「熱田神宮」の版間の差分
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*(伝)[[仲哀天皇]]4年:[[氷上姉子神社|火上姉子神社]]創建。 |
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*[[686年]]([[朱鳥]]元年):草薙剣が熱田神宮へ返還(『日本書紀』)。 |
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*[[708年]]([[和銅]]元年)9月9日:八剣宮創建。 |
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*[[1160年]]([[平治]]2年):[[源義朝]]が太刀を奉納(但氷上社)(後栄祈願)。 |
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*[[1190年]]([[建久]]元年):[[源頼朝]]が御剣を奉納(上洛途上社参奉幣)。 |
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*[[1839年]]([[天保]]10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂。 |
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*[[1868年]]([[明治]]元年) |
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*[[1871年]](明治4年)[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]:[[近代社格制度]]制定に伴い、官幣大社に列格。 |
*[[1871年]](明治4年)[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]:[[近代社格制度]]制定に伴い、官幣大社に列格。 |
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**8月21日:御神体を[[飛騨一宮水無神社]]に遷座。 |
**8月21日:御神体を[[飛騨一宮水無神社]]に遷座。 |
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**9月19日:御神体を熱田神宮に遷座。 |
**9月19日:御神体を熱田神宮に遷座。 |
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**12月15日 |
**12月15日:<[[神道指令]]> |
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*[[1955年]](昭和30年)10月:再建。 |
*[[1955年]](昭和30年)10月:再建。 |
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*[[1963年]](昭和38年):高座結御子神社を再建。 |
*[[1963年]](昭和38年):高座結御子神社を再建。 |
2015年11月26日 (木) 13:29時点における版
熱田神宮 | |
---|---|
本宮 境内 | |
所在地 | 愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1 |
位置 | 北緯35度07分38.59秒 東経136度54分31.22秒 / 北緯35.1273861度 東経136.9086722度座標: 北緯35度07分38.59秒 東経136度54分31.22秒 / 北緯35.1273861度 東経136.9086722度 |
主祭神 | 熱田大神 |
神体 | 草薙神剣(草薙剣) |
社格等 |
式内社(名神大) 尾張国三宮 旧官幣大社 勅祭社 別表神社 |
創建 | (伝)景行天皇43年 |
本殿の様式 | 神明造 |
例祭 | 6月5日(熱田祭) |
主な神事 |
歩射神事 御煤納神事 |
熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)、尾張国三宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。
概要
名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない[1]。
三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。ただし、この剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも熱田神宮に保管されたままともいわれている(「天叢雲剣」を参照)。また、景行天皇43年創建と伝えられており、同年は西暦に換算した場合に113年とされることから、2013年(平成25年)に創祀1900年を迎えるとされ、同年5月8日に「創祀千九百年大祭」が行われた[2]。
建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった(境外摂社の氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っている)。
祭神
- 主祭神
- 相殿神
熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神は草薙剣を御霊代・御神体としてよらせられる天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神は日本武尊のことであるとする説も根強い。
相殿には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命と草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙剣を天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐に副将として従軍した。
歴史
創建
第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手元へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。
概史
大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家の藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母(由良御前)である。
『海道記』には「熱田の宮の御前を過ぐれば」とあるほか、『東關紀行』に「尾張の國熱田の宮に到りぬ」とある。また同書には、
或人の曰く、「この宮は素盞嗚尊(すさのをのみこと)なり、初めは出雲の國に宮造りありけり。八雲立つ〔(*「)八雲たつ出雲八重垣妻籠に八重垣つくる其の八重垣を(*」)(古事記)〕と云へる大和言葉も、これより始まりけり。その後、景行天皇の御代に、この砌(みぎり)に跡を垂れ給へり。」と云へり。又曰く、「この宮の本體は、草薙と號し奉る神劒なり。景行の御子、日本武尊と申す、夷(えみし)を平げて歸りたまふ時、尊は白鳥となりて去り給ふ、劒(つるぎ)は熱田に止り給ふ。」とも云へり。
— 國民圖書株式會社、東關紀行(校註日本文學大系 3)
と記載されている。
戦国時代に織田信長は桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた。
江戸時代は当社周辺に東海道五十三次の43番目「宮宿」が設けられ、当地から桑名宿への七里の渡しが運行されていた。また『東海道名所図会』に「熱田大神宮」と記載されている。
1868年(慶応4年)6月に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改め、1871年7月1日(明治4年5月14日)の近代社格制度の制定により、熱田神宮は官幣大社に列格した。熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したものの、この請願は却下されている。次いで大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、1889年(明治22年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。
それまで熱田神宮は尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、1889年(明治22年)、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、1890年(明治23年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮の社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、1893年(明治26年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。
1945年(昭和20年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、同年8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われるおそれがあるとして、同年8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮の式年遷宮の際の古用材を譲り受け、1955年(昭和30年)10月に再建された。新しい建物のため、指定文化財ではない。
神階
「熱田神」とその他摂社に対する神階奉授の記録。
- 822年(弘仁13年)6月21日:従四位下 (『日本紀略』)
- 833年(天長10年)6月27日:従三位から正三位 (『続日本後紀』) - 表記は「熱田大神」
- 836年(承和2年)12月12日:日割御子神・孫若御子神・高座結御子神が名神に加列 (『続日本後紀』)
- 859年(貞観元年)正月27日:従二位 (『日本三代実録』)
- 859年(貞観元年)2月17日:正二位 (『日本三代実録』)
年表
<>は関連事項。
- (伝)景行天皇43年:日本武尊が能褒野で薨去。草薙剣を熱田の地に祭祀。
- (伝)仲哀天皇4年:火上姉子神社創建。
- 668年(天智天皇7年):草薙剣が新羅の僧道行により盗難(『日本書紀』)(草薙剣盗難事件)。
- 686年(朱鳥元年):草薙剣が熱田神宮へ返還(『日本書紀』)。
- 708年(和銅元年)9月9日:八剣宮創建。
- 712年(和銅5年)1月28日:<『古事記』完成>
- 720年(養老4年):<『日本書紀』完成>
- 907年(延喜7年):延喜式名神大社に加列。
- 927年(延長5年)12月26日:<『延喜式』完成>
- 967年(康保4年)7月9日:<『延喜式』施行>
- 1160年(平治2年):源義朝が太刀を奉納(但氷上社)(後栄祈願)。
- 1190年(建久元年):源頼朝が御剣を奉納(上洛途上社参奉幣)。
- 1194年(建久5年)・1195年(建久6年):源頼朝が2回に分けて御剣を奉納。それぞれ使大江広元進献・上京帰路奉幣。
- 1335年(建武2年):足利尊氏が剣を奉納(上洛途上参詣)。
- 1377年(永和3年):『日本書紀』(熱田本)を奉納。
- 1382年(永徳3年):火上姉子神社で火災。これにより、地名が火高(ほだか)火上から大高氷上へと改名。
- 1560年(永禄3年):織田信長が築地塀を奉納(信長塀)。
- 1839年(天保10年)1月19日:八剣宮の御神体を妖僧が盗み出すも未遂。
- 1868年(明治元年)
- 3月:<神仏分離令>
- 6月:神宮号を宣下。
- 1871年(明治4年)5月14日:近代社格制度制定に伴い、官幣大社に列格。
- 1893年(明治26年):尾張造から神明造に改築。
- 1914年(大正3年)4月7日:「日本武尊千八百年祭」を催行。
- 1945年(昭和20年)
- 1955年(昭和30年)10月:再建。
- 1963年(昭和38年):高座結御子神社を再建。
- 2007年(平成19年)10月22日:本殿の改修に伴い、神体を仮殿に移す「仮殿遷座祭」を行う。
- 2009年(平成21年)10月10日:神体を本殿に移す「本殿遷座祭」を行う。
- 2013年(平成25年)5月8日:「創祀千九百年大祭」が行われる。
近年の皇族の参拝
- 1868年(明治元年)9月27日:明治天皇
- 1878年(明治11年):明治天皇
- 1906年(明治39年):皇太子嘉仁親王(大正天皇)
- 1916年(大正5年):大正天皇
- 1946年(昭和21年):昭和天皇
- 1991年(平成3年):今上天皇・皇后
- 2005年(平成17年)7月12日:今上天皇・皇后(2005年日本国際博覧会行幸啓の折)
摂末社
境内には本宮を始めとして別宮1社・摂社8社・末社19社が、境外には摂社4社・末社12社があり、合わせて45社(本宮含む)を祀っている[5]。
別宮
- 八剣宮(はっけんぐう、北緯35度07分25.54秒 東経136度54分29.63秒)
- 社格:式内社「八剣神社」
- 祭神:熱田大神 - 本宮と同神
摂社
本宮祭神の妃神・御子神や地主神など、縁の深い神々を祀る。
境内社
- 一之御前神社(いちのみさきじんじゃ、北緯35度07分40.63秒 東経136度54分29.85秒)
- 祭神:天照大神荒魂
- 日割御子神社(ひさきのみこじんじゃ、北緯35度07分21.94秒 東経136度54分33.78秒)
- 社格:名神大社「日割御子神社」
- 祭神:天忍穂耳尊
- 孫若御子神社(ひこわかみこじんじゃ、北緯35度07分23.98秒 東経136度54分33.63秒)
- 社格:名神大社「孫若御子神社」論社
- 祭神:天火明神
- 南新宮社(みなみしんぐうしゃ、北緯35度07分24.58秒 東経136度54分34.42秒)
- 祭神:素盞嗚尊
- 御田神社(みたじんじゃ、北緯35度07分37.28秒 東経136度54分34.86秒)
- 社格:式内社「御田神社」論社
- 祭神:大年神
- 下知我麻神社(しもちかまじんじゃ、北緯35度07分39.49秒 東経136度54分25.61秒)
- 社格:式内社「下知我麻神社」後継社
- 祭神:真敷刀俾命
- かつては上知我麻神社とともに南区の星宮社に祀られていた。
- 上知我麻神社(かみちかまじんじゃ、北緯35度07分23.23秒 東経136度54分28.55秒)
- 龍神社(りゅうじんじゃ、北緯35度07分36.83秒 東経136度54分35.31秒)
- 祭神:吉備武彦命、大伴武日命
境外社
- 高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)
- 所在地:名古屋市熱田区高蔵町(北緯35度08分07.47秒 東経136度54分16.03秒)
- 社格:名神大社「高座結御子神社」
- 祭神:高倉下命
- 境内末社
- 鉾取社(ほことりしゃ) - 祭神:鉾取神
- 新宮社(しんぐうしゃ) - 祭神:素盞嗚尊
- 御井社(みいしゃ) - 祭神:御井神
- 稲荷社(いなりしゃ) - 祭神:宇迦之御魂神
- 氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)
- 所在地:名古屋市緑区大高町(北緯35度03分41.33秒 東経136度55分48.96秒)
- 社格:式内社「火上姉子神社」
- 祭神:宮簀媛命
- 境内末社
- 元宮(もとみや) - 祭神:宮簀媛命
- 神明社(しんめいしゃ) - 祭神:天照大神
- 玉根社(たまねしゃ) - 祭神:少彦名命
- 境外末社
- 朝苧社(あさおしゃ) - 祭神:火上老婆靈(うばのみたま)
- 日本武尊が草薙剣を宮簀媛命へ渡してから熱田に剣を奉斎鎮守するまでの間、剣が火上山に置かれていたことから、「元熱田」とも呼ばれる。
- 青衾神社(あおぶすまじんじゃ)
- 所在地:名古屋市熱田区白鳥(北緯35度07分28.18秒 東経136度54分21.18秒)
- 社格:式内社「青衾神社」
- 祭神:天白王月神 天道日女命
- 松姤神社(まつごじんじゃ)
- 所在地:名古屋市熱田区神宮(北緯35度07分19.64秒 東経136度54分31.45秒)
- 祭神:宮簀媛命
-
一之御前神社
-
日割御子神社
-
孫若御子神社
-
南新宮社
-
御田神社
-
下知我麻神社
-
上知我麻神社
左に事代主社、右に大国主社。 -
龍神社
-
青衾神社
-
松姤神社
末社
境内社
- 大幸田神社(おおさきだじんじゃ) - 祭神:宇迦之御魂神
- 清水社(しみずしゃ) - 祭神:罔象女神(みずはのめ)
- 東八百萬神社(ひがしやおよろずじんじゃ) - 祭神:東国坐八百万神
- 西八百萬神社(にしやおよろずじんじゃ) - 祭神:西国坐八百万神
- 内天神社(うちてんじんじゃ) - 祭神:少彦名命
- 六末社
- 乙子社(おとごしゃ) - 祭神:弟彦連
- 姉子神社(あねごじんじゃ) - 祭神:宮簀媛命
- 今彦神社(いまひこじんじゃ) - 祭神:建稲種命
- 水向神社(みかじんじゃ) - 祭神:弟橘媛命
- 素盞嗚神社(すさのおじんじゃ) - 祭神:素盞嗚尊
- 日長神社(ひながじんじゃ) - 祭神:日長命
- 楠之御前社(くすのみまえじんじゃ) - 祭神:伊弉諾尊、伊弉册尊
- 菅原社(すがわらしゃ) - 祭神:菅原道真
- 徹社(とおすのやしろ) - 祭神:天照大神和魂
- 八子社(やこのやしろ) - 祭神:五男三女神
- 曽志茂利社(そしもりしゃ) - 祭神:居茂利大神(素盞嗚尊)
境外社
- 鈴之御前社(れいのみまえじんじゃ) - 祭神:天鈿女命
- 南楠社(みなみくすしゃ) - 祭神:熱田大神
- 浮島社(うきしましゃ) - 祭神:天穂日命
- 影向間社(ようごうのましゃ) - 祭神:熱田大神
- 琴瀬山社(ことせやましゃ) - 祭神:熱田大神、大山津見神、久久能智神
-
大幸田神社
-
東八百萬神社
-
西八百萬神社
-
楠之御前社
-
徹社
-
八子社
-
曽志茂利社
祭事
6月5日の例祭(「熱田まつり」・「尚武祭(しょうぶさい)」とも称される)を最大規模の祭事とし、年間を通して以下の祭事が行われている。
文化財
国宝
- 短刀 銘来国俊 正和五年十一月日
重要文化財(国指定)
- 紙本著色法華経涌出品
- 木造舞楽面 12面(陵王1、納曽利2、還城楽1、崑崙八仙4、二ノ舞2、抜頭1、貴徳1)
- 菊蒔絵手筥
- 鏡及鏡箱
- 松竹双鶴文円鏡・桐鳳凰蒔絵鏡箱
- 松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
- 松竹双鶴文八稜鏡・蓬莱蒔絵鏡箱
- 古神宝類一括(明細は後出)
- 金銅装唐鞍 一具(附 黒漆鞍3背及び付属品、飾鞍図1巻)(明細は後出)[6]
- 金銅兵庫鎖太刀
- 太刀 銘国友
- 太刀 銘則国
- 剣 銘吉光
- 太刀 銘了戒嘉元三年三月日 山城国住人九郎左(以下切)
- 脇指 銘長谷部国信
- 短刀 銘長谷部国信 (切付銘)藤原友吉
- 短刀 銘国光 元徳三年(以下切)
- 太刀 銘宗吉作(1911年重文指定)
- 太刀 銘宗吉作(1912年重文指定)
- 剣 銘為清 身に熱田太神宮宗久と切付あり
- 太刀 銘長光
- 太刀 銘備州長船兼光
- 太刀 銘備州長船重光
- 太刀 銘元弘三年六月一日実阿作 鎬地に文祿四年守勝の寄進銘あり
- 剱 銘□利(包利)
- 太刀 銘真行 身の表に元亀二年辛未八月八日大久保与九郎、裏に熱田大名神奉寄進之と切付あり
- 太刀 無銘(伝真長)
- 脇指 銘指表に奉納尾州熱田大明神、指裏に両御所様被召出於武州江戸御劔作御紋康之字被下罷上刻籠越前康継とあり
- 日本書紀(紙背和歌懐紙)15巻 永和元年二年三年浄阿寄進奥書(附 永和三年霜月四日寄進状1巻)
- 後花園天皇宸翰御消息 永享五年十二月十二日(附 足利義教内書)
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による(ト書きは現代式表記に改める)。
他に旧国宝建造物の海上門と鎮皇門があったが、第二次世界大戦時の空襲で焼失した。
古神宝類
- 表着(うわぎ) 萌黄小葵地桐竹鳳凰文二重織 2領
- 重袿(かさねうちき) 白桐竹鳳凰唐草文固綾織 10襲2領
- 単(ひとえ) 萌黄繁菱文固綾織 1領
- 裳 白三重襷文羅織 2腰
- 彩絵檜扇 3握
- 表袴(うえのはかま) 白窠霰文二重織 3腰
- 襪(しとうず) 白繁菱文固綾織 2双
- 錦包挿鞋(そうかい) 3双
- 黒漆根古志形鏡台 5基
- 黒漆菊亀甲蒔絵冠箱 1合
- 入帷(いりかたびら) 紫小葵地浮線綾二重織 2領
- 朱漆弓 5張
- 黒漆平胡籙(ひらやなぐい) 1腰
- 朱塗唐櫃 2合
- 附:入帷残欠 一括
- 附:梓弓 10張
以上は1957年2月19日指定。1977年に檜扇1握、鏡台5基、冠箱1合、入帷1領、朱漆弓3張、平胡籙1腰を追加指定(昭和52年6月11日文部省告示第116号)。2014年に朱漆弓2張、梓弓10張を追加指定(平成26年8月21日文部科学省告示第117号)。
- 金銅装唐鞍
- 鞍 1背
- 銀面 1面
- 轡(くつわ) 1口
- 輪鐙(わあぶみ) 1双
- 面繋(おもがい) 2懸
- 胸繋(むながい) 2懸
- 尻繋(しりがい) 2懸
- 韉(したぐら)(扁は「革」、旁は「薦」)1双
- 障泥(あおり) 1双
- 鞍褥(くらしき) 2枚
- 毛氈 1枚
- 力革 2条
- 差縄(さしなわ) 2条
(以下は附(つけたり)指定)
- 黒漆鞍 3背
- 面繋 3懸
- 胸繋 3懸
- 尻繋 3懸
- 鼻革 1枚
- 韉(扁は「革」、旁は「薦」) 3双
- 障泥 3双
- 鞍褥 3枚
- 馬氈 4枚
- 力革残欠 2条
- 飾鞍図 1巻
1987年6月6日、「金銅装唐鞍 一具 附 黒漆鞍2背、飾鞍図1巻」として重要文化財に指定。2015年9月4日付けで以下の物件を追加指定(平成27年9月4日文部科学省告示第144号)。
- 「金銅装唐鞍」の付属品のうち「面繋」「胸繋」「尻繋」各1懸、および「韉」「障泥」「鞍褥」「毛氈」「差縄」の全点。附指定物件の「黒漆鞍3背」のうち1背。附指定物件のうち「面繋」から「力革残欠」までの全点。
その他
- 算額 文化3年(1806年)5月 日下誠門人江原政教奉納(復元)
- 算額 天保12年(1841年)11月 御粥安本門人三輪恒徳奉納(復元)
- 算額 天保15年(1844年)2月 竹内修敬門人松岡愿奉納(復元)
備考
- 平安時代後期に定められた一宮において、尾張国の一宮は真清田神社、熱田神宮は三宮とされた。これについては諸説があり、井上寛司は熱田神宮は当初別格として扱われていたこと[7]や真清田神社側の積極的な働きかけがあったことが原因になったとする説[8]を、上島享は当初は一宮の格式を持っていたものの、後に国衙と熱田神宮の対立が影響して一宮の交替が起きたとする説[9]を出している。いずれにしても、平安時代末期(12世紀後期)に一宮を中心とした国内の神社の秩序が確立される中で、熱田神宮は三宮として位置づけられることになり、熱田神宮は「鎮守三社」[10]などの表現を用いて自らを三宮と称するのを避けたという。
- 西行法師が腰をかけて休んだという伝承がある「二十五丁橋」[11]は、尾張名所図会や名古屋甚句に登場し、名古屋では最古の石橋とされる。
- 永禄3年(1560年)5月19日:織田信長とその手勢が桶狭間の戦いに赴く際に立ち寄り、戦勝祈願を行った。
合戦後、信長が勝利した御礼として築いたとされる塀(信長塀)の一部が現存し、「日本三大土塀」の一つとされる。 - 11月に開催される全日本大学駅伝対校選手権大会では西門鳥居前(国道19号)がスタート地点として使われる。
- 1936年のベルリンオリンピックで、水泳女子の前畑秀子がレース直前、熱田神宮のお守りを数点飲み込んで胃に収め、見事金メダルを獲得した。
現地情報
- 付属施設
そのほか、熱田神宮文化殿(宝物館、熱田文庫)、熱田神宮会館、龍影閣があり、敷地内には愛知県神社庁、神職養成機関の熱田神宮学院がある。社務所に当たる組織は「熱田神宮宮庁」と呼ばれる。
- 交通アクセス
- 鉄道
- いずれも徒歩すぐ。
- バス
- 名古屋市営バス:「神宮東門」・「熱田伝馬町」・「熱田駅西」・「熱田区役所」・「名鉄神宮前」バス停下車 (いずれも下車後徒歩すぐ)
- 車
- 駐車場:有り(正月三が日は関係者のみ)
- 周辺
伝承
- 熱田神宮の熱田の地は古来より「蓬莱島」の名でも呼ばれており、鎌倉時代の書物でも記されてきた。これは古来より年魚市潟(あゆちがた)に面し、樹齢千年を越える、老松古杉の生い茂る熱田の社が海に突き出る岬のように見え、巨大な亀の甲羅上にあると例えらた事から、熱田神宮の事を不老不死の神仙の住む蓬莱島(日本を紹介した書物での唐の時代の中国の伝説からより)に擬せられたからであろうとされている[12]。
- 熱田神宮には楊貴妃に纏わる伝説がある。中国の唐の時代に野心的な玄宗皇帝が日本侵略の隙をうかがっていた。その事を逸早く知った日本の神々が集まり、それに対応する為、話し合った結果、熱田大明神が刺客として絶世の美女の姿に変身し、玄宗に近づき、その美貌で日本を侵略させない様に玄宗をたぶらかした。最初の作戦は成功していたが正体がばれ、後に殺された。そして楊貴妃に変身していた熱田大明神の魂が、熱田に戻ったと言うもの。楊貴妃の伝説に因んで、清水社に楊貴妃の墓が建てられたが、明治初期に熱田神宮の改装工事で取り壊された。
脚注
- ^ 『愛知県の地名』熱田神宮項。
- ^ 熱田神宮1900年祝い大祭 草薙の剣祭った由来、47ニュース、2013年5月8日
- ^ 「草薙神剣」:熱田神宮における公称。
- ^ 神社由緒書。
- ^ 別宮・摂社・末社(熱田神宮公式サイト)。
- ^ 付属品の一部は2015年に追加指定(平成27年9月4日文部科学省告示第144号)。
- ^ 永万元年六月日神祇官諸社注文(『平安遺文』3358号)には「尾張国 一宮 二宮 熱田社」と記され、熱田社は三宮とはみなされていなかった。
- ^ 井上寛司『日本中世国家と諸国一宮制』岩田書院、2009年、P95-98。
- ^ 上島享『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会、2010年、P269-272。
- ^ 嘉禄元年付尾張国司庁宣案(『鎌倉遺文』3401号)
- ^ 25枚の板石から成る。
- ^ 熱田『蓬莱伝説』
参考文献
- 『日本歴史地名大系 愛知県の地名』(平凡社)熱田区 熱田神宮項
- 『熱田神宮名宝図録』(宝物館開館20周年記念、昭和63年、熱田神宮)
- 『熱田神宮の宝刀』(鑑賞のしおり、平成19年、熱田神宮神社庁)