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2016年11月6日 (日) 08:25時点における版

崎谷 健次郎
さきや けんじろう
出生名 崎谷 健次郎
生誕 (1962-12-30) 1962年12月30日(61歳)
出身地 日本の旗 日本広島県福山市
学歴 日本大学芸術学部音楽学科中退
ジャンル J-POP、アダルトコンテンポラリー
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
キーボード
ピアノ
ギター
活動期間 1983年- (キーボーディスト
1985年- (作曲家
1987年- (歌手
レーベル PONY CANYON SEE-SAW
MOONLIGHTING RECORDS
LUNCH TIME CAFÉ / IMPRESSION
UNIVERSAL MUSIC
事務所 1983年 VIZION OFFICE
1987年-1998年 CANYON MUSIC
1999年-2006年 MOONLIGHTING
2006年-2007年 OFFICE WALKER Walker Brothers
2008年- IMPRESSION
共同作業者 秋元康Kenn Kato田口俊
武部聡志松井五郎有木林子
公式サイト kenjirosakiya.com
モーリス・ラヴェル
イーゴリ・ストラヴィンスキー
スティーヴィー・ワンダー
ダニー・ハサウェイ
クロード・モネ
古賀春江川端康成三島由紀夫
若尾文子

崎谷 健次郎(さきや けんじろう、Kenjiro Sakiya1962年12月30日 - )は、日本シンガーソングライター音楽プロデューサーである。広島県福山市出身。1983年にキーボーディスト、1985年に作曲家としてスタートを切り、1987年に「思いがけないSITUATION」でシンガーソングライターとしてデビュー。Adult Contemporaryの国内先駆的存在で、代表曲に「もう一度夜を止めて」があり、斉藤由貴夢の中へ」、中山美穂これからのI Love You」などのヒット曲で知られる。

来歴

幼少・青年期

1962年

広島県福山市に生まれる。名前は海外でKenと呼ばれるように「健」と俳優の石原裕次郎を名を重ね合わせて、父から広い世界での活躍を願って名付けられた[1]

1965年 - 1971年

3歳のころ、米軍キャンプでジャズ修行をしていた父の影響下でピアノを弾き始める。小学生のころ、父の手解きで、クラシック、ジャズ、カントリーデューク・エリントンから服部良一など様々なジャンルのピアノ演奏を教わる。

1972年 - 1977年

10歳のころ、ラジオから流れてくる洋楽に興味をもち作曲を始める。中学生のころ、吹奏楽部に所属しながらクラシック・ピアノも始め、コピーバンドを組む。

1978年 - 1980年

広島県立松永高等学校に進学する。ラヴェルストラヴィンスキーなど近代クラシックに目覚め、テクノディスコパンクニュー・ウェイヴにも親しみつつ、オリジナル・バンド活動を行う。『福山市民憲章歌作曲コンクール』では優勝し、才覚を現わし始めた。芦田川をイメージした「流れによせる歌」(唄:芹洋子、EP キングレコード NCS-1177)は、福山市民の歌として祭典などで歌い継がれている。

バンド・VIZION 時代

1981年 - 1983年

日本大学芸術学部音楽学科に進学し、在学中に『VIZION(ビジョン)』を結成した。MTRと生演奏をシンクロさせたライブを考案したことで注目され、崎谷はヴォーカル、キーボード、作曲を担当するなどリーダーとして中心的役割を果たす。バンドには、有賀啓雄松本晃彦が在籍し、後に音楽業界で活躍することとなるメンバーを擁していた。キーボードのバックアップが堅固となったため、崎谷がヴォーカルを本格的に取り組む意思を固める。

サポート・キーボーディスト 時代

1983年

VIZIONの1st.アルバム『サイカティック・キューブ』がリバスターレコードよりリリースされる。VIZIONとしては本作のみの発表に止まっている。また、キーボードプレイヤーとして活躍の場を広げ始める。あんべ光俊郷ひろみSALON MUSIC山下久美子などの様々なアーティストのサポート・キーボーディストを担当する。オフコースはライヴ・リハーサルに参加したようであるが、音楽性の相違から早々に辞退したと伝えられている。また、音楽雑誌記者もしていた。

作曲家デビュー

1985年

5月、作曲家としてデビュー。最初の提供曲は稲垣潤一 「the Rule Of Love」である。提供する際のデモテープは、多重録音を施したほぼ完パケ(完全パッケージ)に仕上げており、早い時期からシンクラヴィアを導入してファンク・ロックシーンに衝撃を与えていることと共に、当初から音楽関係者にその制作才能を注目された。その後、高橋真梨子永井龍雲などのメジャーレコード・シンガーへの楽曲提供が続く。

1986年

彩恵津子斉藤由貴中村あゆみなど多くのシンガーやアイドルへの楽曲を提供している。また、デモテープに録音した崎谷の歌う仮歌も音楽関係者の耳にとまるところとなり、シンガーとしてのデビューが決定する。

シンガーソングライター・SEE-SAW / PONY CANYON 時代

1987年

3月にシングル「思いがけないSITUATION」(映画『いとしのエリー』主題歌)でポニーキャニオンよりソロデビュー。6月、デビューアルバム『DIFFERENCE』を発表した。当初、崎谷が収録を予定していた「もう一度夜を止めて」がシチズン「LIGHT HOUSE」TVCFイメージソングへのタイアップが決定し、10月にシングルとして発売し、スマッシュヒットとなった。その結果、次のアルバムのコンセプトに合わせるため、崎谷自身がシングルとは異なる編曲でrequestとして収録することとなった。

1988年

3月、2nd.アルバム『Realism』をリリースし、オリコンチャートで12位を記録した。4月、中村由真にシングル「千年の涙」を提供。6月、渡米し、ニューヨークハウスミュージックに出会う。当時の雑誌やラジオで「新しい時代のロックのようなもの」と語られたハウスミュージックの影響は、7月に英語詞の12インチシングル「THIS TIME」、10月にシングル「風を抱きしめて」の直後のリリースに表現されている。

1989年

4月、アメリカで学んだハウスミュージックを大胆に取り入れた自他への作品群を同時発表する。プロデュースした斉藤由貴のシングル「夢の中へ」は井上陽水の1973年作品のカバーで、オリコンチャート2位、売上枚数40万枚を記録し、この曲で崎谷はハウスミュージックを初めて日本のお茶の間に持ち込むことに成功した。斉藤由貴のアルバム『âge』では全曲の作曲・編曲・演奏・コーラスのサウンドおよびヴィジュアルプロデュースをした[2]。前掲のシングル曲を含まないアルバムながら、オリコンチャートでは4位を記録している。崎谷自身もシングル「I Wanna Dance」をリリース。シングル曲を含めたアルバム『KISS OF LIFE』でも、ハウスミュージックやクラブサウンドを深く取り込んでいる。11月にリリースしたシングル「Because Of Love」は直接的にこの流れを汲まないオーケストラによるクラシック調のバラードで、オービックのTVCFソングとして数年間オンエアされた。

1990年

3月にシングル「さよならも言わずに」、4月にアルバム『ただ一度だけの永遠』」をリリース。前作とは打って変わって生楽器をフィーチャーし、イギリスのロイヤルフィルハーモニックオーケストラと共演する。公式ファンクラブ『Crescent』の活動が本格化する。10月には両A面シングル「きみのために僕がいる」/「夜のない一日」を発表した。結婚をテーマにした前者はM&F住販のTVCFイメージソングとなり、後者は山田洋行ライトヴィジョン制作映画『マドンナのごとく』の主題歌となった。また、プライベート・スタジオを「文子」と命名する。これは、崎谷が「美しい」と敬愛する映画女優・若尾文子に由来する。11月、駒澤大学にて、音楽雑誌『キーボードスペシャル』の企画で陣内大蔵と公開対談する。

1991年

2月、中山美穂に提供したシングル「これからのI Love You」はオリコンチャート3位を記録した。3月、苗場プリンスホテルで開催された稲垣潤一コンサートに参加。また、シングル「孤独の標的」をリリースし、カップリングの「25:00の嵐」は東映Vシネマ『ブラックプリンセス2 炎の標的』の主題歌となった。4月にシングル曲のリミックスを収録したアルバムは、「両価感情(ある対象に対して、相反する感情を同時に持ったり、相反する態度を同時に示すこと)」をテーマ・タイトルにした『ambivalence』を発表した。このメロディアスなポップス集には種ともこ斉藤由貴KATSUMI楠瀬誠志郎上田浩恵三柴理をゲストに迎えている。また、デビュー以前から親交があった音楽プロデューサー武部聡志を介して知り合ったKATSUMI、楠瀬とは、コーラスユニット"adam"を結成。高嶋政宏、KATSUMI、崎谷自身のそれぞれのアルバムに収録された。6月にシングル「ONE THOUSAND KISSES」、7月にリミックスアルバム『SAKIYA REMIXED WORKS vol.1 夏』をリリース。翌年から軽井沢のリゾート地でのライヴを開催するようになり、1994年までに安部恭弘、KATSUMI、平松愛理、楠瀬、かとうれいこをゲストとして招いた。12月にリリースしたシングル「涙が君を忘れない」は、東映映画『江戸城大乱』の主題歌となった。

1992年

1月にアルバム『BOTANY OF LOVE』をリリース。「愛を育む」をテーマに、全編コンピュータを駆使したほぼ全曲を作詞・作曲・編曲する。ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」を日本人アーティストで初めて原語カバーした。また、テレビ東京音楽番組『スーパーステージ』に出演し、井上陽水と所縁のある五十嵐浩晃・陣内大蔵とともにテクノ・ハウス調でヒットさせた「夢の中へ」を歌唱することとなった。6月に発表された谷村有美のシングル「ときめきをBelieve」をプロデュースし、作曲・編曲・コーラスで参加。TBS系教養番組『日立 世界・ふしぎ発見!』のエンディングテーマ、アニメ『アルスラーン戦記II』の主題歌ともなって、オリコンチャート14位を記録した。7月には自身初の作詞・作曲・編曲を手がけたシングル「HEAVENLY SKY」をリリースし、ニッポン放送のショウアップナイターのイメージソングとしてオンエアされた。10月にも同様に手がけたシングル「CHEERS!TOKYO」をリリース。11月には、平松愛理尾崎亜美とともにスペシャルユニット“HIRA^O SAKI”を名乗り、シングルおよびオムニバスアルバム『My Best Friends』を発表した。

1993年

7月にシングル「泣かなくてもいい」をリリース。8月、講談社ティーンズコミック誌『Kiss』創刊1周年と連動したコンサート「Kiss Scene '93 by Love Songs」を東京・大阪にて開催し、4000人が参加した。9月にアルバム『HOLIDAYS』をリリース。これまで自身が行ってきたアレンジをほぼ全て旧知の音楽家に任せるという異色作となった。「大人の休日」をテーマにしたというが、崎谷本人によれば「失恋の痛手を癒すために作ったアルバム」との事。12月、TBS系音楽賞番組『輝く!日本レコード大賞』に"adam"メンバーであるKATSUMI、楠瀬誠志郎と出演。特別賞を受賞した国民栄誉賞受賞音楽家の服部良一を称えて「胸の振子」を日本武道館で歌唱した。

1994年

5月にシングル「ROOMS」をリリース。丸井提供のフジテレビ深夜番組『OI Tokyo taste 〜 Rooms』のエンディングテーマとして4月からオンエアされた。また、全国各地のJFN系FMラジオ局に出演し、ミニライヴも開催した。11月にリリースしたラテンリズムがベースの「遅すぎると僕は思えない」には、初のクリスマスソング「誰のために雪は降る」をカップリングしている。同月リリースのアルバム『delicate』は、デビュー作品以来となる秋元康とのコラボレーション制作で、日常や人生の「泣き」をテーマにした繊細なポップスに仕上がった。

1995年

9月にシングル「抱きしめたい」ではヒップホップ風アレンジに初挑戦、11月にはクラシック色の強い初のインストゥルメンタルアルバム『MY GRAFFITI』をリリースした。これは日本テレビ系のドラマ『たたかうお嫁さま』のサウンドトラックで、主題歌を歌う松任谷由実の「輪舞曲」のオーケストラバージョンが収められている。

1996年

区麗情に提供した「彼はあなたじゃない」がミニ・バラードアルバム『翡翠の指輪-Jade Ring-』に収録された。制作は崎谷が区の歌声に感動したことがきっかけで、前年9月に提供した「地図にない明日」は、テレビ朝日系テレビドラマ『土曜ワイド劇場』「真夏のセレクション」のエンディングテーマにもなった。12月にはNHK総合テレビの音楽番組『ときめき・夢サウンド』でミッシェル・ポルナレフの代表曲である「TOUT,TOUT POUR MA CHERIE〜シェリーに口づけ」をフランス語歌唱で披露した。また、北海道富良野市で初めて開催される「新富良野プリンスホテルチャペルコンサート(富良野チャペルコンサート)」は、2003年まで毎年参加することとなった。

1997年

4月に両A面シングル「Domani / Oggi」をリリースする。これは、小学館が創刊した「Domani」「Oggi」の2つの同名の‘雑誌イメージソング’で、その先駆けとなった。また、NHK総合テレビの情報番組『スタジオパークからこんにちは』のオープニング・エンディングテーマソングを担当し、8月にシングル「GET STARTED」がリリースされた。また、番組にもゲストとして出演した。「あたたかな陽ざしの中で(←未収録曲)」はゲストライブ時に番組司会の高見知佳が歌唱することとなり、2000年3月までの3年間オンエアされた。

1998年

デビュー以来のポニーキャニオンを離れ、自主レーベルでの活動へ移る。前年の岩男潤子に続いて櫻井智などの声優兼歌手への曲提供も手がけ始める。以降、豊嶋真千子氷上恭子水谷優子などに楽曲提供している。また、テレビ東京のモータウン40周年を記念した特別番組に出演した。

シンガーソングライター・MOONLIGHTING 時代

1999年

2月に公式ホームページ「moonlighting」を開設する。3月に公式ファンクラブ「Crescent」を閉じ、4月に新たに「moonlighting」を発足させる。10月にマキシシングル「Love is... beautiful」をリリース。全曲の制作、演奏を自身が行った。また、SONIC DOVE名義での音楽制作活動を開始する。テレビドラマ『天然少女萬NEXT-横浜百夜篇』出演女優企画ユニット天然少女EX同タイトルアルバム制作では、音楽プロデューサーを務め、K@TANA(のちのテクノユニットcapsule中田ヤスタカ)の提供楽曲を協同編曲している。2008年までに天然少女EX、京田未歩KazamiK.酒井法子近江知永などの楽曲制作に携わり、新境地を開拓している。

2000年

楽曲提供、ライヴ活動を展開する。7月、以前よりファンから強く要望されていたオルゴールアルバム『KENJIRO SAKIYA HAND MADE MUSIC BOX "BRIDAL EDITION"』を発表し、10月、東京・ON AIR EAST公演で収録したライヴアルバム『KENJIRO SAKIYA 2000.10.21,22 KARUIZAWA "LIMITED EDITION"』をファンクラブ限定で発売する。11月、ピアノ・インストゥルメンタルアルバム『SAKIYA PLAYS HIS SONGS / piano instrumental "PIANISM"』をリリースする。また、5周年を記念してリリースされたオムニバスアルバム『富良野チャペルコンサート』に参加した。

2001年

11月、7年ぶりのアルバムとなる『SOUL ARCHEOLOGY』をリリースした。12月には東京・大阪・名古屋にてライヴツアー「SOUL ARCHEOLOGY」を開催し、23・24日に「富良野チャペルコンサート」を行った。

2002年

春、オリジナルアルバム制作を計画するものの、秋に一時中止を発表する。「Silent Night」などを含んだクリスマスソングアルバムをファンクラブ限定発売する。前年に初演した斉藤由貴七瀬なつみの舞台『メーリングドラマ フレンズ Mail@Drama.』に出演する。崎谷は舞台中央奥に着座し、生演奏でのBGMと挿入歌を担当した。2004年にも再演された。

2003年

3月に古巣ポニーキャニオンからベストアルバム『KENJIRO SAKIYA COMPLETE BEST Love Ballads』をリリース。16曲を崎谷自身とファン投票により選んでいるが、「もう一度夜を止めて」はオリジナルアレンジが、「Tomorrow」は映画『東京原発』の主題歌として初めて収録された。7月には東京・大阪・名古屋にてライヴツアー「LOVE BALLADS」を開催し、9月、TOKYO FMの音楽番組『Live Depot』の公開録音にゲスト出演。大江千里と初共演する。12月にはライヴツアー「COVER SONGS/ANTHOLOGY」を開催した。また、「O Christmas Tree」などをカバーしたクリスマスソングアルバムをファンクラブ限定発売する。

2004年 - 2005年

1月、喉頭疾患の治療に専念するため、一切のライブ活動を休止。映画音楽制作、楽曲提供を中心に活動する。なかでも、6月に酒井法子に提供したシングル「天下無敵の愛」は、TBS系ドラマ『愛の劇場』オープニングテーマとして、斉藤由貴作詞による13年ぶりの作品となった。アイドル出身作詞曲を別のアイドル出身歌手が歌唱することで注目された。また、人気を博していたテレビ朝日系のテレビ娯楽番組『いきなり!黄金伝説。』での「1ヶ月1万円節約生活」調理時の挿入曲に、1997年発表の「Rag Time On The Rag」が起用され、脚光を浴びることとなった。

2006年

2月、公式ホームページ「moonlighting」を閉鎖し、新たに「KenjiroSakiya.com」を開設した。3月に公式ファンクラブ「moonlighting」を閉じ、4月に公式メールマガジン「K-PRESS」を創刊した。これは、ライヴ活動休止の長期化に伴う情報発信の措置であった。また、11月28日に日本テレビ系のオーディション番組『歌スタ!!』に「ウタイビトハンター」(作家審査員)として初登場した。12月に「ウタイビト」(歌手志願者)2人をキープし、デビューに向けてプロデュース活動する。その後も、スピリチュアル・マスターと評されるほどのほぼレギュラー出演となり、2010年3月の番組終了まで続くこととなった。

2007年

1月に東京・南青山マンダラでの「Expression」ライヴにて歌手活動を再開した。なお、券発売に際しては予約が殺到したことから、前年12月に東京タワーClub333にて「Club333 Thursday's concert」を無料開催した。全国から往年のファンが詰めかけた。7月、オーディション番組『歌スタ!!』でキープした「ウタイビト」に楽曲を提供してプレゼンを行う。11月、東京で「Expression vol.2〜Encore〜」と題してライヴを追加開催した。

2008年

6月に東京・大阪・福岡にて、ライヴツアー「Expression vol.3〜June Breeze〜」を行った。未発売の新曲「Perfect Day」「宙の鈴〜ソラノスズ〜」を初披露した。7月、クリスタル・ケイに提供した東宝映画『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ギラティナと氷空の花束 シェイミ』主題歌「ONE」がオリコン週間チャート25位を記録した。オーディション番組『歌スタ!!』において、ファッション雑誌『ピチレモン』との連動企画からデビューした少女4人組(裏ピチモ)ユニット・フルーツに共同プロデュースした「恋のセゾン」を発表。オリコン週間チャート29位を記録している。

2009年

1月、オーディション番組『歌スタ!!』でキープした成田圭の3月デビューとプロデュースが決まる。3月、成田のデビュー・シングル「Blind bird」がオリコンデイリーチャート34位で初登場。5月〜6月に大阪・福岡・名古屋・東京にて、ヴァイオリン・伊能修とチェロ・友納真緒とピアノ・崎谷の各奏者によるクラシカル編成のライヴツアー「MUSICA(ムジーカ)/rainy garden」を行い、成田もゲスト参加。未発売の新曲「RESCUE」「花」(←未収録曲)「僕は君」(←柴咲コウへの提供曲「君の声」のオリジナル)を初披露した。ネームサインをアルファベットから漢字に改める。7月、ポニーキャニオンが運営するダウンロードサイト「CD-COCKEE」において、3rd.アルバム『KISS OF LIFE』が月間1位、ベストアルバム『SAKIYA REMIXED WORKS vol.1 夏』が同3位を獲得した。11月にポニーキャニオンからベストアルバム『崎谷健次郎 BEST COLLECTION』をリリース。アルバム未収録シングル5曲、コラボレート・シングル「My Best Friends」、インストゥルメンタル曲の「Rag Time On the Rag」を含めた17曲を初収録している。

シンガーソングライター・LUNCH TIME CAFÉ / UNIVERSAL MUSIC 時代

2010年

1月、オーディション番組『歌スタ!!』でキープした「ウタイビト」2人のデビューに向けてのプロデュース活動を行い、翌々月に提供した楽曲でプレゼンを行う。4月、日本ユニセフの"HAPPY BIRTHDAY DOWNLOAD for CHILDREN"で成田圭の歌唱する「HAPPY BIRTHDAY」に編曲参加。リュ・シウォンに提供した表題曲「麗〜ULALA〜」を含むアルバムがオリコンデイリーチャート2位、同週間チャート5位を記録。公式ファンクラブ「LUNCH TIME CAFÉ」を発足させる。5月、東京にて、コンサート「PIANOIR(ピアノワール)」を開催。ピアノインストゥルメンタルアルバム『PIANOIR 〜Sakiya plays his songs〜』を発表した。6月、4ヶ月に亘るオリジナルアルバム制作が終盤を迎え、自主レーベル・BARBIZONを立ち上げる。7月、日本テレビ『NNNストレイトニュース』ウェザーテーマ7-9月度に「Perfect Day」が起用される。東京・渋谷JZ Bratにて、ファンクラブ発足後初のファン・ミーティング「LUNCH TIME CAFÉ LIVE 〜1ST MEETING IN SUMMER〜」を全曲ファン投票選曲での弾き語りし、直後にコンサート「PIANOIR 〜COVER SONGS〜」を開催。8月、23年ぶりにリアレンジした「もう一度夜を止めて(2010ver.)」と「RESCUE」を配信開始。公式ホームページをリニューアルする。9月、9年ぶりのメジャーレーベルアルバム『PIECE OF DREAMS』をユニバーサル・ミュージックから発売。東京タワーの「Club333 Wednesday Live」にて、アルバムリリース記念ライブを無料開催した。10月、大阪・名古屋・東京・福岡・広島・福山にてライヴツアー「PIECE OF DREAMS」を開催。翌月にかけてラジオ生番組に多数出演し、ラジオ日本の音楽番組では、「花〜すべての人の心に花を〜」「上を向いて歩こう」のカヴァーなど、ファンを目前に弾き語りを生放送した。12月、初のクリスマスソングミニアルバム『Christmas Day 〜Deluxe edition〜』を期間限定で通信販売。また、東京にて、クラシカル編成のコンサート「Acoustic X'mas! with Strings」、ファン・ミーティング「PIANOIR 〜Noel Edition〜」の弾き語りライヴを行った。

2011年

1月、ミュージックバード系列コミュニティFM33局ネット音楽番組『KATSUMI・ユメルのJump to the 90's』にゲスト出演する。KATSUMI担当の番組へは、前月のレインボータウンFM(大江戸放送局)木場スタジオからの公開生番組、『Music Delivery DX 〜しあわせの種〜』に続いての出演で、二十年来の旧交を温める。2月、KATSUMIとの新プロジェクトを始動させることを発表。「今までにない新しいスタイルのライブ」[3]であることを後に明らかにする。5月、初の配信限定シングル「すべて、ひとつの愛に」、ポニーキャニオンからベストアルバム『崎谷健次郎 GOLDEN☆BEST』を発表。また、東京にて、ファン・ミーティングとライヴ「【FEEL GOOD】UP NUMBER NIGHT」を開催し、ピアノインストゥルメンタルアルバム『BOSSA DRIVE』を発表する。6月、RKB毎日放送の音楽番組『鈴木康博のメインストリートをつっ走れ!』にゲスト出演し、「上を向いて歩こう」を鈴木のギター伴奏で共演する。7月、東京にて、ポップスと恋愛詩で綴るポエトリーリーディング・ライヴ「【TIMES】〜featuring KATSUMI〜」をKATSUMIと共演。1970〜1980年代の洋楽から選んだ名曲の訳詩を朗読で味わい、演奏を聴いて楽しむというスタイルを起ち上げた[4][5]。また、共演記念洋楽カヴァーアルバム『COVERS 〜FOR TIMES〜』を会場限定で発売したところ、即日完売。翌月に追加公演が決定する[6]。8月、オリジナルアルバムの制作を開始。9月、公式メールマガジン「K-PRESS」を23日〜25日の連休に3日連続で発行・配信した。10月、大阪にて、「【TIMES】」をKATSUMIと再演。11月、クリスマスソングアルバム『The Christmas Song』を発表する。前年のミニアルバム『Christmas Day 〜Deluxe edition〜』を拡充させたメジャーレーベルアルバムとなった。その発売記念イベントは、神奈川・川崎LA CITTA DELLA噴水広場での無料ライヴが荒天中止したものの、握手会を行った。また、アルバムジャケット撮影地となった東京・パークホテル東京ではファン・ミーティングライヴを開催した[7]。12月、前月に続いて多くのラジオ番組に出演。東海ラジオの音楽番組『兵藤ゆきのハッピーにゆきね〜!』では、「Silent Night(きよしこの夜)」を合唱した。大阪、名古屋、東京にてアルバム収録に参加したヴァイオリン奏者・須磨和声との編成によるライヴツアー「“The Christmas Song”& 年忘れUP NUMBER NIGHT」を開催した。

2012年

2月、東京・南青山マンダラで開催する作詞家・松井五郎のプロデュースライヴ「Goro Matsui SONG BOOKS vol.2」に安部恭弘・井上昌己と出演。井上とは、提供曲「神様のミステイク」で初共演する。4月、東京・パークホテル東京にて「ART colours Live2012 vol.1 “SPRING 〜絵と君と〜”」を開催し、オルゴールアルバム『KENJIRO SAKIYA MUSIC BOX vol.1 〜pastel spring〜』を同時発表する。これは、同ホテルが初めて主催し、日本の四季をテーマにした伝統画材による絵画や書を展示する2012年度春季『ART colours vol.1「春色の墨」』展(3月26日〜5月26日、25階アトリウムで開催)とのコラボレーション企画である。以降、夏季・秋季・冬季の「ART colours」展に合わせてライヴを開催した。また、翌月には芸術作品に囲まれた天空の市場「BON! BON! PARC MARCHE」に初参加するなどパークホテル東京での活動が多い一年となった。5月、他アーティスト提供曲や新曲を披露する「Feel the Breeze 〜Friday night special〜」ライヴを、ヴァイオリン奏者・須磨和声の参加を得て、東京・大阪・名古屋にて開催する。7月、パークホテル東京にて「ART colours Live2012 vol.2 “〜夏の午后〜”」を開催。『ART colours vol.2「RYOMI(涼味)」』展(6月11日〜8月31日開催)との連動企画第2弾で、バックトラックにピアノを乗せたインストゥルメンタルアルバム『Summer Afternoon 〜backtrack & piano〜』を同日発表した。8月、2回目のパークホテル東京「BON! BON! PARC MARCHE」では「もう一度夜を止めて」を披露。依頼曲編曲、シングル曲の制作を行う。9月、「ART colours」展書き下ろしイメージピアノ曲「Art of Life」(←未収録曲)をパークホテル東京公式サイトに発表。10月、ユニバーサルミュージック・アーティストサイトに崎谷のページが開設。日本テレビ『NNNストレイトニュース』ウェザーテーマ10-11月度に新曲「Fine after rain〜雨のち晴れ〜」の起用が決定、先行配信される。パークホテル東京での「ART colours Live2012 vol.3 “〜Autumn Moon〜”」は、『ART colours vol.3「月ノカホリ」』展(9月17日〜11月25日開催)との併催。11月、多くのラジオ番組に出演。リュ・シウォンに提供した表題曲「Season〜君がいる景色の中で〜」を含むアルバムがオリコンデイリーチャート9位、同週間チャート20位を記録した。12月、歌手デビュー25周年記念マキシシングル「Starting point」をリリース。東京タワーの「Club333 Wednesday Live」にてシングルリリース・ライヴを無料開催した。また、シングル収録に参加した須磨を帯同したライヴツアー「Kenjiro Sakiya〜25th Anniversary〜 Single Release Live」を東京・大阪にて開催。記念パンフレットを同時発行し、付録の『25周年PREMIUM LIVE CD』は、非売品ながら崎谷自身初のライヴアルバムとなった。

2013年

1月、名古屋にて「崎谷健次郎〜2013NEW YEAR’S LIVE〜」を開催した。2月、東京・パークホテル東京にて「ART colours Live2013 vol.4 “〜Sweet Valentine〜”」を開催、同ホテル主催の『ART colours vol.4「汐留晩餐会」』展(2012年12月8日〜2013年2月24日開催)とのコラボレーション企画第4弾であった。6月、東京・芝パークホテル別館Bar Fifteenにて、ファンクラブ会員限定の「Fanclub Members Party Lunch time Cafe 〜TEA PARTY & LIVE〜」を開催し、新曲を披露。ファンからのアンケート結果をアルバム制作に反映させる意向を発表する。7月、2年がかりで制作してきたフルオリジナルアルバムの音源が完成する。9月、公式ホームページをリニューアルし、アルバム表題曲のプロモーションビデオを公開。アルバム特別サイトを開設し、多数のラジオ番組に出演する。10月、12年ぶりのアルバム『五線譜のメッセージ』を発売し、オリコンデイリーチャート38位を発売初日に記録した。同アルバム表題曲は、日本テレビ『徳井と後藤と麗しのSHELLYが今夜くらべてみました』エンディングテーマに、収録曲の「Starting point」はTBSテレビ『噂の!東京マガジン』エンディングテーマに起用される。また、東京タワーClub333にて「Club333 Wednesday Live 〜アルバム発売記念ライブ〜」を無料開催。11月、前月末から大阪・名古屋・東京にて「2013崎谷健次郎アルバム発売記念ツアー〜五線譜のメッセージ〜」を開催。井上昌己のラジオ番組に出演する。12月、クリスマスライブ「崎谷健次郎〜Precious X'mas〜」を開催。東京MXテレビ系音楽番組『うたなび!』にゲスト出演した。

2014年

1月、大阪にて「『五線譜のメッセージ』2014 Deluxe Edition」を開催。4月、東京・パークホテル東京にて「ART colours Live2014 vol.5 “〜Blossom〜”」を開催した。また、同ホテルがアーティストを一定期間滞在しながら作品制作させる、「アーティスト・イン・ホテル」に招聘された秋葉生白、竹ノ内直紀、阿部清子の各作品メイキングムービーに音楽参加した。7月、ファンクラブ限定企画「崎谷健次郎と巡る京都世界遺産バス観光」を開催。これは京都を好む崎谷が組んだ旅程でファンとバス観光する初めての企画であった。8月、東京にて、初めての音楽セミナーとなる「崎谷MUSICセミナー〜ウナギのタレ〜」を開催。タイトルは、「ウナギのタレの匂いだけでご飯何杯でもイケそうになる音楽の楽しみ方を提供するセミナー」に由来する。2日間の2回に亘って「AORの秘密ここが面白い」と題し、第1回はAORを代表する名刺的有名曲に焦点をあてて秘話や分析を行い、第2回はAORの夜明けから日本のAORへの進化を辿った。キーボードによる実演を交えながらの解説は盛況を呈した。10月、マキシシングル「いつまでも〜Life In The Universe〜」を発売。日本テレビ『NNNストレイトニュース』ウェザーテーマ10-12月期としてタイアップが決定し、東京タワーClub333での「Club333 Wednesday Live 〜releaseミニライブ〜」の無料開催を皮切りに、年末までに横浜・東京・大阪・東京の全5か所でライブを行った。

2015年

3月、東京・シアタークリエで3日間開催された『斉藤由貴 30th Anniversary Concert』の最終日にゲスト出演。提供曲2曲をピアノ伴奏した。4月、東京・パークホテル東京にて「ART colours Live vol.7“〜春の如く〜 It might as well be spring”」ライヴを開催し、会場限定アルバム『春の如く〜It might as well be spring〜』を同時発売した。BS日テレ『片岡愛之助の解明!歴史捜査』のテーマ曲と挿入曲を担当し、このうち3曲を日テレサイトにて限定配信した。5月、CS日テレG+『GIANTSプレゲームショー』『GIANTSポストゲームショー』のオープニングテーマ曲「It's Show Time!」、『陸上ダイアモンドリーグ2015』のテーマ曲「APOLLON」を提供し、日テレサイトなどで配信を開始した。6月、ポニーキャニオンよりベストアルバム『プラチナムベスト 崎谷健次郎〜Mellow Groove Collection〜』をリリース。夏・海・ドライブのシチュエーションに合う選曲で、高音質フォーマット・UHQCDで発売された。7月、翌月にかけてベストアルバムに因んだライブを横浜・名古屋・京都で開催。8月、配信限定アルバム『BS日テレ「片岡愛之助の解明!歴史捜査」オリジナル・サウンドトラック』を発売した。10月、テレビアニメ『ルパン三世』の音楽を手掛けてきた大野雄二の30年ぶり新シリーズ作品『ルパン三世 PART IV オリジナル・サウンドトラック〜ITALIANO』に作詞で2曲参加する。12月、名古屋、大阪にて、前年に開催した「崎谷MUSICセミナー〜ウナギのタレ〜」「AORの秘密、ここが面白い」Vol.1.2を行った。東京ではMUSICセミナーVol.3「日本のポップスの成り立ちからこの先の行方〜音のオノマトペ〜」と、初めての作曲ワークショップ「プロの作曲家になる方法〜入門編・曲の作り方、プロの作曲とは」を盛況のうちに終了した。

2016年

2月27日(土)東京にてMUSICセミナー・ウナギのタレ〜vol.4 vol.5〜<シンガーソングライターが語る「声のはなし」>を開催した。4月には崎谷健次郎主宰の完全プロ志向音楽塾「ベルムジーク」を始動させた。「Brand New Season2016」ツアー初日、4月17日(日)にパークホテル東京で行なわれたライブでは、ツアーのために書き下ろされた新曲、初披露となるDJプレイ、ピアノとシンセサイザーの同時演奏、満席のラウンジの吹き抜けに映し出す、巨大なプロジェクションマッピングとシンクした演奏で魅了した。引き続き5月13日(金)名古屋Live Doxy、5月14日(土)大阪Mister Kelly'sにてライブ、5月15日(日)には大阪でmusicセミナー・ウナギノタレ〜vol.4.vol.5〜を行った。8月7日京都/都雅都雅。8/20(土)musicセミナーウナギのタレvol.6 vol.7。同プログラムを10月大阪、名古屋でも開催予定。また、12月にはPrecious Winter2016~JOYEUX NOEL~と銘打ったクリスマスコンサートが12月4日(日)名古屋Live Doxy、12月10日(土)大阪Mister Kelly's、12月18日(日)パークホテル東京で行なわれる予定。

  1. ^ NHKスタジオパークからこんにちは」(NHK 1997年8月27日放送)崎谷健次郎ゲスト出演時のインタビュー。
  2. ^ 『オリコン・ウィークリー』第496号(オリジナルコンフィデンス 1989年4月24日発行)特集・アルバム『âge』完成記念対談 斉藤由貴VS崎谷健次郎。
  3. ^ 崎谷健次郎公式メールマガジン『K-PRESS』「配信シングル+会場限定CD+7月ライブ予告」号(2011年4月23日発行)
  4. ^ 崎谷健次郎公式メールマガジン『K-PRESS』「7/24崎谷健次郎&KATSUMIライブインフォ」号(2011年4月25日発行)
  5. ^ 崎谷健次郎公式メールマガジン『K-PRESS』「7月ポエトリーライブ準備進行中」号(2011年6月24日発行)
  6. ^ 崎谷健次郎公式メールマガジン『K-PRESS』「10/15(土)TIMES 大阪公演決定!」号(2011年8月16日発行)
  7. ^ 崎谷健次郎公式メールマガジン『K-PRESS』「崎谷健次郎FC「Lunch Time Café」会員募集」号(2011年9月24日発行)

人物

キャラクター

  • ソロデビュー当時、秋元康が崎谷に付けたキャッチコピー「崎谷は、憂鬱だ。」
  • フジテレビ系歌謡番組『夜のヒットスタジオ』に出演した際、司会の古舘伊知郎から「歌う志賀直哉と形容された。
  • 楽曲の雰囲気から「歌う哲学者」[1] 「ラブソングの帝王」[2]と呼ばれている。
  • 立東社発行の月刊雑誌『キーボードスペシャル』では「偉人の戯言」と題した連載記事を担当し、「偉人」[3]とも呼ばれていた。
  • 「孤高のシンガーソングライター」[4]と紹介されたこともある。しかし、当の本人は「静」と「動」の性格を持ち合わせている。物静かなようで社交的である。
  • 高音で透明感ある歌声に対してしゃべり声が低いため「自分が乗り込んだタクシーの運転手にずっと森進一と間違えられたことがあります。」というエピソードを持つ。
  • 2006年から2010年まで出演した日本テレビ系オーディション番組『歌スタ!!』では、司会の東野幸治から多くの評価を得ている。
    • 初登場時に「崎谷さんのコメントで一気に“音楽番組”らしくなった!」と言わしめたように、審査作家陣(ウタイビトハンター)の中でも豊富な音楽知識とコメントは番組精神を支える「スピリチュアル・マスター」と評され、番組で常に肩書きとして紹介されるようになった[5]
    • 特に、並はずれた着眼点からのコメントは世間離れしているところから、東野に「音楽界の仙人」と評されて「仙人」というニックネームが付けられ、「仙人さん」と広く呼ばれるようになった。
    • 2007年7月16日放送分では、初めてのプレゼンがレポーター風に行われ、「説明が上手い。」とレコード会社責任者からも同調された[6]
    • 2009年12月28日放送分では、敗者復活戦で複数の合格者を輩出させたいと願うコメントから「ロマンティック・ソルジャー」とも評されている[7]
  1. ^ 『OSAKA billboard LIVE』第77号(ビルボードライブ大阪 2013年11月29日発行)。
  2. ^ NHK『スタジオパークからこんにちは』(NHK 1997年8月27日放送)崎谷健次郎ゲスト出演時のイントロダクション。
  3. ^ 『キーボードスペシャル』第76号(立東社 1991年5月15日発行)「特集・崎谷健次郎の世界、新作[ambivalence]完全インタビュー」。
  4. ^ 『ON AIR MUSIC ECHO』第52号(SOFTHOUSE 2001年12月発行)崎谷健次郎「SOUL ARCHEOLOGY TOUR」ライヴ案内。
  5. ^ 日本テレビ『歌スタ!!』(NTV 2006年11月28日放送)。
  6. ^ 日本テレビ『歌スタ!!』(NTV 2007年7月16日放送)。
  7. ^ 日本テレビ『歌スタ!!』(NTV 2009年12月28日放送)もうゴメンネとは言わせない!決意のりべんじSP〜ハンターも超名曲を歌っちゃうよ〜。

音楽性

  1. ^ NHKスタジオパークからこんにちは』(NHK 1997年8月27日放送)崎谷健次郎ゲスト出演時のインタビュー。
  2. ^ パナソフトセンター『Panasoft Monthly』(松下電器産業 1991年4月、1992年1月発行)「CDアルバム」崎谷健次郎作品への書評。
  3. ^ 『キーボードマガジン』第201号(リットーミュージック 1995年1月1日発行)「作曲の小部屋」第18回。
  4. ^ 斉藤由貴 2nd.アルバム『ガラスの鼓動』(1986年3月21日発売)所収「月野原」参加クレジット。
  5. ^ 朝日新聞夕刊文化面記事(1993年9月)。
  6. ^ 安部恭弘14th.アルバム『天国は待ってくれる』リリース直後のラジオ番組で、「今、一番面白い芸能人は?」との質問に「崎谷健次郎」と即答している。
  7. ^ KATSUMI公式ブログ『Seeds of Love』「崎谷さんとジョイントライブ決定!」(2011年4月25日付)では、「尊敬する音楽家、崎谷健次郎さんとジョイントライブを行います!とうとう実現、、、僕自身も非常に楽しみにしております。」としている。また、同公式ホームページ『Bright-Days』内にかつて存在したリンク集にも紹介されていた。
  8. ^ かとうれいこへの楽曲提供は、崎谷のファンであったかとうが司会を務めていたフジテレビ深夜音楽番組『ROCK SHOW』に崎谷が出演したことがきっかけである。
  9. ^ NHKオンライン『週間ハタラキング』「優木まおみのぶっちゃけ大変でした!〜20代、わたしの仕事 vol.27 亀田誠治さん」(2008年6月10日付)。
  10. ^ 川久保秀一公式ブログ「崎谷健次郎さん♪」(2011年11月16日付)において、「中学生のとき斉藤由貴…2ndアルバム「ガラスの鼓動」で崎谷さんの名前を見つけたのが最初で…僕にとって憧れの方」と紹介している。
  11. ^ 木原健太郎公式ホームページ・プロフィール紹介文。
  12. ^ 斉藤由貴 1st.ベストアルバム『Yuki's BRAND』(1987年12月16日発売)収録曲解説文。
  13. ^ フジテレビLOVE LOVEあいしてる』公式ホームページ「LOVE LOVE メール」において、武部聡志は「崎谷の声は僕も大好きで、色々良い作品を作ってきたと思っています。」(1998年10月27日収録)とコメントしている。
  14. ^ 谷村有美 6th.アルバム『Docile』(1992年12月12日発売)所収「ときめきをBelieve」への谷村自身の解説。
  15. ^ 『キーボードスペシャル』第76号(立東社 1991年5月15日発行)「特集・崎谷健次郎の世界、新作[ambivalence]完全インタビュー」に拠れば、種ともこは「とても頭の良い人だ。」と評している。
  16. ^ 松田悟志オフィシャルウェブサイト『松田ラボ』第34話「俳優として、歌手として…」では、松田が「JUNONスーパーボーイコンテストの最終選考会で歌を歌った僕を見て興味を持って下さった方が、僕のデビュー作である『天然少女萬NEXT』の音楽プロデューサーだったんですよね、そして、その方が「いつか一緒に歌をやろうよ!」と言って下さって…」と歌手デビューへの契機を授かり、第41話「そう!誕生の瞬間、僕はそばを啜っておりました!」では、1st.マキシシングル『DISTANCE』のプロデューサーとして「僕みたいな若造の言葉にもしっかりと耳を傾けてくださる崎谷さんの懐の深いこと!!←海よりも深いです」と信頼し、「…崎谷さんの…「Love is... beautiful」、この曲をカバーさせてもらえるレベルにまで自分を高めること…。…素晴らしい曲…。」と歌手としての目標に掲げている。なお、カバー自体は2nd.アルバム『on』で実現している。また、第71話「Cobalt」では、「僕は「切ないバラード、ラブバラード」が好きです。…もともと心がそういう風に出来ています。」「ラブバラード♪…崎谷さんがよく言われる「愛を歌う」という言葉、僕は激しく共感しますし、…僕の『歌観』が…『そうあるべき』だと思う」と音楽観でも共鳴し、一致している。
  17. ^ 米良美一 1st.アルバム『I'll be there』(1999年10月8日発売)所収「銀河の丘」は、崎谷のファンであった米良の要望で「Because Of Love」の続編として制作された。
  18. ^ 渡辺格ブログ『Life In The Slow Line』「崎谷君ライブ」(2007年1月28日付)。「崎谷健次郎君ニューCD」(2010年8月22日付)では、「変わらず時代の香りを自身の音楽に投影する術の見事さは、秀逸の極み」「唯一無二の音楽家」と評している。

コンサート・イベント

  • 1987年に東京・インクスティック芝浦ファクトリーで初コンサート。小学館の女性ファッション誌『CanCam』と連動して開催された。以降ほぼ毎年、東京、大阪、名古屋のコンサート・ホールを中心に、札幌、仙台、広島、福岡、沖縄で行う。
  • 1990年代の冬の苗場スキー場でライヴを行っている際は、キャッチコピーのエピソードを話して観客の笑いを誘い、夏の軽井沢リゾート地でライヴを行っている際は、MCで語り、ゲストと踊りまくり、度重なるアンコールにも応えていた。
  • 1994年、全国各地のJFN系列FM局への出演とともにミニ・ライヴを開催した。
  • 1996年、北海道・新富良野プリンスホテルチャペルコンサート(富良野チャペルコンサート)でジョイント公演参加に始まって、ソロコンサートを2003年までの毎年開催した。
  • 1997年以降はライヴハウスを中心に活動を展開する。
  • 2004年に喉を患って活動休止。2007年の活動再開後は感極まる場面もあった。客席には常に温かい心遣いである。
  • 2007年からは料理も楽しめる会場を使用するようになり、ディナー・ショーとは異なるものの、ワン・ドリンク制ライヴよりは公演空間をゆったり楽しめる傾向にある。
  • イベントは、1990年代から2000年代にかけて、ファン・ミーティングとしてファンクラブ会員に限定して開催されてきた。ホールの他、発表作品に関連して軽井沢、小淵沢などの避暑地でライヴを伴うことが多かった。
  • 2014年には音楽セミナーなどのライヴを伴わない新企画が初めて開催された。

ファンクラブ・ウェブサイト・メールマガジン

  • 1988年 - 1999年 Crescent 公式ファンクラブ・クレセント
  • 1999年 - 2006年 moonlighting 公式ファンクラブ・ムーンライティング
  • 1999年 - 2006年 moonlighting 公式ホームページ・ムーンライティング
  • 2006年 - KenjiroSakiya.com 公式ホームページ・サキヤケンジロウ・ドットコム
  • 2006年 - K-PRESS 公式ホームページメールマガジン・ケー・プレス
  • 2010年 - LUNCH TIME CAFÉ 公式ファンクラブ・ランチタイムカフェ

サウンドトラック・タイアップ

ディスコグラフィー

シングルは通算25作品で、オリジナルシングル24点、コラボレートシングル1点がある。アルバムは通算87作品で、オリジナルアルバム11点、カヴァーアルバム4点、ベストアルバム5点、インストゥルメンタルアルバム8点、ライヴアルバム1点、オムニバスアルバム49点を数える。その他、DVD1作品、書籍は写真集2点がある。

楽曲提供

メディア出演

外部リンク

崎谷健次郎公式ウェブサイト『kenjirosakiya.com』

  • 本人運営の公式サイト。新着情報、メッセージ、プロフィール、ディスコグラフィーのほか、CDの購入方法紹介、ファンからのメッセージ・ボードがある。

崎谷健次郎ツイッター twitter.com sakiyakenjiro

崎谷健次郎フェイスブック sakiyakenjiro facebook

ユニバーサルミュージック・アーティスト崎谷健次郎公式ページ universal-music-sakiya-kenjiro

  • ユニバーサルミュージックアーティスト専用サイト。崎谷健次郎の活動紹介をしており、作品の購入が可能である。

11th.オリジナルアルバム『五線譜のメッセージ』特設サイト

  • アルバム表題曲、日本テレビ「今夜くらべてみました」エンディングソングPV。