県高千穂町で報道陣の問いかけに対し、「大臣であろうがなかろうが、自民党が変わるならお受けします」旨返答し、改めて次期衆議院議員選挙へ出馬する意向を示した。さらに、翌日付の朝日新聞において、民主党が自らを代表に選ぶことはないとの見込みを理由に、自民党から出馬することを改めて表明し、「自分が自民党から出馬すれば自民党は負けない、負けさせない」「(国会議員になった場合)次期県知事には自分の継承者を指名した上で口出しするから、事実上の県知事は自分であり、次期県知事は傀儡政権である」旨の発言をしたと報道された
2009年07月01日、政治資金パーティーにて、「(国政に)行くなと言うんだったら行かない。1年半プラーっとさせてもらう」、「(2010年度の)予算編成して来年2月に議会に示し、採決されれば事実上、僕の仕事は終わり」と発言していた事が報じられた[14]。
2010年から任期満了へ
2010年日本における口蹄疫の流行は宮崎県畜産家を直撃した。県の対応については、3月下旬に感染が疑われる牛が見つかったにもかかわらず最初の感染事例として公表したのが4月20日であったことから、3月に対策をとっていれば感染拡大は防げたと指摘されている[15]。
2010年6月、対アジア戦略に関するインタビューで「僕は福岡と韓国・釜山(プサン)に海底トンネルを掘り、新幹線、あるいは高速道路を通せないかと考えています」との日韓トンネルに関する持論を展開している[16]。
2010年11月下旬に県内への企業誘致社数が99社に達し、マニフェストに掲げていた100社まで後1社となっていた。2010年12月2日、遂に企業誘致社数がマニフェストに掲げていた100社に達する。
スポーツ報知が2010年8月27日付け裏一面で「次期知事選不出馬、都知事選出馬を検討」と報道。2010年9月29日の県議会本会議答弁で、任期限りの退任を正式表明し、2011年1月20日をもって任期満了し退任した。
知事退任後
2011年2月10日、政治団体「英(はなぶさ)の会」を設立した[17]。同年4月実施の2011年東京都知事選挙へ立候補し[18]、1,690,669票を集めたが、現職の石原慎太郎知事に90万票強の大差を付けられ、落選した。ただし、得票数は全立候補者中、石原に次ぐ2位であった[19]。なお知事退任後もテレビ出演等での名義は「そのまんま東」ではなく、東国原英夫名義である。
2012年12月に行われた第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会から比例近畿ブロックに出馬、比例単独の名簿順位1位として当選した。
衆議院議員として
2013年2月8日、国会デビューとも言える予算委員会初質問に立った。内容は『地方公務員給与の削減は「国の横暴」だ』[20]というものであった。
2013年10月8日、日本維新の会の広報委員長に就任。
2013年12月17日、「日本維新の会の原点である理念、政策、方向性が変質・変容している感が否めない」[21]として会派を離脱し議員辞職[22][23]。
発言・主張
国会議員の本会議・委員会・勉強会への遅刻や(特に携帯電話に出るための)途中退席・私語・野次・居眠りが常態化していることを厳しく批判している[24][25]。
略歴
- 1957年(昭和32年)9月16日 - 宮崎県にて出生。後に鹿児島県霧島市に移転。両親ともに鹿児島県出身である。姉がいる。
- 1976年(昭和51年)3月 - 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科を卒業。
- 1976年(昭和51年)4月 - 専修大学経済学部経済学科入学。
- 1980年(昭和55年)3月 - 専修大学経済学部経済学科卒業。
- 1980年(昭和55年)12月 - フジテレビ のお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。
- 1981年(昭和55年)1月 - ビートたけし(ツービート)の最初のボーヤ(付き人)となる。
- 1983年(昭和58年)9月 - 『お笑いスター誕生!!』で「ツーツーレロレロ」として出場し、金賞を受賞。
- 1985年(昭和60年) - フリーアナウンサー片平きみよ(現・片平夏貴)と結婚。
- 1986年(昭和61年)12月9日 - フライデー襲撃事件。師匠たけし及びたけし軍団のメンバー10人とともに逮捕される(後に不起訴)。
- 1989年(平成元年) - 片平きみよと離婚。
- 1990年(平成2年)3月 - 女優のかとうかずこと再婚。
- 2000年(平成12年)4月 - 社会人入試(英語と小論文)で早稲田大学第二文学部社会人間系専修入学。
- 2004年(平成16年)3月 - 早稲田大学第二文学部社会人間系専修卒業。
- 2004年(平成16年)4月 - 社会人AO入試で早稲田大学政治経済学部政治学科入学。
- 2006年(平成18年)2月3日 - かとうかずこと離婚。
- 2006年(平成18年)3月 - 早稲田大学政治経済学部政治学科中途退学
- 2006年(平成18年)12月13日 - オフィス北野(所属事務所)との契約を解消(事実上の芸能界引退)。
- 2007年(平成19年)1月21日 - 第17回宮崎県知事選挙(無所属)当選。有効票数は266,807票。
- 2011年(平成23年)1月20日 - 宮崎県知事を任期満了により退任。
- 2011年(平成23年)3月22日 - 東京都知事選挙に立候補することを表明。
- 2011年(平成23年)4月10日 - 東京都知事選挙にて落選。
- 2012年(平成24年)12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙(日本維新の会)にて初当選。
- 2013年(平成25年)12月17日 - 日本維新の会を離党し、衆議院議員を辞職[26]。
- 2014年(平成26年)9月16日 - 20歳年下の一般女性と入籍した旨を自身のツイッターで公表[27]。
エピソード
- 「東国原」姓は鹿児島県曽於地域において見られる姓である。両親は鹿児島県出身かつ在住であり電話帳で確認する限り宮崎県内に東国原姓はいない。また、原の字を「ハル」や「バル」と読ませるのはこの地域に限らず九州地方以南の地名等によく見られる読み方である(田原坂、西諸県郡高原町、鹿児島市紫原、古墳で名高い西都原、長者原駅、沖縄県山原など)。但し、読み方にはいくつかあるようで、地域によっては「ひがしくにばる」「ひがしこくばら」といった読み方も存在する。
- 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校時代はハンドボール部に所属。高校総体にも2年連続で出場した。
- 実父は手広く不動産業を営んでおり、初めての男児であった彼を可愛がり自分の名から一字を取り「英夫」と命名するほどであったが、商売上のトラブルから、自宅を放火されたことがある。晩年は事業に失敗し、変死している。自殺かどうかははっきりとは語られてはいないともされているが、TBSの人生再現ビデオでは、8歳のときに生き別れたきり会うことはなく(ただし実父は息子が忘れられず遠くから彼の様子を見ていたことがあったという)、その7年後の冬に自殺したとされている。また別に家庭のあった実父と母は入籍しておらず、妾宅であったことを小学生の時に知ったという。
- 実父と別れて後、母がつむぎ職人の男性と結婚したため東国原姓となった
- フライデー襲撃事件でたけしの呼び出しを受けた時、講談社から本をだしたかったので本当はやりたくなかった。講談社に着いてエレベーターに乗る時、ワザとゆっくり歩いて先に皆を乗せた。
- 1999年度のNHK『第50回NHK紅白歌合戦』で、野猿を率いていたとんねるずを見て、お笑いの世界からの引退を決意したと、『ナンバー2 〜一番になれなかった天才達の物語〜』で語った。なお石橋貴明とはプライベートでも長きに渡る交流がある。
- 私生活では2度の離婚歴がある。宮崎県知事就任後の2008年4月にも女性問題が広く報じられ、150万円の手切れ金を渡したことが報道された[28]。
- 公式ブログでは「ワーキングプア」を自称しているが2007年度の推定所得は約4110万円(給与所得約1200万円、雑所得(テレビ出演料、講演費など)約2860万円、一時所得約50万円(2007年度))と高額所得者であり、ワーキングプアと呼ばれる低収入層には位置しない年収を得ている[29]。知事就任以降、自らの給与をカット(知事報酬を20%削減)している。
- 2006年10月に宮崎県高千穂町の天岩戸神社に近い聖地・天安河原を訪れた際に「宮崎に帰って来てください」という天の声を聞き、これがその後の知事選出馬のキッカケとなったと話している[30]。
- 2007年に宮崎県知事として、笑っていいとも!に出演。顔にモザイクがかかり、ヒントを頼りに誰かを当てる問題で、東国原の顔にモザイク、ノーヒントであるにもかかわらず、6人中3人が正解するという珍事が起きた。
- 2008年アメリカ合衆国大統領選挙で勝利した民主党のバラク・オバマについて、「演説が上手というような評価ですが、私から言わせると、その技量は普通[31]」と評した。
- 上記の通り、マラソンに打ち込んでいることで有名である。TBSのオールスター感謝祭の赤坂5丁目ミニマラソンには出演する際には必ず参加したり、日本テレビの24時間テレビ 「愛は地球を救う」のチャリティーマラソンについて「誘いがあれば検討したい」と述べていた[32]。なお、政界で同じくマラソンに打ち込んでいる鈴木宗男をライバル視しており、2008年東京マラソンでは敗北したものの、2009年東京マラソンでは鈴木宗男よりも早くゴールインした。なお、東京マラソン後に政務をこなした[33]。
- 宮崎県知事就任後も師匠のビートたけしの事は「神の様な人」と尊敬している。公人でありながらテレビ番組の中では靴で頭を叩かれるなどたけしからは芸人時代同様の扱われ方をすることがあるが憤慨することはない。
- 2009年の『M-1グランプリ』に同大会の大会委員長である島田紳助から直々にオファーがかかり、漫才経験者でもあったことを活かし『M-1グランプリ2009』の審査員を務めた。なお、政治家経験者で審査員となったのは青島幸男、西川きよし、立川談志に次いで4人目で、現職政治家並びに都道府県知事が審査員を務めるのは初となった。
- 2010年2月14日の「延岡西日本マラソン」でランナーとして走る事を表明し、制限時間3時間30分という厳しい大会であるにもかかわらず、3時間23分45秒(270位)という好成績で完走した。大会前日のレセプションで、河野俊嗣宮崎県副知事(当時)により「役所が一番忙しい1月に496キロも走りこんでいた」というエピソードが披露された。
- 2011年11月10日に銀座のふぐ料理店で裏メニューのふぐ肝料理「肝ポン酢」を食べた女性客が食中毒を起こした事件で、その女性と同席していた東国原が「肝ポン酢」を注文したと報道がされた。東国原は自身のブログで「九州の宮崎・大分等には毒性のないふぐの肝が提供されることが多々あります」「(毒性が無いと認識していたので)いつものようにごく普通に「肝ポン酢」と注文したわけです」とコメントしているが[34]、東京都や宮崎県の保健所は「全国のどこであってもふぐ肝料理は違法」と東国原の主張を否定している[35]。
出演作品
テレビ番組
- 痛快なりゆき番組 風雲!たけし城(TBS系)2代目家老 東国原英夫守三太夫Jr.(ひがしこくばる ひでおのかみ さんだゆう じゅにあ)
- 号外版 風雲!たけし城(TBS系)
- そのまんま東のバーチャル情報局
- そのまんま東のバーチャルZ
- ニョキニョキ植物王国(テレビ東京、1994年10月 - 1995年3月)
- ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!! - 準レギュラー
- オールスター感謝祭 - 個人別歴代最多の4回総合優勝[36]を誇る。知事就任後も「赤坂5丁目ミニマラソン」の走者としてゲスト出演していた。現在も解答者として出演。
- オレたちひょうきん族(主に末期)
- カジノザウルス - 数回、島田紳助の代行司会を担当した。
- クイズ$ミリオネア レギュラー放送最後の一千万円挑戦者。1問目から13問目までライフライン未使用で14問目まで正解するも15問目で不正解、百万円獲得。
- 森田一義アワー 笑っていいとも!-木曜レギュラー、また知事就任後の2007年4月30日放送分と2011年6月7日にもゲスト出演。
- なるほど!ザ・ワールド(フジテレビ)- 主に田村英里子とペアで出演していた。
- スター爆笑Q&A(末期の頃、お友達席で不定期出演。それ以前にもゲスト出演あり。)
- スーパーJOCKEY
- ビートたけしのお笑いウルトラクイズ
- とんねるずの生でダラダラいかせて!!
- セイシュンの食卓
- ビデオあなたが主役
- 超次元タイムボンバー - 準レギュラー
- 紳助のサルでもわかるニュース
- まっ昼ま王!!(火曜日)
- 上岡龍太郎がズバリ!
- ここがヘンだよ日本人
- 日立 あしたP-KAN気分!
- アッコの泣かしたろか!?
- 奇跡体験!アンビリバボー
テレビドラマ
- 青が散る(1983年、TBS系)
- 第7話「恋をせおったラクダたち」 - ウルトラマンの撮影監督 役
- ビートたけし殺人事件 失われた魔人の伝説(1989年10月、TBS系)
- 白い巨塔(1990年、テレビ朝日系)-安西医局長 役
- 誰にも言えない(1993年、TBS系)-栗林俊治 役
- 誘惑(1990年4月-6月、TBS)-岸森博 役
- 世にも奇妙な物語 『死後の苦労』(1990年、フジテレビ系) ‐ 香川良夫
- 世にも奇妙な物語 『死神』(1991年、フジテレビ系)
- 月曜ドラマスペシャル 十津川警部シリーズ13『特急「しなの21号」殺人事件』(1997年9月29日、TBS系)-安木刑事 役
- はぐれ刑事純情派(2001年) - 内村勇作
- 金田一少年の事件簿(2001年、日本テレビ系)
- 土曜ワイド劇場 牟田刑事官VS終着駅の牛尾刑事そして事件記者冴子2『暗渠の連鎖』(2002年12月28日、テレビ朝日系)-三上茂美 役
- VICTORY! 〜フットガールズの青春〜 (2003年11月22日、フジテレビ系)
- はぐれ刑事純情派 第16シリーズ『誤解逮捕が悲劇を生んだ!2300万円の殺意!?』(2003年6月25日、テレビ朝日系)-松田 役
- 土曜ワイド劇場 救急救命士・牧田さおり4『緊急出動! 毒劇物災害の現場になぜ刺殺体?』(2005年11月12日、テレビ朝日系)-北村光男 役
- 下町ロケット(2015年10月 - 12月、TBS) - 根木節生 役
映画
- 獅子王たちの夏(1991年)
オリジナルビデオ
- 真・雀鬼3 東西麻雀決戦(1999年)
情報番組
舞台
- ペコロスの母に会いに行く(2016年) - ユウイチ(ペコロス) 役
ラジオ
- ビートたけしのオールナイトニッポン(1990年ごろ、たけしの代理 ニッポン放送系)
- そのまんま東のぐらぐらグラッチェ(1990年10月-1991年3月 ニッポン放送)
- そのまんま東のグラッチェ電リク(1991年5月-1991年9月 ニッポン放送)
CM
その他
- FUNKY MONKEY BABYS 「そのまんま東へ」 (CDジャケットにもそのまんま東のアップ写真が起用されている)
知事就任後
テレビ
- いつみても波瀾万丈(2007年5月6日、日本テレビ系)
- サンデージャポン(TBS系)就任後より、不定期ながら密着取材を受けている。ただし、宮崎県を含む九州・沖縄圏では未放送。
- 朝まで生テレビ!(2008年3月28日25:20〜 テレビ朝日系)パネラー
- おーい、ニッポン(2008年2月)
- 裸の大将放浪記〜宮崎の鬼が笑うので(2008年5月フジテレビ)-宮崎県庁のシーンで架空の宮崎県知事として出演
- 平成教育委員会(2007年(解答者として)、2008年 フジテレビ)
- モクスペ・有名人最恐怪談SP(2008年8月7日)
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)
- MRTイブニングニュース(宮崎放送)
- UMKスーパーニュース(テレビ宮崎)
- 延岡西日本マラソン ゲスト解説(2008年から、制作局:テレビ宮崎)
- 東国原知事特別出演 「よかとこ宮崎SP」(旅チャンネル)
- THE・サンデー NEXT(日本テレビ、2008年10月〜2011年1月)
- おにぎりあたためますか(北海道テレビ放送、2008年12月)
- 情報7days ニュースキャスター(TBS系、2009年2月7日・12月26日に出演)
- サキヨミLIVE(フジテレビ系、時折出るときがある)
- 知事就任後はVTRなど、報道番組への出演が多くなっている。
- M-1グランプリ2009審査員(2009年12月20日ABC制作・テレビ朝日系)
- ワイドナショー(フジテレビ)- 不定期出演
- くりぃむクイズ ミラクル9 - 不定期出演
- プレバト!!(MBS)- 不定期出演
- バイキング(フジテレビ系)-不定期出演
- 田村淳の訊きたい放題(TOKYO MX)-不定期出演
ラジオ
- 〜日本をどげんかせんといかん!〜東国原英夫のオールナイトニッポン(2007年3月9日 ニッポン放送。宮崎放送から全国に生放送)
- 夕やけ寺ちゃん 活動中(2011年8月25日、9月14日文化放送コメンテーターとして出演)
- ザ・ボイス そこまで言うか!(2011年8月・10月・12月、2012年1月6日〜 ニッポン放送・水曜レギュラー)
映画
- 三十九枚の年賀状(2008年) ※特別出演 - 宮崎日日新聞と九州電力宮崎支店が主催する「お茶の間エッセー」特選受賞作品を原作としている
- 劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!(2008年) 本人役として特別出演(声) - 九州・沖縄地方で上映したバージョンのみに登場。
- 佐賀のがばいばあちゃん(2009年) 郵便配達役で特別出演
- ウルトラマンサーガ(2012年) - 触角宇宙人・バット星人(声) 役
著書
「そのまんま東」名義
- 『ビートたけし殺人事件』(太田出版、1988年2月) ISBN 4900416371
- 『明石家さんま殺人事件』(太田出版、1989年4月) ISBN 4900416592
- 『伝言ダイヤル殺人事件』(太田出版、1990年12月) ISBN 4872330102
- 『そのまんま東のそんなバカな!?』(海越出版社、1993年5月) ISBN 4876971552
- 『東国原家の夏休みinダーウィン』(碧宙出版、1999年5月) ISBN 4921104026
- 『どん底』(音羽出版、2000年5月) ISBN 4901007106
- 『ゆっくり歩け、空を見ろ』(新潮社、2001年2月) ISBN 4104439010
- 『芸人学生:僕が学びつづける理由』(実業之日本社、2004年11月) ISBN 4408106143
- 『60歳を人生ピークにもっていく法:今日からできる、誰にでもできる!』(KKロングセラーズ、2005年12月) ISBN 4845420910
- 『どん底』(音羽出版、2007年2月)※新装版 ISBN 4901007289
「東国原英夫」名義
- 『宮崎発 日本を変えんといかん』(集英社、2007年4月) ISBN 9784420310178
- 『宮崎で生まれた改革の波は、そのまんま〜東へ!』(ベストセラーズ、2007年4月) ISBN 9784584130018
- 『そのまんま日記』(角川書店、2007年4月) ISBN 9784048839815
- ※オフィシャルサイト(後述)で書かれていた日記をまとめたもの
- 『ニッポンを繁盛させる方法』(角川書店、2007年11月) ISBN 9784047101210
- ※お笑い芸人の島田紳助との対談
- 『絆 佐賀のがばいばあちゃんと宮崎のてげなかあちゃん』(徳間書店、2008年3月) ISBN 9784198624958
- ※お笑い芸人の島田洋七との対談
- 『芸人学生、知事になる』(実業之日本社、2008年5月) ISBN 9784408420059
- ※2004年刊『芸人学生』の増補改訂版
- 『知事の世界』(幻冬舎、2008年5月) ISBN 9784344980839
受賞歴
- 第20回日本メガネベストドレッサー賞(2007年)
- GQ MEN OF THE YEAR 2007(2007年)[37]
東国原を演じたことがある人物
- 山寺宏一(ヤッターマン(第2作))
- 高橋ジョージ、今井悠貴(少年時代)(「ゆっくり歩け、空を見ろ」関西テレビ制作・フジテレビ系列、2008年4月1日放送)
参考文献
- 『東国原知事は宮崎をどう変えたか』(ミネルヴァ書房、2009年9月) ISBN 9784623055760
- 梁瀬敦 編『日本のタブー――芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月。ISBN 978-4813066675。
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ このとき桂三枝(現・六代目桂文枝)の弟子になる考えも持っていた
- ^ そのまんま東『60歳を人生ピークにもっていく法』KKベストセラーズ
- ^ 三浦友和『被写体』マガジンハウス、1999年。ISBN 978-4838711635。
- ^ “そのまんま東 刑事事件”. 北海ジャンジャンのジャジャジャン! (2007年1月28日). 2013年6月17日閲覧。
- ^ 「有名人の性犯罪まとめ――政治家」(芸能人犯罪 & 2012-09, p. 17)
- ^ 「功績認められた」東国原知事、”出過ぎ”批判あるもPR活動に意欲、2008年5月30日、ニュース-ORICON STYLE-
- ^ 宮崎日日記事にキレる 東知事「テレビだけの会見でも」、2007年6月18日、J-CASTニュース
- ^ ■<寄稿> 一方を聞いて決めつけるな! -道路特定財源を例に政策論争を考える / 商学部教授 太田 和博、2008年7月号、ニュース専修 ウェブ版
- ^ [入札制度改革:「見直す」知事が見解、2008年6月24日、毎日新聞
- ^ 政治資金:東国原・宮崎県知事 パーティ券で6000万円集金/「脱談合」の建設業界からも、2008年9月30日、毎日新聞(オッショイ!九州)
- ^ 東国原知事が不出馬表明 次期衆院選産経新聞 2008年10月6日閲覧
- ^ 東国原知事:国政転身の条件は「初当選、初入閣」…講演で、2008年11月21日、毎日新聞
- ^ [1]宮崎日日新聞 2009年07月01日
- ^ 読売新聞2010年5月18日
- ^ 東国原英夫「福岡-釜山に海底トンネルを掘り、新幹線を」(Searchina、2010年6月2日)
- ^ “東国原氏、都内に新政治団体=都知事選を視野に”. 時事通信. (2011年2月25日) 2011年4月16日閲覧。
- ^ “東国原氏、都知事選出馬を正式表明”. 朝日新聞. (2011年3月22日) 2011年4月16日閲覧。
- ^ “’11統一選:知事選(その1) 石原氏、4選果たす /東京”. 毎日新聞. (2011年4月11日). オリジナルの2011年4月16日時点におけるアーカイブ。 2011年4月16日閲覧。
- ^ 東国原氏が国会デビュー=地方人件費削減は「暴挙」-衆院予算委時事通信 2013年2月8日
- ^ 東国原衆院議員:議員辞職 毎日新聞 2013年12月17日
- ^ 『官報』第6196号9ページ「国会事項 衆議院 議員辞職」、2013年(平成25年)12月19日
- ^ 東国原氏が議員辞職願 衆院事務局に提出 共同通信2013年12月17日
- ^ [2]2014年3月24日閲覧
- ^ [3]2014年3月24日閲覧
- ^ 東国原英夫衆院議員の辞職許可 NHK 2013年12月17日
- ^ 東国原英夫公式Twitter 2014年9月18日付
- ^ 弟子に芸人の早川伸吾がいる。東国原知事、手切れ金認めた「女性に心当たりある」、2008年4月25日、サンケイスポーツ
- ^ 東国原英夫知事、副収入は給与の2倍超、2008年4月8日、産経新聞(電子版)
- ^ 養父信夫氏との対談記事、九州のムラへ行こう vol.2、2007年、(株)マインドシェア
- ^ 東国原知事「総選挙も影響があるのでは」、2008年11月5日、日テレNEWS24
- ^ 日刊スポーツ:東国原知事「24時間」マラソンに興味
- ^ 東国原知事お疲れ 東京マラソン完走→会議出席→宮崎へ戻り「足腰フラフラ」:社会:スポーツ報知
- ^ そのまんま日記(2011年12月11日)
- ^ 銀座「フグ騒動」の主役は東国原英夫氏 「可食性フグ肝ある」と主張するが保健所は全面否定(J-CASTニュース、2011年12月13日)
- ^ 1994年秋、1997年春、1997年特別編(大晦日放送)、2016年春
- ^ “過去のMen of the Year受賞者たち【国内編】”. GQ JAPAN. 2014年11月21日閲覧。
関連項目
- たけし軍団関連
外部リンク
- そのまんま東オフィシャルサイト (公式サイト)
- 東国原英夫 「そのまんま日記」 (公式ブログ)
- 東国原英夫 (@higashi_kokuba) - X(旧Twitter)(公式ツイッター)
- 2007年1月宮崎県知事選結果 (『ザ・選挙』)
- 特集・東国原知事に学ぶ危機管理 (BPnet・SAFETY JAPANより)